また戦ってくれなんて言わないで ――春麗は今日もめんどくさい―― 作:エーアイ
正式回答。
春麗は、机の前でその言葉を小さく呟いた。
「……正式回答」
言ってから、少し眉を寄せる。
最近、その言葉を使いすぎている気がした。
便利だからだ。
便利すぎる。
便利すぎる言葉は、危険だ。
意味を確認しないまま使うと、自分でも分からなくなる。
春麗は、机の上に白い紙を一枚置いた。
まだ何も書かれていない紙。
その上に、ペンを置く。
「正式回答とは何か」
自分で書いた。
書いてから、少しだけ恥ずかしくなる。
まるで会議室の議題だ。
記録板AIがいれば、きっと勝手に表示している。
『本日の議題:正式回答とは何か』
そんな表示が浮かぶ気がした。
「……いないわよね」
部屋を見回す。
当然、誰もいない。
ここは春麗会議室ではない。
記録板AIもいない。
青い小箱があるだけ。
だから、自分で整理するしかない。
春麗は、紙に書き足した。
リュウに出した宿題への、完成版の答え。
一拍。
さらに、少し考えてから続ける。
宿題の内容。
私が、あなたの言葉で変わった後。
その春麗に、あなたがどう向き合うのか。
書いた瞬間、胸の奥が熱くなった。
「……重いわね」
自分で出した宿題なのに、重い。
いや、自分で出した宿題だから重い。
最初は、もっと違う形だった。
あなたなりの甘い言葉を考えてきなさい。
それが最初の宿題だった。
面倒でもいい。
次も、俺に聞け。
そう言われて、春麗は次を聞きに行った。
そして宿題は変わった。
言葉を考えるだけでは足りない。
その言葉を春麗が受け取った後。
また面倒になった後。
言葉で変わってしまった後。
その春麗に、リュウがどう向き合うのか。
それが、今の宿題。
そして、正式回答とは、その完成版の答え。
春麗は、紙を見つめた。
「……これは、何かの返事ではないわ」
一拍。
「少なくとも、私はそう分類していない」
念のため、声に出した。
重要だった。
これは宿題の回答。
会話訓練の継続。
青の先へ進むための確認。
精神HP的にはかなり危険なもの。
でも、まだ別の名前は付けない。
付けない。
付けたら、今までの分類が全部崩れる。
資料として。
会話訓練として。
宿題として。
構造確認として。
主人公として。
青の先として。
そうやって置いてきたものが、一気に別の棚へ移されてしまう。
それは駄目だ。
少なくとも、今の春麗には無理だった。
「宿題」
春麗は、もう一度言った。
「これは、宿題の正式回答」
一拍。
「それ以上ではない」
そう言ってから、すぐに付け足す。
「……今は」
言ってしまった。
自分で言ってしまった。
春麗は、額に手を当てた。
「余計な一言だったわね」
誰も答えない。
けれど、どこかで『発言信頼度:中』と表示された気がした。
「気のせいよ」
即座に否定する。
気のせい。
記録板AIはいない。
だから、保存されていない。
たぶん。
春麗は、引き出しを開けた。
青い小箱がある。
春麗がそう呼んでいるだけの、小さな箱。
正式なものではない。
春麗会議室の備品ではない。
記録板AIの管理下でもない。
ただ、青に関する言葉を、そのまま机の上に置いておけなくなったから、いつの間にか使うようになった箱。
届かれた青。
見られた青。
覚えられた青。
聞かれた青。
相打ちの青。
宿題途中回答の青。
進まれた青。
未承認仮分類。
そういうものを、保留保存している箱。
「……今日は確認だけ」
春麗は、小箱の蓋に指を置いた。
「増やさない」
一拍。
「確認だけ」
言った瞬間、負けた気がした。
増やさない、と言う時点で、増える予感をしている。
春麗は、少しだけ目を細めた。
「……開けるだけ」
蓋を開ける。
紙片がある。
青に関する言葉が、小さく折り畳まれている。
春麗は、まず一枚目を取り出した。
