また戦ってくれなんて言わないで ――春麗は今日もめんどくさい―― 作:エーアイ
本編のIFシリーズは無関係のエピソードとなります。
第1話ギリギリ敗北ルートの修行編後日談より先の未来時空のエピソードです。
記録板AIは、直前の未来ログに続く記録を開いた。
『ディレクターズカットIF』
『第1話ギリギリ敗北ルート後日談』
『春麗/合計五連勝』
『黒い戦闘服第四戦後』
『以下、継続します』
「最初の試合で、あなた、私を女として見たでしょう」
「ああ」
「それで、一瞬だけ拳を鈍らせた」
「そうだったな」
今なら、こうして普通に話せる。
けれど当時は違った。
春麗は本気で腹を立てた。
初代大会の優勝者。
自分より先に何人もの強敵を倒してきた男。
そんな相手なら、最初から真正面から来ると思っていた。
なのに。
「私、あれ本当に腹が立ったのよ」
「知っている」
「たぶん、あなたが思ってるよりずっとよ」
「そこまでだったのか」
「そうよ」
春麗は小さく笑った。
「女だからって、壊しちゃいけない相手みたいに測られて。その程度の覚悟なら叩き直してやるって、本気で思ったわ」
「それは伝わった」
「でしょうね」
春麗の指先が、リュウの額へ触れる。
今日はそこに、自分が刻んだ敗者の印がある。
「でも、あなた、試合の途中で自分から直したのよね」
「春麗を見直した」
「女として見たことを、なかったことにはしなかった」
「それも含めて、格闘家として見た」
「そう。それで最後は――」
春麗は少しだけ眉を寄せる。
「私に勝った」
「勝ったな」
昔なら、その言葉だけでも腹を立てただろう。
今は少しだけ笑える。
「本当に、調子の狂う男だったわ」
「俺が?」
「そうよ」
春麗は即答した。
「最初に見誤って、試合の途中で勝手に修正して、そのうえ私に勝った」
「否定はしない」
「しかも負けた私に『強かった』って言ったでしょう」
「実際強かったからな」
「そのうえ『次は最初から見る』って。『今日の春麗を覚えておく』とまで言った」
「ああ、覚えている」
春麗はため息をついた。
「……あれであなたを忘れろという方が無理でしょう」
「忘れてほしかったのか?」
「違うわよ」
そこだけは、昔でも今でも即答だった。
リュウが少しだけ目を細める。
春麗も、自分で言っておかしくなった。
「今なら分かるけどね。たぶん、あの時からだったのよ」
「何がだ」
「あなたの拳を、必要以上に覚え始めたの」
肩、腰、踏み込み、視線、呼吸。
どこから来るのか。
どこへ届くのか。
どうすれば、あと少しをひっくり返せるのか。
春麗は何度も考えた。
そして、何度も負けた。
「二回目も、三回目も。あと一歩、あと一撃。そんな負けばっかり」
「紙一重だった」
「だから余計に腹が立ったのよ」
春麗は少し頬を膨らませる。
「それなのに、あなたは毎回勝ち誇らない」
リュウは何も言わない。
「私を見て、『強かった』って言う」
「事実だった」
「最後には、私の方から言わせたでしょう。『強かったって言いなさいよ』って」
「覚えている」
「……忘れてくれてもよかったのに」
「忘れない」
その答え。
昔から、こういうところだ。
春麗は少しだけ視線を逸らした。
「負けた私が、勝ったあなたに褒めろって要求したのよ。今考えると、かなり酷いわよね」
「だが、強かった」
春麗の指が止まる。
「……今言う?」
「今でもそう思っている」
「そういうところよ」
口ではそう言いながら、胸の奥は少しだけ温かかった。
当時の春麗は、たぶんそれが欲しかった。
負けた。
届かなかった。
それでも。
弱かったことにはされたくなかった。
そしてリュウは、そこだけは一度も間違えなかった。
「それから、ようやく勝ったわ」
