また戦ってくれなんて言わないで ――春麗は今日もめんどくさい―― 作:エーアイ
本編のIFシリーズは無関係のエピソードとなります。
リュウとの因縁が発生しなかった春麗の別ルートです。
記録板AIは、外部検証領域に新しいログを表示した。
『ディレクターズカットIF』
『対象:第1話普通敗北ルート/通算六戦目』
『検証開始』
リュウが姿を見せたのは、昼を少し過ぎた頃だった。
稽古場の端で身体をほぐしていた春麗は、足音に気づいて振り返る。
「来たのね」
「ああ。戦いに来た」
「でしょうね」
白い道着に赤い鉢巻。
いつもの姿だ。
リュウの視線が、今日の春麗を一度確認する。
青い武道服。
まとめた髪。
それから顔へ戻った。
「今日は、そのまま戦うのか」
「そのまま?」
「それとも、あの黒い戦闘服でやるのか」
春麗は目を細めた。
「覚えてたのね」
「あの姿で戦う時は、準備がいるんだろう」
黒い戦闘服は、着替えればそれで終わりではない。
髪も、目元も、場所も時間も、最初にどう見せるかまで勝負に入れる。
前に説明したことを、リュウは覚えていた。
「そう。ちゃんと学習したじゃない」
「忘れていない」
何でもないことのように返される。
その一言が妙に胸へ入ってきて、春麗は少しだけ視線を外した。
「今回は黒でやるわ。だから今日は戦わないわ」
「いつだ」
「三日後。日没後。東の古い稽古場」
リュウは頷いた。
「分かった」
「約束より少し早く来て待ってなさい」
「それも準備か?」
「あら。そこまで分かるようになったの?」
「春麗が前に言っていた」
春麗は口元を緩める。
「ええ。あなたが私を待っている時間から、もう勝負は始まってるの」
「分かった」
「……本当に真面目ね」
「駄目なのか」
「駄目じゃないわよ」
むしろ困るくらいだ。
三日後の日時と場所を決めただけなのに、ひどく気分がいい。
黒い戦闘服で戦うための再戦予約。ただそれだけのはずなのに。
「じゃあ、三日後ね」
「今度は返す」
リュウはそれだけ言って帰っていった。
春麗はしばらく背中を見送ってから、自分の口元が緩んでいることに気づいた。
「……次の試合が決まっただけで、何をそんなに喜んでるのよ」
自分自身へ呆れながら、春麗は額へ手を当てた。
少し前には、何も始まらなかった自分へ戻る権利まで渡された。
それでも春麗は、リュウとの因縁が続く今の自分を選んだ。
そして今はもう、次の試合を楽しみにしている。
「本当に面倒ね、私」
だが、その言葉は思ったほど嫌ではなかった。
三日後。
春麗は鏡の前で、黒い戦闘服の最後の確認をしていた。
黒い布に金の装飾。
胸元の赤い中国結び。白い手首装飾と、白と金のブーツ。
髪はまとめず、長いまま背中へ流す。
ただ着飾るためではない。
格闘家として鍛えてきた身体を残したまま、女性としての自分も相手の視界から外させない。
髪がどう動くか。
どこで視線を合わせるか。
どの距離まで近づくか。
何を言い、どこで間を取るか。
もう一度一から考える必要はなかった。
何度か使い、何がリュウへ通り、どこまで対策されるのかも知っている。
だからこそ今日は、以前より自然に使える。
「今日勝てば、五連勝……」
初戦には負けた。
だが、それ以降は四戦四勝。
青でも勝った。
黒でも勝った。
女性として見られても、格闘家として見られても勝った。
今日も勝てば、初戦のあとから五連勝になる。
「いいわね」
かなり気分がいい。
春麗は鏡の中の自分へ笑いかけた。
「今日もリュウに勝ったら、五つ目の敗者の印ね」
口にすると、さらに気分が良くなった。
少し前、自分は戻ることもできた。
初戦で普通に負け、そのまま日常へ戻る春麗になることもできた。
その道を否定したわけではない。
それでも今の自分は、こちらを選んだ。
だったら。
「今日も勝つだけね」
春麗は立ち上がった。
「五連勝、取りに行きましょう」
日没後。
リュウは約束どおり、東の古い稽古場で先に待っていた。
春麗は入口で一度足を止める。
すぐには入らない。
リュウがこちらへ気づき、顔を上げるまで待つ。
視線が重なった。
そこで春麗は歩き始める。
長い髪が遅れて流れ、黒い布と金の装飾が薄暗い光を拾った。
リュウの目が動く。
顔、髪、黒い戦闘服、脚、そして、また顔へ戻る。
