また戦ってくれなんて言わないで ――春麗は今日もめんどくさい―― 作:エーアイ
その夜。
春麗はベッドの中で目を閉じた。
三週間。リュウが街を出てから今日まで、春麗会議室へ入ろうとしたことは一度ではない。けれど、開かなかった。
円卓を思い浮かべても、白い壁を思い浮かべても、意識は自室の夜へ戻ってくるだけだった。
その間に、リュウと連絡を取った。互いの予定を合わせ、三週間後に再会し、約束していた試合をした。
試合に勝った。
一緒に食事もした。
別れ際には、自分から次に会える日まで聞いた。
現実側でやることは、もう全部やった。
「……今度こそ開きなさいよ」
春麗はもう一度、円卓を思い浮かべた。
意識が沈む。
暗闇の中、足元へ固い床の感触が戻った。
目を開く。
円卓。
白い壁。
見慣れた椅子。
正面には記録板AI。
そして、自覚前春麗、通常救済版春麗、行き遅れに恐怖する春麗。
「……開いた」
三週間ぶりだった。
ほぼ同時に、三人の表情が変わる。
記憶の同期。会議室へ接続できなかった三週間と、今日の再会、試合、その後の食事までが一度に共有された。
本編春麗が三人を見る。
「何よ」
自覚前春麗が最初に口を開いた。
「また全部終わってから来たのね」
「好きでそうしたわけじゃないわよ! 三週間、全然開かなかったんだから!」
記録板AIへ表示が出た。
『本編春麗』
『春麗会議室/接続不成立』
『期間/三週間』
『期間中の通常連絡、予定調整、再会、リュウとの試合、試合後の食事の完了を確認』
『春麗会議室/接続再成立』
「そう、それよ」
春麗は表示を指した。
通常救済版春麗が少し笑う。
「現実側で全部済ませたあとに、ようやく戻って来られたのね」
「今回もそうみたい。でも、記録板AIが閉めていたわけじゃないんでしょう?」
『接続制御権限:なし』
「そこは以前と同じなのね」
『はい』
理由は分からない。
ただ結果として、本編春麗は三週間、会議室なしで過ごした。
そして今、全部終わったあとで戻ってきた。
自覚前春麗が同期された記憶を確かめるように言う。
「それで、三週間ぶりに会って」
「ええ」
「試合をして」
「ええ」
「勝った」
そこで春麗の口元が上がった。
「……そう。勝ったわよ」
記録板AIにも、すぐ表示が出る。
『対リュウ戦』
『結果/本編春麗勝利』
『決着/夏塩蹴』
春麗は少しだけ胸を張った。
「嬉しそうね」
通常救済版春麗が言った。
「嬉しいわよ」
「同期したから分かるけれど」
自覚前春麗も笑っている。
「試合が終わってから、何回勝ったことを確認したの?」
「数えなくていい!」
「リュウ本人にも確認していたわね」
「それも数えないで!」
行き遅れに恐怖する春麗が腕を組む。
「しかも、最後まで勝敗が分からなかったと言ってもらった」
「まとめなくていいわよ」
「嬉しかった?」
本編春麗は一瞬だけ黙った。
「……嬉しかったわよ」
「かなり?」
「かなり!」
もう隠す気もなかった。
「今日は勝ったんだから、素直に喜ばせなさいよ!」
『妥当』
「記録板AIまで乗らなくていい!」
会議室に笑いが広がった。
やがて、自覚前春麗の表情が少し真面目なものへ戻った。
「一つだけ確認しておきたいことがあるわ」
「リュウのことでしょう?」
本編春麗にもすぐ分かった。
食事中、リュウは言った。
春麗には、以前から何度も波動拳を撃ったような気がする。
昇龍拳も使った気がする、と。
記録板AIに表示が出る。
『既知記録照合:拳の残響』
『詳細記憶:なし』
『戦闘時身体感覚:残留』
「……やっぱり、それなのね」
春麗は額へ手を当てた。
通常救済版春麗が頷く。
「技そのものは、もともとリュウが使えるものよ」
