また戦ってくれなんて言わないで ――春麗は今日もめんどくさい―― 作:エーアイ
本編のIFシリーズは無関係のエピソードとなります。
リュウとの因縁が発生しなかった春麗の別ルートです。
記録板AIは、外部検証領域に新しいログを表示した。
『ディレクターズカットIF』
『対象:第1話普通敗北ルート/通算四戦目』
『検証開始』
リュウが姿を見せたのは、夕方だった。
稽古を終えた春麗が首筋の汗を拭いていると、入口に白い道着が見える。
「リュウ」
「お前に勝つために来た。今度は揺れない」
赤い鉢巻。いつもの道着。
そして、前回負けた直後と変わらない目。
『次は、揺れない』
前回そう言った男が、本当にまた春麗の前へ現れた。
しかも今日は、最初から勝つために来たと言い切った。
そのことだけで機嫌が良くなりそうになり、春麗は意識して表情を整える。
「ずいぶん自信があるのね」
「そのために修行してきた」
「……そう」
その返事が嬉しい。
前回の敗北を持ち帰り、自分に勝つために修行して、またここまで来た。
そう思うと、どうしても口元が緩みそうになる。
春麗はそれを隠すように、使ったタオルをきちんと畳んだ。
「でも、今日は無理ね」
「無理なのか」
「ええ。この前と同じ条件で戦うつもりなんでしょう?」
「そのつもりだ」
「だったら、いきなり来られても困るのよ」
リュウがわずかに首を傾げる。
「なぜだ」
本気で分かっていないらしい。
春麗は呆れながらも、少し笑った。
「まさか私が、あの黒い戦闘服に着替えればそれで終わりだと思ってる?」
「違うのか」
「違うわよ」
一度使ったからこそ分かった。
黒い戦闘服そのものが、勝手にリュウの拳を遅らせたわけではない。
どう見せるか。
どの距離で視線を合わせるか。
長い髪をどの瞬間に動かすか。
何を言い、どこで間を置くか。
前回は実戦の中で手探りした。
今度は、最初から考えられる。
「準備がいるのよ」
「準備?」
「髪も、目元も、最初にあなたの前へ出る時の見せ方も」
春麗はわずかに顎を上げた。
「試合が始まる前から、もう勝負なの」
リュウは笑わなかった。
茶化しもしない。
ただ春麗の言葉を、そのまま聞いている。
その真面目さがまた困る。
「……明後日」
春麗は言った。
「日没後。東の古い稽古場」
「分かった」
「そこで待っていなさい。遅れないで」
「ああ」
あっさり決まった。
それだけのはずなのに、春麗は少し物足りなくなって一歩近づく。
リュウの額を見る。
前回、二度目の敗者の印をつけた場所には、当然もう何も残っていない。
「それから」
「何だ」
「次も、私から目を逸らさないで」
リュウは迷わなかった。
「そのつもりだ」
胸が跳ねた。
前回、リュウは春麗を見て、揺れて、それでも最後まで戦った。
その本人が、次も目を逸らさないと言う。
「いい返事ね」
春麗は笑った。
「じゃあ、明後日」
「ああ」
リュウはそのまま帰っていった。
春麗はしばらく背中を見送る。
自分が日時を決めた。
場所も決めた。
準備をして、自分が指定した場所でリュウを待たせる。
「……」
一瞬だけ。
デートの約束みたいだと思った。
顔が熱くなる。
「違うわよ」
誰もいないのに否定する。
「試合。これは試合なんだから」
それでも胸の奥は、かなり機嫌が良かった。
当日。
春麗は早い時間から鏡の前にいた。
黒い戦闘服を用意する。
黒い布に金の装飾。胸元の赤い中国結び。白い手首装飾と、白と金のブーツ。
一度、実戦で使った。
だから今日は、見る場所が違う。
どう見えるか、ではなく、どう見せるか。
春麗は袖を通し、長い黒髪を下ろした。
身体を少し動かす。
髪が肩から遅れて流れる。
「……ここは前と同じでいいわね」
次は目元。
いつもより少し強く整える。
ただし、女性らしく見せるだけでは意味がない。
鏡の中にいるのは、鍛えた脚と腰と肩を持つ格闘家でもある。
その上へ、女性としての春麗を重ねる。
初戦では、そんなことを考えもしなかった。
リュウは春麗を一人の格闘家として扱い、普通に戦って、普通に勝った。
少なくとも春麗には、女性として意識している様子など見えなかった。
