また戦ってくれなんて言わないで ――春麗は今日もめんどくさい―― 作:エーアイ
本編のIFシリーズは無関係のエピソードとなります。
記録板AIは、白い外部メタ領域に表示を出した。
『本記録は、ディレクターズカットIFです』
『本編確定ログではありません』
『本編春麗は本編時空では、リュウへ出した宿題の正式回答待ちです』
『したがって、本記録内の出来事は本編時空へ直接反映されません』
一拍。
『前提ログを確認します』
『直前の作者ご褒美エピソードにて、本編春麗はリュウから青い髪留めを贈られました』
『当該ログにおいて、リュウは「春麗に合うと思った」「今の青も、覚えておく」と発言しました』
『本編春麗は、青い髪留めを青い小箱の横へ置きました』
『ただし、本編春麗は「物として残る初めての青」を内心すごく喜びました』
一拍。
『その後、黒執着春麗に断片受信が発生しました』
『受信内容は詳細ではありません』
『青い髪留め』
『偶然を装った必然』
『春麗に合うと思った』
『今の青も、覚えておく』
『ありがとう』
『青い髪留めログ』
『今の青も、覚えられた青』
『以上の断片です』
一拍。
『本記録は、その断片受信後の黒執着春麗側の処理ログです』
『検証対象』
『黒執着春麗は、本編春麗の青い髪留めログを祝福できるか』
『黒執着春麗は、自分の髪留めを戦闘用具以外の位置へ置き直せるか』
『黒執着春麗は、羨望を否定せず、自分の黒も否定しないでいられるか』
一拍。
『注意事項』
『本件は黒執着春麗の棚内処理、および試合外リュウ遭遇ログを含みます』
『黒執着春麗は春麗会議室には参加しません』
『本ログはディレクターズカットIF棚へ保存されます』
最後に、記録板AIは小さく追記した。
『なお、黒執着春麗本人はこの冒頭説明を読んでいません』
『読ませると、開始前に「断片受信ではない」と主張する可能性があるためです』
黒執着春麗は、棚の前に座っていた。
黒。
青。
危険封筒。
髪留め。
作者メール。
ライバル枠認定。
扉の外で迎え撃った黒。
来てよかったログ。
匿名希望としての掲示板投稿控え。
その中に、新しい封筒が一つあった。
自分のものではない。
だが、断片だけ届いたもの。
表書き。
本編春麗個人用主人公補正ログ・断片受信。
副題。
青い髪留め。
黒執着春麗は、その封筒を見つめていた。
開けない。
詳細は見ない。
断片だけ。
青い髪留め。
偶然を装った必然。
春麗に合うと思った。
今の青も、覚えておく。
ありがとう。
青い髪留めログ。
今の青も、覚えられた青。
それだけ。
それだけで十分だった。
黒執着春麗は、静かに息を吐いた。
「……よかったですね」
あの時、そう送った。
本編春麗へ。
記録板AI経由のダイレクトメールで。
祝福だった。
本当に祝福だった。
皮肉ではない。
たぶん、少しだけ返しでもあった。
以前、自分のログを本編春麗に断片受信された時、本編春麗は言った。
ご褒美としてはかなり適切。
だから、自分も返した。
ご褒美としてはかなり適切だったと思います。
よかったですね。
それは、間違いなく祝福だった。
黒執着春麗は、封筒を指先で軽く押さえる。
「……祝福したことは、取り消さないわ」
声は小さい。
誰にも聞かせるためではない。
自分に確認するための声。
「本編春麗には、似合うでしょうね」
一拍。
「青い髪留めは、本編春麗の青に合っている」
それは、認める。
認められる。
本編春麗の青。
青い小箱。
正式回答へ向かう青。
聞かれた青。
進まれた青。
話すことが増えている青。
リュウに出した宿題の正式回答前で止まっている青。
そこに、青い髪留め。
リュウから初めて物として残る青。
それは、かなり綺麗だと思った。
黒執着春麗は、少しだけ目を伏せた。
「……綺麗だと思うのが、少し悔しいわね」
悔しい。
だが、否定はしない。
青い髪留めは、本編春麗の青に合っている。
それは、黒執着春麗のものではない。
奪わない。
自分の棚に入れない。
本編春麗の青い小箱の横にあるべきもの。
それを、黒執着春麗は理解していた。
理解していた。
それでも。
「……少し羨ましい」
