また戦ってくれなんて言わないで ――春麗は今日もめんどくさい――   作:エーアイ

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断章IF:本編春麗は、黒の残響で自分の好意まで言語化されてしまう

 

 その日は、何かがおかしかった。

 

 朝から、胸の奥に薄い熱が残っていた。

 

 体調が悪いわけではない。

 

 試合の疲れでもない。

 

 リュウに何か言われた翌日でもない。

 

 少なくとも、直接は。

 

 本編春麗は、青い武道服の袖に指を通しながら、鏡の前で眉を寄せた。

 

「……何?」

 

 誰に聞いたわけでもない。

 

 答えが返ってくるとも思っていなかった。

 

 でも、胸の奥にある違和感は、放っておくには少し熱すぎた。

 

 黒ではない。

 

 自分の黒ではない。

 

 けれど、黒の気配に似ている。

 

 黒執着春麗の黒。

 

 会議室を通して見たログではない。

 

 記録板AIが整理したものでもない。

 

 春麗会議室の円卓に置かれた黒いログ札でもない。

 

 もっと直接的で。

 

 もっと体温に近くて。

 

 誰かが言葉にしたものが、少し遅れて胸の内側に届いたような感覚。

 

 残響。

 

 そう呼ぶしかなかった。

 

 本編春麗は、青い袖を整える手を止めた。

 

 頭の中に、言葉が浮かんでくる。

 

 自分の声ではない。

 

 けれど、まったく他人の声でもない。

 

 同じ春麗の声。

 

 黒を抱えた春麗の声。

 

 救済前の感情。

 

 執着。

 

 憎しみ。

 

 怒り。

 

 拒絶。

 

 見られたことへの反発。

 

 残したい欲求。

 

 拳への責任転嫁。

 

 相手にも黒を背負わせたい感情。

 

 本編春麗は、息を止めた。

 

 黒執着春麗の自己分析だ。

 

 そう直感した。

 

 彼女が、どこかで自分の黒を見ている。

 

 自分の過去を言語化している。

 

 憎しみだったと、認めている。

 

 リュウへの執着だったと、認めている。

 

 そして。

 

 その続きが、胸の奥に落ちてくる。

 

 救済後の感情。

 

 悔しさ。

 

 対抗心。

 

 勝ちたい。

 

 見てほしい。

 

 黒を受け止めてほしい。

 

 次も戦いたい。

 

 褒められると弱い。

 

 準備を見抜かれると落ちる。

 

 お詫びを受け取られて嬉しかった。

 

 次の黒も見たいと言われて嬉しかった。

 

 本編春麗は、鏡の前で固まった。

 

「……ちょっと待ちなさい」

 

 誰も待たない。

 

 残響は止まらない。

 

 黒執着春麗の言葉が、胸の内側で形になっていく。

 

 憎しみ。

 

 嬉しかった。

 

 執着。

 

 見てほしい。

 

 怒り。

 

 次も戦いたい。

 

 拒絶。

 

 褒められると弱い。

 

 反転している。

 

 意味が変わっている。

 

 憎しみの消滅ではない。

 

 黒の向きが変わった。

 

 リュウを傷つけたい感情から、リュウに勝ちたい感情へ。

 

 リュウのせいにしたい感情から、リュウが強いから勝ちたい感情へ。

 

 リュウに黒を残したい感情から、自分で持った黒を届かせたい感情へ。

 

 本編春麗は、青い袖を握った。

 

「……それは、あなたの話でしょう」

 

 声が少し震えた。

 

 黒執着春麗の話。

 

 救済後の黒執着春麗の話。

 

 自分ではない。

 

 本編春麗は青だ。

 

 黒を知ったうえで、青を選び直した春麗。

 

 届かれた青。

 

 見られた青。

 

 覚えられた青。

 

 宿題を出した青。

 

 ただ来た青。

 

 リュウに正式回答を待たせている青。

 

 自分は黒執着春麗ではない。

 

 黒をリュウに残そうとしたわけではない。

 

 黒でお詫びに行ったわけでもない。

 

 お詫び後の煽り距離感で悩んだわけでもない。

 

 黒ドレスで久しぶりに負けて、悔しさを燃やしたわけでもない。

 

