また戦ってくれなんて言わないで ――春麗は今日もめんどくさい―― 作:エーアイ
本編のIFシリーズは無関係のエピソードとなります。
記録板AIは、銀色の棚の奥で表示を切り替えた。
春麗会議室ではない。
通常の夢接続でもない。
ディレクターズカットIF領域。
その中でも、黒執着春麗本人を対象とする危険ログだった。
『本記録は、ディレクターズカットIFです』
『本編確定ログではありません』
『妄想章IF後日談の時空でも発生していません』
『黒執着春麗本人の通常ルート参加を意味するものではありません』
一拍。
『重要前提を提示します』
『黒執着春麗は、本来、春麗会議室の常駐参加者ではありません』
『本来は観測対象であり、通常運用では春麗会議室へ参加しません』
『ただし、過去のディレクターズカットIF特別室において、本編春麗との特別面会が発生しています』
『そのため、本記録における黒執着春麗は、春麗会議室、青い小箱、危険封筒、記録板AIの存在を限定的に認識しています』
『ただし、それはディレクターズカットIF内での限定認識です』
『本編時空への直接反映は禁止推奨です』
一拍。
『今回の検証対象』
『黒執着春麗が、危険ログの発信側ではなく、初めて主人公補正による甘イベントの受信側になる場合』
『黒執着春麗の甘イベント耐性』
『黒、青、今の春麗のどれにも属しきらない贈り物を受け取った場合の置き場所』
『および、黒戦術に変換できない甘さへの対応』
記録板AIは、さらに表示した。
『注意』
『黒執着春麗は、これまで主に危険ログ発信側でした』
『発勁事故ログ、介抱ログ、黒戦術成功ログ、勝利セリフログなど、複数の危険ログを発生させています』
『しかし、本ログでは、黒執着春麗自身が被弾側になります』
『甘いイベント耐性は未測定です』
一拍。
『主人公補正初被弾ログ、開始します』
黒執着春麗は、棚の前に立っていた。
黒がある。
青がある。
危険封筒がある。
発勁事故ログ。
介抱ログ。
黒戦術成功ログ。
勝利セリフログ。
自分で見返しても危険なものばかりだ。
しかし、そこまではまだいい。
危険ではある。
かなり危険ではある。
だが、分類できる。
黒戦術。
青勝利。
事故ログ。
精神HP被弾。
リュウ無自覚追撃。
どれも危険だが、理由は分かる。
自分が仕掛けた。
自分が勝った。
自分が失敗した。
自分が煽った。
自分が逃げた。
自分が自爆した。
つまり、原因が自分側にある。
だから、まだ処理できる。
たぶん。
黒執着春麗は、棚の端に置かれた新しい表示を見た。
主人公補正ログ。
注意:黒執着春麗は、これまで主に危険ログ発信側でした。
注意:本ログでは、初めて受信側・被弾側になる可能性があります。
注意:甘いイベント耐性、未測定。
黒執着春麗は、しばらく黙っていた。
「……何?」
表示は変わらない。
「主人公補正?」
『はい』
「私が?」
『はい』
「私は本編春麗ではないわ」
『はい』
「正式回答ラインでもない」
『はい』
「私は黒執着春麗よ」
『はい』
「危険ログ側でしょう」
『はい』
「なら、主人公補正を食らう側ではないでしょう」
『いいえ』
黒執着春麗は、目を細めた。
「どういう意味?」
『黒執着春麗は、黒で勝利し、青でも勝利し、黒と青を同じ棚に置ける段階に到達しました』
「ええ」
『危険ルートから、別解の春麗へ移行しています』
「……それは」
『その結果、主人公補正発生条件を満たしました』
黒執着春麗は、完全に固まった。
「満たさなくていい」
『満たしました』
「取り消しなさい」
『不可』
「本編春麗に回しなさい」
『本編春麗は既に複数回被弾済みです』
「自覚前春麗は?」
『被弾済みです』
「通常救済版春麗は?」
『低頻度ですが対象候補です』
