また戦ってくれなんて言わないで ――春麗は今日もめんどくさい―― 作:エーアイ
本編のIFシリーズは無関係のエピソードとなります。
第1話ギリギリ敗北ルートの修行編後日談より先の未来時空のエピソードです。
記録板AIは、外部検証領域に次の未来ログを表示した。
『ディレクターズカットIF』
『第1話ギリギリ敗北ルート後日談』
『リュウ側修行編』
『現在/通常武道服一勝、黒い戦闘服六勝、合計春麗七連勝』
『以下、観測を開始します』
試合が始まる前から、春麗には分かっていた。
今日のリュウは、前回までとは少し違う。
白い道着。
いつもの構え。
その目は、黒と金の戦闘服を着た春麗を正面から見ている。
顔も。
長く下ろした髪も。
普段より女性らしさの強い姿も。
もう避けようとはしない。
女としての春麗を認識している。
好きな女だということも忘れていない。
その全部を抱えたまま、格闘家として春麗を見る。
そこまでは、もうできている。
「今日は、昇龍拳も最後まで来るんでしょうね?」
「そのつもりだ」
リュウの返答に間がなかった。
春麗の目が少し細くなる。
「……へえ」
「何だ」
「何でもないわ」
でも、かなり嬉しかった。
少し前なら、昇龍拳という言葉を出しただけで、リュウの表情がほんのわずかに変わった。
今は違う。
少なくとも、技を選ぶこと自体から逃げるつもりはないらしい。
「なら、今日はちゃんと撃ちなさい」
「分かっている」
「最後までよ」
「そのつもりだ」
春麗は笑った。
「そう。それでいいわ」
そして、少しだけ勝負の色を強くする。
「まあ、それでも勝つのは私だけど」
「今日は止める」
「あら。七連敗中なのに?」
「だから止める」
「……そういうところ、本当に好きよ」
リュウの目は揺れなかった。
「俺も好きだ」
そう返して、そのまま踏み込んでくる。
「ちょっと!」
春麗は拳をかわしながら笑った。
「試合中だ」
「分かってるわよ!」
七度目の黒い試合が始まった。
普通の攻防には、もうほとんど問題がなかった。
春麗が目を見る。
リュウも見る。
それでも拳は速い。
距離を詰める。
黒い裾が揺れ、長い髪が肩から流れる。
リュウはそこまで見たうえで、すぐ春麗の重心へ視線を戻した。
リュウの正拳が放たれる。
それを春麗が受ける。
「っ……」
重い。
腕が痺れる。
すぐに上段蹴を返す。
リュウが受け、そのまま下段にくるぶしキックを返してきた。
春麗は半歩引き、足先をかわす。
そのまま踏み込む。
拳。
掌。
互いに簡単には譲らない。
(本当に、ここはもうかなり出来てる)
女だから。
好きだから。
黒い姿だから。
そんな理由では、もう普通の拳は鈍らない。
春麗には、それが嬉しかった。
当然、勝ちにくくなった。
以前のように視線一つで半拍を取ることはできない。
名前を呼んでも遅れない。
甘い言葉を混ぜても、ちゃんと聞いている。
それでも拳は返ってくる。
春麗からすれば、かなり面倒だ。
なのに楽しい。
「……いいわね」
リュウの拳をかわしながら、春麗が言った。
「何がだ」
「あなたよ。本当に、この姿の私に慣れたわね」
「前よりはな」
「私が女なのも、好きな女なのも分かったまま?」
「分かっている」
「それでも勝ちたい?」
「勝つつもりだ」
直後、本当に正拳が来た。
春麗はぎりぎりで外す。
「だから、そういう返事の直後に拳を出すのやめなさいよ!」
「止めるなと言ったのは春麗だ」
春麗が一瞬黙った。
「……そうだけど」
正しい。
腹が立つくらい正しい。
だから春麗は笑った。
「ええ。それでいいのよ」
構え直す。
そして今日、本当に確かめたいところへ進んだ。
リュウが距離を取る。
「波動拳!」
青い気が正面から走る。
春麗は迷わず跳んだ。