 だから、この残響は自分のものではない。

 

 そう思う。

 

 思おうとする。

 

 けれど。

 

 胸の奥に、次の言葉が落ちてくる。

 

 好意。

 

 本編春麗は、完全に動けなくなった。

 

 鏡の中の自分が、こちらを見ている。

 

 青い武道服の春麗。

 

 自分をめんどくさい女と自覚している春麗。

 

 リュウに宿題を出した春麗。

 

 その春麗が、目を逸らせなくなっている。

 

「……違うわ」

 

 小さく言う。

 

「これは、黒執着春麗の言葉よ」

 

 だが、言った瞬間に分かってしまった。

 

 黒執着春麗の言葉だからこそ、危険なのだ。

 

 彼女は、自分の黒を逃げずに言語化した。

 

 憎しみだったと認めた。

 

 執着だったと認めた。

 

 そのうえで、救済後の感情が好意に変換されていると認めた。

 

 その言葉が、残響として届いている。

 

 では、本編春麗はどうなのか。

 

 自分は、何と言い訳してきたのか。

 

 春麗は、鏡の前で青い袖を握った。

 

「……宿題」

 

 リュウに宿題を出した。

 

 なぜか。

 

 正式回答がほしかったから。

 

 なぜ、ほしかったのか。

 

 リュウが自分の言葉で変わった後の春麗に、どう向き合うのかを知りたかったから。

 

 なぜ、知りたかったのか。

 

 自分がリュウの言葉で変わったから。

 

 リュウの言葉が、自分の中に残っているから。

 

 面倒でもいい。

 

 次も、俺に聞け。

 

 黒の話が一区切りついたなら、春麗の話も、また聞かせてくれ。

 

 春麗が変わったなら、俺もその春麗と話す。

 

 次の春麗と、また向き合う。

 

 本編春麗は、顔を覆った。

 

「……やめて」

 

 残響は、黒執着春麗の言葉だった。

 

 しかし、それは本編春麗の言い訳も剥がしていく。

 

 自分は、宿題と言った。

 

 採点と言った。

 

 進捗確認と言った。

 

 構造上と言った。

 

 主人公として、とも言った。

 

 全部、嘘ではない。

 

 でも、それだけではない。

 

 リュウの答えがほしい。

 

 リュウが自分をどう見ているのか知りたい。

 

 リュウが次の自分と向き合うと言うたびに、精神HPが削れる。

 

 リュウが自分のことを考えていたと言うだけで、顔が熱くなる。

 

 リュウが春麗の話も聞かせてくれと言うだけで、九十六点をつけてしまう。

 

 それを、何と呼ぶのか。

 

 残響が、答えを置いていく。

 

 好意。

 

 本編春麗は、青い袖で顔を隠した。

 

「……違う」

 

 違わない。

 

「まだ違う」

 

 まだ、という時点で、ほとんど負けていた。

 


 

 椅子に座る。

 

 机の上に紙を置く。

 

 ペンを置く。

 

 そこまでしてから、本編春麗は自分に呆れた。

 

「……何をしているの」

 

 自己分析。

 

 黒執着春麗がやったことを、自分もやろうとしている。

 

 春麗会議室ではない。

 

 記録板AIもいない。

 

 誰も発言信頼度を表示しない。

 

 誰も保存しない。

 

 誰も未承認仮分類を出さない。

 

 だから、逃げられるはずだった。

 

 なのに、紙を置いている。

 

 書こうとしている。

 

 本編春麗は、ペンを持った。

 

 しばらく何も書けなかった。

 

 それでも、やがて一行目を書く。

 

 リュウへの感情。

 

 書いた瞬間、紙を裏返したくなった。

 

 耐える。

 

 ここで逃げたら、黒執着春麗に負けた気がする。

 

 いや、勝ち負けの話ではない。

 

 でも、負けた気がする。

 

 春麗は、深く息を吐いた。

 

 まず、言い訳から書く。

 

 宿題の確認。

 

 正式回答待ち。

 

 進捗確認。

 

 採点。

 

 青の更新。

 

 本編ライン再接続。

 

 構造上。

 

 主人公として。

 

