また戦ってくれなんて言わないで ――春麗は今日もめんどくさい――   作:エーアイ

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※本編確定ではなく、断章IFです。


断章IF:本編春麗は、奇跡で会えた最後の一度を無駄にしない

「……リュウ」

 

 春麗が名前を呼ぶと。

 リュウは、少しだけ首を傾げた。

 

「どうした」

 

「どうして…あなたが、ここにいるのよ」

 

「この街へ戻ってきた」

 

「それは見れば分かるわ!」

 

 春麗の声が大きくなる。

 リュウが。

 少しだけ目を見開いた。

 

「春麗?」

 

「私が……どれだけ探したと思っているの?」

 

「探した?」

 

「一週間近くよ!」

 

 リュウの表情が変わった。

 

 春麗は。

 そのままリュウの前まで歩いた。

 

 拳の届く距離ではない。

 けれど。

 いつもより話すには。

 少し近い。

 

「いつもの場所へ行った」

 

「ああ」

 

「何度も!」

 

「ああ」

 

「時間も変えた」

 

「ああ」

 

「道場にも聞いた」

 

「ああ」

 

「山の修行場まで行った!」

 

 リュウが。

 わずかに目を見開いた。

 

「そこまで来たのか」

 

「あなたは、もういなかったわ!」

 

「そうか」

 

「そうか、ではない!」

 

 春麗は。

 リュウを睨んだ。

 

「電話番号は知らない」

 

「ああ」

 

「次の行き先も知らない」

 

「ああ」

 

「いつ戻るのかも」

 

「ああ」

 

「手紙を送る場所も知らない!」

 

「ああ」

 

「あなた……どうすれば、私と会えると思っていたの?」

 

 リュウは。

 少し考えた。

 

「戻れば会えると思っていた」

 

 本編春麗は。

 完全に止まった。

 

「……何ですって?」

 

「この街へ戻れば」

 

「ええ」

 

「いつもの場所へ行けば、春麗と会えると思っていた」

 

 本編春麗は。

 額へ手を当てた。

 

「あなたも?」

 

「ああ」

 

「あなたも、会えないとは思っていなかったの?」

 

「ああ」

 

「何の約束もしていないのに?」

 

「ああ」

 

「連絡先も知らないのに?」

 

「ああ」

 

「正式回答後に三度会えたから?」

 

「それ以前から会えていた」

 

 本編春麗は。

 何も言えなくなった。

 

 自分と同じだった。

 

 前も会えた。

 その前も会えた。

 正式回答の後も。

 三度会えた。

 だから。

 次も会える。

 

 二人とも。

 同じように思っていた。

 

 物語が。

 必要な時に。

 必要な場所で。

 二人を会わせてきた。

 その奇跡を。

 二人とも。

 関係の仕組みだと誤認していた。

 

「……信じられない」

 

「何がだ」

 

「私たちよ」

 

「そうか」

 

「そうよ!」

 

 春麗は。

 大きく息を吐いた。

 怒っている。

 確かに怒っている。

 

 だが。

 同じくらい。

 安心していた。

 

 リュウがいる。

 正式回答の後。

 三度会った後に。

 何も言わず旅へ出ただけで。

 

 春麗から逃げたわけではない。

 春麗へ考える時間を与えるために。

 意図的に距離を置いたわけでもない。

 

 次に会えないと思っていたわけでもない。

 戻れば会えると。

 当然のように思っていた。

 

 腹立たしいほど。

 春麗と同じように。

 

「リュウ」

 

「ああ」

 

「正式回答については」

 

 一拍。

 

「まだ、何も変わっていない」

 

「ああ」

 

「受け取っている」

 

「ああ」

 

「なかったことにはしない」

 

「ああ」

 

「でも、まだ全部は持てない」

 

「ああ」

 

「そこは…前に会った時と同じ」

 

「ああ」

 

 リュウは。

 何も急かさなかった。

 責めもしなかった。

 

「分かった」

 

 とだけ答えた。

 その短さに。

 春麗は、少しだけ救われた。

 

「ただし」

 

「ああ」

 

「今回の問題は、正式回答ではない」

 

「ああ」

 

「青でも黒でもない」

 

「ああ」

 

「試合でもない」

 

「ああ」

 

「私たちが…お互いのことを、何も知らないことよ」

 

 リュウは。

 少し考えた。

 

「何も、ということはない」

 

「そう…なら私が何の仕事をしているか知っている?」

 

 リュウは黙った。

 

「ほら!」

 

「仕事をしていることは知っている」

 

「それだけでしょう!」

 

「ああ」

 

「私も…あなたが旅をして修行していることしか知らない」

 

「ああ」

 

「旅費をどうしているのか」

 

「ああ」

 

「どこへ連絡しているのか」

 

「ああ」

 

「怪我をした時、誰が知るのか」

 

「ああ」

 

「誰か親しい人がいるのか」

 

 一拍。

 

「何一つ知らない」

 

 リュウは。

 

 少しだけ考えた。

 

「そうだな」

 

「今、気づいたような顔をしないで!」

 

「今、気づいた」

 

「私もよ!」

 

 春麗は。

 言ってから。

 余計に腹が立った。

 リュウだけを責められない。

 自分も。

 三度会えたことで安心していた。

 四度目も。

 五度目も。

 必要になれば会えると思っていた。

 

 物語の奇跡を。

 いつまでも使える日常だと思っていた。

 

 春麗は。

 一度、時計を見た。

 

 夕食を取るつもりで出てきた。

 リュウも。

 まだ食べていないかもしれない。

 