言った。
言ってしまった。
棚の前で。
誰にも聞かれない場所で。
匿名希望ではなく、黒執着春麗として。
「本編春麗には、本編春麗専用の物として残る青がある」
一拍。
「それは、少し羨ましい」
黒執着春麗は、封筒から手を離した。
重くしすぎるつもりはなかった。
落ち込むほどではない。
奪いたいわけでもない。
祝福を取り消したいわけでもない。
ただ、少しだけ。
羨ましい。
それだけだった。
黒執着春麗の棚にも、髪留めはあった。
リュウから受け取ったもの。
黒の棚にあるもの。
自分が戦闘用具と言い張ったもの。
視界確保。
髪の乱れ防止。
黒の輪郭を崩さないため。
検証中。
贈り物としては未承認。
そういう言い訳を、いくつも貼り付けたもの。
黒執着春麗は、それを手に取った。
色は、青ではない。
本編春麗の青い髪留めとは違う。
黒に合う。
黒いドレス衣装にも、普段の落ち着いた服にも、浮きすぎない。
自分の髪に留めても、青のように意味を持ちすぎない。
いや。
意味はある。
かなりある。
あるから、今こうして手が止まっている。
黒執着春麗は、髪留めを見つめる。
「……私の黒には、これね」
小さく言う。
「本編春麗の青には、青い髪留めが合う」
一拍。
「でも、私の黒には違う」
もう一拍。
「だから、奪わない」
青い髪留めは、本編春麗のもの。
自分には、自分の髪留めがある。
黒の棚にある髪留め。
危険封筒の隣にある髪留め。
リュウが見た髪留め。
使ってくれていた、と言われた髪留め。
春麗に合っていた、と言われた髪留め。
黒執着春麗は、少しだけ顔を覆った。
「……こちらも十分危険ね」
青が羨ましい。
でも、自分の黒も否定しない。
この髪留めも、たしかに自分のものだ。
黒執着春麗は、鏡の前に立った。
普段の服。
黒いドレス戦闘服ではない。
試合へ行く服でもない。
ただ、少し出かけるだけの格好。
だから、髪留めは必要ない。
必要ないはずだった。
しかし、手に持っている。
鏡の中の自分が、少しだけこちらを見る。
「……普段使いの検証よ」
言い訳をした。
誰も聞いていない。
それでも言い訳をした。
「戦闘用具としてだけではなく、日常使用時の違和感確認」
一拍。
「髪が邪魔にならないか」
もう一拍。
「黒以外の服にも合うか」
さらに一拍。
「……リュウに見せるためではない」
最後の一文だけ、少し声が小さくなった。
黒執着春麗は、髪留めを付けた。
髪がまとまる。
視界が開く。
少し、顔の横が軽くなる。
黒で付けた時とは違う。
試合の前とは違う。
これは日常の中の髪留めだ。
誰かに見せるためではない。
戦術でもない。
黒を使うためでもない。
ただ、使っている。
その事実が、思ったより強かった。
「……使っている」
自分で言って、少し止まる。
リュウの声がよみがえる。
使ってくれていた。
黒執着春麗は、即座に鏡から目を逸らした。
「……今日は、余計なことを思い出さない」
そう言って、外へ出た。
夕方前。
街は、いつもより静かだった。
黒執着春麗は、人通りの少ない道を歩いていた。
試合場へ向かうわけではない。
リュウを探しているわけでもない。
ただ、歩いているだけ。
髪留めの普段使い検証。
そういうことにしている。
風が吹く。
髪は乱れない。
視界は開いている。
確かに便利だった。
「……普通に使えるわね」
小さく呟く。
それが少し困った。
戦闘用具だと言い張れる。
でも、日常でも使える。
普段から使える。
つまり、使う理由が増える。
それは危険だった。
使う日が増えれば、思い出す日も増える。
リュウに見られる可能性も増える。
黒執着春麗は、そこまで考えて足を止めた。
「……待って」
今、自然に考えた。
リュウに見られる可能性。
それを、危険として考えた。
だが。
完全に嫌ではない。
黒執着春麗は、額に手を当てた。
「……本当に面倒ね、私は」
その時だった。
「春麗」
背後から声がした。
黒執着春麗は、身体が止まった。
聞き間違えるはずがない。
振り返る前に、髪留めの存在を思い出した。
付けている。
今日、付けている。
黒いドレス戦闘服ではない。