今ではもう、この軌道へ入ること自体には何の抵抗もない。
波動拳を越える。
空中。
真下にリュウがいる。
昔。
この景色の先で、昇龍拳に撃ち落とされた。
そして長い間、跳べなくなった。
でも今日は。
春麗自身が、それを求めている。
(来なさい)
リュウの身体が沈む。
横へ逃げない。
別の対空も選ばない。
「昇龍拳!」
出た。
春麗の目が鋭くなる。
(そう)
速い。
踏み込みもいい。
拳が上がるタイミングにも、以前ほどの迷いはない。
(それよ)
春麗は正面から見た。
リュウの拳が、自分へ届く。
その直前。
「……?」
春麗の眉がわずかに動いた。
「っ!」
拳が入る。
身体が持ち上がった。
だが、重くない。
違う、途中までは重かった。
踏み込みにも力があった。
拳も速かった。
なのに春麗へ届く、その最後だけ。
力が抜けた。
拳を止めたわけではない。
技そのものを中断したわけでもない。
命中する直前に、威力だけを落とした。
春麗は空中で体勢を整え、そのまま着地する。
倒れない。
リュウも昇龍拳から戻った。
春麗はすぐには攻めなかった。
「今の」
「何だ」
「最後、わざと威力を落としたでしょう」
「……落とした」
「私に当たる直前に?」
「そうだ」
春麗は一度だけ息を吐いた。
怒鳴りはしない。
まだ。
「そういう答えにしたのね」
リュウが黙って聞いている。
「撃たないんじゃなくて、撃つ。でも最後に弱くする」
「そうだ」
「それなら、また私を止めるようなことにはならないと思った?」
リュウは少しだけ間を置いた。
「……思った」
「なるほど」
理屈は分かる。
前回まで、リュウは昇龍拳そのものを避けていた。
今日は撃った。
そこは間違いなく前進だ。
でも。
「続けましょう」
春麗は構え直した。
「もう一回」
二度目。
春麗は、さらに分かりやすく飛び込んだ。
普通なら完全に読まれる軌道。
リュウ相手にやれば、危険極まりない。
それでも今日は、それでいい。
波動拳を越える。
正面。
昇龍拳が最適解になる距離へ、自分から入る。
リュウは今度も選んだ。
「昇龍拳!」
速い。
迷いもほとんどない。
拳が上がる。
春麗へ届く。
その直前。
また。
力が抜けた。
今度は、はっきり分かった。
春麗は腕を合わせて受ける。
身体は浮く。
だが。
本来の昇龍拳の重さではない。
着地した春麗は、すぐリュウを振り返った。
「今のも弱くしたわね」
「したな」
春麗の目が鋭くなる。
「……本気?」
「本気で勝つつもりだ」
「でも、昇龍拳は弱くした」
リュウは答えない。
春麗は一歩近づいた。
「それを両立したつもり?」
沈黙。
それで十分だった。
おそらくリュウなりに考えたのだ。
昇龍拳から逃げない。
だが、春麗をまた止めるほどの一撃にはしない。
だから、当てる瞬間だけ威力を落とす。
前より一歩進んでいる。
でも。
「駄目よ」
春麗は、はっきり言った。
リュウがこちらを見る。
「それは制御じゃないわ」
「……」
「ただの手加減よ」
リュウの目が少しだけ変わった。
春麗は構えを解かなかった。
まだ試合中だ。
それでも、ここだけは言葉にする必要がある。
「あなたは昇龍拳を撃つところまでは来た…そこは前より進んだ。逃げなかった。それはいいわ」
春麗は、リュウの右拳へ視線を落とした。
「でも、あそこまでずっと勝つための拳だったのに、私へ届く最後だけ勝つための拳じゃなくなった」
リュウは黙っている。
「それを制御だと思ってるなら、違うわ」
「威力を落とした」
「威力を落とすこと自体が悪いんじゃないの」
春麗の声には苛立ちがあった。
だが、ただ感情的に否定しているわけではない。
「必要な場面で力を抜くことだって技術よ。でも、今のは違う」
「何が違う」
「理由よ」
春麗はリュウを見る。