「リュウ」

 

「ああ」

 

「あなた、食事は?」

 

「まだだ」

 

「では、一緒に来なさい」

 

「ああ」

 

「ただし、今日は試合をしない」

 

「ああ」

 

「正式回答の話も、必要以上にはしない」

 

「ああ」

 

「代わりに」

 

 春麗は。

 リュウをまっすぐ見た。

 

「私たちが今まで話してこなかったことを話すわ」

 

「何だ?」

 

「だから、それを今から確認するのよ」

 


 

 食堂へ入り。

 二人は向かい合って座った。

 

 注文を済ませる。

 料理が届くまでの間。

 春麗は。

 改めてリュウを見た。

 

 何度も見た顔だ。

 拳を交えた。

 蹴りを受けられた。

 勝った。

 宿題の正式回答を受け取った。

 普通に会う練習もした。

 何も用がない日に会った。

 

 それなのに。

 

 この男が普段。

 どこで眠り。

 何を食べ。

 誰に連絡し。

 どうやって旅を続けているのか。

 ほとんど知らない。

 

 リュウも。

 春麗が普段。

 どのような仕事をし。

 どの時間に働き。

 何を守り。

 どの程度の危険の中にいるのか。

 知らない。

 

「……本当に」

 

 一拍。

 

「私たち、今まで何をしていたのかしら」

 

「戦っていた」

 

 リュウが答えた。

 春麗は。

 額を押さえた。

 

「正しいけれど!」

 

「ああ」

 

「正しすぎるのよ!」

 

「そうか」

 

「私たち」

 

 一拍。

 

「正式回答までしているのよ」

 

「ああ」

 

「宿題を出して」

 

「ああ」

 

「あなたが考えて」

 

「ああ」

 

「手紙で答えて」

 

「ああ」

 

「私が九十九点をつけて」

 

「ああ」

 

「まだ持てないと返事をして」

 

「ああ」

 

「それなのに」

 

 一拍。

 

「互いの仕事も連絡先も知らない」

 

「ああ」

 

「何を積み上げてきたのよ!」

 

「試合と話だ」

 

「分類が限定的すぎるでしょう!」

 

 リュウは。

 少しだけ考えた。

 

「春麗のことは、知っているつもりだった」

 

 春麗の動きが止まる。

 

「何を知っているの?」

 

「強い」

 

「ええ」

 

「負けず嫌いだ」

 

「…ええ」

 

「簡単には引かない」

 

「……ええ」

 

「言いたいことを、全部すぐに言うわけではない」

 

「………ええ」

 

「面倒でも、聞けば答えようとする」

 

「待って」

 

 一拍。

 

「今の話は危険だから、いったん止めなさい」

 

「分かった」

 

 春麗は。

 胸の奥の熱を逃がすように息を吐いた。

 

「今のは…内面の話でしょう」

 

「ああ」

 

「それを知っていることは否定しない」

 

「ああ」

 

「むしろ…なぜそこまで知っているのに、私の職業を知らないのよ」

 

「聞かなかった」

 

「私も言わなかったわ!」

 

「ああ」

 

 料理が運ばれてきた。

 二人の前に皿が置かれる。

 店員が離れる。

 

 春麗は。

 一口食べてから。

 箸を置いた。

 

「まず」

 

 一拍。

 

「私から話すわ」

 

「ああ」

 

「私は」

 

 少し迷う。

 職務には守秘義務がある。

 担当している事件。

 組織。

 捜査対象。

 具体的な任務。

 それらを話すことはできない。

 

 だが。

 所属と職種まで。

 何も言えないわけではない。

 

「国際警察機構の捜査官よ」

 

 リュウが。

 箸を止めた。

 

「警察官なのか」

 

「広い意味ではね」

 

 一拍。

 

「主に国境を越える犯罪を扱う」

 

「ああ」

 

「私は麻薬犯罪に関係する捜査へ入ることが多いわ」

 

 リュウの目が。

 わずかに変わった。

 

「危険な仕事だな」

 

「危険な時もある」

 

 一拍。

 

「でも、すべてをあなたに話すことはできない」

 

「ああ」

 

「守秘義務がある」

 

「ああ」

 

「捜査中の事件や、関係者の名前や、行動予定は言えない」

 

「ああ」

 

「私がしばらく連絡できない時も」

 

 一拍。

 

「理由を詳しく説明できないことがある」

 

「分かった」

 

「だから」

 

 一拍。

 

「連絡が途切れたからといって、私があなたを避けているとは限らない」

 

 言ってから。

 春麗は自分で止まった。

 今の言葉は。

 かなり先の関係まで想定している。

 

 リュウは。

 静かに頷いた。

 

「ああ」

 

「……そこは」

 

 一拍。

 

「もう少し驚いてもいいのよ」

 

「仕事のことか」

 

「最後の一文よ!」

 

「春麗が連絡できない時があることか」

 

「正確に復唱しないで!」

 

 春麗は。

 顔を少し逸らした。

 

「勤務時間は不規則」

 

 一拍。

 

「急に呼び出されることもある」

 

「ああ」

 

「数日、この街を離れることもある」

 

「ああ」

 

「電話に出られない時間もある」

 

「ああ」

 

「だから…私へ連絡する方法を作るなら、その前提が必要」

 

「ああ」

 

「でも…伝言を残す方法があれば、戻った後に確認できる」

 

「ああ」

 

 リュウは。

 少し考えた。

 

「春麗がどこにいるか、聞いてはいけない時もあるのか」

 

「ええ」

 

「いつ戻るかも」

 