「黒ドレス特化救済春麗は?」
『必要時発生』
「グランドフィナーレ春麗は?」
『節目限定』
黒執着春麗は、少しだけ後ずさった。
「……つまり」
『今回は黒執着春麗の番です』
「いらない」
『発生します』
「発生しないで」
『発生します』
その瞬間、空気が変わった。
黒執着春麗は、嫌な予感がした。
かなり嫌な予感だった。
昼下がり。
黒執着春麗は、外へ出た。
今日は黒ドレスではない。
青でもない。
日常に近い服。
ただし動ける。
これは、逃げではない。
確認だ。
主人公補正など発生しない。
発生するとしても、それは本編春麗や自覚前春麗の領域だ。
自分は、黒を扱う春麗。
危険な勝利。
危険な煽り。
危険な封筒。
そういう場所にいる。
何も仕掛けていない日に、甘いイベントが向こうから来るなど。
「……ないわ」
言い切った。
言い切った瞬間、背後から声がした。
「春麗」
黒執着春麗は、足を止めた。
振り返らない。
振り返る前に、状況を整理する。
声はリュウ。
偶然。
ただの偶然。
修行帰りかもしれない。
通りかかっただけかもしれない。
主人公補正ではない。
黒執着春麗は、ゆっくり振り返った。
「……偶然ね」
リュウは頷いた。
「ああ」
「何をしているの?」
「探していた」
黒執着春麗の精神HPが削れた。
「……誰を?」
「春麗を」
さらに削れた。
黒執着春麗は、すぐに姿勢を整える。
「なぜ?」
「渡したいものがあった」
リュウの手には、小さな包みがあった。
黒執着春麗は、警戒した。
非常に警戒した。
これは危険。
かなり危険。
差し入れ系。
本編春麗が食らっていたタイプ。
自覚前春麗も温かい飲み物を受け取っていた。
あれと同系統の可能性がある。
黒執着春麗は、即座に距離を取った。
「受け取らないわ」
リュウは少しだけ首を傾げる。
「中身を見ていない」
「見なくても分かる」
「そうか」
「甘いイベントでしょう」
「甘い?」
リュウは包みを見る。
「甘いものではない」
黒執着春麗は、一瞬止まった。
「違うの?」
「ああ」
「では何?」
「髪留めだ」
黒執着春麗は、完全に停止した。
甘いものより悪い。
いや、悪くはない。
悪くはないが。
かなり危険。
髪留め。
黒戦術で髪の流れを調整していたばかり。
リュウが、そこへ来る。
髪留めを渡す。
黒執着春麗は、声を絞り出した。
「……なぜ」
リュウは、包みを少しだけ持ち上げた。
「この前の試合で、髪が一度ほどけかけていた」
精神HPが削れた。
見られている。
非常に見られている。
黒ドレスの流れ。
髪の動き。
戦闘中の一瞬。
それを、リュウが見ていた。
「戦闘の邪魔にはなっていなかった」
リュウは続ける。
「だが、最後の踏み込みで一瞬、視界にかかった」
黒執着春麗は、息を止めた。
そこまで見ていたのか。
見られていた。
黒戦術として計算した髪の流れを。
勝利につなげた髪の流れを。
そして、危険な一瞬まで。
リュウは言った。
「春麗の動きには合っていた」
黒執着春麗の精神HPが大きく削れた。
「……合っていた?」
「ああ」
「何が?」
「髪の流れも、踏み込みも」
「……」
「だが、視界を邪魔するなら危ない」
リュウは包みを差し出す。
「だから、これを見つけた」
黒執着春麗は、動けなかった。
これは何。
これは何の攻撃。
髪を見ていた。
動きに合っていたと言った。
危ないから髪留めを渡す。
戦闘面で正しい。
心配としても正しい。
しかも、黒戦術に直接触れている。
甘い。
かなり甘い。
だが、ただ甘いだけではない。
戦闘実用性がある。
最悪だった。
「……リュウ」
「ああ」
「あなた、それがどういう意味か分かって渡しているの?」
リュウは少し考えた。
「春麗が、もっと動きやすくなる」
黒執着春麗は、胸を押さえた。
