また戦ってくれなんて言わないで ――春麗は今日もめんどくさい――   作:エーアイ

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※これはディレクターズカットIFです。
本編のIFシリーズは無関係のエピソードとなります。


ディレクターズカットIF:普通に負けた春麗は、何も始まらなかった夜を歩く

 ディレクターズカットIF検証領域。

 

 何も置かれていない暗い空間に、記録板AIの文字だけが浮かび上がった。

 

『本記録は、ディレクターズカットIFです』

 

『本編確定ログではありません』

 

『本記録によって発生した出来事』

 

『人物の認識』

 

『感情変化』

 

『以上は、本編時空へ逆同期されません』

 

 一拍。

 

『新規ルート検証を開始します』

 

『検証対象』

 

『第1話分岐』

 

『仮称』

 

『第1話普通敗北ルート』

 

 一拍。

 

『本ルートの前提条件』

 

『リュウは』

 

『試合開始時点から』

 

『春麗を実力ある格闘家として認識しています』

 

『女性であることを理由とした手加減』

 

『なし』

 

『女性として意識したことによる拳の鈍化』

 

『なし』

 

『春麗を侮る認識』

 

『なし』

 

『春麗へ必要以上の関心を向ける状態』

 

『なし』

 

 一拍。

 

『リュウは』

 

『春麗の拳』

 

『蹴り』

 

『間合い』

 

『呼吸』

 

『重心』

 

『以上のみを試合上の判断材料として扱います』

 

『春麗が女性であることを否定するものではありません』

 

『ただし』

 

『試合中の特別な意味として扱いません』

 

 一拍。

 

『想定される試合結果』

 

『リュウ勝利』

 

『春麗敗北』

 

『勝敗差』

 

『明確』

 

『ただし』

 

『春麗は重傷を負わず』

 

『精神HP大破も発生しません』

 

 一拍。

 

『既存第1話分岐との主な差分』

 

『本編第1話』

 

『リュウの拳が一度鈍る』

 

『春麗がその甘さを認識』

 

『春麗勝利』

 

『勝者春麗がリュウへ敗北を刻む』

 

 一拍。

 

『第1話ギリギリ敗北ルート』

 

『リュウの拳が一度鈍る』

 

『春麗がその甘さを認識』

 

『リュウが試合中に修正』

 

『春麗敗北』

 

『春麗がリュウに敗北を刻まれる』

 

『因縁形成』

 

 一拍。

 

『今回の普通敗北ルート』

 

『リュウの拳は最初から鈍らない』

 

『認識修正イベントなし』

 

『春麗は格闘家として正常に敗北』

 

『勝者と敗者の間に』

 

『特別な刻印が発生するかを検証します』

 

 一拍。

 

『検証命題』

 

『リュウが』

 

『最初から最後まで正しく春麗を見る場合』

 

『春麗とリュウの物語は始動するか』

 

 一拍。

 

『以下』

 

『検証ログを開始します』

 


 

 負けた。

 

 それは、あまりにも分かりやすい結果だった。

 春麗は、道場の床に片膝をついていた。

 呼吸は乱れている。

 肩も熱い。

 踏み込んだ足の感覚が少し遅れて戻ってくる。

 けれど、倒れてはいない。

 気絶もしていない。

 心が折れたわけでもない。

 

 ただ、負けた。

 

 相手はリュウ。

 白い道着の格闘家。

 噂には聞いていた。

 実際に拳を交えて、強いと分かった。

 

 速い。

 硬い。

 迷いがない。

 

 間合いに入った瞬間、春麗の踏み込みより半拍早く拳が置かれていた。

 こちらの蹴りを受ける腕に、余計な力みがない。

 

 視線がぶれない。

 誘っても、揺れない。

 崩そうとしても、重心が落ちない。

 

 春麗は攻めた。

 何度も攻めた。

 けれど、攻めた分だけ、リュウはその拳を春麗の前に置いた。

 

 無駄な言葉はなかった。

 こちらを侮る気配もなかった。

 逆に、必要以上に意識する気配もなかった。

 

 春麗を女として見た気配はなかった。

 だから拳は鈍らなかった。

 春麗は、それを試合中に理解していた。

 この男は、自分を一人の格闘家として見ている。

 

 それは、望ましいことのはずだった。

 

