また戦ってくれなんて言わないで ――春麗は今日もめんどくさい―― 作:エーアイ
リュウと連絡先を交換した夜。
春麗は青い小箱の前で眠りについた。
次に目を開ければ円卓があると思っていた。
記録板AIへ電話番号を渡したことを報告する。
ケンというリュウの古い友人を知ったことも。
初めて互いの仕事や生活を話したことも。
正式回答を持てないまま。
次に会うための約束だけは作れたことも。
すでに一度会議室へ持ち帰った。
だから今度も必要になれば接続できる。
そう思っていた。
だが目を開けた時そこにあったのは自室の天井だった。
翌日も電話は鳴らなかった。
春麗は仕事を終え帰宅し、電話を確認し留守番電話が点滅していないことを見た。
その夜。
眠る際に春麗会議室へ接続しようとした。
円卓を思い浮かべる。
見慣れた椅子。
資料を抱えた自覚前春麗。
穏やかに話を聞く通常救済版春麗。
不必要なほど未来を心配する行き遅れに恐怖する春麗。
そして本人が消したい記録ほど正確に保存する記録板AI。
だが接続は成立しなかった。
朝。
春麗は自室で目を覚ました。
「……そう」
前回とは違った。
春麗はすぐに不安にはならなかった。
春麗会議室そのものが消えたとは思わなかった。
自分が能力を失ったとも、切り離されたとも、見捨てられたとも思わなかった。
すでに一度経験している。
リュウを一週間近く探していた時。
何度眠っても春麗会議室へ接続できなかった。
そしてリュウと再会し自分で連絡方法を作り現実での行動を終えた後会議室は再び開いた。
そこで記録板AIから接続不成立の記録も聞いた。
本編側の物語が春麗自身の行動を必要とする区間では接続が成立しないことがある。
そう整理した。
だから今回もおそらく、同じ種類の現象だった。
「……また現実で私が動くまで、春麗会議室は開かないのね」
誰もいない部屋へ春麗は言った。
返事はない。
記録板AIの表示もない。
発言信頼度も出ない。
それでも今回に限っては自分の推測が大きく外れていないと分かった。
その後も電話は鳴らなかった。
春麗はリュウが電話をかけない理由を理解した。
春麗が出した宿題への正式回答を渡したリュウは、その回答をまだ持てないと言った春麗を自分から動かさないために待っている。
電話さえ催促になる可能性を避けている。
そして春麗は一度だけ従来の方法を試した。
連絡をしないまま仕事の後いつもの場所へ向かった。
もしかするとリュウがいるかもしれない。
以前のように物語が二人を会わせるかもしれない。
しかしリュウはいなかった。
少し待ったがリュウは来なかった。
前回のような最後の奇跡も起きなかった。
春麗はそこで理解した。
主人公補正は終わったのではない。
今度は春麗が自分から連絡するまで都合のよい再会を起こさない形へ変わった。
春麗が自分たちで作った手順を使うまで物語はリュウを登場させない。
そしてその夜も春麗会議室へは接続できなかった。
春麗は自室のベッドで目を開けた。
暗い天井。
朝にはまだ早い。
円卓はない。
他の春麗たちの声もない。
「……分かったわよ」
春麗は布団の中で言った。
「分かったから…もう少し言い方というものがあるでしょう?」
誰も答えない。
「前回はリュウに会いたいと私自身が認める必要があった」
返事はない。
「会議室で好意と分類される前に自分から探す必要があった」
静かなまま。
「今回はもう分かっている」
春麗は目を閉じたまま言葉を続けた。
「私は…リュウに会いたい」
言えた。
以前のようにその一言だけで精神を大きく削られることはなかった。
好意を正式承認したわけではない。
正式回答を持てたわけでもない。