春麗は膝の上のリュウを見下ろした。
「何度も負けて、何度もあなたの拳を覚えて。やっと、あなたを膝につかせた」
「覚えている」
「あの日のこと、私も忘れてないわ」
余裕なんてなかった。
呼吸も。
脚も。
全部ぼろぼろだった。
ただ、リュウが自分に負けている。
自分を見上げている。
それだけで胸がいっぱいだった。
「あなたが初めて私を見上げた時ね」
春麗の声が少し柔らかくなる。
「……ずっと見たかった、って思った」
リュウが静かに聞いている。
「負けたあなたも。私に届かなかったあなたも。それでも、もう次を考えているあなたも」
春麗は今のリュウを見る。
悔しそう。
でも、その目は折れていない。
今日より強くなって、次こそ自分を倒す。
もうその先を見ている目だ。
「その顔」
春麗は少し笑った。
「昔とあまり変わってないわね」
「そうか」
「ええ」
ただ、今は位置が違う。
昔は春麗が下だった。
何度も膝をついた。
リュウを見上げた。
強かったと言われた。
悔しくて、また挑んだ。
今は。
黒と金の戦闘服。
下ろした長い髪。
その春麗の膝の上に、リュウがいる。
しかも今日は、明確な余力を残して勝った。
春麗は改めてその光景を眺めた。
「……すごいわね」
「何がだ」
「今よ」
リュウの髪を軽く整える。
「昔は私が、何度もあなたを見上げてた」
「そうだな」
「今は、あなたが私を見上げてる。この姿の私に四回負けて、今日は余力まで残されて」
春麗は少しだけ笑みを深くした。
「そのうえ、あなたは私の膝の上」
しばらく。
本当に、しばらく。
その状態を味わった。
「……これは」
「何だ」
「かなり来るものがあるわね」
リュウの眉が寄る。
「春麗」
「何?」
「楽しんでいるな」
「さっき認めたでしょう?」
「そうだったな」
「なら諦めなさい」
春麗は笑った。
「これは、私へのご褒美よ」
もう、その言葉にも以前ほど抵抗はない。
何度も負けた男に。
好きな男に。
自分を女として見ている男に。
格闘家として本気で勝ちに来る男に。
自分が勝つ。
しかも今では、女である自分まで自分の意思で戦いへ持ち込み、それを勝利につなげている。
昔なら考えもしなかった。
「昔の私が今を見たら、たぶん怒るでしょうね」
「なぜだ?」
「最初の試合を思い出しなさいよ」
春麗は自分の黒い戦闘服へ視線を落とした。
「女として見られたせいで拳を鈍らせたあなたに、あれだけ怒ったのよ?」
「そうだったな」
「それが今じゃ――」
黒い生地。
金の装飾。
長い髪。
メイク。
視線。
声。
距離。
「女として見られていることまで、自分から使ってる。しかも今日は、それがかなり効いた」
「効いたな」
「……私、変わったわね」
リュウは少し考えた。
「だが」
「何?」
「拳を鈍らせてほしいわけではないんだろう」
春麗は、すぐには答えなかった。
膝の上のリュウを見る。
負けて。
悔しくて。
それでも次は本気で勝つつもりでいる男。
「ええ」
はっきり答えた。
「そこは何も変わってない」
女として見てほしい。
でも、女だからと拳を鈍らせるな。
格闘家として見てほしい。
でも、女の自分を消すな。
今はさらに。
好きな女だと分かっていてほしい。
それでも、本気で勝ちに来てほしい。
「結局、私、昔から同じことを要求してるのよね」
「今の方が難しい」
「そこは否定してもいいのよ?」
「難しいものは難しい」
「……本当に正直ね」
春麗は笑った。
だが、その笑みがふと止まった。
二週間。
その言葉が頭に浮かんだ。
「そういえば」
「何だ」
「最初に勝った後、あなた、二週間来なかったのよね」
「覚えている」
「今でも長かったと思ってるから」
「すまない」
