また戦ってくれなんて言わないで ――春麗は今日もめんどくさい――   作:エーアイ

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※これはディレクターズカットIFです。
本編のIFシリーズは無関係のエピソードとなります。
第1話ギリギリ敗北ルートの修行編後日談より先の未来時空のエピソードです。


ディレクターズカットIF:春麗は、黒衣を脱ぐ前に自分をめんどくさい女と認める

 記録板AIは、直前の未来ログに続く補完記録を開いた。

 

『ディレクターズカットIF』

 

『第1話ギリギリ敗北ルート後日談』

 

『黒い戦闘服第四戦後』

 

『追想ログ直後』

 

『春麗/帰宅後』

 

『以下、観測を開始します』

 


 

 自室へ戻った春麗は、扉を閉めると、その場でしばらく動かなかった。

 

「……疲れた」

 

 身体だけではない。

 

 もちろん試合をしたのだから、肩も脚も少し重い。打撃を受けたところには、明日になれば痣が残るかもしれない。

 

 けれど、それ以上に今日は昔のことを話しすぎた。

 

 最初の敗北。

 何度も負けたこと。

 負けた自分から「強かったと言いなさいよ」と要求したこと。

 初めて勝ったこと。

 二週間待ったこと。

 昇龍拳で空から撃ち落とされたこと。

 身体が止まったこと。

 その本人に修行へ付き合ってもらったこと。

 そして、いつか恩を返すと自分から言ったこと。

 

「……よくあれだけ喋ったわね、私」

 

 今さらになって少し恥ずかしい。

 しかも、その大半を今日自分に負けた男を膝へ乗せながら話した。

 春麗は額へ手を当てる。

 

「ものすごくいい気分だったからって……」

 

 そこまで言って、否定できなくなった。

 いい気分だった。

 かなり。

 春麗はゆっくり部屋の奥へ入り、鏡の前に立った。

 

 そこには、まだ黒と金の戦闘服を着た自分がいる。

 

 長い髪も下ろしたまま。試合前に整えた化粧は多少崩れ、汗もかいている。髪だって完璧ではない。

 

 それでも。

 

「……」

 

 春麗は鏡の中の自分を見つめた。

 最初にこの衣装を着た時とは、ずいぶん違う。

 あの時は、こんな格好でリュウの前へ行くこと自体にかなり抵抗があった。

 

 そこまでする?

 

 本気でそう思った。

 

 普段より女性らしく見える服を選び、髪を下ろす。見られ方まで考え、そこへ視線や言葉、距離まで組み合わせる。

 普通に格闘家として戦うだけなら、必要のないものばかりだった。

 なのに今は。

 

「今日は、どうやって困らせようかしら」

 

 試合前から、そんなことを考えている。

 しかも楽しかった。

 

「……かなり馴染んだわね」

 

 衣装に、ではない。

 この戦い方に。

 もっと言えば、この戦い方をしている自分に。

 春麗は鏡台の前へ腰を下ろし、手首の装飾を外した。続いて髪へ手を入れ、長い黒髪を櫛でゆっくり梳いていく。

 

 試合中、この髪が何度リュウの視界へ入っただろう。

 そのたびに、ほんのわずかに判断が増える。

 春麗はそれを見逃さなかった。

 

 顔を見せた。

 目を合わせた。

 名前を呼んだ。

 近づいた。

 好きだと言った。

 

 そして今日、最後には。

 

「私、綺麗?」

 

 とまで聞いた。

 

「……」

 

 櫛が止まる。

 鏡の中で、自分の頬がほんの少し赤くなった。

 

「我ながら、よく言ったわね」

 

 試合中だったから言えたのかもしれない。

 

 勝つため。

 修行のため。

 リュウを困らせるため。

 理由ならいくらでもつけられる。

 でも、あれはそれだけではなかった。

 

 聞きたかったのだ。

 

 リュウに今の自分を見て、綺麗だと思うか。

 そしてリュウは逃げなかった。

 

 綺麗だ。

 

 そう答えた。

 思い出しただけで、胸の奥がまた少し熱くなる。

 

 春麗は櫛を置いた。

 

「嬉しかったのよね」

 

 小さく認める。

 女として好きな男に綺麗だと言われた。

 

 嬉しかった。

 そして、その直後に生まれたわずかな変化を格闘家として拾った。

 

 勝った。

 

「……本当に欲張り」

 

