また戦ってくれなんて言わないで ――春麗は今日もめんどくさい―― 作:エーアイ
本編のIFシリーズは無関係のエピソードとなります。
本編春麗はリュウからの正式回答を持てるように自分の中で整理中です。
記録板AIは、外部検証領域に新しいログを表示した。
『本記録は、ディレクターズカットIFです』
『本編確定ログではありません』
『第1話敗北ルート内、二週間後再戦・春麗圧勝分岐の後続検証です』
『以下、検証ログを開始します』
部屋へ戻った春麗は、扉を閉めた。
背中を扉に預ける。
そのまま、少しだけ目を閉じた。
身体は熱い。
試合の熱が、まだ残っている。
開幕で踏み込んだ感触。
間合いぎりぎりから開脚突拳が入った瞬間。
リュウの身体が怯んだ瞬間。
追突拳。
平掌打。
スタン。
飛び込みからの連続技。
最後の百烈脚。
倒れたリュウ。
起き上がれないリュウ。
自分を見上げる、悔しそうなリュウ。
春麗は、ゆっくり息を吐いた。
「……勝った」
小さく呟く。
勝った。
それも、ギリギリではない。
圧勝だった。
二週間修行して戻ってきたリュウを、開幕から崩した。
立て直す隙を与えなかった。
何もさせないままスタンさせた。
連続技で倒した。
リュウは起き上がれなかった。
春麗は、部屋の中央まで歩く。
椅子に座ろうとして、やめた。
まだ座る気分ではなかった。
胸の奥が、熱い。
悔しさではない。
怒りでもない。
満たされている。
それを認めるのに、春麗は少し時間がかかった。
満たされていた。
格闘家として。
リュウを圧倒した。
二週間待たされた相手を。
二週間修行して戻ってきた相手を。
自分に敗者の印を刻まれたことを忘れないと言った相手を。
もう一度倒した。
しかも、今度は刻み直した。
額に。
敗者の印を。
春麗は、自分の指先を見た。
リュウの額に触れた指。
あの瞬間の熱が、まだ残っているような気がした。
「……忘れない、って言ったわね」
リュウは言った。
忘れない、と。
春麗が刻み直した敗北を。
春麗が圧勝した試合を。
春麗の名前を。
春麗が、初めてだったということを。
春麗は、そこで息を止めた。
初めて。
その言葉が、胸の奥でまた光る。
女の格闘家に負けたのは、春麗が初めてだ。
リュウはそう言った。
倒れたまま。
息を乱しながら。
額に敗者の印を刻まれたまま。
それでも、はっきりと。
春麗が、初めてだと。
春麗は手を胸に当てた。
鼓動が速い。
勝ったからではない。
いや、勝ったからでもある。
けれど、それだけではない。
自分が初めてだった。
リュウに初めて勝った女性格闘家。
女として見られたことで拳を鈍らせたリュウに、女であり格闘家である自分が勝った。
そして今日。
そのリュウを圧勝した。
女として見られたことが、傷だった。
リュウの拳が鈍ったことが、悔しかった。
女として迷われたのに、それでも負けたことが、ずっと胸の奥に残っていた。
けれど今日は違った。
今日は、春麗が勝った。
女として。
格闘家として。
その両方を持った春麗として。
リュウを倒した。
春麗は、鏡の前に立った。
そこには、試合を終えた自分がいる。
汗が残っている。
髪も少し乱れている。
呼吸も、まだ完全には戻っていない。
それでも、悪くない顔をしていた。
勝者の顔。
自尊心を取り戻した顔。
二週間待たされて、それでも自分の拳でリュウを倒した女の顔。
「……悪くないわ」
春麗は、鏡の中の自分にそう言った。
少しだけ笑う。
その笑みは、試合場でリュウを見下ろした時のものと似ていた。
勝者の笑み。
満足している。
かなり、満足している。
リュウを圧勝したことに。
リュウの悔しそうな顔を見たことに。
敗者の印を刻み直したことに。
自分が初めてだったと知ったことに。
春麗は、もう一度指先を見る。
あの時、確かに自分は満たされていた。
「あなたに初めて勝った女は、春麗よ」
自分で言った台詞を、口の中で小さくなぞる。
悪くない。
むしろ、かなり良かった。
格闘家としての自分も。
女としての自分も。
どちらも、あの言葉の中にあった。
リュウの中に刻んだ。
春麗という名前を。
春麗という格闘家を。
春麗という女を。
胸の奥が熱くなる。
春麗は、鏡の中の自分から少しだけ目を逸らした。