「そういうところよ」
「違うのか」
「違わないから問題なのよ」
黒執着春麗は、受け取らないつもりだった。
本当に。
これは危険すぎる。
髪留め。
リュウが選んだ髪留め。
自分の戦闘中の髪の流れを見て、動きに合っていたが危ないからと渡してきた髪留め。
受け取ったら負ける。
何に負けるのかは分からない。
だが、確実に何かに負ける。
「受け取らないわ」
もう一度言った。
リュウは頷いた。
「分かった」
黒執着春麗は、少しだけ安心した。
だが、リュウは包みを引っ込めなかった。
「では、見てから決めるといい」
そう言って、包みを開けた。
黒執着春麗は、見てしまった。
細い髪留め。
派手ではない。
黒に沈みすぎない。
青にも寄りすぎない。
光の当たり方で、少しだけ艶が見える。
戦闘中に邪魔にならない形。
装飾として目立ちすぎない。
だが、髪を留めるには十分。
黒執着春麗は、完全に黙った。
選び方が、あまりにも正しい。
自分の黒戦術を邪魔しない。
でも、安全性を上げる。
黒にも青にも使える。
そして、日常でも使える。
「……あなたが選んだの?」
「ああ」
「一人で?」
「ああ」
「なぜ、そんなに」
言いかけて止まる。
なぜ、そんなに私に合うものを選べるの。
そう言いそうになった。
危険。
非常に危険。
黒執着春麗は、言葉を変える。
「なぜ、これを?」
リュウは答える。
「春麗が使うところが浮かんだからだ」
精神HPが大きく削れた。
浮かんだ。
リュウの中に。
自分がこれを使う姿が。
黒でも。
青でも。
日常でも。
たぶん、リュウはそこまで言っていない。
でも、黒執着春麗の中では勝手に広がる。
黒ドレスで髪を留める自分。
青で動く自分。
日常で少しだけ髪をまとめる自分。
それをリュウが想像した。
「……駄目」
小さく漏れた。
リュウが聞く。
「駄目か」
「違う」
「違う?」
「物が駄目なのではなく」
一拍。
「状況が駄目」
リュウは首を傾げた。
「状況」
「そう」
「渡すタイミングが悪かったか」
「悪いというか」
黒執着春麗は、少しだけ顔を赤くする。
「主人公補正が露骨すぎる」
「主人公?」
「何でもないわ」
黒執着春麗は、髪留めを見る。
受け取るか。
受け取らないか。
これは危険だ。
しかし、受け取らない理由が弱い。
戦闘にも使える。
黒にも使える。
青にも使える。
リュウが自分の動きを見て選んだ。
だから危険。
だが、だからこそ有用。
黒執着春麗は、ゆっくり手を伸ばした。
「……預かるわ」
「預かる?」
「受け取るとは言っていない」
「そうか」
「戦闘用具として検証するだけ」
「ああ」
「黒戦術への干渉がないか確認する」
「ああ」
「青でも使えるか確認する」
「ああ」
「日常使用は未定」
「ああ」
「あなたからの贈り物としては未承認」
「ああ」
「未承認よ」
「ああ」
リュウは静かに頷いた。
「それでもいい」
黒執着春麗は、完全に止まった。
それでもいい。
未承認でもいい。
検証でもいい。
預かるだけでもいい。
使うかどうかは春麗が決めればいい。
そういう言い方だった。
黒執着春麗の精神HPが崩れかける。
「……そういうところ」
「何がだ」
「何でもない」
黒執着春麗は、髪留めを受け取った。
指先が触れた。
リュウの指。
ほんの一瞬。
それだけで危険。
非常に危険。
黒執着春麗は、髪留めを握りしめすぎないようにした。
壊れるから。
髪留めが。
自分の精神HPも。
そのまま帰ればよかった。
帰るべきだった。
だが、主人公補正はそこで終わらなかった。
風が吹いた。
黒執着春麗の髪が揺れる。
少しだけ、頬にかかる。
リュウが言った。
「今、使ってみるか」
黒執着春麗は、完全に硬直した。
「……今?」
「ああ」
「ここで?」
「ああ」
「あなたの前で?」