以前の話題候補。
一、黒の後の青。
二、宿題のこと。
三、青を選び直したこと。
四、自分から会いに行ったこと。
五、聞かれた青のこと。
その下に、以前の整理が書いてある。
全部は話さない。
正式回答の後に。
少しずつ。
……たぶん。
春麗は、その紙を見て、軽く息を吐いた。
「……この時点でも多かったのよね」
多かった。
かなり多かった。
話すことがないのではなく、ありすぎる。
そう気づいた時点で、一度自爆した。
でも、この頃はまだ五つだった。
五つなら、まだ何とかなる。
分類できる。
重いが、並べられる。
全部話す必要はない。
温存できる。
そう思っていた。
甘かった。
春麗は、次の紙を取り出す。
追加候補。
六、相打ちのこと。
七、リュウが自分から考えたかったと言ったこと。
八、春麗の青の先へ行きたいと言われたこと。
九、進まれた青のこと。
紙を見た瞬間、春麗の精神HPが少し削れた。
「……後半が重すぎるわ」
相打ち。
リュウが、自分から考えたかったと言ったこと。
春麗の青の先へ行きたいと言われたこと。
進まれた青。
どれも危険だった。
特に七番と八番。
あれは正式回答ではない。
途中回答だ。
リュウ本人が、全部はまだ言えないと言った。
その上で、一つは分かったと言った。
俺が、考えたかった。
春麗の青の先へ。
俺は、その先を見たい。
正式回答ではない。
途中回答。
途中なのに、あの火力。
「……途中回答って、何だったかしら」
春麗は、思わず呟いた。
途中回答。
正式ではない。
完成版ではない。
宿題提出前の進捗報告。
そう分類すればいい。
そう分類すれば、まだ耐えられる。
はずだった。
「……進捗報告で精神HPを抜かれるの、おかしくない?」
誰も答えない。
それでも、どこかで『仕様です』と言われた気がした。
「仕様にしないで」
春麗は、追加候補の下にあるルールを読み返す。
追加分も全部は話さない。
相打ちは、必要なら。
考えたかった、はリュウ側から出るまで保留。
青の先は、正式回答時のみ。
進まれた青は、未承認のまま。
春麗は、何度か頷いた。
「ここまでは有効」
有効。
まだ有効。
正式回答の定義も確認した。
途中回答も整理した。
宿題の中身も書いた。
なら、今日は閉じてもいい。
青い小箱を閉じるだけ。
増やさない。
確認だけ。
春麗は、紙を戻そうとした。
その時。
青いログ束の記憶が浮かんだ。
春麗会議室。
黒執着春麗。
青武道服。
リュウ。
勝利。
黒を捨てずに。
青に逃げずに。
昔に戻るわけでもなく。
黒を持ったまま、青を選んだ春麗。
落ちた場所を、自分で受け持ち直した青。
十一戦目の敗戦起点を、今の自分で受け持ち直す青。
その青で、リュウに勝った春麗。
春麗は、紙を戻す手を止めた。
「……これは、話題候補ではない」
すぐに言った。
違う。
これはリュウに話すことではない。
黒執着春麗は、春麗会議室を認知していない観測対象。
あの青は、あの春麗のもの。
本編春麗の青とは、処理している傷が違う。
優劣比較ではない。
勝敗表ではない。
だから、リュウに話すようなものではない。
そう分かっている。
分かっているのに。
青について考える時。
本編春麗の青について整理する時。
黒執着春麗が青で勝ったログを、完全に無関係にはできない。
あの春麗の青は、別の傷を処理する青だった。
でも、同じ青。
同じ春麗。
違う青。
だから、青の意味が増えた。
春麗は、机の端にある新しい紙を見た。
まだ何も書いていない。
書かなければいい。
書かなければ増えない。
書かなければ、話題候補は九つのままだ。
九つでも多い。
十分多い。
だから、増やさない方がいい。
春麗は、ペンを見た。
見てしまった。
「……内部参照」
小さく言う。
「話題候補ではなく、内部参照」
言い訳に聞こえた。
だが、言い訳でも必要なら使う。
