また戦ってくれなんて言わないで ――春麗は今日もめんどくさい―― 作:エーアイ
本編のIFシリーズは無関係のエピソードとなります。
本編春麗はリュウからの正式回答を持てるように自分の中で整理中です。
記録板AIは、外部検証領域に新しいログを表示した。
『本記録は、ディレクターズカットIFです』
『本編確定ログではありません』
『二週間後再戦・春麗圧勝分岐の後続検証です』
『以下、検証ログを開始します』
春麗がその話を聞いたのは、試合の翌日だった。
リュウが入院した。
最初にその言葉を聞いた時、春麗は意味を理解するのに数秒かかった。
「……入院?」
聞き返した声は、自分でも分かるくらい固かった。
試合には勝った。
それも、圧勝だった。
開幕から踏み込み、間合いギリギリの開脚突拳を叩き込み、怯んだリュウに追突拳と平掌打を重ね、スタンさせた。
そして、飛び込みからの連続技で倒した。
リュウは起き上がれなかった。
春麗は、そのリュウの額に敗者の印を刻み直した。
さらに言った。
修行してきて、この程度なの?
女の私に圧勝されて、悔しくないの?
あなた、他の女にもこんな風に負けているの?
そこまで言った。
言った上で、春麗は試合場を後にした。
勝者として。
胸を張って。
リュウの悔しそうな顔を背中で受けながら。
その時は、それでよかった。
勝った。
圧勝した。
二週間待たされた分も含めて、リュウに敗北を刻み直した。
春麗は、格闘家としても女としても、自尊心を取り戻した。
そう思っていた。
だが、翌日。
リュウが入院した、と聞かされた。
春麗は、しばらく無言だった。
そして、頭の中に一つずつ言葉が戻ってきた。
修行してきて、この程度なの?
女の私に圧勝されて、悔しくないの?
あなた、他の女にもこんな風に負けているの?
春麗は、ゆっくり口元を押さえた。
「……最悪」
声が漏れた。
勝者煽りとしては完璧だった。
試合場では完璧だった。
リュウの敗北を刻む言葉としても、春麗の勝利を示す言葉としても、あの場では強かった。
強かった。
強すぎた。
しかも、相手はその後、入院した。
「……入院患者に、私は何を言ったの」
春麗は、椅子に座った。
いや、違う。
あの時はまだ入院患者ではなかった。
倒れていただけだ。
起き上がれないだけだった。
十分に悪い。
春麗は両手で顔を覆った。
さらに、別の問題が胸を殴ってきた。
自分は捜査官だ。
負傷者を見たら状態を確認する。
必要なら救護を呼ぶ。
意識、呼吸、出血、骨折の可能性。
最低限の確認くらいはする。
それが、捜査官として当然だ。
だが、昨日の春麗は何をしたか。
倒れて起き上がれないリュウに敗者の印をつけた。
煽った。
女の私に圧勝されて悔しくないの、と聞いた。
他の女にもこんな風に負けているの、と聞いた。
リュウが「春麗が初めてだ」と答えたことで満たされた。
そして、試合場を去った。
春麗は、両手で顔を覆ったまま固まった。
「……職務倫理」
一拍。
「格闘家としても、捜査官としても、女としても、全部だめじゃない」
格闘家としては、勝った相手の状態確認を怠った。
捜査官としては、負傷者を放置した。
女としては、倒れている男に「他の女にもこんな風に負けているの?」と聞いた。
春麗は机に額をつけた。
「……何なの、昨日の私」
昨日の自分は輝いていた。
今日の自分から見ると、完全に証拠品だった。
見舞いに行くしかない。
そう決めるまでに、春麗はさらに時間を使った。
行きたくない。
行かなければならない。
顔を合わせたくない。
合わせなければならない。
あんなに煽った相手の病室へ行く。
しかも自分が倒した相手だ。
自分が額に敗者の印までつけた相手だ。
おまけに、その相手はおそらく言う。
気にするな、と。
春麗は分かっていた。
リュウは責めない。
俺が弱かっただけだ。
春麗は気にするな。
そう言うに決まっている。
そして、それが一番刺さる。
「……いっそ怒りなさいよ」
春麗は果物籠を見つめながら呟いた。
見舞いの品をどうするかでも、春麗はかなり悩んだ。
花。
違う気がする。
華やかすぎる。
病室でリュウと花。
想像しただけで落ち着かない。
果物。
無難。
だが、リュウは何でも食べそうなので、逆に反応が読めない。
菓子。
入院中の食事制限に引っかかる可能性がある。
栄養のあるもの。
それはそれで、妙に世話を焼いているようで腹が立つ。
結局、春麗は果物籠にした。
無難。
非常に無難。
無難であることが、今の春麗にとって唯一の救いだった。
病院へ向かう道中、春麗は何度も謝罪の練習をした。
昨日は悪かったわ。
違う。
軽い。
怪我の具合はどう?
