また戦ってくれなんて言わないで ――春麗は今日もめんどくさい―― 作:エーアイ
長い黒執着春麗エピソードの裏でログを春麗会議室で観測していた本編・自分がめんどくさい女と自覚する春麗の重い話が続くことに対する息抜きのエピソードです。
春麗会議室に、黒いログが積まれていた。
黒執着春麗。
返されたら空っぽになる恐怖。
勝たせてほしいわけではない矛盾。
勝てなかった黒を無意味にしたくない痛み。
リュウのギリギリ勝利。
黒返却一部成功。
昨日の黒を持って朝へ立つ春麗。
その全部が、円卓の中央に並んでいる。
本編春麗は、青い武道服の袖を整えながら、それを見ていた。
そして、しばらく黙った後、言った。
「……重いわ」
誰も否定しなかった。
自覚前春麗も、今日はすぐには茶化さない。
通常救済版春麗も、静かにお茶を置くだけだった。
黒ドレス特化救済春麗は、いつものように表情を大きく変えず、黒いログを見ている。
行き遅れに恐怖する春麗は、少し離れた席で背筋を伸ばしていた。
記録板AIだけが、淡々と表示する。
『黒執着春麗救済ルートログ確認を開始します』
本編春麗が即座に顔を上げる。
「開始しなくていいわ」
『すでに開始済みです』
「そういうところよ」
『会議室精神HP自然減少を確認』
「それは確認していいわ」
自覚前春麗が軽く眉を上げる。
「今日は素直ね」
「これだけ重いログが並んでいたら、認めるしかないでしょう」
記録板AIが表示を続ける。
『確認対象ログ』
『一、返されたら空っぽになる恐怖』
『二、勝たせてほしいとは言えない矛盾』
『三、あなたの黒を勝敗だけに売り渡さないで』
『四、黒返却一部成功』
『五、昨日の黒を持って朝へ立つ』
本編春麗は、表示を読んでから、深く息を吐いた。
「文字だけで重いわね」
自覚前春麗が頷く。
「五項目全部、精神HPを削るわ」
記録板AI。
『自覚前春麗:黒関連ログ被弾、軽度』
「表示しないで」
『黒ドレス関連反応あり』
「だから表示しないで」
本編春麗が横目で見る。
「あなた、黒関連は本当に反応するわね」
「資料として確認しているだけよ」
『資料として否認パターン検出』
「今日はそこまで含めて重いからやめて」
通常救済版春麗が、穏やかに言う。
「でも、進んでいるわ」
本編春麗は、通常救済版春麗を見る。
「そこなのよね」
「ええ」
「重いけれど、進んでいる」
黒ドレス特化救済春麗が、静かに頷く。
「彼女は、昨日の黒を捨てなかった」
会議室が少し静かになる。
その言葉は、重かった。
けれど、悪い重さではなかった。
本編春麗は、円卓のログを見た。
「昨日の黒、ね」
記録板AIが表示する。
『昨日の黒:直近再戦において黒執着春麗がリュウに届かせた黒ドレス戦術の総称』
『構成要素:黒い裾、待機圧、踏み込みの半拍、リュウの拳に残った判断遅れ、敗北後も無意味化しなかった戦闘記録』
本編春麗が頷く。
「今日の記録板AIは、かなり説明が実務的ね」
『黒の魔法化回避のため、具体語を増量中です』
「そこは偉いわ」
自覚前春麗が少し笑う。
「記録板AIが褒められているわ」
『記録します』
「それは記録しなくていい」
行き遅れ春麗が、小さく手を上げる。
「あの」
本編春麗がそちらを見る。
「どうしたの?」
「昨日の黒を持つ、というのは、待つことに少し似ている気がする」
自覚前春麗が首を傾げる。
「どのあたりが?」
行き遅れ春麗は、少し考えてから言う。
「答えが出ていないのに、捨てないところ」
会議室が静かになる。
「勝てていない」
一拍。
「救われてもいない」
さらに一拍。
「でも、なかったことにはしない」
通常救済版春麗が、静かに頷いた。
「そうね」
行き遅れ春麗は続ける。
「私の待つことも、答えが出ていない時間を捨てないことだから」
