また戦ってくれなんて言わないで ――春麗は今日もめんどくさい―― 作:エーアイ
三日後。
午後六時十二分。
春麗は待ち合わせ場所へ着いていた。
約束の時刻は午後七時。
四十八分も早い。
「……仕事が予定より早く終わっただけよ」
誰も聞いていない。
「遅れる可能性を考慮した結果、余裕を持って到着しただけ」
正当な理由だった。
春麗は店の前から少し離れた場所に立った。
前にリュウと食事をした店。
初めて、互いの仕事や生活についてまともに話した場所。
春麗は時計を見た。
午後六時十三分。
一分しか経っていない。
「……早すぎたわね」
分かっていた。
分かっていて来た。
もし急な仕事が入れば、春麗は約束の時間に来られなかった。
連絡も間に合わなかったかもしれない。
だが今日は何も起きなかった。
予定通り仕事を終えた。
予定通り着替えた。
予定通り自宅を出た。
そして、自分で決めた場所へ自分の足で来た。
ここまでは、すべて春麗自身が作った予定だった。
午後六時二十分。
リュウはまだ来ていない。
当然だった。
約束は午後七時。
今、リュウがいないことに何の意味もない。
春麗は、以前の自分ならどうしていたかを考えた。
連絡先を知らない。
リュウがどの街にいるかも分からない。
いつ戻るかも分からない。
それでも、いつもの場所へ行く。
リュウがいるかもしれない。
少し待つ。
来ない。
翌日も行く。
来ない。
道場へ聞く。
山へ登る。
公開情報を調べる。
そして最後には、偶然、道の向こうからリュウが現れる。
「……異常だったのよ」
春麗は小さく言った。
世界中を旅している男。
宿を決めない日もある。
予定表もない。
同じ街へ戻る時期も、本人さえ決めていない。
そのリュウと、連絡先も持たず、待ち合わせもしないまま何度も会っていた。
春麗が会いたいと強く思った時。
必要な時。
物語の転機になる時。
都合よく、同じ場所へ置かれていた。
その方がおかしかった。
今では、何の約束もせず会えたことを奇跡と呼んでいた。
奇跡という言葉で包まなければ、あれは現実ではほとんど起こらないことだった。
「約束もなく、世界中を旅している相手に必要な日に会える方がおかしいでしょう」
今日、リュウが午後七時に現れることの方がずっと自然だった。
春麗が会いたいと伝えた。
ケンがその言葉を届けた。
リュウが春麗へ電話した。
二人で日時と場所を決めた。
リュウは三日かけて戻ってくる。
春麗は仕事を終えて店へ来る。
理由がある。
手順がある。
時間がある。
場所がある。
だから会える。
それが本来の現実だった。
午後六時三十一分。
春麗は店の窓へ映った自分を見た。
青い武道服ではない。
仕事着でもない。
前回リュウと食事をした時と同じように、私服を選んだ。
特別な服ではない。
だが、選ぶまでに少し時間がかかった。
「食事をするだけ。前にもした。初めてではない」
それでも今日は以前とは違う。
前回は、奇跡の再会を無駄にしないための食事だった。
今回は、食事をするために二人で会う約束をした。
春麗が会いたいと伝えた。
リュウも会いたいと答えた。
その結果として今日がある。
「……同じ店を選ばなければよかったかしら」
今さらだった。
場所を決めたのは春麗である。
リュウも、分かったと答えた。
変更する理由はない。
春麗はもう一度時計を見た。
午後六時三十二分。
「時間が進まない」
進んでいる。
春麗が何度も確認しているだけだった。
午後六時四十五分。
春麗は通りの向こうを見た。
リュウの姿はない。
不安が少しだけ胸の奥へ入った。
三日間の徒歩。
途中で何かあった可能性。
道場へ立ち寄った可能性。
別の強い相手を見つけ、試合をしている可能性。
川を渡れない。
道が崩れている。
公衆電話で日時を書き間違えた。
店の場所を別の場所と勘違いした。
「……紙には書いたのよね」
電話で、必ず書けと言った。
リュウは「ああ」と答えた。
復唱もさせた。
三日後。
午後七時。
前に食事をした店の前。
間違っていなかった。
それでもリュウである。
何が起きても、少しだけ不思議ではない。
春麗は時計を見た。
まだ十五分前。
遅刻していない。
不安になる理由はない。
ただ、これまでの再会では約束がなかった。
だから来なくても、約束を破られたことにはならなかった。
今日は違う。
来ると決めた。
リュウも了承した。