違う。
自分がやったのだ。
昨日の試合後、確認せずに帰ったのは私の落ち度だったわ。
捜査官すぎる。
ごめんなさい。
短い。
でも、これしかない。
春麗は果物籠を抱え直す。
「……ごめんなさい」
小さく言ってみる。
言える。
たぶん言える。
病室の前に立った時、言えるかどうかは別問題だった。
病室の扉の前で、春麗は深呼吸した。
中にリュウがいる。
昨日、倒れていたリュウ。
春麗が敗者の印を刻み直したリュウ。
春麗が煽ったリュウ。
その後、入院したリュウ。
春麗はもう一度深呼吸した。
「……入るわよ」
返事を待つ前に言ってしまった。
それもどうなのかと思ったが、今さらだった。
「ああ」
中から声がした。
春麗は扉を開けた。
リュウはベッドにいた。
上半身を少し起こしている。
包帯が見える。
腕にも、肩にも、胸にも処置の跡がある。
顔色は悪くない。
だが、明らかに無傷ではない。
春麗はそれを見た瞬間、胸がぎゅっと縮んだ。
昨日の自分の技が、一つずつ思い出される。
開脚突拳。
追突拳。
平掌打。
百烈脚。
自分の攻撃の結果が、目の前にあった。
リュウは春麗を見て、静かに言った。
「見舞いに来てくれたのか」
やめて。
その言い方はやめて。
春麗は病室の入口で固まった。
責められていない。
むしろ、来たことを普通に受け止められている。
それがもう痛い。
「……見舞いよ」
「ああ」
「一応」
「ああ」
「一応って言ったけれど、一応ではないわ」
「ああ」
「怪我人を見舞うのは当然でしょう」
「ああ」
「特に、私が怪我をさせたのだから」
リュウは少しだけ首を横に振った。
「春麗が気にすることじゃない」
来た。
早い。
春麗は顔を歪めた。
「言うと思ったわ」
「そうか」
「ええ。あなたなら言うと思った」
「俺が弱かっただけだ」
「それも言うと思った!」
春麗の声が少し跳ねた。
病室なので、すぐに声量を抑える。
リュウは静かに続ける。
「試合だった」
「分かっているわ」
「春麗は本気で来た」
「ええ」
「俺が受け切れなかった」
「それを言われると私が困るのよ!」
リュウは少しだけ黙った。
困っているのは春麗だった。
リュウは責めない。
だから、春麗の自責だけが逃げ場を失う。
春麗は果物籠を机に置いた。
「これ」
「ありがとう」
「まだ食べられるか分からないから、看護師に確認してからにしなさい」
「ああ」
「勝手に全部食べないこと」
「ああ」
「あなた、食べられると言われたら全部食べそうだから」
「そうかもしれない」
「否定しなさいよ」
リュウは少し考えた。
「気をつける」
「そういうところよ」
少しだけ、いつものやり取りになった。
そのことに、春麗はわずかに救われかけた。
だが、視線が包帯に行く。
すぐに救われた気持ちは消えた。
「……怪我は」
「大丈夫だ」
「大丈夫じゃないから入院しているのよ」
「ああ」
「そこは認めなさい」
「大丈夫ではない」
「言い方が素直すぎるのも困るわね」
春麗は椅子に座ろうとして、少し迷った。
座っていいのか。
長居していいのか。
そもそも自分は病室にいていいのか。
リュウが言った。
「座るといい」
「あなたに言われると、余計に座りづらいわ」
「そうか」
「座るけれど」
春麗は座った。
そして、膝の上で手を握った。
何を言えばいい。
謝る。
それしかない。
春麗はリュウを見る。
「昨日は」
声が詰まった。
