また戦ってくれなんて言わないで ――春麗は今日もめんどくさい――   作:エーアイ

283 / 302
※これは本編時空ではなく、妄想章IFです。
黒執着春麗の後日談です。


妄想章IF後日談:黒執着春麗は、相打ちの後日に好意を隠しきれない

 

 黒ドレスは、棚に置かれていた。

 

 畳まれている。

 

 丁寧に。

 

 相打ちの翌日に、黒を休ませると決めてから、何度も目に入っている。

 

 触れない日もあった。

 

 触れた日もあった。

 

 ただ、今日は少し違った。

 

 春麗は、棚の前に立っていた。

 

 黒ドレス。

 

 相打ちの黒。

 

 好意を隠すために尖らせた黒。

 

 リュウに同時に届いた黒。

 

 そして。

 

 その翌日に、黒でも青でもない自分までリュウに見られた後の黒。

 

 昨日の続きではない。

 

 でも、昨日の後の春麗だ。

 

 今日の春麗も、残る。

 

 昨日の春麗も、今日の春麗も、次の春麗も見る。

 

 相打ち翌日のあの言葉は、まだ残っている。

 

 リュウの中に残ると言われた。

 

 黒でも青でもない自分まで。

 

 それが、かなり危険だった。

 

 春麗は棚の前で顔を覆った。

 

「……思い出すものではないわ」

 

 思い出している。

 

 何度も思い出している。

 

 しかも、嫌ではない。

 

 それが一番問題だった。

 

 相打ちの翌日、春麗は黒を着なかった。

 

 青も着なかった。

 

 黒でも青でもない服で、昨日の相打ちを持てるか試した。

 

 そして、リュウに会った。

 

 会わないと決めたのに会った。

 

 試合ではなかった。

 

 黒でもなかった。

 

 青でもなかった。

 

 それでも、精神HPは落とされた。

 

 今日の春麗も、残る。

 

 あれは、かなり甘かった。

 

 かなり危険だった。

 

 そして、かなり効いた。

 

 だから今日は、少し確認しなければならない。

 

 黒を着るのか。

 

 黒を着ないのか。

 

 青を選ぶのか。

 

 黒でも青でもない自分で行くのか。

 

 昨日の翌日ではなくなった今。

 

 あの整理日を越えた今。

 

 自分は、どの自分でリュウに会えるのか。

 

 春麗は、黒ドレスに触れた。

 

 布の感触は、もう相打ちの熱そのものではない。

 

 でも、消えてはいない。

 

 黒は、そこにある。

 

 棚に置かれている。

 

 逃げ場ではなく。

 

 押しつけるものでもなく。

 

 次に勝つための黒として。

 

「……今日は」

 

 一拍。

 

「どうするの」

 

 自分に問う。

 

 答えはすぐには出なかった。

 

 黒を着れば、リュウにまた黒を見られる。

 

 黒を着なければ、リュウにまた黒を着ていない自分を見られる。

 

 青を着れば、青の意味を見られる。

 

 普通服なら、また「今日の春麗」として残されるかもしれない。

 

 どれを選んでも、危険。

 

 どれを選んでも、見られる。

 

 どれを選んでも、リュウが何か言えば落ちる。

 

 春麗は、深く息を吐いた。

 

「……好意を自覚した後って、本当に面倒ね」

 

 その言葉は、以前より自然に出た。

 

 好意。

 

 もう、書いた。

 

 認めた。

 

 救済前の憎しみが消えたわけではない。

 

 黒が白くなったわけでもない。

 

 ただ、向きが変わった。

 

 リュウを傷つけたい黒ではなく。

 

 リュウに勝ちたい黒へ。

 

 リュウの拳に残したい黒ではなく。

 

 自分で持って、リュウへ届かせたい黒へ。

 

 そして、相打ちの翌日には、黒でも青でもない自分までリュウに残ると言われた。

 

 それなら。

 

 どれを着ても、たぶん自分だ。

 

 黒でも。

 

 青でも。

 

 黒でも青でもなくても。

 

 春麗は棚を閉じる。

 