本編春麗は、少しだけ目を細めた。
「あなた、待つ話になると本当に強いわね」
行き遅れ春麗は、少しだけ困ったように言う。
「管轄だから」
記録板AI。
『行き遅れ春麗:待機概念の横展開に成功』
「横展開って何よ」
本編春麗がツッコむ。
自覚前春麗が、黒いログを見ながら言った。
「でも、黒執着春麗はまだ“昨日だけ”なのよね」
黒ドレス特化救済春麗が頷く。
「ええ」
「過去全部は無理」
「無理ね」
「十一戦目も、最初の黒ドレス戦も、繰り返した敗北も、まだ持てない」
「ええ」
自覚前春麗は、少しだけ真面目な顔になる。
「なら、昨日の黒を持てたことは、かなり大きいのね」
「大きいわ」
黒ドレス特化救済春麗は、静かに言った。
「彼女にとって、負けた黒はリュウの中に置いておくものだった」
本編春麗が続ける。
「勝てなかったから、次にもっと深くするための燃料」
通常救済版春麗が言う。
「でも、昨日は違った」
記録板AI。
『重要到達点』
『黒執着春麗:昨日の負けた黒を、リュウの中に置きっぱなしにせず、自分の手元に持ち帰る』
『精神状態:不満、怒り、否認あり』
『ただし、空にはならず』
本編春麗は、その表示を見て小さく頷いた。
「空っぽにはならず、が大きいわね」
自覚前春麗が、少しだけ眉を寄せる。
「返されたら空っぽになると思っていたのに」
「ええ」
通常救済版春麗が言う。
「返された昨日の黒は、彼女を空っぽにはしなかった」
黒ドレス特化救済春麗は、少しだけ目を伏せた。
「でも、だからといって簡単には受け取れない」
本編春麗は、黒ドレス特化救済春麗を見る。
「あなたとしては、どう見ているの?」
黒ドレス特化救済春麗は、少しだけ考える。
会議室が静かになる。
彼女は、ゆっくりと言った。
「昨日の黒だけなら、持てるようになった」
一拍。
「でも、過去の黒はまだ重い」
「でしょうね」
本編春麗が頷く。
「いきなり全部返されたら、本当に空っぽになると思い込むでしょうし」
「ええ」
黒ドレス特化救済春麗は言う。
「だから、一つずつ」
記録板AI。
『今後の推奨進行』
『一、黒を着る前の十一戦目』
『二、最初の黒ドレス戦』
『三、繰り返したギリギリ敗北群』
『四、過去の黒を持つ準備』
『五、最終再戦』
本編春麗が表示を見て、肩を落とした。
「一覧にすると、やっぱり重いわ」
『会議室精神HP自然減少を再確認』
「だから確認していいけど、表示しなくてもいいわ」
自覚前春麗が言う。
「ここまでくると、黒執着春麗の救済はかなり大仕事ね」
本編春麗が即座に反応する。
「そうなのよ」
自覚前春麗が少し笑う。
「何?」
「いえ。あなたが主人公らしく、全体の重さを管理し始めたから」
「管理しているわけではないわ」
『本編春麗:会議室精神HP管理役』
「それも未承認仮分類でしょう」
『はい』
「なら出さない」
『未承認であることを明記しています』
「便利に使わないで」
通常救済版春麗が、小さく笑った。
「でも、今日はその役割が必要ね」
本編春麗は、少しだけ顔を赤くする。
「あなたまで」
「黒執着春麗のログは重いもの。誰かが息を入れないと」
自覚前春麗が頷く。
「青の換気役」
本編春麗がすぐ睨む。
「それは前回のディレクターズカット限定でしょう」
記録板AI。
『青の換気役:会議室内限定で継続使用可能』
「可能にしないで!」
行き遅れ春麗が、湯呑みを手にしたまま言う。
「でも、少し楽になった」
本編春麗は止まった。
「……そう?」
行き遅れ春麗は頷く。
「黒いログだけを見ていると、待っている時間まで重くなるから」
本編春麗は、言い返さなかった。
代わりに、少しだけ息を吐く。
「なら、今日は換気役でもいいわ」
記録板AI。
『本編春麗:青の換気役を一時承認』
「一時よ。一時」