リュウは待っている。
急かさない。
春麗は唇を噛み、言葉を出した。
「昨日は、悪かったわ」
「ああ」
「そこで普通に頷かないで」
「悪かったと思っているなら、受け取る」
「受け取られるのも困るのよ」
「そうか」
「そうよ」
春麗は息を吐いた。
「試合で勝ったことを謝るつもりはないわ」
「ああ」
「本気で戦った。あなたも本気だった。そこは謝らない」
「ああ」
「でも」
一拍。
「倒れて起き上がれないあなたを、確認もせずに放置した」
リュウは何かを言おうとした。
春麗が先に止める。
「言わないで」
リュウは黙った。
「試合だった、とか、俺が弱かった、とか、気にするな、とか、言わないで」
「ああ」
「今それを言われたら、私が余計に削られる」
「削られる?」
「精神が」
「そうか」
「納得しないで」
春麗は額に手を当てる。
「私は捜査官なのよ」
「ああ」
「倒れている人間を見たら状態確認くらいするべき立場なの」
「ああ」
「なのに昨日の私は、あなたの額に敗者の印をつけて」
一拍。
「煽って」
一拍。
「満足して」
一拍。
「帰った」
言葉にすると、ひどい。
かなりひどい。
春麗は自分で言って、自分に刺さった。
「……本当に何をしているの、私は」
リュウは静かに春麗を見ている。
春麗は続けた。
「しかも、煽り方が悪い」
「そうか?」
「そうか、じゃないわ」
春麗は指を折る。
「修行してきて、この程度なの?」
一本。
「女の私に圧勝されて、悔しくないの?」
二本。
「あなた、他の女にもこんな風に負けているの?」
三本。
春麗は自分の指を見て、固まった。
「……入院前の相手に言う台詞じゃないわ」
「その時は入院前だった」
「だから何なのよ!」
リュウは少しだけ黙る。
「いや」
「訂正しなくていいわ。事実だけれど、慰めになっていない」
「そうか」
「ええ」
春麗は、顔を覆いたくなった。
だが、病室なので我慢した。
「あなたが『春麗が初めてだ』と言った時、私は嬉しかったのよ」
「ああ」
「頷かないで」
「事実だ」
「そうだけれど!」
声がまた跳ねかける。
春麗は慌てて抑えた。
「私は、あなたを初めて倒した女性格闘家だった。あなたに初めて勝った女だった。それが嬉しかった」
一拍。
「そこまではいいわ」
本当にいいのかは分からない。
だが、今はそういうことにする。
「でも、嬉しさの処理に夢中になって、あなたの状態確認を忘れた」
一拍。
「捜査官失格」
一拍。
「格闘家としてもどうなの」
一拍。
「人としてもどうなの」
リュウは静かに言った。
「春麗」
「何」
「俺は生きている」
「そういう最低限のラインで安心させようとしないで」
「そうか」
「そうよ」
リュウは少しだけ考えた。
「骨も大きくは折れていない」
「それも最低限に近いわ」
「医者は、しばらく休めば戻ると言った」
「それは少し安心したわ」
春麗は、思わず素直に言ってしまった。
言ってから、少しだけ目を伏せる。
「……安心したわ」
「ああ」
「そこは頷いていい」
「ああ」
リュウは頷いた。
春麗は息を吐いた。
少しだけ、胸が軽くなる。
だが、すぐにまた重くなる。
「でも、私はあなたを放置した」
「春麗」
「何」
「俺は、春麗を責めていない」
「それが困るのよ」
春麗はリュウを見る。
「責められたら、私は謝れる」
一拍。
「怒られたら、受け止められる」
一拍。
「でも、あなたは言うでしょう」
一拍。