だから来なければ、春麗は「待ち合わせに来なかった」という事実を持つ。
約束があることは、安心であると同時に、新しい不安も作っていた。
「……選択権だけではなく、約束も負荷になるのね」
だが、それは曖昧な不安とは違った。
午後七時までは待てばいい。
午後七時を過ぎれば、遅れていると判断できる。
来なければ、次に連絡を取る。
何をすればよいかがある。
以前のように、いつまで待てばよいかも分からず、何日も同じ場所へ通う必要はない。
約束は、不安の形さえ具体的にしてくれる。
午後六時五十一分。
通りの向こうに、白い道着が見えた。
春麗は呼吸を止めた。
白い道着。
赤い鉢巻。
肩へかけた荷物。
歩き続けたためか、道着の裾には少し土がついている。
その男は通りの人を避けながら、まっすぐ店の方へ歩いてくる。
春麗は見間違えなかった。
今度は、足音を聞いただけではない。
似た背格好の男でもない。
リュウだった。
本当にリュウが来た。
春麗が会いたいと伝えたために。
三日かけて戻ってきた。
春麗はその場から動けなかった。
リュウも春麗へ気づいた。
歩く方向は変わらない。
そのまま春麗の前まで来た。
「春麗」
「……リュウ」
「早かったな」
春麗は時計を見た。
午後六時五十三分。
「あなたも早いでしょう」
「ああ」
「約束は七時よ」
「ああ」
「では、なぜ早く来たの?」
「遅れないためだ」
正しい。
あまりにも正しい。
春麗は言葉を失った。
「……あなた、待ち合わせはきちんとできるのね」
「できる」
「いつもどこにいるか分からないのに?」
「今日は、ここに来ると決めた」
リュウは店を見た。
「場所も覚えていた」
「ええ」
「時間も間違えていない」
「ええ」
「紙にも書いた」
「……そう」
春麗は小さく息を吐いた。
「全部できたのね」
「ああ」
春麗は目の前にいるリュウを見た。
以前と同じ男。
白い道着。
赤い鉢巻。
旅の荷物。
だが今日は、存在の意味が違う。
これまで春麗の前に現れたリュウは、物語によって置かれたリュウだった。
春麗が何も言わなくても、会うべき時に現れた。
春麗が次の問題へ進むために、必要な場所へ現れた。
だが今、目の前にいるリュウは違う。
春麗がケンへ言葉を預けた。
その言葉をリュウが受け取った。
リュウが春麗へ電話をかけた。
春麗が日時と場所を決めた。
リュウがその約束を守って来た。
一つずつ現実的な手順を踏んだ結果として、目の前にいる。
「……本当に来たのね」
「ああ」
「私が、会いたいと伝えたから?」
「ああ」
春麗の精神HPが、予想通り削れた。
「そこは少し考えてから答えなさい」
リュウは一拍だけ置いた。
「ああ」
「わざとでしょう!」
「電話で少し考えろと言われた」
「今は必要ないのよ!」
「難しいな」
「誰のせいよ!」
春麗は額へ手を当てた。
だが、怒っているだけではなかった。
安心していた。
リュウは約束通りに来た。
主人公補正による最後の奇跡ではない。
偶然でもない。
春麗の「会いたい」が現実の行動を起こした。
ケンへ届いた。
リュウへ届いた。
電話をした。
再開は約束になった。
そして今、リュウは目の前にいる。
「今まで、私たちよく会えていたわね」
春麗はリュウを見ながら言った。
「何度も会った」
「そうではなくて。約束もしないで、連絡先も知らないまま」
春麗は少し言葉を強くした。
「あなたは世界中を旅しているのよ」
「ああ」
「私は仕事で、いつ同じ場所にいられるかも分からない」
「ああ」
「その二人が、必要な時に何度も同じ場所へいた」
リュウは少し考えた。
「運がよかった」
「よすぎるのよ」
「そうか」
「異常なくらい都合がよかった」
「会えたからよかった」
「結果だけならね!」
春麗は通りの向こうを見た。
以前なら、あの角から都合よくリュウが現れた。
春麗が探すことを諦めかけた瞬間、物語が最後の一度を差し出した。
あれがあったから連絡先を交換できた。
今日もある。
だから奇跡を否定する気はない。
だが、あれを通常の会い方だと思ってはいけなかった。
「普通は、連絡しなければ会えないのよ」
「ああ」
「待ち合わせをしなければ、同じ時間に同じ場所へは来られない」
「ああ」
「会いたいなら、会いたいと伝える必要がある」
「ああ」
「……全部、当たり前のことなのに」
春麗は少しだけ苦い顔をした。
「今までの物語が、その当たり前を全部飛ばしていた」
リュウは春麗の言葉を聞いていた。
