また戦ってくれ――リュウと春麗、紙一重のライバル譚――   作:エーアイ

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※この章は、本編時空とは異なります。
本編で積み重ねられた黒ドレス戦、青い武道服戦、相打ちの朝とは別に、もし春麗が青い武道服でも黒ドレスでも、リュウに十度、紙一重で敗れ続けていたら、という仮定の断章です。


妄想章IF:春麗は、十度届いて十度届かない

 夜明け前の修行場に、まだ朝は来ていなかった。

 

 風だけが、土の上を低く抜けていく。

 

 観客はいない。

 歓声もない。

 誰かの視線もない。

 

 黒いドレスの裾は、土で汚れていた。

 肩は痛い。

 手首は痺れている。

 呼吸はまだ整わない。

 

 春麗は、片膝をついていた。

 

 その前に、リュウが立っている。

 

 リュウも余裕があるわけではない。

 息は荒い。

 拳は震えている。

 肩にも、腹にも、春麗の攻撃の跡が残っているはずだった。

 

 それでも、立っているのはリュウだった。

 

 春麗は、土についた膝に力を込める。

 

 立ち上がろうとして、すぐには立てなかった。

 

 悔しい。

 

 その言葉よりも先に、胸の奥から熱がこみ上げる。

 

 また、届かなかった。

 

 また、最後に立てなかった。

 

 また、見上げる側になった。

 

 十度目だった。

 

 青い武道服でも。

 黒いドレスでも。

 春麗は、リュウに十度負けた。

 

 ただし、どれも遠い敗北ではなかった。

 

 圧倒されたわけではない。

 手も足も出なかったわけではない。

 勝ち筋が見えなかったわけでもない。

 

 むしろ、見えていた。

 

 リュウの呼吸を乱した。

 拳を止めかけた。

 踏み込みを読んだ。

 肩を崩した。

 膝を沈ませた。

 あと一撃で、勝負を止められるところまで行った。

 

 それなのに、最後に立っているのはリュウだった。

 

 春麗は奥歯を噛む。

 

 「……ぎりぎりだったじゃない」

 

 声は小さかった。

 

 負け惜しみだと、自分でもわかっている。

 

 それでも、言わずにはいられなかった。

 

 「あと少しだったわ。ほんの少し。あなたが勝ったというより、私が最後の一歩を取り損ねただけよ」

 

 リュウは何も言わなかった。

 

 その沈黙が、余計に悔しい。

 

 言い返してくれればよかった。

 勝者らしく何か言えば、怒れた。

 悔しさを、素直に相手へ向けられた。

 

 けれどリュウは、ただこちらを見ている。

 

 春麗を見下してはいない。

 勝ち誇ってもいない。

 ただ、まだ戦いの中にいる目で、春麗を見ていた。

 

 それが一番悔しかった。

 

 春麗は唇を噛みそうになり、こらえる。

 

 遠かったわけじゃない。

 

 届いていた。

 

 でも、最後の一瞬だけ足りなかった。

 

 その一瞬が、十度も続いた。

 

 春麗は目を閉じる。

 

 浮かんだのは、青い武道服の自分だった。

 

 朝の修行場。

 明るい光。

 青い袖。

 白い帯。

 軽い足運び。

 

 青い武道服の春麗は、原点だった。

 

 速度。

 蹴り。

 踏み込み。

 戻り。

 格闘家としての純粋な技術。

 

 その姿で、春麗は何度もリュウに挑んだ。

 

 リュウを追い詰めた。

 

 掌底は入った。

 蹴りも届いた。

 リュウの肩を揺らし、胸を打ち、片膝寸前まで追い込んだ。

 

 何度も。

 

 何度も。

 

 けれど、最後の最後でリュウは踏みとどまった。

 

 春麗の蹴りの戻りを読む。

 逃げる先へ入る。

 腕を取る。

 拳を置く。

 

 青い武道服の春麗は、真正面から届いた。

 

 格闘家として届いた。

 

 でも、真正面から最後の一瞬を取られた。

 

 それは、春麗の誇りに刺さった。

 

 黒いドレスではない。

 

 視線を揺らすためでもない。

 リュウに女としての自分を突きつけるためでもない。

 

 青い武道服の自分は、春麗の原点だ。

 

 その原点で、リュウに最後を取られた。

 

 春麗は、拳を握った。

 

 今度は、黒いドレスの記憶が浮かぶ。

 

 夜明け前。

 無人の修行場。

 黒いドレス。

 リュウの視線。

 近い距離。

 呼吸の揺れ。

 

 黒ドレスは、春麗にとって特別だった。

 

