また戦ってくれ――リュウと春麗、紙一重のライバル譚―― 作:エーアイ
リュウは、春麗のステージへ向かう石段を上がりながら、前回の敗北を思い返していた。
春麗は強かった。
それは最初からわかっている。
初めて戦った時も、再戦した時も、そして前回も。
だが前回の春麗は、ただ速いだけではなかった。
リュウが越えたはずの敗北の形を、さらに越えてきた。
昇龍拳を避けるのではなく、受けた。
受けた上で前へ出た。
そして最後の一呼吸で、リュウを沈めた。
負けた。
だが、あの敗北は屈辱だけではなかった。
リュウは、あの戦いの中で確かに感じていた。
春麗もまた、限界だった。
彼女は勝った。
勝者として立っていた。
だが、その呼吸は乱れていた。
腕は震えていた。
最後の勝ち台詞にも、かすかな強がりが混じっていた。
だからこそ、リュウはまた来た。
春麗を倒すために。
そして、春麗ともう一度、限界まで戦うために。
ステージに上がると、灯籠の光が目に入った。
何度も見た場所だ。
最初に敗れた場所。
手加減を見抜かれた場所。
勝利を掴んだ場所。
そして再び敗れた場所。
この石畳には、リュウの勝ちも負けも刻まれている。
春麗はその中央に立っていた。
いつものように背筋を伸ばし、軽やかな構えで。
「また来たのね」
彼女は言った。
余裕のある声だった。
だが、リュウにはわかる。
春麗は油断していない。
彼女の目は笑っていない。
こちらの呼吸、足の位置、肩の力、そのすべてを見ている。
リュウは静かに答えた。
「何度でも来る」
「勝つまでかしら?」
「いや」
リュウは春麗を見据えた。
「勝っても来る」
春麗の表情が、ほんのわずかに変わった。
その変化を見て、リュウは確信する。
この言葉は届いた。
勝つことだけが目的ではない。
春麗との戦いは、もう勝敗の確認ではない。
互いを削り、互いを高める場だ。
春麗は構え直す。
「いいわ。なら、今日も倒れていきなさい」
その言葉に、リュウは怒らなかった。
怒る必要はない。
春麗がそう言う時ほど、彼女は本気だ。
合図と同時に、リュウは踏み込んだ。
最初から全力でいく。
ただし、追わない。
春麗の速さに反応しようとすれば、必ず後手に回る。
彼女は速い。
そのうえで、相手の反応をさらに利用してくる。
だからリュウは、春麗を追わないと決めていた。
彼女が動く先を見る。
足ではなく、重心。
蹴りではなく、呼吸。
表情ではなく、肩の沈み。
春麗が横へ流れる。
リュウはそこへ拳を置いた。
当たる。
そう思った瞬間、春麗の上体が反る。
拳は彼女の鼻先をかすめた。
浅い。
だが、外したわけではない。
春麗はすぐに蹴りを返してくる。
リュウは腕で受けた。
鋭い。
一撃で骨の奥に響く。
受けた腕が痺れる。
それでも下がらない。
下がれば、春麗の連撃が追ってくる。
春麗に距離を選ばせれば、こちらは崩される。
リュウはその場に残った。
春麗の蹴りが続く。
一撃目。
腕で受ける。
二撃目。
半歩ずらす。
三撃目。
肩にかすめる。
痛みが走る。
だが、リュウは見ていた。
春麗の呼吸が、一瞬だけ細くなる。
次に跳ぶ。
そう読んだ。
春麗が跳躍する。
やはり来た。
だが、昇龍拳は撃たない。
今ではない。
春麗の跳びは、攻撃そのものではなく問いかけだ。
撃つのか。
待つのか。
避けるのか。
追うのか。
かつてのリュウは、その問いに反応してしまった。
昇龍拳を空振った。
空中投げで崩された。
今は違う。
リュウは一歩前へ出た。
春麗の背後取りを外す。
だが、春麗はさらに変えてきた。
空中で軌道をずらし、横へ落ちる。
リュウは拳を振る。
春麗は潜る。
低い。
足元に来る。
リュウは膝を引いた。
だが、春麗の狙いは足だけではなかった。
手首。
「!」
一瞬、拳の軌道を乱された。
その一瞬に、春麗の膝が腹へ入る。
「ぐっ……!」
息が詰まる。
腹の奥が熱くなる。
続けて掌底。
蹴り。
肘。
また蹴り。
春麗の連撃は、ただ速いだけではない。
