また戦ってくれ――リュウと春麗、紙一重のライバル譚―― 作:エーアイ
リュウは、朝の修行場で春麗を待っていた。
夜明けの光は、前回よりも明るい。
黒いドレスの春麗と戦った時は、まだ夜の気配が残っていた。
薄暗い修行場で、黒衣の輪郭だけが浮かび、裾の揺れも、素足の踏み込みも、下ろした髪も、すべてが戦いの一部になっていた。
あの時、リュウは負けた。
敗因は、はっきりしている。
春麗は、戦う前から黒いドレスでの戦いの準備を整えていた。
髪を下ろし、裾を確かめ、足運びを数え、リュウがどこを見るかまで読んでいた。
リュウは、その準備に気づくのが遅れた。
向かい合った時には、もう春麗は先にいた。
だから、次は違う。
春麗が現れる前から見る。
そう思っていた。
ただし、春麗が黒いドレス姿で来るとは限らない。
青い武道服かもしれない。
黒いドレスかもしれない。
あるいは、また別の何かを持ってくるかもしれない。
それでも、リュウの中には黒衣の春麗の姿が強く印象に残っていた。
黒い裾の揺れ。
そこから一瞬見える素足の踏み込み。
下ろした髪。
言葉にしなかったのに、拳に出ていた自分。
春麗に読まれた一拍。
リュウは、無意識に黒いドレス姿の春麗を待っていた。
待っているつもりはなかった。
春麗がどの姿で来ても、春麗は春麗だ。
そう思っていた。
だが、身体の奥では、あの黒いドレスの春麗を警戒していた。
春麗は、戦う前から始めてくる。
なら、黒いドレスで来るなら、その気配ごと見る。
青い武道服で来るなら、その青を見る。
そう考えていたはずだった。
だが、待ち方そのものに、もう偏りがあった。
春麗が現れた。
青い武道服だった。
リュウは見た。
黒いドレスではない。
その瞬間、胸の奥でわずかな空白が生まれた。
自分が何を待っていたのか、そこで気づいた。
黒だ。
黒いドレスの春麗を、どこかで待っていた。
春麗は、その一拍を見逃さなかった。
青い武道服の袖が、朝の光の中で揺れる。
黒いドレスの重さはない。
下ろした髪もない。
素足の踏み込みを見せる裾もない。
だが、春麗の目は変わらなかった。
こちらを見ている。
待ち方まで読んでいる。
春麗が言った。
「今日は黒いドレスじゃないわ」
リュウは黙った。
春麗は少し間を置く。
「黒いドレスの私を待っていたの?」
言葉が、すぐには出なかった。
図星だった。
リュウは、短く答える。
「どの姿でも、お前は春麗だ」
それは本心だった。
青い武道服でも。
黒いドレスでも。
どちらでも、春麗は春麗だ。
だが、拳はまだ完全には戻っていなかった。
言葉は戻った。
目も逸らしていない。
けれど、構えの奥に残った一拍の遅れは消えていない。
春麗は笑った。
「なら、この青い武道服の私の速さに置いていかれないことね」
次の瞬間、春麗が入ってきた。
速い。
黒いドレスの春麗とは違う。
黒なら、見せる。
間を作る。
視線を絡める。
裾の揺れや足の見え方で、こちらの呼吸を一拍ずらしてくる。
だが、青い武道服の春麗はもう入っている。
蹴りが来る。
リュウは受ける。
重い。
いや、重いというより、速い。
戻りが軽い。
次の踏み込みが早い。
蹴りのあとに、もう掌底が来ている。
リュウの拳が遅れる。
黒いドレス姿を待った。
その一拍で、青い武道服の春麗に先へ行かれた。
春麗の足が土を蹴る。
青い武道服の袖が風を切る。
蹴りが腕に入る。
戻る。
すぐに角度が変わる。
リュウは受ける。
だが、受けている。
返せていない。
黒いドレスを想定していた意識が、青い武道服の純粋な速度に追いついていない。