 リュウ限定の姿。

 

 リュウの視線を試す姿。

 女としての自分も戦場に置く姿。

 リュウにだけ見せる姿。

 

 その黒いドレスでも、負けた。

 

 リュウは揺れる。

 

 確かに揺れる。

 

 黒いドレスの春麗を見た時、リュウの呼吸は一拍変わる。

 視線に熱が入る。

 女としての春麗を見ていることを、隠しきれない。

 

 でも、逃げない。

 

 目を逸らさない。

 

 春麗を女としても、格闘家としても見てくる。

 視線を逸らさず、捕まえに来る。

 春麗が誘っても、その先まで読んでくる。

 

 黒ドレスの春麗は、リュウを揺らした。

 

 でも、揺らしたうえで捕まえられた。

 

 見られて、読まれて、捕まえられて、負けた。

 

 それは青い武道服の敗北とは違う痛みだった。

 

 青い武道服での敗北は、格闘家としての誇りに刺さる。

 

 黒ドレスでの敗北は、もっと深いところに刺さる。

 

 リュウにだけ向けた自分。

 リュウにだけ見せる自分。

 リュウの視線を試すための自分。

 

 その自分を、リュウは最後に上回った。

 

 春麗はゆっくりと顔を上げる。

 

 リュウはまだ立っている。

 

 春麗は、まだ片膝をついている。

 

 青い私でも。

 黒い私でも。

 十度、最後に立てなかった。

 

 その事実が、胸を締めつける。

 

 原点でも負けた。

 

 特別な姿でも負けた。

 

 格闘家としても最後を取られた。

 女としての自分も使っても、最後には上回られた。

 

 春麗の自尊心に、鋭く刺さる。

 

 けれど、折れはしなかった。

 

 折れるわけがない。

 

 春麗は、こんなことで折れる女ではない。

 

 むしろ、リュウをさらに特別視している自分に気づいていた。

 

 十度負けた。

 

 悔しい。

 

 屈辱的だった。

 

 勝者として煽れない。

 リュウを見下ろせない。

 最後に立つ自分でいられない。

 

 なのに。

 

 満たされている。

 

 そのことに、春麗は苛立った。

 

 何を満たされているの、私は。

 

 負けたのよ。

 

 十度も。

 

 それなのに、どうして次を待っているの。

 

 胸の奥で、答えは出ていた。

 

 リュウが、春麗の望んでいた場所まで来ているからだ。

 

 青い武道服の春麗にも届いた。

 黒ドレスの春麗にも届いた。

 春麗を本気で焦らせた。

 春麗の余裕を壊した。

 春麗の勝者の顔を剥がした。

 

 春麗が求めていたもの。

 

 リュウに危うくされること。

 

 それは、叶っている。

 

 ただし、最後に自分が勝てていない。

 

 だから、満たされる。

 

 だから、苛立つ。

 

 だから、悔しい。

 

 春麗は、ようやく立ち上がった。

 

 膝が少し震える。

 

 黒いドレスの裾についた土が、足元で揺れた。

 

 リュウが静かに言った。

 

 「また戦ってくれ」

 

 春麗は、その言葉に息を止めかけた。

 

 優しい言葉のように聞こえる。

 

 だが、春麗には刺さった。

 

 また戦ってくれ。

 

 それは、勝者としての余裕ではない。

 リュウらしい、静かな言葉だ。

 

 けれど実質的には、こう言われているのと同じだった。

 

 次は、お前が俺に挑んでこい。

 

 春麗は、勝者として待つ側ではない。

 

 挑む側に置かれている。

 

 その言い方が、一番悔しいのよ。

 

 春麗は、そう思った。

 

 もしリュウが得意げに笑っていたなら、怒れた。

 

 十度も勝ったと誇れば、言い返せた。

 

 でもリュウは違う。

 

 リュウは春麗を見下さない。

 

 ただ、次も戦うことを求める。

 

 それが、春麗の悔しさを深くする。

 

 春麗は、無理に笑った。

 

 勝者の笑みではない。

 

 だが、敗者の顔でもない。

 

 「十回勝ったくらいで、私を捕まえたつもり?」

 

 声は乱れていた。

 

 それでも、言葉は鋭く出た。

 

 「次は、あなたがその顔をする番よ、リュウ」

 

 リュウは静かに頷いた。

 

 その落ち着きが、さらに悔しい。

 

 春麗は背を向けた。

 

 これ以上、見上げる側にいたくなかった。

 

 修行場を離れる足取りは、いつもより重い。

 

 肩は痛い。

 手首は痺れている。

 黒いドレスは汚れている。

 