「俺が弱かっただけだ。春麗は気にするな」
リュウは少しだけ目を伏せた。
「言う」
「言わないで」
「ああ」
「言う前提で頷かないで」
「すまない」
「謝らないで。今、謝るのは私の方」
春麗は自分で言って、また混乱した。
病室の空気が静かになる。
外から、看護師の足音が遠くに聞こえた。
春麗は少しだけ肩の力を抜く。
「あなたは、本当に怒っていないの?」
「ああ」
「煽られたのよ」
「ああ」
「額に敗者の印もつけられた」
「ああ」
「入院した」
「ああ」
「少しは怒りなさいよ」
リュウは考えた。
「悔しかった」
春麗は止まる。
「……悔しかった?」
「ああ」
「怒りではなく?」
「悔しかった」
リュウは春麗を見た。
「何もできなかった」
一拍。
「春麗に崩された」
一拍。
「負けた」
一拍。
「だから、悔しかった」
春麗は言葉を失った。
リュウは続ける。
「煽られたことも覚えている」
「忘れて」
「忘れない」
「忘れて」
「忘れない」
「そこは頑固にならないで!」
リュウは少しだけ首を傾げる。
「春麗が刻んだ」
春麗の精神HPに、何かが直撃した。
「……言い方」
「額にも」
「やめなさい」
「言葉にも」
「やめなさい!」
春麗は顔を覆った。
リュウは責めていない。
責めていないのに、正確に刺してくる。
これが一番危険だった。
春麗は病室の椅子で、完全に動けなくなった。
「……私は、見舞いに来たのよ」
「ああ」
「謝りに来たのよ」
「ああ」
「どうして私が追加で削られているの」
「分からない」
「私も分からないわよ!」
病室なので声を抑える。
声を抑えた分、余計に苦しい。
春麗は深く息を吐いた。
リュウは静かに言った。
「春麗」
「何」
「来てくれて、ありがとう」
春麗は、今度こそ何も言えなかった。
それは、ずるい。
怒らない。
責めない。
その上で、ありがとうと言う。
春麗は目を伏せる。
「……受け取れないわ」
「そうか」
「今は無理」
「ああ」
「でも」
一拍。
「聞いてはおく」
「ああ」
リュウは頷いた。
春麗は、膝の上で拳を握る。
「次は」
言いかけて、止まる。
次は勝つ。
そう言いたい。
だが、ここは病室だ。
相手は入院中だ。
今それを言うのは、また何かを間違えそうな気がする。
春麗は言葉を選び直した。
「まずは、治しなさい」
「ああ」
「無茶をしないこと」
「ああ」
「勝手に退院しないこと」
「ああ」
「医者の言うことを聞くこと」
「ああ」
「果物を勝手に全部食べないこと」
「ああ」
「それから」
一拍。
「次に会う時は、病室ではなく、修行場か試合場にしなさい」
リュウは春麗を見た。
「春麗も来るのか」
「当たり前でしょう」
一拍。
「あなたに怪我をさせたことを、なかったことにするつもりはないわ」
一拍。
「でも、勝ったこともなかったことにはしない」
リュウは静かに頷いた。
「ああ」
「あなたが治ったら」
一拍。
「その時は、ちゃんと続きをする」
「試合か」
「まずは確認よ」
「確認?」
「あなたが本当に治ったか。動けるか。無茶をしていないか」
「ああ」
「その上で」
春麗は少しだけリュウを見た。
「次は、あなたが倒れていたら、状態確認くらいはするわ」
言ってから、春麗は顔が熱くなった。
台詞として、あまりにも低い目標だった。
リュウは真面目に頷いた。
「助かる」
「そこは真面目に受け取らないで!」
春麗は頭を抱えた。
