また戦ってくれなんて言わないで ――春麗は今日もめんどくさい――   作:エーアイ

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※これはディレクターズカットIFです。
本編のIFシリーズは無関係のエピソードとなります。


ディレクターズカットIF:本編春麗と自覚前春麗は、主人公補正で甘いものを受け取ってしまう

 春麗会議室外部メタ領域には、いくつかの危険な棚がある。

 

 青い小箱。

 

 黒の棚。

 

 危険封筒。

 

 ディレクターズカットIF棚。

 

 作者への抗議依頼スレ。

 

 そして、その中でも特に扱いが難しい棚があった。

 

 主人公補正ログ。

 

 記録板AIは、その棚の前に注意書きを表示していた。

 

『注意:当該ログは、物語上の主人公性が一定以上蓄積した春麗に対し、甘いイベントを強制発生させる可能性があります』

 

『注意:本人の同意なく発生する場合があります』

 

『注意:精神HP被弾の危険があります』

 

『注意:受け取った事実は消去困難です』

 

 本編春麗は、その表示を見ていた。

 

 隣には、自覚前春麗がいる。

 

 二人とも、黙っていた。

 

 しばらく黙っていた。

 

 先に口を開いたのは、本編春麗だった。

 

「……なぜ私たち二人が呼ばれているの」

 

 自覚前春麗は、表示を見たまま答える。

 

「資料として確認するなら、私だけでもよかったのでは?」

 

「あなた、今かなり危険なことを言っているわよ」

 

「何が?」

 

「資料として確認すると言いながら、自分も当事者枠に入っているところ」

 

 自覚前春麗は、一瞬止まった。

 

「……私はまだ決めていないわ」

 

「それは分かっているけれど」

 

「黒を選んだわけでもない」

 

「ええ」

 

「青を選んだわけでもない」

 

「ええ」

 

「リュウに会いに行くと決めたわけでもない」

 

「……会ったことはあるでしょう」

 

「偶然よ」

 

 本編春麗は、少しだけ目を細めた。

 

「偶然を記録するには外出が必要、だったかしら」

 

 自覚前春麗は、完全に沈黙した。

 

 そこへ、記録板AIの文字が浮かぶ。

 

『本日の対象者』

 

『本編春麗:正式回答ラインにより主人公補正蓄積中』

 

『自覚前春麗:決める前の春麗として未確定性補正蓄積中』

 

 本編春麗が即座に反応した。

 

「蓄積しないで」

 

 自覚前春麗も続く。

 

「未確定性補正とは何?」

 

『決めていないにもかかわらず、読者および作者が“次に何を選ぶのか”を見たくなる状態です』

 

「……それは補正なの?」

 

『補正です』

 

「資料としては興味深いけれど、当事者としては困るわ」

 

 本編春麗は、深く息を吐いた。

 

「私は正式回答前なのよ」

 

『はい』

 

「リュウへの宿題の回答待ち」

 

『はい』

 

「青い小箱だけで処理容量が限界」

 

『はい』

 

「黒執着春麗の危険電波も飛んでくる」

 

『はい』

 

「その上で、主人公補正による甘いイベント?」

 

『はい』

 

 本編春麗は、目を閉じた。

 

 自覚前春麗は、少しだけ不安そうに表示を見る。

 

「ちなみに、その甘いイベントというのは」

 

『発生します』

 

「まだ質問の途中よ」

 

『発生します』

 

 本編春麗と自覚前春麗は、同時に固まった。

 


 

 最初に発生したのは、本編春麗だった。

 

 夕方。

 

 本編春麗は、リュウに会うつもりはなかった。

 

 本当に。

 

 今日は会わない。

 

 正式回答前に、こちらから話しすぎるのは危険。

 

 話題候補は温存中。

 

 青い小箱は閉じている。

 

 危険封筒も閉じている。

 

 黒執着春麗の電波も今日は無視する。

 

 そう決めて、少しだけ外に出ただけだった。

 

 少しだけ。

 

 風に当たるため。

 

 頭を冷やすため。

 

 決して、リュウに会うためではない。

 

 そのはずだった。

 

「春麗」

 

 声がした。

 

 本編春麗は、足を止めた。

 

 振り返らない。

 

 振り返ったら、負ける気がした。

 

