また戦ってくれなんて言わないで ――春麗は今日もめんどくさい―― 作:エーアイ
本編のIFシリーズは無関係のエピソードとなります。
第1話ギリギリ敗北ルートの修行編後日談より先の未来時空のエピソードです。
記録板AIは、黒い戦闘服第九戦の終了後に発生した補完ログを開いた。
『ディレクターズカットIF』
『第1話ギリギリ敗北ルート後日談』
『リュウ側修行編』
『黒い戦闘服第九戦直後』
『現在/通常武道服一勝、黒い戦闘服九勝、合計十連勝』
『以下、観測を開始します』
自室へ戻った春麗は、扉を閉めるとその場で壁へ背を預けた。
身体が重い。
何度も受けた昇龍拳の痛みが残り、最後の攻防で使い切った脚も疲れている。
今日も、本当に紙一重だった。
それでも口元が緩んだ。
「……十連勝」
誰もいない部屋で言ってみる。
いつもの武道服で一勝。黒い戦闘服で九勝。
合わせて十。
「十回、勝ったのね」
改めて口にすると、思っていた以上に響きがよかった。
春麗はようやく明かりをつけ、鏡の前まで歩く。
まだ黒い戦闘服を着たままだった。長い髪は乱れ、化粧も試合前ほど整っていない。衣装にもところどころ埃がついている。
鏡の中の自分を見て、春麗は素直に笑った。
「よく勝ったわね、私」
もう、こういう時に自分へ言い訳する必要はなかった。
勝ったのだから嬉しい。
しかも今日の勝ちは、十勝の中でもかなり特別だった。
黒はもう、ほとんど効いていない。それは前から分かっている。
通常の攻防でもリュウは強かった。
春麗を女として見ても、好きな女として見ても、そのまま拳を出してくる。
そして今日、最後まで残っていた昇龍拳まで大きく変わった。
弱くしない。逃げない。遅れない。
必要以上に春麗の身体を傷つけないよう制御しながら、それでも勝つための拳として迷わず撃ってきた。
何度も受けた。
痛かった。
強かった。
それでも春麗は立った。
「……そこなのよね」
春麗は鏡台の前へ座り、自分の胸元へ手を置いた。
今日のリュウは、かなり完成に近かった。
だからこそ、最後に残ったものもはっきりした。
春麗を必要以上に壊さないところまでは来た。
けれど、春麗がもう戦えなくなるところまでは届かなかった。
わずかに残されたその余力を使って、春麗は最後まで戦った。
そして勝った。
「今日の勝ち、本当に好きだわ」
思い出すだけで、また胸の奥が熱くなる。
弱いリュウに勝ったのではない。
今までで一番完成に近いリュウに、それでも勝った。
十連勝目がこの勝ちだったことが、春麗にはたまらなく嬉しかった。
化粧を落としながら、春麗は今日の試合後を思い出した。
勝った後、いつものように互いの状態を確かめた。床へ座って膝を叩けば、リュウは何も聞かずに来た。
膝枕も敗者の印も、もうずっと二人の間で続いてきた勝利後のやり取りだ。
今日もリュウを膝へ乗せた。
額へ敗者の印を残した。
昇龍拳を撃った右拳にも、自分が今日その拳へ勝った証を置いた。
そしてリュウは、次は勝つと言った。
「……十連勝しても、そこは変わらないのね」
春麗は少し笑った。
リュウは負けることに慣れていない。
十回続けて負けても、次に勝つことしか考えていない。
それがいい。
春麗がずっと望んでいた通りだった。
けれど今日ばかりは、その「次」が今までとは少し違って見えた。
次のリュウは、本当に勝つかもしれない。
「……負けるかもしれないわね」
春麗は鏡の前で、静かに口にした。
言葉にした途端、今日受けた最後の昇龍拳が蘇る。
速かった。
強かった。
もうほとんど迷いもなかった。
あと少し。
本当に、あと少しだけだった。
もし次にリュウが、春麗へ残してしまった最後の余力まで消してきたら。
次は着地しても立てないかもしれない。
立てても、構えられないかもしれない。
そこで試合が終わるかもしれない。
