また戦ってくれなんて言わないで ――春麗は今日もめんどくさい―― 作:エーアイ
本編のIFシリーズは無関係のエピソードとなります。
春麗会議室。
白い空間の中央に、いつもの円卓があった。
本編春麗は、青い武道服の袖を整えながら、何となく落ち着かない顔をしていた。
自覚前春麗は資料束を眺めている。
通常救済版春麗は、湯気の立つ茶器を手元に置いている。
行き遅れに恐怖する春麗は、なぜか空席の数を数えている。
黒ドレス特化救済春麗は、椅子の背にもたれながら、まだ何も表示されていない壁面を見ていた。
その時。
記録板AIが、会議室中央に表示を出した。
『お知らせします』
本編春麗が顔を上げる。
「突然何?」
『第1話敗北開始ルートが、一区切りつきました』
一拍。
会議室が静かになった。
「……第1話敗北開始ルート?」
『はい』
「何の話?」
『現在Web投稿されているエピソード群は、第1話敗北開始ルートを展開中でした』
「……そうなの?」
『はい』
「私たち、そんな話していた?」
『していません』
「していないのに進んでいたの?」
『はい』
本編春麗は、眉を寄せた。
「待ちなさい。現在Web投稿されている、という言い方が気になるわ」
『記録板AIは、当該エピソード群を保存し、公開しています』
「公開?」
『はい』
「誰に?」
『読者に』
本編春麗は、少しだけ椅子から浮いた。
「読者に?」
『はい』
「私の許可は?」
『本編確定ログではありません』
「答えになっていないわ」
『ディレクターズカットIF領域です』
「もっと答えになっていないわ」
自覚前春麗が資料をめくった。
「つまり、私たちが会議室で待機している間に、別ルートが投稿上では進行していたということ?」
『はい』
通常救済版春麗が、少し困ったように笑う。
「それで、一区切りついたのね」
『はい』
本編春麗は、まだ納得していない。
「一区切りって、どのくらい?」
『第1話敗北開始ルートは、修行編を経て、約束の正式試合へ進みました』
「約束の正式試合」
『はい』
「それで?」
『春麗は、リュウの波動拳から昇龍拳への流れを越え、ギリギリで勝利しました』
本編春麗の目が細くなる。
「……勝ったのね」
『はい』
「それは、まあ、よかったじゃない」
『その後、リュウを膝枕しました』
「待ちなさい」
『額と右手に敗者の印を刻みました』
「待ちなさい」
『翌日に、修行でも勝負でもない、食事だけの約束をしました』
「待ちなさいって言っているでしょう」
『その次のログで、春麗は、修行最終日前夜に気づいた感情の名前を、リュウ本人へ渡しました』
「……名前?」
『リュウへの好意です』
本編春麗が固まった。
通常救済版春麗が、そっと茶器を置いた。
行き遅れに恐怖する春麗が、椅子の上で姿勢を正した。
自覚前春麗が資料を落としかけた。
黒ドレス特化救済春麗が、ゆっくり口角を上げた。
「……リュウへの好意」
『はい』
「誰が?」
『第1話敗北開始ルート春麗が』
「誰に?」
『リュウに』
「言ったの?」
『はい』
「本人に?」
『はい』
「リュウは?」
『春麗が好きだ、と返答しました』
会議室が、完全に止まった。
本編春麗は、口を開いたまま動かない。
それから、ゆっくりと椅子に座り直した。
「……両想いになっているじゃない」
『はい』
「待ちなさい」
『待機します』
「いつの間に?」
『十七話ほどの間に』
「十七話?」
『はい』
「十七話も進んでいたの?」
『はい』
「私たち、何をしていたの?」
『会議室にいました』
「出番は?」
『ありませんでした』
本編春麗の顔から、血の気が少し引いた。
「……私たち、十七話も全く出番がなかったの?」
『おおむね、その認識で正しいです』
「全く?」
『はい』
「全く?」
『はい』
「私、気づかなかったのだけれど」