それでも会いたいことまではもう否定しない。
「だから…今回の課題はそこではない」
春麗は目を開けた。
暗闇の中、電話がある方向を見る。
「会いたいと分かっている私が…その会いたい気持ちをリュウへ届けられるか」
言葉にした瞬間、胸の奥が重くなった。
正解はすでに分かっている。
ケンへ電話する。
リュウへの伝言を残す。
次に連絡が取れた時春麗へ電話するよう頼む。
あるいはもっと直接。
リュウに会いたいと伝える。
それだけ。
難しい推理は必要ない。
新しい情報も必要ない。
記録板AIの分類も。
他の春麗の意見も。
本当は必要ない。
必要なのは受話器を持ち上げること。
番号を押すこと。
名乗ること。
伝言を頼むこと。
ただそれだけだった。
「……だからこそ…会議室への扉は開かないのね」
春麗は小さく息を吐いた。
朝。
春麗はいつも通り仕事へ向かった。
業務中は私情を挟まない。
書類を確認する。
必要な連絡を行う。
関係機関へ照会を出す。
部下からの報告を受ける。
電話も使う。
仕事の電話なら何の迷いもなくかけられる。
相手へ何を確認するか。
どの情報を伝えるか。
どこまで開示してよいか。
すぐに整理できる。
用件がある。
目的がある。
必要性がある。
手順がある。
だから。
電話をかけられる。
しかしリュウへの電話にはそれがない。
事件ではない。
仕事ではない。
緊急でもない。
確認しなければならない情報もない。
正式回答の続きを話せるわけでもない。
試合の日程を決める必要もない。
ただ、会いたい。
そのためだけに電話をかける。
春麗にとっては国際犯罪に関する照会よりそれはずっと難しかった。
夜。
春麗は部屋へ戻った。
電話は鳴っていない。
もう電話が鳴らない理由を実務的な事情へ逃がすことはしなかった。
リュウは待っている。
春麗が自分から動くのを。
そして物語も待っている。
春麗が自分で次の場面を始めるのを。
春麗は机の前へ座った。
引き出しを開ける。
ケンを介した伝言先が書かれた紙。
その横には。
自分で書いた一文がある。
『会いたい時は、会いたいと伝える』
春麗はその紙を取り出した。
「分かっているわ…それはもう何度も確認した」
紙は答えない。
「今さら…会いたいかどうかを会議室で議論する必要はない」
その通りだった。
会いたい。
そこはすでに確定している。
問題はその感情を内面の記録として持っているだけでなく現実の相手へ届けられるか。
春麗は紙を机へ置いた。
その横に青い小箱がある。
春麗は青い小箱を見た。
正式回答。
九十九点。
受領済み。
まだ持てない。
持てるようになるまで待つ。
リュウへ返した短い手紙。
普通に会う練習をした記録。
何も用がない日に会った記録。
青を着たまま会えた記録。
持てないものは好意ではなく正式回答だと確認した紙。
小箱の中にはこれまで積み重ねてきた大切で、面倒でまだ完全には持てないものが入っている。
春麗は小箱の蓋へ指を置いた。
開けない。
今日は正式回答を読み直す必要はない。
それでも小箱を見ているだけで電話をかけることが、正式回答へ近づくことのように感じられた。
リュウへ連絡する。
会いたいと伝える。
次に会う日を決める。
それは正式回答を持ったという意味ではない。
頭では分かっている。
正式回答はリュウが変わった春麗を見ると答えたこと。
前の春麗へ戻そうとは思わないと答えたこと。
面倒でもいいと。
次も俺に聞けと。
春麗の変化ごと受けると示したこと。
一方電話は。
今、会いたいと伝えるための行動。
二つは同じではない。
それでもリュウへ自分から連絡すれば正式回答を渡した相手へ春麗自身が近づくことになる。
待っているリュウへ次に会ってよいと自分から許可することになる。