「私が何も言わなくても、あなたを連れてきた」
「ああ」
「だから私は、会いたいと伝える必要がなかった」
リュウは答えなかった。
「自分から呼んだという責任も、持たずに済んだ」
そこまで言って、春麗は目の前のリュウを見た。
「でも今日は違う」
「ああ」
「あなたは物語が連れてきたのではない」
春麗は一度、息を整えた。
「私が会いたいと伝えたから来た」
「ああ」
「……やはり重いわね」
「来ない方がよかったか?」
春麗は即座に顔を上げた。
「違う! 来てほしかった!」
大きな声だった。
通りを歩いていた人が一瞬、二人の方を見る。
春麗は完全に止まった。
今、本人へ直接言った。
来てほしかった。
リュウに会いたかった。
ケンを介してではない。
紙の上でもない。
本人の前で。
春麗はゆっくりと顔を伏せた。
「……今のは、声が大きかっただけ」
「聞こえた」
「忘れて」
「来てほしかったというところか?」
「具体的に復唱しないで!」
リュウは少しだけ春麗を見た。
「俺も来たかった」
春麗は顔を上げなかった。
「電話でも聞いた」
「そうか」
「だから、もう一度言わなくてもいい」
「今は目の前にいるからな」
「条件が変われば、同じ言葉を繰り返していいわけではないのよ」
「そうなのか」
「そうよ」
「難しいな」
「……本当に、私の方が面倒にしている気がしてきたわ」
「面倒でもいい」
リュウは自然に言った。
春麗の身体が少しだけ固まった。
正式回答の一部。
その言葉は今も青い小箱の中にある。
だが春麗は、今日はその全部を持つために来たのではない。
「リュウ」
「何だ」
「正式回答は、まだ持てない」
「ああ」
リュウは迷わず答えた。
「今日、あなたに会いたいと言ったことも、来てほしかったと言ったことも、その答えを持ったという意味ではない」
「ああ」
「本当に分かっている?」
「ああ」
「では、なぜ来たの?」
「春麗が俺に会いたいと言った」
「ああ」
「俺も春麗に会いたかった」
「ああ」
「だから来た」
それだけ。
正式回答を百点にするためではない。
春麗から恋愛上の結論を聞くためでもない。
ただ今、二人が会いたいから会った。
春麗は少しだけ肩から力を抜いた。
「……ええ。それでいいのよね」
「ああ」
午後六時五十八分。
春麗は時計を見た。
「まだ七時前ね」
「ああ」
「待ち合わせとしては、二人とも早かった」
「ああ」
「偶然ではなく、約束した場所で、約束した時間の前に会えた」
「ああ」
「……簡単ね」
「そうか?」
「方法だけなら簡単」
連絡する。
日時を決める。
場所を決める。
そこへ行く。
相手も来る。
それだけ。
春麗が何日も探し回る必要はない。
山へ登る必要もない。
主人公補正を待つ必要もない。
奇跡が起きるかどうかへ希望を預ける必要もない。
自分から会いたいと言うことだけが、春麗には非常に難しかった。
しかし、それを言えた後の世界は驚くほど現実的だった。
「物語より現実の方が、手順は多い」
「ああ」
「でも、一度作ってしまえば現実の方が確実なのね」
リュウは春麗を見た。
「次も、会いたくなったら連絡すればいい」
春麗の精神HPが少し削れた。
「簡単に言うわね」
「難しいのか?」
「今回、どれだけかかったと思っているの?」
「分からない」
「でしょうね!」
「だが、連絡は来た」
春麗は言葉を止めた。
「だから、俺は来た」
事実だった。
何日悩んだとしても。
一度目の電話で失敗したとしても。
二度目で、春麗は言葉を届けた。
そしてリュウは来た。
「……次は、今回ほど時間をかけないようにする」
「分かった」
「約束ではないわよ」
「ああ」
「努力目標」
「ああ」
春麗は少しだけ視線を逸らした。
「でも、会いたくなったら私から連絡する」
リュウは短く頷いた。
「待っている」
春麗はその言葉を、今度は以前ほど苦しく感じなかった。
待っている。
何も起きないまま永遠に距離を置く言葉ではない。
春麗が連絡すれば終わる待機。
春麗自身が動かせる待機だった。
「入るか」
リュウが店を見た。
春麗も店の入口を見る。
前回は、偶然の再会の後、最後の一度を無駄にしないために入った。
今日は最初から、二人で食事をするために来た。
「ええ。入りましょう」
春麗は一歩進んだ。
だが、店の扉へ手をかける前にもう一度リュウを見た。
「リュウ」
「何だ」
「今日は、来てくれてありがとう」
「ああ」