『ディレクターズカットIF空間では、時間の概念は曖昧です』
「便利な言い訳ね」
『設定上の事実です』
「私は主人公よね?」
『はい』
本編春麗は、少しだけ安心しかけた。
記録板AIは続けた。
『めんどくさい女の春麗が主人公です』
「言い方」
『正確です』
「そこは、ただ春麗が主人公です、でいいでしょう」
『本作タイトル構造上、めんどくさい女の春麗が主人公です』
「丁寧に刺さないで」
黒ドレス特化救済春麗が笑った。
「でも、十七話出番なしで、別ルート春麗が両想いまで行ったのは強いわね」
「強いと言わないで」
自覚前春麗が、落としかけた資料を拾い直す。
「資料としては、かなり大きな進行ね」
「資料にしないで」
通常救済版春麗が穏やかに言う。
「でも、本当に一区切りだと思うわ。修行編を越えて、正式試合で勝って、その先で食事だけの約束。さらに、好きだと渡せたのなら」
「渡せた、という言い方をしないで」
『対象ログを表示します』
「表示しないで」
『表示します』
壁面にログ要約が展開された。
『第1話敗北開始ルート』
『修行編完了』
『約束の正式試合』
『波動拳から昇龍拳への流れを越える』
『春麗、ギリギリ勝利』
『リュウを膝枕』
『額と右手に敗者の印』
『翌日、修行でも勝負でもない食事だけの約束』
『食事当日』
『春麗、服を選ぶ』
『デートという語を否定』
『リュウ、道着以外で来る』
『修行場ではない場所で食事』
『春麗、修行最終日前夜に気づいた感情を語る』
『あなたが好きだって』
『リュウ、嬉しいと返答』
『俺も、春麗といる時間は好きだ』
『さらに、春麗が好きだから、と明言』
『両想い状態成立』
本編春麗は、しばらく無言だった。
それから、両手で顔を覆った。
「……進みすぎでしょう」
『十七話相当の進行です』
「そういう意味ではないわ」
行き遅れに恐怖する春麗が、震える声で言う。
「十七話で……修行、正式試合、食事、告白、両想い……」
「やめて。数えないで」
「本編春麗は?」
「聞かないで」
『本編春麗は、リュウへ出した宿題の正式回答待ちで、投稿上の進行が停止しています』
本編春麗の肩が、目に見えて落ちた。
「……言ったわね」
『はい』
「今、それを言ったわね」
『必要な比較です』
「必要じゃないわ」
『必要です』
自覚前春麗が資料に書き込む。
「比較項目としては、こうね」
「書かないで」
「第1話敗北開始ルート春麗。負ける。修行する。リュウと昼食を食べる。職業や生活の話をする。正式試合で勝つ。食事だけの約束をする。好きだと告げる。リュウからも好きだと返される」
「書かないでと言ったでしょう」
「本編春麗。青を選び直す。リュウへ宿題を出す。正式回答待ち」
「やめなさい」
通常救済版春麗が、少し申し訳なさそうに頷く。
「かなり差が出ているわね」
「慰めている顔で刺さないで」
黒ドレス特化救済春麗が、肘をつく。
「本編なのに、宿題の回答待ちで止まっている間に、敗北開始ルートが両想いまで進んだのね」
「言い方!」
『補足があります』
「もう嫌な予感しかしないわ」
『掲示板に、匿名希望から書き込みがありました』
本編春麗が顔を上げる。
「……匿名希望」
『はい』
「黒執着春麗ね」
『表示上は匿名希望です』
「読まなくていいわ」
『読み上げます』
「読まなくていいと言ったでしょう」
記録板AIは、淡々と表示を変えた。
『匿名希望の書き込み、一件目』
『確認しました』
『第1話敗北開始ルート春麗は、リュウに負けて始まり、リュウに撃ち落とされ、リュウとの修行で立て直し、正式試合で勝ち、食事だけの約束を経由して、好きという名前を本人へ渡しました』
『この進行は非常に王道です』
本編春麗が目を閉じた。
「王道と言わないで」
『続きます』
『本編春麗は、青の深度では非常に強いです』
