また戦ってくれなんて言わないで ――春麗は今日もめんどくさい――   作:エーアイ

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※これはディレクターズカットIFです。
本編のIFシリーズは無関係のエピソードとなります。
リュウとの因縁が発生しなかった春麗の別ルートです。


ディレクターズカットIF:普通に終われた春麗は、黒ドレスでリュウを揺らして二度目の印をつける

 ディレクターズカットIF:普通に終われた春麗は、黒ドレスでリュウを揺らして二度目の印をつける

 

 記録板AIは、外部検証領域に新しいログを開いた。

 

『本記録はディレクターズカットIFです。本編確定ログではありません』

『対象:第1話普通敗北ルート/三戦目』

『以下、検証ログを開始します』

 


 

 二戦目から数日後。

 

 春麗は自室で一人、鏡の前に立っていた。

 リュウには勝った。

 最後の最後までどちらが倒れるか分からない大接戦だったが、最後に立っていたのは春麗だった。

 そして倒れたリュウの額へ、自分から指を伸ばした。

 

『今日の敗者は、あなたよ』

『敗者の印』

『次に私と戦うまで消さないで』

 

「……本当に何を言ってるのよ、私は」

 

 今になって思い返すと、かなり恥ずかしい。

 汗と土で引いた薄い線など、洗えば簡単に消える。

 そんなものを次の試合まで残せと言ってどうする。

 それでも、リュウは笑わなかった。茶化しもしなかった。

 

『次は返す』

 

 ただ、そう言った。

 その声がまだ残っている。

 鏡の中には、いつもの春麗がいる。

 格闘家の春麗。前回の勝者。

 そして、もう次のリュウを待っている自分。

 

「……次も勝てば、それでいいのよ」

 

 そう思う。

 前回と同じように戦って、また勝てばいい。

 

 なのに、何かが引っかかった。

 初戦では普通に負けた。

 リュウの拳に妙な鈍りは感じなかった。

 一人の格闘家として正面から相手をされて、負けた。

 悔しかったから鍛えた。

 それだけなら、そこで終われた。

 

 二戦目では春麗が勝った。

 今度はリュウが、前回から何を直したのか、どこまで強くなったのかを、試合の中で全部見ていた。

 それが妙に嬉しかった。

 だから春麗自身も、『見ていなさい』なんて言った。

 そして勝った。それなのに。

 

「……まだ足りない?」

 

 自分で口にして、春麗は眉を寄せた。

 

 リュウには、自分を格闘家として見てほしい。

 そこは間違いない。手加減などいらない。

 拳を鈍らせてほしくもない。

 勝負なら、本気で来てほしい。

 自分の拳も、脚も、間合いも、全部見たうえで戦ってほしい。

 

 でも。

 

「……それだけ?」

 

 初戦なら、それで満足だった。

 二戦目で、リュウが特別な相手になってしまってから、少しだけ欲が増えている。

 春麗は衣装棚へ目を向けた。

 

 その中に、一着の黒い戦闘服がある。

 以前なら、わざわざリュウとの試合で選ぶ理由などなかった。

 けれど今日は気になった。

 

 春麗は黒い戦闘服を手に取る。

 

「……試してみるだけよ」

 

 誰に言い訳しているのか、自分でも分からなかった。

 


 

 黒い戦闘服へ袖を通す。

 身体に沿う黒い布に金の装飾。

 胸元には赤い中国結び。

 手首には白い装飾が入り、足元は白と金のブーツ。

 いつもの武道服とは明らかに違った。

 春麗は鏡を見て、髪へ手を伸ばす。

 今日はいつもの形にはまとめず、長い黒髪をそのまま下ろした。

 

「……違うわね」

 

 同じ自分なのに、印象がかなり変わる。

 女性らしい輪郭がいつもより強く出る。

 だからといって、格闘家として鍛えてきた身体が消えるわけではない。

 脚も、腰も、肩も、全部戦うために鍛えたものだ。

 黒い戦闘服は、それを別の形で見せている。

 