 完全には閉じない。

 

 少しだけ、黒が見えるように。

 

「今日は、黒では行かない」

 

 一拍。

 

「でも、逃げない」

 

 もう一拍。

 

「青でもない」

 

 さらに。

 

「普通の私で行く」

 

 言ってから、眉を寄せた。

 

「……普通の私、という言い方も危険ね」

 

 普通など、もう簡単ではない。

 

 黒を持っている。

 

 青も知っている。

 

 好意も認めている。

 

 相打ちもした。

 

 翌日に、黒でも青でもない自分まで残ると言われた。

 

 その後の自分が、ただの普通であるはずがない。

 

 春麗は、少しだけ動きやすい服を選んだ。

 

 前回の整理日ほど慎重ではない。

 

 でも、完全な日常でもない。

 

 もしリュウに会っても逃げない服。

 

 もし少しだけ足を踏み直すことになっても、姿勢を崩さない服。

 

 試合服ではない。

 

 黒でも青でもない。

 

 けれど、次へ向かう自分の服。

 

 鏡の前に立つ。

 

 黒ではない。

 

 青でもない。

 

 相打ち翌日の自分とも少し違う。

 

 あの翌日より、少しだけ諦めている。

 

 平然とはできない。

 

 リュウに会えば危険。

 

 見られれば落ちる。

 

 それでも、会ったら会ったで、たぶん向き合う。

 

「……今日は、会わないとは言わない」

 

 一拍。

 

「言うと、会うから」

 

 経験から学んだ。

 

 それも、少し腹立たしい。

 

 春麗は、鏡の中の自分へ言った。

 

「会ったら、落ちない」

 

 一拍。

 

「無理ね」

 

 即座に否定した。

 

「落ちても」

 

 もう一拍。

 

「次は勝つ」

 

 かなり雑な対処方針だった。

 

 だが、今の自分には、それくらいでいい気がした。

 


 

 街は、相変わらず何も知らない顔をしていた。

 

 相打ちも。

 

 その翌日の遭遇も。

 

 黒でも青でもない自分がリュウに残ると言われたことも。

 

 誰も知らない。

 

 春麗は、ゆっくり歩いた。

 

 前より少しだけ、足取りは落ち着いている。

 

 相打ち翌日のような硬さはない。

 

 ただし、油断もない。

 

 黒は着ていない。

 

 青も着ていない。

 

 でも、黒も青も自分の中にある。

 

 その感覚は、もう前ほど不思議ではなかった。

 

 黒でも青でもない自分も、春麗。

 

 昨日の黒も、今日の自分も、同じ春麗。

 

 リュウにそう言われたからではない。

 

 いや。

 

 言われたから、認めざるを得なくなったのかもしれない。

 

 春麗は、少しだけ顔をしかめた。

 

「……本当に、余計なことを」

 

 言う。

 

 言ってくる。

 

 見てくる。

 

 残すと言う。

 

 次まで見ると言う。

 

 それが嫌ではない。

 

 だから、余計に腹立たしい。

 

 角を曲がる。

 

 春麗は、足を止めた。

 

 リュウがいた。

 

 自然に。

 

 まるで、そういう流れだったかのように。

 

 春麗は、一度だけ目を閉じた。

 

「……言わなかったのに」

 

 会わないとは言わなかった。

 

 それでも会った。

 

 なら、もう言葉の問題ではないらしい。

 

 リュウがこちらに気づく。

 

「春麗」

 

 名前を呼ばれた。

 

 相打ちの後の声。

 

 黒でも青でもない自分を残ると言った声。

 

 次の春麗も見ると言った声。

 

 春麗は、どうにか平静を保った。

 

「偶然ね」

 

「ああ」

 

「本当に偶然ね」

 

「ああ」

 

「今日は、試合ではないわ」

 

「ああ」

 

「黒でもない」

 

「ああ」

 

「青でもない」

 

「ああ」

 

「そして、相打ちの翌日でもないわ」

 

 言ってから、少しだけ自分で笑いそうになった。

 

 そこまで言う必要はなかった。

 

 だが、大事だった。

 