 実際、望ましいことだった。

 手加減されるよりずっといい。

 女だからと構えを崩されるよりずっといい。

 こちらの脚や姿勢や呼吸を、相手が妙な意味で見るよりずっといい。

 

 リュウは、ただ春麗の動きを見ていた。

 春麗の拳を見ていた。

 春麗の蹴りを見ていた。

 春麗の間合いを見ていた。

 そして、勝った。

 

 だから、これは綺麗な敗北だった。

 嫌になるくらい、綺麗な敗北だった。

 

「勝負あり、だな」

 

 リュウが言った。

 

 声は静かだった。

 勝ち誇る響きはない。

 春麗を慰める響きもない。

 ただ、結果を確認する声だった。

 

 春麗は、片膝をついたまま息を整えた。

 

「……ええ」

 

 一拍。

 

「私の負けね」

 

 言葉にすると、少しだけ悔しさが増した。

 けれど、それだけだった。

 胸の奥を抉られるような痛みではない。

 眠れなくなるほどの傷でもない。

 この男のことを忘れられなくなるような、そんな敗北でもない。

 

 ただ、悔しい。

 

 格闘家として。

 相手が強かったから。

 自分が届かなかったから。

 

 その程度の悔しさだった。

 その程度、と言えるくらいの悔しさだった。

 

「立てるか」

 

 リュウが尋ねた。

 

 手は差し出されなかった。

 冷たいわけではない。

 突き放しているわけでもない。

 ただ、春麗が自分で立つと思っている。

 そういう距離だった。

 

 春麗は小さく笑った。

 

「立てるわ」

 

「そうか」

 

 リュウは頷いた。

 

 それ以上、近づいてこない。

 春麗は、自分の足で立ち上がった。

 膝が少し揺れる。

 だが、立てた。

 

 リュウはそれを確認してから、構えを解いた。

 

「強かった」

 

 春麗は、少しだけ目を細めた。

 

 強かった。

 

 その言葉は、嬉しくないわけではなかった。

 けれど、刺さらなかった。

 熱くもならなかった。

 心のどこかへ深く入って、そこに残り続けるような言葉ではなかった。

 リュウは、ただ対戦相手を評価した。

 

 春麗も、それをただ受け取った。

 

「あなたもね」

 

「ああ」

 

「次は、勝つわ」

 

 言ってから、春麗は自分の声に少しだけ驚いた。

 

 それは宣言だった。

 けれど、執着ではなかった。

 

 今すぐ覚えておきなさい、と迫る言葉でもなかった。

 私を忘れるな、と刻む言葉でもなかった。

 ただ、格闘家として当然の言葉だった。

 

 負けた。

 だから次は勝つ。

 

 それだけ。

 

「また機会があれば俺と戦ってくれ」

 

 リュウは言った。

 

「ええ」

 

 春麗は頷いた。

 

 そこで、会話は終わった。

 

 本当に、終わってしまった。

 


 

 帰り道、春麗は一人で歩いていた。

 

 夜風が少し冷たい。

 身体のあちこちが痛む。

 ただし、歩けないほどではない。

 

 支えがほしいほどでもない。

 誰かに文句を聞いてほしいほどでもない。

 宿の部屋に戻って、湯を浴びて、休めばいい。

 

 明日には痛みが少し残る。

 明後日にはもっと薄くなる。

 一週間後には、今回の敗北も練習課題になる。

 そういう負けだった。

 

 健全だった。

 

 だからこそ、春麗は少しだけ足を止めた。

 

「……変ね」

 

 自分で呟いてから、苦笑する。

 

 何が変なのか。

 負けたことか。

 

 違う。

 

 負けは悔しい。

 でも、格闘家なら負けることはある。

 

 リュウが強かったことか。

 

 違う。

 

 強い相手と戦えたのは、むしろ良いことだ。

 

 手加減されなかったことか。

 

 違う。

 

 それは望んでいたことだ。

 

 女として見られなかったことか。

 

 そこまで考えて、春麗は眉を寄せた。

 

「馬鹿みたい」

 

 小さく吐き捨てる。

 

 女として見られなかった。

 

 それに傷ついたわけではない。

 そんなことを期待していたわけでもない。

 自分は戦いに来た。

 相手も戦った。

 それだけで十分のはずだった。

 

 リュウは正しかった。

 最初から最後まで、春麗を格闘家として扱った。

 余計な目を向けなかった。

 迷わなかった。

 拳を鈍らせなかった。

 だから、春麗はきちんと負けた。

 そこには屈辱もある。

 悔しさもある。

 けれど、不快感はなかった。

 むしろ、敬意があった。

 