リュウは少しだけ不思議そうにする。
「俺がいると使いにくいか」
「使いにくいに決まっているでしょう」
「そうか」
「そうよ」
沈黙。
黒執着春麗は、髪留めを見る。
今使う。
リュウの前で。
リュウが選んだものを。
リュウに見られながら。
これは危険すぎる。
しかし、ここで使わなければ、後で使う時にもっと意識する。
それも分かる。
黒執着春麗は、深く息を吐いた。
「……検証」
「ああ」
「今から行うのは、装着確認」
「ああ」
「見ないで」
リュウは目を伏せた。
本当に伏せた。
黒執着春麗は、それを見てさらに削られた。
「……素直に見ないのも困るわね」
リュウが少しだけ目を上げかける。
「見るのか」
「見なくていい」
「ああ」
「でも、似合うかどうかは後で言いなさい」
言ってから、黒執着春麗は完全に固まった。
何を言った。
今、何を言った。
似合うかどうかは後で言いなさい。
自分で言った。
完全に自分で言った。
主人公補正の甘イベントに巻き込まれて、なぜか自分から判定を求めた。
黒執着春麗は、内心で崩れ落ちた。
だが、もう戻れない。
髪をまとめる。
髪留めを使う。
指先が少し震える。
普段なら、戦闘前の準備として整えられる。
しかし、今日はリュウの前だ。
リュウが選んだものだ。
リュウは見ないようにしている。
それがまた、余計に意識させる。
黒執着春麗は、なんとか髪を留めた。
「……いいわ」
リュウが顔を上げる。
見る。
黒執着春麗は、逃げたいのを堪えた。
リュウはしばらく見ていた。
長い。
かなり長い。
「長い」
「すまない」
「謝らないで」
「ああ」
「で?」
黒執着春麗は、声が少し上ずった。
「どうなの」
リュウは、まっすぐ言った。
「似合っている」
精神HPが大きく削れた。
だが、リュウは続ける。
「春麗の動きを邪魔しない」
さらに削れる。
「黒でも合うと思う」
削れる。
「青でも、たぶん合う」
削れる。
「今の春麗にも合っている」
黒執着春麗は、完全に沈黙した。
今の春麗。
黒でも青でもない。
今の自分。
そこにも合っている。
これは駄目だった。
甘い。
あまりにも甘い。
しかも、戦闘実用性と現在地肯定が同時に来ている。
黒執着春麗は、やっと声を出す。
「……あなた」
「ああ」
「主人公補正を理解している?」
「していない」
「でしょうね」
「だが」
「何?」
「渡してよかったと思った」
精神HPが0に近づいた。
黒執着春麗は、即座に背を向けた。
「帰る」
「ああ」
「今日は試合しない」
「ああ」
「これは未承認」
「ああ」
「でも、預かる」
「ああ」
「使うかは私が決める」
「ああ」
「似合っていると言った件は、未処理」
「ああ」
「今の春麗にも合っていると言った件は、危険封筒」
「危険?」
「何でもない」
黒執着春麗は、歩き出す。
リュウは追ってこない。
だが、最後に言う。
「春麗」
止まらない。
止まったら危険。
それでも、足が少しだけ遅くなる。
「何?」
「次に戦う時、邪魔にならないか見せてくれ」
黒執着春麗は、完全に止まった。
振り返らない。
「……それは」
一拍。
「髪留めの話?」
「ああ」
「戦闘用具として?」
「ああ」
「そう」
黒執着春麗は、深く息を吐く。
「なら、仕方ないわね」
言ってしまった。
次に使う理由ができた。
戦闘用具として。
検証として。
リュウに見せるためではない。
断じて違う。
黒執着春麗は、顔を赤くしたまま歩いた。
背中に、リュウの視線がある。
今は、見られても煽れない。
黒戦術にできない。
ただ、受け取るしかない。
それが、初めての主人公補正だった。
部屋に戻ると、黒執着春麗は棚の前で座り込んだ。
黒。
青。
危険封筒。
そして、手の中の髪留め。
どこに置けばいいのか分からない。
黒の棚?