 昨日の続きではない。

 

 相打ち翌日の続きでもない。

 

 でも、その後の自分。

 

 リュウは、春麗を静かに見た。

 

「そうだな」

 

「分かっているならいいわ」

 

「でも、あの日の後の春麗だ」

 

 精神HPが削れた。

 

 やはり来た。

 

 言い方を変えても来る。

 

「……そういう言い方をしないで」

 

「違ったか」

 

「違わないから危険なのよ」

 

 リュウは、少しだけ頷いた。

 

「今日は、あの日より落ち着いている」

 

 削れる。

 

「観察しないで」

 

「見えた」

 

「でしょうね」

 

「でも、全部しまっているわけではない」

 

 さらに削れる。

 

 春麗は、目を細めた。

 

「リュウ」

 

「ああ」

 

「あなたは、前回と同じ攻撃をしている自覚がある?」

 

「攻撃?」

 

「精神戦の話よ」

 

「しているのか」

 

「しているわ」

 

「すまない」

 

「謝ると余計に削れると言ったでしょう」

 

 リュウは少し困った顔をした。

 

 その顔まで危険だった。

 

 春麗は腕を組む。

 

「今日は、昨日の後の私でも、相打ち翌日の私でもないわ」

 

「ああ」

 

「その後の私よ」

 

「ああ」

 

「黒を着ていない」

 

「ああ」

 

「青でもない」

 

「ああ」

 

「それでも、相打ちを忘れていない」

 

「ああ」

 

「前回、あなたに言われたことも忘れていない」

 

「ああ」

 

「だから、今日は少しだけ警戒している」

 

 リュウは、まっすぐに答えた。

 

「そう見える」

 

 春麗は額に手を当てかけて、やめた。

 

「本当に見ないで」

 

「難しい」

 

「難しくないわ」

 

「春麗がそうしているからだ」

 

 また削れる。

 

「そうしている、とは?」

 

「昨日を持っている。前より少し慣れている。でも、まだ警戒している」

 

 春麗は完全に黙った。

 

 的確すぎる。

 

 前回よりまずいかもしれない。

 

 今回は、自分でも少し整理できている分、見抜かれた時の言い訳が少ない。

 

「……あなた、日常での命中率が高すぎるのよ」

 

「そうなのか」

 

「そうよ」

 


 

 二人は、並んで歩くことになった。

 

 前にもあった。

 

 黒でも青でもない日に。

 

 気づけば並んでいた。

 

 今回も、そうなった。

 

 春麗は、前よりは少しだけ落ち着いていた。

 

 少しだけ。

 

 ほんの少しだけ。

 

 リュウは急かさない。

 

 今日も、すぐに踏み込んではこない。

 

 その沈黙がありがたい。

 

 そして、やはり危険だった。

 

 春麗は、横を歩くリュウを見ないようにした。

 

 見れば、相打ちを思い出す。

 

 その翌日のことも思い出す。

 

 今日の春麗も残る、と言われたことも思い出す。

 

 春麗は、前を向いたまま言った。

 

「前回のことは」

 

 言ってから、また自分で少し嫌になった。

 

 自分から言うのか。

 

 でも、言わないと進まない。

 

 リュウは静かに答える。

 

「ああ」

 

「忘れなさい、とは言わないわ」

 

 リュウは少しだけ春麗を見た。

 

「そうか」

 

「どうせ無理でしょう」

 

「ああ」

 

「即答しないで」

 

「無理だ」

 

「二回言わないで」

 

 いつもの流れになりかける。

 

 春麗は、少しだけ息を吐いた。

 

「今日の私は、前回よりは分かっているわ」

 

「ああ」

 

「黒でも青でもない私も、私」

 

「ああ」

 

「相打ちの黒も、私」

 

「ああ」

 

「好意を隠した黒も、私」

 

「ああ」

 

「今日の私も、私」

 

「ああ」

 

「だから」

 

 一拍。

 

「そんなに見なくていい」

 

 リュウは、少し考えた。

 

「分かっていても、見たい」

 

 精神HPが削れた。

 

 かなり削れた。

 