「謝ってほしいわけじゃないわよ」
春麗は少しだけ頬を膨らませた。
「来ない間、私がどれだけ足音を気にしてたと思ってるの」
「それは知らない」
「でしょうね」
知っていたら、それはそれで当時の自分は困っただろう。
「来たら来たで、強くなってるし」
「修行していた」
「私があなたに勝ったこと、ちゃんと持って帰ってたのよね」
「負けたからな」
「……あれ、嬉しかったのよ」
小さく。
今なら言える。
「自分に負けたことを、あなたがちゃんと覚えてくれてたのが」
リュウは静かに春麗を見上げている。
「それで、その日の再戦で――」
春麗の声が少しだけ変わった。
リュウの表情も、ほんの少し変わる。
春麗は見逃さない。
「昇龍拳」
「……あれか」
「そう。あれで私を空から撃ち落とした」
昔なら、この話をするだけで身体の奥に嫌なものが走った。
今は違う。
覚えている。
怖かった。
痛かった。
でも、もう止まらない。
「その後、波動拳の向こうに昇龍拳が見えるだけで、身体が止まるようになった」
「…そうだったな」
「本当に嫌だったわ。自分でも分かってるのに脚が出ない。跳べない。身体が勝手に止まる」
そして。
一番見られたくなかった相手に、見つかった。
「よりによって、あなたにバレた」
「見れば分かった」
「帰れって言ったわね、私」
「言われたな」
「なのに帰らなかった」
「帰る理由がなかった」
「修行に付き合うって言った」
「必要だと思った」
その時の春麗には、本当にそれを受け入れるのが難しかった。
自分を撃ち落とした男。
自分の弱さを見つけた男。
その本人に、克服を手伝ってもらう。
悔しかった。
恥ずかしかった。
それでも、必要だった。
「私、最後に言ったでしょう」
春麗は静かに言う。
「今回は恩を借りるって」
「覚えている」
「いつか、この恩は絶対に返すって」
「それも覚えている」
春麗は、しばらく何も言わなかった。
ただ、膝の上にあるリュウの右手を見る。
今日も春麗へ届こうとした拳。
女として見た。
好きな女として見た。
格闘家として見た。
その全部を消さずに本気で勝とうとして。
それでもまだ、ほんの少しだけ遅れる拳。
春麗はその右手を取った。
「……今なのね」
「何がだ」
「恩を返す時」
リュウが少し目を開いた。
春麗自身も、口にしてようやく完全につながった。
「昔は、あなたの拳を見て私が止まった」
リュウの右手を、自分の両手で軽く包む。
「だから、あなたが私の修行に付き合ってくれた。毎日来て、波動拳を撃って、昇龍拳も出して」
「春麗が止まらなくなるまでな」
「そう」
昼食も。
会話も。
それ以外のものも。
少しずつ増えた。
戦うためだけに会っていた男と、戦わない時間を過ごすようになった。
それで、いつの間にか好きになった。
そして今では、互いに好きだと知っている。
「今は――」
春麗は自分へ視線を落とした。
黒い戦闘服。
おろした長い髪。
今日、時間をかけて整えた顔。
全部、リュウへ見せるためにも使った。
「私を見て、あなたの拳が遅れる」
リュウは黙って聞いている。
「私を好きな女として見て。格闘家としても見て」
「全部見ている」
「それでも勝とうとして」
「そのつもりだ」
「なのに最後に、ほんの少しだけ遅れる」
「まだな」
春麗はリュウの右手を握ったまま、小さく笑った。
「ずいぶん綺麗に逆になったわね」
「そうだな」
「昔は私が止まった。今はあなたが遅れる」
リュウの目が春麗へ向く。
「昔はあなたが付き合ってくれた」
春麗は少しだけ勝者らしく笑った。
「今は、私が付き合う番なのね」
リュウはしばらく春麗を見上げた。
その目が、少しだけ柔らかくなる。
「そうか」
「何よ、その返事」