「分かってるわ」
「別の可能性で春麗を相手に使った感触だけが、具体的な記憶ではないまま残っている」
「だから本人にも、『春麗には何度も撃った気がする』なんて感覚があった」
『整合』
「本当に変な現象ね」
『否定せず』
「そこは否定しなさいよ」
通常救済版春麗が苦笑した。
「でも、気になる?」
本編春麗は少し考えた。
そして首を横に振る。
「別に」
「いいの?」
「ええ。拳の残響が、波動拳や昇龍拳を使う感覚を後押ししたのかもしれない。でも、今日の私はその戦闘経験を持っていなかった」
一度、実際に波動拳へ跳び込んだ。
そこで昇龍拳を受けた。
次は同じことをしなかった。
最後は、先に跳んだリュウを見て夏塩蹴で対空迎撃することを選んだ。
「試合の中で見て、考えて、対応を変えた。その結果、私が勝った。それなら問題ないわ」
春麗の口元がまた上がる。
「むしろ次からも使ってくればいいのよ。今のリュウが使えるものなら、遠慮する必要なんてないでしょう?」
自覚前春麗が笑う。
「その方が勝った時に嬉しい?」
「当然よ」
「本当に今日は分かりやすいわね」
「勝った日くらいいいでしょう!それに私は正式回答の中間回答受領後ずっと試合できなかったのよ!一時は100話近く放置されてたし!!」
行き遅れに恐怖する春麗が尋ねた。
「食事は?」
「普通だったわよ」
「リュウが負けたあとでも?」
「ええ、普通」
本編春麗は少し考え、ごく当たり前のことのように続けた。
「リュウは負けて悔しい。私は勝って嬉しい。それで二人ともお腹が空いてたから、ご飯を食べた。それだけよ」
通常救済版春麗が微笑む。
「それは、いいわね」
「私もそう思う」
試合の勝敗とは関係なく一緒に食事をすること。
もう同じものとして扱う必要はない。
そこは自室でも整理してきた。
「だから、その話はもう詳しくやらなくていいわよ」
春麗が先回りすると、記録板AIが表示する。
『了解』
「今日は同じことを何回も確認しに来たんじゃないんだから」
『本接続目的:本編春麗の勝利報告』
「そう。それ」
春麗は満足そうに頷いた。
「今日はそれで来たの」
「では、別れ際も確認しなくていいの?」
自覚前春麗が尋ねた。
本編春麗は警戒した目を向ける。
「……何を言うつもり?」
「次、いつ会える?」
「言ったわよ。普通に聞いただけ」
「以前なら──」
「比較しなくていい!」
「まだ何も言っていないでしょう」
「何を言うか分かるのよ!」
行き遅れに恐怖する春麗が口を開く。
「以前なら、あの一言を口にするまでに──」
「数え始めないで!」
通常救済版春麗が笑いながら二人を止めた。
「今回は、もうそれでいいのではないかしら」
本編春麗が見る。
「本編春麗は普通に聞いた。リュウは『また連絡する』と答えた。本編春麗もそれをそのまま受け取った」
「ええ」
「なら、それ以上ここで意味を増やす必要もないでしょう?」
一瞬、本編春麗は黙った。
それから、嬉しそうに笑う。
「……そうなのよ」
以前なら一大事だった言葉を、今日は普通に口にできた。
返ってきた答えにも、追加の保証を求めなかった。
また連絡して、予定を合わせればいい。
それで終われた。
「そういうことよ」
記録板AIが表示する。
『追加確認:なし』
「そう、それで保存しておくように」
自覚前春麗が円卓へ視線を落とした。
「でも今回、本当に変わったのは別のところかもしれないわね」
「何?」
「春麗会議室の使い方」
本編春麗が首を傾げる。
「三週間、ここへ来られなかった。だから相談もできなかった」
「ええ」
「それでも、現実ではちゃんと進んだ」
連絡を取った。
予定を合わせた。
リュウと会い、試合をし、その後食事をした。