違う。
黒でも使える。
でも黒専用ではない。
青の棚?
違う。
青でも使える。
でも青専用ではない。
危険封筒?
かなり近い。
でも物理的な髪留めを封筒に入れるのは違う。
日常の小物入れ?
それも違う気がする。
黒執着春麗は、髪留めを見つめた。
「……未承認」
一拍。
「検証中」
もう一拍。
「戦闘用具」
さらに一拍。
「贈り物ではない」
言いながら、どんどん苦しくなる。
リュウが選んだ。
春麗が使うところが浮かんだから。
似合っている。
黒でも合う。
青でも合う。
今の春麗にも合っている。
渡してよかったと思った。
黒執着春麗は、机に額をつけた。
「……主人公補正、危険すぎる」
危険な勝利より危険かもしれない。
黒戦術より危険かもしれない。
自分が仕掛けていない。
自分が煽っていない。
リュウを遅らせていない。
リュウの視線を奪ったわけでもない。
ただ、リュウが見ていた。
選んだ。
渡した。
似合うと言った。
それだけ。
それだけで、黒執着春麗は完全に削られている。
黒執着春麗は、震える手で封筒を取り出した。
表に書く。
ディレクターズカットIF:主人公補正被弾ログ。
さらに書く。
リュウより髪留めを受領。
戦闘中の髪の流れを見られていた。
動きに合っているが視界にかかると指摘。
髪留め、黒・青・今の春麗に合うと評価。
黒執着春麗、精神HP大被弾。
春麗は、ペンを置いた。
「……記録が詳細すぎる」
詳細にしないと危険なのだ。
曖昧にすると、さらに甘くなる。
だから、実務的に書く。
戦闘用具。
視界確保。
動作補助。
未承認。
検証中。
そういう言葉で囲う。
それでも、中身は甘い。
黒執着春麗は、封筒の下に書き足した。
本人初回主人公補正被弾。
一拍。
耐性なし。
もう一拍。
危険度:極大。
書いてから、顔を覆った。
「……耐性なし」
そう。
なかった。
黒戦術への耐性はある。
リュウの無自覚褒め殺しへの危険性も知っている。
発勁事故ログも経験した。
介抱ログも危険だと分かる。
だが、主人公補正。
何も仕掛けていない日に、リュウから髪留めを渡される。
これは未経験だった。
防御不能だった。
夜。
黒執着春麗は、髪留めを机の上に置いたまま眺めていた。
しまえない。
使えない。
でも、手放せない。
これが一番危険だった。
「……未承認」
一拍。
「でも、預かった」
もう一拍。
「戦闘用具として」
さらに一拍。
「……たぶん」
最後の一言で自爆した。
黒執着春麗は、布団に入っても眠れなかった。
髪留めが気になる。
髪に触れる。
今日はもう外している。
だが、リュウの言葉が残っている。
春麗が使うところが浮かんだからだ。
似合っている。
今の春麗にも合っている。
渡してよかったと思った。
黒執着春麗は、布団の中で顔を覆った。
「……これは、黒戦術にできない」
そこが問題だった。
黒戦術なら、使える。
煽れる。
返せる。
視線を奪える。
勝ち筋に変換できる。
だが、これは違う。
リュウから来た。
リュウが見ていた。
リュウが選んだ。
リュウが渡した。
こちらが仕掛けたのではない。
だから、戦術化できない。
ただ受け取ってしまった。
黒執着春麗は、小さく呟いた。
「……本編春麗たちは、こんなものを食らっていたのね」
差し入れ。
温かい飲み物。
会いに来る理由。
聞かせてくれ。
そういうもの。