「恩を返しているのか」
「そうよ」
春麗は即答した。
それから、少し考える。
「……たぶん」
「たぶん?」
「だって」
春麗は膝の上のリュウの顔を改めて見る。
「私、かなり楽しんでるし」
「それは見れば分かる」
「何よ」
「楽しそうだからな」
「……そうね」
もう否定する気もなかった。
「恩返しよ。でも――」
春麗は少しだけ笑う。
「恩返しだけじゃないわね」
「だろうな」
「あなたに勝つの、好きだし」
今日みたいに、全部見てもらったうえで。
前より強くなったリュウに。
明確な余力を残して勝った。
春麗は少しだけ声を甘くする。
「かなり気持ちよかった」
「嬉しそうだったな」
「嬉しかったもの」
黒い戦闘服の裾から伸びる、春麗の素肌の脚。
その膝の上には、悔しそうなリュウ。
「今これでしょう?」
春麗はゆっくり息を吐いた。
「……やっぱり、かなり来るものがあるわね」
「さっきも言っていた」
「何度でも言うわよ」
春麗は笑った。
昔、自分が床に膝をついてリュウを見上げた。
何度も。
何度も。
あと少しで届かなかった。
強かったと言われた。
悔しかった。
それでもまた戦った。
今、立場は逆になった。
黒い戦闘服の春麗。
女であることまで自分の意思で戦いへ持ち込むようになった春麗。
その膝の上に、リュウがいる。
しかもリュウは春麗を女として見ている。
好きな女として見ている。
格闘家としても見ている。
その全部を抱えたまま、本気で勝ちに来て。
今日も負けた。
その顔を、春麗が上から見ている。
「……ご褒美としては」
春麗は小さく呟いた。
「かなり上等ね」
「春麗」
「何?」
「今度は取らせない」
春麗の口元が自然に上がった。
「ええ。その答えでいいわ」
弱いままでいてほしいわけじゃない。
負けることにも、慣れてほしくない。
まして、膝枕をされるために負けに来てほしいわけでもない。
今日より強くなって。
今日より春麗に慣れて。
女としての春麗も。
好きな相手としての春麗も。
全部見て。
それでも一瞬も遅れなくなる。
そこまで来てほしい。
「次も、本気で来なさい」
「もちろんだ」
「この姿にも、もっと慣れて。私が何をしても遅れないところまで来なさい」
「ああ」
「それで――」
春麗は楽しそうに、勝者として笑った。
「次も、私が勝つわ」
リュウの目が鋭くなる。
「そうはさせない」
その答えを聞いた瞬間、春麗の胸に昔の熱が戻ってきた。
最初の日。
負けた春麗がリュウへ言った。
今度は私に負けなさい
リュウは、
そうはさせない。
そう返した。
あの日、春麗は下からリュウを見上げていた。
今はリュウが黒い春麗の膝の上から、同じ言葉を返している。
「……」
「どうした」
「何でもないわ」
春麗はすぐには続きを言わなかった。
ただ、リュウの髪へ指を通す。
そして悔しそうな顔を、もう一度ゆっくり見下ろした。
最初の敗北。
何度もの敗北。
初めての勝利。
二週間。
昇龍拳。
止まった身体。
リュウとの修行と借りた恩。
好きだと気づいたこと。
好きだと伝えたこと。
そして今。
全部が、ここへ続いている。
「……本当に」
春麗は静かに笑った。
「ずいぶん遠くまで来たわね、私たち」
リュウは膝の上から春麗を見た。
「そうだな」
その短い返事が。
今度は、春麗の胸へ深く入った。
記録板AIは、継続ログを保存した。
『追想ログ終了』
『過去/春麗がリュウの拳を恐れ停止。リュウが克服修行へ同行』
『現在/リュウが春麗をすべて認識したまま戦うため、春麗が克服修行へ同行』
『対象春麗/「今度は私が付き合う番」と認識』
『恩返し/成立』
『以上、保存完了』
Q:今回のディレクターズカットIFについて解説して?