 春麗は、足を止めなかった。

 

 偉い。

 

 自分で自分を少しだけ褒める。

 

「……見たい、と言わないで」

 

「なぜだ」

 

「危険だから」

 

「危険か」

 

「危険よ」

 

 リュウは少し黙った。

 

 それから言った。

 

「前より、春麗が隠さないからかもしれない」

 

 春麗は足を止めた。

 

「……何を」

 

「全部ではない」

 

「あたりまえでしょう」

 

「でも、前より隠していない」

 

「……」

 

「黒を着ていなくても、黒がないふりをしていない」

 

 精神HPがさらに削れる。

 

「青ではないのに、青を知らないふりもしていない」

 

 さらに。

 

「だから、今日の春麗も見える」

 

 春麗は、完全に顔を背けた。

 

「……あなた」

 

「ああ」

 

「今日、かなり調子がいいわね」

 

「そうなのか」

 

「悪い意味で」

 

「悪いのか」

 

「私の精神HPには悪いわ」

 

 リュウは、少しだけ困った顔をした。

 

「でも、春麗には良いことのように見える」

 

 オーバーキル予備動作。

 

 春麗は、すぐに止めた。

 

「そこまで」

 

「ああ」

 

「それ以上は、危険」

 

「ああ」

 

「今日は、まだ序盤よ」

 

「序盤?」

 

「精神戦の話よ」

 

「ああ」

 

「納得しないで」

 


 

 小さな橋の近くまで来た。

 

 前回とは違う道。

 

 だが、川の音がする。

 

 春麗は、自然と足を止めた。

 

 前に、橋の上でかなり危険な会話をした。

 

 昨日の相打ちは忘れない。

 

 今日の春麗も忘れない。

 

 昨日の後の春麗だからだ。

 

 その記憶が、川の音と一緒に蘇る。

 

 春麗は欄干に手を置かず、少し離れて立った。

 

 リュウも、少し離れて立つ。

 

 試合の間合いではない。

 

 日常の距離。

 

 だが、相打ちとその後を知っている距離。

 

「リュウ」

 

「ああ」

 

「私は、少し分かったの」

 

 言ってから、思った。

 

 今日はかなり自分から言っている。

 

 危険だ。

 

 でも、必要だ。

 

「黒で相打ちになったこと」

 

「ああ」

 

「その翌日に、黒でも青でもない私まで見られたこと」

 

「ああ」

 

「それが、別々ではないこと」

 

「ああ」

 

「私は、どれか一つに戻れない」

 

 リュウは黙って聞いている。

 

 春麗は続けた。

 

「黒だけに戻れない」

 

「ああ」

 

「青だけで上書きもしない」

 

「ああ」

 

「普通の服で、何もなかったふりもできない」

 

「ああ」

 

「全部持っている」

 

 言った。

 

 かなり言った。

 

 リュウは、しばらく何も言わなかった。

 

 その沈黙は、余計ではなかった。

 

 そして、静かに言った。

 

「そう見える」

 

 春麗の精神HPが削れる。

 

「……だから、見ないでと言っているのに」

 

「だが、春麗が持っている」

 

「持っていると見えるの?」

 

「ああ」

 

「厄介ね」

 

「春麗が?」

 

「あなたが」

 

 リュウは、少し考えた。

 

「でも、前より強いと思う」

 

 大きく削れる。

 

「今日は褒める日ではないわ」

 

「そうなのか」

 

「そうよ」

 

「でも、黒だけではない春麗も、青だけではない春麗も、昨日の後の春麗も、全部持って立っている」

 

 春麗は息を止めた。

 

「リュウ」

 

「ああ」

 

「それは、かなり甘い」

 

「甘いのか」

 

「甘いわ」

 

「そうか」

 

「自覚しなさい」

 

「難しい」

 

「でしょうね」

 

 春麗は顔を背ける。

 

 だが、前よりは崩れない。

 

 崩れないだけで、削れてはいる。

 

 リュウは続けた。

 

「俺は、黒の春麗だけを見たいわけではない」

 

 春麗は完全に止まった。

 