 女として欲しかった言葉をもらって、そのうえ格闘家として勝利まで取った。

 しかも試合の後には、敗者となったリュウを自分の膝へ乗せた。

 

「かなり来るものがあるわね」

 

 さっき本人の前でも言った。

 一人になって思い返しても、やっぱり同じだった。

 春麗は椅子の背へ身体を預ける。

 最初は自分が見上げていた。

 何度もリュウに負けて、悔しくて、それでも強かったと言われて。

 また戦った。

 初めて勝った時なんて、立っているだけで精いっぱいだった。

 

 それが今では。

 

 いつもの武道服で一勝。

 黒い戦闘服で四勝。

 通算五連勝。

 今日に至っては、明確な余力まで残した。

 

「五連勝……」

 

 口にしてみる。

 思ったより響きがいい。

 

「……五連勝」

 

 もう一度。

 春麗の口元が少し上がった。

 

「私、かなり勝ってるわね」

 

 誰もいないのだから、遠慮する必要もない。

 春麗は机へ肘をつき、少し前まで膝の上にあったリュウの顔を思い出した。

 

 悔しそうだった。

 でも、折れてはいなかった。

 今度は取らせない。

 そんな目をしていた。

 

「……いい顔だったわね」

 

 また笑ってしまう。

 

 自分が勝ったこと。

 悔しそうなリュウ。

 自分の膝。

 敗者の印。

 最後まで届こうとした右手。

 次こそは、とまだ勝負を見ている目。

 

 最近、そのどれもかなり好きだ。

 

「これは……」

 

 春麗は鏡の中の自分を見る。

 

「思ったより、まずいかしら」

 

 嫌ではない。

 むしろ、ものすごく楽しい。

 

 勝つこと。

 勝つために準備すること。

 リュウがどう反応するか考えること。

 その反応を試合の中で拾うこと。

 そして勝った後、その結果をじっくり味わうこと。

 全部。

 

 少し前なら、ここで「修行だから」「必要だから」と理由を並べただろう。

 でも、もうそれでは自分をごまかせない。

 

「楽しいのよ」

 

 春麗は鏡の中の自分へ、はっきり言った。

 

「リュウに勝つの」

 

 言ってみる。

 嫌ではなかった。

 むしろ、胸の奥へすんなり落ちる。

 

「……本当に好きなのね、私」

 

 リュウが、ではない。

 それはもう分かっている。

 今認めたのは、リュウに勝つことだ。

 

「かなり」

 

 春麗は笑った。

 

 好きな男。

 強い男。

 何度も自分を負かした男。

 自分の弱いところも、格闘家としての強さも、女としての自分も知っている男。

 そのリュウに勝つ。

 

 確かに気持ちいい。

 

 しかも今は、リュウが自分を好きだと知っている。

 それも全部分かったうえで、本気で勝ちに来る。

 それでも自分が勝つ。

 

「……そりゃ、気持ちいいわよね」

 

 認めてしまえば簡単だった。

 ただそこで春麗の笑みが少し静かになる。

 

 勝つのは好きだ。

 リュウが悔しそうにしている顔も好きになった。

 膝の上でその顔を眺める時間だって、かなり気に入っている。

 

 だからといって。

 リュウに弱いままでいてほしいわけではない。

 負けることにも慣れてほしくない。

 まして、自分の膝へ来るために負けるような男になってほしいわけでもない。

 

「……そこは違うのよね」

 

 春麗は自分の右手を見る。

 

 今日、最後の掌を当てた手。

 今の勝ち方が永遠に続けばいいとは思っていない。

 むしろ、リュウが次にどうやってこの差を消してくるのか楽しみにしている。

 

 視線へ慣れる。

 髪へ慣れる。

 声へ慣れる。

 黒い姿そのものへ慣れる。

 女として春麗を見ることにも。

 好きな女として春麗を見ることにも。

 もっと慣れていく。

 それでも拳が一瞬も鈍らなくなる。

 そこまで来てほしい。

 

 その時、自分は今みたいに勝てるのだろうか。

 

「……」

 

 春麗の口元が、ゆっくり上がった。

 

 普通なら少し不安になるところかもしれない。

 連勝が止まるかもしれない。

 膝枕をする側ではなくなるかもしれない。

 敗者の印をつける側でもなくなる。

 悔しいだろう。

 ものすごく嫌だろう。

 でも、それ以上に思ってしまう。

 

