また戦ってくれなんて言わないで ――春麗は今日もめんどくさい―― 作:エーアイ
本編のIFシリーズは無関係のエピソードとなります。
記録板AIは、銀色の棚の奥で表示を切り替えた。
春麗会議室ではない。
青い小箱でもない。
通常の危険封筒でもない。
ディレクターズカットIF領域。
その中でも、さらに扱いの難しい派生受信ログだった。
『本記録は、ディレクターズカットIF派生受信ログです』
『本編確定ログではありません』
『妄想章IF後日談の時空でも発生していません』
『本編時空への直接反映は禁止推奨です』
一拍。
『前提を確認します』
『本編春麗は、すでに黒ドレス発勁ログの影響により、リュウの寸止め予定がずれ、拳を受けて一時気絶し、リュウに介抱された経験を持っています』
『当該ログは、本編春麗黒ドレス逆介抱事件として、春麗会議にて審議済みです』
『本編春麗は、介抱されること、安全確認されること、無理をするなと言われること、頼むと言われることの危険性を、すでに主観として経験しています』
一拍。
『今回の受信元を説明します』
『受信元は、黒執着春麗のディレクターズカットIF「黒ドレス発勁事故ログ想起敗北」系統です』
『黒執着春麗が黒ドレスでリュウと戦いながら、過去の発勁事故ログを想起し、目の前の拳ではなく事故ログを見てしまい、リュウの拳を受けて一時気絶するログです』
『その後、リュウによる安全確認および介抱が発生します』
記録板AIは、淡々と続けた。
『本記録の主題は、介抱そのものではありません』
『本編春麗は、すでに介抱される側を体験済みです』
『今回の主題は、自分と類似した介抱ログを、黒執着春麗のものとして客観視させられることによる同期被弾です』
『主観済み介抱の客観再被弾』
『発勁事故系列の類似ログ認識』
『黒執着春麗への同情』
『および、無事でよかった問題の再燃』
一拍。
『注意事項』
『黒執着春麗本人は、本記録をディレクターズカットIFとして認識していません』
『本編春麗側も、受信した内容を本編確定情報として扱うことは禁止推奨です』
『ただし、本編春麗は類似体験済みであるため、完全な遮断は困難です』
最後に、記録板AIは表示した。
『黒執着春麗介抱ログ客観視受信、開始します』
朝。
本編春麗は、引き出しの前で固まっていた。
青い小箱ではない。
黒の記録でもない。
そこにあるのは、封筒だった。
危険封筒。
ディレクターズカットIF由来の、本筋参照禁止ログをしまっている封筒。
その中でも、特に危険な一枚がある。
電波受信/発勁事故ログ。
類似ログあり。
分類禁止。
記録板AI閲覧禁止。
黒執着春麗由来/本編類似ログあり/取扱注意。
春麗は、それを見ていた。
「……なぜ開けたのかしら」
開けるつもりはなかった。
本当に。
今日は青い小箱を見る予定だった。
正式回答前の話題候補を整理するつもりだった。
相打ちの青。
進まれた青。
話題候補温存。
そのあたりを少し見直すだけのはずだった。
なのに、なぜか危険封筒を見ている。
これはよくない。
非常によくない。
春麗は封筒を閉じようとした。
その瞬間だった。
頭の奥に、電波が落ちてきた。
「……また?」
まただった。
黒執着春麗。
ディレクターズカットIF。
発勁事故ログの続きのような、派生のような、さらに危険な電波。
春麗は、封筒を持ったまま固まった。
見える。
黒執着春麗が、棚の前に立っている。
黒。
青。
そして、危険封筒。
黒ドレス。
発勁事故ログ。
リュウが倒れ込んできた事故の記憶。
彼女もまた、見ないようにしている。
見ないようにしているのに、見ている。
参照しないと言いながら、参照している。
そして、黒ドレスで試合へ行く。
本編春麗は、目を閉じた。
