また戦ってくれなんて言わないで ――春麗は今日もめんどくさい―― 作:エーアイ
本編のIFシリーズは無関係のエピソードとなります。
第1話ギリギリ敗北ルートの修行編後日談より先の未来時空のエピソードです。
記録板AIは、黒い戦闘服第十戦の終了後に残された補完ログを開いた。
『ディレクターズカットIF』
『第1話ギリギリ敗北ルート後日談』
『黒い戦闘服第十戦終了後』
『以下、観測を開始します』
自室へ戻った春麗は、扉を閉めると小さく息を吐いた。
黒と金の戦闘服はまだ脱いでいない。長い髪も試合のままで、身体には疲労と鈍い痛みが残っていた。
十連勝は終わった。
そこは、もう十分に悔しがった。
「……次は取り返すわよ」
誰もいない部屋でも、それだけは変わらない。
十一連勝には届かなかった。黒い戦闘服での十勝目も持ち越しになった。
なら、次に取ればいい。
春麗は鏡台の前へ座った。
今、何度も頭へ戻ってくるのは敗北そのものではなかった。
「完成するまで、修行に付き合ってほしい」
リュウの言葉だった。
「……頼む、か」
試合場では、その意味を考えるより先に答えていた。
付き合う。
完成するまで。
それは迷わなかった。
けれど、一人になった今、春麗は改めてその言葉を自分の中へ置いてみる。
昔、自分がリュウへ頼った時のことは覚えている。
昇龍拳を恐れ、波動拳の先へ飛べなくなった自分に、リュウは最後まで付き合った。
だから春麗も言った。
いつか、この恩は絶対に返す。
「恩返し、ね」
春麗は鏡の中の自分を見る。
ずっと、そのつもりだった。
自分がしてもらったように、今度はリュウが先へ進むための修行へ付き合う。
それで借りたものを返す。
けれど。
「……それで終わりなのかしら」
ふと、そんな疑問が浮かんだ。
昇龍拳が完成した。
はい、これで昔の借りは返しました。
あとは貸し借りなし。
考えてみると、妙だった。
「そんな感じじゃないわよね」
春麗は少し笑った。
もう何戦も、リュウの修行へ付き合っている。
黒い戦闘服を選び、何度も戦い、リュウがどこで止まり、どこまで来たのかを一緒に見てきた。
どこからが恩返しで、どこまでやれば返済完了なのか。
そんなものは、とっくに数えられなくなっている。
そして何より。
春麗自身が、数えたいと思っていなかった。
「……そういうことね」
ようやく分かった。
最初は確かに、恩を返すつもりだった。
でも今は、それだけではない。
リュウが最後の答えへ辿り着くところを見たい。
そのために自分が必要なら、付き合いたい。
だから続ける。
義務だからではない。
昔の借りが残っているからでもない。
自分で選んでいる。
「だったら、“恩返しの続き”でいいわね」
春麗は納得したように頷いた。
返して終わる恩ではなくなった。
昔リュウが自分へしてくれたことを、今度は自分がリュウへ返していく。
その先でも、必要ならまた付き合えばいい。
そんな関係になった。
それが、少し嬉しかった。
春麗は髪を梳きながら、次の修行を思い浮かべた。
条件は変えない。
黒い戦闘服で行く。
もう以前ほど、この姿そのものがリュウを崩すことはない。それでも、だから普通の武道服へ戻すという話ではなかった。
リュウが今、完成させようとしているのは、この春麗を相手にした昇龍拳だ。
女として見ている。
好きな女だと分かっている。
それでも格闘家として倒しに来る。
その条件を最後まで外すつもりはない。
「それに……」
春麗は鏡に映った黒い自分を見る。
「私も、この姿で戦いたいし」
そこはもう素直に認められる。
次も同じ条件で戦う。
そしてリュウが昇龍拳を完成へ近づけるために、必要なら何度でもその軌道へ飛び込む。
ただし。
「勝たせてあげるわけじゃないからね」
それも当然だった。
リュウの修行に協力することと、春麗が勝負を譲ることはまったく違う。
むしろ春麗が本気で勝ちに行かなければ意味がない。
視線も使う。
距離も使う。
言葉も使う。
技も読みも、全部使う。
その春麗を相手にして、それでもリュウが昇龍拳で試合を終わらせる。
それが答えなのだから。
「楽に完成させるつもりはないわよ」
春麗の口元が少し上がった。
今日のリュウは強かった。
だから負けた。
なら次は、その強さを越えて勝つ。
そのうえでリュウにも、さらに先へ来てもらう。
「……忙しいわね」
自分で言って、少し笑った。
修行相手としては完成してほしい。
対戦相手としては負けたくない。
以前なら、その二つを並べてまた何か考え込んでいたかもしれない。
今は違う。
両方でいい。
それが自分なのだから。
化粧を落とし、装飾を外す。
春麗は最後に黒い戦闘服へ手をかけた。
今日は、この姿で初めて負けた。
それでも黒を着ることが嫌になったわけではない。
むしろ次も、これで行く。
春麗は脱いだ戦闘服を丁寧に整えた。
片づけようとして、少し考える。
そしてクローゼットの奥ではなく、次の修行ですぐ手に取れる場所へ置いた。
「……よし」
それだけで、次へ進む準備を一つ終えたような気がした。
今日の勝者はリュウ。
そこは認める。
次もリュウは、きっと今日より良くなって来る。
春麗が頼んだからではない。
今度はリュウ自身が、完成したいと望んでいる。
そして、そのために春麗へ付き合ってほしいと言った。
なら答えは決まっている。
「最後まで付き合うわ」
今度は誰へ聞かせるでもなく、静かに言った。
恩を返すために始めたこと。
今はもう、自分が続けたいから続けること。
春麗はその違いを、少しだけ気に入っていた。
「ただし──」
目に勝負の色が戻る。
「次は私が勝つから」
黒い戦闘服での十勝目。
そこも、まだ諦めていない。
修行は続く。
恩返しも続く。
そして勝負は、もっと続く。
春麗はそれを楽しみにしながら、ようやく今日を終えた。
記録板AIは、補完ログを保存した。
『幕間ログ終了』
『次戦目標/黒い戦闘服十勝目』
『修行/継続』
『以上、保存完了』
Q:今回のディレクターズカットIFについて解説して?
A:
今回は、前話でリュウから修行の続きを頼まれた春麗が、一人になってその意味を考え直す幕間でした。
最初は「昔の恩を返す」という意識でしたが、考えていくうちに、もう単純な貸し借りではなくなっていることに気づきます。
リュウの修行が完成するまで付き合いたい。
それは義務ではなく、今の春麗自身が選んだことです。
もちろん、修行に付き合うことと勝負を譲ることは別。
恩返しは続ける。でも次は黒で十勝目を取りに行く。
その両方を自然に選べるようになったところに、今の春麗らしさがあります。