その時は、それでよかった。
リュウはただの強敵だったからだ。
でも今は違う。
二戦目で勝った。
倒れたリュウが折れなかった。
敗者の印をつけた。
次も戦うと決めた。
その瞬間から、リュウはただの強敵ではなくなった。
だから今になって、初戦では気にならなかった空白が引っかかる。
「格闘家としては、ちゃんと見たくせに」
春麗は鏡の中の自分を見る。
「女としての私は、何も残らなかったのよね」
少し悔しい。
なら今度は、自分から見せる。
「私を見て」
構える。
「女としても」
拳を前へ出す。
「格闘家としても」
そして。
「見たまま、止まらないで」
それが今の春麗がリュウへ要求していることだった。
女として見るな、ではない。
見ろ。
でも、そのせいで拳を鈍らせるな。
それでも春麗は、その視線さえ利用して勝つ。
「……かなり無茶を言ってるわね、私」
自分で笑う。
でもリュウも、
『次は、揺れない』
と言った。
なら試してみればいい。
春麗は髪の流れ、足の置き方、肩の角度、歩く速さを一つずつ確認した。
前回は、戦いながら使い方を見つけた。
今日は違う。
リュウの前へ立つ時には、もう勝負を始めている。
「行くわよ」
鏡の中の自分へ告げる。
「今度は、前よりちゃんと見せてあげる」
日没後。
東の古い稽古場には、もうリュウがいた。
約束より少し早い。
「……本当に早いんだから」
春麗は入口で足を止めた。
すぐには入らない。
リュウがこちらへ気づくまで待つ。
顔が向いた。
そこで歩き始める。
黒い布が揺れる。
金の装飾が光を拾う。
白と金のブーツ。
背中へ下ろした長い髪。
リュウの視線が動いた。
顔、髪、黒い戦闘服、脚。
そして、もう一度顔へ戻る。
春麗は全部見ていた。
前回より戻りが速い。
でも、見た。
「待たせた?」
「いや」
春麗は正面まで歩き、前回より少しだけ近い位置で止まる。
「どう?」
リュウは春麗を見た。
「似合っている」
胸が跳ねる。
だが、顔には出さない。
「それだけ?」
「強そうだ」
「それは当然でしょう。他には?」
ほんの短い沈黙。
春麗には、それだけで十分だった。
「今度は揺れないんじゃなかったの?」
「まだ戦っていない」
「あら」
春麗は少しだけ近づいた。
「その返しは嫌いじゃないわ」
リュウは目を逸らさない。
それが嬉しい。
「初戦の時とは、ずいぶん違うわね」
「そうか」
「ええ。あの時は、本当に何もなかったもの」
リュウを見る。
「普通に私を見て、普通に戦って、普通に勝った」
「ああ」
「今日は違うでしょう?」
春麗は長い髪を肩から払う。
「もう見てるもの」
リュウの呼吸が、ほんのわずかに変わった。
春麗はそれを見つけて笑う。
「隠せてないわよ」
リュウは静かに構えた。
「始めるか」
「話を切った?」
「今度は揺れないことを証明するために、俺は戦いに来た」
「そう」
春麗も構える。
「だったら、女としての私を意識したまま、本気で戦いなさい」
リュウと目を合わせる。
「次は揺れないって言ったんだから」
リュウの構えが深くなった。
「そのつもりだ」
試合が始まった。
試合が始まった。
前回とは明らかに違った。
リュウは最初から備えている。
黒い裾が動いても、長い髪が流れても、春麗が距離を詰めても、リュウの視線はそこへ引かれたままにならない。
すぐに春麗の腰や肩へ戻り、次の攻撃がどこから来るのかを見ている。
「……前より、目が戻るのが早いじゃない」
「次は揺れないと言ったからな」
「そう。ちゃんと修行してきたのね」
春麗の口元がわずかに上がる。
その直後だった。
「波動拳!」
「っ――!」
気弾が正面から春麗を捉えた。
避けようと動いた時には遅い。
まともに受けた衝撃に身体が押し飛ばされ、春麗は数歩たたらを踏んだ。
重い。
いきなり身体の奥まで響いた。
(そうよね)
黒い戦闘服を着いたからといって、リュウの攻撃が全部鈍るわけではない。
揺れなければ。
迷わなければ。
この男の拳も波動拳も、普通に痛い。
リュウが再び両手を引く。
もう一発。
だが今度は、春麗には見えた。
ほんのわずか。
構えから波動拳へ移る動きが遅い。
(今!)