「……何?」

 

「青の春麗だけでもない」

 

 危険域。

 

「昨日の春麗だけでもない」

 

 さらに危険。

 

「今日の春麗も、次の春麗も見る」

 

 精神HPが落ちた。

 

 完全に。

 

 また。

 

 黒でも青でもない日常で。

 

 春麗は、顔を覆わなかった。

 

 何とか耐えた。

 

 耐えたというより、落ちたまま立っている。

 

「……あなた」

 

「ああ」

 

「前回と同じことを、少し強く言っただけでは?」

 

「そうかもしれない」

 

「そうかもしれない、ではないわ」

 

「でも、そう思った」

 

 春麗は目を閉じる。

 

 駄目だ。

 

 分かっていた。

 

 今日も落ちる。

 

 でも、前回とは違う。

 

 前回は不意打ちだった。

 

 今日は、少し分かったうえで落ちている。

 

 それは成長なのか。

 

 たぶん成長。

 

 かなり不本意な成長。

 


 

 しばらく沈黙があった。

 

 川の音がする。

 

 春麗は、ようやく言った。

 

「今日は、精神戦ではあなたの勝ちね」

 

「ああ」

 

「そこは否定しなさい」

 

「そうなのか」

 

「そうよ」

 

「だが、春麗がそう言うなら」

 

「そういうところよ」

 

 春麗は、小さく笑った。

 

 悔しい。

 

 精神HPは落とされた。

 

 好意を隠せていない。

 

 黒でも青でもない自分まで、また見られた。

 

 でも、嫌ではない。

 

 嫌ではないから困る。

 

「でも、前回よりはましね」

 

「そうなのか」

 

「ええ」

 

「なぜだ」

 

「今日は、私も少し分かっていたから」

 

 リュウは黙っている。

 

 春麗は続ける。

 

「あなたが見ること」

 

「ああ」

 

「覚えること」

 

「ああ」

 

「次まで置くこと」

 

「ああ」

 

「それが、嫌ではないこと」

 

 言った。

 

 言ってしまった。

 

 リュウの目が、静かに春麗を見る。

 

 春麗は顔を背けた。

 

「今のは、忘れなさい」

 

「無理だ」

 

「即答しないで」

 

「大事だからだ」

 

「でしょうね」

 

 春麗は、もう諦めたように息を吐いた。

 

「本当に、覚えるのが得意ね」

 

「ああ」

 

「褒めていないわ」

 

「そうか」

 

「でも」

 

 一拍。

 

「間違えないなら、いいわ」

 

 リュウは頷いた。

 

「間違えないようにする」

 

「昨日の私は、黒で相打ちした私」

 

「ああ」

 

「その翌日の私は、黒でも青でもないまま昨日を持っていた私」

 

「ああ」

 

「今日の私は、その両方を持ったまま、少しだけ分かっている私」

 

「ああ」

 

「全部、私よ」

 

 リュウは、静かに言った。

 

「ああ。そう見える」

 

 春麗は、少しだけ笑った。

 

 悔しい。

 

 かなり悔しい。

 

 でも、少し楽だった。

 

 見られることに、まだ慣れてはいない。

 

 でも、見られた自分を、以前ほど否定しなくなっている。

 

 それが、今の自分なのかもしれない。

 


 

 別れ際。

 

 春麗は先に歩き出した。

 

 前回と同じように、振り返らないつもりだった。

 

 リュウが声をかける。

 

「春麗」

 

 止まらない。

 

 止まらない。

 

 だが、止まった。

 

「何」

 

 振り返らずに答える。

 

 リュウは言った。

 

「次の春麗も見る」

 

 春麗は、目を閉じた。

 

 またそれ。

 

 けれど、今日は少しだけ返せる。

 

「……見るだけでは、足りないわよ」

 

 リュウは答える。

 

「ああ」

 

「見るなら」

 

 一拍。

 

「今度は、私が勝つところを見なさい」

 

 言った。

 

 かなり言った。

 

 リュウは、静かに言う。

 

「ああ。見る」

 

 精神HPは、もう落ちている。

 

