また戦ってくれなんて言わないで ――春麗は今日もめんどくさい―― 作:エーアイ
朝。
春麗は、扉の隙間に差し込まれていた一枚の紙を見つけた。
封筒ではない。
飾り気もない。
ただ、丁寧に折られた紙。
表には、短く名前が書かれている。
春麗へ。
その字を見た瞬間、春麗は動きを止めた。
「……」
嫌な予感がした。
いや。
嫌ではない。
危険な予感がした。
春麗は、しばらくその紙を見ていた。
誰からかは、分かる。
分かりすぎる。
字が真っ直ぐすぎる。
余計な飾りがなさすぎる。
用件だけがそこに置かれている気配がする。
リュウだ。
春麗は、紙を手に取った。
開く前に、一度深呼吸する。
「……ただの連絡よ」
自分に言う。
「呼び出しとは限らないわ」
一拍。
「……いえ、名前だけで届いている時点で呼び出しね」
認めた。
認めてしまった。
春麗は、紙を開いた。
短い文だった。
春麗。
宿題の答えを考えた。
直接話したい。
いつもの場所で待つ。
リュウ。
春麗は、その文を一度読んだ。
二度読んだ。
三度読んだ。
そして、紙を閉じた。
「……」
部屋が静かだった。
あまりにも静かだった。
春麗は、閉じた紙を机の上に置く。
その横に、青い小箱がある。
開けない。
今日は開けない。
開けたら、話題候補がまた増える。
いや。
もう増えている。
宿題の答えを考えた。
直接話したい。
いつもの場所で待つ。
この三行だけで、十分増えている。
春麗は、机に両手を置いた。
「……正式回答」
言ってから、すぐに首を振る。
「宿題への正式回答」
訂正する。
大事だ。
この呼び方は、間違えてはいけない。
何か別のものの答えではない。
少なくとも、今の春麗はそう分類していない。
リュウに出した宿題。
私が、あなたの言葉で変わった後。
その春麗に、あなたがどう向き合うのか。
その完成版の答え。
それが、今日来る。
たぶん。
春麗は、紙をもう一度開いた。
宿題の答えを考えた。
リュウは、そう書いている。
途中回答ではない。
少なくとも、リュウ自身は、今日は答えるつもりで呼んでいる。
春麗は、胸元を押さえた。
「……呼ぶ側になったのね」
これまで、自分からリュウのところへ行くことが多かった。
自分から聞いた。
自分から宿題を出した。
自分から物語を動かした。
それは本編春麗として正しかった。
主人公補正を待たず、自分から動く。
そう決めた。
でも、今日は違う。
リュウが呼んだ。
手紙で。
宿題の答えを考えたと、自分から伝えてきた。
その事実が、春麗の精神をじわじわ削る。
「……まだ読んだだけよ」
言い聞かせる。
「まだ会っていない」
一拍。
「なのに、なぜもう削れているの」
誰も答えない。
当然だ。
記録板AIはいない。
春麗会議室でもない。
それでも、どこかで表示されている気がした。
『手紙被弾』
「ないわよ」
即座に否定する。
そんな分類はない。
ない。
たぶん。
春麗は立ち上がった。
青い武道服へ手を伸ばす。
今日は青。
迷わなかった。
黒ではない。
黒を忘れたわけではない。
黒を捨てたわけでもない。
ただ、今日は青だ。
リュウが見ている青の先。
宿題の答えを聞くなら、今日は青で受ける。
春麗は、青い袖に手を通した。
布が腕に馴染む。
何度も着ている。
けれど、今日は少し重い。
話題候補が増えた青。
宿題途中回答を受け取った青。
相打ちになった青。
進まれた青。
そして、これから正式回答を聞く青。
「……大丈夫」
春麗は鏡を見た。
青武道服の自分が映っている。
「これは宿題の答えを聞きに行くだけ」
一拍。
「それ以上ではない」
もう一拍。
「今は」
また余計な一言を足してしまった。
春麗は額に手を当てる。
「……今日は、言葉を選びなさい」
自分に言う。
リュウに向けてではない。
まず自分に向けて。
言葉を選べ。
分類を間違えるな。
聞く前に倒れるな。