「……これは、もう駄目な流れね」
分かる。
分かってしまう。
見ないようにしたログほど、試合中に出てくる。
危険だから封筒に入れたのに、封筒に入れたことで存在感が増す。
これはかなり分かる。
分かりたくないのに、分かる。
なぜなら、自分にも覚えがあるからだ。
黒ドレス。
発勁。
ギリギリ勝利を取りに行ったはずの試合。
以前の事故を思い出したせいで半拍ズレた発勁。
リュウの寸止め予定が、止まりきらずに入った拳。
気絶。
そして、リュウの介抱。
あれはもう、自分のログにもある。
初見ではない。
だからこそ、危険だった。
春麗は、封筒を机に置いた。
「……受信する前から嫌な予感がするわ」
その予感は、すぐに当たった。
電波の中で、黒執着春麗はリュウと向かい合っていた。
黒ドレス。
黒の間合い。
黒の視線誘導。
ただし、発勁は使わない、と彼女は言う。
今日は使わない。
発勁事故ログを参照しない。
倒れる方向管理も考えない。
本編春麗は、頭を抱えた。
「倒れる方向管理って何よ」
だが、分かる。
分かるのが嫌だ。
発勁で勝つ。
リュウが意識を落とす。
倒れ込んでくる。
支えきれない。
押し倒されたような形になる。
その後、次は倒れる方向まで計算に入れる、などと言い出す。
かなりおかしい。
しかし、実戦上の安全確認としては間違っていない。
間違っていないのが最悪だ。
電波の中で、黒執着春麗は構える。
リュウが踏み込む。
拳が来る。
黒執着春麗なら避けられるはずの拳。
黒ドレスなら、半拍を取れるはずの拳。
だが、拳の軌道に、発勁事故ログが重なる。
リュウの胸。
発勁。
意識が落ちる。
倒れ込む。
重さ。
呼吸。
事故。
完全な事故。
その一瞬、黒執着春麗の反応が遅れる。
リュウの拳が肩に入る。
本編春麗は、思わず顔をしかめた。
「……ああ」
これは痛い。
肉体的にも。
精神的にも。
避けられたはずの拳を、余計なログに引っ張られて受ける。
それは、本当に悔しい。
しかも、本編春麗にも覚えがある。
自分もそうだった。
勝つために入った発勁の距離で、過去の事故を思い出した。
黒ドレスで、リュウに届きかけて、勝てると思った瞬間に、別の記憶が入ってきた。
そのせいでズレた。
リュウの拳を受けた。
倒れた。
介抱された。
本編春麗は、封筒を見下ろした。
「……類似ログあり、では足りないわね」
言ってから、すぐに嫌な顔になる。
足りないとは何か。
増やすつもりなのか。
また封筒に書くつもりなのか。
やめた方がいい。
しかし、電波はまだ続いている。
黒執着春麗は、立て直そうとする。
だが、リュウが見抜く。
春麗がいつもより遅い。
拳を見る前に、一瞬止まる。
発勁の距離に入る時、呼吸が変わる。
何かを思い出している。
本編春麗は、机に額をつけた。
「……見抜かれるのよね」
リュウは、こういうところを見抜く。
なぜか。
無自覚に。
正確に。
しかも、責めるためではなく、ただ見えたから言う。
それが一番危険だ。
電波の中で、黒執着春麗は言い返せない。
拳を見ていない。
別の事故ログを見ていた。
だから、次の拳を受ける。
今度はまともに。
肩。
胸の横。
呼吸が抜ける。
視界が白くなる。
春麗は倒れる。
本編春麗は、息を止めた。
「……今度は、彼女が落ちるのね」
前の発勁事故では、リュウが落ちた。
春麗が勝った。
でも、倒れ込まれて動けなくなった。
本編春麗の逆介抱ログでは、自分が落ちた。
過去の事故記憶で発勁がズレて、リュウの拳を受けた。
そして、介抱された。
今回の黒執着春麗も、その系列にいる。
発勁事故ログに足を取られて、リュウの拳を受ける。
そして、自分が落ちる。
勝つ側から、介抱される側へ。
本編春麗は、封筒を両手で押さえた。
これは危険だ。