「言えないことがある」

 

「分かった」

 

「それでも」

 

 一拍。

 

「戻ったら連絡するくらいはできる」

 

 リュウは頷いた。

 

「ああ」

 

 短い返事。

 だが。

 今までとは違う。

 春麗の生活を知ったうえで。

 その中に自分がどう関わるかを考える返事だった。

 

「次」

 

 春麗は言った。

 

「あなた」

 

「ああ」

 

「普段、どこで寝ているの?」

 

「宿があれば宿だ」

 

「なければ?」

 

「野宿する」

 

「知っていた気はするけれど」

 

 一拍。

 

「改めて聞くと腹が立つわね」

 

「なぜだ」

 

「怪我をしても野宿するの?」

 

「動ければ」

 

「動けるかどうかをあなたの基準で決めないで!」

 

「他に基準がない」

 

「そこから改善が必要ね」

 

 春麗は。

 料理を一口食べる。

 

「旅費は?」

 

「大会の賞金や、道場で頼まれた手合わせの礼がある」

 

「全部、自分で持ち歩いているの?」

 

「必要な分は」

 

「残りは?」

 

 一拍。

 

「……残りがあるの?」

 

「ああ」

 

「誰が管理しているの?」

 

「ケンだ」

 

 初めて聞く名前だった。

 春麗は。

 箸を止めた。

 

「ケン?」

 

「ああ」

 

「誰?」

 

「昔からの友人だ」

 

「格闘家?」

 

「ああ」

 

「一緒に修行したの?」

 

「ああ」

 

「どれくらい前から?」

 

「子供の頃からだ」

 

 春麗は。

 リュウを見つめた。

 

「子供の頃からの友人がいるの?」

 

「ああ」

 

「あなたに?」

 

「ああ」

 

「失礼な言い方になったわね」

 

「ああ」

 

「そこは否定しなさい!」

 

「失礼ではある」

 

「正確に返さないで!」

 

 春麗は。

 小さく息を吐いた。

 

「そのケンが」

 

 一拍。

 

「あなたの賞金を管理している?」

 

「ああ」

 

「なぜ?」

 

「俺が持っていると、旅の途中で邪魔になる」

 

「全部使う可能性もある?」

 

「必要なら使う」

 

「何に?」

 

「食事や移動だ」

 

「そうではなく」

 

 一拍。

 

「突然、道場の修理費を全部出したりしない?」

 

 リュウは黙った。

 

「するのね」

 

「困っていれば」

 

「だから管理されているのね!」

 

「そうかもしれない」

 

「本人の自覚がない!」

 

 春麗は。

 額へ手を当てた。

 

「そのケンとは、どうやって連絡を取るの?」

 

「町へ入った時に電話することがある」

 

「電話番号を覚えている?」

 

「ああ」

 

「手紙も送れる?」

 

「ああ」

 

「あなた宛ての伝言も受け取れる?」

 

「頼めば」

 

 春麗の目が変わった。

 

「それよ」

 

「何がだ」

 

「あなたへの連絡経路」

 

 一拍。

 

「そのケンという人を中継にできる」

 

 リュウは少し考えた。

 

「できると思う」

 

「思う、では困るわ」

 

「ケンなら受ける」

 

「あなたが決めていいの?」

 

「ああ」

 

「後で必ず本人にも説明しなさい」

 

「ああ」

 

「私から突然」

 

 一拍。

 

「リュウへの伝言をお願いします、と電話が来るのよ」

 

「ああ」

 

「驚くでしょう」

 

「驚くと思う」

 

「私が誰かも知らないでしょう」

 

「春麗だと言えば分かるかもしれない」

 

 春麗の動きが止まる。

 

「なぜ?」

 

「春麗の話はした」

 

 一拍。

 春麗は。

 完全に固まった。

 

「……誰に?」

 

「ケンに」

 

「いつ?」

 

「前に会った時だ」

 

「どこまで?」

 

 リュウは少し考えた。

 

「強い格闘家がいると」

 

「それだけ?」

 

「ああ」

 

「本当に?」

 

「ああ」

 

「宿題のことは?」

 

「言っていない」

 

「正式回答は?」

 

「言っていない」

 

「青や黒は?」

 

「知らない」

 

 春麗は。

 胸を撫で下ろしかけ。

 途中で止まった。

 

「待って」

 

 一拍。

 

「あなた」

 

「ああ」

 

「子供の頃からの友人へ」

 

「ああ」

 

「私のことを話したの?」

 

「ああ」

 

「強い格闘家がいる、と?」

 

「ああ」

 

「……そう」

 

 危険。

 わずかに危険。

 だが。

 今は正式回答の話ではない。

 

 春麗は料理へ視線を落とした。

 

「ケンについては」

 

 一拍。

 

「後でもう少し聞くわ」

 

「ああ」

 

「あなたの友人なのだから」

 

 一拍。

 

「連絡を預ける前に、最低限は知っておきたい」

 

「ああ」

 

「家族は?」

 

 リュウは。

 少しだけ考えた。

 

「俺のか」

 

「あなた以外の誰について聞くのよ」

 

「いない」

 

「そう」

 

 春麗は。

 その答えを軽く扱わなかった。

 深く聞くべきか迷う。

 リュウが話したくないなら。

 今ここで踏み込む必要はない。

 

「今は…それ以上は聞かない」

 

「ああ」

 

「話したくなったら…その時に話して」

 

 リュウは。

 春麗を見た。

 

「ああ」

 

 次に。

 リュウが聞いた。

 

「春麗は」

 