聞いた後に倒れるのは、まだ許す。
「許さないわよ」
即座に自分に突っ込む。
許さない。
でも、可能性は高い。
春麗は、手紙を畳んで青い小箱の上に置いた。
入れない。
まだ入れない。
これは、これから受け取る答えの前に来た紙。
青い小箱に入れるのは、聞いた後だ。
必要なら。
たぶん。
春麗は部屋を出た。
いつもの場所。
リュウは、そこにいた。
拳を構えてはいない。
座ってもいない。
ただ、立っていた。
待っていた。
春麗が近づくと、リュウは顔を上げる。
「春麗」
「リュウ」
声は落ち着いていた。
少なくとも、そう聞こえたはずだ。
春麗は、リュウの前で止まる。
距離は、近すぎない。
遠すぎない。
戦う時より少しだけ遠い。
話すには、十分近い。
危険な距離。
リュウは言った。
「来てくれて、感謝する」
春麗は、最初の一撃を受けた。
「……礼を言うところなの?」
「ああ」
「あなたが呼んだのでしょう」
「ああ」
「だから、来たわ」
「そうか」
「そうよ」
春麗は腕を組んだ。
防御姿勢。
会話における防御姿勢。
リュウは、その姿を見て少しだけ頷いた。
「手紙は読んだか」
「読んだわ」
「短かったか」
「短かったわ」
「すまない」
「謝らない」
「そうか」
いつものやり取り。
そのやり取りがあるだけで、少しだけ呼吸が整う。
春麗は、リュウを見る。
「宿題の答えを考えた、と書いてあったわ」
「ああ」
「途中回答ではなく?」
「ああ」
「本当に?」
「ああ」
リュウは、まっすぐに頷いた。
「全部、まとまったわけではないかもしれない」
春麗は少しだけ目を細めた。
「最初から保険をかけるの?」
「保険ではない」
「では何?」
「俺が言葉にできるところまで考えた」
春麗は、少し黙った。
その言い方は、リュウらしかった。
全部を飾らない。
分かったふりもしない。
でも、考えたところまでは持ってくる。
「……いいわ」
春麗は言った。
「では、確認するわ」
「ああ」
「宿題の内容を覚えている?」
「ああ」
「言ってみなさい」
リュウは頷いた。
「春麗が、俺の言葉で変わった後」
春麗の胸が跳ねる。
「その春麗に、俺がどう向き合うか」
リュウは、静かに続けた。
「それを考えてくること」
春麗は、青い袖を握りそうになって、やめた。
覚えている。
当然のように。
その当然が危険だった。
「……合っているわ」
「よかった」
「よかったではないわ。ここからが本題よ」
「ああ」
リュウは、春麗を見る。
春麗もリュウを見る。
風が、少しだけ青い袖を揺らした。
今日は試合ではない。
拳を交えるわけではない。
それなのに、春麗は戦場にいる気がした。
言葉の間合い。
沈黙の圧。
視線の重さ。
精神が削れる気配。
リュウが、口を開いた。
「春麗」
「何」
「まず、前に言ったことから変えない」
春麗は、眉を動かした。
「前に言ったこと?」
「面倒でもいい。次も、俺に聞け」
春麗は呼吸を止めた。
初手。
初手からそこへ戻る。
リュウは続けた。
「あれは、変えない」
「……そう」
「春麗が面倒になることを、俺はやめる理由にしない」
春麗の精神が削れた。
まだ序盤。
まだ序盤なのに。
リュウは、淡々としている。
だが、軽くはない。
「俺の言葉で春麗が変わるなら」
一拍。
「その変わった春麗も見る」
春麗は、動けなくなった。
来た。
それは、以前の途中経過にも近い。
けれど、今日は違う。
言い切った。
途中ではない。
逃げるような言い方ではない。
春麗は、声を絞る。
「……見るだけ?」
リュウは少し考えた。
「見るだけではないと思う」
「思う?」
「ああ」
「そこは考えてきたのでしょう」
「考えた」
「なら、言い切りなさい」
春麗は、自分で言ってしまってから、危険を感じた。
言い切らせたら、危険だ。
だが、ここで曖昧にさせるのも違う。
宿題を出したのは自分だ。
リュウは答えを持ってきた。