「そのあなたに……」

 

 春麗は鏡を見る。

 

「勝ったら」

 

 今より、もっと。

 

「……絶対、気持ちいいわよね」

 

 自分で言って、しばらく黙った。

 それから額へ手を当てる。

 

「私、ほんとに……」

 

 呆れる。

 なのに笑っている。

 

「そういう方向へ行くのね」

 

 リュウが強くなる。

 自分が勝ちにくくなる。

 なら、自分ももっと強くなる。

 黒い戦い方だって、もっと磨けばいい。

 見せ方だけではない。

 格闘家として、もっとリュウの拳を読む。

 

 足を見る。

 呼吸を見る。

 癖を読む。

 

 使えるものは全部使う。

 そして強くなったリュウにまた勝つ。

 

「……うん」

 

 そこまで考えたところで。

 春麗は、ふと別のことに気づいた。

 

「……あれ?」

 

 鏡の中の自分を見る。

 

 女として見てほしい。

 でも、女だからと拳を鈍らせてほしくない。

 好きな女だと分かっていてほしい。

 でも、そのせいで勝負を甘くしてほしくない。

 本気で勝ちに来てほしい。

 でも、勝つのは自分がいい。

 

 自分が勝つのが好き。

 できれば連勝も続けたい。

 

 膝枕もしたい。

 負けて悔しそうにしている顔も見たい。

 

 それでも。

 そのためにリュウの成長が止まるのは嫌だ。

 むしろ、もっと強くなってほしい。

 

 もっと自分に慣れて。

 もっと自分を見て。

 そのうえで一瞬も遅れなくなったリュウに。

 また自分が勝ちたい。

 

「……」

 

 春麗は、しばらく黙った。

 頭の中で並べただけでも、相当だ。

 

「私……」

 

 鏡の中の女へ、ゆっくり尋ねる。

 

「ものすごく、めんどくさくない?」

 

 当然、返事はない。

 でも春麗には分かってしまった。

 

 めんどくさい。

 かなり。

 

「……そういうこと?」

 

 思い返してみれば、要求は昔から簡単ではなかった。

 

 格闘家として見てほしい。

 でも、女である自分を見なかったことにはしてほしくない。

 女として意識したからといって、拳を鈍らせるのも嫌。

 負ければ悔しい。

 それでも、自分が強かったことは認めてほしい。

 

 来なければ腹が立つ。

 来たなら来たで、本気で勝ちに来てほしい。

 そして好きになってからは、さらに増えた。

 

 女として見てほしい。

 好きな女としても見てほしい。

 そのうえで、本気で拳を向けてほしい。

 しかも。

 

「私が勝ちたい」

 

 春麗は自分で言って、とうとう笑った。

 

「……めんどくさい女ね」

 

 口に出してみる。

 以前なら、この言葉にはもう少し嫌な響きがあったかもしれない。

 

 面倒。

 扱いにくい。

 欲張り。

 矛盾している。

 どれか一つにすればいい。

 格闘家なら格闘家。

 女なら女。

 好きな相手と一緒にいたいなら、それだけを望めばいい。

 勝ち続けたいだけなら、相手の弱点が消えない方が都合もいい。

 

 でも。

 

 春麗には、どれか一つを捨てるつもりがなかった。

 

 全部、自分だ。

 格闘家の春麗。

 女の春麗。

 リュウを好きな春麗。

 リュウに勝ちたい春麗。

 リュウから女として見られたい春麗。

 それでも、拳を鈍らせられると腹を立てる春麗。

 もっと強くなったリュウに勝てたら、今より気持ちいいだろうと考えている春麗。

 

 全部。

 

「……そうね」

 

 春麗は鏡の中の自分を見る。

 黒い戦闘服を着て。

 長い髪を下ろして。

 今日、好きな男へ。

 

「私、綺麗?」

 

 と聞いた。

 

 綺麗だと言われて。

 その反応まで試合の中で拾って。

 勝った。

 

 そして、それをかなり気に入っている。

 

「……私」

 

 春麗の口元が少しずつ勝者の笑みに変わっていく。

 

 最初は、リュウにあと一歩届かなかった。

 何度も負けた。

 ようやく一度勝った。

 それが今では連勝している。

 

「それでも、まだ足りないのね」

 

 もっと強いリュウ。

 もっと自分を見られるリュウ。

 もう一瞬も鈍らない拳。

 それでも勝ちたい。

 