本当に今日は駄目だ。
何を言っても自分に返ってくる。
リュウは悪くない。
悪くないのに、リュウの反応が全部刺さる。
春麗は立ち上がった。
「帰るわ」
「ああ」
「長居しても、私が自分で自分を削るだけだもの」
「そうか」
「そうよ」
春麗は果物籠をもう一度確認する。
「看護師に確認してから食べるのよ」
「ああ」
「勝手に修行しない」
「ああ」
「寝なさい」
「ああ」
「返事だけはいいのよね」
「ああ」
「今のは褒めていないわ」
「そうか」
春麗は、少しだけ笑ってしまった。
笑ったことに、自分で驚く。
まだ気まずい。
まだ申し訳ない。
まだ自分を責めている。
だが、リュウが生きていて、話せて、いつも通り少しずれていることに、救われてもいた。
それがまた腹立たしい。
「リュウ」
「ああ」
「昨日のことは、ごめんなさい」
今度は、最初より少しだけまっすぐ言えた。
リュウは静かに頷く。
「ああ」
「でも、勝ったことは謝らない」
「ああ」
「煽りすぎたことと、放置したことは謝る」
「ああ」
「そこは受け取りなさい」
「受け取った」
春麗は息を吐いた。
「……なら、今日はそれでいいわ」
「ああ」
春麗は扉へ向かった。
病室を出る直前、リュウが言った。
「春麗」
「何?」
「悔しかった」
春麗は振り返る。
リュウは、静かに続けた。
「だから、治ったらまた戦おう」
春麗は、しばらくリュウを見た。
胸の奥が、少し熱くなる。
そして、すぐに別の痛みも来る。
また戦う。
それは嬉しい。
だが、今は病室。
相手は包帯を巻いている。
春麗は目を細めた。
「まず治しなさい」
「ああ」
「本当に治してからよ」
「ああ」
「今度は、倒れたら確認するわ」
「ああ」
「……だから、倒れっぱなしでいなさいという意味ではないからね」
「分かっている」
「本当に?」
「ああ」
春麗は、深く息を吐いた。
「本当に、あなたって人は」
一拍。
「勝っても負けても、私を面倒にするのね」
リュウは少しだけ考えた。
「すまない」
「謝らないで」
春麗は病室を出た。
扉を閉める。
廊下に立った瞬間、春麗は壁に背中を預けた。
疲れた。
試合より疲れた。
病室で謝るだけのはずだった。
なのに、精神HPが削られた。
リュウは責めなかった。
それが一番痛かった。
春麗は、手で顔を覆う。
「……次は、勝っても状態確認」
一拍。
「勝者煽りは、相手の容態確認後」
一拍。
「捜査官として、最低限」
声に出して確認する。
ひどい反省項目だった。
だが、今の春麗には必要だった。
春麗は、ゆっくり歩き出す。
リュウは治る。
治ったら、また戦おうと言った。
悔しかったと言った。
それは、少し嬉しかった。
だが同時に、春麗は思う。
次に勝った時は。
絶対に放置しない。
煽るとしても。
せめて。
呼吸と意識と骨の無事を確認してからにする。
記録板AIは、そこで検証ログを停止した。
『検証ログ終了』
『保存名』
『春麗は、放置した敗者の病室で自分に刺される』
『保存先』
『ディレクターズカットIF外部検証領域』
『補足』
『本分岐では、春麗の圧勝後、リュウが入院しました』
『補足二』
『春麗は勝利そのものは謝罪していません』
『補足三』
『ただし、負傷者放置および勝者煽り過多により、病室内で精神HPに自損ダメージが発生しました』
『以上、保存完了』
Q:今回のディレクターズカットIFについて解説して?