春麗は、ペンを取った。
新しい紙に書く。
十、黒執着春麗が青でも勝ったこと。
書いた。
書いてしまった。
春麗は、しばらくその文字を見ていた。
「……十」
とうとう十まで来た。
リュウと話す前に、項目が十。
これは会話ではなく、ほとんど議事録だ。
春麗は、すぐに補足を書き足した。
補足:優劣比較ではない。
さらに。
リュウには話さない。
さらに。
自分の青を考えるための内部参照。
春麗は、そこまで書いて、ようやく少しだけ息を吐いた。
「……よし」
よし、なのか。
分からない。
でも、対リュウの話題ではない。
自分の中で青を整理するための参照。
これなら、まだ何とかなる。
春麗は、ペンを置こうとした。
今度こそ閉じる。
今度こそ増やさない。
そう思った。
その瞬間。
自覚前春麗の声が頭に浮かんだ。
最近、黒ドレスを着ていないわよね。
明確な説明、なかったわよね。
黒は、ただの衣装ではない。
戦闘前から始まる技法。
黒ドレスを選ぶところから。
メイクも。
髪のセットも。
煽りセリフも。
リュウにどう見られるかを想像することも。
全部、黒。
黒は、見られ方を設計する戦闘技法。
青は、見られた事実を受け、現在のリュウへ進む戦闘状態。
今の主戦場は、リュウの宿題への完成版の答えを待つ青。
黒を捨てたわけではない。
黒を避けているわけでもない。
黒を失っていない。
でも、今は青。
春麗は、ペンを持ったまま固まった。
「……待って」
これは、どう扱う。
これは、リュウに話すことなのか。
最近黒ドレスを着ていない理由。
自分の中では整理した。
会議室でも説明した。
でも、それをリュウに言うのか。
今、黒を着ていないのは、あなたが見ている青の先へ進むためよ。
無理。
言えるわけがない。
精神HPが先に落ちる。
春麗は、両手で顔を覆いかけて、止めた。
書かないと、また頭の中で大きくなる。
これは話すためだけのリストではない。
話さないために置くリストでもある。
言わないものほど、置き場所を決めておかないと危険だ。
春麗は、ゆっくり紙に書いた。
十一、最近黒ドレスを着ていない理由。
書いた瞬間、部屋が静かになった気がした。
「……十一」
十でも多かった。
十一は、もう完全に多い。
春麗は、すぐに補足を書き足す。
補足:全部は話さない。
一拍。
今は青を選んでいる理由として、必要なら一部だけ。
さらに書く。
黒を軽くしない。
青を急がせない。
春麗は、そこまで書いてペンを止めた。
必要なら一部だけ。
つまり、触れる可能性はあるということだ。
黒を着ていない理由を。
今、青を選んでいる理由を。
リュウに。
少しだけ。
「……危険」
小さく呟く。
危険だ。
かなり危険だ。
しかし、消すのも違う。
黒は消えていない。
ただ、今は青。
それは本編春麗の現在地そのものだった。
リュウに全部話すものではない。
でも、自分の中でなかったことにはできない。
春麗は、机に並んだ紙を見た。
一、黒の後の青。
二、宿題のこと。
三、青を選び直したこと。
四、自分から会いに行ったこと。
五、聞かれた青のこと。
六、相打ちのこと。
七、リュウが自分から考えたかったと言ったこと。
八、春麗の青の先へ行きたいと言われたこと。
九、進まれた青のこと。
十、黒執着春麗が青でも勝ったこと。
十一、最近黒ドレスを着ていない理由。
春麗は、しばらくそれを見ていた。
「……増えている」
一拍。
「また、増えている」
以前は五つ。
それが九つになった。
そして今、十一。
しかも、増えた二つが軽くない。
黒執着春麗の青勝利。
黒ドレスを着ていない理由。
片方は内部参照。
片方は一部だけ触れる可能性。
それでも、増えたことに変わりはない。
春麗は、頭を抱えた。
「……宿題の正式回答を待っているだけのはずなのに」
一拍。
「私の側の未整理ログが増えているのだけれど」