「何?」

 

「家族は」

 

 春麗の手が止まった。

 

 父。

 その言葉の周りには。

 仕事と。

 捜査と。

 失ったものがある。

 

「父がいたわ」

 

 一拍。

 

「今はいない」

 

 リュウは。

 何も軽く返さなかった。

 事情を聞かない。

 慰めの言葉も急がない。

 ただ。

 

「そうか」

 

 と答えた。

 その一言が。

 今日はちょうどよかった。

 

「……ええ」

 

 春麗は。

 料理を一口食べる。

 

「詳しいことは」

 

 一拍。

 

「いつか、話せる時に話すわ」

 

「ああ」

 

 食卓の上へ。

 短い沈黙が落ちた。

 不快ではなかった。

 試合前の沈黙とも。

 正式回答を待つ沈黙とも違う。

 互いに。

 まだ知らない場所があることを。

 知った後の沈黙だった。

 


 

 食事を続けながら。

 二人は。

 今まで話さなかったことを。

 少しずつ確認した。

 

 リュウは。

 旅先で道場へ立ち寄ることがある。

 大会へ出ることもある。

 宿に泊まる。

 金がなければ、手合わせや仕事を手伝うこともある。

 荷物は少ない。

 長く同じ場所へ留まる予定は。

 ほとんど立てない。

 

 春麗は。

 勤務時間が一定ではない。

 仕事中は連絡を受けられないことがある。

 休日が急に消えることもある。

 捜査の都合で街を離れる。

 帰る日を言えない場合もある。

 

 春麗は。

 料理の辛さには強い。

 

 リュウは。

 量を食べる。

 

 春麗は。

 仕事から帰った後。

 資料を読みながら食事を済ませることがある。

 

 リュウは。

 修行の後なら、店を選ばず何でも食べる。

 

「……本当に」

 

 一拍。

 

「何をしていたのかしら」

 

 春麗が呟いた。

 

「戦っていた」

 

「それはもう聞いたわ!」

 

「ああ」

 

「でも」

 

 一拍。

 

「あなたが、どこで眠っているのかも」

 

「ああ」

 

「誰と連絡を取っているのかも」

 

「ああ」

 

「何を食べているのかも」

 

「ああ」

 

「知らなかった」

 

「ああ」

 

「あなたも」

 

 一拍。

 

「私が何の仕事をしているか知らなかった」

 

「ああ」

 

「仕事へ行っているとしか思っていなかった?」

 

「ああ」

 

「……私たち」

 

 一拍。

 

「心の不可侵領域へ踏み込むような宿題は出したのに」

 

「ああ」

 

「日常の入口で止まっていたのね」

 

 リュウは。

 少し考えた。

 

「今、入った」

 

 本編春麗は。

 固まった。

 

「何に?」

 

「日常の入口に」

 

 春麗は。

 胸元へ手を置きかけ。

 やめた。

 

「あなた」

 

 一拍。

 

「今の言い方は危険だと分かっている?」

 

「分からない」

 

「でしょうね!」

 

 春麗は。

 顔を少し逸らした。

 しかし。

 否定はしなかった。

 

 確かに。

 今日。

 二人は初めて。

 互いの日常の入口へ立った。

 


 

 食事が終わる頃。

 春麗は。

 鞄から小さな手帳を取り出した。

 

「では」

 

 一拍。

 

「連絡方法を決めるわ」

 

「ああ」

 

「あなた自身の電話番号は?」

 

「ない」

 

「予想はしていたわ」

 

 一拍。

 

「でも、本人の口から聞くと頭が痛いわね」

 

「そうか」

 

「まず」

 

 春麗は。

 紙を一枚切り取る。

 番号を書く。

 

「これは、私の自宅の固定電話」

 

 リュウが。

 紙を見る。

 

「電話」

 

「町に着けば、公衆電話か宿の電話を使えるでしょう」

 

「ああ」

 

「私が仕事中なら、出られないこともある」

 

「ああ」

 

「留守番電話が応答したら」

 

「留守番電話」

 

「声を残す機械よ」

 

「ああ」

 

「名前と」

 

 一拍。

 

「次にいつかけるかだけ言いなさい」

 

「ああ」

 

「仕事の内容は聞かない」

 

「ああ」

 

「私がどこにいるかも、留守番電話へ詳しく残さない」

 

「ああ」

 

「ただし」

 

 一拍。

 

「帰ってきたら、私から確認できる」

 

「ああ」

 

 春麗は。

 自宅の住所も書いた。

 

「これは、私的な手紙の受取先」

 

「ああ」

 

 春麗は。

 紙を差し出した。

 リュウが受け取る。

 

 小さな紙だった。

 正式回答の手紙より。

 ずっと短い。

 

 電話番号。

 住所。

 連絡可能な時間の目安。

 

 それだけ。

 だが。

 春麗にとっては。

 正式回答を受け取った時とは。

 まったく別の意味で。

 大きな紙だった。

 

 自分の生活へ。

 リュウが入ってくるための道を。

 自分から渡している。

 

「なくさないで」

 

「ああ」

 

「道着のまま洗わないで」

 

「ああ」

 

「本当に分かっている?」

 

「ああ」

 

 信用しきれない。

 春麗は考え。

 

「一度、読んで」

 

「電話番号を?」

 

「そう」

 

 リュウが。

 紙に書かれた番号を読み上げる。

 間違っていない。

 

「住所も」

 

 リュウが読む。

 

「よし」

 

「覚えた」

 

「紙も持っていなさい!」

 

「ああ」

 