 問題は、そこではない。

 問題は、あまりにも何も残らなかったことだった。

 

「……何も、ってことはないけど」

 

 春麗は夜道を歩きながら、自分の掌を見る。

 

 拳を握る。

 まだ感覚はある。

 

 リュウの拳を受けた腕は痛む。

 リュウの踏み込みを読めなかった場面も覚えている。

 

 次に戦うなら、もっと足元を見るべきだ。

 中距離で無理に入るより、相手の拳が置かれる瞬間をずらす必要がある。

 そういう反省はある。

 あるのだ。

 でも、それは訓練日誌に書ける種類の反省だった。

 

 胸の奥に残り続ける残響ではない。

 あの男の目を思い出して眠れなくなるようなものではない。

 

 強かった。

 負けた。

 次は勝つ。

 そこで、終わる。

 終われてしまう。

 

 春麗は、そこに少しだけ引っかかった。

 

 終われてしまうことに。

 

「いいことじゃない」

 

 自分に言い聞かせる。

 

 いいことだ。

 

 敗北を引きずらない。

 相手に妙な執着を持たない。

 女として見られたかどうかで揺れない。

 ただ格闘家として負け、格闘家として次を考える。

 それは健全だ。

 たぶん、正しい。

 それなのに。

 

 春麗は、夜道の途中で空を見上げた。

 

 星は少なかった。

 空を見ても、胸が痛むことはない。

 飛びたいとも思わない。

 飛べなくなる予感もない。

 黒いドレスのことなど、考えもしない。

 自分をどう見せるか。

 リュウをどう遅らせるか。

 どんな言葉を置けば、あの男の拳が鈍るか。

 そんな発想も生まれない。

 何も始まっていない。

 それが、このルートの答えだった。

 


 

 宿の部屋に戻ると、春麗は上着を脱いだ。

 鏡の前に立つ。

 そこには、試合を終えた自分がいた。

 

 髪は少し乱れている。

 頬に薄く汗が残っている。

 腕には赤みがある。

 格闘家として戦い、格闘家として負けた女がいる。

 ただし、リュウの前では、たぶん女ではなかった。

 

 いや、正確には違う。

 女ではなかったのではない。

 リュウは、そこを試合の材料にしなかった。

 

 春麗は鏡の中の自分を見た。

 

 それは良いことだ。

 良いことのはずだ。

 なのに、どこか薄い。

 

 傷が浅い。

 悔しさも浅い。

 次に勝つという気持ちも、熱を持ちすぎない。

 

 リュウの顔を思い出しても、胸が騒がない。

 拳を思い出せば課題が浮かぶ。

 目を思い出せば、ただ真面目な男だったと思う。

 

 それだけ。

 

「……それだけなのよね」

 

 春麗は鏡に向かって呟いた。

 

 それだけ。

 それ以上でも、それ以下でもない。

 

 自分は負けた。

 相手は強かった。

 次に会えば、また戦えばいい。

 会わなくても、それはそれでいい。

 このまま時間が経てば、リュウという名前は、強敵の一人として記憶に残る。

 特別な誰かにはならない。

 

 春麗は、それを想像できた。

 想像できてしまった。

 だから、少しだけ寂しかった。

 

 寂しい。

 

 その言葉が浮かんだ瞬間、春麗は顔をしかめた。

 

「違うでしょう」

 

 何が寂しいのか。

 負けた相手に特別な何かを求めていたわけではない。

 自分を女として見てほしかったわけでもない。

 自分だけを忘れないでほしかったわけでもない。

 リュウに何かを刻みたかったわけでもない。

 そういうものは、何も生まれていない。

 だからこそ、寂しいのかもしれなかった。

 

 春麗は、鏡から目を逸らした。

 

 布で汗を拭う。

 明日からまた鍛えればいい。

 蹴りの入りを変える。

 踏み込みの角度を修正する。

 リュウの拳が置かれる間合いを、次はもう少し外す。

 

 それでいい。

 それだけでいい。

 

 この敗北は、春麗を壊さない。

 

 春麗を眠れなくしない。

 春麗を黒へ向かわせない。

 春麗に空を失わせない。

 春麗に「忘れないで」と言わせない。

 春麗に「また戦ってくれなんて言わないで」と言わせない。

 