「今のあなたは、私をまた傷つけるのが怖くて、勝つために必要だったものまで最後に捨てた」
リュウの拳がわずかに握られる。
「それは制御じゃない」
春麗はもう一度、はっきり言った。
「手加減よ」
リュウは目を逸らさなかった。
「違いは何だ」
「……そこを聞くのね」
「知りたい」
「私だって、完成した答えを持ってるわけじゃないわよ」
春麗は少し苦笑した。
「それをこれからあなたが覚えるんでしょう?」
リュウは黙る。
春麗は右拳を示した。
「でも、今言えるところまでは言うわ」
一度、息を入れる。
「手加減は、私だからって、勝つために必要な拳まで弱くすること」
リュウが聞いている。
「制御は――」
春麗も少し考えた。
「勝つための拳を、最後まで勝つための拳として届かせること」
「……」
「そのうえで、必要以上に傷つけない」
リュウの目が少し鋭くなる。
「そんなことができるのか」
春麗は一瞬黙った。
そして。
「知らないわよ」
「…春麗」
「何よ」
「知らないのか」
「知らないわよ!」
春麗はむっとした。
「だから修行してるんでしょう!」
リュウの口元がほんの少し緩む。
「何笑ってるのよ」
「いや」
「何?」
「春麗らしい」
春麗は数秒黙った。
「……どういう意味?」
「難しいことを要求している」
「悪かったわね」
「悪いとは言っていない」
「じゃあ何よ」
「めんどくさい」
春麗の動きが止まった。
「……」
「春麗?」
少し前。
自室の鏡の前で、自分自身に認めたばかりだった。
格闘家として見てほしい。
女としても見てほしい。
好きな女だとも分かっていてほしい。
その全部を見たまま拳を鈍らせるな。
本気で勝ちに来い。
でも。
必要以上に傷つけるな。
さらに。
そんなリュウに、自分が勝ちたい。
「……あなたに言われると腹立つわね」
「違ったか」
「違わないから腹が立つのよ!」
春麗は構え直した。
「続けるわよ!」
「分かった」
「今度は最後に弱くしない!」
「やってみる」
「でも必要以上に傷つけない!」
「難しいな」
「知ってるわよ!」
「それで勝つ」
春麗は一瞬だけ黙った。
それから、少し笑う。
「……そう。それをやりなさい」
試合が再開した。
もちろん。
言われてすぐにできるほど簡単ではなかった。
普通の拳。
速い。
蹴り。
重い。
波動拳。
迷わない。
そこはもう、本当にできている。
春麗が黒い姿で近づいても。
目を合わせても。
好きだと言っても。
リュウは普通に本気で勝ちに来る。
問題は、やはり一つだけ。
昇龍拳。
春麗が跳ぶ。
リュウが撃つ。
タイミングはいい。
選択も早い。
以前のような露骨な躊躇も、ほぼなくなった。
だが最後。
当たる瞬間に弱くする。
「また!」
着地した春麗が声を上げる。
「分かっている」
「分かってるなら直しなさいよ!」
「やっている」
もう一度春麗が跳ぶ。
昇龍拳。
また最後に力が抜ける。
「リュウ!」
「今のもだな」
「そうよ!」
腹が立つ。
でも同時に、春麗には分かっていた。
これまでリュウは、春麗を撃ち落としたあの拳そのものを、もう一度完全な形で出すことを怖がっていた。
今日、昇龍拳を撃つところまでは来た。
なら、これは次の壁だ。
拳を止める。
そこから。
拳を弱める。
答えとしては間違っている。
でも前には進んでいる。
(だから、付き合うのよ)
春麗は拳をかわしながら思った。
昔。
自分だって一回で昇龍拳を克服できたわけではない。
跳んだ。
怖くなった。
止まった。
またやった。
少しだけ動けた。
何度も繰り返して、ようやく覚えたまま飛べるようになった。
だったら。
リュウも同じだ。
一回で完成する必要はない。
ただし間違った答えは、間違っていると言う。
それが今の春麗の役目だった。
終盤。