春麗は気弾が生まれるより先に踏み込んだ。
「はあっ!」
開脚突拳。
伸ばした拳がリュウの胸元を捉える。
「っ……!」
リュウが後ろへ下がる。
春麗は追った。
通常の打撃一発では軽い。
ならば、ここは止めない。
「百裂脚!」
連続した蹴りがリュウの身体へ叩き込まれる。
一発。
二発。
さらに続く。
リュウが守りを固めるより先に蹴りが重なり、最後の一撃で大きく押し戻した。
手応えがある。
ここまでなら、春麗が明確に押している。
さらに詰める。
だがリュウは、打撃で迎え撃たなかった。
「!」
伸びてきた腕を取られる。
腰が浮いた。
巴投げ。
春麗の身体が宙を回り、そのまま地面へ落とされる。
「くっ……!」
背中へ衝撃が走った。
同時に、位置が入れ替わる。
また距離が開いた。
春麗が起き上がると、リュウはすでに前へ戻ってくる。
なら。
春麗も一歩出た。
投げへ入るように見せる。
リュウの腕がわずかに動いた。
投げを警戒した。
そこへ。
「はっ!」
発勁。
至近距離から放った掌が、リュウの身体へ入る。
重い手応え。
だが、いつもの武道服で打つ時ほど深くはない。
それでも止めない。
春麗はさらに前へ――
「昇龍拳!」
「っ……!」
下から拳が突き上がった。
まともに食らう。
身体が浮き、春麗は地面へ叩き落とされた。
一瞬、息ができなくなる。
わずかに勢いが鈍ったようにも感じた。
それでも十分すぎるほど重い。
さっきまで春麗が押していた試合が、一撃で戻された。
春麗は身体を起こす。
リュウは距離を取った。
「波動拳!」
今度は跳ばない。
腕を固めて受ける。
気弾が守りの上で弾け、削られた衝撃に足が地面を滑った。
苦しい。
それでも、まだ立てる。
リュウが地上から入れないと判断したのか、前へ跳んだ。
春麗はその軌道を見る。
(そこ!)
ほぼ真上へ跳ぶ。
「はあっ!」
夏塩蹴。
高く振り上げた脚が、空中から入ってきたリュウを捉える。
威力そのものは軽い。
それでも空中進入を止めるには十分だった。
リュウが弾かれ、着地する。
春麗も地面へ戻った。
その瞬間。
「竜巻旋風脚!」
今度は地上から来た。
「っ!」
回転する蹴りが身体へ入る。
春麗は横へ弾かれた。
足を滑らせながら、どうにか倒れずに残る。
苦しい。
明らかに危険なところまで削られている。
それでもリュウは止まらない。
さらに前へ来る。
春麗は一度腰を落とした。
しゃがむ。
ほんの短い溜め。
リュウが間合いへ入った。
(来た!)