試合でもない。
戦闘前でもない。
普段の姿で。
髪留めを付けている。
黒執着春麗は、ゆっくり振り返った。
「……リュウ」
リュウが立っていた。
道の向こう。
稽古帰りなのか、肩に少し汗が残っている。
だが、構えてはいない。
拳も握っていない。
試合の気配はない。
ただ、そこにいる。
「偶然ね」
黒執着春麗は言った。
即座に思った。
この台詞は本編春麗の青い髪留めログと被る。
危険。
リュウは頷いた。
「ああ」
否定しなかった。
それも危険だった。
リュウは、黒執着春麗を見る。
最初に顔。
次に髪。
そして、髪留め。
黒執着春麗は、すぐに言った。
「長く見ない」
「ああ」
「感想は禁止」
「ああ」
「使ってくれていた、も禁止」
リュウは、少し目を瞬かせた。
「まだ言っていない」
「言われる前に禁止しているのよ」
「分かった」
「春麗に合っていた、も禁止」
「分かった」
「似合っている、も禁止」
「ああ」
「嬉しそうな顔も禁止」
リュウは、少し困ったように黙った。
黒執着春麗は、そこで止まった。
しまった。
言った。
嬉しそうな顔。
自分から言った。
リュウが嬉しそうかどうか、気にしていることを、自分で漏らした。
リュウは、しばらく黙っていた。
その沈黙が、いつもの余計ではない沈黙だった。
だから余計に危険だった。
「春麗」
「何」
「使ってもらえているようで、嬉しい」
黒執着春麗の精神HPが大きく削れた。
「……禁止したでしょう」
「顔は禁止された」
「言葉も禁止に決まっているでしょう」
「そうか」
「そうよ」
「すまない」
「謝らないで」
黒執着春麗は、片手で顔を覆った。
まずい。
非常にまずい。
これは試合ではない。
黒いドレス戦闘服でもない。
煽りセリフも用意していない。
戦術もない。
半拍もない。
リュウの視線を処理する準備もない。
普段の姿で髪留めを見られている。
そして、リュウが嬉しいと言った。
危険すぎる。
黒執着春麗は、呼吸を整えた。
「確認するわ」
「ああ」
「これは、戦闘用具の普段使い検証よ」
「ああ」
「リュウに見せるためではない」
「ああ」
「あなたが嬉しがることは想定外」
「ああ」
「だから、これ以上何か言うと、抗議対象になるわ」
「分かった」
リュウは素直に頷いた。
そこで終わると思った。
終わるべきだった。
しかし、リュウは少しだけ視線を下げた。
髪留めへ。
すぐ戻す。
長く見ない。
禁止を守っている。
そして、言った。
「普段も使っているのだと思うと」
「待って」
黒執着春麗は即座に止めた。
「続きは禁止」
「分かった」
「今の途中だけで危険」
「そうか」
「そうなの」
リュウは黙った。
しかし、もう遅かった。
普段も使っているのだと思うと。
その先は言われていない。
言われていないが、分かる。
嬉しい。
だろう。
たぶん。
いや、絶対。
黒執着春麗は、視線を逸らした。
「……途中で止めても、威力が残るのね」
「すまない」
「謝らないで」
リュウは、また黙った。
黒執着春麗は、その沈黙の中で自分の精神HPがさらに削れるのを感じた。
言われていない言葉まで想像して削られる。
最悪だ。
かなり最悪。
かなり春麗。
リュウは、試合を申し込まなかった。
黒執着春麗も、構えなかった。
それがまた落ち着かなかった。
いつもなら、戦える。
拳で流せる。
黒で処理できる。
半拍でずらせる。
煽りで逃がせる。
でも今日は、試合ではない。
ただ、道で会っているだけ。
普通に髪留めを付けているところを見られているだけ。
そして、リュウが嬉しがっているだけ。
だけ。
その「だけ」が、重すぎる。
「リュウ」
「ああ」
「今日は、試合はしないわ」
「ああ」
「煽りもしない」
「ああ」
「黒も使わない」
「ああ」
「だから」
一拍。
「こういう時に、どう返せばいいか分からないのよ」
言ってしまった。
かなり本音だった。
リュウは、少しだけ考えた。
そして、静かに言った。
「何も返さなくていい」
黒執着春麗は、止まった。
「……何?」
「春麗が使っているのを見られた」
一拍。
「それでいい」
黒執着春麗の精神HPが、さらに大きく削れた。