 だから追加ダメージは計測不能だった。

 

 春麗は、背中を向けたまま口元を少しだけ緩める。

 

「……本当に、危険な男ね」

 

「ああ」

 

「認めないで」

 

「すまない」

 

「謝らないで」

 

 いつものやり取り。

 

 だが、少しだけ違う。

 

 春麗は、前回より落ち着いて歩き出した。

 

 背中に視線を感じる。

 

 今日の自分を見る視線。

 

 次の自分まで見ると言った視線。

 

 春麗は、振り返らない。

 

 だが、もう逃げるためだけではなかった。

 

 振り返らないまま、次へ進むためだった。

 


 

 夜。

 

 春麗は、棚の前に立っていた。

 

 黒ドレスは、そこにある。

 

 青い武道服も、そこにある。

 

 今日の服も、椅子に掛けられている。

 

 前回と似ている。

 

 でも、同じではない。

 

 前回は、黒でも青でもない自分までリュウに残ると言われて落ちた。

 

 今回は、その後の自分として、もう一度リュウに見られた。

 

 そして、自分でも言った。

 

 全部、私よ。

 

 春麗は、机に紙を出した。

 

 以前の自己分析。

 

 好意は、敗北理由にしない。

 

 好意は、次に勝つ理由にする。

 

 好意を隠した黒は、相打ちになった。

 

 黒でも青でもない日にも、昨日の黒は残る。

 

 昨日の黒も、今日の私も、同じ春麗。

 

 今日の春麗も、残る。

 

 その下に、新しく書く。

 

 黒の私も。

 

 青の私も。

 

 黒でも青でもない私も。

 

 相打ちの後の私も。

 

 その翌日の私も。

 

 その後の私も。

 

 全部、私。

 

 書いてから、春麗は長く息を吐いた。

 

 ここまで書いたのは、初めてだった。

 

 かなり危険な自己分析だ。

 

 でも、前より怖くない。

 

 怖くないわけではない。

 

 ただ、否定しなくてもいい気がしている。

 

 さらに書く。

 

 見られることに、まだ慣れない。

 

 でも、見られた自分を否定しすぎない。

 

 リュウに残ることは危険。

 

 でも、嫌ではない。

 

 最後に、少し迷って書いた。

 

 次は、私が勝つところを見せる。

 

 書いた瞬間、少し顔が熱くなった。

 

 だが、消さない。

 

 これも、今の自分だ。

 

 春麗は、棚を少しだけ開ける。

 

 黒が見える。

 

 青も見える。

 

 椅子には、今日の服がある。

 

 全部、そこにある。

 

 春麗は小さく呟いた。

 

「……次の春麗も見る、ね」

 

 一拍。

 

「なら、見せてあげるわ」

 

 もう一拍。

 

「勝つところを」

 

 それが、今回の結論だった。

 

 黒で勝つのか。

 

 青で勝つのか。

 

 黒でも青でもない自分で勝つのか。

 

 まだ決めていない。

 

 けれど、どれを選んでも自分だ。

 

 それなら、選べる。

 

 そして、選んで勝てる。

 

 黒執着春麗は、灯りを落とした。

 

 黒は棚にある。

 

 青もそこにある。

 

 今日の服も、椅子に残っている。

 

 相打ちの熱も。

 

 好意も。

 

 リュウの言葉も。

 

 全部を持ったまま。

 

 彼女は、次にリュウへ向かう自分を、少しだけ楽しみにしながら眠りへ落ちていった。

 




Q:今回の妄想章IF後日談について解説して?