「はああっ!」
春麗の身体が反転する。
強スピニングバードキック。
逆さになった身体から放たれた連続蹴りが、前へ出てきたリュウをまともに捉えた。
「っ……!」
一撃目。
続けて二撃。
最後まで入る。
リュウの身体が大きく吹き飛び、地面へ落ちた。
春麗も着地する。
今度は大きい。
さっきまでの不利を、一気に押し戻した。
「……まだ終わらないわよ」
だが、リュウもすぐに起き上がる。
春麗は無理に重ねない。
ここで焦って詰めれば、また昇龍拳が来る。
先に動いたのはリュウだった。
低い回転足払いが放たれる。
「くっ!」
春麗は足を払われる。
春麗は体勢を崩しながらも、どうにか立て直した。
もう大きな攻撃を一発もらえば危ない。
リュウもかなり削れている。
春麗は大技を振らなかった。
遠い間合いから上段蹴を放つ。
足先がリュウを捉える。
入った。
だが浅い。
(軽い……)
黒い戦闘服で戦う時の打撃は、一泊をとるため、いつもの武道服より明らかに軽い。
リュウはほとんど止まらない。
上段蹴りの戻りへ、そのまま前進してくる。
春麗は小さく手を出した。
平掌打がリュウ頬に打つ。
わずかに身体を止めただけだった。
(まだ倒れない)
リュウはまだ立っている。
対して春麗には、もう一度まともに攻撃を受ける余裕がなかった。
リュウが大きく踏み込み、鋭い回し蹴りを放つ。
「――っ!」
蹴りが春麗を捉えた。
大きくよろめき、視界が一瞬揺れる。
それでも脚へ力を入れ、どうにか踏みとどまった。
もう、本当にあと一撃だ。
拳でも、投げでも、波動拳でもいい。
次にまともな攻撃を受ければ、今度こそ立ってはいられない。
それはリュウにも分かっている。
春麗を仕留めるために前へ出てくる。
春麗も逃げなかった。
ここで距離を取れば、今度は波動拳が待っている。
なら、正面から見る。
リュウの肩、腕、重心。
そのすべてを見ながら、次に何が来るのかを読む。
リュウの拳が動いた。
まず短い拳を当て、そこからさらに攻めるつもりだ。
その拳が出る――はずだった。
春麗の目が細くなる。
わずかに遅い。
ほんの一瞬だった。
普段なら気にも留めないほど小さな遅れ。
それでも今の春麗には、その一瞬がはっきりと見えた。
試合前から組み立ててきたものが、最後の最後でもう一度だけリュウの動きを鈍らせた。
(ここ!)
春麗は踏み込んだ。
拳ではない。
ここまで何度も打撃を当ててきた。
それでもリュウは立っている。
なら、最後は別の形で取る。
リュウの拳が届くより先に懐へ潜り込み、腕を取る。
腰を入れ、そのまま重心を崩した。
「はあっ!」
虎襲倒。
リュウの身体が大きく浮き、そのまま地面へ叩きつけられた。
「っ――!」
重い音が稽古場へ響く。
春麗も投げ終えた勢いのまま数歩よろめき、片膝をついた。
呼吸が苦しい。脚にもほとんど力が残っていない。
それでも顔を上げる。
リュウは起き上がらなかった。
春麗は荒い呼吸のまま、その姿を見つめる。
最後に生まれたのは、本当にわずかな隙だった。
黒い戦闘服を着れば勝てるわけではない。
視線や距離や間を組み立てただけでも足りない。
ここまでリュウと打ち合い、蹴り合い、何度も判断を重ねたからこそ、最後の一瞬を勝利へつなげられた。
そして、その一瞬に春麗が選んだのが虎襲倒だった。
「……勝った」
声が掠れる。
本当にぎりぎりだった。
あと一度触れられていれば、倒れていたのは春麗だっただろう。
それでも最後に残ったのは自分だ。
いつもの姿で一勝。
初めて黒い戦闘服を使って、もう一勝。
そして今回は、試合前の準備から見られ方を組み立て、前回の敗北から対策してきたリュウを、その対策の上からもう一度破った。
春麗の口元に、ゆっくりと笑みが広がる。
「……私の三連勝ね」
呼吸が少し落ち着いてから、春麗はリュウのそばまで歩いた。
足元はまだ危ない。
それでも勝者として、自分で近づく。
リュウの前で膝をついた。
額を見る。
ここには二度、春麗が敗者の印をつけている。