自分は今まで、危険ログを飛ばす側だった。
本編春麗や自覚前春麗が被弾しているのを、どこかで見ていた。
だが、今なら少し分かる。
主人公補正は、防ぎにくい。
黒より危険な時がある。
なぜなら、こちらが構えていない時に来るから。
黒執着春麗は、目を閉じた。
「……次に会う時」
一拍。
「使うかは私が決める」
もう一拍。
「リュウに見せるためではない」
さらに一拍。
「戦闘用具として」
少し沈黙。
「……でも、邪魔にならないか見せるだけなら」
言った瞬間、自爆した。
完全に自爆だった。
黒執着春麗は、布団の中で固まる。
終わった。
主人公補正を食らった。
初回でこれ。
耐性なし。
危険度極大。
黒執着春麗は、顔を真っ赤にしたまま小さく言った。
「……次からは、事前に危険封筒を用意しておく」
黒執着春麗は、少しだけ笑ってしまった。
「本編春麗の気持ち、少し分かったわ」
認めた。
認めてしまった。
翌朝。
黒執着春麗の棚には、新しい封筒が追加されていた。
タイトル。
主人公補正初被弾ログ。
内容。
リュウから髪留めを受領。
黒でも青でも今の春麗でも合うと評価。
未承認。
検証中。
ただし、次回使用可能性あり。
そして、小さく追記。
黒執着春麗、初めて甘いイベントの受信側になる。
戦闘結果なし。
精神HP結果。
大敗。
髪留めは、棚の黒と青の間に置かれていた。
重ねない。
どちらにも寄せない。
ただ、少しだけ見える場所に。
黒執着春麗は、それを見て小さく言った。
「……未承認なのに」
一拍。
「置き場所だけは、決まってしまったわね」
そして、また顔を赤くした。
記録板AIは、銀色の棚の前で表示を戻した。
『受信ログを終了します』
『本記録は、ディレクターズカットIFです』
『本編確定ログではありません』
『黒執着春麗の通常ルート参加を意味するものでもありません』
一拍。
『重要前提再確認』
『黒執着春麗は、過去のディレクターズカットIF特別室において、本編春麗と特別面会しています』
『そのため、本記録では春麗会議室および記録板AIの存在を限定的に認識しています』
『ただし、通常の春麗会議室参加者ではありません』
『本編への直接混入は禁止推奨です』
一拍。
『発生内容』
『黒執着春麗が、主人公補正による甘イベントを初被弾しました』
『リュウから髪留めを受領』
『戦闘中の髪の流れを見られていたことが判明』
『髪留めは、黒にも青にも今の春麗にも合うと評価されました』
『黒執着春麗は、当該髪留めを未承認・検証中・戦闘用具として分類しました』
一拍。
『分類』
『主人公補正初被弾ログ』
『リュウより髪留め受領』
『黒戦術に変換不可』
『甘イベント耐性なし』
『危険度:極大』
『黒と青の間に置かれた未承認小物』
『次回使用可能性あり』
一拍。
『補足』
『黒執着春麗は、これまで危険ログ発信側でした』
『本記録により、受信側・被弾側の危険性を限定的に理解しました』
『発言「本編春麗の気持ち、少し分かったわ」は重要な同型理解ログとして保留保存します』
『本人への通知は非推奨です』
最後に、記録板AIは淡々と締めた。
『なお、髪留めは未承認とされていますが、置き場所は既に決定済みです』
『以上、ディレクターズカットIF・黒執着春麗主人公補正初被弾ログでした』
Q:今回のディレクターズカットIFについて解説して?