そこで、別の台詞が戻ってきた。
「修行してきて、この程度なの?」
春麗は、止まった。
今度は、胸ではなく、こめかみのあたりが熱くなった。
自分で言った。
倒れているリュウに。
二週間修行して戻ってきたリュウに。
起き上がれないリュウを見下ろして。
修行してきて、この程度なの。
春麗は、ゆっくり口元を押さえた。
「……かなり言ったわね」
言った。
かなり言った。
試合場では、自然に出た。
二週間待たされた怒りがあった。
勝者として刻み直したかった。
リュウに敗北を思い知らせたかった。
自分の勝利を軽く扱われたくなかった。
だから、言った。
言ってよかった。
たぶん。
たぶん、勝者としては正しい。
でも。
「……修行してきて、この程度なの、は」
一拍。
「かなり、刺したわね」
春麗は椅子に座った。
座ったというより、少し崩れた。
別の台詞も戻ってくる。
「女の私に圧勝されて、悔しくないの?」
春麗は、両手で顔を覆った。
言った。
それも言った。
倒れているリュウに。
起き上がれないリュウに。
額に敗者の印をつけた直後に。
女の私に圧勝されて、悔しくないの。
試合場では、完璧な煽りだった。
リュウの敗北を刺す言葉。
自分が女であり格闘家であることを突きつける言葉。
最初の試合で鈍った拳への返答。
あれは必要だった。
必要だったはずだ。
春麗は顔を覆ったまま、少しだけ前に倒れる。
「……必要だった、はず」
自信が少し揺れる。
さらに戻ってくる。
「あなた、他の女にもこんな風に負けているの?」
春麗は、完全に動けなくなった。
沈黙。
部屋の中が静かになる。
自分の呼吸だけが聞こえる。
「……それは」
一拍。
「それは、かなり」
言葉が続かなかった。
かなり何なのか。
強い。
重い。
意地が悪い。
嫉妬っぽい。
勝者煽りとしては鋭い。
女としては、少し踏み込みすぎている。
全部だった。
春麗は、ゆっくり顔を上げる。
鏡の中の自分が、さっきより赤くなっていた。
「違うわ」
反射的に言う。
「別に、他の女がどうとか、そういう意味じゃないわ」
鏡の中の自分は、何も言わない。
「挑発よ」
一拍。
「勝者としての煽り」
一拍。
「リュウの敗北を刺すために必要だったの」
鏡の中の自分は、まだ何も言わない。
春麗は目を逸らした。
「……少しは、気になったけれど」
言ってしまった。
自分で。
春麗はまた両手で顔を覆った。
気になった。
リュウが他の女に負けたことがあるのか。
他の女性格闘家にも、あんなふうに倒されたことがあるのか。
他の誰かにも、同じように敗者の顔を見せたことがあるのか。
気になった。
そして、リュウは答えた。
春麗が初めてだ、と。
その答えが、嬉しかった。
とても。
かなり。
認めたくないほど。
「……最悪ね」
春麗は、机に肘をついた。
勝った。
圧勝した。
自尊心は満たされた。
格闘家として、リュウに敗北を刻み直した。
女としても、自分が初めてだったと知った。
そこまではいい。
よくない部分もあるが、いい。
問題は、その後だ。
自分があまりにも気持ちよく煽りすぎた。
しかも、かなり本音が混ざっていた。
修行してきてこの程度なの。
これは二週間待たされた怒り。
女の私に圧勝されて悔しくないの。
これは格闘家としての誇り。
他の女にもこんな風に負けているの。
これは。
春麗は、そこで止まった。
「……これは、何?」
自分に聞く。
答えは出ない。
出したくない。
勝者の台詞。
挑発。
相手の敗北を刻むための言葉。
初戦の傷への返答。
そう言えばいい。
そう整理すればいい。
けれど、リュウが「春麗が初めてだ」と答えた瞬間、自分は満たされた。
それは、格闘家としてだけではなかった。
女としても。
春麗は、その事実を置く場所が分からなかった。
「……精神に来るわね、これ」
春麗は、机に突っ伏した。
試合場では勝者だった。
間違いなく勝者だった。
リュウは倒れていた。
起き上がれなかった。
春麗が見下ろしていた。
敗者の印を刻み直した。
なのに、今。
自室に戻ってから。
自分の台詞に、自分で殴られている。
遅れてくる。
勝利の余韻と一緒に。
自尊心の回復と一緒に。
女として満たされた感覚と一緒に。
あの煽りの強さが、戻ってくる。
春麗は、机に伏せたまま小さく唸った。