「そこは、どういたしましてでしょう」
「どういたしまして」
春麗は少し笑った。
「それと──」
言葉を止める。
今なら言える。
ケンを介して一度伝えた。
電話でも、リュウから同じ言葉を返された。
そして今、目の前にいる。
「私、あなたに会いたかった」
リュウは春麗を見た。
「ああ。俺もだ」
春麗は今度は怒らなかった。
少しだけ目を伏せる。
「……そう。なら今日は、それで十分」
「ああ」
二人は店へ入った。
案内された席は前回とは違った。
料理も、これから注文する。
交わす言葉も、まだ決まっていない。
正式回答は持てないまま。
好意を正式に告白したわけでもない。
二人の関係へ名前がついたわけでもない。
それでも今日、二人が同じ席にいる理由は明確だった。
春麗がリュウに会いたいと伝えた。
リュウが春麗に会いたいと答えた。
二人で日時と場所を決めた。
そして二人とも来た。
今までの物語は、異常なほど二人を会わせていた。
連絡先がなくても。
約束がなくても。
必要な時に同じ場所へ置いた。
その主人公補正がなければ、二人の関係はもっと早く止まっていたかもしれない。
だから、過去の奇跡は必要だった。
だが、これからも奇跡だけを待つ必要はない。
物語がリュウを連れてこなくても、春麗が自分の言葉で呼べる。
連絡し。
約束し。
会いに行く。
それが現実的な展開だった。
奇跡より地味で、手順が多く、春麗自身の責任も重い。
しかし奇跡よりも、次を作ることができる。
今日、春麗は物語にリュウと会わせてもらったのではない。
自分の「会いたい」を現実の連絡へ変え、その言葉に応じて来たリュウと、約束した場所で再会した。
主人公補正が二人を会わせたのではない。
春麗が初めて、自分でリュウを物語の次の場面へ呼んだのだった。
Q:今回の断章IFについて解説して?
A:
今回の断章IFは、本編春麗がついに「物語に会わせてもらう」のではなく、自分の言葉と行動でリュウとの再会を成立させる話です。
ここまでの一連の流れでは、
電話が鳴らない理由を知る。
いつもの場所へ行っても、もう偶然の再会は起きないと知る。
春麗会議室にも接続できず、自分で動く必要があると理解する。
ケンへ一度電話するものの、本当の理由である「リュウに会いたい」は言えない。
二度目の電話で、ようやく「リュウに会いたい」と伝言を預ける。
その伝言を受け取ったリュウから電話が来る。
そして二人で、三日後の午後七時、以前一緒に食事をした店の前で会うと決める。
という段階を一つずつ踏んできました。
今回、その積み重ねが初めて実際の再会として完成します。
何より大きいのは、今回リュウが目の前に現れた理由が、完全に明確なことです。
春麗が会いたいと言った。
ケンがそれをリュウへ届けた。
リュウが春麗へ電話した。
二人で日時と場所を決めた。
春麗が約束した場所へ行った。
リュウも約束した場所へ来た。
その結果として、二人は会っています。
これまでのように、
たまたまリュウがそこにいた。
春麗が必要としている時に偶然現れた。
物語上の転機だから同じ場所へ配置された。
という再会ではありません。
再開の始まりには春麗自身の「会いたい」という意思にあります。
その意味で今回、春麗が午後六時十二分というかなり早い時間に待ち合わせ場所へ到着しているのも、かなり彼女らしいと思います。
約束は午後七時。
それなのに四十八分前に到着する。
本人は、
「仕事が予定より早く終わっただけ」
「遅れる可能性を考慮して余裕を持っただけ」
と説明しています。
もちろん、どちらも間違ってはいません。
実際、捜査官という仕事をしている以上、急な仕事が入る可能性もある。
だから余裕を持って動くことには合理性があります。
ただ、それにしても早い。
今回の春麗は、リュウが来るかどうか分からない場所へ行ったのではありません。
自分から呼んだリュウを待っています。
そのため、時計を何度も確認します。
六時十三分。
六時二十分。
六時三十一分。
六時四十五分。
時間は普通に進んでいます。
しかし春麗自身が、何度も確認してしまう。
この「約束した相手を待つ」という非常に普通の出来事が、本編春麗にとってはほとんど初めての経験になっています。
そして今回、約束には安心だけではなく、新しい不安も生まれています。
以前は約束そのものがありませんでした。
だからリュウがいなくても、
「来なかった」
とは言えません。