 けれど、春麗の中で、何かが燃えていた。

 

 勝ちたい。

 

 その言葉は単純だった。

 

 だが、今の春麗にとって、それは単に一勝を取り返すという意味ではなかった。

 

 青い武道服の自分。

 黒ドレスの自分。

 

 その両方で、リュウに奪われたものを取り返したい。

 

 最後に立つこと。

 

 見下ろすこと。

 

 煽ること。

 

 勝者としての春麗。

 

 十度、リュウはそれを奪った。

 

 十度、春麗を見上げる側にした。

 

 十度、春麗の余裕を剥がした。

 

 だから、次は取り返す。

 

 春麗は山道の途中で足を止めた。

 

 夜明け前の空が、少しずつ白み始めている。

 

 青い武道服で取り返すのか。

 

 黒いドレスで取り返すのか。

 

 その答えは、まだ決めなかった。

 

 青でも黒でも、自分はリュウに勝たなければならない。

 

 青い武道服の春麗として、真正面から最後の一瞬を取り返すのか。

 

 黒ドレスの春麗として、リュウの視線ごともう一度崩すのか。

 

 どちらでもいい。

 

 どちらの自分でも、次は最後に立つ。

 

 春麗は、胸の奥に残る悔しさを押し込める。

 

 押し込めたはずなのに、そこには熱もあった。

 

 リュウがここまで来たことを、嬉しいと思ってしまった。

 

 そのことが、また悔しい。

 

 負けたくなかった。

 

 でも、リュウがここまで来たことを、嬉しいと思ってしまった。

 

 春麗は自分の心に、少しだけ腹を立てた。

 

 それでも、もう否定はしなかった。

 

 リュウは特別だ。

 

 自分を勝者にも敗者にもしてしまう相手。

 

 青い武道服の自分にも、黒ドレスの自分にも届いてくる相手。

 

 十度負けても、次を望ませてしまう相手。

 

 だからこそ、勝つ。

 

 春麗は振り返らなかった。

 

 リュウはもう見えない。

 

 けれど、背中にまだ彼の視線が残っている気がした。

 

 青い私でも、黒い私でも。

 

 あなたは私を最後に倒した。

 

 なら、次はどちらの私でも、あなたを倒す。

 

 春麗は、黒いドレスの裾を軽く払った。

 

 土は少し残った。

 

 それでいい。

 

 これは敗北の跡だ。

 

 十度届いて、十度届かなかった跡だ。

 

 春麗は、夜明け前の山道を歩き出す。

 

 「待っていなさい、リュウ」

 

 声は静かだった。

 

 けれど、その奥には燃えるような悔しさがあった。

 

 「今度は私が、勝者の顔を取り戻す」

 

 次は勝つ。

 

 ただ勝つだけじゃない。

 

 あなたに奪われた私の余裕ごと、取り返す。

 

 そして今度こそ、最後に立つのは私。

 

 春麗は、そう決めて歩き続けた。




Q:執筆者としてはギリギリ10連勝したリュウの心境についてどう思いますか?

A:
執筆者としては、ギリギリ10連勝したリュウは、春麗以上に静かで重い状態になると思います。

春麗がギリギリ10連勝した場合は「紙一重の勝利に酔う」方向でしたが、リュウの場合はもう少し違います。

リュウは勝利に酔うというより、勝ち続けているのに、春麗が毎回さらに深く迫ってくることを受け止め続ける男になります。

一言で言うなら、

十度勝った。
でも十度とも、春麗は届きかけていた。
だからリュウは勝者でありながら、少しも安心できない。

という状態です。

リュウは勝って浮かれない

リュウは、10連勝しても春麗を見下す方向には行かないと思います。

むしろ、毎回ギリギリならこう感じるはずです。

勝った。
だが、あと一瞬遅ければ倒れていたのは俺だった。

リュウにとって勝利は、春麗を支配した証ではありません。

最後の一瞬だけ、自分が春麗より先に届いた証です。

だから、勝ったことに満足はしても、安心はしない。

春麗が次に来ることもわかっている。
そして次は、本当に負けるかもしれないこともわかっている。

春麗の悔しさを見て、リュウも満たされる

ただし、リュウも無感情ではありません。

春麗が悔しがる顔を見る。
息を乱し、黒ドレスや青い武道服を汚しながら、それでも目だけは折れていない。
勝者として煽れず、でも次は必ず勝つという顔をしている。

それを見ると、リュウも満たされると思います。

ただ、春麗のように「悔しがる顔が見たい」と明確に楽しむというより、

この相手はまだ来る。
この悔しさを次の強さに変えてくる。
だからまた戦える。

という充足です。

リュウにとって、春麗の悔しさは勝利の飾りではなく、次の戦いの約束です。

一番重いのは、春麗を“満たしてしまっている”自覚

ギリギリ10連勝したリュウは、おそらく春麗の内面にも気づきます。

春麗は悔しい。
負けている。
勝者として立てない。
でも、リュウがそこまで来たこと、リュウが自分を本気で焦らせたこと、最後の一瞬で自分を上回ったことに、どこかで満たされてもいる。