リュウの防御の遅れを、ほんの少しずつ広げていく。
一つの痛みで次の反応を鈍らせ、その鈍りを次の攻撃でさらに深くする。
うまい。
強い。
リュウは歯を食いしばる。
このまま受ければ押し切られる。
ならば、受けながら入る。
春麗の蹴りが脇腹を打つ。
痛みを無視して、リュウは前へ出た。
春麗の目が見開かれる。
届く。
リュウの拳が、春麗の脇腹へ入った。
浅くない。
春麗の呼吸が止まる。
リュウは追撃に入る。
正拳。
春麗は流す。
ならば下段。
春麗は沈む。
ならば肩。
拳が春麗の腕に当たる。
春麗の腕が痺れたのがわかる。
いける。
そう思いかけて、リュウは心を押さえた。
いけると思うな。
勝ちを意識するな。
春麗はそこを狩る。
前にもそうだった。
勝てると思った瞬間、崩された。
リュウは深く息を吐く。
春麗が後退する。
逃げか。
違う。
誘いだ。
わかっていた。
それでも、踏み込むしかない場面がある。
春麗が後ろへ下がることで、こちらに選択を迫っている。
追えば罠。
追わなければ、彼女が立て直す。
リュウは追った。
ただし、深くは入らない。
拳を伸ばす。
春麗が横へ跳ぶ。
拳が空を切った。
空振り。
しかし致命的ではない。
リュウはすぐに戻そうとした。
その戻る途中。
春麗が入ってきた。
速さではない。
タイミングだ。
リュウの力が一瞬だけ散ったところへ、春麗の蹴りが来る。
肩。
胸。
腹。
痛みが重なる。
だが、リュウは下がらなかった。
ここで下がれば、また負ける。
蹴りの中へ入る。
危険なのはわかっている。
しかし、春麗の脚がもっとも強いのは、十分な距離と回転がある時だ。
その前に入れば、威力を殺せる。
春麗の蹴りを浴びながら、リュウは一歩踏み込んだ。
拳を打つ。
春麗の腹に入った。
今度は深い。
春麗の身体が折れかける。
リュウはもう一撃を打とうとした。
だが、春麗は衝撃に逆らわなかった。
自ら流れた。
リュウの二撃目は肩をかすめるだけに終わる。
逃げられた。
いや、まだだ。
春麗は低く沈んでいる。
リュウは追う。
だが、追う自分を春麗が読んでいることもわかっていた。
だから、拳ではなく足で退路を塞いだ。
春麗の動きが止まる。
今度こそ。
リュウの掌底が迫る。
その瞬間、春麗は両手を地についた。
倒れたのではない。
来る。
リュウが気づいた時には、春麗の脚が跳ね上がっていた。
踵が顎をかすめる。
視線が上へ逃げる。
まずい。
春麗が着地する。
すぐに跳ぶ。
空中からの攻撃。
今度は撃つ。
リュウは迷わなかった。
春麗が軌道を変えることもわかっている。
腕で受けることも、前回やられている。
それでも撃つ。
迷って撃たないのではない。
迷わず当てる。
「昇龍拳!」
拳が春麗へ届く。
だが、春麗はやはり腕で受けた。
強引に。
無茶な受け方だった。
リュウの拳の衝撃が彼女の腕を通して伝わる。
確かに効いている。
だが、春麗は離れない。
受けた反動で、さらに身体を回した。
リュウの腕に絡む。
脚が首元へ来る。
空中投げ。
またか。
だが、同じようには落ちない。
リュウは身体を捻り、投げの軸を殺す。
完全には防げない。
だが、崩されきらない。
二人はもつれながら石畳へ落ちた。
衝撃。
背中に痛みが走る。
受け身は取れた。
リュウはすぐ立つ。
春麗も立つ。
ほぼ同時。
いや、春麗が半歩早い。
その半歩。
リュウはそれがどれほど大きいか知っていた。
春麗が懐へ入る。
リュウは拳を放つ。
当たった。
春麗の頬を打つ。
だが、彼女は止まらない。
止まらないどころか、そのまま掌底を腹へ入れてきた。
「ぐっ……!」
互いの攻撃が直撃する。
世界の音が遠くなる。
身体が重い。
膝が震える。
春麗も同じように震えている。
ここだ。
ここで立っていられるかどうか。
リュウは拳を握った。
春麗も踏み込んでくる。
最後の攻防。
リュウの拳が伸びる。
春麗の蹴りが来る。
ほぼ同時。
拳は春麗の肩を打った。
蹴りはリュウの脇腹へ入った。
痛みで視界が白くなる。