「次」

 

 一拍。

 

「ケンの連絡先」

 

 リュウは。

 春麗から手帳と筆記具を受け取った。

 

「これは」

 

 一拍。

 

「ケンが、俺へ連絡する時に使わせてくれている番号だ」

 

「本人の自宅?」

 

「違う」

 

「なら?」

 

「俺宛ての伝言を預けてもいい場所だ」

 

「ケン本人には」

 

 一拍。

 

「後で必ず説明するのよ」

 

「ああ」

 

「私の名前も」

 

「ああ」

 

「突然、知らない女から」

 

 一拍。

 

「リュウに会いたいので伝言を、と電話が来たら困るでしょう」

 

「春麗の名前は知っている」

 

「その話は、まだ少し危険なのよ!」

 

「ああ」

 

 春麗は。

 リュウが書いた番号と宛先を確認した。

 

「ここへ連絡すれば」

 

 一拍。

 

「あなたが次にケンへ連絡した時、伝言を受け取れる?」

 

「ああ」

 

「どれくらいの頻度でケンへ連絡しているの?」

 

「決めていない」

 

「決めなさい」

 

「必要な時に」

 

「あなたの必要ではなく」

 

 一拍。

 

「伝言を受け取るために定期的に連絡しなさい」

 

「どれくらいだ」

 

 春麗は考えた。

 毎日では。

 リュウの生活には合わない。

 それでも。

 一月単位で音信不通では困る。

 

「町へ立ち寄った時」

 

 一拍。

 

「公衆電話を使えるなら、ケンへ連絡する」

 

「ああ」

 

「必ず毎回とは言わない」

 

 一拍。

 

「でも、何週間も放置しない」

 

「ああ」

 

「それから」

 

 春麗は。

 自分の番号が書かれた紙を指した。

 

「この街へ戻る前には」

 

 一拍。

 

「私へ電話する」

 

「ああ」

 

「今日のように」

 

 一拍。

 

「道を歩いていれば会えると思わない」

 

「ああ」

 

「いつもの場所へ行けば、私がいると思わない」

 

「ああ」

 

「会いたいなら」

 

 一拍。

 

「連絡する」

 

「ああ」

 

「私も」

 

 一拍。

 

「会いたいなら、ケンへ伝言を残すか、手紙を送る」

 

「ああ」

 

「それから」

 

 一拍。

 

「私が仕事で連絡できない時は」

 

「ああ」

 

「すぐに答えが来なくても、勝手に結論を出さない」

 

「ああ」

 

「あなたも、長く旅へ出る時は」

 

 一拍。

 

「少なくとも、次にどこから連絡するつもりか残す」

 

「ああ」

 

 リュウは。

 春麗の紙を折った。

 道着の内側へ入れる。

 

 春麗は。

 その動きを最後まで見た。

 

「リュウ」

 

「ああ」

 

「私たち」

 

 一拍。

 

「今まで、どうして会えていたのかしら」

 

 リュウは。

 少し考えた。

 

「会おうと思っていたからではないのか」

 

「それだけで…世界中を旅する人間と、何度も会えると思う?」

 

「今までは会えた」

 

「そうなのよ」

 

 春麗は。

 少しだけ笑った。

 

「今までは」

 

 一拍。

 

「会えたのよね」

 

「ああ」

 

「何の約束もなく」

 

「ああ」

 

「連絡先もなく」

 

「ああ」

 

「行けばいた」

 

「ああ」

 

「待てば来た」

 

「ああ」

 

「正式回答の後も」

 

 一拍。

 

「三度も会えた」

 

「ああ」

 

「まるで…物語が、私たちを会わせていたみたいに」

 

 リュウは。

 その意味を完全には理解していない顔をした。

 

「そうか」

 

「あなたには分からないでしょうね」

 

「ああ」

 

「そこは否定しなさい」

 

「分からない」

 

「正直すぎるのよ」

 

 春麗は。

 小さく息を吐いた。

 

 それでも。

 今日。

 二人は会えた。

 

 一週間近く探しても。

 見つからなかったリュウが。

 探すことを一度やめた瞬間。

 道の向こうから現れた。

 

 どう考えても。

 不自然なほど都合のよい再会だった。

 

 主人公補正。

 物語の奇跡。

 

 おそらく。

 これまで。

 二人を何度も会わせてきたもの。

 

 春麗は。

 今回も。

 その奇跡へ助けられた。

 

 だが。

 今度は。

 助けられて終わらなかった。

 

 奇跡で会えた瞬間に。

 互いの生活について話した。

 

 リュウにケンという古い友人がいることを知った。

 リュウは春麗が国際犯罪を扱う捜査官だと知った。

 互いに。

 連絡できない時がある理由を知った。

 

 電話番号を渡した。

 手紙の宛先を渡した。

 ケンを中継点にした。

 次に会うための仕組みを。

 二人で作った。

 

 だから。

 春麗は思った。

 

 この再会を。

 主人公補正で会えた。

 最後の一度にする。

 もう二度と奇跡が起きないという意味ではない。

 奇跡を拒むわけでもない。

 ただ。

 次に会う時。

 奇跡を必要条件にはしない。

 

 今日会えたことを。

 次の偶然を待つために使わない。

 

 今日の奇跡を。

 次の約束へ変える。

 


 

 店を出る前。

 春麗は。

 念のために言った。

 

「最後に確認するわ」

 

「ああ」

 

「次に私へ会いたくなったら?」

 

「電話をする」

 

「私が出なければ?」

 

「留守番電話に名前と、次にかける時間を残す」

 

