また戦ってくれなんて言わないで ――春麗は今日もめんどくさい―― 作:エーアイ
朝。
本編春麗は、机の前に座っていた。
青い武道服は、すぐ横にある。
着ているわけではない。
畳んである。
けれど、視界の端に入る位置には置いている。
理由はない。
ない。
たぶん。
「……また聞かせてくれ」
春麗は、小さく呟いた。
リュウの言葉だ。
前に、言われた。
黒の話が一区切りついたなら、春麗の話も、また聞かせてくれ。
そして、その後。
今日の春麗の話も、聞けてよかった。
また聞かせてくれ。
言われた。
確かに言われた。
なら、次に会った時に話す内容を考えておくのは、自然なことだ。
聞かせてくれ、と言われたのだから。
話す側にも準備が必要だ。
即興で話せるほど、自分は単純ではない。
いや。
そういう問題ではない。
「……話題を用意するだけよ」
春麗は、机の上に紙を置いた。
文字を書く。
リュウに話す内容。
書いてから、すぐに線を引いた。
「違う」
危険だった。
まるで、次に会うことを前提にしているように見える。
いや、実際に会う可能性はある。
リュウがまた聞かせてくれと言った。
だから、話す内容を考えること自体はおかしくない。
ただし、用意しすぎると危険だ。
用意しすぎると、会いに行く前提になる。
会いに行く前提になると、また自分から会いに行く女になる。
それは、以前やった。
用事がないのに会いに行った。
用事がないのに。
ないのに。
用事がなければ来てはいけないの?
あれは、かなり危険だった。
自分で自分の精神HPを削った。
春麗は、紙を少し遠ざけた。
「今回は違うわ」
今回は、根拠がある。
リュウが言った。
また聞かせてくれ。
だから、話す内容を考える。
これは用事ではない。
用意でもない。
いや、用意ではある。
しかし、会いに行く用意ではない。
話題の整理だ。
正式回答の後に、必要になった時のための整理。
そう。
正式回答。
春麗は、顔を少しだけ引き締めた。
「順番としては、正式回答が先よ」
リュウへの宿題。
まだ正式回答は来ていない。
前回は進捗確認だった。
その後、春麗の話を聞かせに行った。
そこでさらに「また聞かせてくれ」と言われた。
だが、だからといって、こちらから話しすぎるのは違う。
宿題を出したのは春麗だ。
答えるのはリュウだ。
正式回答前にこちらが話しすぎると、採点前に解答欄を増やしてしまう。
それは良くない。
たぶん。
「正式回答が先」
一拍。
「その後に、私の話」
もう一拍。
「必要なら」
春麗は頷いた。
これなら大丈夫だ。
順番は守られている。
主人公としても、構造上問題ない。
春麗は、紙を引き寄せた。
では、話す内容を整理する。
あくまで仮。
まだ話すとは決めていない。
リュウが正式回答をした後、必要になった場合に備えた、話題候補。
そう書けばいい。
春麗は、紙の上に小さく書いた。
話題候補。
その下に、一つ目を書こうとして止まった。
何を話すのか。
黒のこと。
いや、黒執着春麗の具体的な話はできない。
春麗会議室の話もできない。
だが、黒の後の青、という自分の話ならできる。
春麗は書く。
一、黒の後の青。
少しだけ、胸が熱くなる。
リュウに言われた言葉。
春麗は、黒の後の青で来たんだな。
あれは危険だった。
かなり危険だった。
春麗本人がまだぼんやり持っていたものを、リュウが一言で見てしまった。
黒の後の青。
黒をなかったことにした青ではない。
黒に染まった青でもない。
黒を見届けた後、自分の本筋に戻ろうとした青。
それなら、話せるかもしれない。
いや、話す必要があるのかもしれない。
春麗は、すぐに首を振った。
「必要がある、とまでは言っていないわ」
候補。
あくまで候補。
春麗は、二つ目を書いた。
二、宿題のこと。
これは避けられない。
リュウへの宿題。
正式回答。
前回の進捗。
九十六点。
そして、まだ百点ではないこと。
正式回答の後に、どこまで採点するのか。
九十九点規則を維持するのか。
百点を封印するのか。
春麗は、ペンを止めた。
「……話題というより、採点基準ね」
違う。
宿題の話をするなら、採点基準だけではない。
自分がなぜその宿題を出したのか。
リュウの言葉で変わった後の春麗に、どう向き合うのか。
その答えを聞きたい理由。
そこまで含まれる。
春麗は、紙を見つめた。
かなり重い。
だが、本筋だ。
正式回答を受け取るなら、避けられない。
春麗は小さく息を吐いた。
三つ目を書く。
三、青を選び直したこと。
これも大事だ。
届かれた青をなかったことにしない。
でも、同じ青ではもう戦わない。
戻って選び直した青。
リュウに見られた青。
覚えられた青。
聞かれた青。
青だけでも、かなり多い。
春麗は、紙を見て少し眉を寄せた。
「……多いわね」
まだ三つ目だ。
それなのに、すでに重い。
春麗は少し迷ってから、四つ目を書く。
四、用事がなくても会いに行ったこと。
書いた瞬間、顔が熱くなった。
「これは消してもいいのでは?」
ペンを持ったまま止まる。
消すべきか。
いや、あの回もログだ。
用事がないのに会いに行った。
用事がなければ来てはいけないの?