次に会える日も、自分から聞いた。
全部が終わったあとで、ようやく春麗会議室の扉が開いた。
通常救済版春麗が穏やかに言う。
「だから今回は、何をすればいいのか聞きに帰ってきたわけではないのね」
「そうね」
「答えをもらいに来たわけでもない」
「ええ、もう私は自分でやってきた」
本編春麗は少しだけ胸を張った。
「だから今日は、報告よ」
「勝利報告?」
「そう」
今度は素直に笑う。
「三週間分、まとめてね」
記録板AIへ表示が出た。
『相談案件:なし』
『勝利報告:受領』
その表示を見て、本編春麗はしばらく黙っていた。
三週間前まで、ここは迷った時に戻ってくる場所だった。
自分だけでは整理できないことを持ち込み、他の春麗たちや記録板AIに確かめてもらう場所でもあった。
けど、今回は違う。
相談できなかった三週間を、自分で最後まで進んできた。
そして今は、何かを決めてもらうためではなく、できたことを持ち帰っている。
行き遅れに恐怖する春麗が笑った。
「なら、改めて言っておくわ」
「何?」
「おめでとう」
本編春麗が止まった。
「……ありがとう」
自覚前春麗も続く。
「おめでとう」
「ありがとう」
通常救済版春麗も微笑んだ。
「中間回答の試合から長かったわね、おめでとう」
「……ありがとう」
最後に、春麗は記録板AIを見る。
「あなたは?」
『本編春麗』
『対リュウ戦』
『勝利記録/保存済み』
「そうじゃなくて」
『……』
一度、表示が止まった。
『おめでとうございます』
春麗の表情が緩んだ。
「ふふ。ありがとう」
記録板AIが最後の記録を表示する。
『本編春麗:現実行動区間/完了』
『対リュウ戦:結果/勝利』
『拳の残響:既知記録と整合』
『通常連絡:継続』
『相談案件:なし』
『勝利報告:完了』
春麗は最後まで読んだ。
「……うん」
今日は、本当にそれだけでよかった。
分からないことが何もなかったわけではない。
けれど、今回はここへ逃げ込まずに最後まで進めた。
リュウと連絡し、会い、戦い、勝った。
一緒に食事をして、次のことも本人へ聞いた。
だから今日は、答えをもらう必要がない。
ただ「勝ったわよ」と報告できれば、それでよかった。
自覚前春麗が尋ねる。
「次は夏塩蹴も警戒されるでしょうね」
「でしょうね」
「それでも?」
本編春麗は迷わなかった。
「望むところよ。対策してきたリュウに勝った方が、もっと嬉しいもの」
記録板AIの最後の一行が、白い壁へ静かに残った。
『次戦意思:継続』
Q:今回の断章IFについて解説して?
A:
今回は、三週間ぶりに開いた春麗会議室へ、本編春麗が再戦の結果を持ち帰る回でした。
これまで春麗会議室は、迷った時に相談し、何をすればいいのかを整理する場所でもありました。
しかし今回は三週間、一度も接続できません。
その間に春麗は、リュウと連絡を取り、予定を合わせ、再会し、戦い、食事をし、次に会える日まで自分から聞きました。
つまり、会議室へ戻った時には、もう相談することがほとんど残っていません。
今回の春麗は、答えを求めて帰ってきたのではなく、「ちゃんとやってきた」「そして勝った」と報告するために帰ってきています。
また、リュウに残っていたらしい「拳の残響」も確認されましたが、それによって今回の勝利まで別の可能性から借りたものになるわけではありません。
春麗は実際の試合の中で波動拳と昇龍拳を見て、失敗し、判断を変え、最後に夏塩蹴で勝ちました。
だからこそ今回は、会議室のみんなから素直に「おめでとう」と言ってもらえる回にしています。
相談する春麗から、報告できる春麗へ。
春麗会議室そのものの役割も、少しずつ変わり始めています。