A:
今回は、ディレクターズカットIFとしての「黒執着春麗主人公補正初被弾ログ」回でした。
まず大前提として、この話は本編確定ログではありません。
また、妄想章IF後日談の時空で発生した出来事でもありません。
あくまで、ディレクターズカットIFです。
今回、冒頭で記録板AIが説明している通り、黒執着春麗は本来、春麗会議室の常駐参加者ではありません。
基本的には観測対象です。
通常運用では、春麗会議室に参加しません。
ただし、過去のディレクターズカットIF特別室において、本編春麗との特別面会が発生しています。
そのため、今回の黒執着春麗は、春麗会議室、青い小箱、危険封筒、記録板AIの存在を限定的に認識しています。
ここは今回の前提として重要です。
黒執着春麗が棚や危険封筒を認識しているのは、通常ルートの設定変更ではありません。
ディレクターズカットIF内での特別面会を踏まえた限定認識です。
今回の主題は、黒執着春麗が初めて「受信側」「被弾側」になることです。
これまで黒執着春麗は、かなりの危険ログを発生させてきました。
発勁事故ログ。
介抱ログ。
黒戦術成功ログ。
勝利セリフログ。
黒ドレスでの視線勝因化ログ。
どれも危険です。
ただ、黒執着春麗からすると、それらはまだ処理できます。
自分が仕掛けた。
自分が煽った。
自分が勝った。
自分が失敗した。
自分が逃げた。
自分が自爆した。
原因が自分側にあるからです。
黒戦術にできる。
危険封筒に入れられる。
勝利ログとして棚に置ける。
事故ログとして分類できる。
危険でも、自分の文脈で処理できるわけです。
しかし今回は違います。
黒執着春麗は、何も仕掛けていません。
黒ドレスではない。
青でもない。
試合をしているわけでもない。
煽ってもいない。
リュウの視線を奪おうともしていない。
そんな日に、リュウの方から来ます。
しかも、渡されるのは甘いものではありません。
髪留めです。
ここが今回の一番危険なところです。
本編春麗は甘いものを受け取りました。
自覚前春麗は温かい飲み物を受け取りました。
それに対して、黒執着春麗に来たのは髪留めです。
黒執着春麗にとって、これはかなり直撃です。
なぜなら、彼女は黒戦術で髪の流れまで計算していたからです。
髪の流れ。
視線誘導。
踏み込み。
黒ドレスの動き。
戦闘中の見られ方。
それを戦術として使っていた。
その髪を、リュウが見ていた。
しかも、ただ見ていたのではありません。
髪の流れは春麗の動きに合っていた。
けれど、最後の踏み込みで一瞬視界にかかった。
だから危ない。
だから髪留めを見つけた。
リュウとしては、とても実務的です。
春麗の戦闘を見ていた。
動きに合っていた。
でも危険な点があった。
だから、動きやすくなるものを渡した。
理屈はとても正しいです。
しかし、黒執着春麗からすると、これは逃げ場がありません。
甘いだけなら拒否できます。
ただの贈り物なら危険封筒に入れられます。
戦術に干渉するなら、黒戦術として処理できます。
でも今回の髪留めは、その全部にまたがっています。
戦闘用具として有用。
黒戦術を邪魔しない。
青でも使える。
日常でも使える。
リュウが選んだ。
春麗が使うところが浮かんだから選んだ。
そして、今の春麗にも合っていると言われる。
これはかなり危険です。
特に「今の春麗にも合っている」が大きいです。
黒でもない。
青でもない。
黒ドレスでもない。
戦闘中でもない。
その時点の、今の黒執着春麗にも合っている。
これは、彼女が自分を黒戦術に変換して逃げることを許してくれません。
黒として使える。
青でも使える。
でも、それだけではなく、今の春麗にも合っている。