そもそも来ると言っていないからです。
しかし今回は違います。
三日後。
午後七時。
店の前。
はっきり決めています。
だから、もしリュウが来なければ、
「約束したのに来なかった」
という事実が生まれます。
これは春麗にとって新しい負荷です。
ただし、この不安は以前の不安とは性質が違います。
昔は、いつまで待てばいいのかも分かりませんでした。
今日来るのか。
明日来るのか。
もう街を出たのか。
そもそもどこにいるのか。
何も分からない。
だから、いつもの場所へ何度も行く。
道場へ聞く。
公開情報を調べる。
山まで登る。
終わりのない探索になります。
しかし今回は、午後七時までは待てばいい。
七時を過ぎれば遅刻だと判断できる。
来なければ、次に連絡を取ればいい。
約束があることで、不安にすら具体的な形が与えられています。
「約束も負荷になる」
でも、曖昧ではない。
ここは、主人公補正のある関係から現実的な関係へ移っていく上で、かなり重要な部分だと思います。
そして午後六時五十一分。
ついに通りの向こうへ白い道着が見えます。
この場面では、以前の「足音を聞いて期待する」「似た人物ではないかと思う」といった状態とは違い、春麗自身がはっきりリュウだと確認できます。
本当に来た。
しかも、春麗が会いたいと言ったために三日かけて戻ってきた。
ここで春麗は、もう一度確認します。
「私が、会いたいと伝えたから?」
リュウの答えは、
「ああ」
です。
逃がしてくれません。
修行のついででもない。
偶然でもない。
別の用事があったわけでもない。
春麗が呼んだから来た。
この因果関係が、今回の春麗にはとても重い。
だから、
「そこは少し考えてから答えなさい」
と抗議します。
そしてリュウは、以前電話で言われた通り、本当に一拍だけ考えてから、
「ああ」
と答える。
この辺りは、本編春麗とリュウの関係が少し日常寄りになってきたことを出すための掛け合いでもあります。
重い話をしているのですが、二人の間にはすでにこういうやり取りが成立する程度の距離感もできています。
今回もう一つ重要なのは、春麗自身が過去の主人公補正を否定していないことです。
今までの偶然の再会を、
「全部おかしかった」
「なかった方がよかった」
とはしていません。
むしろ、あの奇跡がなければ連絡先を交換するところまで進めなかった。
主人公補正は必要だった。
そこは認めています。
ただ、
「必要だったこと」と、
「これからもそれだけに頼ること」
は別です。
今までの奇跡は、二人の関係をここまで運んでくれた。
しかし、これから先まで毎回物語に会わせてもらう必要はありません。
連絡先がある。
伝言経路がある。
互いの生活についても少し知っている。
日時と場所を決められる。
そして何より、
「会いたい」
と伝える方法を春麗自身が覚え始めています。
だから今後は、自分で次を作れる。
今回のタイトルにある、
「物語ではなく自分の言葉でリュウに会う」
という部分は、まさにそこを指しています。
また今回、春麗はリュウ本人の前で初めて、
「来てほしかった」
と言っています。
これはかなり大きいです。
最初はケンを介して、
「リュウに会いたい」
と伝えました。
その後、電話でリュウ本人から、
「俺も春麗に会いたい」
と返されました。
しかし、それでもまだ電話越しです。
今回は目の前にリュウがいます。
その相手から、
「来ない方がよかったか?」
と聞かれ、
春麗は反射的に、
「違う! 来てほしかった!」
と答えています。
これは準備した台詞ではありません。
紙にも書いていません。
春麗会議室で整理した言葉でもありません。
咄嗟に本人へ出た言葉です。
だから言った後に本人が一番驚いています。
しかも、
「声が大きかっただけ」
「忘れて」
と逃げようとしますが、リュウには完全に聞こえています。
この場面は、ケンを介した「会いたい」から、本人へ直接言える「来てほしかった」へ一段進んだ場面です。
さらに終盤では、春麗はもっと落ち着いた状態で、
「私、あなたに会いたかった」
と本人へ伝えています。
こちらは反射ではありません。
一度止まって、自分で言うと決めて言っています。
これが今回のもう一つの大きな到達点です。
ただし、ここでも重要なのは、これを恋愛上の正式な告白にはしていないことです。
春麗自身も繰り返し確認しています。
正式回答はまだ持てない。