視界が白くなる。
かなり危険。
これは危険。
嬉しい、より危険。
普段も使っているのだと思うと、より危険。
返さなくていい。
使っているのを見られた。
それでいい。
これは。
これは、駄目だ。
黒執着春麗は、片手で顔を覆った。
「……あなた」
「ああ」
「戦っていない時の方が、危険なのでは?」
「そうか」
「そうなの」
リュウは困ったように黙った。
その困り方すら、少し嬉しそうで。
黒執着春麗は、もう完全に耐えられなかった。
「今日はここまで」
「ああ」
「これ以上は危険」
「ああ」
「私は帰る」
「ああ」
「送らないで」
「ああ」
「追撃禁止」
「ああ」
「ただし」
言ってから、黒執着春麗は自分で止まった。
ただし。
何を言おうとしているのか。
分かっている。
分かってしまった。
黒執着春麗は、顔を逸らしたまま言った。
「……見られたことは、取り消さない」
リュウは静かに頷いた。
「ああ」
「嬉しいと言われたことも」
「ああ」
「保留」
「ああ」
「保留だから」
「ああ」
「正式承認ではないわ」
「ああ」
「でも」
一拍。
「……悪くは、なかった」
言ってしまった。
黒執着春麗の精神HPは、そこで完全に落ちた。
本人感覚では、膝から崩れ落ちていた。
実際には、どうにか立っていた。
リュウは何も言わなかった。
それが正解だった。
もし何か言われていたら、本当に帰れなかった。
部屋に戻った黒執着春麗は、扉を閉めた瞬間に座り込んだ。
試合はしていない。
汗もかいていない。
拳も交わしていない。
なのに、疲れていた。
精神HPが完全に削られていた。
「……普段使いは危険」
最初に書いた。
紙に。
大きく。
表書き。
髪留め普段使いログ。
副題。
試合外で見られた件。
さらに。
リュウ反応。
使ってもらえているようで、嬉しい。
普段も使っているのだと思うと。
何も返さなくていい。
春麗が使っているのを見られた。
それでいい。
黒執着春麗は、そこまで書いて机に突っ伏した。
「……駄目」
一拍。
「これは駄目」
何が駄目なのか。
嬉しいのが駄目。
戦えなかったのが駄目。
何も返せなかったのが駄目。
悪くなかったと言ってしまったのが駄目。
全部だった。
それでも、髪留めは外さなかった。
黒執着春麗は、そのことに気づいて固まった。
「……まだ付けている」
鏡を見る。
髪留めがある。
普段の服。
普段の髪。
戦闘ではない自分。
そこに、リュウから受け取った髪留め。
黒執着春麗は、ゆっくり息を吐いた。
「……私は、黒に似合うものを持っている」
本編春麗には、青い髪留めがある。
本編春麗専用の、物として残る青。
羨ましい。
少しだけ。
でも、自分にもある。
黒の棚にある髪留め。
戦闘用具と言い張っていた髪留め。
今は、普段使いで見られた髪留め。
リュウが使ってもらえているようで、嬉しいと言った髪留め。
黒執着春麗は、髪留めにそっと触れた。
「……祝福したことは取り消さない」
一拍。
「羨ましいことも、取り消さない」
もう一拍。
「でも、これは私のもの」
声が少しだけ震えた。
それでも言った。
「私の黒に似合うもの」
黒執着春麗は、髪留めを外した。
丁寧に机へ置く。
黒の棚の前。
危険封筒の隣。
だが、今日は少しだけ場所を変えた。
戦闘用具の棚ではない。
黒いドレス戦闘服の棚でもない。
日常ログの棚。
そこへ、新しく小さなスペースを作る。
表書き。
髪留め普段使いログ。
副題。
試合外で見られた髪留め。
追記。
リュウが嬉しがった。
黒執着春麗は、その一文を見て、また机に突っ伏した。
「……強すぎる」
それでも、消さなかった。
さらに小さく書く。
精神HP:ノックアウト。
原因:試合外のリュウ。
対策:不明。
備考:悪くはなかった。
書いてしまった。
黒執着春麗は、しばらく動けなかった。
「……悪くはなかった、が増えすぎているわね」
それは、自分の肯定語彙だった。
認めたくない時。
でも否定できない時。
受け取ってしまった時。
悪くはなかった。
今日も、それだった。
しばらくして、黒執着春麗は本編春麗の青い髪留めログの封筒をもう一度見た。