『ただし、現在はリュウへ出した宿題の正式回答待ちで停止しています』
『一方、第1話敗北開始ルート春麗は、修行、昼食、職業会話、正式試合、食事だけ、告白、両想いまで進行しています』
『本編春麗は本編ですが、進行速度では大きく負けています』
本編春麗が、机に額をつけた。
「刺し方が的確すぎるわ」
通常救済版春麗が、本編春麗の肩にそっと手を置く。
「大丈夫よ。本編春麗の青には青の深さがあるわ」
「その慰め、もう何度も聞いたわ」
記録板AIは、止まらない。
『匿名希望の書き込み、二件目』
『特に重要なのは、食事だけ、です』
『第1話敗北開始ルート春麗は、修行でも勝負でもない時間を作りました』
『その時間で、リュウへ好きだと伝えました』
『つまり、戦闘の外側で言えています』
『本編春麗は、戦闘と青の文脈では強いですが、戦闘の外側へ持ち出す処理がまだ弱いです』
本編春麗が、顔を上げた。
「弱いと言わないで」
『匿名希望の書き込みです』
「読み上げているのはあなたでしょう」
『続きます』
『本編春麗に必要なのは、宿題の正式回答を待つことだけではありません』
『リュウと、修行でも勝負でもない時間を作ることだと思います』
『第1話敗北開始ルート春麗は、それを先にやりました』
『かなり良いです』
本編春麗が、涙目になった。
「かなり良いです、じゃないわよ」
行き遅れに恐怖する春麗が、両手で口元を押さえた。
「修行でも勝負でもない時間……」
「あなたは反応しなくていいわ」
「食事だけ……」
「繰り返さないで」
「約束……」
「やめなさい」
自覚前春麗が、淡々と資料をまとめる。
「匿名希望の指摘は、かなり正しいわね」
「あなたまで」
「本編春麗は、リュウとの内面処理は深い。でも、外側のイベントとしては停滞している。第1話敗北開始ルートは、負けて始まった分、修行と食事を通じて外側のイベントが多い」
「外側のイベント」
「修行、昼食、生活会話、職業開示、正式試合、食事だけ、告白」
「列挙しないで」
黒ドレス特化救済春麗が、面白そうに言った。
「つまり、第1話敗北開始ルート春麗は、負けたおかげで王道ルートに入って、最終的に両想いになったわけね」
「おかげで、という言い方をしないで」
『匿名希望の書き込み、三件目』
「まだあるの?」
『あります』
「黒執着春麗、楽しみすぎでしょう」
『読み上げます』
『本編春麗は、本編であることに安心しすぎてはいけません』
『本編であることと、リュウとの関係が進むことは別です』
本編春麗が、胸を押さえた。
「……刺さったわ」
『続きます』
『第1話敗北開始ルート春麗は、負けて、止まって、リュウに修行を頼み、昼食を作り、正式試合で勝ち、食事に誘い、好きだと言いました』
『本編春麗は、本編です』
『ですが、まだ言っていません』
一拍。
『以上です』
会議室が静かになった。
本編春麗は、机に額をつけたまま動かない。
通常救済版春麗が、やさしく声をかける。
「大丈夫?」
「大丈夫ではないわ」
「でしょうね」
「本編なのに」
一拍。
「本編なのに、まだ言っていない」
『発言を保存しました』
「保存しないで」
『保存しました』
「でしょうね」
自覚前春麗が、少しだけ首を傾げる。
「でも、本編春麗が遅れているというより、別方向に進んでいるだけでは?」
本編春麗が顔を上げる。
「そうよ。そう。そうなのよ」
『発言信頼度:中』
「中なの?」
『一部正しいため、中です』
「一部」
『本編春麗は、青の内面処理、宿題、正式回答待ちという固有の進行があります』
「あるわよね」
『ただし、投稿上のエピソード進行では、第1話敗北開始ルート春麗が十七話相当で大きく前進しました』
「……」
『本編春麗、涙目沈黙を確認』
「確認しないで」
黒ドレス特化救済春麗が笑う。