A:
今回のエピソードは、表面的には「第四戦に勝った春麗が、膝枕中に昔を振り返る回」ですが、物語全体ではかなり重要な役割を持たせています。
一番大きいのは、現在進行中のリュウ修行編を、第1話ギリギリ敗北ルート本編の延長線上へ正式につなぐ回になったことです。
これまでも構造上はつながっていました。
昔は春麗がリュウの拳の前で止まり、リュウに修行へ付き合ってもらった。
今はリュウが春麗を女性・好きな相手として見ることで拳をわずかに遅らせ、春麗が修行へ付き合っている。
今回、
「昔はあなたの拳を見て、私が止まった」
「今は私を見て、あなたの拳が遅れる」
「今度は私が付き合う番なのね」
まで春麗自身が到達しました。
ここで初めて、現在の修行が単なる「両想いになった後に発生した新しい問題」ではなくなります。
昔リュウから借りた恩を、今度は春麗が返している。
リュウ修行編そのものに、第1話ギリギリ敗北ルートから続く理由が生まれました。
特に「いつか、この恩は絶対に返す」という過去の春麗の言葉を、恋愛的な恩返しではなく、
相手が自分の前で止まらなくなるまで修行に付き合う
という、ほぼ同じ形式で返したのが重要です。
この二人らしい恩返しだと思います。
もう一つ大きいのが、「見る/見られる」というルート全体のテーマが一周したことです。
最初の試合では、リュウが春麗を女として見た。
そのせいで拳を鈍らせた。
春麗は怒った。
しかしリュウは、女として見た事実を消すのではなく、試合中に格闘家として見直した。
そのうえで春麗に勝った。
だから春麗には強烈に残った。
今回、そこをかなり丁寧に振り返っています。
春麗にとって本当に厄介だったのは、リュウが最初に自分を見誤ったことだけではありません。
見誤ったくせに、自分で修正して、そのまま勝ってしまったこと。
さらに敗者である春麗へ、
「強かった」
「次は最初から見る」
「今日の春麗を覚えておく」
と残したこと。
それで春麗もリュウを忘れられなくなった。
今の黒い戦闘服で春麗が要求している、
「女として見なさい」
「好きな女としても見なさい」
「格闘家としても見なさい」
「全部見たまま拳を遅らせるな」
は、実は最初の試合からずっと続いている要求です。
今回、
「私、昔から同じこと要求してるのよ」
というところまで春麗本人に認識させたことで、黒い戦い方が突然生えてきた別人格的なものではなくなりました。
昔から春麗が抱えていた面倒な要求を、自分から戦術として最大化したもの。
それが現在の黒い戦闘服です。
そして今回、勝者酔いの描写にもかなり意味があります。
第四戦では、春麗は初めて明確に余裕を残して勝っています。
しかも黒い戦闘服で四連勝。
通常の武道服での勝利まで含めれば五連勝。
以前は春麗が何度もギリギリで負けていた相手です。
そこから今では。
黒い戦闘服。
長い髪。
メイク。
視線。
声。
距離。
女性としての自分まで、自分の意思で戦いへ組み込む。
そして、それがリュウに非常によく効く。
結果として、何度もリュウを倒し。
勝ったリュウを膝へ乗せ。
悔しそうな顔を上から見る。
これは春麗にとって、かなり強烈な状況です。
ですので、
「……これは、かなり来るものがあるわね」
は、この回のかなり重要な一言になっています。
昔は。
春麗が下。
リュウが上。
何度も春麗が膝をついて、リュウを見上げた。
今は。
春麗が上。
リュウが黒い春麗の膝の上から見上げている。
しかも一回ではない。
四戦連続。
この物理的な上下関係の反転が、そのまま過去と現在の反転になっています。
だから春麗が勝者酔いするのも当然です。
ただし今回も、勝者酔いを「悪いもの」にはしていません。
これは今後かなり大切だと思っています。
春麗は、
「あなたに勝つの、好き」
「今日はかなり気持ちよかった」
「この状況はご褒美」
まで、もう認めていい段階に入っています。
でも。
リュウに弱いままでいてほしいとは、一度も思わない。
むしろ今回も、
もっと自分を見ろ。
もっと慣れろ。
もっと強くなれ。
そのうえで遅れなくなれ。