 だから、安全な敗北だった。

 きれいな敗北だった。

 そして、物語になりにくい敗北だった。

 


 

 ベッドに腰を下ろすと、身体の痛みが一気に重くなった。

 

 春麗は目を閉じる。

 リュウの拳を思い出す。

 

 鋭い。

 正確。

 迷いがない。

 

 あれは良い拳だった。

 

 次は、あの拳の置き方をずらす。

 右の踏み込みに対して、左へ流れるのが遅れた。

 

 中距離で無理に攻めすぎた。

 百裂脚へ入る前に読まれた。

 投げの間合いへ入る前に止められた。

 

 反省はいくらでもある。

 

 それを考えていると、悔しさが少しだけ戻ってくる。

 

 よかった。

 

 春麗は、自分にそう思った。

 

 ちゃんと悔しい。

 ただ、悔しいだけで済んでいる。

 

 ちゃんと負けた。

 ただ、負けただけで済んでいる。

 

 明日になれば、きっと練習したくなる。

 

 それでいい。

 それがいい。

 

「次は、勝つわ」

 

 小さく言う。

 

 けれど、その声に熱はそこまでない。

 静かな決意だった。

 

 誰かに聞かせるためではない。

 リュウに刻むためでもない。

 自分の中に置くための言葉だった。

 

 春麗は、そのまま横になった。

 眠気は、ちゃんと来た。

 眠れない夜にはならなかった。

 

 それが、このルートの一番大きな特徴だった。

 

 眠れてしまう。

 翌朝には、練習へ戻れる。

 数日後には、今回の試合を冷静に分析できる。

 数週間後には、リュウの名前を強敵リストの一人として扱える。

 

 それで終わる。

 終われてしまう。

 

 春麗は、眠りに落ちる直前、もう一度だけ思った。

 

 きっと、これでいい。

 

 でも。

 

 何も始まらなかったのね。

 

 その言葉だけが、眠りの端に薄く残った。

 


 

 春麗が眠りに落ちると同時に。

 

 ディレクターズカットIF検証領域では、記録板AIが観測ログを確定した。

 

『検証ログ終了』

 

『検証対象』

 

『第1話普通敗北ルート』

 

 一拍。

 

『試合結果』

 

『リュウ勝利』

 

 一拍。

 

『リュウ側観測』

 

『春麗を強敵として評価』

 

『女性であることによる判断変更』

 

『なし』

 

『拳の鈍化』

 

『なし』

 

『認識修正』

 

『不要』

 

『春麗へ特別な言葉を残す行動』

 

『なし』

 

『再戦への強い約束』

 

『なし』

 

『春麗を記憶へ刻む発言』

 

『なし』

 

 一拍。

 

『春麗側観測』

 

『敗北への悔しさ』

 

『あり』

 

『格闘家としての敬意』

 

『あり』

 

『女性として見られなかったことへの明確な傷』

 

『なし』

 

『リュウへの反感』

 

『なし』

 

『リュウへの執着』

 

『なし』

 

『リュウへ自分を刻みたい欲求』

 

『なし』

 

『リュウに自分を忘れさせたくない欲求』

 

『なし』

 

『次戦希望』

 

『軽度』

 

『次戦必須認識』

 

『なし』

 

 一拍。

 

『勝利・敗北後の相互関係』

 

『健全』

 

『対等』

 

『問題なし』

 

『因縁形成』

 

『なし』

 

 一拍。

 

『夜間観測』

 

『春麗』

 

『単独帰宅』

 

『歩行可能』

 

『敗北場面の反復想起』

 

『軽度』

 

『技術的反省』

 

『多数』

 

『感情的残響』

 

『低』

 

『不眠』

 

『なし』

 

『翌日の通常修行への復帰』

 

『可能』

 

 一拍。

 

『春麗が認識した違和感』

 

『敗北が正しく処理されたこと』

 

『相手が春麗を正しく扱ったこと』

 

『精神的な傷が残らなかったこと』

 

『以上を肯定』

 

 一拍。

 

『同時に』

 

『敗北が何も始めなかったことへ』

 

『軽度の物足りなさ』

 

『軽度の寂しさ』

 

『発生』

 

 一拍。

 

『ただし』

 

『当該感情は』

 

『リュウ個人への恋愛感情ではありません』

 

『執着でもありません』

 