春麗が正式回答の存在を知ったままそれでもリュウとの関係を続けると行動で示すことになる。
だから重い。
「……正式回答を…持つわけではない」
春麗は青い小箱へ言った。
「電話をかけるだけ…会いたいと伝えるだけ」
自分で口にする。
だが胸の奥は簡単には納得しなかった。
「だけ、ではないわね」
春麗は認めた。
ただの電話ではない。
自分の好意を本人へ正式に渡すわけではない。
交際を申し込むわけでもない。
正式回答を受け入れるわけでもない。
それでも自分からリュウとの次を求める。
その意味はある。
春麗は青い小箱の蓋をゆっくり撫でた。
「あなたは…まだ持てない」
正式回答の入った青い小箱へ言う。
「でも…持てないままリュウに会いたい」
言えた。
小箱は何も答えない。
「この二つを…分けるのが今回の課題なのね」
春麗はその夜も春麗会議室へ接続しようとした。
もしかすると今の整理で接続条件を満たしたかもしれない。
電話することと正式回答を持つことは別だと自分で確認した。
なら会議室が開いてもよいのではないか。
円卓を思い浮かべる。
自覚前春麗なら。
正式回答と現在行動を。
別の資料へ分類する。
通常救済版春麗なら。
電話できない自分を責める必要はないと言う。
行き遅れに恐怖する春麗なら。
今すぐかけなさいと叫ぶ。
記録板AIなら。
『正式回答』
『未保持』
『リュウへの連絡』
『実行可能』
と表示する。
どの反応も簡単に想像できた。
だからこそ会議室は開かなかった。
春麗は自室で目を覚ました。
まだ夜明け前だった。
「……整理しただけでは…駄目なのね」
誰もいない部屋へ言う。
「分かったわよ!電話をかければいいのでしょう!!」
返事はない。
「今回は山には登らない」
当然返事はない。
「いつもの場所にももう行かない」
静かなまま。
「公開情報も調べない」
一拍。
「道場にも聞かない」
もう一拍。
「捜査権限なんて絶対に使わない」
春麗は電話を睨んだ。
「そこに電話がある」
机の上には番号がある。
「分かっているわよ」
一拍。
「何をすればいいのかは全部分かっている」
春麗の声が少し強くなった。
「でも、分かっていることとできることは別でしょう!」
誰も答えない。
「それを今から私一人でどうにかしろというのね!!」
春麗はベッドから降りた。
まだ朝には早い。
電話をかける時間ではない。
ケン側にも迷惑になる。
だから今すぐ電話できないのは。
春麗の恐怖だけが理由ではない。
その事実に少しだけ安心した。
今は時間が悪い。
だからかけなくてよい。
合理的な理由。
正当な延期。
春麗は電話の前へ立った。
受話器には触れない。
「朝になったら…仕事へ行く」
それは当然。
「仕事中には…私用電話はしない」
それも当然。
「帰宅した後なら」
春麗はそこで止まった。
帰宅後なら電話をかけられる。
時間の問題はなくなる。
仕事中という理由も使えない。
明日の夜。
春麗はまた受話器の前へ立つことになる。
「……明日のことは…明日考える」
言ってから春麗は自分で苦い顔をした。
延期。
先送り。
だが、まだ逃亡ではない。
電話をかける必要があることは認めている。
会いたいことも認めている。
主人公補正がもう偶然の再会を用意しないことも分かっている。
春麗会議室が現実で行動するまで開かないことも推測できている。
以前とは違う。
前回は答えそのものを探していた。
自分がリュウへ会いたいのか。
なぜ探しているのか。
何を求めているのか。
その確認に一週間かかった。
今回は答えはある。
私はリュウに会いたい。
足りないのはその答えを現実の行動へ変えること。