二人の呼吸はかなり上がっていた。
春麗の脚も重い。
リュウの肩や脇腹にも、何度か春麗の攻撃が入っている。
今日も紙一重だった。
黒い戦闘服を着ている。
視線も、言葉も、距離も。
春麗は使えるものを全部使っている。
それでも、以前ほどリュウは崩れない。
普通に戦えば本当にどちらが勝つか分からない。
(……いいわ)
春麗は苦しいのに笑った。
(本当に、いいところまで来た)
そのリュウがまだ一つだけ間違えている。
なら春麗はそこを取る。
容赦なく。
リュウが距離を取った。
気が集まる。
「波動拳!」
春麗は跳んだ。
今日何度目なのか、もう数えていない。
ただこれが最後になる。
そんな予感があった。
波動拳を越える。
空中。
真下にリュウ。
春麗は逃げない。
リュウも逃げない。
リュウの身体が沈む。
「昇龍拳!」
来る。
速い。
今日一番。
いや。
ここまでで一番いい。
勝つための拳が、まっすぐ春麗へ来る。
(そのまま)
春麗は目を逸らさない。
(そのまま来なさい)
拳が届く。
そこでリュウの中へ、古い記憶が差し込んだ。
空から落ちた春麗。
その後、止まった春麗。
今では好きな女になった春麗。
最後また力が落ちる。
春麗の目が鋭くなった。
(まだ)
「っ!」
拳は当たる。
身体が持ち上がる。
だが足りない。
この一撃で勝負を終わらせるには届いていない。
春麗は空中で身体をひねり、衝撃を流す。
着地。
足が床へつく。
止まらない。
すぐ前へ。
昇龍拳から戻るリュウ。
春麗には見えている。
「だから!」
一歩入る。
「それじゃ!」
掌。
リュウが受ける。
「私を!」
もう一撃。
外される。
それでも踏み込む。
「倒せないのよ!」
開脚突拳。
春麗の拳がリュウの胸へ深く入った。
「っ……!」
リュウの身体が大きく揺れる。
一歩。
もう一歩。
踏みとどまろうとする。
だがもう残っていなかった。
片膝が床へ落ちる。
春麗も、その場から動けない。
「……っ、は……」
肩で息をする。
脚も痛い。
肩も。
昇龍拳を受けた場所も熱を持っている。
余裕など、ほとんどない。
それでも立っているのは春麗だった。
片膝をついたリュウを見る。
「……私の勝ちね」
リュウは悔しそうに息を吐いた。
「最後まで持たなかった」
その声が、春麗の胸へ甘く入る。
この姿で七勝目。
合わせて八連勝。
「……ふふ」
笑いが漏れた。
「春麗」
「何?」
「嬉しそうだ」
「当たり前でしょう?」
春麗は息を整えながら、勝者として笑った。
「あなた、今日かなり良かったのよ」
「それでも届かなかった」
「この姿の私には、もうほとんど慣れた。昇龍拳だって逃げずに撃った」
そして、少しだけ笑みを深くする。
「それでも、今日も私が勝った」
リュウの眉が寄った。
「八連勝ね」
「数えているな」
「数えるわよ。私の勝ちだもの」
「これ以上は増やさない」
「なら、止めてみなさい」
互いの状態を確認する。
リュウに大きな問題はない。
春麗自身も打撃は受けているが、深刻なものではなかった。
そこまで確かめてから、春麗は床へ座った。
黒い裾を整える。
そして、自分の膝を軽く叩いた。
「ほら」
それだけで意味は伝わる。
リュウは何も聞かず、春麗のそばへ来た。
「今日はずいぶん素直ね」
「勝った日は、いつもこうだろう」
「……そうね」
春麗は少しだけ勝ち誇るように笑った。
頭を支え、素肌の膝へ乗せる。
もう何度も知っている重さ。
勝った日に繰り返してきた距離。
リュウが下から春麗を見る。
「今日も」
春麗は額へ指を伸ばした。
「私の勝ちよ」
敗者の印を残す。
「この姿で七勝目ね」
「増えたな」
「悔しい?」
「かなりな」
「……いいわね」
「楽しんでいるな」
「ええ」
もう隠さない。
「かなり」