「これなら……女として見ることから、逃げにくい」

 

 口にした自分が、一瞬固まった。

 

「……何言ってるのよ」

 

 それでも取り消さなかった。

 同時に、格闘家として見ることからも逃げにくい。

 女性としての春麗と、格闘家としての春麗。

 その二つが同じ姿にある。

 

「……両方?」

 

 春麗は構え、一歩踏み出して蹴った。

 黒い裾が動きより少し遅れて流れる。

 下ろした髪も揺れ、白と金のブーツが蹴りの軌道を拾った。

 

「……ここ」

 

 今度は踏み込みをわずかに遅らせる。

 先に裾を動かし、そこから蹴る。

 もし相手がリュウなら、どこを見るだろう。

 

 足。布。腰。肩。顔。

 次は近距離。

 鏡へ一歩近づき、相手を見るつもりで自分の目を見る。

 一瞬、間を置く。

 その後に掌底。

 

「……使える」

 

 服が勝手に相手を倒してくれるわけではない。

 そんな馬鹿なことは考えていない。

 けれど視線は動かせる。

 視線が動けば判断が動く。

 呼吸も変わる。

 ほんの一瞬、拳が遅れるかもしれない。

 半拍にも満たない時間でも、春麗ならそこへ入れる。

 

「戦術にはなるわね」

 

 今度は声も使う。

 鏡の中の自分へ、

 

「どこを見ているの?」

 

 そう言って、すぐに掌を出した。

 自分でやったのに、春麗自身が一瞬止まる。

 

「……これ、かなり嫌ね」

 

 相手からすれば面倒だ。

 視線を取られ、そのまま攻撃が来る。

 見なければ見ないで、今度は動きを見失う。

 

 春麗は鏡へ半歩近づいた。

 

「私を見て。女としても」

 

 いつもとは違う自分を見据える。

 でも、そこで終わらない。

 

「格闘家としても」

 

 構える。

 

「それでも、止まらないで」

 

 言って、少し笑った。

 

「……無茶を言ってるわね、私」

 

 女として見ろ。

 でも格闘家として戦え。

 拳は止めるな。

 それでも、こちらはその視線すら利用して勝つ。

 服だけではない。

 髪も、姿勢も、視線も、距離も、言葉も、間も、自分で使う。

 黒い戦闘服の春麗を、女性として、格闘家として、同時に相手へ送り込む。

 

「……決まりね」

 

 そこで、別の考えがほんの少しだけ浮かんだ。

 リュウはこれを見たら、どんな顔をするだろう。

 

「……」

 

 一度だけ目を逸らす。

 

「戦術よ。全部、戦術」

 

 そう言い聞かせた春麗の口元は、少しだけ笑っていた。

 


 

 約束した場所には、リュウが先に来ていた。

 

 白い道着。いつもの姿。

 春麗が姿を見せた瞬間、リュウの目がわずかに動いた。

 

 春麗は見逃さない。

 黒い戦闘服。下ろした長い髪。

 いつもとは違う春麗を、リュウは確かに見た。

 

 胸の奥が熱くなる。

 まず一つ。狙い通り。

 春麗は急がず歩いた。

 黒い裾が揺れ、髪が背中で流れる。

 試合は構えた後だけにあるわけではない。

 リュウが自分を見るところから、もう始まっている。

 

「待たせたわね」

 

「来たか」

 

「ええ」

 

 リュウは春麗を見ている。

 少し驚いてはいるが、目は逸らさない。

 そのことに満足してしまった自分へ、春麗は少し腹を立てた。

 

「何よ」

 

「何がだ」

 

「別に」

 

 春麗はリュウの額へ目を向けた。

 前回、自分が触れた場所。

 もう印はない。当然だ。

 

「消えたのね」

 

「何がだ」

 

「敗者の印」

 

