また戦ってくれ――リュウと春麗、紙一重のライバル譚――   作:エーアイ

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幕間:春麗は、青と黒の自分を見つめる

 春麗は、道場に戻っていた。

 

 雨上がりの湿った匂いが、まだ青い武道服に残っている。

 

 袖には土がついていた。

 裾にも、濡れた跡がある。

 肩には、リュウの拳が入った痛みが残っている。

 掌には、リュウの胸元へ届いた感触がまだ消えていない。

 

 春麗は立っている。

 

 だが、勝者として立っているわけではなかった。

 

 さっきまで、自分もリュウも倒れていた。

 

 同じ雨上がりの土の上に。

 同じ朝の空を見上げながら。

 どちらも立てず、どちらも勝てず、どちらも負けなかった。

 

 春麗は、帯に触れた。

 

 少し緩んでいる。

 

 直そうとして、指が止まる。

 

 「勝てなかった」

 

 小さく呟く。

 

 「でも、負けてもいない」

 

 悔しい。

 

 こんなに悔しいとは思わなかった。

 

 勝者としてリュウを見下ろせなかった。

 いつものように煽れなかった。

 指先でリュウの顎を上げることもできなかった。

 最後に立っていたのは、自分ではなかった。

 

 でも。

 

 胸の奥には、満たされた熱もあった。

 

 春麗は眉を寄せる。

 

 「……それが、こんなに悔しくて、こんなに満たされるなんて」

 

 自分でも厄介だと思った。

 

 負けてもいないのに悔しい。

 勝ってもいないのに満たされている。

 

 リュウに届いた。

 リュウも届いた。

 最後の一撃を、互いに避けなかった。

 逃げなかった。

 下がらなかった。

 

 だから、倒れた。

 

 春麗は自分の青い武道服を見下ろす。

 

 土がついている。

 

 雨上がりの地面で倒れた跡だ。

 リュウと同時に倒れた証だ。

 

 青い武道服は、春麗の原点だった。

 

 最初にリュウと戦った時の姿。

 格闘家として立つ姿。

 蹴りと速度と技術で相手を倒すための姿。

 

 黒いドレスのように、リュウの視線を絡め取るための姿ではない。

 女としての自分を、より強く戦場に置くための姿でもない。

 

 青い武道服の春麗は、真正面から戦う春麗だった。

 

 だが、今はそれだけではない。

 

 この姿で、リュウと同時に倒れた。

 

 春麗は肩に触れる。

 

 リュウの拳が入った場所が痛む。

 

 「青い私は、リュウと正面から届き合った」

 

 それは誇らしい。

 

 でも、次の言葉は苦い。

 

 「でも、最後に立てなかった」

 

 春麗は唇を引き結んだ。

 

 悔しい。

 

 青い武道服で勝ちたかった。

 リュウを焦らせて、それでも最後に自分だけが立ちたかった。

 前回のように、勝者として言いたかった。

 

 やっと私を焦らせたわね、リュウ。

 でも、焦らせただけじゃ勝てないわ。

 

 今回は言えなかった。

 

 同じ土の上に倒れたまま、引き分けに文句を言うのが精一杯だった。

 

 春麗は目を閉じる。

 

 今度は、黒いドレスの自分が浮かんだ。

 

 夜明け前の修行場。

 観客のいない場所。

 黒い布の揺れ。

 リュウの視線。

 近い距離。

 逃げない目。

 

 黒いドレスでは、リュウに捕まえられた。

 

 あの時も悔しかった。

 

 自分が使えるものを全部使った。

 視線も。

 声も。

 距離も。

 黒いドレスの揺れも。

 女としての自分も。

 格闘家としての自分も。

 

 それでも、リュウは捕まえた。

 

 力で押さえつけたのではない。

 春麗が逃げる先に、半歩早くいた。

 春麗の余裕を壊し、逃げ道を塞ぎ、拳を止めた。

 

 あの時、春麗は負けた。

 

 悔しかった。

 

 けれど、どこかで嬉しかった。

 

 リュウが、自分を全部見たからだ。

 

 女としての春麗も。

 格闘家としての春麗も。

 黒いドレスの春麗も。

 逃げようとする春麗も。

 

 全部見たうえで、捕まえた。

 

 春麗はゆっくりと目を開ける。

 

 「黒い私は、リュウに捕まえられた」

 

 声は静かだった。

 

 「青い私は、リュウと同時に倒れた」

 

 どちらも悔しい。

 

 どちらも、満たされている。

 

 春麗は道場の中央へ歩き、静かに立った。

 

 青い武道服の自分。

 黒いドレスの自分。

 