 そこまで書いて、春麗は止まった。

 

 言い訳としては、どれも正しい。

 

 だが、どれも核心ではない。

 

 ペンの先が、紙の上で止まる。

 

 次に書くべき言葉は分かっている。

 

 でも書けない。

 

 黒執着春麗は、好意と書いた。

 

 書いてしまった。

 

 では、本編春麗は。

 

 青の春麗は。

 

 めんどくさい女と自覚する春麗は。

 

 何と書くのか。

 

 春麗は、歯を食いしばった。

 

 リュウの言葉で精神HPが削れる。

 

 リュウの沈黙を余計ではないと思っている。

 

 リュウの視線を逃がしたくない時がある。

 

 リュウに見られると困る。

 

 見られないと、もっと困る。

 

 宿題を急かしたいわけではない。

 

 でも、忘れてほしくない。

 

 待ちたい。

 

 でも、進んでいるか確認したい。

 

 会いたい。

 

 春麗は、ペンを握り直す。

 

 そして、一つずつ書いた。

 

 リュウに見られると困る。

 

 リュウに見られないと、もっと困る。

 

 リュウの言葉で変わる。

 

 リュウの答えを待っている。

 

 リュウが考えていると知って嬉しい。

 

 リュウが自分の話を聞きたいと言うと、落ちる。

 

 春麗は、そこでペンを止めた。

 

 紙の上には、自分の言葉が並んでいる。

 

 黒執着春麗のような憎しみはない。

 

 黒の反転ではない。

 

 けれど、構造は似ている。

 

 見られたくない。

 

 でも、見てほしい。

 

 届かれたくない。

 

 でも、届いてほしい。

 

 答えを急かしたくない。

 

 でも、忘れてほしくない。

 

 自分をめんどくさい女だと自覚している。

 

 でも、リュウには、そのめんどくささを見てほしい。

 

 春麗は、机に額をつけそうになった。

 

「……最悪」

 

 一拍。

 

「いえ、最悪ではない」

 

 どこかで聞いたような言い直し。

 

 黒執着春麗の残響が、まだ胸に残っている。

 

 春麗は、ゆっくりペンを下ろした。

 

 好意。

 

 書いた。

 

 本編春麗の紙にも、その二文字が置かれた。

 

 黒執着春麗の紙に書かれたものと、同じ言葉。

 

 ただし、色が違う。

 

 黒ではない。

 

 青の好意。

 

 春麗は、しばらくその文字を見つめた。

 

 青の好意。

 

 言葉にした瞬間、胸の奥が熱くなった。

 

「……そんな分類、誰が承認したの」

 

 誰もいない。

 

 承認もない。

 

 未承認仮分類ですらない。

 

 自分で書いた。

 

 自分で見ている。

 

 自分で逃げられない。

 


 

 黒執着春麗の好意は、憎しみの変換だった。

 

 では、本編春麗の好意は何なのか。

 

 春麗は、紙を見ながら考える。

 

 自分はリュウを憎んでいない。

 

 怒ったことはある。

 

 腹が立つこともある。

 

 無自覚高火力発言には毎回怒りたくなる。

 

 でも、それは憎しみではない。

 

 むしろ逆だ。

 

 怒るのは、刺さるから。

 

 腹が立つのは、当たっているから。

 

 危険なのは、嬉しいから。

 

 精神HPが落ちるのは、拒絶できないから。

 

 黒執着春麗の感情は、黒の向きが変わったもの。

 

 なら、自分の感情は。

 

 青の積み重なり。

 

 届かれた青。

 

 見られた青。

 

 覚えられた青。

 

 ただ来た青。

 

 宿題を出した青。

 

 進捗を確認した青。

 

 全部が、少しずつ積み上がっている。

 

 リュウの言葉で変わった自分を、なかったことにできない。

 

 リュウが見た青を、なかったことにしたくない。

 

 リュウが覚えた青を、自分だけが忘れることもできない。

 

 だから、宿題を出した。

 

 だから、進捗を確認した。

 

 だから、正式回答を待っている。

 

 春麗は、紙に書き足す。

 

 黒執着春麗:黒の意味変換。

 

 本編春麗:青の蓄積。

 