リュウはそれを感じ取ると思います。

そして、こう思う。

春麗は負けて悔しがっている。
だが、それだけではない。
俺が届いたことを、どこかで待っていた。

これはリュウにとって重いです。

勝った喜びだけではなく、春麗の望んでいた深さまで自分が来てしまった責任のようなものが生まれます。

でもリュウもまた、春麗を待つ側になる

10連勝しているリュウは、立場としては勝者です。

でも心理的には、彼も春麗を待っています。

次の春麗を待っている。

次はどんな蹴りで来るのか。
黒ドレスなら、どう視線を揺らしてくるのか。
青い武道服なら、どこまで速度を上げてくるのか。
今度こそ、自分の拳を越えてくるのか。

リュウは勝っているのに、春麗の到達を待つ。

このあたりは、春麗の10連勝IFと対になります。

春麗が勝ち続けると「リュウよ、もっと来なさい」になる。
リュウが勝ち続けると「春麗は、次はもっと深く来る」になる。

リュウは煽らない。
でも、静かに待つ。

リュウの勝利はだんだん重くなる

ギリギリ10連勝は、普通なら自信になります。

でもリュウの場合は、自信と同時に重さも増えます。

なぜなら、毎回春麗が本当に迫っているからです。

十回勝った。
でも十回とも危なかった。
十回とも春麗の一撃は届きかけた。
十回とも、あと半拍で立場は逆だった。

だからリュウはこう思うはずです。

俺は十度勝った。
だが、春麗を遠ざけたわけではない。
むしろ、十度、春麗が近づいてきた。

これはかなりリュウらしい認識です。

勝てば勝つほど、春麗が遠くなるのではなく、近くなる。

それがこの二人の関係です。

春麗の強がりを、リュウは真剣に受け取る

春麗は負けても黙っていません。

たとえば、

「十回勝ったくらいで、私を捕まえたつもり?」

とか、

「次は、あなたが膝をつく番よ」

とか、

「今の勝ち、覚えておきなさい。次は返すわ」

と言うはずです。

リュウはそれを軽く受け流さない。

むしろ本気で受け取る。

ああ。
春麗は次に来る。
今の敗北を必ず持ってくる。

だからリュウは、勝った後でも修行をやめられない。

春麗が次に来るからです。

このリュウの危うさ

ギリギリ10連勝したリュウにも危うさはあります。

それは、春麗に負けることをどこかで望み始める危険ではありません。

リュウは負けたいわけではない。

ただ、春麗が自分を越えてくる瞬間を見たい気持ちは、少し出ると思います。

これはかなり武道家的です。

俺は勝ちたい。
だが、春麗が俺を越えてくるなら、その拳を見たい。

この感情は、リュウらしい。

春麗なら「そのうえで私が勝ちたい」となりますが、リュウはもう少し静かに、

春麗が自分の拳を越えてくるなら、それもまた見たい

と思う可能性があります。

ただし、そこで譲るわけではありません。

自分も勝つつもりで行く。
春麗も勝つつもりで来る。
その結果として春麗が越えてくるなら、それを受け止める。

この感じです。

このIFリュウの核

このリュウの核は、こうだと思います。

十度勝った。
だが十度とも、春麗は俺に届きかけた。
だから俺は、勝者でいるほど次の春麗を恐れ、次の春麗を待っている。

もう少し短く言うなら、

リュウは十度勝ったことで、春麗の強さを十度思い知った。

これが一番リュウらしいです。

勝ち続けているのに、春麗を軽く見ない。
むしろ勝ち続けるほど、春麗の恐ろしさと魅力を知る。

まとめ

ギリギリ10連勝したリュウは、こういう状態だと思います。

勝っている。
満たされてもいる。
春麗の悔しさも、次へ向かう目も見ている。
でも、十回とも紙一重だったから、少しも安心できない。
勝者でありながら、次の春麗を待っている。
そして、春麗がいつか自分を越えてくる可能性を、恐れながらも望んでいる。

一言で言えば、

ギリギリ10連勝したリュウは、春麗に勝ち続けることで、逆に春麗の強さに深く囚われていくリュウ
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