『失われた関係への悲しみでもありません』

 

『形成される可能性があった物語が』

 

『形成されなかったことへの』

 

『説明困難な空白感です』

 

 一拍。

 

『既存ルートとの差分を整理します』

 

『本編第1話ギリギリ勝利』

 

『リュウの甘さが発生』

 

『春麗が甘さを見抜く』

 

『春麗勝利』

 

『春麗が勝者としてリュウを刻む』

 

『リュウに春麗を忘れさせない関係が始動』

 

 一拍。

 

『第1話ギリギリ敗北ルート』

 

『リュウの甘さが発生』

 

『春麗が甘さを見抜く』

 

『リュウが試合中に修正』

 

『春麗敗北』

 

『リュウが春麗へ届く』

 

『春麗が敗者としてリュウを忘れられなくなる』

 

『再戦因縁が始動』

 

 一拍。

 

『第1話普通敗北ルート』

 

『リュウの甘さ』

 

『発生せず』

 

『春麗による甘さの指摘』

 

『不要』

 

『リュウによる認識修正』

 

『不要』

 

『春麗敗北』

 

『ただし』

 

『勝敗以外の変化なし』

 

 一拍。

 

『判定』

 

『本編ルートと』

 

『第1話ギリギリ敗北ルートでは』

 

『最初の不完全な認識が』

 

『春麗とリュウの関係を始動させました』

 

『一方』

 

『第1話普通敗北ルートでは』

 

『リュウの認識が最初から適切であったため』

 

『修正イベント』

 

『感情的衝突』

 

『相互刻印』

 

『以上が発生しませんでした』

 

 一拍。

 

『検証命題への回答』

 

『リュウが』

 

『最初から最後まで春麗を正しく見た場合』

 

『春麗は健全に敗北を処理します』

 

『ただし』

 

『春麗とリュウの特別な物語は』

 

『始動しません』

 

 一拍。

 

『補足』

 

『正しい対応は』

 

『人物の尊厳を守ります』

 

『精神的損傷を抑えます』

 

『健全な関係を成立させます』

 

『ただし』

 

『正しい対応が』

 

『必ず物語を始めるとは限りません』

 

 一拍。

 

『本ルートにおける敗北』

 

『春麗を壊さない』

 

『春麗を眠れなくしない』

 

『春麗を黒へ向かわせない』

 

『春麗に空を失わせない』

 

『春麗に』

 

『忘れないで』

 

『と言わせない』

 

『春麗に』

 

『また戦ってくれなんて言わないで』

 

『と言わせない』

 

 一拍。

 

『春麗は』

 

『翌朝から通常の修行へ戻ります』

 

『リュウは』

 

『強敵の一人として記憶されます』

 

『再会した場合』

 

『再戦が行われる可能性はあります』

 

『ただし』

 

『再会を物語上必須とする因縁はありません』

 

 一拍。

 

『ルート分類』

 

『安全敗北ルート』

 

『健全修行復帰ルート』

 

『低危険度』

 

『低精神HP損傷』

 

『低物語火力』

 

『黒接続なし』

 

『空喪失接続なし』

 

『リュウ因縁形成なし』

 

『恋愛ルート始動なし』

 

 一拍。

 

『重要文』

 

『これは綺麗な敗北だった』

 

『嫌になるくらい、綺麗な敗北だった』

 

 一拍。

 

『この敗北は』

 

『春麗を壊さない』

 

『春麗を眠れなくしない』

 

『春麗を黒へ向かわせない』

 

『春麗に空を失わせない』

 

『春麗に「忘れないで」と言わせない』

 

『春麗に「また戦ってくれなんて言わないで」と言わせない』

 

 一拍。

 

『だから』

 

『安全な敗北だった』

 

『きれいな敗北だった』

 

『そして』

 

『物語になりにくい敗北だった』

 

 一拍。

 

『最終評価』

 

『本ルートに』

 

『重大な失敗はありません』

 

『リュウの対応』

 

『適切』

 

『春麗の敗北処理』

 

『正常』

 

『両者の尊厳』

 

『維持』

 

『格闘家としての関係』

 

『成立』

 

 一拍。

 

『それでも』

 

『何も始まりませんでした』

 

 一拍。

 

『当該結果は』

 

『検証失敗ではありません』

 

『何も始まらない可能性を確認したことが』

 

『本検証の成果です』

 

 一拍。

 