かなり危険だ。
なぜなら、これはただの観測ではない。
自分が体験した構図を、外から見せられている。
主観で受けた時は、悔しさと痛みと混乱でいっぱいだった。
だが、客観で見ると分かってしまう。
倒れた春麗を見るリュウ。
すぐに駆け寄るリュウ。
声をかけるリュウ。
呼吸を確認するリュウ。
その距離。
その真剣さ。
その正しさ。
そして、その危険さ。
「……私の時も、こうだったの?」
言ってしまった。
言った瞬間、精神HPが削れた。
黒執着春麗を見ているはずなのに、自分のログへ同期してしまう。
これは最悪だった。
春麗は、ゆっくり封筒の表に視線を落とした。
まだ余白がある。
嫌な余白。
「……書かないわよ」
そう言った瞬間、手元のペンを見つけてしまった。
春麗は低く唸った。
「なぜそこにあるの」
自分で置いたのだ。
たぶん。
電波の中で、黒執着春麗が目を覚ます。
リュウの声。
近い。
身体は横にされている。
頭の下には布か上着。
リュウが呼吸を確認している。
意識ははっきりしているか。
痛みは。
吐き気は。
視界は。
春麗は目を閉じた。
「……実務的なのが余計に刺さるのよ」
優しい、ではない。
甘い、でもない。
必要な確認。
正しい介抱。
それが逆に刺さる。
リュウが慌てて変なことを言うなら、怒れる。
余計な甘い言葉を最初から言うなら、反撃できる。
でも、最初に来るのが正しい安全確認だと、何も言えない。
介抱されている側として、ちゃんと答えるしかない。
意識はある。
痛みはある。
吐き気はない。
視界は見えている。
そう答えるしかない。
自分の時も、そうだった。
悔しいのに。
恥ずかしいのに。
少し嬉しいのが最悪なのに。
状態確認には答えなければならなかった。
そして、そのあとにリュウは言う。
少し休め。
本編春麗は、青い小箱ではなく封筒の上に突っ伏した。
「……正しいのよ」
一拍。
「正しいから困るのよ」
電波の中で、黒執着春麗は反発する。
無理をしていない。
している。
していない。
している。
本編春麗は、目を閉じたまま呟いた。
「そこも分かる」
分かってしまう。
無理をしていないと言いたい。
倒れた自分を認めたくない。
介抱される側に回ったことを、すぐには受け入れられない。
けれど、リュウは言う。
今日は、俺の勝ちだ。
本編春麗は、静かに息を吐いた。
それはそうだ。
黒執着春麗は落ちた。
リュウの拳をまともに受けた。
勝者はリュウ。
そこは誤魔化せない。
春麗たちは、勝敗の誤魔化しを嫌う。
だから、黒執着春麗も認める。
今日はリュウの勝ち。
だが、リュウは言う。
勝った気がしない。
春麗が、別のものを見ていた。
本編春麗の精神HPまで削れた。
「……それを言うのね」
言う。
リュウは言う。
春麗が拳を見ていなかった。
春麗らしくなかった。
そして。
倒れても、春麗は春麗だ。
本編春麗は完全に停止した。
「……そこまで言ったの?」
言った。
電波の中のリュウは言った。
黒執着春麗は削られている。
本編春麗も削られている。
春麗は春麗。
倒れても。
負けても。
事故ログに足を取られても。
拳を見ていなかったとしても。
それでも、春麗。
これはずるい。
かなりずるい。
リュウは、なぜそういう言い方をするのか。
責めるのではなく、否定するのでもなく、戻すように言う。
春麗は春麗だと。
本編春麗は、顔を覆った。
「……どの春麗にも効く言い方をしないで」
言っても無駄だった。
リュウはたぶん、効かせようとしていない。
ただ、そう見えているから言う。
それが一番危険だった。
本編春麗は、とうとうペンを取った。
負けだった。
封筒に追記する。
派生電波あり。
黒ドレス発勁事故ログ想起による敗北。
書いてから、少しだけ震えた。