なら、受ける。
リュウは頷いた。
「見るだけでは終わらせない」
春麗の精神がまた削れた。
「……続けて」
「春麗が俺の言葉で変わるなら」
「ああ」
「その春麗は、俺の言葉を持った春麗だ」
春麗は、言葉を失う。
「前の春麗と違っても」
一拍。
「前の春麗と比べて、戻そうとは思わない」
春麗の指先が、かすかに震えた。
戻そうとは思わない。
その言葉が、妙に深く刺さった。
自分が変わること。
言葉を受け取って変わること。
前と違う自分になること。
それを、失敗として扱わない。
戻すべきものとして扱わない。
リュウは、そう言っている。
春麗は、かろうじて言った。
「……前の私と比べないの?」
「ああ」
「青を選び直す前の私とも?」
「ああ」
「黒の後の私とも?」
「ああ」
「宿題を出す前の私とも?」
「ああ」
「面倒になった後の私とも?」
「ああ」
「あなた」
春麗は、そこで一度言葉を止めた。
「本当に、分かって言っている?」
リュウは、静かに答えた。
「全部は分かっていないと思う」
「そうでしょうね」
「だが、分かったふりはしない」
春麗は黙った。
「春麗が変わったなら、その変わった春麗と向き合う」
一拍。
「前と違うからと言って、前に戻せとは言わない」
風が止まった気がした。
春麗は、リュウを見ている。
リュウも、春麗を見ている。
言葉が、逃げ場を潰していく。
でも、嫌ではない。
嫌ではないことが、一番危険だった。
「……それが、あなたの答え?」
春麗は聞いた。
リュウは首を横に振った。
「まだある」
春麗は、少しだけ顔を引きつらせた。
「まだあるの?」
「ああ」
「今の時点でかなり危険なのだけれど」
「危険か」
「危険よ」
「なら、気をつける」
「気をつけたら威力が下がるわけではないわ」
「難しいな」
「難しいのよ」
いつものやり取り。
でも、もう戻れない。
リュウは、少しだけ目を伏せた。
「俺は、春麗の代わりに春麗のことは決められない」
春麗は、静かにリュウを見る。
「春麗がどう変わったのかも、俺が先に決めることではない」
「ああ」
「だが」
リュウは顔を上げた。
「俺の言葉が春麗を変えたなら、俺はその後の春麗から逃げない」
春麗は、胸元を押さえそうになった。
逃げない。
その言葉は、単純だ。
単純なのに、強い。
リュウらしすぎる。
春麗は、唇を噛みそうになって、やめた。
リュウは続ける。
「春麗が、俺の言葉を持って戻ってくるなら」
「ええ」
「戻ってきた春麗が、前と違っていても」
「ええ」
「俺は、その春麗を前の春麗と比べない」
もう一度。
繰り返された。
繰り返されたことで、さらに刺さる。
「その時の春麗として見る」
春麗の視界が少し揺れた。
「……その時の、私」
「ああ」
「便利な言い方ね」
「そうか」
「ええ」
春麗は、少しだけ笑った。
笑わないと危険だった。
「でも、逃げ道が少ないわ」
「逃げ道」
「あなたの言葉は、逃げ道を潰すのよ」
「すまない」
「謝らない」
「そうか」
リュウは、少しだけ考えてから言った。
「逃げ道を潰したいわけではない」
「では?」
「春麗が戻ってくる場所を間違えないようにしたい」
春麗は、完全に止まった。
今のは、危険だった。
かなり危険だった。
戻ってくる場所。
春麗会議室ではない。
青い小箱でもない。
リュウのところへ。
次も、俺に聞け。
その先。
春麗は、声が出なかった。
リュウは、気づいているのかいないのか、続ける。
「春麗が、俺の言葉で考えて」
「ええ」
「面倒になって」
「ええ」
「変わって」
「ええ」
「それでも、また聞きに来るなら」
春麗は、息を止めた。
「その春麗も、俺は受ける」
受ける。
見る、ではなく。
受ける。
春麗の精神が、大きく削れた。
足元が少し揺れる。
だが、倒れない。
倒れたくない。
これは、聞くべき答えだ。
自分が出した宿題への答え。
