また戦ってくれなんて言わないで ――春麗は今日もめんどくさい―― 作:エーアイ
長い黒執着春麗エピソードの裏でログを春麗会議室で観測していた本編・自分がめんどくさい女と自覚する春麗の重い話が続くことに対する息抜きのエピソードです。
春麗会議室に、黒いログが置かれていた。
表紙には、記録板AIの文字が表示されている。
『黒執着春麗救済ルート・最新ログ』
『対象ログ:最終再戦、戦後処理、今日の黒はここにある』
本編春麗は、その文字を見た瞬間、静かに湯呑みを置いた。
「……先に言っておくわ」
自覚前春麗が顔を上げる。
「何?」
本編春麗は、真剣な顔で言った。
「今日は、読む前から重い」
誰も否定しなかった。
通常救済版春麗は、すでに追加のお茶を用意している。
行き遅れに恐怖する春麗は、背筋を伸ばしている。
黒ドレス特化救済春麗は、いつも通り静かに座っていたが、湯呑みを持つ手が少しだけ早かった。
記録板AIが点灯する。
『会議室精神HP自然減少を確認』
本編春麗が即座に言う。
「読む前から減らさないで」
『ログタイトルの時点で軽度被弾を確認』
「確認しないで」
自覚前春麗が、黒いログを見る。
「最終再戦、戦後処理、今日の黒はここにある……」
一拍。
「重いわね」
本編春麗が頷く。
「だから言ったでしょう」
『自覚前春麗:黒関連ログへの反応あり』
「資料として確認しているだけよ」
『資料として否認パターン検出』
「今日は本当にやめて」
通常救済版春麗が、お茶を配りながら言った。
「でも、ここまで来たのね」
本編春麗はログを開く。
そこには、黒執着春麗とリュウの最終再戦が記録されていた。
黒い裾。
肩の角度。
待機圧。
近すぎる距離。
十一戦目。
最初の黒ドレス。
負け続けた黒。
全部は持てない。
でも、置いていかない黒。
そして、リュウのギリギリ勝利。
本編春麗は、読み終える前に一度ログを閉じた。
「待って」
自覚前春麗が見る。
「まだ序盤よ」
「知っているわ」
「なぜ閉じたの?」
本編春麗は額に手を当てた。
「すでに精神HPが削れているからよ」
記録板AI。
『本編春麗:精神HP -12』
「数値化しないで」
『黒執着春麗ログ読解時、青ルート主人公にも精神負荷発生』
「その分析は正しいけど今はいらないわ」
行き遅れ春麗が、ぽつりと言う。
「置いていかない、というのは……待つことより重いかもしれない」
本編春麗がそちらを見る。
「あなた、待つ話になるといつも強いけれど、今日は置いていかない話にも反応するのね」
「待つのも、置いていかないのも、答えが出ていないものを抱えることだから」
会議室が静かになった。
自覚前春麗が小さく呟く。
「……重いことを自然に言うわね」
行き遅れ春麗は少し困った顔をする。
「管轄が近いから」
記録板AI。
『行き遅れ春麗:待機概念から保持概念への拡張に成功』
「登録しないで」
本編春麗がログを再び開く。
次の部分は、試合後の夜だった。
黒執着春麗は、リュウに負けた黒を抱えたまま眠れない。
今日の黒は、リュウの中だけにはない。
でも、全部持てたわけではない。
袖の端だけなら持てる。
今日の黒は、ここにある。
本編春麗は、今度は最後まで読んだ。
そして、静かにログを閉じた。
「……これは」
自覚前春麗が聞く。
「これは?」
本編春麗は、しばらく黙った。
それから言った。
「救済ではあるけれど、全然軽くないわ」
通常救済版春麗が頷く。
「ええ」
「普通、救済ってもっと楽になるものじゃないの?」
黒ドレス特化救済春麗が静かに言う。
「空っぽではなくなるということは、重さを感じるということでもあるわ」
本編春麗は、黒ドレス特化救済春麗を見る。
「あなた、さっきから本人ログと同じ濃度のことを言うのやめて」
「同じ黒に関わっているから」
「知っているけど」
記録板AI。
『黒ドレス特化救済春麗:ログ共鳴率高』
本編春麗がすぐ反応する。
「共鳴率を出さない」
『非表示にします』
「表示前に止めて」
自覚前春麗が、ログの該当箇所を指でなぞる。
「“今日の黒はここにある”……」
一拍。
「これは、かなり進んでいるわね」
本編春麗が頷く。
「そうなのよ」
「でも、本人はまだ救済とは認めない」
「当然でしょうね」
「勝ちたいし、負けたばかりだし、腹も立っている」
「ええ」
「でも、リュウの中だけにはない」
自覚前春麗は、少しだけ眉を寄せた。
「……重いわね」
本編春麗が深く頷く。
「今日それ、何回目かしら」
『重い発言回数:四回』
「数えないで」
通常救済版春麗が、静かに言った。
「でも、良い重さよ」
本編春麗は、湯呑みを持ったまま止まる。
「良い重さ?」
「ええ」
通常救済版春麗は、ゆっくり続ける。
「空っぽではない重さ。負けた黒が残っている重さ。自分の側にあると認め始めた重さ」
行き遅れ春麗が頷く。
「待っている間の重さに似ている」
自覚前春麗が苦笑する。
「あなた、本当に待機系の概念に強いわね」
「管轄だから」
記録板AI。
『行き遅れ春麗:管轄発言三回目』
「それも数えない」
本編春麗は、黒いログを見下ろした。
「黒執着春麗は、まだ全部持てないのよね」
黒ドレス特化救済春麗が頷く。
「ええ」
「十一戦目も、最初の黒も、負け続けた黒も、今日の黒でさえ全部は無理」