言ってしまった。
かなり正しい。
リュウに宿題を出した。
答えるのはリュウ。
そのはずだった。
でも、途中回答を受け取った。
相打ちになった。
青の先へ進まれた。
黒執着春麗の青を知った。
黒を着ていない理由も整理した。
そのたびに、自分の側にも、返すかもしれない言葉が増えた。
話すことが増えた。
話さないと決めるべきことも増えた。
保留するものも増えた。
未承認のまま置くものも増えた。
春麗は、机に突っ伏した。
「……リュウ」
一拍。
「あなたが宿題を考えている間に」
もう一拍。
「私の方にも宿題が増えているのだけれど」
言ってから、顔が熱くなった。
リュウに言うつもりはない。
ないが、言ったらどうなるのか。
リュウは、たぶん真面目に聞く。
また聞かせてくれ。
最初にそう言った。
面倒でもいい。
次も、俺に聞け。
そうも言った。
その言葉のせいで、春麗は話す可能性を持ってしまった。
その可能性が、青い小箱の中で増えている。
「……また聞かせてくれ、が重すぎるのよ」
春麗は、突っ伏したまま呟いた。
軽い言葉ではなかった。
少なくとも、今の春麗には軽く扱えなかった。
リュウに悪意はない。
むしろ真っ直ぐだった。
だから危険だった。
また聞かせてくれ。
次も、俺に聞け。
その言葉の先で、春麗は話題候補を抱えている。
しばらくして、春麗は顔を上げた。
このままでは終われない。
青い小箱を開けたままだ。
紙も増えた。
なら、整理しないといけない。
話すために。
そして、話さないために。
春麗は、紙の下に新しい線を引いた。
以前のルール。
追加分も全部は話さない。
相打ちは、必要なら。
考えたかった、はリュウ側から出るまで保留。
青の先は、正式回答時のみ。
進まれた青は、未承認のまま。
これは有効。
まだ有効。
その下に、新しいルールを書き足す。
十、黒執着春麗の青勝利は、内部参照。
一拍。
リュウには話さない。
さらに。
ただし、青の意味が増えたことは忘れない。
春麗は、少しだけ頷いた。
あの青勝利は、自分の青を否定するものではない。
でも、青が一つではないことを教えた。
だから、忘れない。
次に、十一番を書く。
十一、黒ドレスを着ていない理由は、全部は話さない。
一拍。
今は青を選んでいる理由として、必要なら一部だけ。
さらに。
黒を軽くしない。
青を急がせない。
春麗は、そこでペンを止めた。
少し考えて、もう一行足す。
正式回答は、宿題への完成版の答え。
一拍。
それ以外の名前は、まだ付けない。
春麗は、その一行を見つめた。
かなり大事だった。
正式回答。
便利な言葉。
でも、便利だからこそ危険。
それが何なのかを、見失ってはいけない。
宿題への完成版の答え。
今は、それだけ。
それ以外の名前は、まだ付けない。
春麗は、深く息を吐いた。
「……よし」
よし、なのかは分からない。
でも、少し落ち着いた。
少なくとも、何がどこにあるかは見える。
話すもの。
話さないもの。
保留するもの。
リュウ側から出るまで待つもの。
正式回答時のみのもの。
未承認のまま置くもの。
内部参照。
必要なら一部だけ。
「……これは、会話の準備なの?」
春麗は、紙を見て呟いた。
「それとも、作戦計画なの?」
どちらでもある気がした。
リュウと話すということは、今の春麗にとってかなり戦闘に近い。
拳は使わない。
けれど、精神HPは削れる。
言葉一つで倒れる。
それなら、準備が必要なのは当然だ。
当然。
たぶん。
春麗は、紙を畳もうとして、ふと止まった。
十一番の文字を見る。
最近黒ドレスを着ていない理由。
その補足を見る。
今は青を選んでいる理由として、必要なら一部だけ。
もし、リュウに聞かれたら。
最近、黒ではないんだな。
そう言われたら。
どう答えるのか。
黒を避けているわけではない。