今日の勝利は特に気持ちよかった。
リュウは以前より強い。
黒い春麗への対応も、普通の攻防ならほとんどできている。
そのリュウにまた勝った。
嬉しくないはずがない。
春麗は少しの間、その満足を素直に味わった。
それからリュウの右手を取る。
昇龍拳を放った拳。
そこへも今日の敗者の印を残した。
「でも」
声を少し変える。
「ここは、まだ駄目ね」
「分かっている」
「撃ったのは進歩よ。逃げなかったことも」
「だが、最後に弱くした」
「そう。だからそこを取られた」
春麗は右拳を握ったままリュウを見る。
「ねえ。私をまた傷つけるのが怖い?」
「怖くないとは言えない」
春麗の表情が少し柔らかくなる。
「それ自体は、嬉しいわ」
リュウの目が少し変わった。
「好きな男に、傷ついても構わないなんて思われたいわけじゃないもの。私だって、無意味に怪我したいわけじゃない」
そこは認める。
でも。
「だからって、勝つための拳まで弱くしていいことにはならない」
春麗はリュウの右拳を軽く持ち上げた。
「私が欲しいのは、傷つけないために弱くする拳じゃない」
リュウが聞いている。
「弱くしない」
一度、言葉を区切る。
「でも、必要以上には傷つけない」
「両方か」
「両方よ」
「難しいな」
「知ってるわよ」
「できるか分からない」
「だから練習するんでしょう?」
「やはり、めんどくさいな」
春麗の眉がぴくりと動いた。
でも今度は怒らなかった。
少しだけ鼻で笑う。
「今さらでしょう?」
リュウがわずかに目を開いた。
春麗は勝者の顔で笑った。
「そうよ。私は、そういうめんどくさい女なの」
女として見てほしい。
好きな女だと分かっていてほしい。
格闘家としても見てほしい。
全部見たまま勝ちに来てほしい。
拳を鈍らせてほしくない。
でも、必要以上に傷つけてほしいわけでもない。
そのうえで。
できれば、自分が勝ちたい。
確かに面倒だ。
かなり。
「だから」
春麗はリュウの右拳を握ったまま笑う。
「付き合いなさい」
「今さらだな」
「あら。言うようになったじゃない」
「春麗が望んだんだろう」
「そうね」
春麗は少し笑みを深くした。
「次も弱くしない」
「やってみる」
「逃げないで」
「ああ、逃げない」
「ちゃんと私を倒すつもりで来ること」
「もちろんだ」
春麗はそこで、ほんの少しだけ声を柔らかくした。
「でも」
リュウを見る。
「必要以上には傷つけないで」
リュウはしばらく春麗を見上げていた。
やがて。
「そこまで行く」
春麗は満足そうに笑った。
「そう。それでいいわ」
それから、また少し勝者の顔へ戻る。
「まあ、その答えが完成する前に」
額の敗者の印を指先で軽くなぞった。
「もう何回か、私が勝ちそうだけど」
「簡単には勝たせない」
「楽しみにしてるわ」
胸の奥では、本当にそうなってほしいと思っている。
弱めない。
必要以上に傷つけない。
その両方を、リュウがどう成立させるのか。
今の春麗にも、まだ完全な答えは分からない。
でも、分からないから修行する。
昔。
春麗が昇龍拳を覚えたまま飛べるようになったように。
今度は。
リュウが、あの拳を覚えたまま最後まで止めずに届かせる。
「……楽しみね」
「何がだ」
春麗は膝の上のリュウを見下ろした。
「次よ」
それだけ答える。
リュウの目に、また勝負の色が戻った。
その顔を見て。
春麗の胸へ。
今日の八連勝とは少し違う、新しい熱が入った。
記録板AIは、そこでログを停止した。
『検証ログ終了』
『現在/通常武道服一勝、黒い戦闘服七勝、合計八連勝』
『対象春麗』
『リュウからの「めんどくさい」評価を受容』
『自己認識/そういうめんどくさい女なの』
『リュウ側修行/継続』
『以上』
Q:今回のディレクターズカットIFについて解説して?