 春麗は鏡の中の自分へ、今度ははっきり言った。

 

「ええ」

 

 少し笑う。

 

「私、めんどくさい女だわ」

 

 不思議だった。

 口にしたのに、嫌ではなかった。

 むしろ、すとんと自分の中へ落ちた。

 格闘家だけなら、もっと簡単だったかもしれない。

 女として見てほしいだけなら、もっと簡単だったかもしれない。

 好きな男と一緒にいたいだけなら、きっとここまで面倒にはならなかった。

 

 でも全部欲しい。

 リュウにも、全部見てほしい。

 

 そして全部見たリュウに、本気で勝ちたい。

 

「仕方ないわね」

 

 春麗は穏やかに笑った。

 

「それが私なんだから」

 

 自分をめんどくさいと認める。

 

 だからといって、直そうとは思わない。

 要求を一つに減らそうとも思わない。

 その全部を抱えたまま、先へ行けばいい。

 

「リュウも大変ね」

 

 そう言ってから、春麗は少し首を傾げた。

 

「……でも」

 

 最初の日。

 リュウは春麗を見誤った。

 けれど試合の途中で自分から直した。

 春麗に勝った。

 強かったと言った。

 次は最初から見ると言った。

 今日の春麗を覚えておくとも言った。

 そして、本当に何度も来た。

 春麗の身体が止まった時にも、修行へ付き合った。

 今では好きだと知っている。

 それでも、また本気で勝ちに来ると言う。

 

「あなたも大概よね」

 

 春麗は少しだけ楽しそうに笑った。

 

 めんどくさい女。

 そんな春麗へ、ずっと真正面から付き合っている男。

 

 なら。

 たぶん。

 これでいい。

 


 

 春麗は立ち上がり、黒い戦闘服へ手をかけた。

 

 脱ぐ前にもう一度だけ、全身を鏡へ映す。

 最初に着た時は、違和感の方が大きかった姿。

 今では、これでリュウの前へ立つ自分をかなり気に入っている。

 ただし普段の自分を捨てたわけではない。

 

 いつもの武道服も。

 髪をまとめた自分も。

 全部、春麗だ。

 

 この姿も、その中の一つ。

 ただリュウには、かなりよく効く。

 そして今ではそれだけではなくなっている。

 

「……あなた専用みたいになってるわね」

 

 言ってから、春麗は少しだけ照れた。

 

 この姿で戦う相手は、リュウだけ。

 そう決めた時よりも、今の方がその意味は大きくなっている。

 

 リュウを困らせるため。

 修行のため。

 勝つため。

 そして、たぶん。

 

「見てほしいのよね」

 

 春麗は鏡へ向かって静かに認めた。

 

 リュウにこの自分を。

 女としても。

 格闘家としても。

 好きな女としても。

 全部見てほしい。

 見たうえで、拳を出してほしい。

 

 そして。

 

「それでも」

 

 春麗の目に、少しだけ勝負の色が戻る。

 

「勝つのは私」

 

 鏡の中の春麗が、楽しそうに笑った。

 

「……本当に」

 

 自分でも呆れるように笑う。

 

「めんどくさい女ね、私」

 

 でも今度は、その言葉に少しも嫌な響きはなかった。

 

 リュウは、次は勝つと言った。

 なら自分も。

 

「負けないわよ」

 

 今度の声は、格闘家のものだった。

 

 春麗はようやく黒い戦闘服を脱ぎ始める。

 化粧を落とす。

 髪を整える。

 いつもの自分へ戻っていく。

 黒い衣装を脱いでも。

 女であることは消えない。

 格闘家であることも。

 リュウが好きなことも。

 勝ちたいことも。

 めんどくさいことも。

 何一つ消えない。

 そして胸の奥に残った今日の勝利の熱も、なかなか冷めなかった。

 

「……困ったものね」

 

 そう言いながら。

 春麗は、まったく困っていない顔で笑っていた。

 


 

 記録板AIは、補完ログを保存した。

 

『幕間ログ終了』

 

『黒い戦闘服』

 

『高負荷試験用衣装からリュウに見せたい自身の一形態へ意味変化』

 

『以上、保存完了』




Q:今回のディレクターズカットIFについて解説して?