「ああ。消えた」

 

「そう」

 

 胸の奥に、ほんの少しだけ残念なものが生まれた。

 それを隠すように春麗は笑う。

 

「なら、またつければいいわ」

 

 リュウの目が細くなる。

 

「勝つつもりか」

 

「当然でしょう? あなたが言ったのよ。次は返すって」

 

「ああ」

 

「なら返しに来なさい。返せるならね」

 

 リュウの気配が変わった。

 

 強い。

 前回より確実に。

 この男も敗北を持ち帰った。

 何をされて負けたのかを考え、鍛えて、今ここへ返しに来ている。

 そのことが嬉しかった。

 

「……いいわね」

 

「何がだ」

 

「こっちの話よ」

 

 春麗は構えを深くする。

 

 今日も勝つ。

 今度は、前回とは違う形で。

 


 

 試合が始まった瞬間、春麗は理解した。

 

 リュウはさらに強くなっている。

 踏み込みが鋭い。

 拳の戻りが速い。

 波動拳を置く位置も嫌らしい。

 前回、春麗が最後に使った半歩の距離まで警戒している。

 

「そこまで見てきたのね」

 

「負けたからな」

 

「……そう」

 

 その一言が胸へ刺さる。

 負けた。だから直した。

 自分と同じだ。

 春麗は踏み込み、蹴りを放つ。

 リュウが受ける。

 黒い裾と長い髪が遅れて流れ、白と金のブーツが視界へ入った。

 リュウの目が一瞬だけ動く。

 春麗はそこへ掌を差し込んだ。

 だが、リュウの受けが間に合う。

 

「……」

 

 少し悔しい。

 見た。確かに見た。

 それでもすぐ戦闘へ戻った。

 黒い戦闘服を見ても、髪を見ても、拳まで止めない。

 リュウは強い。

 

「さすがね」

 

「何がだ」

 

「何でもないわ」

 

 波動拳を横へ外す。

 直後、リュウが詰める。

 

 竜巻旋風脚。

 春麗は低く伏せた。だが、その先まで読まれていた。

 

「っ!」

 

 拳が肩へ入る。

 身体が弾かれ、足を滑らせながらどうにか残る。

 リュウはもう追ってきている。

 

 速い。

 黒い布が揺れ、長い髪が乱れる。呼吸も乱れた。

 黒い戦闘服を着いたから勝てるわけではない。

 

 当然だ。

 リュウが拳で、それを教えてくる。

 苦しいのに、春麗は笑った。

 

「……そうじゃなくちゃ」

 

「何がだ」

 

「こっちの話」

 

 リュウが来る。

 春麗も入る。

 

 拳。蹴り。掌。

 姿勢。裾。髪。視線。距離。間。

 使えるものを全部使う。

 

 リュウの目は動く。

 脚へ、流れる髪へ、黒と金の装飾へ、春麗の顔へ。

 それでも動くたびに戻ってくる。

 格闘家の春麗へ。

 拳を止めない。

 だからこそ、春麗の胸はさらに熱くなった。

 

 腹が立つ。

 悔しい。

 でも面白い。

 もっと見せたい。

 もっと揺らしたい。

 春麗は危険な距離へ踏み込んだ。

 

 拳が届く。

 蹴りは使いにくい。

 それでも、目も呼吸も近い。

 

 リュウをまっすぐ見る。

 

「ねえ」

 

「何だ」

 

「見ている?」

 

「ああ」

 

 即答だった。

 

 心臓が跳ねる。

 

「何を?」

 

 その問いに、リュウの拳がほんの一瞬だけ止まりかけた。

 

 春麗は見た。

 けれど浅い。

 リュウはすぐ戦闘へ戻った。

 

 拳が来る。

 重い。受けた腕が痺れる。

 低い蹴りをリュウが跳び、春麗は着地へ入ろうとする。

 

「波動拳!」

 