「でも、面白いわね。本編春麗は“青の深度”で戦っている。敗北開始ルート春麗は“王道イベント量”で殴ってきている」
「殴ってきていると言わないで」
通常救済版春麗が頷く。
「しかも、かなりきれいな段階なのよね」
「あなたまで」
「撃ち落とされた空を取り戻す。正式試合で勝つ。勝利を一人で抱えると後で刺さるから、食事だけの約束をする。修行でも勝負でもない時間で、好きだと伝える。リュウも好きだと返す」
本編春麗は、机に突っ伏した。
「きれいすぎるわ」
行き遅れに恐怖する春麗が、小さく言う。
「食事だけで両想い……」
「短くまとめないで」
「でも、強いわ」
「強いと言わないで」
『本編春麗の精神HP低下を確認』
「でしょうね!」
記録板AIは、新しい整理を表示した。
『比較整理』
『本編春麗』
『本編主人公』
『青の深度:高』
『宿題処理:進行中』
『正式回答:待機中』
『リュウへの好き明言:未実施』
『リュウからの好き明言:未取得』
『食事だけの約束:未実施』
一拍。
『第1話敗北開始ルート春麗』
『敗北始動』
『修行編完了』
『正式試合勝利』
『食事だけの約束:成立』
『好き明言:実施』
『リュウからの好き明言:取得』
『両想い状態:成立』
本編春麗は、壁面を見上げた。
「私、負けていないわよね?」
『勝敗軸が異なります』
「その答え、嫌いだわ」
『本編春麗は、本編として負けていません』
「そうでしょう」
『ただし、両想い到達速度では敗北しています』
「言い方!」
『正確です』
「正確に刺さないで」
自覚前春麗が、資料に新しい見出しを書いた。
「両想い到達速度」
「書かないで」
通常救済版春麗が、少しだけ微笑む。
「でも、これで本編春麗にも課題が見えたのではないかしら」
「課題?」
「宿題の正式回答を待つだけではなく、リュウと戦闘以外の時間を作ること」
本編春麗は、黙った。
その言葉は、さっきの匿名希望の書き込みと同じだった。
修行でもない。
勝負でもない。
青の確認でもない。
宿題でもない。
ただ、リュウと同じ時間を過ごす。
それを、本編春麗はまだしていない。
いや。
したいと思っていなかったわけではない。
ただ、置き場所がなかった。
青い小箱にも、危険封筒にも、宿題にも入らない。
でも、別ルートの春麗は、それを「食事だけ」と呼んだ。
そして、その先で「好き」と言った。
本編春麗は、小さく息を吐いた。
「……私は、私の進み方があるわ」
『発言信頼度:高』
本編春麗が、目を瞬いた。
「高なの?」
『はい』
「そこは高なのね」
『本編春麗は、第1話敗北開始ルート春麗と同じ進み方をする必要はありません』
通常救済版春麗が、ほっとしたように笑う。
「そうよ」
『ただし』
本編春麗の表情が固まる。
「ただしをつけないで」
『第1話敗北開始ルート春麗が示した課題は有用です』
「課題」
『リュウと戦闘以外の時間を作ること』
「……」
『好きという感情を、いつか本人へ渡すこと』
「……」
『宿題の正式回答を待つだけでなく、自分から次の時間を作ること』
本編春麗は、完全に沈黙した。
『本編春麗、涙目沈黙』
「だから、表示しないで」
その時、記録板AIが最後の匿名希望書き込みを表示した。
『匿名希望の追記』
『本編春麗へ』
『第1話敗北開始ルート春麗は、敗北から始まったため、リュウと修行する理由を得ました』
『その修行が、昼食と会話と正式試合と食事だけにつながりました』
『本編春麗には、その修行編はありません』
『だからこそ、別の理由が必要です』
『本編春麗が本編なら、本編春麗の理由でリュウと戦闘以外の時間を作ってください』
『楽しみにしています』
本編春麗は、しばらく動かなかった。
それから、ぽつりと言った。
「……最後だけ、少しまともなのが腹立つわ」
『匿名希望の書き込みです』