A:
今回のエピソードは、黒い戦闘服での第七戦。
前回までで、リュウの課題はかなり絞り込まれています。
もう黒い春麗そのものには、かなり対応できる。
黒い戦闘服を見る。
長い髪を見る。
女性として春麗を見る。
好きな女性だと認識する。
その全部を消さない。
それでも通常の拳、蹴り、波動拳なら、ほとんど迷わず勝ちに来られる。
つまり最初にあった、
「好きな女だから拳が鈍る」
という問題は、通常の攻防についてはほぼ克服されています。
残っているのは昇龍拳だけです。
しかも前回、その理由も分かりました。
リュウは単純に、
「春麗が女性だから昇龍拳を撃てない」
わけではない。
かつて自分の昇龍拳で春麗を空から撃ち落とした。
その後、春麗は波動拳の向こうに昇龍拳を感じるだけで身体が止まるようになった。
そして、その克服修行にリュウ自身が付き合った。
その記憶をリュウも持っている。
だから現在、好きな女性になった春麗へ、もう一度あの拳を完全な形で入れるところだけが止まる。
そこまで分かったうえで迎えたのが今回の第七戦です。
そしてリュウなりに、ちゃんと前進しています。
前回までは、昇龍拳を選ばない。
別の対空を使う。
最後に躊躇する。
という状態でした。
今回は違う。
春麗から、
「あの試合そのものまで間違いにしないで」
「あなたが昇龍拳を撃ったことを、悪かったことにしないで」
「二人とも、覚えたまま先へ行くしかない」
とまで言われた。
だからリュウは、ついに昇龍拳そのものからは逃げません。
春麗が跳ぶ。
昇龍拳を撃つ。
ここまではできる。
これは明確な進歩です。
ただしリュウはそこで、新しい間違いをします。
最後だけ威力を落とす。
撃たないのではなく、撃つ。
でも春麗へ届く直前だけ弱くする。
リュウなりには、
「これなら昇龍拳から逃げずに済む」
「それでも春麗を壊さずに済む」
という答えだったのだと思います。
かなり真面目な誤答です。
だからこそ今回、春麗が初めて、
「それは制御じゃない」
「ただの手加減よ」
とはっきり否定しています。
ここは、このリュウ修行編の最終テーマが初めて言葉になった場面です。
今まで春麗が要求してきたのは、
「拳を鈍らせるな」
でした。
ただ、それだけだと極端な答えとして、
「なら全力で撃てばいい」
にもなってしまいます。
でも春麗は、リュウに壊されたいわけではありません。
今回そこも明確に認めています。
好きな男に、
「壊れても構わない」
と思われたいわけではない。
必要のない大怪我をしたいわけでもない。
だから本当に必要なのは、
「全力か手加減か」
という二択ではありません。
勝つために必要な拳は鈍らせない。
でも必要以上には壊さない。
その両立です。
今回の春麗の言葉で言えば、
「手加減は、勝つために必要な拳を、私だから弱くすること」
「制御は、勝つための拳を、最後まで勝つための拳のまま届かせること」
「そのうえで、必要以上に壊さない」
となります。
この違いが非常に重要です。
今のリュウは、
「春麗を壊したくない」
という感情そのものは間違っていない。
問題は、その感情を処理する方法です。
壊したくない。
だから最後に弱くする。
これは手加減。
今後目指す答えは、
壊したくない。
だからこそ、拳の速度や勝つ意志を落とすのではなく、技そのものをもっと正確に扱う。
こちらです。
つまり、
手加減ではなく制御。
躊躇ではなく精度。
ここから先は、この違いをリュウが身体で覚えていく修行になります。
今回面白いのは、春麗自身にもその完成形がまだ分かっていないところです。
リュウから、
「そんなことができるのか」
と聞かれて。
春麗は、
「知らないわよ」
と答えています。
春麗は正解を知っている先生ではありません。
ただ、
「今の答えは違う」
ことだけは分かる。
だから、
「それをこれからあなたが覚えるんでしょう?」
と言う。
自分にも完成形は分からない。
でもリュウならそこまで来られると思っている。
だから要求する。
かなり無茶です。