だから、聞く。
「……受ける」
春麗は繰り返した。
「ああ」
「私が面倒になっても?」
「ああ」
「前と違っても?」
「ああ」
「あなたの言葉で変わっていても?」
「ああ」
「また聞きに来ても?」
「ああ」
リュウは、まっすぐに言った。
「だから、変わった後でも、次も俺に聞け」
春麗は、完全に止まった。
青い袖が、風でわずかに揺れる。
音が遠くなる。
次も俺に聞け。
最初の言葉が戻ってきた。
でも、同じではない。
あの時の「次も聞け」は、面倒でもいいという受け止めだった。
今日の「次も俺に聞け」は、その先だった。
言葉で変わった後でも。
前と違う春麗になっても。
戻ってきた春麗が変わっていても。
その春麗を受ける。
だから、次も俺に聞け。
春麗は、息を吸う。
吸えない。
少しだけ遅れて、呼吸が戻る。
「……あなた」
声が震えた。
震えたことが悔しい。
「これは」
一拍。
「正式回答?」
リュウは、静かに頷いた。
「今の俺の答えだ」
春麗は、顔を伏せそうになった。
だが、伏せない。
今日、呼ばれた。
リュウが呼んだ。
リュウが答えを持ってきた。
だから、受ける。
春麗は、ゆっくり言った。
「……点数を付けるなら」
リュウが少しだけ目を細める。
「付けるのか」
「付けるわよ」
「そうか」
「採点者は私よ」
「ああ」
「でも」
春麗は、言葉を探した。
点数。
九十九点。
百点を付けない理由。
次がなくなるから。
そのルールは、まだ生きている。
でも、今日の答えは、単なる甘い言葉ではない。
宿題への正式回答。
春麗が変わった後の春麗に、どう向き合うか。
その答え。
点数で済ませていいのか。
いや。
点数を付けないと、保てない。
「……九十九点」
リュウは、少しだけ頷いた。
「百点ではないのか」
「百点は付けないと言ったでしょう」
「ああ」
「次がなくなるから」
「ああ」
「だから九十九点」
春麗は、そこで少しだけ言葉を止めた。
「ただし」
リュウが見る。
「今回の九十九点は、前の九十九点とは違う」
「違うのか」
「違うわ」
「どう違う」
春麗は、胸を押さえそうになった手を止める。
「前の九十九点は、甘い言葉としての九十九点」
「ああ」
「今回の九十九点は、宿題への正式回答としての九十九点」
言った。
言えた。
リュウは頷いた。
「そうか」
「そうよ」
「なら、次がある」
春麗の精神がまた削れた。
「……あなた、本当に追撃が上手くなっていない?」
「追撃」
「今のが追撃よ」
「すまない」
「謝らない」
春麗は、深く息を吐いた。
受け取った。
受け取ってしまった。
宿題の正式回答。
九十九点。
百点ではない。
次がある。
次も聞け。
ただし、今回は意味が違う。
春麗が変わった後でも。
その春麗を受ける。
前の春麗と比べない。
戻せとは言わない。
その時の春麗として見る。
受ける。
春麗は、リュウを見た。
「リュウ」
「ああ」
「今の答えは、かなり危険よ」
「ああ」
「私がどうなるか、分からないわよ」
「分からない」
「本当に分からないわよ」
「ああ」
「面倒になるわよ」
「ああ」
「戻ってきた時に、今よりもっと面倒かもしれない」
「ああ」
「少しは嫌そうにしなさい」
リュウは少し考えた。
「嫌ではない」
春麗は、そこで一度完全に固まった。
「……今のは」
「何だ」
「今のは採点外」
「そうか」
「採点外だけれど、危険」
「ああ」
「自覚しなさい」
「努力する」
「努力でどうにかなるなら、最初から苦労していないのよ」
春麗は、顔が熱くなるのを感じた。
だが、不思議と逃げたいとは思わなかった。
逃げたい気持ちはある。
あるが、逃げるのとは違う。
受け取ったものを持って、戻る必要がある。
青い小箱か。
春麗会議室か。
それとも、まず自分の部屋か。
分からない。
ただ、ここで全部は処理できない。
春麗は、一歩下がった。