A:

今回のエピソードは、黒い戦闘服第四戦と追想回を終えた春麗が、自室へ戻って一人になったところで、自分自身の変化を整理する幕間回です。

試合そのものはありません。

その代わり今回は、この第1話ギリギリ敗北ルートの春麗にとって、かなり大きな「自己認識の完成」を描いています。
追想回では、春麗は最初の敗北から現在までをリュウと一緒に振り返りました。
最初にリュウから女として見られて拳を鈍らせられたこと。
そのことに腹を立てたこと。
ところがリュウが試合中に自分で修正し、そのまま春麗に勝ったこと。

何度も負けたこと。
「強かった」と言われ続けたこと。
初めて勝ったこと。
昇龍拳で撃ち落とされたこと。
その拳を怖がるようになり、リュウ本人へ修行を頼んだこと。
そして、
「いつか、この恩は絶対に返す」
と言ったこと。

現在は逆に、春麗を見たリュウの拳が鈍っている。

だから、
「今度は私が付き合う番なのね」
と理解した。

そこまでが追想回でした。

今回の幕間では、そのあと春麗が一人になります。
リュウが目の前にいる時には、どうしても会話になります。
相手へ何を言うか。
相手がどう返すか。
勝者としてどう振る舞うか。
そこへ意識が向きます。
でも自室へ戻れば、誰に説明する必要もない。
そこで初めて春麗が、
「私は今の自分をどう思っているのか」
を考えられます。

そして最初に認めるのが、
「リュウに勝つのが楽しい」
ということです。

これはもう、かなり重要な段階です。

春麗は第四戦までに、黒い戦い方そのものをかなり楽しむようになっています。

試合前にメイクをする。
髪を整える。
黒い戦闘服を着る。
どの距離で目を見るか考える。
何を言えばリュウが困るか考える。

そして今回は、
「私、綺麗?」
とまで聞いた。

リュウから、
「綺麗だ」
という答えをもらった。

女としては嬉しい。
その一方でその返答によって生まれた一瞬を、格闘家として取って勝った。

今回の春麗が自分で、
「本当に欲張り」
と感じているのは、まさにそこです。

女として欲しい答えも欲しい。
格闘家としての勝利も欲しい。
どちらかを選ばない。
両方取る。

しかも勝利後には、悔しそうなリュウを膝へ乗せたい。
敗者の印もつけたい。
連勝も続けたい。
完全に欲張りです。

そして今回、それをさらに一段進めました。

春麗自身が、
「私、ものすごく、めんどくさくない?」
と気づきます。
ここはシリーズタイトルとの接続として、かなり大事なところです。

この春麗は最初から、実はかなりめんどくさいことを要求しています。

格闘家として見てほしい。
でも女であることを消してほしいわけではない。

女として見てほしい。
でも女だからと拳を鈍らせたら怒る。

負けるのは嫌。
でも負けた自分を弱かったことにされるのも嫌だから、
「強かったって言いなさいよ」
と要求する。

リュウが来なければ腹を立てる。
来たら来たで、本気で勝ちに来いと言う。

好きになってからはさらに複雑です。
好きな女として見てほしい。
でも、その恋愛感情を理由に手加減するな。
黒い姿もちゃんと見ろ。
綺麗だとも思ってほしい。
そのうえで。
本気で自分を倒しに来い。
そして。
できれば自分が勝ちたい。

しかも連勝を続けたい。
敗者のリュウを膝へ乗せるのも好き。
なのに、勝ちやすいようにリュウへ弱いままでいてほしいとは思わない。

もっと強くなってほしい。
もっと自分へ慣れてほしい。
全部見ても拳を鈍らせなくなってほしい。
その完成したリュウに。
また自分が勝りたい。

並べてみると、本当にめんどくさいです。

だから今回の、
「ええ。私、めんどくさい女だわ」
は、自虐として書いていません。

ここが一番大切です。

春麗は、
「私は面倒だから直さなければ」
とは考えません。
「どれかを捨てれば楽になる」
とも思わない。

格闘家の自分。
女の自分。
リュウを好きな自分。
リュウから女として見られたい自分。
それでも拳を鈍らせるなと思う自分。
リュウに勝つのが大好きな自分。
さらに強くなったリュウにも勝ちたい自分。
全部、自分。
そう認めています。