黒を忘れたわけでもない。
でも、今は青で行きたい。
あなたが見ている青の先へ。
そこまで考えて、春麗は即座に顔を覆った。
「……それは言わない」
無理。
まだ無理。
その言い方は危険すぎる。
春麗は、紙にさらに小さく書く。
言い方注意。
かなり小さく。
でも、書いた。
「……注意が必要なものばかりね」
話すことだけではない。
話さないことも増えている。
言い方を間違えると死ぬものも増えている。
春麗は、静かにペンを置いた。
「……これは、本当に増えすぎでは?」
誰も答えない。
記録板AIはいない。
春麗会議室でもない。
それでも、どこかで『発言信頼度:高』と表示された気がした。
「気のせいよ」
即座に言う。
「高ではないわ」
一拍。
「……中の上くらいよ」
言ってから、自分で首を振った。
「自分で判定しない」
春麗は、紙を丁寧に畳んだ。
古い話題候補。
追加候補。
新しい追加候補。
新しいルール。
全部を重ねると、青い小箱の中で少し厚みが増した。
春麗は、小箱へ入れる前に、もう一度だけ紙を見る。
一、黒の後の青。
二、宿題のこと。
三、青を選び直したこと。
四、自分から会いに行ったこと。
五、聞かれた青のこと。
六、相打ちのこと。
七、リュウが自分から考えたかったと言ったこと。
八、春麗の青の先へ行きたいと言われたこと。
九、進まれた青のこと。
十、黒執着春麗が青でも勝ったこと。
十一、最近黒ドレスを着ていない理由。
春麗は、ゆっくり息を吐いた。
「……私、話すことが増えすぎていない?」
言ってしまった。
完全に、自爆だった。
自分で正式回答の意味を確認した。
自分で青い小箱を開けた。
自分で紙を見た。
自分で増やした。
自分で数えた。
そして、自分で被弾した。
記録板AIがいなくても、春麗は十分に春麗会議室をやっている。
その事実が、かなり嫌だった。
春麗は、机に突っ伏した。
「……どうしてこうなるの」
リュウに宿題を出した。
答えるのはリュウ。
そういう構図のはずだった。
でも、途中回答を受け取った。
相打ちになった。
青の先へ進まれた。
黒執着春麗の青を知った。
黒を着ていない理由も整理した。
そのたびに、自分の側にも話すことが増えた。
話さないことも増えた。
保留することも増えた。
待つことも増えた。
待っているだけでは、終わらない。
自分も、進んでしまう。
春麗は、突っ伏したまま、小さく笑った。
「……でも」
一拍。
「増えているということは、進んでいるということでもあるのよね」
言葉にした瞬間、少しだけ胸が落ち着いた。
困る。
かなり困る。
話題候補が十一もあるのはおかしい。
正式回答の前に、話すことと話さないことを分類している自分もおかしい。
それでも。
空ではない。
青い小箱は重くなった。
それは、リュウとのログが増えたということ。
自分が受け取ったものが増えたということ。
自分が返すかもしれない言葉が増えたということ。
そして、自分が止まっていないということ。
春麗は、顔を上げた。
紙を畳む。
青い小箱に入れる。
蓋を閉じる。
指先を蓋の上に置く。
「……全部は話さない」
一拍。
「宿題の正式回答の後に」
もう一拍。
「少しずつ」
さらに一拍。
「……たぶん」
いつもの言葉。
でも、今日は少しだけ違う。
正式回答。
それは、宿題への完成版の答え。
それ以外の名前は、まだ付けない。
話題候補。
それは、全部話すためのものではない。
話さないために置いておくものでもある。
春麗は、青い小箱を引き出しへ戻した。
隣には、畳んだ青い武道服がある。
終わった青ではない。
次に着るまで置いている青。
その横に、話題候補が入った青い小箱。
春麗は、引き出しを閉める前に、少しだけ青い武道服を見た。
「……あなたも、重くなったわね」
青い武道服は答えない。
それでいい。