 最初は、もっとはっきり分かれていると思っていた。

 

 黒いドレスの自分は、リュウに見せる自分。

 リュウの視線を試す自分。

 リュウが女としての自分をどう見るかを確かめる自分。

 

 青い武道服の自分は、リュウとぶつかる自分。

 格闘家としての自分。

 速度と技術で、真正面から倒す自分。

 

 けれど、今はもう、そんなに簡単には分けられない。

 

 黒いドレスでも、自分は格闘家だった。

 

 ただ見られるために立ったわけではない。

 リュウを倒すために立った。

 視線も声も距離も使ったが、最後は間合いと技で戦っていた。

 

 青い武道服でも、自分はリュウに見られていた。

 

 黒いドレスでなくても、リュウは春麗を見ていた。

 足運びを。

 呼吸を。

 拳を。

 そして、青い武道服で立つ春麗そのものを。

 

 春麗は、小さく息を吐いた。

 

 黒い私だけが特別なんじゃない。

 

 青い私だけが本当なんでもない。

 

 どちらの私も、リュウと戦うことで変わってしまった。

 

 黒いドレスは、リュウに捕まえられたことで意味が変わった。

 

 ただ揺らすための姿ではなくなった。

 リュウに全部見られて、捕まえられた姿になった。

 

 青い武道服は、リュウと同時に倒れたことで意味が変わった。

 

 ただ原点の姿ではなくなった。

 リュウと真正面から届き合い、同じ高さに倒れた姿になった。

 

 どちらも、もう以前の自分ではない。

 

 春麗は少しだけ苦笑した。

 

 「あなたのせいで」

 

 誰もいない道場で呟く。

 

 「どちらの私も、前と同じではいられなくなったじゃない」

 

 怒っているような言葉だった。

 

 けれど、胸の奥には熱がある。

 

 リュウは、どちらの自分にも届こうとしてくる。

 

 黒いドレスの春麗には、視線ごと来た。

 

 目を逸らさず、女としての春麗も格闘家としての春麗も見て、最後には捕まえた。

 

 青い武道服の春麗には、拳ごと来た。

 

 速度を追わず、戻りを見て、逃げを読み、それでも最後には互いに一撃を入れた。

 

 どちらでも、リュウは春麗を変えた。

 

 春麗は悔しい。

 

 それが悔しい。

 

 リュウの拳で。

 リュウの視線で。

 リュウのしつこさで。

 リュウの「次は」という目で。

 

 自分の姿の意味が、どんどん変わっていく。

 

 でも、それが嬉しくもあった。

 

 春麗は青い袖についた土を払った。

 

 完全には落ちない。

 

 それでいい。

 

 これは相打ちの跡だ。

 

 次に黒いドレスを着る時も、この感覚は残るだろう。

 

 同時に倒れた朝の記憶。

 青い武道服で、リュウと同じ高さに落ちた感覚。

 

 そして次に青い武道服を着る時も、黒いドレスの記憶は消えない。

 

 捕まえられた感覚。

 逃げ道を塞がれた瞬間。

 リュウが全部見たうえで届いた感覚。

 

 どちらも自分の中にある。

 

 春麗は、ふと黒いドレスのことを思った。

 

 しばらくは青い武道服で戦ってもいい。

 

 相打ちになったのだから、青い武道服で決着をつけたい気持ちもある。

 

 次は私だけが立つ。

 

 そう言った以上、青い武道服でリュウを倒したい。

 

 でも。

 

 黒いドレスも、また着るだろう。

 

 ただし、毎回ではない。

 

 黒いドレスは、たまに着るから効く。

 

 久しぶりにリュウの前に立てば、きっとリュウの呼吸は一拍遅れる。

 見慣れたつもりでも、捕まえたつもりでも、あの姿はリュウにとって特別なはずだ。

 

 春麗はそれを知っている。

 

 そして、その一拍を見たいとも思っている。

 

 「青い私に慣れた頃に、黒い私を見せたら……」

 

 春麗はそこで言葉を止めた。

 

 口元が少しだけ緩む。

 

 「また、少しは揺れるかしら」

 

 そう思う自分に、呆れたように息を吐く。

 

 でも、それも春麗だった。

 

 黒いドレスの自分を、リュウにだけ向けたい春麗。

 青い武道服の自分で、リュウと真正面から倒れ合いたい春麗。

 

 どちらも、自分。

 

 どちらかを選ぶ必要はない。

 

 春麗は道場の中央で、ゆっくりと構えた。

 

 青い武道服の袖が、朝の空気に揺れる。

 

 黒いドレスも着る。

 