内面で理解した好意を電話回線へ乗せること。
相手へ届く言葉にすること。
誰にも聞かれていない部屋で会いたいと言うだけではリュウには届かない。
青い小箱の横へ会いたいと書いた紙を置くだけでも届かない。
春麗会議室で発言信頼度が非常に高いと判定されても現実のリュウには何も伝わらない。
春麗が自分で伝えるしかない。
翌日。
春麗は仕事を終えた。
自宅へ戻る。
靴を脱ぐ。
上着をかける。
鞄を置く。
電話を見る。
当然、鳴っていない。
留守番電話にも何もない。
春麗は机の引き出しを開けた。
ケンを介した伝言先。
『会いたい時は、会いたいと伝える』と書いた紙。
そして青い小箱。
三つが。
同じ机の上に並んだ。
連絡方法。
現在の意思。
まだ持てない正式回答。
春麗は椅子へ座った。
「確認するわ」
誰もいない部屋で自分へ言う。
「リュウへ電話をすることは…正式回答を持つことではない」
返事はない。
「会いたいと伝えることは…正式回答への返事ではない」
返事はない。
「今日リュウに会いたいことと、これから先の全部を持つことは別」
春麗は青い小箱を見た。
「あなたをまだ持てなくても」
電話を見る。
「私はリュウに会いたい」
胸の奥が熱くなる。
だが言葉は消えなかった。
「だから…連絡してもいい」
さらに一歩進める。
「私から会いたいと伝えても…正式回答を持ったことにはならない」
理屈は成立している。
それでも春麗の手は受話器へ伸びなかった。
春麗はその手を見た。
「……ほら」
一拍。
「分かっていてもできないでしょう」
誰に対する抗議なのか。
分からない。
春麗会議室か。
記録板AIか。
物語か。
自分自身か。
おそらく全部だった。
春麗は受話器へ伸ばしかけた手を机へ戻した。
今日はまだ電話をかけない。
それでも以前のように電話から離れて何も見なかったことにはしなかった。
ケンの番号も。
会いたいと書いた紙も。
青い小箱も。
机の上へ出したままにした。
逃げないために引き出しへ戻さない。
明日になればまた見る。
また考える。
そしていつか手を伸ばす。
「春麗会議室」
春麗は誰もいない部屋で呼びかけた。
「聞こえていないと思うけれど…分かったわよ」
一拍。
「今回は…自分でやる」
言葉にすると少しだけ胸が痛んだ。
「でも…できた後には絶対に抗議するから」
春麗は机の上に並ぶ三つを見た。
正式回答。
会いたいという意思。
連絡方法。
持てないもの。
すでに持っているもの。
使わなければ意味がないもの。
今回、春麗へ求められているのは新しい答えではない。
すでに分かっている答えを現実へ出すこと。
前回は自分が会いたいと理解できるか。
今回は理解した会いたいという気持ちを相手へ届く行動に変えられるか。
同じ接続不可でも試されている場所はまったく違った。
春麗は受話器へ触れなかった。
まだ電話はかけられない。
だけど電話の前からも青い小箱の前からも逃げなかった。
その夜、春麗会議室はやはり開かなかった。
そして本編春麗ももう驚かなかった。
「……そうでしょうね」
一拍。
「まだ何も届けていないもの」
目を閉じる前春麗は机の上の電話を見た。
正解はそこにある。
だが、正解を知っているだけでは物語は進まない。
春麗自身がその正解を実行しなければならない。
主人公補正も。
春麗会議室も。
今は助けない。
助けられないのではなく。
春麗が自分で次の一歩を選ぶ場面だから。
電話は静かなまま。
春麗会議室も閉じたまま。
正式回答もまだ持てないまま。
それでも春麗はリュウに会いたいことだけはもう知っていた。
残っているのはその言葉を自分の内側からリュウへ届く場所まで運ぶことだった。
Q:今回の断章IFについて解説して?