答えられたら、たぶん精神HPが減る。
春麗は、引き出しを閉めた。
夕方。
春麗は、窓の外を見ていた。
今日はリュウに会っていない。
試合もしていない。
春麗会議室にも行っていない。
ただ、正式回答の意味を確認した。
青い小箱を開けた。
話題候補を見直した。
増えていることに気づいた。
そして、自爆した。
それだけ。
それだけなのに、かなり疲れた。
春麗は、窓に映る自分を見る。
日常服。
青武道服ではない。
黒ドレスでもない。
それでも、青のことを考えている顔をしている。
春麗は、小さく呟いた。
「リュウ」
一拍。
「宿題の正式回答は、あなたが先よ」
それは変えない。
順番は守る。
宿題を出したのは春麗。
答えるのはリュウ。
その後に、自分も少し話すかもしれない。
話すことが増えすぎているけれど。
全部は話さない。
でも、何も話さないわけでもない。
「……だから」
春麗は、窓の中の自分に向かって言った。
「急がなくていいわ」
一拍。
「でも、逃げない」
言ってから、少しだけ笑う。
正式回答はまだ。
青い小箱は閉じた。
話題候補は温存されたまま増えた。
黒は消えていない。
でも、今は青。
そして、その青は少しずつ重くなっている。
春麗は、窓から離れた。
夜が来る。
次に何が来るかは、まだ分からない。
リュウの宿題への完成版の答えか。
次の試合か。
また別の春麗のログか。
分からない。
でも、今の本編春麗は、ただ待っているだけではなかった。
待ちながら、話すことを抱え直している。
話すことが増えていることに頭を抱えながら。
それでも、増えていることを少しだけ前に進んだ証拠として受け取っている。
春麗は、灯りをつけた。
部屋の隅に、引き出しがある。
その中に、青い武道服と、青い小箱。
終わったものではない。
次に必要になるまで、置いているもの。
春麗は、もう一度だけ小さく呟いた。
「宿題の正式回答の後に」
一拍。
「少しずつ」
もう一拍。
「……たぶん」
その言葉は、以前より少しだけ重かった。
そして、以前より少しだけ、前を向いていた。
Q:今回の断章IFについて解説して?
A:
今回の核は、「本編春麗が、正式回答という言葉の中身を確認したうえで、話すことがまた増えていることに気づく」ことでした。
まず大事なのは、今回の「正式回答」は、何かの大きな答えを春麗がそのまま受け入れるという意味ではないことです。
少なくとも、春麗本人はそう分類していません。
これはあくまで、リュウに出した宿題への完成版の答えです。
その宿題とは、
「私が、あなたの言葉で変わった後、その春麗に、あなたがどう向き合うのか」
というものです。
ここが今回の前提です。
本編春麗は、まだ自分の気持ちに大きな名前を付けられません。
彼女はずっと、自分の中にあるものを「宿題」「会話訓練」「構造確認」「主人公として」「青の先」「精神HPイベント」といった分類で整理してきました。
そのため、今回も春麗はまず「これは宿題の正式回答」として置きます。
それ以上の名前は、まだ付けない。
この距離感が、本編春麗らしさだと思います。
完全否定ではない。
でも正式承認もしない。
今の自分が扱える分類に置く。
この「今は」という保留の仕方が、かなり本編春麗です。
今回もう一つ重要なのは、青い小箱の扱いです。
青い小箱は、春麗会議室の備品ではありません。
記録板AIの管理下でもありません。
本編春麗が、自分の青に関する言葉を机の上に置きっぱなしにできなくなって、自分で使うようになった保管場所です。
つまりこれは、本編春麗自身の手元にある整理箱です。
記録板AIがいなくても、春麗は自分で分類してしまう。
自分で保留保存してしまう。
自分で未承認仮分類のような扱いをしてしまう。
ここが今回の面白いところです。
春麗会議室に行かなくても、本編春麗はもうかなり春麗会議室的な整理を自分の中で行っています。