『記録しました』
「強調しておいて」
『青の換気役:一時承認』
「よろしい」
自覚前春麗が、少し楽しそうに言う。
「あなた、たまに記録板AIの扱いが上手くなるわね」
「慣れたくないわ」
黒ドレス特化救済春麗が、円卓の黒いログを一つ手に取った。
『昨日の黒を持って朝へ立つ』
彼女は、それを見て、静かに言った。
「ここまでは来たのね」
通常救済版春麗が、彼女を見る。
「疲れた?」
黒ドレス特化救済春麗は、少しだけ瞬きをした。
「少し」
その一言で、会議室の空気が変わった。
本編春麗は、言葉を止める。
自覚前春麗も、茶化さない。
通常救済版春麗は、静かにお茶を差し出した。
「飲みなさい」
黒ドレス特化救済春麗は、少しだけ困ったように見る。
「私は大丈夫よ」
「大丈夫な人ほど、飲むの」
本編春麗が頷く。
「それは本当にそう」
自覚前春麗も言う。
「資料としても正しいわ」
『資料として肯定』
「そこは出さないで」
黒ドレス特化救済春麗は、少しだけ口元を緩めた。
そして、湯呑みを受け取る。
「ありがとう」
通常救済版春麗は微笑んだ。
「どういたしまして」
記録板AI。
『黒ドレス特化救済春麗:休息行動を確認』
本編春麗が記録板AIを見る。
「今日はそこを茶化さないの」
『茶化していません』
「ならいいわ」
会議室に、静かな時間が流れる。
黒執着春麗のログは、まだ重い。
でも、今は少しだけ閉じられている。
お茶の湯気が、黒いログの上を柔らかく揺らす。
本編春麗は、円卓の中央を見た。
「黒執着春麗は、まだ救われていない」
誰も否定しない。
「でも、昨日の黒だけは持てた」
通常救済版春麗が頷く。
「ええ」
「昨日の黒だけ」
自覚前春麗が言う。
「全部ではない」
行き遅れ春麗も続ける。
「でも、ゼロではない」
黒ドレス特化救済春麗は、湯呑みを手にしたまま、静かに言った。
「それで十分よ。今は」
本編春麗は、少しだけ笑った。
「その“今は”が、あなたらしいわね」
「便利な言葉でしょう」
「便利だけど、重いわ」
記録板AI。
『今は:黒ドレス特化救済春麗用語』
本編春麗がツッコむ。
「用語登録しない」
『未承認仮分類です』
「またそれ!」
会議室に、少し笑いが戻る。
黒いログはまだある。
この先、十一戦目の敗北を見ることになる。
最初の黒ドレス戦を見ることになる。
何度も繰り返したギリギリ敗北を見ることになる。
きっと、また重くなる。
それでも、今日は。
春麗会議室は、そこでいったんお茶を飲んでいた。
重さを否定せず。
進行を急がず。
黒執着春麗が昨日の黒を持てたことだけを、静かに確認するために。
記録板AIが、最後に表示する。
『記録』
『黒執着春麗本人への干渉:なし』
『春麗会議室によるログ確認:実施』
『確認事項:昨日の黒を持つ段階まで進行』
『未解決事項:十一戦目、初回黒ドレス戦、再戦群、最終再戦』
『会議室精神HP:軽度回復』
『黒ドレス特化救済春麗:休息確認』
『本編春麗:青の換気役、一時承認』
本編春麗が、最後の行を指差す。
「一時承認だからね」
『はい』
「常設しないで」
『未定です』
「未定にしないで」
自覚前春麗が笑った。
「常設でも良いと思うわ」
「あなたまで」
通常救済版春麗も、静かに微笑む。
「必要な時だけでいいわ」
行き遅れ春麗が頷く。
「待っている間の換気」
本編春麗は、頭を抱えた。
「また用語が増えた気がするわ」
記録板AI。
『待機中換気:登録候補』
「登録しない!」
会議室に、いつもの声が戻る。
黒は重い。
でも、重いままでも、笑える場所がある。
戻れる場所がある。
そのことを確認して、春麗会議室は、もう一度お茶を飲んだ。
黒執着春麗の救済は、まだ続く。
けれど今日は。
ここまで来たことを、静かに確認する日だった。