「……言いすぎたかしら」
一拍。
「でも、リュウが二週間も待たせたのが悪い」
一拍。
「いいえ、悪いわけではないわ。修行していたのだから」
一拍。
「でも、待たされたのは私」
一拍。
「だから、少しくらい刺しても」
一拍。
「少し?」
春麗は、自分で自分の言葉に止まった。
少しではない。
かなり刺した。
春麗は、机に伏せたまま指先で机を叩く。
敗者の印をつけた指。
リュウの額に触れた指。
その指が、今は落ち着かない。
「……悔しそうだったわね」
ぽつりと漏れた。
リュウの顔。
倒れて。
起き上がれなくて。
額に敗者の印を刻まれて。
それでも目を逸らさなかった顔。
悔しそうだった。
とても。
春麗は、その顔を思い出す。
胸の奥が、また満たされる。
同時に、顔が熱くなる。
「……いい顔だった」
言ってしまってから、春麗は完全に沈んだ。
机に額がつく。
もう駄目だった。
勝者としての満足。
格闘家としての誇り。
女として初めてだったという喜び。
二週間待たされた怒り。
強く煽りすぎた後悔。
でも、その顔が見られて満足している自分。
全部が混ざった。
分類できない。
試合ログにすればいいのか。
勝利記録にすればいいのか。
リュウへの敗北刻印記録にすればいいのか。
女としての自尊心回復に置けばいいのか。
言いすぎ反省に置けばいいのか。
分からない。
春麗は、顔を上げずに呟いた。
「……今日は勝ったのよ」
一拍。
「勝ったのに」
一拍。
「どうして、私がこんなに削られているの」
答える者はいない。
ただ、記憶だけがある。
リュウを圧勝した記憶。
リュウの額に敗者の印を刻んだ記憶。
リュウが「春麗が初めてだ」と言った記憶。
自分が「あなたに初めて勝った女は、春麗よ」と言った記憶。
リュウが「忘れない」と答えた記憶。
春麗は、机に伏せたまま目を閉じる。
勝った。
勝ったのは間違いない。
今日のリュウは敗者だった。
春麗は勝者だった。
それは揺るがない。
けれど、その勝利は、思っていたよりも後から来る。
嬉しさとして。
誇りとして。
熱として。
そして、精神への反動として。
「……次に会ったら」
春麗は、ぽつりと呟いた。
一拍。
「普通にしていればいいのよ」
さらに一拍。
「普通に」
沈黙。
「……できるかしら」
不安になった。
かなり不安になった。
あれだけ煽った後で。
あれだけ見下ろした後で。
あれだけ強く言った後で。
次にリュウと会った時、自分は普通に話せるのか。
リュウは覚えている。
忘れないと言った。
つまり、次に会うリュウは、今日の全部を覚えている。
開幕で崩されたこと。
スタンしたこと。
百烈脚で倒されたこと。
起き上がれなかったこと。
額に敗者の印を刻み直されたこと。
女の私に圧勝されて悔しくないの、と言われたこと。
他の女にもこんな風に負けているの、と聞かれたこと。
春麗が初めてだ、と答えたこと。
全部、覚えている。
春麗は、ゆっくり顔を上げた。
鏡の中の自分を見る。
勝者の顔は、まだ残っている。
だが、その上に、かなり赤い顔も重なっていた。
「……最悪」
一拍。
「でも」
春麗は、口元を押さえながら、少しだけ笑った。
「悪くはなかったわ」
それは敗北ではない。
後悔だけでもない。
勝利の反動。
自分が取り戻したものの重さ。
リュウに刻み直したものが、自分にも返ってきただけ。
春麗は、もう一度机に肘をついた。
今日は勝った。
リュウを圧勝した。
初めてリュウを負かした女性格闘家が自分だと知った。
それで自尊心は、確かに満たされた。
ただし。
あの煽りを思い出すたびに、しばらく精神にも来る。
春麗は、深く息を吐いた。
「……次は」
一拍。
「少しだけ、言葉を選ぶわ」
さらに一拍。
「たぶん」
その「たぶん」が、自分でも少し信用できなかった。
記録板AIは、そこで検証ログを停止した。
『検証ログ終了』
『保存名』
『春麗は、刻み直した敗北を夜に思い出して動けなくなる』
『保存先』
『ディレクターズカットIF外部検証領域』
『補足』
『春麗は試合には圧勝しました』
『補足二』
『ただし、勝者煽りの反芻により精神HPへの遅延ダメージが発生しました』
『以上、保存完了』
Q:今回のディレクターズカットIFについて解説して?