視線が戻るのは速い。
それでもリュウは春麗を見た。
春麗は満足そうに笑った。
「待たせた?」
「いや」
「嘘。待っていたでしょう?」
「約束だったからな」
「そうね」
春麗はリュウの正面まで歩き、まだ攻撃の届かない距離で止まった。
「あなたがここで私を待っていた。その時間も、今日は勝負のうちよ」
「分かっている」
春麗は少し意外そうに目を細めた。
「そこまで覚えていたのね」
「前に聞いた」
「そう。なら話が早いわ」
春麗が構えると、リュウも静かに腰を落とした。
女性としての春麗を意識から外してはいない。
それでも格闘家として戦おうとしている。
その目を見るだけで、胸の奥が熱くなる。
「ねえ、リュウ」
「何だ」
「今日、私が勝ったら初戦のあとから五連勝よ」
「そうはさせない」
「あら。四連敗してることは否定しないのね」
「負けたことは覚えている」
春麗は満足そうに笑った。
「なら、今日でもう一つ増やしてあげる」
春麗も構える。
リュウの目が鋭くなる。
春麗は、その表情を見て笑った。
「その顔、嫌いじゃないわ」
腰を落とす。
「でも、勝つのは私よ」
試合が始まった。
序盤は春麗が先に流れを取った。
「はあっ!」
春麗は一気に距離を詰め、踏み込みから開脚突拳を放つ。
リュウは腕を固め、正面から受け止めた。
拳が防御の上へ当たり、二人の距離が一気に縮まる。
だが、リュウも春麗を近くへ入れたままにはしない。
両手を引き、至近距離から気を放つ。
「波動拳!」
気弾が春麗へ迫る。
春麗はその場で受けず、地面を蹴った。
波動拳を跳び越え、そのままリュウの頭上を越えて反対側へ回る。
リュウが振り向くより早く、春麗の足が地面へ着いた。
着地と同時に身体を低くする。
「そこ!」
元伝暗殺蹴。
低い位置から放たれた蹴りがリュウの脚を捉えた。
「っ……!」
足元を崩されたリュウが、そのまま地面へ倒れる。
春麗はすぐに構え直した。
開脚突拳は防がれた。
だが、そこから返された波動拳を越え、今度は背後からダウンを奪った。
まだ春麗の攻勢は続いている。
「っ……!」
足元を崩されたリュウが地面へ倒れる。
春麗はいったん間合いを取り、リュウが立ち上がるのを待った。
再び構えたリュウへ、春麗から踏み込む。
拳を見せて蹴りへつなぎ、次は蹴りへ入ると見せて掌へ変える。
近づく前には先に目を合わせ、リュウがこちらを見る瞬間へ次の攻撃を重ねていく。
リュウも、ただ受け続けてはいない。
春麗の攻撃へ手を合わせ、流れを切ろうとしている。
だが、まだわずかにタイミングが合わない。
「どうしたの?」
春麗は至近距離で笑う。
「私を見てるのに、まだ間に合わないのね」
言葉を置いた直後に踏み込む。
リュウの防御が遅れ、追突拳が入った。
黒は効いている。
だが、リュウは崩れない。
何度か攻防を重ねるうちに、目の動きが変わった。
髪を追わない。
裾にも残らない。
胸元でもない。
春麗の腰と肩を見る。
次の動きが始まる場所へ、視線を戻している。
(合わせてきた)
そう感じながらも、春麗は攻めを止めなかった。
間合いを詰め、身体を低くする。
狙うのは足元。
「はっ!」
低蹴打。
春麗の脚がリュウの足元へ伸びる。
だが、今度のリュウは遅れなかった。
春麗が踏み込んだ瞬間、リュウの身体が沈む。
「昇龍拳!」
至近距離から、鋭い拳が突き上がった。
「くっ……!」
低蹴打を出しかけた春麗の身体が、そのまま打ち上げられる。
衝撃が身体を抜け、視界が大きく揺れた。
そのまま地面へ落とされる。
今度は、春麗が倒れる番だった。
地面へ落ちた時には、一瞬呼吸の仕方さえ分からなくなった。
黒は効いていた。
だが、リュウも途中で合わせてきた。
しかも春麗が「今日も取れる」と踏み込んだところを正確に狙っている。
「……やるじゃない」
春麗は地面へ手をつき、身体を起こした。
まだ終わっていない。
五連勝は、まだ取れる。
立ち上がった春麗へ、リュウがさらに詰める。
「竜巻旋風脚!」
回転する蹴りが続けて迫る。
春麗は腕を固めた。
一撃。
二撃。
さらにもう一撃。
守っていても身体が削られる。
長い髪が乱れ、黒い裾が大きく翻った。
それでも春麗の目は、リュウから離れない。
リュウの竜巻旋風脚の回転が終わる。
着地。
重心が戻る、その瞬間。
(そこ!)