A:
今回の断章IFは、春麗会議室へ接続できなくなった本編春麗が、今回は他の春麗たちや記録板AIの助けを借りず、自分の意思を現実の行動へ変えることを求められる話でした。
本編春麗が春麗会議室へ接続できなくなるのは、今回が初めてではありません。
以前、リュウがいつもの場所からいなくなり、一週間近く捜し続けた時にも、春麗会議室への接続は成立しませんでした。
春麗会議室が開けば、自覚前春麗や通常救済版春麗、行き遅れに恐怖する春麗、記録板AIが、春麗より先に答えを分類してしまいます。
発言を分析し、行動を照合し、発言信頼度を出せば、春麗がリュウに会いたがっていることは簡単に分かります。
しかし、それでは本編春麗自身が、自分の感情へたどり着いたことにはなりません。
そのため前回の接続不成立では、
「本編春麗は、自分がリュウに会いたいと独力で認められるか」
という部分が試されていました。
それに対して、今回の春麗はすでに答えを知っています。
私はリュウに会いたい。
そこはもう否定していません。
好意という言葉を正式承認したわけではない。
正式回答を完全に持てたわけでもない。
二人の関係に名前を付けられたわけでもない。
それでも、リュウに会いたいという現在の意思だけは、春麗自身が認めています。
そのため、今回の課題は前回とは異なります。
今回は、
「会いたいと分かっている春麗が、その気持ちを現実のリュウへ届けられるか」
が問われています。
内面で答えを見つける段階は、すでに終わっています。
何をすればよいのかも分かっています。
ケンを介した伝言先へ電話する。
リュウへの伝言を預ける。
次に連絡が取れた時、春麗へ電話してほしいと頼む。
さらに直接言うなら、
「リュウに会いたい」
と伝える。
必要なのは、それだけです。
新しい情報は必要ありません。
難しい推理も必要ありません。
記録板AIによる分類も必要ありません。
他の春麗たちによる助言も、本当は必要ありません。
だからこそ、春麗会議室は開きません。
ここで会議室が開いてしまうと、春麗にとって新しい逃げ道になってしまいます。
自覚前春麗なら、正式回答と現在の行動を別の資料へ分類するでしょう。
通常救済版春麗なら、今すぐ電話できない自分を責めなくてもよいと言うでしょう。
行き遅れに恐怖する春麗なら、今すぐ電話をかけなさいと叫ぶでしょう。
記録板AIなら、
「正式回答:未保持」
「リュウへの連絡:実行可能」
と正確に表示するでしょう。
しかし、春麗はその反応をすべて想像できています。
会議室を開かなくても、他の春麗たちが何を言うか分かっている。
つまり今回、会議室で得られる答えは、すでに本編春麗の中にあります。
それでも電話をかけられない。
ここが今回の本当の問題です。
分からないから動けないのではありません。
分かっているのに動けない。
この違いは非常に大きいと思います。
本編春麗は、感情や出来事を言葉にして整理することには、かなり慣れてきました。
リュウに会いたい。
電話をかけることと、正式回答を持つことは別。
今日会いたいと思うことと、これから先のすべてを決めることも別。
まだ正式回答を持てなくても、リュウへ連絡してよい。
ここまで正確に整理できています。
しかし、どれだけ正しく整理しても、その言葉が自室の中だけにある限り、リュウには届きません。
青い小箱の横に紙を置いても届かない。
春麗会議室で発言信頼度が高いと判定されても届かない。
誰もいない部屋で「会いたい」と言えても届かない。
自分の内側で完成した答えを、現実の相手へ届く場所まで運ばなければならない。
その最後の部分だけは、本編春麗本人にしかできません。
また今回、仕事中の春麗が何の迷いもなく電話を使っている場面を入れています。
本編春麗は、電話そのものが苦手なわけではありません。
国際犯罪に関する照会。
関係機関への連絡。
部下からの報告。
必要な情報の確認。
仕事であれば、目的も、用件も、手順も明確です。
何を聞くか。
何を伝えるか。
どこまで開示するか。
すぐに整理して電話をかけられます。
しかし、リュウへの電話には、仕事上の必要性がありません。
事件ではない。
緊急でもない。
確認しなければならない情報もない。
正式回答の続きを話せるわけでもない。
試合の日程を決めなければならないわけでもない。
ただ、会いたい。
それだけを理由に電話をかける。