言ってしまった。
自分で精神HPを削った。
しかし、その後の青につながっている。
聞かせてくれと言われる前に、自分はすでに用事がなくても会いに行っていた。
その事実は消えない。
むしろ、今回の「また聞かせてくれ」と対になる。
前は理由がなかった。
今は理由がある。
それでも、行くかどうかで揺れている。
春麗は、四つ目を消さなかった。
「……保留」
小さく言う。
五つ目。
五、聞かれた青のこと。
書いた瞬間、ペンが止まった。
聞かれた青。
未承認仮分類。
正式には認めていない。
でも、保留保存した。
リュウに自分の話を聞かれた。
聞けてよかったと言われた。
また聞かせてくれと言われた。
青が、見られただけではなく、聞かれた。
これは大きい。
かなり大きい。
春麗は、紙を見つめる。
一、黒の後の青。
二、宿題のこと。
三、青を選び直したこと。
四、用事がなくても会いに行ったこと。
五、聞かれた青のこと。
そこで、春麗は完全に固まった。
紙の上に並んだ言葉を見る。
多い。
かなり多い。
話題候補のはずだった。
少し整理するだけのつもりだった。
なのに、かなり多い。
しかも、全部リュウに関係している。
春麗は、ペンを置いた。
「……私、話すことが多いのでは?」
言ってしまった。
自爆だった。
完全に自爆だった。
話すことがないのではない。
ありすぎる。
黒の後の青。
宿題。
青を選び直したこと。
用事がなくても会いに行ったこと。
聞かれた青。
どれも、リュウに関係している。
どれも、リュウに話す可能性がある。
どれも、話したら精神HPを削られる可能性がある。
春麗は、机に突っ伏しそうになった。
しない。
まだ朝だ。
まだ何も起きていない。
リュウにも会っていない。
なのに、話題候補を整理しただけで自爆している。
「……これは、危険ね」
危険だった。
リュウが危険なのではない。
いや、リュウも危険だ。
だが、今回は自分の話題の多さが危険だった。
自分がどれだけリュウとのログを抱えているのか。
紙に書くまで、そこまで実感していなかった。
春麗は、顔を上げる。
紙を見る。
消すか。
消さない。
全部、ログだ。
全部、なかったことにはしない。
ただし、全部を話す必要はない。
春麗は、紙の下に線を引いた。
そして、ゆっくり書く。
全部は話さない。
少しだけ落ち着いた。
そう。
全部を一度に話す必要はない。
むしろ、全部話したら危険だ。
リュウが真面目に全部聞く。
途中で「それで、春麗はどうなった」とか言う。
こちらが削られる。
最悪、正式回答前に精神HPが落ちる。
それは避けたい。
正式回答はまだだ。
春麗は、さらに書く。
正式回答の後に。
順番は大事だ。
まずリュウの正式回答。
その後、必要なら春麗の話。
聞かせてくれと言われている。
話してもいい。
だが、答えの前に話しすぎるのは違う。
春麗は、少しだけ頷いた。
さらに書く。
少しずつ。
これも大事だ。
一度に全部話さない。
黒の後の青も、宿題も、青を選び直したことも、用事がなくても会いに行ったことも、聞かれた青も。
全部、一度に出す必要はない。
少しずつ。
必要な時に。
リュウが聞いた時に。
自分が話せる時に。
春麗は、紙の上を見つめた。
全部は話さない。
正式回答の後に。
少しずつ。
かなりまともな整理だった。
まともすぎて、少し物足りない。
そこで、春麗は小さく付け足した。
……たぶん。
書いてから、少しだけ笑った。
「これでいいわ」
完璧に決めすぎるのは危険だ。
全部は話さない。
正式回答の後に。
少しずつ。
たぶん。
それくらいが、自分にはちょうどいい。
昼。
春麗は外に出た。
リュウに会いに行くためではない。
違う。
断じて違う。
ただ、歩きたくなっただけだ。
話題候補を整理したら、少し体を動かしたくなった。
青い武道服ではない。
日常服。
ただし、動きやすい。
用事はない。
リュウに会う予定もない。
だが、もし会ったとしても、今日は話さない。
まだ正式回答前だから。
春麗は、自分に言い聞かせる。