今日会いたいと言ったことも。
来てほしかったと言ったことも。
正式回答を持ったという意味ではない。
リュウもそれを理解しています。
だから、
「なぜ来たの?」
と春麗が尋ねた時のリュウの答えは非常に単純です。
春麗が俺に会いたいと言った。
俺も春麗に会いたかった。
だから来た。
それだけです。
正式回答を百点にするためではない。
恋愛上の結論を聞くためでもない。
関係に名前を付けるためでもない。
今日、互いに会いたいから会う。
今回の本編春麗に必要なのは、この程度の現在だけなのだと思います。
未来全部を決めなくてもいい。
正式回答全部を持てなくてもいい。
三日後に会いたい。
今日は会いたかった。
そのくらいの大きさなら、自分で選び、自分で持てるようになってきています。
そして今回、リュウから、
「次も、会いたくなったら連絡すればいい」
と言われます。
これは方法だけを見れば当たり前です。
会いたい。
連絡する。
日時と場所を決める。
会う。
非常に簡単です。
しかし春麗にとっては、その最初の「会いたい」を言うまでに何話もかかっています。
だから、
「今回、どれだけかかったと思っているの?」
となる。
リュウは当然、
「分からない」
と答えます。
ですが続けて、
「だが、連絡は来た」
「だから、俺は来た」
と言います。
これも大事なところです。
春麗がどれだけ悩んだとしても。
一度目の電話で言えなかったとしても。
最終的には言葉が届いた。
だからリュウは来た。
結果として、方法は機能しました。
そこで春麗は、
「次は、今回ほど時間をかけないようにする」
とまで言えるようになります。
さらに、
「会いたくなったら、私から連絡する」
と言っています。
これは恋愛上の将来を約束した言葉ではありません。
だから本人もすぐ、
「約束ではない」
「努力目標」
と修正しています。
それでも以前なら、
「次に会いたいと思った時、自分から連絡する」
という発想自体を持てませんでした。
物語が会わせてくれることを待っていたからです。
今回は、自分で次を作る方法を一度成功させました。
そのため、少なくとも、
「次も同じ方法を使えるかもしれない」
ところまで進んでいます。
ここでリュウの、
「待っている」
という言葉の意味も変化しています。
以前の「待っている」は春麗にとって非常に重い言葉でした。
いつまで待たせるのか。
自分が動かなければ永遠に待つのか。
正式回答を持てない自分が止めているのではないか。
そういう負荷がありました。
しかし今回は違います。
春麗が連絡すれば終わる待機です。
春麗自身が動かせる。
だから以前ほど苦しくない。
これは、選択権を持つことに少しずつ慣れてきた証拠でもあると思います。
そして最後。
二人は店へ入ります。
前回とは違う席。
料理もまだ決めていない。
何を話すかも決まっていない。
正式回答もまだ持てない。
好意を正式に告白したわけでもない。
関係に名前も付いていない。
しかし今日、二人が同じ席にいる理由だけは明確です。
春麗が会いたいと言った。
リュウも会いたいと言った。
二人で日時と場所を決めた。
そして二人とも来た。
非常に地味です。
主人公補正による劇的な偶然よりも、ずっと地味です。
電話をする。
日時を決める。
時間を守る。
店の前で待つ。
ただそれだけです。
しかし、この「ただそれだけ」を本編春麗ができるようになるまでが、正式回答後の大きな課題でした。
主人公補正は、これまで二人を何度も助けました。
でも、主人公補正は「次」を自分で作る方法までは教えてくれません。
偶然の再会には再現性がありません。
一方、
会いたいと伝える。
連絡する。
約束する。
会いに行く。
という方法には再現性があります。
奇跡より地味ですが、次も使える。
そこが今回とても重要です。
本編春麗は今回、初めて物語の奇跡を待たず、自分でリュウとの次の場面を成立させました。
そしてその場所で、
「来てほしかった」
「あなたに会いたかった」
と、本人へ直接言えるところまで進みました。
正式回答はまだ持てません。
九十九点のままです。
それでも、正式回答を持てない春麗のままで、リュウとの関係を現実の中で続けることはできる。
今回、そのことが実際の再会という形で証明されました。
物語が二人を会わせる段階から。
二人が自分たちで会う段階へ。
その境界を、本編春麗がようやく越えた話でした。