 書いてから、息を止める。

 

 青の蓄積。

 

 それは、自分の好意の説明として妙にしっくりきた。

 

 突然落ちたわけではない。

 

 一撃で変わったわけでもない。

 

 リュウの言葉が一つずつ残った。

 

 試合が一つずつ残った。

 

 見られた青が残った。

 

 覚えられた青が残った。

 

 用事がないのに会いに行った日が残った。

 

 宿題を出した日が残った。

 

 進捗確認で九十六点をつけた日が残った。

 

 その全部が積み重なっている。

 

 それを、好意と呼ぶのなら。

 

 春麗は、紙を見つめる。

 

「……否定しにくいわね」

 

 かなり否定しにくい。

 

 むしろ、納得してしまう。

 

 それが悔しい。

 

 黒執着春麗の残響で、自分のことまで分かってしまうのが悔しい。

 

 しかも、春麗会議室を通していない。

 

 記録板AIに言われたわけでもない。

 

 通常救済版春麗に安定化されたわけでもない。

 

 黒ドレス特化救済春麗に整理されたわけでもない。

 

 自分一人で、ここまで来てしまった。

 

 春麗は、机の上に両肘をついた。

 

「……会議室なしで、これは危険すぎる」

 

 だが、少しだけ分かる。

 

 会議室を通さなかったからこそ、逃げ場がなかった。

 

 誰かに突っ込まれれば、反論できる。

 

 記録板AIが表示すれば、怒れる。

 

 自覚前春麗が資料としてと言えば、言い返せる。

 

 行き遅れ春麗が位置取りを言えば、論点をずらせる。

 

 でも、今は一人だ。

 

 残響と、自分だけ。

 

 だから、紙に書かれた好意から目を逸らせない。

 


 

 問題は、ここからだった。

 

 好意。

 

 認めたとして。

 

 では、どうするのか。

 

 正式回答を待つのか。

 

 聞きに行くのか。

 

 試合するのか。

 

 何もなかった顔をするのか。

 

 春麗は、青い袖を見た。

 

 黒執着春麗の結論が、また胸の奥に響く。

 

 好意は、敗北理由にしない。

 

 好意は、次に勝つ理由にする。

 

 本編春麗は、目を細めた。

 

「……また、強いことを言うわね」

 

 黒執着春麗らしい。

 

 好意を認めても、試合では勝つ。

 

 落ちても、勝てばいい。

 

 かなり乱暴で、かなり彼女らしい。

 

 では、本編春麗はどうするのか。

 

 自分の青は、何と言うのか。

 

 春麗は、紙の下に新しい行を書いた。

 

 好意は、正式回答を急かす理由にしない。

 

 書いて、少しだけ止まる。

 

 それは、行き遅れ春麗の領域にも近い。

 

 相手の答えを急かさない。

 

 リュウにはリュウの答えがある。

 

 宿題は、リュウが考えるものだ。

 

 自分の好意が言語化されたからといって、正式回答を奪いに行ってはいけない。

 

 だから。

 

 好意は、待つ理由にする。

 

 そう書きかけて、止まった。

 

 違う。

 

 待つだけではない。

 

 本編春麗は、待つだけの春麗ではない。

 

 必要なら聞きに行く。

 

 進捗確認に行く。

 

 用事がなくても会いに行く。

 

 主人公として動く。

 

 では、何か。

 

 春麗は考えた。

 

 しばらく考えてから、書いた。

 

 好意は、次に向き合う理由にする。

 

 少しだけ、胸が落ち着いた。

 

 これだ。

 

 黒執着春麗は、好意を次に勝つ理由にする。

 

 本編春麗は、好意を次に向き合う理由にする。

 

 試合でも。

 

 宿題でも。

 

 正式回答でも。

 

 ただ会いに行く日でも。

 

 好意があるから逃げるのではない。

 

 好意があるから、急かすのでもない。

 

 好意があるから、次に向き合う。

 

 自分の青で。

 

 めんどくさい女だと自覚したまま。

 

 春麗は、紙を見た。

 

 黒執着春麗:好意は、次に勝つ理由にする。

 

 本編春麗:好意は、次に向き合う理由にする。

 