「今日は、ここまで」
リュウは頷いた。
「ああ」
「答えは受け取ったわ」
「ああ」
「正式回答として」
「ああ」
「九十九点」
「ああ」
「ただし」
一拍。
「次があるわ」
リュウは、静かに頷いた。
「次がある」
その言い方が、また危険だった。
春麗は、青い袖を握った。
「……本当に、あなたは」
「何だ」
「いえ」
言わない。
今は言わない。
言うと、また何かが増える。
話題候補が増える。
青い小箱が重くなる。
春麗は、リュウに背を向けた。
「帰るわ」
「ああ」
「追い打ちは禁止」
「追い打ち」
「今から何か言うのは禁止」
リュウは少し考えた。
「分かった」
「本当に?」
「ああ」
春麗は、歩き出す。
これ以上、ここにいると危険だ。
今日は聞いた。
受け取った。
それで十分。
背中に、リュウの視線を感じる。
何も言わない。
約束通り。
何も言わない。
それが、なぜか少しだけ効く。
春麗は、振り返らなかった。
振り返ったら、たぶん負ける。
何に負けるのかは、まだ分類しない。
部屋に戻ると、春麗は扉を閉めた。
そのまま、しばらく立っていた。
青い袖を握る。
呼吸を整える。
整わない。
「……受け取った」
声に出す。
「宿題への正式回答」
一拍。
「九十九点」
もう一拍。
「次がある」
言葉にするたびに、胸の奥が熱くなる。
春麗は机へ向かった。
青い小箱がある。
その上に、今朝置いたリュウの手紙。
春麗は、手紙を手に取った。
宿題の答えを考えた。
直接話したい。
いつもの場所で待つ。
リュウ。
この手紙は、もうただの呼び出しではなくなった。
正式回答の前に届いた紙。
リュウが自分から動いた証拠。
春麗は、青い小箱を開ける。
中には、これまでの青がある。
話題候補がある。
未承認のものがある。
保留したものがある。
今日は、そこに新しい紙を入れなければならない。
春麗は、白い紙を取り出した。
書く。
宿題への正式回答。
九十九点。
前の春麗と比べない。
戻せとは言わない。
変わった春麗を見る。
その春麗を受ける。
変わった後でも、次も俺に聞け。
書いている途中で、春麗は止まった。
手が震えていた。
「……危険」
小さく言う。
危険すぎる。
だが、書かないともっと危険だ。
頭の中に置いたままだと、何度でも再生される。
紙に置く。
青い小箱に入れる。
それでも消えるわけではない。
ただ、持てる形にする。
春麗は、さらに書いた。
分類:正式回答。
一拍。
ただし、それ以外の名前はまだ付けない。
春麗は、そこに強く線を引いた。
大事だ。
今はまだ、宿題への正式回答。
それ以外の名前は付けない。
付けたら、たぶん持てない。
春麗は、紙を畳んだ。
手紙と一緒に、小箱へ入れる。
蓋を閉じる。
指先を置く。
「……受け取ったわ」
誰に向けて言ったのか、自分でも分からない。
リュウか。
青い小箱か。
自分自身か。
春麗は、そのまま机に突っ伏した。
精神HPは、たぶん残っていない。
だが、不思議と嫌ではなかった。
倒れているのに、終わった感じはしない。
むしろ、次ができた。
九十九点。
百点ではない。
次がある。
春麗は、突っ伏したまま小さく笑った。
「……本当に、次を残すのが上手くなったわね」
その言葉を最後に、意識が少しだけ沈んだ。
夜。
春麗会議室は、静かに開いた。
本編春麗は、円卓に座っていた。
顔は赤い。
精神HPは、明らかに残っていない。
それでも、姿勢だけは保っている。
記録板AIが、静かに表示した。
『会議開始』
『本日の議題』
『本編春麗、宿題への正式回答を受領』
本編春麗は、記録板を見た。
「……受領って言い方」
『正確です』
「正確すぎるのよ」
自覚前春麗が、机に身を乗り出した。
「来たの?」
本編春麗は、静かに頷く。
「来たわ」
「正式回答?」
「宿題への正式回答」
通常救済版春麗が、そこに反応する。
「確認したのね」