それでも、リュウは倒れなかった。
春麗も倒れない。
リュウはもう一度拳を戻そうとした。
だが、身体が遅い。
ほんの少し。
春麗が先に入った。
掌底。
胸へ。
強烈ではない。
しかし、今のリュウには十分だった。
呼吸が止まる。
足が抜ける。
リュウの拳は、春麗の肩口で止まった。
届いている。
触れている。
だが、打ち抜けない。
あと少し。
ほんの少し。
その少しが、遠かった。
リュウの膝が石畳についた。
審判の声が響く。
勝者、春麗。
リュウは片膝をついたまま、荒く息をしていた。
身体が動かない。
胸が痛い。
脇腹が熱い。
腕が重い。
春麗は立っている。
息を切らし、頬を腫らし、腕を震わせながら。
それでも、立っている。
また負けた。
前回に続き、また春麗が勝った。
悔しい。
その感情は、腹の底から湧いてきた。
だが、その悔しさは以前とは違っていた。
最初に負けた時のような屈辱ではない。
手加減を見抜かれた恥でもない。
敗北の記憶に縛られた無力感でもない。
今回は、届きかけた。
本当に届きかけた。
春麗の動きを読み、罠を見抜き、昇龍拳を迷わず撃ち、最後まで前に出た。
それでも届かなかった。
春麗の方が、最後の一歩を先に踏んだ。
それだけだ。
だが、その一歩が勝敗を分けた。
春麗が近づいてくる。
リュウは顔を上げた。
彼女は笑っていた。
勝者の笑み。
余裕があるように見える笑み。
だが、リュウにはわかった。
春麗は余裕などない。
肩で息をしている。
指先に力が入りきっていない。
頬の痛みを隠すように、口元だけで笑っている。
それでも彼女は、勝者として立つ。
リュウに対して、勝者として言葉を投げる。
「また負けたわね、リュウ」
その声は、観客に向けても響いた。
リュウは黙って春麗を見る。
春麗は続ける。
「惜しかった、なんて言ってあげないわ。あなたの拳は、まだ私を倒すには少し足りない」
胸に刺さる。
だが、不思議と嫌ではなかった。
春麗は煽っている。
勝者として、リュウを見下ろしている。
けれど、その言葉の奥にあるものを、リュウは感じ取っていた。
もっと来い。
もっと強くなれ。
今のままでは足りない。
私を本当に倒す拳を持ってこい。
そう言われている気がした。
春麗はさらに一歩近づく。
「悔しいなら、また来なさい」
リュウは拳を握った。
「何度でも迎え撃ってあげる。あなたが私を倒すまでね」
その言葉で、リュウの中に残っていた悔しさが、静かな熱に変わった。
彼女は待っている。
自分がまた来ることを。
自分がさらに強くなることを。
そして、その自分をまた倒すつもりでいる。
リュウは笑った。
悔しかった。
だが、嬉しかった。
こんな相手に出会えたことが。
「……次は、倒す」
春麗は笑みを深くする。
「その台詞、聞き飽きる前に実現してみせて」
リュウは言い返さなかった。
言葉では足りない。
次に示すしかない。
拳で。
控えの通路へ戻ったリュウは、ゆっくりと壁に背を預けた。
身体が重い。
だが、心は沈んでいなかった。
負けた。
連敗だ。
春麗は前回も勝ち、今回も勝った。
周囲から見れば、春麗が優勢に見えるだろう。
リュウはまた挑み、また倒された男に見えるかもしれない。
それでも、リュウ自身にはわかっていた。
差は縮まっている。
いや、縮まっているというより、互いに先へ進んでいる。
自分が一つ越えれば、春麗も一つ越えてくる。
春麗が新しい形で勝てば、自分はその形をまた越えようとする。
勝敗は入れ替わる。
だが、戦いそのものは積み重なっていく。
リュウは胸に手を当てた。
春麗の最後の掌底の痛みが残っている。
あれは強い一撃ではなかった。
力だけなら、もっと重い攻撃を受けたことがある。
だが、あの一撃は、最も必要な時に、最も必要な場所へ入ってきた。
それが春麗の強さだ。
速さでも、脚技でも、空中投げでもない。
相手が最後に頼る一歩を読み、その先へ踏み込む力。
リュウは目を閉じる。
春麗の勝ちセリフが耳に残る。