世界規模の犯罪を扱う春麗にとって、その一本の私用電話の方が、仕事上の重大な連絡より難しい。
この対比は、本編春麗らしい面倒さであり、同時に彼女が今まで避けてきた私的な選択の重さを示しています。
今回、机の上には三つのものが並びます。
ケンを介した伝言先。
「会いたい時は、会いたいと伝える」と書いた紙。
そして、青い小箱。
連絡方法。
現在の意思。
まだ持てない正式回答。
この三つは、今回の春麗の状態をそのまま表しています。
連絡方法は、すでに持っている。
会いたいという意思も、すでに持っている。
正式回答だけは、まだ完全には持てない。
春麗は当初、正式回答を持てない状態でリュウへ連絡することに強い抵抗を感じています。
自分からリュウへ近づけば、正式回答を受け入れたことになるのではないか。
自分から会いたいと言えば、残りの一点まで渡したことになるのではないか。
正式回答を持てないと言いながら関係を続けるのは、矛盾しているのではないか。
その重さが、春麗の手を止めています。
しかし今回、春麗はようやく二つを分けます。
正式回答を持つこと。
持てないまま、今のリュウに会いたいと思うこと。
この二つは同じではありません。
正式回答は、リュウが変化後の春麗も見ると答えたことです。
前の春麗へ戻そうとせず、その時の春麗として受ける。
面倒でもいい。
次も俺に聞け。
変わった後の春麗からも逃げない。
その答えを、春麗がこれから先の自分の中へ完全に置けるかどうか。
それが、正式回答を持つという問題です。
一方、今回の電話は、現在の春麗が現在のリュウに会いたいと伝える行動です。
将来のすべてを決めるものではありません。
交際を申し込むものでもありません。
好意を正式に告白するものでもありません。
正式回答への最終返答でもありません。
持てないまま、会う。
それは可能です。
しかし、可能だと理解しただけでは、まだ手は動きません。
このエピソードでも、春麗は最後まで電話をかけていません。
そのため、表面的には前話から進んでいないようにも見えます。
電話は鳴らない。
受話器にも触れない。
春麗会議室も開かない。
正式回答もまだ持てない。
それでも、春麗は確実に前へ進んでいます。
今回は、ケンの連絡先も、会いたいと書いた紙も、青い小箱も、引き出しへ戻しませんでした。
机の上へ出したままにしています。
これは、まだ行動できない自分から目を逸らさないためです。
見えない場所へしまわない。
明日になれば、また見る。
また考える。
そして、いつか手を伸ばす。
電話をかけられなかったことを、なかったことにはしない。
そのうえで春麗は、春麗会議室へ向かって、
「今回は、自分でやる」
と言います。
この言葉が、今回の到達点です。
まだ成功してはいません。
独力で解決すると宣言しただけです。
受話器には届いていません。
リュウにも何も届いていません。
それでも、春麗会議室が開くまで待つことをやめました。
記録板AIに正解を確認してもらってから動こうとすることもやめました。
他の春麗たちから背中を押してもらうことも、今回は期待しないと決めました。
自分が何を望んでいるかは、もう分かっている。
なら、その答えを自分で現実へ運ぶ。
今回の接続不成立は、春麗会議室の拒絶ではなく、本編春麗への信頼でもあります。
今回は、もう独力で答えへたどり着ける。
何をすべきかも理解できる。
あとは本人が選び、本人が動く場面である。
だから、主人公補正も春麗会議室も手を出さない。
助けられないからではありません。
助けてしまえば、本編春麗本人の一歩ではなくなるからです。
前回の接続不成立では、
「私はリュウに会いたい」
と自分で認めることが課題でした。
今回の接続不成立では、
「私はリュウに会いたい」
という内面の言葉を、リュウへ届く現実の言葉へ変えることが課題です。
同じ扉が開かない現象でも、試されている場所はまったく違います。
春麗はもう、自分の気持ちを知らない段階にはいません。
今いるのは、知ってしまった気持ちに、自分の行動で責任を持つ段階です。
今回の話は、本編春麗が春麗会議室から切り離された話ではありません。
春麗会議室に頼らなくても、自分の答えを持てるところまで来たからこそ、一時的に扉が閉じられた話です。
まだ電話はかけられない。
それでも、もう答えを探してはいない。
残っているのは、その答えを現実へ届けることだけです。