「今日は、話題整理日」
一拍。
「実行日ではない」
もう一拍。
「会いに行く日でもない」
角を曲がる。
リュウはいなかった。
春麗は、少しだけ安心した。
そして、少しだけ残念だった。
「……危険ね」
自分に言う。
残念に思った時点で危険だ。
聞かせてくれと言われたから。
また聞かせてくれと言われたから。
話題を用意したから。
その流れで、少し会いたくなっている。
危険だ。
かなり危険だ。
でも、今日は会わない。
会わないまま、青を整える。
それも進行だ。
春麗は、ゆっくり歩く。
青い空を見る。
黒の後の青。
聞かれた青。
正式回答前の青。
話すことが多い青。
自分で思って、顔が熱くなる。
「……話すことが多い青、はないわね」
未承認にもしたくない。
だが、実態としてはそうだった。
話すことが多い。
リュウに話すかもしれないことが多い。
話したいのか。
話したくないのか。
よく分からない。
たぶん、両方だ。
聞いてほしい。
でも、全部は見せたくない。
話したい。
でも、全部話したら負ける気がする。
正式回答を聞きたい。
でも、その後に自分が何を話すのか少し怖い。
春麗は、足を止める。
風が吹いた。
髪が揺れる。
「……本当に、面倒ね」
自分で言う。
だが、嫌ではない。
この面倒さも、今の自分の青だ。
リュウに聞かれた青。
また聞かせてくれと言われた青。
話題を用意しようとして、自爆する青。
それも、自分だ。
夕方。
部屋に戻った春麗は、朝の紙をもう一度見た。
話題候補。
一、黒の後の青。
二、宿題のこと。
三、青を選び直したこと。
四、用事がなくても会いに行ったこと。
五、聞かれた青のこと。
下に書いた整理。
全部は話さない。
正式回答の後に。
少しずつ。
……たぶん。
春麗は、紙を畳もうとして止めた。
畳んでしまうと、隠したように見える。
広げたままだと、重い。
少し迷って、青い小箱を開けた。
そこには、これまでの青の記録がある。
青い小箱は、春麗が勝手にそう呼んでいるだけの、小さな保管場所だった。
記録板AIが残した未承認仮分類も、自分で書いた話題候補も、まだ正式には認められない青の言葉も、そこへ入れておく。
届かれた青。
見られた青。
覚えられた青。
聞かれた青。
正式承認はしていないものもある。
保留保存したものもある。
そこへ、今回の紙を入れる。
「話題候補」
一拍。
「未提出」
もう一拍。
「正式回答後に、一部使用予定」
言ってから、少しだけ顔が熱くなる。
使用予定。
それはつまり、話す予定があるということではないか。
春麗は、すぐに訂正した。
「使用する可能性あり」
それならいい。
たぶん。
青い小箱を閉じる。
春麗は、少しだけ息を吐いた。
今日はリュウに会わなかった。
春麗会議室にも行かなかった。
精神HPノックアウトもなかった。
ただ、自分の中で話す内容を整理した。
それだけ。
だが、かなり疲れた。
自分がどれだけ話すことを持っているのか。
どれだけリュウに関わる言葉を抱えているのか。
それを確認してしまった。
春麗は、青い武道服を見る。
「でも、全部は話さないわ」
静かに言う。
「正式回答の後に、少しずつ」
一拍。
「……たぶん」
最後にそう付け足して、少しだけ笑った。
まだ正式回答は来ていない。
宿題は続いている。
リュウは考えている。
春麗は、話す内容を持っている。
聞かせてくれと言われた青は、今日も少しだけ進んだ。
外には、夜の気配が降りてきている。
春麗は灯りを落とす前に、青い小箱をもう一度見た。
話すことが多い。
それは、困る。
でも、空ではないということでもある。
春麗は、小さく呟いた。
「……次は、あなたの正式回答が先よ」
一拍。
「その後なら」
もう一拍。
「少しだけ、聞かせてあげてもいいわ」
偉そうに言って、顔が熱くなる。
それでも、言葉は消さなかった。
今日は、それでいい。
全部は話さない。
でも、話すことはある。
それを認めたまま、本編春麗は静かに夜を迎えた。
Q:今回の断章IFについて解説して?