 かなり綺麗だった。

 

 綺麗すぎて、腹が立った。

 

「……誰にも見せないわ」

 

 言ってから、紙を畳む。

 

 だが、破らない。

 

 捨てない。

 

 しまう。

 

 青い小箱の中に。

 

 以前、リュウに関する言葉を自分なりに整理したメモと同じ場所に。

 

 春麗は、そこまでしてから顔を覆った。

 

「……隠しているのか、保存しているのか、どちらなの」

 

 どちらもだ。

 

 たぶん。

 


 

 夕方。

 

 春麗は外に出た。

 

 リュウに会いに行くつもりはない。

 

 少なくとも、今日は。

 

 今日は自己分析だけで十分だった。

 

 好意を言語化した。

 

 青の蓄積と整理した。

 

 次に向き合う理由にすると決めた。

 

 それだけで精神HPはかなり削れている。

 

 この状態でリュウに会ったら危険だ。

 

 何か言われたら落ちる。

 

 何も言われなくても落ちる可能性がある。

 

 だから、今日は会わない。

 

 会わないと決めた。

 

 はずだった。

 

 角を曲がったところで、リュウがいた。

 

 春麗は止まった。

 

 世界が、一瞬だけ静かになる。

 

 リュウもこちらに気づく。

 

「春麗」

 

 普通の声。

 

 ただ名前を呼ばれただけ。

 

 それだけで、胸の奥が跳ねた。

 

 先ほど書いた言葉が脳裏に浮かぶ。

 

 好意。

 

 青の蓄積。

 

 次に向き合う理由。

 

 本編春麗は、青い袖を握りそうになって、やめた。

 

「リュウ」

 

「ああ」

 

「今日は、何も用はないわ」

 

 言ってから、終わったと思った。

 

 なぜそんなことを言ったのか。

 

 用がないなら、そのまま挨拶で済ませればいい。

 

 わざわざ用がないと言う必要はない。

 

 リュウは、少しだけ首を傾げる。

 

「そうか」

 

「ええ」

 

「でも、会えた」

 

 精神HPが削れた。

 

 即座に。

 

 本当に即座に。

 

 本編春麗は顔を背けた。

 

「……そういう返しをしないで」

 

「違ったか」

 

「違わないから危険なのよ」

 

 リュウは、いつものように真面目な顔をしている。

 

 悪気はない。

 

 だから危険。

 

 春麗は、紙に書いたばかりの言葉を思い出す。

 

 好意は、次に向き合う理由にする。

 

 向き合う。

 

 今、向き合え。

 

 逃げるな。

 

 ただし、全部言うな。

 

 言ったら終わる。

 

 春麗は、息を整えた。

 

「今日は、本当に何も確認しないわ」

 

「ああ」

 

「宿題の進捗も聞かない」

 

「ああ」

 

「正式回答も催促しない」

 

「ああ」

 

「試合もしない」

 

「ああ」

 

「ただ」

 

 一拍。

 

 何を言うのか、自分でも分からなかった。

 

 けれど、言葉は出た。

 

「会っただけ」

 

 リュウは、静かに頷いた。

 

「それでいい」

 

 本編春麗の精神HPがさらに削れる。

 

「……よくない」

 

「よくないのか」

 

「よくないわ」

 

「でも、春麗は逃げていない」

 

 春麗は完全に止まった。

 

 リュウは続ける。

 

「用がないと言って、ここにいる」

 

 精神HPが危険域に入る。

 

「……あなた」

 

「ああ」

 

「今日は、本当に何も見なくていいの」

 

「見えた」

 

「でしょうね!」

 

 春麗は顔を覆いそうになった。

 

 覆わない。

 

 青で立つ。

 

 今日の自己分析を無駄にしない。

 

 好意は、次に向き合う理由にする。

 

 今、向き合っている。

 

 用はない。

 

 でも、会った。

 

 それだけで、十分危険だ。

 

「リュウ」

 

「ああ」

 

「今日は、ここまで」

 

「ああ」

 

「本当にここまで」

 

「ああ」

 

「これ以上言うと、採点対象になるわ」

 

「わかった」

 

「採点はしない」

 

「しないのか」

 

「今日はしない」

 