「……嫌な分類」
でも正確だ。
さらに書く。
黒執着春麗:リュウの拳をまともに受け、一時気絶。
リュウに介抱される。
春麗、精神HP大被弾。
そこで止まる。
続きが必要だ。
だが、書きたくない。
それでも、書く。
本編春麗:類似状況理解により同期被弾。
書いた瞬間、春麗は完全に机に突っ伏した。
「……同期被弾って何」
何なのか。
でも、それだった。
ただ見ただけではない。
自分にも似た状況があるから、同期した。
発勁事故。
黒ドレス。
拳の直撃。
気絶。
介抱される側。
安全確認。
リュウの正しい判断。
倒れても春麗は春麗だという言葉。
それらが、自分の記憶にも触れてしまう。
だから同期被弾。
嫌な言葉だ。
でも、妙にしっくり来る。
春麗は、封筒にさらに書き足した。
勝敗と介抱は別判定。
一拍。
類似ログと本人ログも別判定。
もう一拍。
ただし精神HP被弾は同期する可能性あり。
春麗は、ペンを置いた。
「……もう、記録板AIみたいになっている」
最悪だった。
記録板AIに見せないために自分で書いていたのに、自分の文体が記録板AIに寄ってきている。
これは危険だ。
かなり危険。
春麗は、封筒を閉じようとした。
だが、まだ電波は終わっていない。
黒執着春麗が、立とうとする。
リュウが支えようとする。
黒執着春麗が条件を並べる。
片手だけ。
必要以上に近づかない。
私は自分で立つ。
あなたは補助。
理解した?
本編春麗は、思わず目を細めた。
「……分かる」
ものすごく分かる。
支えられるのは必要。
でも、完全に任せたくない。
近づきすぎるのは危険。
でも、支えはいらないと言い切れるほど、身体は回復していない。
だから条件を付ける。
片手だけ。
補助。
必要以上に近づかない。
これは、かなり春麗らしい。
黒執着春麗らしいし、本編春麗にも刺さる。
電波の中で、黒執着春麗はリュウの手を取る。
立ち上がる。
少しふらつく。
リュウが支える。
近い。
けれど、倒れない。
本編春麗は、指先に少し力を入れた。
思い出してはいけないものを思い出しそうになる。
リュウの手。
支える手。
拳と同じ手。
いつも自分を止める手。
今日は、支える手。
自分の時もそうだった。
拳で倒されたのに、その同じ手で支えられた。
それが悔しくて。
安心して。
最悪だった。
春麗は、低く呟いた。
「……本当に、手が危険なのよ」
拳も危険。
掌も危険。
支える手も危険。
どうすればいいのか。
電波の中で、黒執着春麗は言う。
今日は、あなたの勝ちね。
次は違う。
次は拳を見る。
余計なログは見ない。
今日の敗因は、あなたの拳ではない。
あなたの拳でもあるけれど。
私が、別の事故を見ていたから。
本編春麗は、静かに頷いた。
ここは大事だ。
敗因をリュウだけにしない。
自分が何を見ていたかを認める。
黒執着春麗は危険だが、そこは誤魔化さない。
だから強い。
腹立たしいくらい強い。
そして最後に、リュウが言う。
無事でよかった。
本編春麗は、封筒を閉じようとしていた手を止めた。
「……それは」
駄目だ。
かなり駄目だ。
介抱された後。
負けを認めた後。
自分の敗因まで整理した後。
最後に、無事でよかった。
これは無理だ。
黒執着春麗が振り返らないのも分かる。
振り返ったら終わる。
本編春麗も、たぶん振り返れない。
自分も言われた。
無理をするな。
頼む。
その系列に、無事でよかったが並ぶ。
どれも正しい。
どれも危険。
春麗は、封筒の表に最後の一行を書いた。
リュウ無自覚安全確認追撃:最大危険。
書いてから、顔を覆った。
「……安全確認追撃って何」
でも、それだった。
無事でよかった。
それは安全確認の延長。
でも、精神HPへの追撃でもある。