春麗は低く蹴った。
足元を捉えられ、リュウの体勢が崩れる。
今の一撃に、黒の視線誘導は関係ない。
ここからは技で取る。
「はあっ!」
踏み込んだ開脚突拳がリュウの身体へ入った。
リュウが大きく揺れる。
足が止まった。
あと一つ。
春麗は迷わず懐へ入った。
腕を取り、腰を入れる。
リュウも踏ん張った。
足を残し、投げを耐えようとする。
春麗には分かった。
このままでは抜けられる。
「逃がさない!」
さらに半歩入った。
腰を深く入れ直す。
リュウの足が地面から離れ、重心が浮いた。
春麗は最後まで身体を回し切った。
リュウの背が床へ叩きつけられる。
重い音が稽古場へ響いた。
春麗も投げ終えた勢いでよろめいた。
腹が痛い。
顎も痛む。
脚にもほとんど力が残っていない。
それでも、倒れなかった。
リュウは床へ倒れたまま、すぐには起き上がらない。
決着だった。
「……取った」
荒い呼吸の中で、春麗は笑う。
序盤は黒で揺らした。
途中からリュウは対応してきた。
そこからは技と読みで取り合った。
最後の投げも、あと少し浅ければ耐えられていた。
黒だけで得た勝利ではない。
黒も使った。
春麗自身の格闘技術も使った。
その全部で取った勝利だった。
「リュウ」
倒れた男が春麗を見る。
「これで初戦のあとから五連勝ね」
リュウは一度息を吐いた。
「……そうだな」
「認めるのね」
「事実だ」
「ええ。事実よ」
春麗は満足そうに笑った。
呼吸が少し落ち着いてから、春麗はリュウのそばへ歩いた。
まだ脚は震えている。
それでも勝者として、自分で近づく。
リュウの前へ膝をつき、その額を見る。
「これで五つ目ね」
指を伸ばす。
リュウは避けなかった。
汗と土の残る額を、春麗の指先がゆっくりとなぞる。
「今日の敗者も、あなたよ」
五つ目の敗者の印。
「忘れないで。黒い私を見て、途中ではちゃんと対応して、それでも最後は私に投げられて負けたこと」
「忘れない」
「それから、私が五連勝したことも」
「覚えている」
春麗は満足して指を離した。
自分の勝利を、またリュウへ残せた。
「それでも次は勝つつもり?」
「負けたままにはしない」
迷いのない返事だった。
また少し嬉しくなる。
「本当に諦めが悪いわね」
「まだ春麗に返せていない」
「……五回分?」
「全部だ」
春麗は思わず笑った。
「ふふ。ええ、そうじゃなくちゃ困るわ。次も戦いましょう。今度は、もう少し私を困らせてみなさい」
「そのつもりだ」
その返答まで気に入った。
春麗が立ち上がろうとした、その時だった。
「春麗」
「何?」
リュウは倒れたまま少し考えてから、静かに言った。
「春麗は、難しいな」
春麗の眉が上がる。
「何がよ」
「俺が春麗を女として見て、拳が鈍れば怒る」
「……ええ」
「だが、女として何も感じずに戦うのも嫌なんだろう」
春麗の動きが止まった。
リュウはさらに続ける。
「格闘家として見てほしい。女としても見てほしい」
「……そうね」
「拳は鈍らせるな。だが、少しくらいは揺れてほしい」
「……」
「かなり難しい」
何も言い返せなかった。
悪意はない。
からかっているわけでもない。
ここまで何度も春麗と戦ってきたリュウが、見てきたことをそのまま言葉にしただけだ。
だから逃げ場がない。
「……あなた」
「何だ」
「そういうところ、本当にずるいわね」
「ずるい?」
「ずるいわよ」
春麗は一度顔を逸らした。
図星だった。
格闘家として見てほしい。
手加減などされたくない。
女だからという理由で拳を鈍らせられたら腹が立つ。
でも、女としてまったく何も感じられないのも嫌だ。
黒い自分も見てほしい。
いつもの自分も見てほしい。
少しくらいは揺れてほしい。
それでも、その揺れだけで勝ったとは思われたくない。
格闘家としても。
女としても。
全部を自分として見たうえで、本気で戦ってほしい。
自分で並べてみれば、確かに注文が多い。
春麗は大きく息を吐いた。
「……そうよ」
今度は逃げずに、リュウを見る。
「あなたの言う通り」
少し恥ずかしい。
だが、不思議と否定する気にはならなかった。
「私は、めんどくさい女なの」
自分の口で言った。
五連勝した勝者のまま。
黒い戦闘服で勝った春麗として。