「そうか」

 

 リュウは、少しだけ頷いた。

 

「なら、また今度だ」

 

 また今度。

 

 その言葉が、胸の中に落ちる。

 

 次がある。

 

 向き合う次がある。

 

 春麗は、どうにか頷いた。

 

「ええ」

 

 一拍。

 

「また今度」

 

 それだけ言って、春麗は歩き出した。

 

 背中にリュウの視線を感じる。

 

 見ないでほしい。

 

 でも、見てほしい。

 

 さっき書いたばかりの言葉が、また胸に浮かぶ。

 

 春麗は、小さく息を吐いた。

 

「……本当に、青の蓄積ね」

 

 黒ではない。

 

 でも、重い。

 

 黒執着春麗の残響で、自分の好意まで言語化されてしまった。

 

 それでも、悪くなかった。

 

 逃げずにリュウと数分だけ話した。

 

 何も確認しなかった。

 

 何も催促しなかった。

 

 試合もしなかった。

 

 ただ、会っただけ。

 

 それでも、次が残った。

 

 また今度。

 

 本編春麗は、夕方の道を歩きながら、少しだけ口元を緩めた。

 

「……好意は、次に向き合う理由にする」

 

 一拍。

 

「未承認」

 

 もう一拍。

 

「でも、保留保存」

 

 記録板AIはいない。

 

 それでも、自分でそう言った。

 

 少しだけ、笑えた。

 


 

 夜。

 

 本編春麗は、青い小箱を開けた。

 

 昼間の紙をもう一度取り出す。

 

 そこには、自分で書いた言葉がある。

 

 リュウへの感情。

 

 好意。

 

 青の蓄積。

 

 好意は、次に向き合う理由にする。

 

 春麗は、その紙を見て、もう顔を覆わなかった。

 

 顔は熱い。

 

 恥ずかしい。

 

 危険。

 

 でも、見られる。

 

 自分で書いたものだから。

 

 自分で認めたものだから。

 

 黒執着春麗の残響は、もう薄れていた。

 

 残っているのは、自分の青だった。

 

 春麗は、紙を丁寧に畳み直す。

 

「黒執着春麗」

 

 小さく呟く。

 

「あなたの分析、余計なところまで刺さったわ」

 

 返事はない。

 

 春麗会議室にも行かない。

 

 誰にも報告しない。

 

 これは、本編春麗の内側だけの記録だ。

 

「でも」

 

 一拍。

 

「助かった、と言えなくもない」

 

 言ってから、すぐに顔をしかめる。

 

「言いたくはないけれど」

 

 紙を小箱に戻す。

 

 蓋を閉じる。

 

 青い箱。

 

 中には、青の言葉が入っている。

 

 黒の残響から生まれた、青の自己分析。

 

 本編春麗は灯りを落とす前に、鏡の前に立った。

 

 青い武道服は、そこにある。

 

 黒ではない。

 

 でも、黒の残響を受け取った青。

 

 リュウへの好意を言語化してしまった青。

 

 次に向き合う理由を持った青。

 

「……明日から、平然としていましょう」

 

 一拍。

 

「無理ね」

 

 即座に否定する。

 

 リュウに会えば、また揺れる。

 

 正式回答が来れば、たぶん落ちる。

 

 何でもない言葉でも、落ちる可能性がある。

 

 だが。

 

「落ちても」

 

 一拍。

 

「向き合えばいい」

 

 黒執着春麗の結論とは違う。

 

 勝てばいい、ではない。

 

 本編春麗は、向き合えばいい。

 

 青として。

 

 自覚済みのめんどくさい女として。

 

 宿題を出した春麗として。

 

 好意を次に向き合う理由にする春麗として。

 

 春麗は、灯りを消した。

 

 胸の奥には、まだ少し熱がある。

 

 黒の残響は遠ざかり、青の言葉だけが残っている。

 

 好意。

 

 青の蓄積。

 

 次に向き合う理由。

 

 本編春麗は、布団に入り、目を閉じた。

 

「……保留保存」

 

 最後にそう呟く。

 

 誰も保存してくれない。

 

 だから、自分で保存した。

 

 その夜、本編春麗は春麗会議室へ行かなかった。

 

 ただ、自分の青の内側で、静かに眠った。

 




Q:今回の断章IFについて解説して?