その意味で今回は、
「めんどくさい女」という言葉の意味が完成した回でもあります。
めんどくさいから価値が低い、ではありません。

むしろ、
「どれか一つへ単純化できない」
ということです。

女だから。
格闘家だから。
恋人だから。
そのどれか一つだけでは春麗にならない。
全部同時に持っている。
だから要求も矛盾する。
でも、その矛盾を捨てない。
それがこの春麗です。

そして今回、
「仕方ないわね。それが私なんだから」
まで行けた。
ここがかなり大きいです。

ある意味では、この瞬間に第1話ギリギリ敗北ルートの春麗も、シリーズタイトルである
「春麗は今日もめんどくさい」
の主人公へ完全に到達したと思っています。

これまでも行動としては十分めんどくさかった。
でも本人がまだ、
「私はこういう女なのだ」
とは完全に引き受けていなかった。

今回初めて自分で認めました。
しかも嫌々ではありません。
ちょっと呆れながら。
でも楽しそうに。
「めんどくさい女ね、私」
と言える。
ここで主人公としての自己認識が一つ完成しました。

もう一つ重要なのが、
「リュウにギリギリ勝って」
というこのルート自身の出発点です。

この春麗は、最初から勝者だったわけではありません。

むしろ最初は負けた。
何度も負けた。
紙一重で届かなかった。
そこからようやく一度勝った。
また大きく負けた。
止まった。
克服した。
また勝った。

そして現在、五連勝。
黒い戦闘服では四連勝。
初めて余裕まで残した。

つまり、
「めんどくさい女」
という自己認識が、最初から何でも持っていた春麗から出ているのではありません。

何度も負けて。
悔しい思いをして。
リュウに助けてもらって。
好きになって。
勝てるようになって。
その先でもっと欲しくなった。

だから今、
「リュウに勝ちたい」
だけでは終わらない。
「もっと強くなったリュウにも勝ちたい」
へ行く。
ここがこのルートらしいところです。

そして勝者酔いについても、今回はかなり深く進めています。
春麗は自分で、
「リュウに勝つのが好き」
と認めました。
さらに、
「そのあなたに勝ったら、絶対もっと気持ちいいわよね」
と考えています。

これだけ見ると、かなり危ない方向へ進んでいます。

実際かなり酔っています。
ですがまだ決定的な一線は越えていません。

春麗が欲しいのは、
「自分が勝てるリュウ」
ではない。
「もっと強くなったリュウに勝つ自分」
です。

だから勝利の快楽と相手の成長を望むことがまだ同じ方向を向いている。
この状態が現在の春麗です。

そして、この幕間をここへ挟んだことで、今後リュウが黒い春麗へ急速に適応していっても、春麗側の感情に厚みが出ます。

黒戦術が効かなくなる。
リュウが強くなる。
春麗が勝ちにくくなる。
普通なら、勝者酔いしている春麗にとっては嫌な展開です。

ですが、春麗は
「そのあなたに勝ったら、もっと気持ちいい」
と考えてしまいます。

ですから今後、
リュウが黒を攻略していくこと自体が春麗にとって、
「困ること」であると同時に、
「望んでいたこと」
にもなります。

そして最後黒い戦闘服を脱ぐ場面について。
衣装を脱ぐ。
化粧を落とす。
髪を整える。
見た目はいつもの春麗へ戻る。

でも。
女であること。
格闘家であること。
リュウが好きなこと。
勝ちたいこと。
そして。
めんどくさいこと。
何一つ消えない。

つまり、
「黒い戦闘服を着たから、めんどくさい春麗になった」
のではありません。

黒はもともと春麗の中にあったものを、かなり分かりやすい形で表へ出しただけです。
だから黒を脱いでも春麗はめんどくさい女のまま。

この整理ができたのは、今後の黒い戦闘服の意味を考えてもかなり大きいと思います。

今回の幕間は、試合展開としては何も進んでいません。

でも春麗自身についてはかなり進みました。
「勝つのが好き」
を認めた。
「もっと強いリュウにも勝ちたい」
を認めた。

そして。
「私はめんどくさい女だ」
まで認めた。
しかも直すつもりはない。

だから今回の最後の、
「……困ったものね」
と言いながら、
まったく困っていない顔で笑っている春麗。
これが一番、この連作の主人公らしい姿だと思います。

第1話ギリギリ敗北ルートの第1話からかなり遠くまで来ました。
春麗は今日もめんどくさい。

今回は、そこへ第1話ギリギリ敗北ルートの春麗がようやく気づいた幕間でした。
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