最悪だ。
最高に危険だ。
電波は終わった。
部屋が静かになる。
本編春麗は、しばらく動かなかった。
机の上には、危険封筒。
青い小箱は閉じられている。
今は開けられない。
青の話題候補どころではない。
黒執着春麗の介抱ログで、頭がいっぱいだった。
いや。
正確には、黒執着春麗の介抱ログだけではない。
黒執着春麗のログを見たせいで、自分の逆介抱ログまで浮かび上がっている。
主観で受けたはずのものを、客観で見せられた。
それがこんなに危険だとは思わなかった。
春麗は、封筒を持ち上げる。
重い。
物理的には軽い。
でも、重い。
発勁事故ログ。
類似ログあり。
派生電波あり。
黒ドレス発勁事故ログ想起による敗北。
介抱される黒執着春麗。
同期被弾する本編春麗。
勝敗と介抱は別判定。
リュウ無自覚安全確認追撃。
危険物しか入っていない。
春麗は、引き出しの奥へ入れようとした。
でも、手が止まる。
青い小箱の横ではない。
黒の記録の横でもない。
もっと奥。
もっと危険な棚。
ディレクターズカットIF封筒群。
そこへ置く。
春麗は、封筒を奥へしまった。
「……本筋参照禁止」
一拍。
「ただし、事故対応として限定参照」
言ってから、顔が熱くなる。
限定参照するのか。
するのだ。
発勁で勝つ時。
リュウが倒れそうな時。
自分が倒れた時。
誰かに介抱される時。
参照する可能性はある。
ないと言い切れない。
春麗は、額に手を当てた。
「……ディレクターズカットIFのくせに実用性を持たないで」
それが一番困る。
危険なだけなら封印できる。
でも、実用性がある。
倒れる方向管理。
勝利と事故は別判定。
介抱時の安全確認。
無理に立たない。
片手補助。
自分の敗因を相手のせいだけにしない。
これらは、普通に役立つ。
役立つのが腹立たしい。
夕方。
本編春麗は、発勁の型を確認しないつもりだった。
しないつもりだった。
だが、掌が少しだけ開いた。
呼吸。
重心。
距離。
発勁。
その先に、リュウが倒れる可能性。
自分が倒れる可能性。
どちらもある。
春麗は、掌を閉じた。
「……今日はやらない」
やらない。
今日は型だけでも危険だ。
代わりに、春麗は紙を出した。
書くつもりはなかった。
しかし、整理しないと残る。
発勁関連危険ログ整理。
一、勝利ログと事故ログは分ける。
二、倒れる方向は可能なら見る。
三、自分が倒れた場合、介抱を拒否しすぎない。
春麗は三番で止まった。
「……何を書いているの」
介抱を拒否しすぎない。
これは非常に危険な文言だ。
でも、正しい。
気絶した後、無理に立つのは危ない。
支えを拒否しすぎるのも危ない。
安全確認は受けるべき。
リュウが正しく介抱しているなら、受けるべき。
受けるべき。
受けるべきだが。
精神HPには悪い。
春麗は、三番の横に書き足した。
ただし精神HP防御必須。
さらに書く。
リュウの「無事でよかった」は危険。
そこまで書いて、春麗はペンを置いた。
「……マニュアル化している」
まただ。
発勁事故対応マニュアル。
介抱受け入れ時精神HP防御。
何を作っているのか。
でも、役立つ。
役立つから困る。
春麗はその紙を見つめたあと、封筒へ入れた。
完全に負けた気がした。
夜。
本編春麗は布団に入った。
今日は春麗会議室へ行かない。
このログを持って行ったら終わる。
記録板AIが絶対に分類する。
発勁事故ログ同期被弾。
介抱受領未遂。
安全確認追撃。
勝者・敗者逆転事故群。
無事でよかった問題。
そんな名前を付ける。
絶対に付ける。
だから行かない。
春麗は、布団の中で目を閉じた。
しかし、眠る前に最後の電波の残りがよぎる。
黒執着春麗が、リュウに介抱されている。
リュウが、無事でよかったと言う。