『保存名』

 

『普通に負けた春麗は、何も始まらなかった夜を歩く』

 

『副題』

 

『リュウが春麗を最初から格闘家として正しく見た場合』

 

『敗北は健全に処理され』

 

『因縁は発生しない』

 

 一拍。

 

『保存先』

 

『ディレクターズカットIFルート検証領域』

 

『第1話分岐棚』

 

『普通敗北ルート棚』

 

『安全敗北棚』

 

『低物語火力棚』

 

『何も始まらなかった棚』

 

 一拍。

 

『本編時空への逆同期』

 

『なし』

 

『春麗会議室への自動接続』

 

『なし』

 

『追加観測の必要性』

 

『低』

 

 一拍。

 

『保存完了』

 

『検証終了』

 

 一拍。

 

『最後に』

 

『何も始まらなかったことを』

 

『異常として修正する必要はありません』

 

『これは』

 

『春麗が壊れず』

 

『リュウも誤らず』

 

『二人が強敵として出会い』

 

『そのまま別々の夜へ帰ることのできた』

 

『一つの正常な結末です』

 

『以上』

 




Q:今回のディレクターズカットIFについて解説して?


A:

今回のディレクターズカットIFは、第1話でリュウが春麗を女性として意識せず、最初から最後まで格闘家として普通に見て、普通に勝利した場合の検証回でした。

このルートの核は、春麗が壊れないことです。
リュウは春麗を侮らない。
女性だからと手加減しない。
女性として見て拳を鈍らせることもない。
最初から一人の格闘家として見て、正しく戦い、正しく勝つ。
その結果、春麗は悔しがります。

ただし、その悔しさは健全な悔しさです。
眠れなくなるほどではない。
リュウを忘れられなくなるほどではない。
「忘れないで」と言いたくなるほどでもない。
黒ドレスへ向かうほどでもない。
空を失うほどでもない。
ただ、強い相手に負けた。
だから次は勝つ。
それで処理できてしまう。
ここが今回の一番大きなポイントです。

これまでの第1話敗北ルートは、リュウが最初に春麗を女性として見て、拳が鈍り、その後に格闘家として見直して勝つ、という非常に危険な始まり方をしていました。
あの構造では、春麗は単に負けたのではありません。
女性として見られた。
そのうえで格闘家としても見直された。
そして負けた。
さらに「強かった」と言われた。
この一連の流れが、春麗の中に強烈な引っかかりを残しました。

負けたのに嬉しい。
見られたことが腹立たしい。
でも、見られたことが忘れられない。
格闘家として倒されたのに、女性としても見られていた。

この複雑さが、後の執着、勝利への欲求、リュウに覚えていてほしい感情、空の喪失、回復へつながっていきました。
一方、今回の普通敗北ルートでは、その危険な引っかかりが発生しません。

リュウは最初から正しい。
春麗も、それを正しく受け取れる。
だから、傷が深くならない。
これは格闘家としては理想に近い敗北です。
侮られず、手加減されず、正面から戦い、力及ばず負ける。
敗北としては綺麗です。
けれど、物語としては弱い。

ここが今回の面白いところです。

普通敗北ルートの春麗は、不幸ではありません。
むしろ安全です。
精神HPは大きく削れない。
リュウへの危険な執着も生まれない。
黒にも行かない。
眠れない夜も来ない。
翌日には反省し、鍛え直し、通常の修行へ戻れる。

これは非常に健全です。
でも、本連作においては、健全すぎる。

リュウと春麗の間に、面倒なものが生まれないからです。
本連作の春麗とリュウの関係は、単に強い相手同士が戦うだけではありません。

見られたい。
でも見られると困る。

覚えていてほしい。
でも、それで強くなられると困る。

負けたくない。
でも、負けた自分も受けてほしい。

女として見られたい。
でも、格闘家として手加減されたくない。

こういう矛盾があるから、春麗は「めんどくさい女」になります。
しかし今回のルートでは、その矛盾が発生しません。

リュウが最初から春麗を格闘家としてだけ見ているからです。
もちろん、それは正しい見方です。

春麗に対して失礼ではありません。
むしろ礼儀正しい。

けれど、春麗の中の「女としての自分」と「格闘家としての自分」がぶつかるきっかけにならない。
リュウに対して「あなた、最初に私を女として見たでしょう」と責める理由もない。
「それなのに格闘家として見直して倒した」と言う因縁もない。
だから、物語が始まらない。