「しばらく町へ戻れない場合は?」

 

「ケンへ連絡する」

 

「私から伝言があるか確認する」

 

「ああ」

 

「手紙は?」

 

「春麗が書いた住所へ送る」

 

「私が仕事で返事をできなければ?」

 

「待つ」

 

 本編春麗の動きが止まった。

 

「……その言葉」

 

「ああ」

 

「今は危険だから、簡単に使わないで」

 

「分かった」

 

「正確には…勝手に嫌われたと決めず、次の連絡を待つ」

 

「ああ」

 

「よろしい」

 

 春麗は。

 満足して頷いた。

 

「これで、次からは大丈夫ね」

 

「ああ」

 

 リュウが。

 ふと思い出したように言う。

 

「だが」

 

「何?」

 

「今までも、大丈夫だった」

 

 本編春麗は。

 椅子から立ち上がる手を止めた。

 

「今までは」

 

 一拍。

 

「奇跡だったのよ」

 

「そうなのか」

 

「そういうことにしておきなさい」

 

「ああ」

 

「これからは」

 

 春麗は。

 リュウを見た。

 

「約束よ」

 

 リュウは。

 静かに答えた。

 

「ああ」

 

 交際の約束ではない。

 関係の名前を決めたわけでもない。

 正式回答を持てたわけでもない。

 好意を本人へ正式に渡したわけでもない。

 ただ。

 次に会うための約束。

 

 それだけ。

 

 だが。

 本編春麗にとっては。

 何の約束もなく。

 奇跡で何度も会えていた頃よりも。

 初めて。

 次の再会が。

 二人のものになった気がした。

 


 

 その夜。

 

 春麗は部屋へ戻った。

 青い小箱の前へ座る。

 蓋を開ける。

 

 正式回答。

 九十九点。

 受領済み。

 まだ持てない。

 持てるようになるまで待つ。

 

 その整理は。

 何も変わっていない。

 

 普通に会う練習ログ。

 持てないものは好意ではなく、正式回答。

 用事がなくても会えた青。

 黒を捨てずに青でいた日。

 

 その横へ。

 春麗は。

 新しい紙を置こうとした。

 

 だが。

 少し考え。

 手を止めた。

 

「これは…正式回答の整理ではないわね」

 

 今日。

 春麗は。

 正式回答について、ほとんど話していない。

 代わりに。

 互いの生活について話した。

 

 自分が国際警察機構の捜査官であること。

 麻薬犯罪に関係する仕事が多いこと。

 守秘義務があること。

 突然、連絡できなくなる場合があること。

 

 リュウが。

 旅の途中で宿や野宿を使い分けること。

 大会や手合わせの礼で旅費を得ていること。

 子供の頃からの友人がいること。

 その男の名が、ケンであること。

 賞金の管理まで任せていること。

 

 リュウが。

 以前からケンへ春麗のことを話していたこと。

 

 春麗は。

 そこまで思い出し。

 顔を覆った。

 

「……初めての私生活の話で」

 

 一拍。

 

「情報量が多すぎるわ」

 

 正式回答よりは。

 軽いはずだった。

 

 だが。

 別の意味で危険だった。

 

 春麗は。

 紙を一枚用意する。

 

 青い小箱の中へ入れるものではない。

 机の上に置く。

 そこへ書いた。

 

 リュウについて、今日知ったこと。

 

 旅の予定は、ほとんど決めない。

 宿がなければ野宿。

 大会賞金や手合わせの礼で旅を続ける。

 

 古い友人。

 名前はケン。

 子供の頃から一緒に修行。

 賞金の管理を任せている。

 春麗のことを、強い格闘家として話したことがある。

 

 春麗は。

 最後の一行へ線を引きそうになり。

 やめた。

 

「これは…事実でしょう」

 

 次に。

 自分について、リュウへ話したことを書く。

 

 国際警察機構の捜査官。

 主に麻薬犯罪に関係する捜査。

 守秘義務あり。

 勤務不規則。

 突然、街を離れる場合あり。

 連絡できなくても、拒絶とは限らない。

 

 春麗は。

 最後の一行を見た。

 

「……かなり直接的ね」

 

 だが。

 消さなかった。

 今日。

 必要なこととして伝えた。

 

 次に。

 連絡方法を書く。

 

 自宅の固定電話。

 私的な手紙の宛先。

 留守番電話には、名前と次の連絡時間。

 ケンを介した伝言。

 リュウは、街へ戻る前に電話する。

 

 春麗も。

 会いたい時には伝言を残す。

 次に会う日は。

 連絡して決める。

 

 春麗は。

 最後の一行だけ。

 少し迷った。

 それから書いた。

 

『会いたい時は、会いたいと伝える』

 

 書いた文字を見て。

 春麗は。

 しばらく動かなかった。

 

「……直接的すぎるわね」

 

 線を引いて消そうとした。

 だが。

 消さなかった。

 

 正式回答を受け取った中で、自分の好意を完全には知らないふりができないと。

 すでに確認した。

 

 今日も。

 会いたいから探した。

 

 道場で。

 会いたがっていると伝えてほしいと言った。

 

 今さら。

 自分しか見ない紙の上でまで。

 後退する必要はない。

 

 春麗は。

 紙を裏返した。

 

 机の引き出しへ入れる。

 青い小箱には入れない。

 正式回答を持つための整理ではないから。

 これは。

 これからリュウと会うための。

 生活上の決まりだった。

 

 春麗は。

 青い小箱へ視線を戻した。

 