A:
今回のエピソードは、一言で言うなら、
本編春麗が、“また聞かせてくれ”と言われたことで、自分の中にリュウへ話すことが増えていると気づく回
です。
前回、本編春麗はリュウに自分の話を聞かせに行きました。
黒の話が一区切りついたなら、春麗の話も、また聞かせてくれ。
そう言われたから、春麗は会いに行った。
そしてリュウは、春麗の話を聞きました。
最後には、
今日の春麗の話も、聞けてよかった。
また聞かせてくれ。
と言いました。
今回の春麗は、その言葉を受けた後の春麗です。
つまり、リュウに「また聞かせてくれ」と言われてしまった春麗です。
ここが今回の出発点です。
普通なら、ただ嬉しい言葉です。
また話していい。
また聞いてもらえる。
自分の話を受け取ってもらえた。
でも本編春麗は、そこで素直に喜ぶだけでは終わりません。
では、次に何を話せばいいのか。
そう考え始めます。
ここが、本編春麗らしいところです。
聞かせてくれと言われたからには、話題を用意する必要がある。
でも、用意しすぎると、次に会いに行く前提になってしまう。
会いに行く前提になると、それはそれで危険。
宿題の正式回答がまだ来ていないのに、こちらから話しすぎるのも違う。
このあたりの理屈の積み方が、非常に本編春麗です。
彼女は、ただ会いたいとは言いません。
ただ話したいとも言いません。
正式回答が先。
その後に、必要なら私の話。
そうやって順番を整理しようとします。
でも、実際に紙へ話題を書き出してみると、出てくるわけです。
黒の後の青。
宿題のこと。
青を選び直したこと。
用事がなくても会いに行ったこと。
聞かれた青のこと。
ここで春麗は気づきます。
……私、話すことが多いのでは?
今回の一番おいしい自爆ポイントはここです。
春麗は、話すことがないのではありません。
むしろ、ありすぎる。
しかも、そのほとんどがリュウに関係している。
黒の後に、自分の青がどう戻ってきたのか。
宿題の正式回答をどう待っているのか。
青を選び直したことを、どう受け止めているのか。
用事がないのに会いに行ったことを、どう整理しているのか。
リュウに自分の話を聞かれたことを、どう持っているのか。
全部、話題になってしまう。
これはかなり危険です。
本編春麗は、自分の感情を整理するために言葉を使います。
でも今回、その言葉が多すぎる。
それだけリュウとのログが積み上がっているということです。
今回のエピソードは、リュウと会う回ではありません。
春麗会議室にも接続しません。
精神HPノックアウトもありません。
大きな事件も起きません。
でも、かなり重要な整理回です。
なぜなら、本編春麗が、
自分にはリュウに話すことがある
と認めた回だからです。
これまでの本編春麗は、リュウに見られてきました。
届かれた青。
見られた青。
覚えられた青。
そして前回、聞かれた青。
今回は、その「聞かれた青」が次へ進むための準備をしています。
聞かれたから、次に話す内容を考える。
でも、全部は話さない。
正式回答の後に、少しずつ。
……たぶん。
この「たぶん」が、とても本編春麗らしいです。
きっぱり決めきらない。
正式承認しない。
でも、可能性は残す。
全部は話さないと言いながら、話すことがあることは認めている。
ここが今回の到達点です。
今回、春麗は紙に話題候補を書き出しました。
けれど、それをすぐに話しに行くわけではありません。
青い小箱にしまいます。
これは、本編春麗らしい保留保存です。
捨てない。
なかったことにしない。
でも、今すぐ全部出すわけでもない。
今は、正式回答の前。
だから、まずはリュウの答えを待つ。
その後なら、少しずつ話してもいい。
そういう位置に、今回の青は置かれました。
今回のポイントは、
話すことが多い青
です。
ただし、これは正式な分類ではありません。
春麗本人も「それはない」と思っています。
でも、実態としてはかなり近いです。
本編春麗は、もう空ではない。
青の中に、話すことが積もっている。
黒の後の青もある。
宿題もある。
用事がなくても会いに行ったログもある。
聞かれた青もある。
それを全部抱えたうえで、
全部は話さない。
正式回答の後に、少しずつ。
……たぶん。
と整理する。
今回は、そのための回でした。
黒執着春麗の後日談が進み始めた中で、本編春麗も止まっていません。
派手に動いてはいません。
でも、正式回答へ向けて、自分の中の言葉を整えています。
これは、静かな本編進行です。
今回の到達点は、
本編春麗は、リュウに話すことが増えていると自覚した。
ただし、全部は話さない。
正式回答の後に、少しずつ話すかもしれない。
です。
「また聞かせてくれ」というリュウの一言は、ただの甘い言葉ではありませんでした。
本編春麗にとっては、自分の中にどれだけ話すことが増えていたのかを確認するきっかけになりました。
そして、次の正式回答へ向けて、青はまた少しだけ整いました。