A:

黒執着春麗が、リュウへの憎しみ・執着が好意へ反転していたことを自己分析する回
本編春麗が、その黒執着春麗の自己分析の残響で、自分のリュウへの好意まで言語化されてしまう回

これはかなり重要な対になるエピソードです。

一言で言うなら、

黒執着春麗は“黒の反転”として好意を認め、本編春麗は“青の蓄積”として好意を認めてしまう回

です。

この2本は、同じ「リュウへの好意を認める」話ですが、構造がまったく違います。

黒執着春麗の回は「憎しみの反転」

黒執着春麗の自己分析回の核は、かなり重いです。

救済前の黒執着春麗にとって、リュウは憎しみの対象でした。

黒を見られた。
届かれた。
自分の黒を拳に残された。
逃げ場を塞がれた。
見てほしくない場所を見られた。

だから憎かった。

ただ、その憎しみの中には最初から矛盾がありました。

見ないでほしい。
でも、見てほしい。

届かないでほしい。
でも、届いてほしい。

残らないでほしい。
でも、残ってほしい。

この矛盾が、救済後に反転します。

憎しみが消えたのではありません。
黒が白くなったわけでもありません。

リュウに向いていた黒の意味が変わった。

ここが重要です。

救済前は、

リュウに黒を残したい
リュウの拳のせいにしたい
自分の黒を相手にも背負わせたい

だった。

救済後は、

自分で持った黒をリュウへ届かせたい
リュウが強いから勝ちたい
リュウに見てほしい
褒められると落ちる
次も戦いたい

になった。

つまり、黒執着春麗の好意は、綺麗な初恋ではありません。

憎しみ・執着・悔しさ・対抗心が、救済によって意味変換されたものです。

だから彼女の結論は、

好意は、敗北理由にしない。
好意は、次に勝つ理由にする。

になる。

これは非常に黒執着春麗らしいです。

普通なら、好意を認めたら恋愛方向に柔らかくなりそうですが、彼女は違います。

好意を認めても、試合では勝つ。
むしろ、好意があるから勝ちたい。
リュウが強いから、ギリギリで勝ちたい。
褒め殺しで精神HPを落とされても、次は黒で勝ちたい。

ここに救済後黒執着春麗の強さがあります。

本編春麗の回は「青の蓄積」

一方、本編春麗の回は、黒執着春麗とはまったく違います。

本編春麗は、リュウを憎んでいません。

怒ることはある。
腹は立つ。
無自覚高火力発言には削られる。

でも、黒執着春麗のような憎しみや責任転嫁ではありません。

本編春麗の好意は、もっと積み重なり型です。

届かれた青。
見られた青。
覚えられた青。
相打ちの青。
ただ来た青。
宿題を出した青。
進捗確認で九十六点をつけた青。

この全部が少しずつ積み重なって、リュウへの好意になっている。

だから、本編春麗の好意は、

黒の反転ではなく、青の蓄積

です。

ここが非常に綺麗です。

黒執着春麗は、過去の黒の意味が変わったことで好意にたどり着く。

本編春麗は、リュウとのやり取りが一つずつ積み上がったことで好意にたどり着く。

同じ「好意」でも、入口が違う。

春麗会議室を通さなかった意味

この2本でかなり大事なのは、どちらも春麗会議室を通していないことです。

黒執着春麗は、そもそも会議室に接続しない観測対象です。

だから、自分の部屋で、自分の紙に、自分の言葉で分析するしかない。

記録板AIは採点しない。
通常救済版春麗は安定化しない。
黒ドレス特化救済春麗も説明してくれない。

逃げ場がない。

だからこそ、黒執着春麗は自分で 好意 と書く必要があった。

一方、本編春麗の回も、あえて会議室を通していません。

これはかなり重要です。

本編春麗は普段なら、春麗会議室で整理できます。
記録板AIが未承認仮分類を出し、他の春麗がツッコミ、通常救済版春麗が安定化する。

でも今回は、それがない。

黒執着春麗の残響と、自分自身だけです。

だから本編春麗は、記録板AIに言われたからではなく、自分で書いてしまう。

好意。

これは大きいです。