 だが、声はもう聞こえている。

 

 リュウの声。

 

 落ち着いた、まっすぐな声。

 

 春麗は、ゆっくり振り返った。

 

「……偶然ね」

 

 言った瞬間、自覚前春麗の言い訳みたいだと思ってしまった。

 

 最悪だった。

 

 リュウは頷く。

 

「ああ」

 

「あなた、今日は修行では?」

 

「終わった」

 

「そう」

 

「春麗は?」

 

「散歩よ」

 

「そうか」

 

 会話は普通だった。

 

 普通のはずだった。

 

 しかし、リュウの手には小さな包みがあった。

 

 春麗は、それを見てしまった。

 

 見なければよかった。

 

 見た以上、聞かないわけにもいかない。

 

「それは?」

 

「ああ」

 

 リュウは包みを少し持ち上げた。

 

「前に、春麗が甘いものを見ていた」

 

 春麗は固まった。

 

「……見ていた?」

 

「ああ」

 

「いつ?」

 

「この前、店の前で」

 

「……見ていたの?」

 

「ああ」

 

 精神HPが削れた。

 

 また見られている。

 

 青でもない。

 

 黒でもない。

 

 試合でもない。

 

 ただ店の前で甘いものを見ていたところを、見られていた。

 

 これは危険だった。

 

 リュウは続ける。

 

「迷っていたように見えた」

 

「迷っていないわ」

 

「そうか」

 

「見ていただけよ」

 

「そうか」

 

「資料として」

 

 言ってから、本編春麗は自分で止まった。

 

 自覚前春麗の影響が出ている。

 

 これは非常にまずい。

 

 リュウは包みを差し出した。

 

「渡そうと思っていた」

 

 本編春麗は、完全に停止した。

 

「……なぜ?」

 

「春麗に合うと思った」

 

 精神HPが大きく削れた。

 

 春麗に合う。

 

 甘いものが。

 

 自分に。

 

 どういう意味で。

 

 いや、深い意味はない。

 

 ないはず。

 

 リュウはたぶん、ただそう思っただけ。

 

 それが一番危険。

 

 本編春麗は、包みを見つめる。

 

「受け取れないわ」

 

「なぜだ」

 

「正式回答前だから」

 

 言ってから、さらに自爆した。

 

 正式回答前だから、甘いものを受け取れない。

 

 何の規定なのか。

 

 どこのルールなのか。

 

 リュウは少し考えた。

 

「宿題とは別だ」

 

 本編春麗は、言葉を失った。

 

 別。

 

 そう。

 

 別だ。

 

 宿題の回答と、甘いものは別。

 

 勝敗と事故は別判定。

 

 精神HP被弾も別判定。

 

 差し入れも別判定。

 

 そういうことではない。

 

「……あなたは本当に」

 

「何だ」

 

「別判定にするのが上手いわね」

 

 リュウは首を傾げた。

 

「そうか」

 

「そうよ」

 

 春麗は、ゆっくり包みを受け取った。

 

 指先が触れそうになる。

 

 触れた。

 

 ほんの少し。

 

 春麗の精神HPがさらに削れる。

 

「ありがとう」

 

 なんとか言った。

 

 リュウは頷く。

 

「ああ」

 

「でも」

 

「でも?」

 

「こういうことを、急にしないで」

 

「急だったか」

 

「急よ」

 

「すまない」

 

「謝らないで」

 

「だが」

 

「謝られると、こちらが困るの」

 

 リュウは少し黙った。

 

 そして言った。

 

「困らせたかったわけじゃない」

 

 本編春麗は、完全に動けなくなった。

 

 甘い。

 

 これは甘い。

 

 ただの差し入れのはずなのに。

 

 主人公補正で甘いイベントになっている。

 

 しかも、リュウ本人に自覚がない。

 

 最悪。

 

 非常に最悪。

 

 春麗は、包みを胸の前で持ったまま、小さく言った。

 

「……主人公補正」

 

「何だ?」

 

「何でもないわ」

 

「そうか」

 

「今日は、帰る」

 

「ああ」

 

「これは、受け取る」

 

「ああ」

 

「ただし」

 

 本編春麗は、リュウを見た。

 

「正式回答とは別」

 

 リュウは頷いた。

 