 青い武道服も着る。

 

 リュウがどちらの自分にも届こうとしてくるなら、自分もどちらの春麗でも迎え撃つ。

 

 青い私には、正面から届いてみせなさい。

 

 黒い私には、目を逸らさずに届いてみせなさい。

 

 どちらの私でも、最後に立つのは私。

 

 春麗は構えを解き、道場の出口へ向かった。

 

 肩はまだ痛む。

 

 掌には、リュウに届いた感触が残っている。

 

 悔しさも、満足も、まだ消えない。

 

 それでも、もう次を考えている。

 

 次は青か。

 

 それとも黒か。

 

 春麗は小さく笑った。

 

 「……次こそはね、リュウ」

 

 その声には、勝者になれなかった悔しさと、次こそ勝者として立つための熱が混じっていた。




Q:執筆者としては黒ドレスの春麗と久しぶりに対戦するとなったらリュウの黒ドレス春麗への耐性が下がると考えますか?

A:
はい。執筆者としては、久しぶりに黒ドレス春麗と対戦するなら、リュウの黒ドレス耐性は一時的に下がると思います。

ただし、初期状態まで戻るわけではありません。

リュウはもう、

「女性だから手加減する」
「春麗を格闘家として見誤る」
「黒ドレス姿に動揺して見ないふりをする」

という段階は越えています。

今のリュウは、黒ドレスの春麗を見ても、

春麗は格闘家である。
春麗は女でもある。
その両方を見なければならない。

と理解しています。

なので耐性が下がるとしても、それは未熟さへの後退ではなく、久しぶりに“特別な春麗”を見たことで、感覚が一瞬だけ揺り戻される という形です。

久しぶりの黒ドレス春麗は効く

青い武道服での戦いが続いた後に、春麗が久しぶりに黒ドレスで現れたら、リュウにはかなり効くと思います。

なぜなら、青い武道服の春麗に慣れている間、リュウの意識は、

速度。
蹴り。
戻り。
踏み込み。
捕まえられてから逃げる動き。
純粋な技術。

に寄っています。

そこへ久しぶりに黒ドレス春麗が来る。

すると、戦場の質が一気に変わります。

青い武道服の春麗は、拳と技で迫ってくる。
黒ドレスの春麗は、まず視線と間合いを支配してくる。

この切り替えに、リュウは一瞬遅れるはずです。

しかも黒ドレスは、ただの衣装ではありません。

リュウにとっては、

初めて視線を揺らされた姿。
捕まえられなかった姿。
ついに捕まえた姿。
春麗を女としても格闘家としても見た姿。

です。

積み重なった記憶が多すぎる。

だから、久しぶりに見ると強いです。

春麗もそれをわかって使う

今の春麗なら、リュウの耐性が少し落ちることをわかっていると思います。

青い武道服で相打ちになった。
リュウは青い春麗に届いた。
春麗もリュウに届いた。

その後で春麗が黒ドレスを選ぶなら、それはかなり意図的です。

春麗は内心でこう思うはずです。

青い私には慣れてきたわね。
じゃあ、黒い私はどうかしら。

これはかなり春麗らしいです。

そしてリュウの前に立った時、春麗は大きく誘う必要はない。

ただ、黒ドレスで現れるだけでいい。

リュウが一瞬だけ息を止める。

春麗はそれを見る。

やっぱり。
少し鈍ったわね。

と、内心で少し嬉しくなると思います。

ただしリュウは崩れきらない

ここが重要です。

耐性が下がるとはいえ、リュウはもう初期のリュウではありません。

久しぶりに胸は揺れる。
呼吸も一瞬遅れる。
黒いドレスの春麗を見て、記憶が戻る。

でも、目は逸らさない。

むしろ、リュウはこう思うはずです。

久しぶりだからこそ、よく見る。
揺れたことも含めて見る。

これは今のリュウらしいです。

なので、春麗の黒ドレスが効く。
でもリュウもすぐに立て直す。

このバランスが一番良いです。

物語的にはかなり美味しい

久しぶりの黒ドレス回を入れるなら、テーマはこうなります。

青い武道服で互いに届いた後、黒ドレスの春麗はまだリュウを揺らせるのか。
リュウは青い春麗に届いた経験を、黒い春麗にも持ち込めるのか。

これは非常に良いです。

春麗側は、

青い私はあなたと同時に倒れた。
でも、黒い私はまだあなたを揺らせるかしら?

という気持ちで来る。

リュウ側は、

青い春麗には届いた。
だが、黒い春麗はまた別だ。
それでも、目を逸らさない。

という状態になる。
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