「ええ」
「でも、袖の端だけなら持てる」
「ええ」
本編春麗は、少しだけ目を伏せた。
「……それ、すごく春麗っぽいわね」
自覚前春麗が見る。
「どのあたりが?」
「全部を一気に抱えないところ」
一拍。
「でも、完全には手放さないところ」
通常救済版春麗が、静かに頷く。
「ええ」
本編春麗は続ける。
「意地を張っているのに、逃げきれない。認めないと言いながら、袖の端だけ持つ」
自覚前春麗が少し笑った。
「めんどくさいわね」
本編春麗は自覚前春麗を見た。
「あなたに言われると、とても複雑ね」
『本編春麗:自覚済みめんどくささ反応』
「今、私の話にしないで」
『失礼しました』
「絶対わざとでしょう」
黒ドレス特化救済春麗が、湯呑みを置いた。
「彼女は、まだ救われたとは言わないでしょう」
本編春麗が頷く。
「ええ」
「でも、今日の黒がここにあるとは言えた」
「ええ」
「なら、十分よ。今は」
本編春麗は、黒ドレス特化救済春麗をじっと見た。
「その“今は”がまた重いのよ」
「便利な言葉でしょう」
「便利だけど重いわ」
記録板AI。
『今は:黒ドレス特化救済春麗用語として再検出』
「登録しない」
『未承認仮分類です』
「便利にしない!」
少しだけ笑いが戻った。
その笑いは小さかったが、会議室には必要だった。
黒いログは、まだ円卓の中央にある。
重い。
でも、読める。
重いけれど、息ができる。
本編春麗は、湯呑みを持ち直した。
「今日は、本筋を進めないわ」
記録板AI。
『議題:本筋進行停止』
「そう。停止」
『理由:会議室精神HP回復優先』
「その通り」
自覚前春麗が少し驚いたように言う。
「あなたがそんなことを言うのね」
「言うわよ」
本編春麗は、黒いログを指差した。
「この重さをずっと直視していたら、会議室も倒れるわ」
『本編春麗:会議室の精神HPを同時考慮』
「そこは褒めて」
『優秀です』
「素直に褒められると、それはそれで困るわね」
通常救済版春麗が微笑む。
「では、今日はお茶にしましょう」
行き遅れ春麗が小さく頷く。
「待つ時間も必要」
本編春麗が言う。
「ええ。今日は待つというより、休む時間ね」
自覚前春麗が、黒いログをちらっと見た。
「資料としては、今日の黒はここにある、で一旦保存ね」
『保存項目:今日の黒はここにある』
「だから記録板AI、今のは口頭メモよ」
『正式保存しました』
「早い」
黒ドレス特化救済春麗は、少しだけ笑った。
本編春麗はそれに気づいた。
「あなた、少し笑った?」
「気のせいよ」
「気のせいではないと思うけど」
「休憩中だから」
本編春麗は、少しだけ目を丸くした。
黒ドレス特化救済春麗が、自分から休憩という言葉を使った。
それだけで、会議室の空気が少し軽くなる。
通常救済版春麗が、そっと湯呑みを差し出す。
「おかわりいる?」
黒ドレス特化救済春麗は、一拍置いてから頷いた。
「少し」
記録板AI。
『黒ドレス特化救済春麗:休息受諾』
本編春麗がすぐ言う。
「茶化さない」
『茶化していません』
「なら、静かに記録して」
『了解しました』
自覚前春麗が頬杖をつく。
「重いログなのに、少しだけ救われるわね」
本編春麗が頷く。
「そうね」
「黒執着春麗本人はまだ全然納得していないでしょうけど」
「でしょうね」
「でも、今日の黒はここにある」
「ええ」
「袖の端だけ」
「ええ」
「……本当に、袖の端だけなのが良いわね」
本編春麗は、静かに笑った。
「全部抱えるより、ずっと春麗らしいわ」
行き遅れ春麗が言う。
「全部ではなくても、持っている」
通常救済版春麗が続ける。
「持てる分だけでいい」
黒ドレス特化救済春麗が、最後に言った。
「置いていかなかったのだから」
会議室が静かになった。
重い沈黙ではない。
確認の沈黙だった。
黒執着春麗は、まだ救われていない。
でも、進んでいる。
今日の黒は、リュウの中だけにはない。
黒執着春麗の手元にもある。
袖の端だけ。
それだけでも、確かにある。
記録板AIが、最後に表示する。
『記録』
『黒執着春麗本人への干渉:なし』
『最新ログ確認:完了』
『確認事項:今日の黒はここにある』
『補足:完全受領ではなく、袖の端のみ保持』
『会議室精神HP:軽度回復』
『黒ドレス特化救済春麗:休息受諾』
『本編春麗:休憩判断を実施』
『今後の推奨:本筋再開前に甘味またはお茶の追加』
本編春麗は最後の行を見た。
「甘味?」
『会議室精神HP回復効率向上のため』
自覚前春麗が顔を上げる。
「甘味は合理的ね」
通常救済版春麗も頷く。
「ええ」
行き遅れ春麗も小さく手を上げる。
「待つ時間にも合う」
黒ドレス特化救済春麗は、少しだけ考えてから言った。
「……少しなら」
本編春麗は、湯呑みを置いた。
「決まりね」
記録板AI。
『次回候補:春麗会議、黒ログ後に甘味を食べる』
「それはそれで見たいわね」
自覚前春麗が言う。
「資料として?」
本編春麗は笑った。
「いいえ」
一拍。
「休憩として」
会議室に、ようやくいつもの空気が戻った。
黒は重い。
黒執着春麗のログは、まだ続く。
でも、今日はここまで。
今日の黒はここにある。
そして、春麗会議室には、お茶と、少しだけ甘いものが必要だった。