と要求しています。
ここに、この後日談の裏テーマである、
「春麗は黒い勝利の甘さとどう付き合うのか」
への途中回答があります。
勝者酔いを捨てる必要はない。
楽しむ。
むしろかなり楽しむ。
ただし、
その快感を守るために相手の未完成を望まない。
これが現在の春麗です。
だから今回の、
「恩返しだけじゃないけど」
も結構重要です。
現在の修行にはちゃんと高潔な理由がある。
昔借りた恩を返している。
リュウを完成させたい。
でも、同時に春麗自身がかなり楽しんでいる。
その二つは両立していていい。
この春麗はもう、そこを無理にどちらか一方へ整理しない方が面白いと思います。
今回は、リュウの「記憶」も少し意識して書いています。
春麗が、
「負けた私が『強かったって言いなさいよ』って要求した」
という、今思えばかなり恥ずかしい昔話を持ち出す。
リュウは当然覚えている。
しかも。
「忘れてくれてもよかったのに」
に対して、
「忘れない」
と返す。
この二人は最初から、
互いの勝敗を覚えていることで関係が続いてきた二人
なんですよね。
勝ったこと。
負けたこと。
強かったと言われたこと。
届かなかったこと。
全部持って次へ行く。
だから春麗も、過去の自分を黒歴史として消すのではなく、
「全部、今の自分まで続いている」
と受け入れられる。
この部分は、後々リュウが春麗へ勝つ展開にも効いてきます。
春麗は勝利だけを抱える女ではない。
敗北も持って進める。
だから黒で何度勝って勝者酔いを覚えても、最終的に完成したリュウに負けた時、その敗北まで自分のものにできるわけです。
そして、今後への一番大きな仕込みはやはり昇龍拳です。
今回の時点では、
「あの昇龍拳をリュウ本人も引きずっている」
ところまではまだ春麗に確定させていません。
ただ春麗が、
「昇龍拳」
と言った時だけ、リュウの表情が少し変わる。
ここを入れています。
春麗自身は今のところ、
自分が昇龍拳を怖がった。
リュウに修行してもらった。
だから今度は自分が恩を返している。
そこまでしか考えていません。
しかし読者からすると。
リュウもあの出来事を覚えている。
そして今は、春麗が好きな女になっている。
この事実が少し見える。
後の、
「通常の攻撃はほとんど鈍らないのに、昇龍拳だけ最後に鈍る」
へ自然につなげるための小さな伏線です。
今ここで春麗に全部気づかせなかったのも、そのためです。
今回で解決するのは、
「現在の修行は昔の恩返しだった」
という春麗側の認識。
次の段階で発見するのは、
「でもリュウにも、昔の昇龍拳が残っている」
というリュウ側の問題。
少しずつ深くしていく形です。
ラストの、
「また、私に負けなさい」
「そうはさせない」
も、かなり意識的な回収です。
最初の試合。
負けた春麗が。
リュウを見上げながら、次は自分に負けろと言う。
リュウは、そうはさせないと返す。
現在。
春麗が黒い膝の上からリュウを見下ろして、
また私に負けなさい、と言う。
リュウは膝の上から、
そうはさせない。
と同じ答えを返す。
言葉はほぼ同じ。
でも立場が完全に逆。
そのことに春麗自身が気づいて、
「ずいぶん遠くまで来たわね、私たち」
で締めています。
この「遠くまで」は、単に恋人になったことだけではありません。
勝敗も。
修行も。
恐怖も。
女性として見られることへの葛藤も。
格闘家としての要求も。
全部を含めてです。
それでも二人が最後にやっていることは、
「次は私が勝つ」
「そうはさせない」
という、出会った頃と同じやり取り。
関係は大きく変わったのに、二人の核は変わっていない。
今回の追想回で一番描きたかったのは、そこでした。
この回を挟んだことで、ここから先の黒ドレス戦はもう単なる「リュウの拳の鈍りを直す反復試合」ではなくなります。
春麗は明確に、
これは昔借りた恩を返す、自分の番なのだ
と知った。
しかもその恩返しをかなり楽しんでいる。
今後はこの二つ――リュウを完成させたい春麗と、黒い勝者として連勝を楽しみたい春麗――を両方抱えたまま、さらに先へ進んでいくことになります。