つまり十連勝が終わる。
「……嫌ね」
素直にそう思った。
十一連勝したい。
黒い戦闘服でも十勝目を取りたい。
今日のようにリュウを膝へ乗せて、また敗者の印を残したい。
負けるより、勝つ方がいい。
そんなことは今さら考えるまでもなかった。
それでも春麗は、以前のような不安を感じてはいなかった。
むしろ、自分でも少し不思議なくらい静かだった。
十回勝った事実は、次に一度負けたからといって消えない。
今日までリュウを倒してきたことも。
黒が効かなくなってから勝ったことも。
完成へ近づいた昇龍拳を受け、それでも立って最後に勝ったことも。
全部、そのまま残る。
そして次に負けるとしたら。
それは、春麗がずっと求めてきたところまでリュウが来た時なのかもしれない。
「……そう考えると」
春麗は少しだけ笑った。
負けたくはない。
絶対に嫌だ。
でも、その敗北まで嫌ってしまったら、ここまでリュウを鍛えてきた意味がない。
春麗が望んだのは、勝たせてくれるリュウではなかった。
春麗を全部見たうえで、本気で倒しに来るリュウだった。
その完成が、もう目の前まで来ている。
だったら。
「持ってきなさい」
鏡の中の自分へではなく、ここにはいないリュウへ向けて言った。
「今度こそ、私を立たせない昇龍拳を」
必要以上に壊さない。
でも、試合は終わらせる。
今日、二人で見つけた最後の答え。
それをリュウが持ってきた時、自分がどうなるのか。
春麗は見てみたかった。
そしてもちろん。
「そのうえで――」
口元が勝者らしく上がる。
「私が勝るけど」
そこは譲らない。
黒い戦闘服を脱ぎ、髪を整え終えた春麗は、ベッドへ腰を下ろした。
今日までの十勝を、もう一度頭の中で数えることはしなかった。
十分に味わった。
次を見る。
リュウが今日の最後の穴を埋めてくる。
そうなれば、次の勝負は今まで以上に難しい。
もしかすると、本当に負ける。
けれど、それで終わりではない。
負ければ悔しがる。
そして次に勝ちに行く。
昔から、ずっとそうだった。
連勝しているうちに少し遠くなっていただけで、何も特別なことではない。
春麗は自分の膝へ一度だけ視線を落とした。
次もここへリュウを乗せたい。
だから勝つ。
もし次に乗せられなかったなら、その次にまた勝てばいい。
「……そうよね」
それだけのことだった。
十連勝したから、負けられなくなったわけではない。
十連勝したからこそ。
次に負けても、そこからまた勝ちに行ける。
春麗は少しだけ目を閉じた。
「十連勝」
今夜最後に、もう一度だけ口にする。
「よく勝ったわ。私」
満足して目を開く。
もう視線は次へ向いていた。
「完成させてきなさい、リュウ」
そして、楽しそうに笑う。
「私は十一連勝を取りに行くから」
勝てる保証はない。
次が、十連勝の終わりになるかもしれない。
それでも。
だからこそ、次の勝負が楽しみだった。
記録板AIは、補完ログを保存した。
『幕間ログ終了』
『現在/通常武道服一勝、黒い戦闘服九勝、合計十連勝』
『以上、保存完了』
Q:今回のディレクターズカットIFについて解説して?
A:
今回は、十連勝を達成した春麗が、その先にある「次は負けるかもしれない」という可能性まで考える幕間でした。
五連勝時点では、もっと強くなったリュウにも勝ちたいという欲張りさを自覚していた春麗ですが、今回はその「もっと強いリュウ」が本当に完成目前まで来ています。
だからこそ、敗北の可能性も以前より現実的になりました。
それでも、十回勝った事実は消えない。次に負けても、またその次に勝ちに行けばいい。
勝者でいることを楽しみながら、敗北そのものまで受け入れられるようになったところに、今回の春麗の変化があります。
そしてもちろん、受け入れたからといって負ける気はありません。
十一連勝を狙うところまで含めて、今の春麗です。