A:
今回のエピソードは、前回の圧勝分岐の後日談になります。
前回、春麗は二週間待たされた再戦でリュウを圧勝しました。
開幕から間合いを詰め、開脚突拳を当て、怯んだリュウをそのまま押し込み、スタンさせて、最後は飛び込みから百烈脚までつないで倒す。
かなり気持ちよく春麗が勝つ分岐でした。
今回の話は、その勝利の後、自室に戻った春麗が何を思うか、という話です。
まず大前提として、今回の春麗はちゃんと勝者です。
リュウを圧勝した。
額に敗者の印を刻み直した。
二週間修行して戻ってきたリュウを、もう一度倒した。
しかも、ギリギリではなく圧勝で倒した。
その事実は揺らぎません。
さらに、リュウから「女の格闘家に負けたのは春麗が初めてだ」と聞いたことで、春麗は格闘家としてだけでなく、女としての自尊心も満たされています。
このルートの春麗にとって、最初の試合でリュウの拳が鈍ったことはかなり大きな傷でした。
リュウは春麗を女として見た。
そのせいで一瞬拳が鈍った。
それなのに春麗は負けた。
これは、格闘家としても、女としても悔しい出来事です。
だからこそ、今回の圧勝分岐では、春麗がリュウを倒し直すことに大きな意味があります。
女として見られた春麗が、格闘家としてリュウを圧倒する。
そして、自分がリュウに初めて勝った女性格闘家だったと知る。
これによって、春麗の中で失われかけていた誇りがかなり強く回復しています。
ただし、この連作の春麗なので、それだけできれいに終わりません。
試合場では勝者として完璧に決まっていた煽りが、自室に戻って一人になった瞬間、自分に返ってきます。
「修行してきて、この程度なの?」
「女の私に圧勝されて、悔しくないの?」
「あなた、他の女にもこんな風に負けているの?」
このあたりは、勝者煽りとしてはかなり強いです。
二週間待たされた怒りもある。
リュウに敗北を刻み直したい気持ちもある。
初戦の悔しさを返したい気持ちもある。
だから、その場では必要な言葉でした。
でも、後から振り返るとかなり強い。
特に「他の女にもこんな風に負けているの?」は、春麗自身も後から精神に来ています。
あれは挑発です。
勝者としての煽りです。
リュウの敗北を刺す言葉です。
でも同時に、少しだけ本音も混ざっています。
リュウが他の女性格闘家にも負けたことがあるのか。
他の誰かにも、あの悔しそうな顔を見せたことがあるのか。
自分はリュウにとって特別な敗北なのか。
そこが気になってしまっている。
そして、リュウが「春麗が初めてだ」と答えたことで、春麗は満たされてしまう。
この「満たされてしまう」が、今回の精神ダメージの原因です。
勝った。
嬉しい。
誇らしい。
でも、自分が何にそこまで満たされたのかを考えると、少し置き場所に困る。
格闘家としての勝利なのか。
女としての自尊心なのか。
リュウを圧勝した満足なのか。
リュウの悔しそうな顔を見られた満足なのか。
自分が初めてだったことへの喜びなのか。
全部です。
だから春麗は、自室に戻ってから削られます。
試合には圧勝したのに、自分の言葉と自分の満足に後から攻撃される。
これが今回の話の面白いところだと思っています。
本筋の修行編では、春麗はリュウに撃ち落とされた恐怖で足が止まり、そこから修行によって少しずつ戻っていきます。
一方、この圧勝分岐では、春麗は恐怖では止まりません。
その代わり、自分の勝者煽りと、自分が満たされてしまった事実に後から止められます。
勝っているのに面倒くさい。
圧勝しているのに精神HPに遅延ダメージが入る。
かなり春麗らしい勝者後日談になったと思います。
今回の春麗は、最後に「次は少しだけ言葉を選ぶ」と言っています。
ただし、本人も「たぶん」と付けています。
この「たぶん」が大事です。
次に同じような状況になった時、本当に言葉を選べるかは分からない。
リュウがまた悔しそうな顔をしたら、また刺すかもしれない。
しかも、その後でまた自室で削られるかもしれない。
そういう意味で、この圧勝分岐の春麗は、恐怖を抱える本筋春麗とは別方向にかなり面倒くさい勝者になっています。
リュウを倒して満たされる。
リュウを煽って満たされる。
そのあと、自分の煽りに自分で削られる。
これはこれで、非常に春麗らしいディレクターズカットIFだったと思います。