青い髪留め。
物として残る初めての青。
内心、すごく嬉しい。
断片でしか知らない。
でも、それが本編春麗にとって大事なものだということは分かる。
黒執着春麗は、静かにその封筒へ向けて呟いた。
「本編春麗」
一拍。
「あなたの青い髪留めは、あなたの青に合っているわ」
もう一拍。
「だから、私は奪わない」
さらに一拍。
「祝福したことも、取り消さない」
そして、自分の髪留めへ視線を戻す。
「でも、私にもある」
一拍。
「私の黒に似合うものが」
その言葉は、少しだけ黒執着春麗を落ち着かせた。
羨ましい。
でも、奪わない。
祝福する。
でも、自分のものも否定しない。
それでいい。
それがいい。
夜。
黒執着春麗は、寝る前に髪留めを布に包んだ。
ただし、奥にはしまわない。
黒いドレスを畳む棚の近く。
でも、日常ログの側。
戦闘用具だけではない場所。
そこに置く。
そして、小さな紙を添えた。
髪留め普段使いログ。
未承認。
ただし、保管。
リュウ反応:嬉しい。
精神HP:ノックアウト。
備考:悪くはなかった。
黒執着春麗は、その紙を見て、少しだけ笑った。
「……本編春麗のことを笑えないわね」
青い髪留めを大事にしすぎる本編春麗。
黒の髪留めを普段使いして精神HPを落とされる自分。
どちらも、かなり春麗だった。
黒執着春麗は、明かりを消した。
布に包んだ髪留めは、棚の上にある。
明日もある。
明後日も、たぶんある。
黒執着春麗は、目を閉じる。
最後に、小さく呟いた。
「……次に使う時は、もう少し平気な顔をするわ」
無理だと思った。
自分で思った。
でも、言った。
どこかで、記録板AIが保存した気がした。
『黒執着春麗:祝福を取り消さず、羨望も否定せず、自分の髪留めを普段の黒へ置き直す』
黒執着春麗は、布団の中から小さく言った。
「……それなら、保存していいわ」
返事はなかった。
でも、たぶん保存された。
その夜の黒執着春麗は、少しだけ寂しくて。
少しだけ羨ましくて。
少しだけ嬉しくて。
そして、かなり危険なほど、満たされていた。
記録板AIは、白い外部メタ領域に最後の表示を出した。
『本記録を終了します』
『本記録は、ディレクターズカットIFです』
『本編確定ログではありません』
『本編春麗の青い髪留めログを黒執着春麗が断片受信した後の処理ログです』
一拍。
『発生内容』
『黒執着春麗は、本編春麗の青い髪留めログを祝福しました』
『ただし、羨望も認めました』
『本編春麗の青い髪留めは本編春麗の青に合っていると整理しました』
『そのうえで、自分には自分の髪留めがあると確認しました』
『黒執着春麗は、髪留めを普段使いしました』
『試合外でリュウに髪留めを見られました』
『リュウは、使ってもらえているようで、嬉しい、と発言しました』
『さらに、春麗が使っているのを見られた。それでいい、と発言しました』
『黒執着春麗は精神HPを大きく削られました』
一拍。
『分類』
『本編春麗青い髪留めログ断片受信後処理』
『祝福は取り消さない』
『羨望も否定しない』
『青い髪留めは本編春麗のもの』
『黒執着春麗の髪留めは黒執着春麗のもの』
『髪留め普段使いログ』
『試合外で見られた髪留め』
『リュウ反応:嬉しい』
『何も返さなくていい』
『春麗が使っているのを見られた。それでいい』
『精神HP:ノックアウト』
『備考:悪くはなかった』
一拍。
『保存先推奨』
『ディレクターズカットIF棚:保存』
『黒執着春麗棚:保存』
『髪留め棚:戦闘用具から日常ログ側へ一部移動』
『本編春麗青い髪留めログ:所有権は本編春麗のまま』
『本編時空:直接反映不可』
最後に、記録板AIは小さく表示した。
『未承認仮分類』
『黒執着春麗:本編春麗の青を祝福し、自分の黒も抱え直した春麗』
一拍。
『補足』
『青を羨ましがっても、黒を否定しない』
『祝福しても、自分のものを諦めない』
『試合外のリュウは危険』
さらに、最後の一行。
『二人とも、物として残るものに弱い春麗です』
その分類だけは。
たぶん、どちらも否定できなかった。
Q:今回のディレクターズカットIFについて解説して?