A:

今回のエピソードは、一言で言うなら、

黒執着春麗が「黒でも青でもない自分」もまた春麗であることを、リュウに見られてしまう回

です。

かなり重要な回です。

前回、春麗は黒ドレスでリュウと相打ちになりました。

勝てなかった。
負けもしなかった。
同時に届いた。
同時に届かれた。

しかも、その黒は好意を隠すために尖らせた黒でした。

黒で攻めている。
煽っている。
リュウに勝とうとしている。
でも、その奥には「見てほしい」「届きたい」「届かれたくないけれど、届いてほしい」という感情が混ざっている。

その黒で、春麗はリュウと同じ場所まで踏み込みました。

そして試合後、リュウに「今日の黒は、春麗が俺に向かってきた黒だった」と言われて、精神HPを落とされています。

この時点で、黒執着春麗の黒は大きく変わっています。

救済前の黒は、相手に押しつける黒でした。

自分だけが重いのは嫌。
自分だけが見られたままになるのは嫌。
なら、リュウの拳にも黒が残ればいい。

そういう黒でした。

でも、今の黒は違います。

自分で持った黒。
自分で選んだ黒。
好意を隠した黒。
それでも、リュウへ向かっていった黒。

その黒が相打ちになった。

つまり、前回の相打ちは、単なる引き分けではありません。

春麗の黒が、リュウへ押しつけるものではなく、リュウへ向かうものに変わった結果の相打ちです。

そして今回は、その翌日ではなく、相打ちの後を経た春麗が、さらに一歩進む話です。

今回、春麗は黒を着ません。

でも、黒から逃げているわけではありません。

青も選びません。

でも、青を否定しているわけでもありません。

黒でもない。
青でもない。
普通の服。

ただし、何もなかったことにする服ではありません。

昨日の黒を忘れるための服ではない。
青で上書きするための服でもない。
黒を捨てた服でもない。

黒でも青でもない自分として、昨日の黒と相打ちを持って歩くための服です。

ここが今回の大事なところです。

黒執着春麗にとって、黒ドレスは非常に大きな意味を持っています。

でも、黒を着ている時だけが春麗ではありません。

同じように、青を選んでいる時だけが春麗でもありません。

黒でも青でもない日にも、昨日の黒は残る。

今回のエピソードは、この事実を春麗自身が少しずつ受け入れていく話です。

そして、当然のようにリュウと会います。

会わないとは言わない。
言うと会うから。

そう学習しているのに、それでも会う。

ここはもう、黒執着春麗にとって避けられない流れになっています。

リュウは、いつものように見てきます。

黒を着ていない春麗。
青でもない春麗。
でも、相打ちを忘れていない春麗。
前より少し落ち着いているけれど、まだ警戒している春麗。

そして言います。

今日は、あの日より落ち着いている。
でも、全部しまっているわけではない。
昨日を持っている。
前より少し慣れている。
でも、まだ警戒している。

このあたりのリュウは、本当に危険です。

戦っていないのに見てくる。

黒ドレスではないのに、黒の残り方を見てくる。

青でもないのに、青を知らないふりをしていないことを見てくる。

つまり今回のリュウは、衣装ではなく、春麗の状態を見ています。

ここが非常に強いです。

今回の春麗は、前回よりも少し進んでいます。

前回は「黒でも青でもない自分までリュウに残る」と言われて、かなり不意打ちで落ちていました。

今回は、それを少し分かったうえで会っています。

昨日の黒も自分。
相打ちした自分も自分。
黒でも青でもない自分も自分。

そこまでは分かっている。

でも、分かっていても、リュウに見られると落ちる。

これが今回の面白さです。

成長したから平気になるわけではない。

成長したから、より正確に刺さる。

リュウの言葉を、以前よりごまかせなくなっている。

これは、救済後の黒執着春麗の特徴です。

今回、中盤で春麗はかなり大事なことを自分から言います。

黒だけに戻れない。
青だけで上書きもしない。
普通の服で、何もなかったふりもできない。
全部持っている。

これは大きな自己整理です。

春麗はもう、黒だけに戻れません。

かといって、青で全部を上書きすることもしません。

普通服で「何もありませんでした」とすることもできません。

黒も。
青も。
相打ちも。
好意も。
昨日の黒でも青でもない自分も。

全部持っている。

ここまで自分で言えるようになっています。