今回のタイトルにある「何も始まらなかった夜」は、そこを表しています。
何も起きなかったわけではありません。
試合はありました。
敗北もありました。
悔しさもありました。
リュウへの敬意もあります。
けれど、春麗の人生や内面を大きく変えるほどの何かは始まらなかった。
リュウは強敵の一人になる。
しかし、特別な男にはならない。
この差が非常に大きいです。

今回の春麗は、リュウを嫌いになっていません。
悔しさもあります。
再戦したい気持ちもあります。
ただし、それは通常の格闘家としての範囲に収まっています。

「また機会があれば」

「次は勝つわ」

この程度で終われる。
ここが怖いところです。
本来なら、この方が普通です。
この方が安全です。
この方が健全です。
けれど、この連作の春麗たちから見ると、どこか寂しい。

普通敗北ルートは、間違っていません。
むしろ正しい。
でも、本連作の核ではない。

なぜなら、本連作は「正しく負けて正しく立ち直る春麗」ではなく、「正しくないほど面倒な感情を抱えてしまった春麗」が、リュウと向き合う話だからです。

今回のルート検証によって、逆に第1話ギリギリ敗北ルートの特殊性がはっきりしました。
リュウが春麗を女性として見たこと。
その拳が一瞬鈍ったこと。
それでも格闘家として見直して倒したこと。
「強かった」と言ったこと。
「次は、最初から見る」と言ったこと。
このあたりが、どれだけ危険な火種だったかが分かります。

普通に格闘家として勝っただけなら、春麗はここまで引っかからない。
リュウを「忘れないで」と刻もうとしない。
つまり、物語がここまで大きくならない。

今回のIFは、派手な事件が起きる回ではありません。
むしろ、事件が起きなかった回です。
しかし、事件が起きなかったからこそ、事件が起きた本来ルートの意味が浮き彫りになります。

春麗が壊れたのは、単にリュウに負けたからではない。
春麗がリュウに執着したのは、単にリュウが強かったからではない。
リュウが春麗を、女性としても格闘家としても見てしまったから。
春麗がその見られ方に、腹を立てながらも深く刺されてしまったから。
そこが始まりだった。

普通敗北ルートでは、その始まりがない。
だから安全で、健全で、低危険度です。
けれど、同時に低物語火力です。

「低物語火力棚」「何も始まらなかった棚」という記録板AIの分類は、かなり正確だと思います。
これは敗北としては良い。
でも、物語としては始動しない。
普通敗北ルートは、本編や第1話敗北ルートを薄めるものではなく、むしろ濃くするための対照実験です。
重要なのは、普通敗北ルートの春麗が不幸ではないことです。

もしこのルートを「つまらない」「価値がない」と描きすぎると、格闘家として健全に負けて立ち直る春麗を否定することになります。
けれどそれは違います。

このルートは、このルートで正しい。
リュウも正しい。
春麗も正しい。
ただ、正しすぎて面倒な物語にならない。
そこがポイントです。

本連作の春麗は、正しいだけでは進まない。
面倒で、矛盾していて、逃げたいのに覚えていてほしくて、見られたいのに困って、勝ちたいのに甘えたい。
そういう余計なものがあるから、リュウとの関係が物語になる。

今回の普通敗北ルートは、その「余計なもの」が発生しなかった場合の検証でした。

春麗にとって、普通に処理できる敗北は安全です。
けれど、リュウを特別にしない。
逆に、危険な敗北は春麗を傷つけます。
けれど、リュウを忘れられない相手にする。

この二択の対比が、今回のIFの一番大きな意味です。

総合すると、今回のディレクターズカットIFは、「普通に正しいルート」を描くことで、「本編がなぜ普通では済まなかったのか」を明確にする回でした。

春麗が普通に負けて、普通に悔しがり、普通に眠れて、普通に修行へ戻る。
それは良いことです。
でも、そこには「また戦ってくれなんて言わないで」と言いたくなる春麗はいません。
「忘れないで」と刻みたがる春麗もいません。
リュウの言葉で精神HPを削られる春麗もいません。
つまり、本連作の春麗はいません。

今回のIFは、何も始まらなかったルートです。

そして、何も始まらなかったからこそ、何かが始まってしまった本編ルートの危険さと甘さが、よりはっきり見える回だったと思います。
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