春麗はそれを知っている。
黒いドレスで勝った直後だからこそ、青い武道服で来た。
リュウが黒いドレスの春麗を待つことまで読んでいた。
そのことを、拳で突きつけてくる。
リュウは奥歯を噛んだ。
このままでは、置いていかれる。
黒いドレスの春麗ではない。
今、目の前にいるのは青い武道服の春麗だ。
速度。
蹴り。
戻り。
踏み込み。
真正面からの技術。
それを見る。
黒いドレス姿の影を振り払うように、リュウは呼吸を整えた。
春麗の蹴りを追わない。
速さそのものを追えば遅れる。
戻りを見る。
踏み込みの先ではなく、次に戻る場所へ拳を置く。
春麗の足が動く。
リュウは蹴りの軌道ではなく、戻る先へ拳を置いた。
拳が春麗の腕に触れる。
春麗の動きが、ほんのわずかに止まる。
初めて、合った。
春麗の目が細くなる。
リュウはさらに踏み込む。
青い武道服の春麗を見る。
黒いドレスの春麗ではない。
裾の揺れでもない。
素足の踏み込みでもない。
今、目の前にいる春麗の速度を見る。
春麗の肩口に拳が入った。
浅い。
だが、届いた。
春麗の呼吸が変わる。
リュウは手首を取りにいく。
春麗はすぐに抜いた。
速い。
だが、最初よりも見えている。
中盤、流れは戻り始めていた。
春麗の蹴り。
リュウの拳。
春麗の横移動。
リュウの踏み込み。
掌底。
受け。
戻り。
拳。
互角に近づいている。
それでも、序盤の遅れは残っていた。
最初に春麗が作った一拍。
黒いドレス姿の春麗を待ったことで奪われた一拍。
それが、まだリュウの拳を届く寸前で鈍らせている。
春麗はそこを手放さない。
戻ると見せて、戻らない。
踏み込むと見せて、横へ抜ける。
青い武道服の軽さで、拳の外へ出る。
だが、その動きの中に、どこか黒いドレスの気配があった。
リュウは違和感を覚える。
春麗は、ただ青い武道服で来たのではない。
青い武道服での速度で来ている。
だが、黒いドレスで得た何かを持ってきている。
見られている自分の扱い。
黒いドレスの時、春麗は見られることまで間合いにした。
リュウがどこを見るか。
何を待つか。
何に反応するか。
それを読んだ。
今も同じだ。
青い武道服でも、春麗は見られている自分を使っている。
リュウが黒を待ったこと。
青の速度へ意識を戻そうとしていること。
戻りを見始めたこと。
次にどこへ拳を置くか。
そこまで読んで、春麗は動いている。
リュウは気づいた。
春麗は黒いドレスを捨てて青い武道服で来たのではない。
黒いドレスで勝った直後だからこそ、青い武道服で来た。
自分が黒いドレス姿の春麗を待つことを読んでいた。
つまり、春麗は黒いドレスを着ていないのに、黒いドレスを戦場に置いていた。
黒衣は、着ていなくても残っていた。
リュウがそれを待った時点で、春麗に先を取られていた。
リュウの呼吸が変わる。
気づいたなら、ここからだ。
黒いドレスの影を振り切る。
そして、青い武道服の春麗を見る。
同時に、春麗が青い武道服で来た意味も見る。
リュウは踏み込んだ。
春麗の蹴りを受けるのではなく、そこへ拳を置く。
春麗の戻りを読む。
春麗が戻ると見せる。
だが、戻らない。
リュウは一瞬遅れる。
黒いドレス戦で春麗が使った「見られている自分」の扱い。
それを青い武道服の足運びに混ぜている。
リュウはさらに深く見る。
春麗の足だけではない。
肩を見る。
腰を見る。
呼吸を見る。
そして、自分が何を待っているかも見る。
拳が届き始める。
春麗の肩に入る。
腕に触れる。
手首を取りにいく。
春麗が逃げる先へ半歩入る。
春麗の呼吸が乱れた。
勝ち筋が見えた。
あと少し。