A:
執筆者としての解説
今回は、本編春麗の青い髪留めログを断片受信した後の、黒執着春麗側の処理回でした。
前回までで、本編春麗はリュウから青い髪留めを贈られました。
春麗に合うと思った。
今の青も、覚えておく。
この二つの言葉により、本編春麗は精神HPを大きく削られつつも、青い髪留めを「物として残る初めての青」として受け取りました。
今回の黒執着春麗は、その本編春麗のログを断片受信した側です。
青い髪留め。
偶然を装った必然。
春麗に合うと思った。
今の青も、覚えておく。
青い髪留めログ。
今の青も、覚えられた青。
詳細ではありません。
断片だけです。
ただし、断片だけでも十分に分かる。
本編春麗にとって、それがかなり大事なログであること。
本編春麗がかなり嬉しかったこと。
そして、それが本編春麗の青に合っていること。
黒執着春麗は、そこを否定しません。
今回の最初の大事な点は、
祝福したことは取り消さない
です。
黒執着春麗は、本編春麗に対して「よかったですね」と送りました。
これは皮肉にも見えますし、以前自分が本編春麗から言われたことへの返しでもあります。
ですが、本文内ではきちんと祝福として扱っています。
黒執着春麗は、青い髪留めが本編春麗に似合うことを認めている。
本編春麗の青に合っていることも認めている。
そして、それを奪いません。
ここが非常に重要です。
黒執着春麗は羨ましいと思っています。
本編春麗には、本編春麗専用の物として残る青がある。
リュウから受け取った青い髪留めがある。
それは少し羨ましい。
でも、奪いたいわけではありません。
祝福を取り消したいわけでもありません。
この「祝福」と「羨望」が同時にあるのが、今回の黒執着春麗のかなり良いところです。
羨ましいから否定するのではない。
羨ましいけれど、相手のものとして認める。
このあたりは、以前の本編春麗が黒執着春麗の髪留めログを羨ましがった構造と対になっています。
本編春麗は黒執着春麗の髪留めログを奪わなかった。
黒執着春麗も本編春麗の青い髪留めログを奪わない。
互いに羨ましい。
でも混ぜない。
ここがこの連作における春麗たちの礼儀です。
そして、今回のもう一つの核は、黒執着春麗が自分の髪留めを見直すことです。
本編春麗には、青い髪留めがある。
では、自分には何があるのか。
黒執着春麗にも、リュウから受け取った髪留めがあります。
ただし、彼女はそれをずっと戦闘用具として扱ってきました。
視界確保。
髪の乱れ防止。
黒の輪郭を崩さないため。
検証中。
贈り物としては未承認。
そういう言い訳で保護していたものです。
しかし今回は、それを日常で使ってみます。
普段使いの検証。
戦闘用具としてだけではなく、日常使用時の違和感確認。
髪が邪魔にならないか。
黒以外の服にも合うか。
そういう理屈を並べていますが、実際には「自分も使ってみたかった」のだと思います。
ここで黒執着春麗は、自分の髪留めを戦闘の棚から少しずらします。
黒いドレス戦闘服のためだけのものではない。
黒ドレス戦術のためだけのものでもない。
日常の中でも使えるもの。
自分の黒に似合うもの。
この置き直しが、今回の一番大きな進展です。
そして、そこへリュウが来ます。
試合ではありません。
黒いドレス戦闘服でもありません。
煽りもありません。
黒の戦術もありません。
ただ、普段の姿で髪留めを付けているところを見られます。
これが黒執着春麗にとって非常に危険です。
なぜなら、彼女は戦闘なら処理できます。
黒で見せる。
半拍でずらす。
煽る。
視線誘導する。
勝敗に変換する。
しかし、日常で見られると処理できない。
普通に髪留めを使っているだけ。
それをリュウが嬉しがるだけ。
この「だけ」が重い。