A:
今回のエピソードは、二週間後の再戦でリュウに圧勝した春麗が、その勝利の翌日に現実を突きつけられる回でした。
春麗は試合に勝っています。
しかも、偶然でも紙一重でもありません。
試合開始直後からリュウの間合いへ踏み込み、連続攻撃で崩し、ほとんど何もさせないまま倒した。二週間待たされた悔しさも、以前に刻まれた敗北も、すべてまとめて返した圧勝です。
そのため、今回の春麗は勝ったこと自体を謝っていません。
本気で戦ったことも。
圧勝したことも。
リュウへ敗者の印を刻んだことも。
格闘家として行った勝負については、自分の勝利として守っています。
しかし、その後の行動は別です。
倒れて起き上がれないリュウの状態を確認せず、勝者煽りを重ね、満足したまま立ち去った。
翌日になってリュウが入院したと知ったことで、春麗は試合場では見ないようにしていたものを、まとめて見ることになります。
特に今回は、春麗が捜査官であることが強く返ってきています。
春麗は負傷者を見れば、意識、呼吸、出血、骨折の可能性を確認する立場です。それなのに、私的な勝負と勝利の高揚の中では、その最低限の判断さえ抜け落ちてしまった。
格闘家として勝った自分と、捜査官として負傷者を放置した自分。
その二つが翌日になって衝突しています。
タイトルの「自分に刺される」とは、リュウから責められることではありません。
春麗自身の職業意識。
春麗自身の倫理観。
春麗自身が前日に発した勝者煽り。
そのすべてが病室で春麗へ返ってくる、という意味です。
そして、リュウが春麗を責めないことが、この回をさらに苦しくしています。
もしリュウが怒っていたなら、春麗は謝罪できます。
勝者煽りがひどかった。
放置したのは悪かった。
そう認め、怒りを受け止めればよい。
しかしリュウは、
「試合だった」
「俺が弱かっただけだ」
「春麗は気にすることじゃない」
と受け止めてしまう。
リュウにとって、負傷は本気で戦った結果です。春麗の勝利も正当なものです。
だから責めない。
その誠実さによって、春麗の自責には逃げ場所がなくなります。
さらにリュウは、春麗に煽られたことも、額と言葉へ敗北を刻まれたことも、忘れないと言います。
これは復讐の宣言ではありません。
春麗に負けた事実を、自分の修行へ持ち帰るという宣言です。
春麗はリュウへ敗北を刻みました。
しかしリュウがその敗北をまっすぐ受け取ったため、今度は春麗の方が、自分のしたことを意識せずにはいられなくなった。
敗者の印が、勝者にも返ってきたわけです。
今回の春麗は、勝者でありながら精神HPを自分で削っています。
果物籠を選ぶだけで悩み。
謝罪の言葉を何度も考え。
病室でリュウの包帯を見て、自分の技を一つずつ思い出す。
試合では完璧に勝った春麗が、見舞いでは何を言っても自分へ返ってくる。
この反転が、今回の笑いと痛さの中心です。
ただし、この回は春麗を反省させて終わるだけの話ではありません。
春麗は最後まで、
「勝ったことは謝らない」
と線を引いています。
これは重要です。
リュウが入院したからといって、圧勝した事実を取り消す必要はありません。本気で戦ったことを後悔する必要もない。
春麗が認めたのは、勝敗の外側で自分が配慮を失っていたことです。
勝負は勝負として守る。
そのうえで、人として、捜査官として、試合後の行動を改める。
この分離ができたことで、春麗は単に落ち込むのではなく、次へ進めるようになっています。
その結果として出てきた反省が、
「次に勝った時は、相手の状態を確認する」
「勝者煽りは容態確認の後にする」
なのは、非常にこの連作らしいところです。
普通なら「もう煽らない」と反省する場面です。
しかし春麗は、勝者煽りそのものを捨てません。
順番を直します。
呼吸と意識と骨の無事を確認してから煽る。
成長ではありますが、到達した結論の水準が妙に低い。
それでも、前日の春麗よりは確実に進んでいます。
また、この見舞いは二人の関係にも小さな変化を作っています。
春麗は義務感や職務倫理を理由に病室へ行きましたが、リュウが無事であることに明確に安心しています。
リュウも、春麗に圧勝されたことを「悔しかった」と言い、治ったらまた戦うと約束します。
ここで春麗の勝利は、リュウを壊して終わったものではなく、次の修行へつながる敗北だったと確認されます。
だから春麗も、完全には自分を否定せずに済みます。
リュウを負傷させたことは重い。
放置したことは反省する。
しかしリュウは敗北を持ち帰り、もう一度春麗と戦うつもりでいる。
今回の見舞いは、春麗が自分の圧勝を「取り返しのつかない失敗」ではなく、「責任を持って次へつなげる勝利」として受け直すための回でもあります。
春麗はリュウへ敗北を刻みました。
翌日、病室でその言葉すべてが自分へ刺さりました。
それでも、勝利までは手放さなかった。
謝るべきところだけを謝り、次の勝負も諦めない。
今回のエピソードは、圧勝の気持ちよさに、その後始末まで含めて春麗へ持たせることで、勝者としての責任と、彼女らしい面倒くささを同時に描いた回でした。