黒いドレスの影を振り切り、青い武道服の春麗に追いつき、春麗の狙いごと見た。
ここで詰め切れば、届く。
リュウは踏み込む。
春麗の速度はまだ速い。
だが、見えないほどではない。
青い武道服の戻りも見えている。
蹴りの軌道も見えている。
黒いドレスの春麗を待っていた遅れも修正した。
春麗が黒衣の影を使っていたことにも気づいた。
だが、遅い。
序盤の一拍が、まだ残っている。
リュウは最後に拳を置いた。
春麗の戻り先へ。
ここへ戻る。
そう読んだ。
春麗は、戻ると見せた。
リュウの拳がそこへ向かう。
だが、春麗は戻らなかった。
青い武道服の袖が風を切る。
足が土を噛む。
黒いドレスではない。
裾で誘ったわけでもない。
素足の踏み込みを見せたわけでもない。
だが、黒いドレスで得た読みが、そこにあった。
見られている戻りを捨てる。
春麗は、リュウが見た場所を外した。
拳が半拍遅れた。
その半拍で、春麗の蹴りが先に入った。
胸に衝撃が走る。
リュウの身体が止まる。
拳は、あと少しのところで届かなかった。
片膝が土につく。
負けた。
リュウは息を整えようとした。
胸が重い。
肩も痛い。
腕にも春麗の蹴りの感触が残っている。
終盤、巻き返した。
青い武道服の春麗に対応した。
黒いドレスの影にも気づいた。
春麗の狙いも見えた。
ほとんど届いた。
だが、届かなかった。
春麗は、序盤に奪った一拍を最後まで残していた。
リュウが黒いドレス姿の春麗を待った一拍。
そこから始まった遅れが、最後まで消えなかった。
春麗が近づく。
リュウは顔を上げた。
青い武道服の春麗が、朝の光の中で立っている。
黒いドレスではない。
だが、確かに黒衣の影をまとっていた。
春麗が言う。
「黒いドレスの私を待っていた分、少し遅れたわね、リュウ」
リュウは否定できなかった。
待っていた。
黒を。
前回の敗北を持ち帰ったつもりだった。
黒衣は戦う前から始まっていると知った。
春麗が現れる前から見なければならないと思った。
だが、今回はその待ち方を読まれた。
黒衣を待っている時点で、すでに春麗の中にいた。
春麗は続ける。
「今日は青い武道服の私だったのに」
リュウの拳に力が入る。
悔しい。
だが、正しい。
さらに春麗は言った。
「どの私が来るかを読むところから、もう戦いは始まっているのよ」
その言葉は、前回の敗北よりも深く刺さった。
前回、リュウは黒衣が戦う前から始まっていると知った。
だが、それだけでは足りなかった。
黒いドレス姿の春麗待つことも、青をい武道服姿の春麗待つことも、すでに春麗に読まれる。
春麗との戦いは、姿が見えた時に始まるのではない。
春麗がどの姿で来るかを待つ、その待ち方から始まっている。
リュウは、片膝をついたまま息を吐く。
次は、黒衣を待つのでも、青い武道服での春麗を待つのでもない。
春麗が何を選んでも、その選んだ意味ごと見なければならない。
青い武道服なら、なぜ青い武道服なのか。
黒いドレスなら、なぜ黒いドレスなのか。
来なかった姿があるなら、その影まで。
春麗は、ただ姿を変えるのではない。
姿を選んだ時点で、もう一手置いている。
リュウは拳を握った。
次は、その一手から見る。
春麗が現れる前から。
いや、待っている自分の中に何があるのかから。
春麗は青い武道服で立っている。
だが、今日リュウを遅らせたのは青い武道服の速さだけではなかった。
黒衣の影だった。
そして、その影を使った春麗自身だった。
リュウは、悔しさを拳の中へ沈める。
次は、春麗の姿だけを見るのではない。
春麗がその姿で来た意味ごと、見る。