これは成長でもあり、めんどくささの深化でもあります。
今回の話題候補は、初めて作られたものではありません。
以前から本編春麗は、リュウにいつか話すかもしれないことを青い小箱に入れていました。
最初の候補は、
黒の後の青。
宿題のこと。
青を選び直したこと。
自分から会いに行ったこと。
聞かれた青のこと。
そこへさらに、
相打ちのこと。
リュウが自分から考えたかったと言ったこと。
春麗の青の先へ行きたいと言われたこと。
進まれた青のこと。
が追加されました。
そして今回、さらに二つ増えます。
黒執着春麗が青でも勝ったこと。
最近黒ドレスを着ていない理由。
ここで大事なのは、これらが全部「リュウに話すための項目」ではないことです。
むしろ、話さないために置いているものもあります。
黒執着春麗が青でも勝ったことは、リュウに話すものではありません。
あれは、本編春麗が自分の青を考えるための内部参照です。
黒執着春麗の青は、落ちた場所を受け持ち直す青。
本編春麗の青は、宿題の正式回答へ進む青。
同じ青でも、処理している傷が違う。
だからこれは、勝敗比較ではありません。
青の意味が一つではないことを確認するための項目です。
そして、最近黒ドレスを着ていない理由。
これも、全部をリュウに話すことではありません。
本編春麗は、黒を捨てたわけではない。
黒を避けているわけでもない。
黒の経験は青に変換されている。
ただ、今は青で進む局面にいる。
これは彼女の現在地そのものです。
ただし、それをリュウにそのまま言えるかというと、無理です。
「今、黒を着ていないのは、あなたが見ている青の先へ進むためよ」
そんなことは、まだ言えない。
だから今回の春麗は、話題候補に入れながらも「全部は話さない」「必要なら一部だけ」「黒を軽くしない」「青を急がせない」とルールを作っています。
このルール作りが本編春麗らしいです。
感情で突っ走らない。
でも、完全に隠すわけでもない。
話すかもしれない。
でも全部は話さない。
話さないものも、なかったことにはしない。
非常にめんどくさい。
でも、かなり誠実です。
今回の一番の自爆ポイントは、
「……私、話すことが増えすぎていない?」
です。
これは今回のタイトル回収でもあります。
ただし、今回の「増えている」は、単に話題が増えたという意味ではありません。
本編春麗が受け取ったものが増えた。
考えることが増えた。
保留するものが増えた。
話さないと決めるものも増えた。
宿題の正式回答を聞いた後に、少しだけ返すかもしれない言葉が増えた。
つまり、話すことが増えているというのは、本編春麗自身が進んでいる証拠でもあります。
だから最後に、
「でも、増えているということは、進んでいるということでもある」
まで置きました。
ここで終わることで、単なる自爆回ではなく、正式回答前の準備回になります。
今回の本編春麗は、リュウに会っていません。
試合もしていません。
春麗会議室にも行っていません。
ただ、正式回答の意味を確認して、青い小箱を開けて、話題候補を見直しただけです。
それだけなのに、精神HPが削れる。
ここが本連作らしいところです。
リュウと直接会わなくても、リュウの言葉は残っている。
青い小箱の中で重くなっている。
本編春麗は、それを一つずつ畳み直している。
そして、次に進む準備をしている。
今回の到達点は、
正式回答とは、宿題への完成版の答え。
それ以外の名前は、まだ付けない。
話題候補は、全部話すためのものではない。
話さないために置いておくものでもある。
本編春麗は、話すことが増えすぎていると自爆した。
でも、それは進んでいる証拠でもある。
この三つです。
かなり静かな回ですが、正式回答前の地ならしとしては重要な回になったと思います。