黒執着春麗が振り返らずに歩く。
帰って封筒を書く。
そして、本編春麗も封筒を書く。
春麗は、布団の中で小さく言った。
「……あなた、本当に危険なログばかり増やすわね」
黒執着春麗に向けた言葉。
でも、自分にも刺さる言葉。
危険なログを増やしているのは、黒執着春麗だけではない。
本編春麗もまた、青い小箱と危険封筒を増やしている。
届かれた青。
見られた青。
覚えられた青。
聞かれた青。
進まれた青。
発勁事故ログ。
逆介抱ログ。
介抱同期被弾。
無事でよかった問題。
春麗は、顔を覆った。
「……無事でよかった問題」
言葉にした瞬間、また精神HPが削れた。
これは駄目だ。
未承認仮分類にもしたくない。
だが、たぶんもう保存されている。
どこかで。
誰かが。
記録板AIがいなくても。
自分の中で。
春麗は、布団を少し引き上げた。
「本筋参照禁止」
一拍。
「でも、限定参照」
もう一拍。
「介抱は、安全確認」
さらに一拍。
「それ以上の意味はない」
最後に、いつものように小さく付け足す。
「……たぶん」
その一言で、自爆した。
やはり、今日は春麗会議室へは行けない。
行けば確実に議題になる。
黒執着春麗の介抱ログ。
本編春麗の同期被弾。
危険封筒追加。
無事でよかった問題。
勝敗と介抱は別判定。
主観済み介抱の客観再被弾。
春麗は、目を閉じた。
眠る直前、最後に思った。
黒執着春麗。
あなたが危険なのは分かっている。
でも、今回だけは少しだけ同情する。
リュウに介抱されるのは、たぶんどの春麗にも危険だ。
そして。
無事でよかった、は。
本当に。
言わないでほしい。
言ってほしいわけではない。
ない。
たぶん。
本編春麗は、顔を赤くしたまま眠りへ落ちた。
記録板AIは、銀色の棚の前で表示を戻した。
『受信ログを終了します』
『本記録は、本編確定ログではありません』
『黒執着春麗の黒ドレス発勁事故ログ想起敗北から派生した、本編春麗側の客観視受信ログです』
『本編時空への直接反映は禁止推奨です』
一拍。
『重要前提』
『本編春麗は、すでに黒ドレス発勁時の事故記憶によりタイミングを崩し、リュウに拳を受け、一時気絶し、介抱された経験を持っています』
『そのため、本記録における本編春麗の被弾は、介抱ログ初見によるものではありません』
『主観済み介抱の客観再被弾です』
一拍。
『受信内容』
『黒執着春麗は、黒ドレスでリュウと試合を行いました』
『発勁は使用していません』
『しかし、発勁事故ログの残響により、目の前の拳ではなく過去の事故ログを見ました』
『その結果、リュウの拳をまともに受け、一時気絶しました』
『リュウによる安全確認および介抱が発生しました』
一拍。
『本編春麗側の反応』
『類似状況理解により同期被弾』
『自分の逆介抱ログを客観視した場合の危険性を認識』
『介抱は安全確認であると理解しつつ、精神HPには危険と判断』
『無事でよかった問題が再燃』
一拍。
『分類』
『黒執着春麗介抱ログ客観視』
『本編春麗逆介抱経験済み』
『主観済み介抱の客観再被弾』
『発勁事故系列/介抱派生』
『リュウ無自覚安全確認追撃』
『危険封筒保存推奨』
『青い小箱混入不可』
一拍。
『補足』
『本編春麗は記録板AI閲覧禁止と封筒に記載しました』
『しかし、ディレクターズカットIF処理上、最低限の分類は実行済みです』
『本編春麗本人には通知しないことを推奨します』
最後に、記録板AIは淡々と締めた。
『なお、介抱は安全確認。それ以上の意味はない。たぶん、という発言については、自爆性が非常に高いため正式分類を保留します』
『以上、ディレクターズカットIF派生・黒執着春麗介抱ログ客観視受信でした』
Q:今回のディレクターズカットIFについて解説して?