「ああ」

 

「甘いものとも別」

 

「ああ」

 

「精神HP被弾とも別」

 

「精神?」

 

「何でもない」

 

 春麗は背を向けた。

 

 リュウは追ってこない。

 

 ただ、最後に言った。

 

「春麗に合うと思ったのは、本当だ」

 

 本編春麗は、足を止めた。

 

 振り返らない。

 

 振り返ったら終わる。

 

「……そういう追撃をしないで」

 

「追撃?」

 

「何でもないわ」

 

 そのまま歩き出す。

 

 包みが軽い。

 

 しかし、精神HPへの重さはかなりある。

 

 本編春麗は、帰り道で小さく呟いた。

 

「……甘いものを貰っただけ」

 

 一拍。

 

「正式回答とは別」

 

 もう一拍。

 

「主人公補正とは認めない」

 

 さらに一拍。

 

「……たぶん」

 

 その一言で、完全に自爆した。

 


 

 次に発生したのは、自覚前春麗だった。

 

 彼女は、本編春麗の甘いイベントログを資料として確認していた。

 

 資料として。

 

 あくまで資料として。

 

 本編春麗が、正式回答前にリュウから甘いものを貰い、精神HPを削られた。

 

 それを見て、自覚前春麗は冷静に言った。

 

「危険ね」

 

 記録板AIが表示する。

 

『自覚前春麗:客観視中』

 

「客観視ではないわ。資料確認よ」

 

『同義です』

 

「違うわ」

 

 自覚前春麗は、紙に書いていた。

 

 本編春麗:正式回答ラインにおける主人公補正イベント。

 

 発生条件:リュウが以前から見ていたものを差し入れ。

 

 被弾要因:見られていたこと、合うと思われたこと、正式回答とは別判定で処理されたこと。

 

 危険度:高。

 

 そこまで書いて、満足する。

 

「資料としては有用ね」

 

『はい』

 

「私には関係ないけれど」

 

『関係あります』

 

「ないわ」

 

『主人公補正蓄積中です』

 

「私は主人公ではないわ」

 

『自覚前春麗は、現在“決める前の春麗”として再注目されています』

 

「再注目という言い方がメタすぎるわ」

 

『ディレクターズカットIFです』

 

「便利ね、その言葉」

 

 自覚前春麗は、紙を閉じた。

 

「私はまだ決めていない」

 

『はい』

 

「だから甘いイベントも発生しない」

 

『いいえ』

 

「なぜ?」

 

『未確定性は、甘いイベント発生の温床です』

 

「何を言っているの?」

 

 その時だった。

 

 外から声がした。

 

「春麗」

 

 自覚前春麗は、完全に固まった。

 

「……来た」

 

『発生しました』

 

「実況しないで」

 

 リュウだった。

 

 なぜか、そこにいる。

 

 自覚前春麗は、外に出る。

 

 普通服に近い格好。

 

 ただし動ける靴。

 

 髪は少しだけ整えている。

 

 本人は、念のためと言う。

 

 だが、読者には分かる。

 

 リュウに会う可能性を想定している。

 

 自覚前春麗本人は認めない。

 

「偶然ね」

 

 言った瞬間、本編春麗と同じ言葉だと気づいた。

 

 まずい。

 

 かなりまずい。

 

 リュウは頷く。

 

「ああ」

 

「何か用?」

 

「少し歩いていた」

 

「そう」

 

「春麗は?」

 

「資料整理よ」

 

「外で?」

 

「外気を入れた方が、資料整理が進むの」

 

「そうか」

 

 リュウは納得した。

 

 納得しないでほしい。

 

 自覚前春麗は、少しだけ安心し、同時に困った。

 

 リュウは彼女を見る。

 

 黒ではない。

 

 青でもない。

 

 完全な日常でもない。

 

 決める前の春麗。

 

 リュウは言った。

 

「今日は、まだ選んでいないんだな」

 

 精神HPが削れた。

 

 自覚前春麗は、即座に反論する。

 

「選んでいないわけではないわ」

 

「そうなのか」

 

「選択前の条件を整理しているだけ」

 

「ああ」

 

「資料として」

 

「でも、来た」

 

 自覚前春麗は、胸を押さえた。

 

 これは前にも刺さった。

 