「ええ」
本編春麗は、少しだけ息を吐く。
「それ以外の名前は、まだ付けない」
『発言信頼度:高』
「そこは高でいいわ」
行き遅れに恐怖する春麗が、湯呑みを包んでいる。
「待っていた答えが、来たのね」
本編春麗は、そちらを見る。
「ええ」
行き遅れ春麗は、少しだけ目を伏せた。
「怖い?」
本編春麗は、少し考えた。
「怖いわ」
一拍。
「でも、嫌ではない」
会議室が、静かになった。
黒ドレス特化救済春麗が言う。
「中身は?」
本編春麗は、青い小箱から出した紙を円卓に置いた。
記録板AIが読み上げる。
『正式回答ログ』
『春麗がリュウの言葉で変わるなら、その変わった春麗も見る』
『前の春麗と違っても、前の春麗と比べて戻そうとは思わない』
『俺の言葉が春麗を変えたなら、俺はその後の春麗から逃げない』
『戻ってきた春麗が前と違っていても、その時の春麗として見る』
『その春麗を受ける』
『だから、変わった後でも、次も俺に聞け』
会議室が、完全に沈黙した。
自覚前春麗が最初に口を開く。
「……本編春麗」
「何」
「それ、九十九点で足りるの?」
本編春麗は、顔を赤くした。
「足りるわよ」
『発言信頼度:低』
「低にしないで!」
通常救済版春麗が、静かに言う。
「これは、かなり関係性が変わる答えね」
本編春麗は、少しだけ視線を伏せた。
「分かっているわ」
「でも、名前は付けない」
「付けない」
「宿題への正式回答として置く」
「ええ」
行き遅れ春麗が、小さく言う。
「待っていた答えが来ても、終わりではないのね」
本編春麗は頷く。
「終わりではない」
一拍。
「次がある」
記録板AIが表示する。
『重要到達点』
『本編春麗は、正式回答を受け取りました』
『ただし、関係性の最終名称付与は未承認』
『本件は、宿題への正式回答として処理されます』
『精神HP状態:実質ノックアウト』
『物語状態:継続』
自覚前春麗が腕を組む。
「実質ノックアウト」
「言わないで」
『正確です』
「正確なのは分かっているわ!」
黒ドレス特化救済春麗が、静かに言った。
「逃げなかったのね」
本編春麗は、その言葉を聞いて少しだけ黙った。
そして、頷いた。
「ええ」
「リュウも」
「ええ」
「あなたも」
本編春麗は、もう一度頷いた。
「……ええ」
通常救済版春麗が微笑む。
「なら、今日のところは、それで十分だと思うわ」
行き遅れ春麗が言う。
「答えが来た後にも、待つ場所はある」
自覚前春麗が、少しだけ赤くなりながら言う。
「でも、これは相当危険よ」
本編春麗は、ようやく少し笑った。
「知っているわ」
『会議結論』
『一、本編春麗は、リュウから手紙で呼び出されました』
『二、リュウは宿題への正式回答を提示しました』
『三、回答内容は、春麗が言葉で変わった後の春麗にも向き合うというものです』
『四、リュウは、前の春麗と比べて戻そうとはしないと明言しました』
『五、変わった後でも、次も俺に聞け、が再提示されました』
『六、本編春麗は九十九点を付与しました』
『七、ただし、関係性への名称付与は未承認です』
『八、精神HPは実質ノックアウトです』
本編春麗は、八番を見て深く息を吐いた。
「……否定できないのが悔しいわ」
『発言信頼度:高』
「そこは高でいい」
会議室の空気が、少しだけほどけた。
リュウに出した宿題の正式回答は来た。
でも、終わりではない。
名前はまだ付けない。
でも、関係性は確実に一段変わった。
春麗は、青い小箱の中へ、新しい紙を入れた。
宿題への正式回答。
九十九点。
次がある。
その紙は、今までのどの紙よりも重かった。
けれど、持てない重さではなかった。
春麗は、そっと蓋を閉じた。
「……次も、聞けるのね」
小さく呟いた。
誰も茶化さなかった。
記録板AIも、少しだけ黙っていた。
その沈黙が、今日だけはありがたかった。
Q:今回の断章IFについて解説して?