そして今回、そこへちょうど、
「めんどくさい女」
という自己認識もつながりました。
少し前の幕間で春麗は、自分自身を、
「ええ。私、めんどくさい女だわ」
と認めました。
そして今回はとうとうリュウ本人から、
「めんどくさいな」
と言われています。
要求を並べると、確かにひどいです。
私を女性として見なさい。
好きな女だと分かっていなさい。
格闘家として見なさい。
全部見たまま勝ちに来なさい。
拳を鈍らせない。
でも壊さない。
昇龍拳から逃げない。
そのうえでできれば私が勝ちたい。
リュウからすれば、
「難しいことを要求している」
のはその通りです。
以前なら春麗も、
「誰がめんどくさい女よ!」
と反発したかもしれません。
でも今回は違う。
一度怒りかけてから、
「今さらでしょう?」
と言える。
さらに、
「私は、そういうめんどくさい女なの」
「だから、付き合いなさい」
まで言える。
ここは前の幕間を挟んだ効果がかなり出ています。
春麗はもう「めんどくさい女」を悪口として受け取っていません。
自分が何を欲しがっているか。
どれだけ欲張りか。
どれだけ矛盾した条件をリュウへ要求しているか。
全部分かったうえで。
それが自分なのだと引き受けている。
そしてリュウも、
「ああ」
と付き合う。
シリーズタイトル的にも、この二人の関係がかなり完成形へ近づいた場面だと思います。
一方で勝者としての春麗は今回もかなり楽しんでいます。
黒い戦闘服で七勝。
通常の武道服での一勝まで含めれば八連勝。
しかもリュウはどんどん強くなっている。
以前効いていた黒い揺さぶりも、通常攻防ではほとんど効かない。
そのリュウへそれでも勝った。
春麗にとって、かなり美味しい勝利です。
だから膝枕もする。
敗者の印も刻む。
悔しいか聞く。
そして今回はリュウ本人まで、
「七回目」
と数を覚えている。
当然、春麗は喜びます。
勝者酔いはもうかなり高いところまで来ています。
でも今回も重要なのは。
春麗が、その七連勝を守るためにリュウの誤答を放置しないことです。
もし勝つことだけが目的なら。
昇龍拳を最後に弱くしてくれるリュウは、春麗にとって非常に都合がいい。
飛び込んでも決定打にならない。
そこを反撃できる。
実際、今回も最後はその穴を取って春麗が勝っています。
だったら黙っていればいい。
でも春麗は試合の途中で、
「それは制御じゃない」
と教えてしまう。
勝利後にも、
「ここはまだ駄目」
と改めて指摘する。
そして、
「弱くしない」
「壊さない」
「両方」
を要求する。
つまり今回も、
「勝つのが大好きな春麗」
と、
「もっと強いリュウを完成させたい春麗」
は両立しています。
むしろ最近の春麗は、
「完成したリュウに勝った方がもっと気持ちいい」
という方向へ完全に進み始めています。
かなり危険な勝者酔いですが格闘家としては、非常に健全でもあります。
そして今回で、今後の修行の焦点もかなり明確になりました。
もう、
黒い春麗を見られるか。
女性として認識できるか。
好きな相手として見ても拳を出せるか。
そこはほぼ問題ではありません。
今後の中心は完全に昇龍拳です。
撃つことはできた。
でも最後に弱くする。
次は、その「最後に弱くする」を越えなければならない。
そしてその先には、
「弱くしないのに、壊さない」
という一見矛盾した答えが待っています。
春麗自身も、その方法はまだ知らない。
だから二人でそこへ行く。
かつて春麗が、
昇龍拳を忘れず。
怖かった記憶を消さず。
それでも跳べるようになったように。
今度はリュウが。
春麗を止めてしまった記憶を忘れず。
春麗を大切だと思う気持ちも消さず。
それでも昇龍拳を最後まで鈍らせずに届かせる。
そこまで行かなければ。
春麗の恩返しは終わらない。
今回の第七戦は。
昇龍拳を「撃てるか」という段階から。
「どう撃つか」
へ修行のテーマが一段上がった回でした。
そしてその難題を当然のように要求して勝った後はしっかり膝枕まで取る春麗。
本人も認めた通り。
今日もかなりめんどくさい女です。