そしてリュウは、それを見て言います。

そう見える。
前より強いと思う。
黒だけではない春麗も、青だけではない春麗も、昨日の後の春麗も、全部持って立っている。

これはかなり甘い言葉です。

しかも、ただ甘いだけではありません。

黒執着春麗が自分で整理しようとしているものを、リュウが外から肯定してしまっている。

だから精神HPが落ちます。

そして今回の決定打は、

俺は、黒の春麗だけを見たいわけではない。
青の春麗だけでもない。
昨日の春麗だけでもない。
今日の春麗も、次の春麗も見る。

この流れです。

これは完全にオーバーキルです。

黒ドレスの春麗だけではない。
青の春麗だけではない。
相打ちした昨日の春麗だけでもない。

今日の春麗も見る。
次の春麗も見る。

つまりリュウは、春麗のどれか一つだけを選んでいるわけではありません。

黒を見たい。
青を見たい。
ではなく、春麗を見る。

ここが今回のリュウの強さです。

そしてそれは、黒執着春麗にとって非常に危険です。

なぜなら、黒でしか見られない自分、青でしか見られない自分、という逃げ道がなくなるからです。

どの自分も見られる。
どの自分も残る。
次の自分まで見られる。

これは、かなり甘くて、かなり怖い。

でも、嫌ではない。

今回も、この「嫌ではない」が重要です。

春麗は精神HPを落とされます。

でも、怒りだけでは処理しません。

むしろ、自分から言います。

あなたが見ること。
覚えること。
次まで置くこと。
それが、嫌ではないこと。

これはかなり直接的です。

好意という言葉を出していなくても、ほとんどそれに近いところまで言っています。

そして、リュウは当然のように「無理だ」「大事だからだ」と返してきます。

春麗はもう、完全に逃げられません。

ただし、今回の春麗は前回より少し強いです。

精神HPは落ちる。
でも、自分の状態を言語化できる。
見られることを完全否定しない。
見られた自分を否定しすぎない。

そして最終的に、

黒の私も。
青の私も。
黒でも青でもない私も。
相打ちの後の私も。
その翌日の私も。
その後の私も。
全部、私。

ここまで書きます。

これは大きな到達点です。

黒執着春麗が、自分を一つの姿に固定しなくなっています。

黒だけが自分ではない。
青だけが自分でもない。
黒でも青でもない自分も、自分。

相打ちした自分。
その翌日に揺れた自分。
その後、少し分かった自分。

全部、自分。

これは、かなり大きな自己統合です。

以前の黒執着春麗は、自分の黒をどう扱うかで苦しんでいました。

黒を残すのか。
黒を捨てるのか。
黒を相手に押しつけるのか。
黒で勝つのか。

でも今は、黒を持ったまま、青も知って、黒でも青でもない自分も認めつつあります。

だから今回の結論は、

次は、私が勝つところを見せる。

になります。

ここが黒執着春麗らしいです。

どれだけ自己統合が進んでも。
どれだけリュウに見られても。
どれだけ甘い言葉を受けても。
どれだけ精神HPを落とされても。

最後は、勝つところへ戻る。

黒で勝つのか。
青で勝つのか。
黒でも青でもない自分で勝つのか。

まだ決めていない。

でも、どれを選んでも自分だと分かってきている。

だから選べる。
そして、選んで勝つ。

これはかなり大事です。

今回のエピソードは、派手なバトル回ではありません。

でも、黒執着春麗の内面的にはかなり重要な回です。

黒を着ていない日にも、黒は残る。
青を選ばない日にも、青を知っている自分はいる。
黒でも青でもない自分も、リュウに見られる。
そして、それもまた春麗である。

今回のリュウは、その全部を見てしまいました。

だから春麗は落ちます。

でも、落ちたまま終わりません。

次は、私が勝つところを見せる。

この一文で、ちゃんと次へ進みます。

今回の黒執着春麗は、また少し「自分」を広げたと思います。

黒の自分。
青の自分。
黒でも青でもない自分。

その全部を持ったまま、次にリュウへ向かう。

これが今回のエピソードの意味です。

黒執着春麗にとって、今回は「何を着るか」よりも、「どれを着ても自分である」と認め始める回でした。

そしてリュウは、そのどの春麗も見ると言ってしまった。

だから、次は勝つしかない。

そういう回だったと思います。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。