A:
今回の核は、「リュウが自分から春麗を呼び出し、宿題への正式回答を持ってくる」ことでした。
これまでの流れでは、春麗の方からリュウのところへ行くことが多くありました。
春麗が自分から聞きに行く。
春麗が宿題を出す。
春麗が話題候補を抱える。
春麗が青い小箱を開けて整理する。
つまり、本編春麗は自分から物語を動かす春麗でした。
それは本編春麗の強みでもあります。
ただ、今回はそこから一歩進めています。
リュウが手紙で春麗を呼び出す。
これはかなり重要です。
春麗が聞きに行くのではなく、リュウが答えるために春麗を呼ぶ。
リュウが、自分の側から「宿題の答えを考えた」と伝える。
この時点で、関係性が一段変わっています。
リュウが受け身ではなく、答えを持って春麗を待つ側に回ったからです。
今回の「正式回答」は、何か大きな名前の付いた答えではありません。
少なくとも、春麗本人はそう分類していません。
これはあくまで、春麗がリュウに出した宿題への完成版の答えです。
その宿題とは、
「私が、あなたの言葉で変わった後、その春麗に、あなたがどう向き合うのか」
というものです。
この問いは、かなり重いです。
単に甘い言葉を言うだけでは足りない。
その言葉を聞いた春麗が変わってしまった後、その春麗にどう向き合うのか。
ここまで問われている。
だから今回の回答も、かなり踏み込んだものになりました。
リュウの答えの中心は、
春麗が俺の言葉で変わるなら、その変わった春麗も見る。
前の春麗と違っても、前の春麗と比べて戻そうとは思わない。
俺の言葉が春麗を変えたなら、その後の春麗から逃げない。
戻ってきた春麗が前と違っていても、その時の春麗として見る。
その春麗を受ける。
だから、変わった後でも、次も俺に聞け。
というものです。
これは、かなり強い回答です。
ただし、直接的な名前付けはしていません。
ここが大事です。
リュウは、春麗の感情に名前を付けていません。
二人の関係に名前を付けてもいません。
春麗が何者になったのかを、リュウ側から決めてもいません。
ただ、言葉で変わった後の春麗から逃げない、と言っている。
前の春麗と比べて戻そうとはしない、と言っている。
その時の春麗として見る、と言っている。
そして、その春麗を受ける、と言っている。
この距離感が、今回のリュウらしさだと思います。
春麗の代わりに春麗を定義しない。
でも、春麗が変わることからは逃げない。
変わった春麗にも向き合う。
この答えは、春麗にとってかなり危険です。
なぜなら、春麗がずっと恐れていたものの一つが、「リュウの言葉を受け取った後、自分が変わってしまうこと」だったからです。
九十九点の言葉を聞いた後の春麗は、聞く前の春麗とは違う。
途中回答を受け取った春麗も、受け取る前とは違う。
青の先へ進まれた春麗も、以前の春麗ではない。
では、その変わった春麗はどうすればいいのか。
リュウは今回、そこに答えています。
前の春麗に戻そうとはしない。
その時の春麗として見る。
受ける。
だから、変わった後でも次も俺に聞け。
これは、春麗にとって逃げ道をかなり潰す言葉です。
ただし、逃げ道を潰すための言葉ではありません。
むしろ、戻ってくる場所を間違えないようにする言葉です。
ここが今回のリュウの一番危険で、一番大事なところです。
春麗はこの回答に九十九点を付けます。
百点ではありません。
本連作における百点は、次を失う点数です。
春麗は百点を付けません。
付けたら、そこで終わってしまうからです。
だから九十九点。
ただし、今回の九十九点は、以前の九十九点とは違います。
前の九十九点は、甘い言葉としての九十九点でした。
今回の九十九点は、宿題への正式回答としての九十九点です。
同じ九十九点でも、意味が違います。
今回の回答は、春麗とリュウの関係性を確実に一段変えています。
でも、終わらせてはいません。
次がある。
この「次がある」が本連作ではとても大事です。
リュウは最後に、また「次」を残します。
変わった後でも、次も俺に聞け。
春麗はそれを受け取ってしまう。
精神HPは実質ノックアウトです。
でも、物語は終わりません。
むしろ、次ができました。
今回の後半で春麗会議室が開いたのも重要です。
この回答は、一人で処理できるものではありません。
本編春麗は、宿題への正式回答として受け取る。
でも、それ以外の名前はまだ付けない。
関係性への名称付与は未承認。
精神HPは実質ノックアウト。
ただし、物語状態は継続。
この整理が必要でした。
行き遅れに恐怖する春麗の「待っていた答えが来た後にも、待つ場所はある」という視点も、今回かなり大事です。
待っていた答えが来たら終わりではない。
答えが来た後にも、処理する時間がある。
受け取った後にも、次の春麗がいる。
今回のリュウの回答は、まさにそこにつながっています。
変わった後の春麗。
戻ってきた春麗。
その時の春麗。
それをリュウが見ると言った。
だから本編春麗も、正式回答を受け取った後の自分として、次へ進むことになります。
今回の到達点は、
リュウが自分から春麗を呼んだこと。
宿題への正式回答が提示されたこと。
春麗がそれを九十九点として受け取ったこと。
ただし、関係性の名前はまだ付けないこと。
そして、変わった後でも次があること。
この五つです。
かなり大きな回です。
ただし、終着点ではありません。
むしろ、ここから先の本編春麗は、「正式回答を受け取った春麗」として進むことになります。
それは、これまでの春麗とは少し違う春麗です。
そしてリュウは、その春麗も見ると言った。
今回のエピソードは、その約束に近いものを置いた回だったと思います。