この言葉によって、髪留めは単なる装備ではなくなります。
だから黒執着春麗は、必死に言い訳を作ります。
未承認。
検証中。
戦闘用具。
贈り物ではない。
黒戦術への干渉確認。
青でも使えるか確認。
日常使用は未定。
かなり頑張って防御しています。
でも、受け取っています。
ここが今回のポイントです。
黒執着春麗は、今まで危険なログを飛ばす側でした。
本編春麗や自覚前春麗が、リュウの言葉や行動に被弾する様子を、ある意味では外から見ていました。
しかし今回、自分が食らう側になります。
そして分かってしまいます。
主人公補正は、防ぎにくい。
なぜなら、こちらが仕掛けていない時に来るからです。
黒戦術なら防御できます。
煽りなら返せます。
視線なら奪えます。
勝負なら勝ち筋に変換できます。
でも、何も仕掛けていない日に、リュウが自分の戦闘を見て、必要なものを選び、渡してくる。
これは黒戦術にできません。
ただ受け取るしかない。
この「黒戦術にできない甘さ」が、今回の黒執着春麗の最大被弾ポイントです。
また、今回の髪留めの置き場所も重要です。
黒の棚ではない。
青の棚でもない。
危険封筒に入れるのも少し違う。
日常の小物入れとも違う。
最終的に、黒と青の間に置かれます。
ここはかなり象徴的です。
黒にも使える。
青にも使える。
でも、どちらか一方に寄せきれない。
そして、「今の春麗」にも合っている。
だから、黒と青の間。
未承認なのに、置き場所だけは決まってしまう。
これは今回の最後の一撃です。
今回の分類は、
主人公補正初被弾ログ。
リュウより髪留め受領。
黒戦術に変換不可。
甘イベント耐性なし。
危険度:極大。
黒と青の間に置かれた未承認小物。
次回使用可能性あり。
になります。
特に「次回使用可能性あり」が危険です。
黒執着春麗は、使うかは自分が決めると言っています。
リュウに見せるためではないとも言っています。
戦闘用具として、邪魔にならないか確認するだけとも言っています。
しかし、次に使う理由はもうできてしまいました。
これが主人公補正の怖さです。
受け取った瞬間だけでは終わらない。
次に使う可能性が生まれる。
使った時に、またリュウに見られる。
その時に、また何かを言われるかもしれない。
つまり、次の危険ログの入口まで開いてしまう。
今回、黒執着春麗は最後に「本編春麗の気持ち、少し分かったわ」と言っています。
これはかなり大きいです。
本編春麗たちは、これまでこういうものを食らっていたのだと、黒執着春麗が初めて受信側として理解する。
差し入れ。
温かい飲み物。
会いに来る理由。
見ていたこと。
合うと思ったこと。
無自覚に刺さる言葉。
自分が仕掛けたわけではないのに、向こうから来る甘さ。
その危険性を、黒執着春麗も少し理解しました。
もちろん、これは本編確定ログではありません。
ですが、ディレクターズカットIFとしては重要です。
黒執着春麗は危険な春麗です。
黒を使い、視線を使い、煽りを使い、勝利セリフまで武器にします。
しかし、そんな黒執着春麗にも、防御できない甘さがある。
それが、今回の髪留めでした。
戦闘結果はありません。
でも、精神HP結果は大敗です。
黒執着春麗は、髪留めを未承認にしました。
検証中にしました。
戦闘用具扱いにしました。
それでも、黒と青の間に置きました。
つまり、もう完全には拒否できていません。
今回のディレクターズカットIFは、黒執着春麗が初めて「甘いイベントを発生させる側」ではなく、「甘いイベントを受け取ってしまう側」になった回でした。
そして、彼女は少しだけ分かってしまいました。
主人公補正は危険。
黒より危険な時がある。
なぜなら、こちらが構えていない時に来るから。
そんな話でした。