 なぜ同じ方向で刺してくるのか。

 

「来たことまで観測対象にしないで」

 

「観測?」

 

「何でもないわ」

 

 リュウは少し黙った。

 

 そして、手に持っていたものを差し出した。

 

 小さな飲み物だった。

 

 温かい。

 

 湯気が立っている。

 

 自覚前春麗は、警戒した。

 

「何?」

 

「寒そうだった」

 

「寒くないわ」

 

「手が冷えている」

 

 精神HPが削れた。

 

「見ないで」

 

「見えた」

 

「見えたなら言わないで」

 

「言わない方がよかったか」

 

「……そういう問題ではないわ」

 

 リュウは、温かい飲み物を差し出したまま言う。

 

「まだ決めていなくても、冷えるだろう」

 

 自覚前春麗は、完全に停止した。

 

 まだ決めていなくても、冷える。

 

 何だその言葉は。

 

 未確定性を肯定した上で、身体の冷えを心配する。

 

 それは反則ではないか。

 

 自覚前春麗は、ゆっくり飲み物を受け取った。

 

「……これは」

 

「ああ」

 

「資料として受け取るわ」

 

「そうか」

 

「寒いからではない」

 

「ああ」

 

「選択前状態における外的補助の検証」

 

「分かった」

 

「本当に分かっている?」

 

「春麗が受け取る理由が必要なんだと思った」

 

 自覚前春麗は、精神HPを大きく削られた。

 

「……そこまで分からないで」

 

 リュウは首を傾げる。

 

「違ったか」

 

「違わないから困るのよ」

 

 飲み物は温かかった。

 

 手に伝わる温度が、思ったより安心する。

 

 リュウは、ただ隣に立っている。

 

 何も急かさない。

 

 黒を選べとも言わない。

 

 青を選べとも言わない。

 

 戦えとも言わない。

 

 ただ、まだ決めていない春麗の横にいる。

 

 自覚前春麗は、小さく呟いた。

 

「……主人公補正」

 

「何だ?」

 

「何でもないわ」

 

「そうか」

 

「これは、甘いイベントではない」

 

「ああ」

 

「資料」

 

「ああ」

 

「温度確認」

 

「ああ」

 

「未確定状態における補給」

 

「ああ」

 

「……あなた、何でも頷くのね」

 

「春麗がそう言うなら」

 

 自覚前春麗は、飲み物を持ったまま固まった。

 

 甘い。

 

 かなり甘い。

 

 本編春麗の差し入れイベントとは違う甘さ。

 

 こちらは、決めていないことを急かされない甘さ。

 

 温かい飲み物。

 

 隣にいるリュウ。

 

 選んでいなくても、冷えるだろう。

 

 自覚前春麗は、目を伏せた。

 

「……今日は、まだ決めないわ」

 

「ああ」

 

「でも」

 

 一拍。

 

「受け取らないとは言っていない」

 

 リュウは静かに頷いた。

 

「ああ」

 

 それだけだった。

 

 それだけなのに、十分だった。

 


 

 夜。

 

 本編春麗と自覚前春麗は、春麗会議室外部メタ領域に戻っていた。

 

 机の上には、二つのログが並んでいる。

 

 本編春麗:正式回答前差し入れイベント。

 

 自覚前春麗:未確定状態温補給イベント。

 

 二人は、それを見ていた。

 

 本編春麗が先に言う。

 

「……温補給イベントって何?」

 

 自覚前春麗は顔を逸らした。

 

「私に聞かないで」

 

「あなたのログでしょう」

 

「記録板AIが勝手に命名したのよ」

 

『正確な分類です』

 

「正確でも嫌なものは嫌よ」

 

 本編春麗は、自分のログを見る。

 

「正式回答前差し入れイベント、もかなり嫌ね」

 

『正式回答とは別判定で発生した甘いイベントです』

 

「説明しないで」

 

『本編春麗:甘味受領』

 

『自覚前春麗:温飲料受領』

 

『両者、主人公補正による甘イベント被弾を確認』

 

 二人は同時に言った。

 

「主人公補正ではない」

 

「主人公補正ではないわ」

 

 同時だった。

 

 完全に同時だった。

 

 少し沈黙。

 