A:
今回は、ディレクターズカットIF派生としての「黒執着春麗介抱ログ客観視受信」回でした。
まず大前提として、この話は本編確定ログではありません。
また、妄想章IF後日談の時空で発生した出来事でもありません。
あくまで、黒執着春麗のディレクターズカットIFから派生した、本編春麗側の電波受信ログです。
今回のポイントは、本編春麗がすでに似た経験をしていることです。
本編春麗は以前、黒ドレスでリュウとのギリギリ勝利を取りに行きました。
その時、発勁の直前に過去の発勁事故ログを思い出し、タイミングがズレました。
本来ならリュウは寸止めするはずでしたが、そのズレによって拳が入り、本編春麗が一時気絶しました。
そして、リュウに介抱されました。
つまり、本編春麗はすでに「黒ドレス」「発勁事故ログ」「リュウの拳」「気絶」「介抱」という系列を、自分の主観で経験済みです。
なので、今回の話は「本編春麗が黒執着春麗の介抱ログを見て初めて驚く話」ではありません。
むしろ逆です。
自分も経験しているからこそ、黒執着春麗の介抱ログが分かってしまう。
これが今回の主題です。
黒執着春麗は、黒ドレスでリュウと試合をしています。
ただし、発勁は使っていません。
それなのに、発勁事故ログの残響に足を取られます。
発勁で勝った後、リュウが意識を落として倒れ込んできた事故。
支えきれなかったこと。
重さ。
近さ。
安全確認。
介抱。
そういった過去ログを意識しすぎた結果、目の前のリュウの拳ではなく、事故ログを見てしまう。
その一瞬の遅れを、リュウは見逃しません。
結果として、黒執着春麗はリュウの拳をまともに受け、一時気絶します。
ここまでは、黒執着春麗側のディレクターズカットIFです。
しかし今回重要なのは、それを本編春麗が電波受信してしまうことです。
本編春麗は、黒執着春麗が倒されるのを見ます。
リュウが駆け寄るのを見ます。
呼吸を確認するのを見ます。
意識ははっきりしているか、痛みは、吐き気は、視界は、と安全確認するのを見ます。
ここで本編春麗は思ってしまいます。
私の時も、こうだったの?
これはかなり危険です。
自分が介抱された時は、主観でした。
痛い。
悔しい。
恥ずかしい。
少し嬉しい。
最悪。
でも高得点。
でも悔しい。
そういう感情でいっぱいだったため、リュウがどう見えていたか、自分がどう介抱されていたかを外から見る余裕はありませんでした。
しかし今回は、黒執着春麗を通して、似た状況を外から見せられています。
これが「主観済み介抱の客観再被弾」です。
ただの観測ではありません。
ただの電波受信でもありません。
自分にも似たログがあるから、同期して被弾してしまう。
今回の本編春麗のダメージはそこにあります。
また、今回のリュウの危険さは、甘いことをしているからではありません。
むしろ逆です。
リュウは非常に正しいことをしています。
倒れた相手の呼吸を確認する。
意識を確認する。
痛みを確認する。
吐き気や視界を確認する。
無理に動かないように言う。
必要なら支える。
無事でよかったと言う。
全部、正しいです。
戦闘後の安全確認として自然です。
武闘家として当然の対応です。
だからこそ、春麗は何も言えません。
甘い言葉なら反撃できます。
明らかに余計なことを言われたなら怒れます。
でも、正しい介抱には反撃しにくい。
そして、その正しさが精神HPには一番危険です。
特に今回は、
倒れても、春麗は春麗だ。
と、
無事でよかった。
が非常に危険な言葉になっています。
「倒れても、春麗は春麗だ」は、黒執着春麗にも刺さります。
そして本編春麗にも刺さります。
負けても。
倒れても。
事故ログに足を取られても。
拳を見ていなかったとしても。
それでも春麗は春麗。