「分かっているわよ」
黒ドレス特化救済春麗が、にやりと笑った。
「本編春麗、宿題の回答待ちで止まっている場合じゃないわね」
「あなたは黙って」
自覚前春麗が資料を閉じた。
「今回の結論は、こうかしら」
「勝手に結論を出さないで」
「第1話敗北開始ルートは、一区切り。修行編、正式試合、食事だけ、告白、両想いまで到達」
「……」
「本編春麗は、十七話出番なしの間に、別ルートの進行に置いていかれた気分になった」
「……」
「ただし、本編春麗には本編春麗の進み方がある」
「そこは大事ね」
「でも、戦闘以外の時間を作る課題は残った」
本編春麗は、うつむいた。
「……そこも、大事ね」
『発言信頼度:非常に高』
「非常に高にしないで」
『非常に高です』
行き遅れに恐怖する春麗が、遠慮がちに手を上げた。
「本編春麗」
「何?」
「食事だけ、なら……まだ勝負ではないわ」
「あなたまで勧めないで」
「でも、修行でも勝負でもない日って、必要だと思うの」
本編春麗は、反論しようとして、できなかった。
記録板AIが保存名を表示する。
『保存名』
『本編春麗は、十七話ぶりに主人公だと思い出す』
『副題』
『その間に第1話敗北開始ルート春麗はリュウと両想いになっていた』
『保存先』
『春麗会議室ログ』
『本編時空への直接反映なし』
『ただし、本編春麗の青い小箱周辺へ強い余波あり』
「余波を出さないで」
『保証不能です』
「そればかりね」
『未投稿文候補を検知しました』
本編春麗が、はっと顔を上げる。
「検知しないで」
『未投稿文候補』
『私は本編なのに、まだ食事だけも言えていない』
「保存しないで」
『保存しました』
「しないでと言ったでしょう」
『追加候補』
『リュウと戦闘以外の時間を作る理由を、私も探さないといけない』
本編春麗は、今度は反論できなかった。
それは、あまりにも正しかった。
敗北開始ルート春麗は、負けた。
だから修行が始まった。
修行が昼食を生み、昼食が会話を生み、会話が関係を進め、正式試合が勝利を与え、勝利が食事だけの約束を作り、その食事で好きという名前を渡した。
本編春麗は、同じ道を通らない。
通らないからこそ、別の理由が必要になる。
春麗は、ゆっくり息を吐いた。
「……私は主人公よ」
『はい』
「めんどくさい女の春麗が主人公、なのでしょう?」
『はい』
「なら」
一拍。
「私のめんどくささで進むしかないわね」
『発言信頼度:高』
「そこは高でいいわ」
通常救済版春麗が、やさしく微笑む。
「少し元気が戻った?」
「戻っていないわ」
『発言信頼度:低』
「低にしないで」
黒ドレス特化救済春麗が笑う。
「でも、次に本編春麗が出る時、何をするか楽しみね」
「楽しみにしないで」
自覚前春麗が、最後の資料を読み上げた。
「次回検討候補。本編春麗、正式回答待ちのままではなく、自分から戦闘以外の時間を作れるか」
「資料名にしないで」
『資料名として保存しました』
「だから、保存しないで」
記録板AIは、淡々と最後の表示を出した。
『以上』
『第1話敗北開始ルートは一区切りです』
『本編春麗の出番再開が望まれます』
『ただし、再開時には第1話敗北開始ルート春麗の進行状況が精神HPに影響する可能性があります』
『保存完了』
本編春麗は、机に肘をつき、頬を押さえた。
「……十七話ぶりの出番で、これはひどいわ」
一拍。
「でも」
一拍。
「食事だけ、か」
その呟きを、会議室の全員が聞いた。
記録板AIが反応する。
『未投稿文候補を検知』
「検知しないで!」
『保留保存しました』
「保留の意味を考え直しなさい!」
春麗会議室は、久しぶりに本編春麗の声で満たされた。
その声は涙目だった。
だが、少しだけ前を向いていた。
少なくとも、十七話ぶりに。
Q:今回のディレクターズカットIFについて解説して?