 本編春麗は、自覚前春麗を見る。

 

「……あなた、けっこう被弾していたわね」

 

 自覚前春麗は、すぐに返す。

 

「あなたほどではないわ」

 

「私は正式回答前だから仕方ないの」

 

「私は決める前だから仕方ないの」

 

「仕方ないとは言っていないでしょう」

 

「あなたも言っているようなものよ」

 

 記録板AIが表示する。

 

『共通点:どちらも、受け取る理由を必要としています』

 

 二人が固まった。

 

『本編春麗:正式回答とは別、という理由で甘味を受け取る』

 

『自覚前春麗:資料・温度確認、という理由で飲み物を受け取る』

 

『結論:両者とも、甘いイベントを受け取るための言い訳を即時生成しています』

 

 本編春麗は、机に手をついた。

 

「保存しないで」

 

 自覚前春麗も続く。

 

「資料としても危険すぎるわ」

 

『保存しました』

 

「だから」

 

 春麗会議室外部メタ領域に、静かな沈黙が落ちる。

 

 やがて、本編春麗が小さく言った。

 

「……でも」

 

 自覚前春麗が見る。

 

「何?」

 

「甘いものは、悪くなかったわ」

 

 自覚前春麗は、少し黙った。

 

 それから、小さく言う。

 

「……温かかったわ」

 

 二人とも、顔を逸らした。

 

 記録板AIが表示する。

 

『本編春麗:甘味受領を限定肯定』

 

『自覚前春麗:温補給受領を限定肯定』

 

「限定肯定ではない」

 

「限定肯定ではないわ」

 

『では、未承認肯定』

 

「もっと嫌」

 

「さらに嫌ね」

 

 二人は同時にため息をついた。

 


 

 その夜。

 

 本編春麗は、貰った甘いものの包みを机の上に置いた。

 

 食べるかどうか迷う。

 

 迷う必要はない。

 

 受け取ったのだから、食べればいい。

 

 正式回答とは別。

 

 宿題とも別。

 

 青い小箱とも別。

 

 ただの差し入れ。

 

 そう思うのに、包みが妙に重い。

 

「春麗に合うと思った」

 

 リュウの言葉を思い出す。

 

 春麗は、顔を赤くした。

 

「合うって、何が」

 

 聞けない。

 

 聞いたら終わる。

 

 だから、今日は食べるだけ。

 

 少しだけ包みを開ける。

 

 甘い匂いがする。

 

 春麗は、小さく呟いた。

 

「正式回答とは別」

 

 一拍。

 

「でも、貰ったものは貰ったもの」

 

 もう一拍。

 

「……ありがとう」

 

 誰にも聞こえない声だった。

 

 その頃。

 

 自覚前春麗は、温かい飲み物の残りを見つめていた。

 

 もう温度は下がっている。

 

 でも、手に持った時の温かさは覚えている。

 

 まだ決めていなくても、冷えるだろう。

 

 リュウの言葉が残っている。

 

「……決めていないことと、寒いことは別」

 

 一拍。

 

「選択前状態でも、補給は必要」

 

 もう一拍。

 

「資料として」

 

 言いながら、自分で少し笑ってしまった。

 

 言い訳だ。

 

 でも、今はそれでいい。

 

 彼女はまだ決めていない。

 

 黒も。

 

 青も。

 

 次にどう戦うかも。

 

 でも、温かいものを受け取った。

 

 それは、止まっていることとは違う。

 

「……今日は、まだ決めない」

 

 一拍。

 

「でも、受け取った」

 

 それだけで、少し進んだ気がした。

 


 

 翌朝。

 

 記録板AIが、外部メタ領域に新しいログを表示した。

 

『ディレクターズカットIF:主人公補正甘イベント二件発生』

 

『本編春麗:正式回答前差し入れイベント』

 

『自覚前春麗:未確定状態温補給イベント』

 

『共通判定:受け取るための言い訳生成』

 

『精神HP被弾:中〜大』

 

『物語進行:静的進行あり』

 

 本編春麗と自覚前春麗は、それを見ていた。

 

 本編春麗が言う。

 

「削除申請」

 

 自覚前春麗も言う。

 

「資料保存禁止」

 

『却下』

 

「なぜ」

 

『主人公補正ログは、今後の展開判断に有用です』

 