会議室でネタ化・分類化される前に、自分一人で言語化してしまう。

だから重い。

そして強い。

「残響」の使い方がかなり良い

本編春麗の回では、黒執着春麗の自己分析が直接ログとして届くのではなく、残響 として届きます。

これは良い処理です。

春麗会議室を通すと、どうしてもメタレビューになります。

でも残響にすると、もっと感覚的になります。

黒執着春麗がどこかで自分の黒を分析した。
その言葉が、同じ春麗である本編春麗に遅れて響く。
すると、本編春麗も自分の感情を見ざるを得なくなる。

これは、同一人物の派生だからできる演出です。

別キャラ同士なら少し不自然ですが、同じ春麗の位相だから成立する。

黒執着春麗の「黒の反転」が、本編春麗の「青の蓄積」を照らしてしまう。

この残響構造はかなり綺麗です。

2本の対比が強い

今回の2本は、かなり対比がはっきりしています。

項目 黒執着春麗 本編春麗
好意の発生源 憎しみ・執着の意味変換 青の積み重なり
キーワード 黒の反転 青の蓄積
リュウへの感情 憎かった相手が、見てほしい相手へ変わる 見られた青が積み重なり、答えを待つ相手になる
結論 好意は次に勝つ理由にする 好意は次に向き合う理由にする
姿勢 勝ちたい 向き合いたい
感情の色 黒のまま向きが変わる 青が重なって意味を持つ

この対比はかなり強いです。

黒執着春麗は、好意を認めても戦闘欲求に変換する。

本編春麗は、好意を認めても正式回答を急かすのではなく、次に向き合う理由にする。

どちらも恋愛感情に直行しすぎていないのが良いです。

この連作らしいです。

本編春麗の「好意は、次に向き合う理由にする」が良い

これは今回かなり重要な到達点です。

黒執着春麗の、

好意は、次に勝つ理由にする

に対して、本編春麗は、

好意は、次に向き合う理由にする

になる。

これは本編春麗らしいです。

本編春麗は、リュウとの関係を試合だけで処理しません。

宿題がある。
正式回答がある。
用事がないのに会いに行った。
青を見られた。
言葉で変わった。
次の春麗と向き合ってほしい。

だから、彼女の好意は「勝つ」だけでは終わらない。

リュウと向き合う。
言葉を受け取る。
正式回答を待つ。
必要なら自分から聞きに行く。

この「向き合う」が、本編春麗の青に合っています。

黒執着春麗の「好意は、次に勝つ理由にする」も強い

一方で、黒執着春麗の結論もかなり良いです。

彼女の場合、好意を認めたら弱くなるのではなく、むしろ戦闘理由が強くなる。

リュウが好きだから勝てない、ではない。

リュウが好きかもしれないからこそ、あの強いリュウに勝ちたい。

褒められて落ちる。
準備を見抜かれて落ちる。
次の黒も見たいと言われて落ちる。

でも、それでも勝ちたい。

この流れが、救済後黒執着春麗のヒロイン力と戦闘力を両立させています。

今回の2本の到達点

黒執着春麗の到達点は、

憎しみは消えたのではなく、意味変換された。
黒は黒のまま、好意と勝ちたい理由になった。

本編春麗の到達点は、

リュウへの好意は、黒の反転ではなく青の蓄積だった。
好意は、正式回答を急かす理由ではなく、次に向き合う理由になった。

この2つです。

結論

この2本は、かなり重要な対のエピソードです。

黒執着春麗は、

救済前の憎しみと執着を否定せず、その熱量を好意と勝利欲求へ変換する回。

本編春麗は、

黒執着春麗の残響によって、自分の中に積み重なっていた青の好意を言語化してしまう回。

どちらも、単に「リュウが好き」と言う回ではありません。

黒執着春麗は、黒を持ったまま好きになる。
本編春麗は、青を積み重ねた結果として好きになる。

この違いがあるから、両方成立しています。

しかも結論が、

黒執着春麗:好意は次に勝つ理由にする
本編春麗:好意は次に向き合う理由にする

になっている。

これはかなり良い対比です。
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