今日も春麗の勝ちだった。
「三度目ね」
指を伸ばす。
リュウは避けない。
「今日の敗者も、あなたよ」
汗と土の残る額を指先でなぞる。
薄い線。
三度目の敗者の印。
「前より修行してきたみたいだけど」
春麗は少し意地悪く笑った。
「結局、今日も私を見たでしょう?」
「見た」
迷いのない返事だった。
「前回より、目を戻すのは速かったわ」
「そこは意識していた」
「それでも少しは揺れた」
リュウは否定しなかった。
「完全には消せなかったな」
春麗の胸がまた熱くなる。
「女としても見た?」
「ああ。だがそのうえで戦った」
今度は春麗が一瞬黙った。
「……それでも拳は止めなかったのね」
「お前を一人の格闘家として見ている。止める理由はなかった」
春麗は笑みを深くした。
「それで私に負けたのね」
「今日は春麗の勝ちだ」
逃げない。言い訳もしない。
見たことも、揺れたことも、そのうえで負けたことも、リュウはそのまま認めている。春麗が今欲しかった答えを、全部正面から返してくる。
腹が立つくらい嬉しい。
「そう。分かってるならいいわ」
「ただ」
「何?」
リュウは春麗から目を逸らさなかった。
「女として見たのは、今日が初めてじゃない」
春麗の笑みが止まった。
「……何ですって?」
「最初に戦った時も、春麗を魅力的だと思った」
「待って」
今度は春麗の方が、リュウの顔を見つめる。
「でも、あの時のあなたは……私を女として見てるようには見えなかったわよ」
「見ないようにしていた」
「……どうして?」
「それで拳を鈍らせたくなかった」
春麗は言葉を失った。
「春麗とは、格闘家として戦いたかった。だから試合では、そちらへ意識を戻した」
「……ちょっと待って」
勝ったのは自分だ。三度目の敗者の印まで、今リュウの額についている。
なのに、どうして自分の方がこんなに動揺させられているのか。
「じゃあ……最初から、私を魅力的だとは思ってたの?」
「思っていた」
即答だった。
「……そう」
春麗は何とか勝者の顔を取り戻す。
「でも今日は、あなたが私を女として見て、少し揺れて、それでも本気で戦ったうえで私に負けた。それは変わらないわよね」
「変わらない」
春麗は指先で敗者の印を軽く押した。
「ならいいわ。今日の勝者は私なんだから」
「修行は進んだみたいね」
「まだ足りない」
「あら」
リュウが春麗を見る。
「次は、お前をもっと見ても揺れないようにする」
心臓が大きく跳ねた。
今日も勝ったのに、もう次が始まっている。
「無理よ」
春麗は笑った。
「どうしてだ」
「あなたはもう、私を見るようになったもの」
指先で敗者の印を軽くなぞる。
「格闘家としてだけじゃなく、女としても」
リュウは目を逸らさない。
今日も見た。少し揺れた。それでも最後まで拳を止めなかった。
なら次は、もっと揺らしてみたい。
それでも、もっと勝ちたい。
「その印、消さないで」
「次に戦うまでか」
「当然でしょう」
春麗は立ち上がろうとして、少しふらついた。
リュウが手を伸ばしかける。
「駄目よ」
春麗が睨むと、その手が止まった。
「今日の敗者は、あなたなんだから」
「…分かった」
春麗は意地で立ち上がる。
「だから、次も来なさい」
「次は勝ちに来る」
即答だった。
また胸に刺さる。
春麗はそれをごまかすように背を向けた。
「待ってるわ」
自室へ戻ったあとも、春麗はすぐには黒い戦闘服を脱がなかった。
鏡の前へ立つ。
髪は乱れている。
目元も少し崩れた。
身体も痛い。
それでも鏡にいるのは勝者だった。
三連勝。今回は、前回より黒へ備えてきたリュウを、それでも揺らして勝った。
春麗は鏡台へ手をつく。
『見る』
『次は、もっと見ても揺れない』
「……何なのよ」
嬉しい。
そこはもう否定できない。
初戦では、リュウに女として何かを残すことなど考えもしなかった。
春麗から見れば、リュウは自分を一人の格闘家として扱い、普通に戦って、普通に勝っただけだった。あの日はそれで終われた。