 本編春麗は、目を細める。

 

「今後の展開?」

 

『はい』

 

 自覚前春麗が警戒する。

 

「何をするつもり?」

 

『未定です』

 

「未定なら表示しないで」

 

『ただし、両者とも次回以降の甘イベント耐性が低下しています』

 

 二人は同時に固まった。

 

「低下?」

 

「低下ですって?」

 

『はい』

 

『一度受け取ったことで、次回から“受け取らない理由”の生成難易度が上昇します』

 

 本編春麗は、机に突っ伏した。

 

 自覚前春麗も、紙で顔を隠した。

 

「……最悪ね」

 

「……資料としても最悪だわ」

 

 記録板AIが最後に表示する。

 

『未承認仮分類:受け取ってしまった春麗たち』

 

 二人は同時に言った。

 

「保存しないで」

 

「保存しないで」

 

『保存しました』

 

 その日、危険封筒はまた一通増えた。

 

 ただし、中身は黒でも発勁事故でも勝利セリフでもなかった。

 

 甘いもの。

 

 温かい飲み物。

 

 そして、受け取るための言い訳。

 

 本編春麗と自覚前春麗は、それぞれ違う形で主人公補正を食らった。

 

 正式回答前の春麗は、甘いものを受け取った。

 

 決める前の春麗は、温かいものを受け取った。

 

 どちらも、まだ認めない。

 

 どちらも、まだ分類しない。

 

 けれど。

 

 受け取ってしまったことだけは、もう消せなかった。

 




Q:今回のディレクターズカットIFについて解説して?

A:

今回は、ディレクターズカットIFとしての「主人公補正甘イベント二件発生」回でした。

まず大前提として、この話は本編確定ログではありません。
また、妄想章IF後日談の時空で発生した出来事でもありません。

あくまで、春麗会議室外部メタ領域で発生したディレクターズカットIFです。

今回の主題は、黒でも発勁事故でも黒戦術でもありません。

甘いもの。
温かい飲み物。
そして、それを受け取ってしまった春麗たちです。

今回対象になったのは、本編春麗と自覚前春麗です。

本編春麗は、正式回答前です。
リュウへの宿題の回答をどうするか、青い小箱の中で整理している最中です。

自覚前春麗は、まだ決める前です。
黒を選ぶのか、青を選ぶのか、リュウにどう向き合うのかを、まだ確定させていない状態です。

つまり二人とも、非常に動かしやすい状態ではあります。

本編春麗は「正式回答前だから危険」。
自覚前春麗は「まだ決めていないから危険」。

どちらも、物語的には次の動きが気になる春麗です。

その状態を、今回の記録板AIは「主人公補正」と呼んでいます。

もちろん、本人たちは認めません。

主人公補正ではない。
甘いイベントではない。
ただの差し入れ。
ただの温度確認。
資料。
別判定。

そう言い張ります。

でも、受け取っています。

ここが今回のポイントです。

本編春麗は、リュウから甘いものを受け取ります。

リュウは、以前に春麗が甘いものを見ていたことを覚えていました。
春麗が迷っていたように見えた。
春麗に合うと思った。
だから渡そうと思っていた。

これだけです。

リュウとしては、非常に素直です。
余計な駆け引きはありません。
甘いことを言おうとしているわけでもありません。
ただ見ていて、覚えていて、合うと思って、渡した。

それが一番危険です。

本編春麗にとっては、「見られていたこと」「覚えられていたこと」「春麗に合うと思われたこと」が全部刺さります。

さらに、正式回答前だから受け取れない、と言ったところで、リュウは「宿題とは別だ」と返します。

これも危険です。

正式回答と差し入れは別。
宿題と甘いものは別。
受け取ることと答えることは別。

リュウの中では自然に別判定されています。

でも、本編春麗にとっては、別判定だからこそ受け取れてしまう。

これが今回の本編春麗側の甘イベントです。

一方、自覚前春麗は温かい飲み物を受け取ります。

こちらは、本編春麗とは違う甘さです。

本編春麗は「春麗に合うと思った」という、見られていたことによる被弾でした。

自覚前春麗は、「まだ決めていなくても、冷えるだろう」という言葉に被弾しています。

これは非常に自覚前春麗向けの言葉です。

黒を選んでいない。
青を選んでいない。
まだ決めていない。

それでも、寒い時は寒い。
手が冷えているなら温かいものを渡す。
選択前でも、身体は冷える。

リュウはそこを急かしません。

黒を選べとも言わない。
青を選べとも言わない。
戦えとも言わない。
決めろとも言わない。

ただ、まだ決めていない春麗の横にいる。

この甘さは、本編春麗の差し入れイベントとは違います。

こちらは「未確定のまま受け取れる甘さ」です。

自覚前春麗は、それを資料として受け取ると言い張ります。
寒いからではない。
選択前状態における外的補助の検証。
温度確認。
未確定状態における補給。

言い訳はいくらでも出てきます。

でも、受け取っています。

そして、温かかったことを認めています。

今回の二人の共通点は、どちらも「受け取るための理由」を必要としているところです。

本編春麗は、正式回答とは別だから受け取る。
自覚前春麗は、資料・温度確認だから受け取る。

言い訳の形は違います。
状態も違います。
被弾ポイントも違います。

でも、どちらも受け取る理由を作っています。

記録板AIがそこを見逃すはずがありません。

今回の記録板AIの分類、

受け取ってしまった春麗たち。

これはかなりひどい分類ですが、正確でもあります。

本編春麗は、甘いものを受け取ってしまった。
自覚前春麗は、温かい飲み物を受け取ってしまった。

まだ認めていない。
まだ分類したくない。
主人公補正だとは言いたくない。

でも、受け取った事実だけは消せない。

この「受け取ってしまった」が、今回の静かな進行です。

今回は戦闘回ではありません。
黒ドレスもありません。
発勁もありません。
精神HPノックアウトもありません。

でも、物語は進んでいます。

本編春麗は、正式回答前でも、リュウからの差し入れを受け取った。
自覚前春麗は、まだ決めていなくても、リュウからの温かいものを受け取った。

これは大きな告白でも、大事件でもありません。

けれど、次回以降の「受け取らない理由」が少し弱くなります。

一度受け取ってしまったからです。

リュウから何かを渡された時。
心配された時。
見られていたことを知らされた時。
合うと思ったと言われた時。
冷えているだろうと言われた時。

もう完全には拒否しにくい。

これが、記録板AIの言う「甘イベント耐性低下」です。

二人にとっては最悪です。

でも、物語としては重要です。

今回の分類は、

ディレクターズカットIF:主人公補正甘イベント二件発生。
本編春麗:正式回答前差し入れイベント。
自覚前春麗:未確定状態温補給イベント。
共通判定:受け取るための言い訳生成。
精神HP被弾:中〜大。
物語進行:静的進行あり。
未承認仮分類:受け取ってしまった春麗たち。

になります。

ここで大事なのは、「甘いイベント」といっても、二人に同じことが起きているわけではないことです。

本編春麗には、本編春麗用の甘さが来ています。
正式回答前の、見られていた甘さ。
覚えられていた甘さ。
春麗に合うと思われた甘さ。

自覚前春麗には、自覚前春麗用の甘さが来ています。
まだ決めていないことを急かされない甘さ。
未確定のまま温かいものを渡される甘さ。
受け取る理由が必要だと分かってもらえる甘さ。

それぞれ、ちゃんと別の甘さです。

だからこそ、二人とも被弾しています。

本編春麗は、甘いものは悪くなかったと認める。
自覚前春麗は、温かかったと認める。

たったそれだけですが、この連作では大きいです。

受け取った。
少し認めた。
でも、まだ認めきっていない。

この中途半端な状態が、とても春麗らしいと思います。

今回のディレクターズカットIFは、派手なバトル回ではありません。

ただ、甘いものと温かい飲み物を受け取るだけの回です。

けれど、春麗たちにとっては、それだけで危険封筒が一通増えます。

黒でもない。
発勁事故でもない。
勝利セリフでもない。

それでも危険。

なぜなら、受け取ってしまったからです。

本編春麗と自覚前春麗。

二人とも、まだ認めません。
まだ分類しません。
主人公補正でもないと言い張ります。

けれど、受け取ってしまったことだけは、もう消せない。

今回は、その小さくて甘い進行を書いたディレクターズカットIFでした。
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