 正式回答は。

 まだ持てない。

 けれど。

 その答えを持てない自分のままでも。

 リュウに会うことはできた。

 

 三度。

 会えた。

 

 そして。

 四度目には。

 会えなかった。

 

 会えなかったから。

 自分から探した。

 

 探しても会えず。

 最後には。

 物語の奇跡に助けられた。

 

 だが。

 その奇跡を。

 ただの四度目にはしなかった。

 次の偶然を信じて帰らなかった。

 

 電話番号を渡した。

 住所を渡した。

 伝言の経路を作った。

 

 そして。

 今まで一度もしてこなかった。

 互いの生活の話をした。

 

 春麗は。

 そこで。

 改めて額へ手を当てた。

 

「本当に……今まで何をしていたのよ、私たち」

 

 試合をしていた。

 勝った。

 負けた。

 煽った。

 言葉に刺された。

 宿題を出した。

 正式回答まで受け取った。

 

 それなのに。

 

 互いの仕事も。

 友人も。

 普段の生活も。

 連絡方法も知らなかった。

 

 普通なら。

 順番が逆なのかもしれない。

 

 だが。

 春麗とリュウは。

 心の深い場所へ先に踏み込み。

 

 日常の入口へ。

 今日ようやく立った。

 

 春麗は。

 少しだけ苦笑した。

 

 だが。

 嫌ではなかった。

 

 遅すぎた。

 かなり遅すぎた。

 

 それでも。

 今日。

 二人は初めて。

 互いが、試合のない時間に何をしているのかを知った。

 

 春麗は。

 青い小箱の蓋を閉じた。

 

 その横。

 机の引き出しには。

 連絡方法を書いた紙がある。

 

 特別な答えではない。

 精神を大きく削る言葉でもない。

 

 勝者要求権でもない。

 宿題でもない。

 正式回答でもない。

 

 ただ。

 電話番号。

 住所。

 伝言先。

 仕事の都合。

 旅の都合。

 古い友人の名前。

 次に会うための方法。

 

 春麗は。

 机の上へ指を置いた。

 

「正式回答は…まだ持てない」

 

 一拍。

 

「でも」

 

 春麗は。

 少しだけ息を吸った。

 

「次に会う方法とあなたの生活の入口は、少し持てた」

 

 言えた。

 落ちなかった。

 胸の奥は熱い。

 けれど。

 倒れなかった。

 

「急がない…でも、逃げない」

 

 一拍。

 

「今度は…偶然ではなく、会う」

 

 春麗は、部屋の電話を見た。

 

 いつか。

 

 その電話が鳴る。

 春麗が受話器を取る。

 

 旅先か。

 町へ戻る直前の公衆電話から。

 

 リュウの声がする。

 春麗か。

 

 その日が。

 いつになるのか。

 まだ分からない。

 

 だが。

 

 もう。

 いつもの場所へ行き。

 いるかどうかも分からない相手を。

 物語が連れてくるまで待つだけではない。

 

 奇跡で会えた。

 最後の一度。

 

 春麗は。

 それを無駄にしなかった。

 

 正式回答を持てない本編春麗は。

 答えよりも先に。

 次に会うための約束と。

 互いの日常へ入るための入口を。

 自分の手で持った。

 

 それは。

 

 物語によって会えていた二人が。

 初めて。

 物語の外側へ。

 二人で一本の道を作った夜だった。




Q:今回のディレクターズカットIFについて解説して?

A:

今回のエピソードは、一週間探し続けた末に再会した本編春麗が、その奇跡を次の偶然を待つために使わず、リュウとの現実的な関係へ変える話です。

再会した春麗は、まずリュウへ怒ります。

いつもの場所へ何度も行った。
時間も変えた。
道場へも聞いた。
山の修行場まで行った。
それでも会えなかった。

春麗が「どうすれば私と会えると思っていたの」と聞くと、リュウは、
「戻れば会えると思っていた」
と答えます。
この言葉によって、無計画だったのは春麗だけではないと分かります。

リュウも、この街へ戻り、いつもの場所へ行けば春麗と会えると思っていました。

前にも会えた。
その前にも会えた。
正式回答後にも三度会えた。
だから次も会える。

二人とも、まったく同じ誤認をしていました。
この事実は、春麗にとって腹立たしい一方で、安心できるものでもあります。

リュウは正式回答を渡した後、春麗から意図的に距離を置いたわけではありません。
春麗が答えを持てないから、もう会わない方がよいと考えたわけでもありません。
ただ旅へ出て、戻ればまた会えると当然のように思っていた。
リュウにとっても、春麗との次の再会は疑う対象ではなかったわけです。

ただし今回、問題は連絡先だけではないことが分かります。
春麗は、リュウが旅をして修行していることしか知りません。
どこで眠るのか。
どうやって旅費を得ているのか。
怪我をした時、誰が知るのか。
親しい友人がいるのか。
何も知りません。

一方のリュウも、春麗が仕事をしていることは知っていますが、どのような仕事なのかを知りません。
二人は何度も戦い、春麗は宿題を出し、リュウはその宿題の正式回答を返しました。
リュウは春麗の内面について、かなり深いところまで理解しています。

春麗が負けず嫌いであること。
簡単には引かないこと。
言いたいことをすぐに全部言うわけではないこと。
面倒でも、聞かれれば答えようとすること。

しかし、その春麗が普段何の仕事をしているのかは知らない。

心の深い場所を先に知り、生活の入口を知らない。
非常に本編ルートらしい、順序の逆転です。
今回、春麗は初めて、自分が国際警察機構の捜査官であることをリュウへ話します。