 近い。

 避けきれず、腕で受ける。

 衝撃に身体を押される。

 

「くっ……!」

 

 リュウはもう来ていた。

 

 拳が肩へ入り、身体が傾く。

 膝が落ちかける。

 

 まずい。

 このままなら負ける。

 黒い戦闘服も、長い髪も、視線も、距離も、言葉も、間も、全部使った。

 それでもリュウは揺れながら戻ってきて、勝ちに来る。

 春麗は歯を食いしばった。

 

 負けたくない。

 

 格闘家として、それは当然だ。

 けれど今日は、それだけでは足りない。

 女性としての自分も、格闘家としての自分も、両方送り込んだ。

 なら最後まで使い切る。

 崩れかけた姿勢のまま、春麗はふっと笑った。

 

「リュウ」

 

 拳が迫る。

 だが、逃げない。

 

「今、私を見たでしょう?」

 

 リュウの目が、春麗の顔から乱れた長い髪へ動く。

 黒い布、金の装飾、胸元の赤い中国結び。

 呼吸に合わせて動く、女性としての春麗の輪郭。

 けれどそこには、戦うために鍛えた脚も、腰も、肩もある。

 

 女性としての春麗。

 格闘家としての春麗。

 その両方を同時に認識し、しかも自分がそう認識したことにリュウ自身が気づいた瞬間──拳が半拍だけ遅れた。

 

 春麗はそこを待っていた。

 

「もらった!」

 

 足が床を噛む。

 身体を沈め、リュウの拳の下へ入る。黒い裾が遅れて視界を切る。

 

「はあっ!」

 

 発勁。

 掌が胸元へ入った。

 

「っ……!」

 

 近すぎて十分な威力は乗らない。

 それでも、タイミングは完璧だった。

 

 リュウの重心が浮く。

 春麗は横へ回り、脚を絡めて崩す。

 リュウはまだ踏ん張る。

 その足を見て、春麗は笑いそうになった。

 

 やっぱり折れない。

 だから──好き。

 

「……!」

 

 自分で浮かべた言葉に、春麗自身が驚いた。

 

 違う。

 今のは違う。

 そんなことを考えている場合ではない。

 肩を入れ、最後の力で押し込む。

 

 リュウの重心が崩れ、白い道着が傾いた。

 黒い裾と長い髪が最後に視界を横切り、そのまま背が地面を打つ。

 

 春麗は自分まで倒れ込む寸前で片膝をついた。

 荒い息が漏れる。

 全身が痛い。腕も震えている。

 

 本当に負けかけていた。

 黒い戦闘服だけでは勝てなかった。

 女性として見せただけでも勝てなかった。

 自分の拳と脚がなければ、絶対に届かなかった。

 それでも最後の半拍、リュウは確かに揺れた。

 その半拍を、春麗が勝利へ変えた。

 

「……勝った」

 

 掠れた声が出る。

 少しずつ笑みが広がった。

 また、リュウに勝った。

 今日はリュウを揺らして、その一瞬まで使って勝った。

 


 

 リュウは仰向けのまま呼吸を整えていた。

 春麗もまだ立てない。

 それでも、勝者は自分だ。

 春麗はゆっくり近づき、リュウの横へ膝をついた。

 長い髪が肩から前へ流れる。

 リュウが春麗を見上げる。

 その目は、やはり折れていない。

 

「春麗」

 

「何?」

 

「強かった」

 

 前回以上に胸へ入った。

 けれど今日は、それだけでは終わらせたくない。

 春麗は勝者の笑みを作り、ほんの少しだけ身体を近づけた。

 

「リュウ。あなた、今、私を女として見て揺れたでしょう?」

 

 リュウは黙る。

 春麗は笑みを深くした。

 

「修行が足りないわね」

 