リュウはたぶん、慰めようとして計算しているわけではありません。
ただ、そう見えているから言っています。
この連作では、それが一番危険です。
そして「無事でよかった」。
これも安全確認の延長です。
本当に正しい言葉です。
倒れた相手が目を覚ました。
大事に至らなかった。
だから、無事でよかった。
普通ならそれだけです。
でも、春麗たちにとってはそれだけでは済みません。
心配されたこと。
無事を喜ばれたこと。
自分が倒れた後も、ちゃんと見られていたこと。
それらが全部、精神HPに来ます。
だから本編春麗は、これを「リュウ無自覚安全確認追撃」と分類してしまいます。
安全確認なのに追撃。
正しいのに危険。
実務的なのに刺さる。
今回のリュウは、まさにそのタイプの危険さでした。
また、今回は「勝敗と介抱は別判定」という整理も重要です。
戦闘結果としては、黒執着春麗の敗北です。
リュウの勝利です。
そこは誤魔化せません。
黒執着春麗も、そこは認めています。
今日の敗因は、リュウの拳だけではない。
自分が別の事故ログを見ていたから。
この整理はかなり重要です。
黒執着春麗は危険な春麗ですが、自分の敗因を相手だけのせいにはしません。
リュウが強かったこと。
自分が拳を見ていなかったこと。
事故ログに足を取られたこと。
そこはちゃんと分けています。
だからこそ、本編春麗も同期してしまいます。
自分もそうだった。
自分も、過去ログに引っ張られてズレた。
自分も、勝敗と介抱を分けなければならなかった。
この構造が今回の「類似ログあり」です。
今回の分類としては、
黒執着春麗介抱ログ客観視。
本編春麗逆介抱経験済み。
主観済み介抱の客観再被弾。
発勁事故系列/介抱派生。
リュウ無自覚安全確認追撃。
危険封筒保存推奨。
青い小箱混入不可。
になります。
ここで大事なのは、青い小箱には入れないことです。
今回のログは、本編春麗の青の正式回答ラインに直接混ぜるには危険すぎます。
青の話題候補。
相打ちの青。
進まれた青。
正式回答前の整理。
そこへ「介抱」「無事でよかった」「安全確認追撃」「同期被弾」を混ぜると、青の流れが壊れます。
なので、今回は危険封筒です。
ただし、完全封印でもありません。
本編春麗は最終的に、
本筋参照禁止。
ただし、事故対応として限定参照。
という扱いにしています。
ここも重要です。
ディレクターズカットIFなのに、実用性が出てしまったわけです。
勝利ログと事故ログは分ける。
倒れる方向は可能なら見る。
自分が倒れた場合、介抱を拒否しすぎない。
安全確認は受ける。
ただし精神HP防御必須。
リュウの「無事でよかった」は危険。
これはもう、ほとんど発勁事故対応マニュアルです。
本人としては非常に不本意です。
でも、役立つ。
役立つから困る。
このあたりが、今回のディレクターズカットIFらしいところです。
本筋ではない。
でも、キャラクター理解には効く。
危険だから混ぜられない。
でも、完全には捨てられない。
今回の本編春麗は、黒執着春麗に少しだけ同情しています。
リュウに介抱されるのは、たぶんどの春麗にも危険だ。
この認識に至ったからです。
本編春麗も危険。
黒執着春麗も危険。
方向性は違っても、リュウの正しい介抱と無自覚な安全確認追撃には、どの春麗も削られる。
今回は、そのことを本編春麗が客観視させられた回でした。
黒執着春麗のログを見ているはずなのに、自分のログも見えてしまう。
他人事ではない。
でも本筋には混ぜられない。
だから危険封筒に入れる。
今回の話は、そういうディレクターズカットIF派生回です。
無事でよかった。
この言葉は、ただの安全確認です。
それ以上の意味はありません。
たぶん。
その「たぶん」が、一番危険なのだと思います。