主に国境を越える犯罪を扱い、麻薬犯罪に関係する捜査へ入ることが多い。
ただし守秘義務があるため、具体的な事件や関係者、行動予定については話せない。
急に呼び出されることもある。
何日か街を離れ、帰る日を言えない場合もある。
電話へ出られず、連絡が途切れることもある。
そして、連絡できないからといって、リュウを避けているとは限らない。

これは春麗の職業紹介であると同時に、今後リュウが春麗の沈黙をどう受け止めるべきかを伝える場面です。
正式回答をまだ持てない春麗が、未来の連絡途絶について説明しています。
すでに、次も会うことを前提に話しているわけです。

リュウ側からは、旅の生活が語られます。
宿があれば宿へ泊まり、なければ野宿する。
大会の賞金や、道場で頼まれた手合わせの礼で旅を続ける。
そして賞金の管理は、子供の頃からの友人であるケンへ任せている。
ここで本編春麗は、初めてケンの存在を知ります。
これまで本編春麗はリュウと私生活の話をしたことがありません。

そのため、食事の中で、
「ケン?」
「誰?」
と聞くのが自然です。

本編春麗にとっては、リュウに子供の頃からの友人がいること自体が新しい情報です。

さらに、リュウが以前ケンへ、
「強い格闘家がいる」
と春麗のことを話していたことも分かります。

宿題や正式回答、青や黒については話していません。
それでも、自分の知らない場所でリュウが自分のことを古い友人へ話していた。
この事実は、正式回答とは別方向から春麗の精神HPを削ります。
また、春麗とリュウは家族についても、ほんの少しだけ触れます。

リュウには家族がいない。
春麗には父がいたが、今はいない。
今回は互いに詳しく踏み込みません。
話したくなった時に話す。
話せる時に話す。

初めての私生活の会話だからこそ、すべてを一度に開示させず、互いにまだ知らない場所があることだけを共有しています。
今回の食事は、デートという名前を与えられたものではありません。
正式回答の話を進める場でもありません。

ただ、今まで話してこなかった互いの日常を初めて話す食事です。
しかし本編春麗にとっては、非常に大きな関係進展です。
二人はこれまで、戦う時の相手としてはよく知っていました。
内面へも深く踏み込んでいます。
それでも、試合のない時間に相手がどう生きているのかは知りませんでした。

リュウの、
「今、入った」
「日常の入口に」
という言葉が、今回の食事回を象徴しています。
二人は心の深部へ先に到達し、日常の入口へ後から入りました。

普通の恋愛なら順番が逆かもしれません。

第1話ギリギリ敗北ルートの修行編が王道ルートだとしたら、本編春麗ルートは高難度隠しルートになります。
互いの生活を知ったことで、ようやく現実的な連絡方法を決められます。

春麗は、自宅の固定電話番号と私的な手紙の宛先をリュウへ渡します。
仕事中なら電話へ出られないこと。
留守番電話には名前と次にかける時間だけを残すこと。
事件や居場所について詳しく聞かないこと。
春麗からリュウへ連絡したい場合は、ケンを中継点にすること。
リュウは街へ戻る前に春麗へ電話すること。
春麗も会いたい時には伝言を残すこと。

次に会う日は、二人で決めること。

電話番号や住所は、正式回答に比べれば小さく、地味な情報です。
しかし春麗にとっては、自分の生活へリュウが入ってくるための道を渡す行為です。

正式回答は、まだ持てません。
好意も本人へ正式には渡していません。
交際の約束でもありません。
それでも、次に会うための約束は作れました。

今回の題名にある「奇跡で会えた最後の一度を無駄にしない」とは、このことです。

一週間探しても見つからなかったリュウと、最後には主人公補正によって再会しました。
その奇跡自体は、春麗の功績ではありません。
しかし春麗は、会えたことへ安心して、また次の奇跡を待つ状態には戻りませんでした。
その場で互いの生活を知り、電話番号を渡し、伝言経路を作り、次の再会を約束へ変えました。

奇跡を否定したのではありません。
奇跡を、現実の関係を始める機会として使ったわけです。

夜の春麗は、今日知ったことを整理します。

リュウの旅。
野宿。
賞金。
子供の頃からの友人であるケン。
春麗のことをケンへ話していた事実。
自分が捜査官であること。
守秘義務。
不規則な勤務。
連絡できない時があること。
そして、二人の連絡方法。

ここで春麗は、
「今まで何をしていたのよ、私たち」
と改めて落ち込みます。

試合をした。
勝った。
負けた。
煽った。
宿題を出した。
正式回答を受け取った。
それなのに、仕事も、友人も、普段の生活も知らなかった。
しかし、それは今までの積み重ねが無意味だったという話ではありません。

二人は格闘家として、そして互いの内面について、先に深いところまで知りました。
今回ようやく、そこへ生活が追いつき始めました。

最後の、
「正式回答は、まだ持てない」
「でも、次に会う方法と、あなたの生活の入口は、少し持てた」
という言葉が、エピソードの結論です。

本編春麗は、大きな答えを無理に持つのではなく、今持てる具体的なものを一つずつ増やしています。

電話番号。
住所。
伝言先。
仕事の都合。
旅の都合。
古い友人の名前。
次に会うための約束。

どれも派手ではありません。

しかし、物語の奇跡だけでつながっていた二人が、現実の生活の中でもつながるためには必要なものです。
奇跡によって再会した二人が、初めて互いの日常の入口へ立ち、次の再会を自分たちの意思で作った。
それが今回のエピソードです。
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