 口にした瞬間、身体の痛みとは違う熱が走った。

 勝ったことを煽っている。

 でも、それだけではない。

 リュウが自分を女性として意識したことを、春麗は喜んでいる。

 格闘家として勝った。

 そのうえで、女性としての自分でもほんの半拍を奪った。

 怖いくらい嬉しかった。

 リュウは目を逸らさない。

 

「揺れた」

 

 春麗の呼吸が止まる。

 

「……え?」

 

「今のは、揺れた」

 

 否定しない。

 言い訳もしない。

 さらに。

 

「だが、それも春麗の技だ」

 

 今度こそ、春麗は本当に言葉を失った。

 

「……それも?」

 

「ああ」

 

「私の?」

 

「ああ」

 

 勝ったのは春麗だ。

 煽っていたのも春麗だ。

 なのに、倒れているリュウから言葉で撃ち抜かれた。

 一瞬だけ視線を逸らしかけ、すぐに戻す。

 

 逃げたくない。

 今は勝者なのだから。

 

「……そうよ」

 

 少し強く笑う。

 

「私の技よ」

 

「ああ」

 

「だから、あなたは負けたの」

 

「ああ」

 

 また素直に認める。

 本当に腹が立つ男だ。

 春麗の右手が動いた。

 前回、指先で印をつけたリュウの額。もう跡はない。

 けれど今日は、また勝った。

 なら、またつけたい。

 

 一度目とは違う。

 前回は、折れないリュウを見て、この勝利を残したくて、衝動で触れた。

 今日は、自分が何をしようとしているのか分かっている。

 それでも春麗は指を伸ばした。

 リュウは避けない。

 

「二度目ね」

 

 指先が額へ触れる。

 

「今日の敗者も、あなたよ」

 

 前回より少しゆっくり、汗の上へ薄く線を引く。

 二度目の敗者の印。

 今日、春麗が勝った印。

 そしてリュウが女性としての春麗を見て、揺れたと認めた日の印。

 

「消さないで」

 

 声が少しだけ甘くなりかけた。

 春麗はすぐ勝者の調子へ戻す。

 

「次に私と戦うまで」

 

 リュウは春麗の指を拒まず、まっすぐ見たまま言った。

 

「次は、揺れない」

 

 心臓が大きく跳ねた。

 今日も勝ったのに、もう次が始まっている。

 

「無理よ」

 

 春麗は笑う。

 

「何がだ」

 

「あなたはもう、私を見たもの」

 

 少しだけ間を置く。

 

「格闘家としてだけじゃなく、女としても」

 

 リュウはその春麗を見ていた。

 

 目を逸らさない。逃げない。

 揺れた。

 でも折れなかった。

 なら、もっと揺らしてみたい。

 それでも、もっと勝ちたい。

 もっと自分を残したい。

 そこで春麗は初めて気づいた。

 沼というものは、負けた時だけにあるのではないらしい。

 勝った時にもある。

 しかも今度のそれは、ひどく甘かった。

 


 

 その夜。

 黒い戦闘服を脱いだ春麗は、しばらく鏡の前に座っていた。

 黒い布も、金の装飾も、赤い中国結びも、白と金のブーツも、もう外してある。

 長い髪だけが自然に背中へ落ちている。

 それでも、試合の感覚は残っていた。

 

 黒い裾が流れた瞬間。

 髪が動いた瞬間。

 白と金のブーツで踏み込んだ感覚。

 リュウの目が動いた瞬間。

 距離を詰めた時の呼吸。

 

『私を見たでしょう?』

 

 そして、拳が半拍遅れた。

 

『揺れた』

『だが、それも春麗の技だ』

 

「……何なのよ」

 

 春麗は口元を押さえた。

 

 嬉しい。

 そこはもう否定できない。

 格闘家として、自分の拳と脚で勝った。

 そのうえで、女性として見られる自分まで勝負へ入れた。

 そしてリュウは、それを春麗の技だと認めた。

 

「それも、私の技……」

 

 胸が熱くなる。

 