その事実は変わらない。
ただ、今日になって知らなかったことが一つ増えた。
『最初に戦った時も、春麗を魅力的だと思った』
「……本当に何なのよ」
何も感じていなかったわけではない。魅力的だと思ったうえで、それを勝負から切り離し、拳を鈍らせずに戦っていた。
そんなリュウを相手に、自分は今、黒い戦闘服まで使って「もっと見ろ」と迫っている。
でも二戦目で、リュウが特別になった。
そこで初めて、「格闘家としてだけ見られるのでは足りない」と思った。
黒い戦闘服を選んだ。
髪を下ろした。
見られ方まで勝負に入れた。
そして三戦目で、本当にリュウを揺らした。
今回は、それを偶然ではなく準備から組み立てた。
リュウも対策してきた。
それでも、完全には消せなかった。
春麗は勝った。
「……かなりまずいわね」
黒い戦闘服だから勝てたわけではない。
拳も脚も必要だった。
間合いも判断も必要だった。
でも、黒でなければ得られなかったリュウの反応がある。
しかも前回リュウは、『それも春麗の技だ』と認めた。
そして今回は、もっと見ても揺れないと言った。
「……また次のこと考えてる」
春麗は額へ手を当てた。
勝つ。
見せる。
揺らす。
対策される。
その上から、また勝つ。
いつの間にか、それを繰り返すこと自体が楽しみになっている。
「私……」
鏡の中の黒い自分を見る。
「かなりハマってるわね」
恋だとか、好きだとか。
そこまで整理するつもりはない。
ただ、リュウがもう普通の強敵ではないことだけは認めざるを得なかった。
「……最悪」
そう言いながら、少し笑ってしまう。
『次は、もっと見ても揺れない』なら。
「もっと揺らしてみればいいのよね」
春麗は自分で言ってから、目を閉じた。
「本当に、終われないじゃない」
それでも口元には、どうしても笑みが残っていた。
記録板AIは観測を終えたログを保存した。
『検証ログ終了』
『第1話普通敗北ルート/四戦目』
『初戦時リュウ認識:今回開示』
『春麗への魅力認識を、格闘判断から切り離していた』
『以上、保存完了』
Q:今回のディレクターズカットIFについて解説して?
A:
今回は、黒い戦闘服を一度成功させた春麗が、その使い方を試合中の即興から「試合前の準備」へ広げていく回です。
前回は衣装、髪、視線、距離、言葉、間を実戦の中で手探りしました。今回は日時や場所まで自分で決め、「どう見えるか」ではなく「どう見せるか」から勝負を始めています。
一方のリュウも、前回揺らされて負けたままではありません。春麗を見ること自体から逃げず、そこから格闘へ意識を戻す修行をしてきました。
そのため今回は、黒が簡単に通る試合ではありません。
春麗も最後まで追い込まれ、それでもほんのわずかな遅れを拾って虎襲倒へつなぎ、三連勝を取っています。
そして試合後。
春麗は勝者として「今日も私を女として見たでしょう」と確認しますが、そこで予想外の答えが返ってきます。
リュウは初戦から春麗を魅力的だと思っていた。
ただし、拳を鈍らせたくなかったから、試合では女性としての意識を切り離し、一人の格闘家として戦った。
この開示があっても、「初戦では何も始まらなかった」という事実は変わりません。
春麗は普通に負け、普通に帰った。リュウもその感情を二人の関係へ持ち込まなかった。
因縁が始まったのは、あくまで二戦目からです。
ただ、三連勝した春麗にとっては、勝利とは別方向からかなり強烈な一撃になりました。
黒で勝つほど、リュウとの因縁が深くなる。
今回もまた、勝った春麗の方が少しずつ逃げられなくなっています。
少しだけお知らせです。
オリジナル作品『RESONANCE ARENA』の投稿を始めました。
オンライン対戦格闘ゲームを舞台に、PLAYERとゲーム内の格闘家たちを描く物語です。
本作とはまた違った形になりますが、格闘や対戦を中心にした作品になっていますので、興味がありましたら読んでいただけると嬉しいです。