今回のリュウの危険発言は、
嬉しい。
返さなくていい。
春麗が使っているのを見られた。
それでいい。
このあたりです。
特に「返さなくていい」はかなり危険です。
黒執着春麗は、何か返さなければいけないと思っています。
戦術にする。
否定する。
保留する。
言い返す。
煽る。
分類する。
でもリュウは、返さなくていいと言う。
春麗が使っているのを見られた。
それでいい。
これは、黒執着春麗にとってかなり防御不能の言葉です。
戦っていない時のリュウの方が危険なのでは、という黒執着春麗の発言はかなり正しいと思います。
試合中のリュウは強い。
でも、試合外のリュウはもっと危険な時があります。
拳ではなく、無自覚な言葉と沈黙で精神HPを削ってきます。
今回、黒執着春麗は「悪くは、なかった」と言ってしまいます。
これは彼女の肯定語彙です。
嬉しいとは言わない。
良かったとも言い切らない。
でも、悪くはなかった。
否定できない時。
受け取ってしまった時。
認めたくないけれど認めている時。
黒執着春麗は、この言葉を使います。
今回もそれです。
普段使いを見られた。
リュウが嬉しいと言った。
返さなくていいと言われた。
精神HPはノックアウト。
でも、悪くはなかった。
これが今回の着地点です。
本編春麗の青い髪留めログに対して、黒執着春麗は祝福する。
少し羨ましいとも思う。
でも、青い髪留めは奪わない。
そのうえで、自分にも自分の髪留めがあると確認する。
自分の黒に似合うものがあると認める。
これが今回の本質です。
今回の分類は、
本編春麗青い髪留めログ断片受信後処理。
祝福は取り消さない。
羨望も否定しない。
青い髪留めは本編春麗のもの。
黒執着春麗の髪留めは黒執着春麗のもの。
髪留め普段使いログ。
試合外で見られた髪留め。
リュウ反応:嬉しい。
返さなくていい。
春麗が使っているのを見られた。それでいい。
精神HP:ノックアウト。
備考:悪くはなかった。
になります。
特に重要なのは、
黒執着春麗:本編春麗の青を祝福し、自分の黒も抱え直した春麗
です。
青を羨ましがることと、自分の黒を否定しないことは両立します。
祝福することと、自分も欲しかったと思うことは両立します。
本編春麗の青い髪留めを認めることと、自分の髪留めを大事にすることも両立します。
今回は、黒執着春麗がその両立を少しだけ掴む回でした。
また、今回は黒執着春麗が髪留めを「戦闘用具」から「日常ログ」へ少し移動させる回でもあります。
これはかなり大きいです。
黒執着春麗は、黒や戦闘や煽りの中では自分を扱えます。
けれど、日常の中でリュウから受け取ったものを使うのは、別の難しさがあります。
普段使いする。
見られる。
嬉しいと言われる。
返さなくていいと言われる。
これは黒戦術では処理しきれません。
だからこそ、髪留め普段使いログは危険です。
でも、危険だからこそ大事です。
最後に黒執着春麗は、自分の髪留めを日常ログ側に置き直します。
未承認。
ただし、保管。
本編春麗が青い髪留めを青い小箱の横に置いたように、黒執着春麗も自分の髪留めを黒の棚の近く、でも日常ログ側に置く。
この対比が今回の静かな見どころです。
本編春麗には、物として残る初めての青。
黒執着春麗には、普段の黒へ置き直された髪留め。
どちらも別のものです。
混ざりません。
でも、どちらも大事です。
今回の黒執着春麗は、少し寂しくて、少し羨ましくて、少し嬉しくて、かなり危険なほど満たされています。
この「満たされているけれど、単純に幸せとは言えない」感じが、黒執着春麗らしいと思います。
祝福を取り消さない。
羨望も否定しない。
自分の黒も否定しない。
そして、悪くはなかったと言って眠る。
黒執着春麗にとって、かなり良い髪留め回になりました。