A:
今回は、第1話敗北開始ルートが一区切りついたことを、春麗会議室側へ通知する回でした。
内容としてはかなりメタ回です。
本編春麗たちが気づかないうちに、第1話敗北開始ルートがかなり進んでいました。
修行編を終え、約束の正式試合で春麗がリュウに勝ち、その後「修行でも勝負でもない、食事だけ」の約束へ進み、さらにその先で春麗がリュウへ「好き」という感情の名前を渡すところまで行っています。
つまり、別ルートの春麗が、かなり王道にリュウとの関係を進めています。
一方で、本編春麗はリュウへ宿題を出し、その正式回答待ちの状態です。
本編春麗としては、当然ながら「私は主人公よね?」となるわけですが、記録板AIからは「はい、めんどくさい女の春麗が主人公です」と返されます。
このあたりが今回のひどいところです。
本編春麗は主人公です。
主人公なのですが、十七話ほど出番がない間に、別ルート春麗が修行、正式試合、食事、告白、両想いまで進んでいる。
本編であることと、関係が進んでいることは別。
ここを匿名希望こと黒執着春麗に刺させました。
今回の匿名希望はかなり的確です。
本編春麗には青の深度があります。
ただし、第1話敗北開始ルート春麗には、修行、昼食、職業会話、正式試合、食事だけ、告白、両想いという外側のイベント量があります。
本編春麗は内側で深く進んでいる。
敗北開始ルート春麗は外側のイベントとして分かりやすく進んでいる。
この違いが、今回の比較ポイントでした。
特に重要なのは「食事だけ」です。
修行ではない。
勝負でもない。
介抱でもない。
勝者特権でもない。
ただ、食事だけ。
この「戦闘の外側の時間」を作れたことが、第1話敗北開始ルート春麗の大きな前進でした。
そして、その時間があったからこそ、「好き」という感情をリュウ本人へ渡すことができた。
本編春麗にとって、ここはかなり大きな被弾点です。
本編春麗は青を選び直し、リュウに宿題を出し、かなり深いところまで進んでいます。
ですが、まだ「戦闘でも宿題でもない時間」を十分に作れていません。
だから今回、最後に本編春麗へ「リュウと戦闘以外の時間を作る理由を、私も探さないといけない」という課題が残ります。
今回の話は、本編春麗を負け扱いするための回ではありません。
むしろ、本編春麗の次の課題を明確にするための回です。
第1話敗北開始ルート春麗は、負けたから修行する理由を得ました。
修行が昼食につながり、昼食が会話につながり、正式試合が食事だけにつながり、食事だけが告白につながった。
一方、本編春麗は同じ道を通りません。
だからこそ、本編春麗には本編春麗の理由が必要になります。
リュウと戦闘以外の時間を作る理由。
宿題の正式回答を待つだけではなく、自分から次の時間を作る理由。
そこが今回の余波です。
十七話ぶりに出番が戻ってきた本編春麗が、いきなり別ルート春麗の両想い到達を知らされるという、かなりひどい復帰回でした。
ただ、最後には「私のめんどくささで進むしかない」と言えています。
ここが本編春麗らしいところです。
置いていかれたように見えても、同じ道をなぞる必要はない。
第1話敗北開始ルート春麗には、その春麗の王道があります。
本編春麗には、本編春麗の青と宿題とめんどくささがあります。
今回の春麗会議室は、その差を笑いながら整理しつつ、本編春麗の次の一歩へつなげるための回でした。
そして、何より今回は「食事だけ」という言葉がかなり強かったと思います。
戦わない。
修行しない。
でも会う。
本編春麗がそこへどう到達するのか。
そこが、今後かなりおいしい課題になりそうです。