あなたの拳は、まだ私を倒すには少し足りない。
その通りだ。
足りなかった。
だが、足りないなら足せばいい。
拳を磨く。
呼吸を整える。
間合いを詰める。
最後の一歩を、もう半歩早くする。
ただそれだけだ。
リュウは壁から背を離した。
痛む身体で、ゆっくりと立つ。
次はどう戦う。
春麗は今日、自分の待ちを崩した。
自分の昇龍拳を受けて、なお投げに来た。
最後には、こちらの拳が届く寸前で踏み込んできた。
ならば次は、届く寸前ではなく、届いた後の形まで作る必要がある。
一撃を当てるだけでは足りない。
触れるだけでは足りない。
打ち抜く。
リュウは拳を握った。
春麗は強い。
連勝した彼女は、次も勝つつもりで来るだろう。
そして、おそらく彼女自身もわかっている。
次はもっと危ない。
リュウは小さく息を吐いた。
「また行く」
誰に聞かせるでもなく呟く。
敗者の言葉ではなかった。
挑戦者の言葉でもない。
ライバルに向ける、次の約束だった。
春麗は勝者として煽った。
ならば、自分は敗者として黙って拳を磨く。
次に春麗の前に立つ時、言葉はいらない。
ただ、拳で返せばいい。
リュウは通路の奥へ歩き出した。
痛みはある。
悔しさもある。
だが、そのすべてが、次の戦いへ向かう熱になっていた。
春麗が待っている。
あのステージで。
勝者の顔をして。
余裕の仮面をかぶって。
その仮面の奥にある本気を、リュウは知っている。
だからこそ、また挑む。
いや、挑むだけではない。
次こそ届かせる。
春麗を倒すために。
そして、春麗とさらに先の戦いへ進むために。
この二人の関係性について
Q:いわゆる「殴り愛」していますか?
A:
はい、かなり 「殴り愛」 に近い関係だと思います。
ただし、甘い恋愛というよりは、もっと格闘家寄りの、
拳でしか確認できない信頼関係
倒し合うことでしか近づけない関係
相手を傷つけるほど、相手の価値を認めている関係
です。
このリュウと春麗は、普通の意味で「好き」と言葉にする関係ではありません。
むしろ、言葉より先に拳が出る。
褒める代わりに挑発する。
心配する代わりに「次も来なさい」と言う。
再会の挨拶が、ほとんど再戦の申し込みになっている。
その意味では、かなり健全に不健全なライバル関係です。
特に春麗は分かりやすいです。
表では、
また負けたわね、リュウ
あなたの拳は、まだ私を倒すには少し足りない
悔しいなら、また来なさい
と煽る。
でも内心では、
危なかった
次は負けるかもしれない
でも、また来てほしい
もっと強くなったリュウと戦いたい
と思っている。
これは完全に、格闘家版の「もっと私を見て、もっと私に届いて、でも簡単には届かせない」という関係です。
リュウ側も同じです。
春麗に負けて悔しい。
でも、春麗が本気で自分を倒しに来ることが嬉しい。
春麗の煽りを単なる侮辱ではなく、「もっと強くなって来い」という挑戦状として受け取っている。
だからリュウにとって春麗は、単なる倒すべき相手ではありません。
自分の拳を次の段階へ進めてくれる相手です。
そして春麗にとってリュウも、単なる挑戦者ではありません。
勝つたびに苦しくなるのに、また戦いたくなる相手です。
この時点で、二人はかなり濃厚な「殴り愛」をしています。
恋愛として明言しなくても、関係性の熱量はかなり高いです。
普通の会話ではなく、勝敗・痛み・煽り・再戦の約束で感情を交換している。
つまり、この連作のリュウと春麗は、
恋人未満、宿敵以上。
友情より熱く、恋愛より不器用。
殴り合うことでしか互いを確かめられないライバル。
という感じです。
編集者・執筆者目線で言うなら、かなりおいしい関係性です。
なぜなら、勝っても終わらないし、負けても終わらないからです。
どちらかが勝つたびに、もう片方が強くなる。
どちらかが煽るたびに、もう片方が燃える。
どちらかが倒れるたびに、次の再戦の理由が生まれる。
これはまさに、格闘ものにおける理想的な 殴り愛ライバル関係 だと思います。