 危ない。

 これはかなり危ない。

 最初は、ただ格闘家として勝ちたかった。

 

 勝った。

 次に、勝利をリュウへ残したくなって、敗者の印をつけた。

 それでも足りなくなった。

 今度は格闘家としてだけではなく、女性としての自分も見せたくなった。

 黒い戦闘服を選び、髪を下ろし、姿勢も、視線も、距離も、言葉も、間も使った。

 リュウは本当に揺れた。

 その半拍で春麗は勝った。

 しかも本人が、『それも春麗の技だ』と認めた。

 

「……修行が足りないのは、私の方かもしれないわね」

 

 鏡の中の自分へ言って、すぐ首を振る。

 

「違う」

 

 今日は勝った。

 そこだけは絶対に譲らない。

 二度目の敗者の印までつけた。

 リュウは、『次は、揺れない』と言った。

 

「……ふふ」

 

 春麗は笑った。

 

 なら試してみたい。

 本当に次は揺れないのか。

 今日よりもっと自分を見せたら。

 女性としても、格闘家としても、同時に全部見せたら。

 それでも拳を止めないのか。

 そして、それでも自分は勝てるのか。

 

「……また次のこと考えてる」

 

 額へ手を当てる。

 前回は、敗者の印をつけてしまった自分に戸惑って眠れなかった。

 

 今夜は違う。

 指先には、リュウの額へ触れた感覚が残っている。

 それ以上に、拳が遅れた半拍も、揺れたと認めた声も、それを春麗の技だと言った言葉も、全部残っている。

 

「……まずいわね」

 

 本当にまずい。

 でも、嫌ではない。

 むしろ今日の眠れなさは、前回よりずっと甘かった。

 


 

 記録板AIは観測を終えたログを保存した。

 

『検証ログ終了』

 

『本ルートの黒い戦闘服は二戦目の勝利によって特別になったリュウへ、格闘家としても女性としても見られたい。』

『そのうえで本気で戦われ、なお勝ちたいという欲求から選ばれています』

 

『保存完了』




Q:今回のディレクターズカットIFについて解説して?

A:

今回は、第1話で普通に敗北し、そのまま終わることもできた春麗が、再戦で勝ったことをきっかけに「終われなくなる」ルートです。

この春麗に黒い戦闘服は一度リュウに勝ち、もっと自分を見てほしいという欲が生まれた結果、自分から黒を選びました。

しかも、この時点では後に整理されるような戦術体系を知りません。
衣装だけでなく、髪、姿勢、視線、距離、言葉、間まで使えば、相手の判断をほんの一瞬ずらせる。その可能性へ春麗自身が気づいていきます。

春麗が求めているものも少々面倒です。
女として見てほしい。でも、それを理由に拳は止めてほしくない。
格闘家として本気で戦ってほしい。
そのうえで、こちらは「女として見られたこと」さえ利用して勝ちたい。

そして実際、リュウは揺れました。
ただし崩れず、最後まで勝ちに来る。
その半拍だけを春麗が拾って勝つ形にしたのは、このルートらしい決着だったと思います。

特に書きたかったのは、リュウの「それも春麗の技だ」という認識です。
黒い服そのものではなく、どう見せ、どう使ったかまで含めて春麗の技だと認められたことで、彼女にとって黒は一気に危険なくらい魅力的なものになります。

一度目の敗者の印は衝動でした。二度目は自覚的です。
最初の負けて沼へ落ちたのではなく、次に勝ったからこそもっと欲しくなった。
今回の春麗にとって一番厄介なのは、たぶんそこです。

少しだけお知らせです。
オリジナル作品『RESONANCE ARENA』の投稿を始めました。
オンライン対戦格闘ゲームを舞台に、PLAYERとゲーム内の格闘家たちを描く物語です。
本作とはまた違った形になりますが、格闘や対戦を中心にした作品になっていますので、興味がありましたら読んでいただけると嬉しいです。
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