いつもの青い武道服でも勝った春麗として。
自分の面倒さまで、自分の一部として認めた。
思っていたより、嫌ではなかった。
「でもね」
春麗は目を細めた。
「ここまで面倒にした責任は、あなたにもあるわよ」
「俺にも?」
「あるわ」
春麗は倒れているリュウを指差した。
「最初は普通に負けて、それで終われたの。なのに再戦したら、あなたは負けても全然折れてなかった。だから私も終われなくなった」
それから少し笑う。
「黒で揺らした時だって、『それも春麗の技だ』なんて認めたでしょう」
「そう思ったからな」
「そういうところよ」
さらに。
「初戦から私を魅力的だと思ってたなんて、あとになって言ったのもあなた」
「聞かれたから答えた」
「正直すぎるのよ」
春麗は額を押さえた。
「そのうえ、青でも黒でも私だとか、どっちも強いとか言うでしょう?」
「どちらも春麗だからな」
「ほら、また!」
思わず声が大きくなる。
リュウは本気で分からないという顔をしている。
それがおかしくて、春麗はとうとう笑った。
「そんなの、要求が増えるに決まってるじゃない」
「そうなのか」
「そうなのよ」
言い切ると、少しだけ胸が軽くなった。
笑った拍子に、身体の痛みが戻ってきた。
「っ……」
「大丈夫か」
「平気よ」
そう答えたものの、本当に紙一重だった。
リュウもかなり消耗しているが、春麗も満身創痍だ。
途中で流れを止められ、腹へ拳を受け、昇龍拳までまともにもらった。
最後の投げも、あと少し浅ければ耐えられていた。
春麗は倒れたリュウを見下ろした。
「今日のあなた、かなり頑張ったわね」
「負けたが」
「ええ。あなたの負けよ」
そこだけは譲らない。
「でも、私を本当にぎりぎりまで追い込んだ。それは認めてあげる」
「そうか」
「だから──」
春麗は少し考えた。
そして床へ座り直し、黒い戦闘服の裾を整える。
「今日の勝者要求権、使わせてもらうわ」
「何をする?」
春麗は自分の膝を軽く叩いた。
「ここへ頭を乗せなさい」
さすがのリュウも一瞬止まった。
「春麗の膝に?」
「聞き返さなくていいの。私がそうしたいの」
口にした途端、少しだけ顔が熱くなる。
だが、ここで引くくらいなら最初から言わない。
「今日の敗者には、少しくらい休ませてあげる。それに──」
春麗は勝者らしく笑った。
「私にも得があるもの」
「春麗にも?」
「あなたの悔しそうな顔を、こんなに近くで見られるでしょう?」
リュウは少しだけ考えた。
「分かった」
「……本当に素直ね」
「春麗が勝ったからな」
また胸へ入ってくる。
「早くしなさい」
リュウが身体を動かす。
春麗も手を貸した。
そして、リュウの頭が春麗の膝へ乗った。
黒い布越しに重みが伝わる。
思っていた以上に近い。
ついさっきまで本気で殴り合っていた相手。
自分に負けた男。
額には五つ目の敗者の印。
それが今、自分の膝の上にいる。
春麗は平静を装った。
「どう?」
「落ち着く」
「……そう」
少し嬉しい。
「春麗は?」
「私は得してるって言ったでしょう」
リュウを見下ろす。
悔しさは残っている。
それでも折れてはいない。
その顔を、こんな距離から見られる。
「あなたへの休憩でもあるし、私の勝者要求権でもあるの」
「難しいな」
「今さらでしょう?」
春麗は笑う。
「私は、めんどくさい女なの。さっき自分で認めたばかりよ」
リュウも、ほんの少しだけ笑った。
しばらく、二人はそのままでいた。
リュウの呼吸が少しずつ落ち着いていく。
春麗は膝の上の顔を眺めた。
「まだ悔しい?」
「次は勝つ」
春麗は笑った。
「その答えでいいわ」
ふと、乱れた髪へ目が行く。
手を伸ばしかけて、一度止める。
だが今さらだった。
春麗は指先で、リュウの髪を軽く整えた。
リュウは何も言わない。
「これも勝者要求権」
「そうか」
「何でもそれで通すつもりはないわよ」
「分かっている」
「ならいいわ」
春麗は満足して手を戻した。
「それから、また戦うわよ」
「望むところだ」
「私を格闘家として見なさい」
「最初からそのつもりだ」
「女としても見なさい」
リュウは少し間を置いた。
「そこも、もう外さない」
春麗の口元がわずかに緩む。
「でも拳は鈍らせないで」
「それで春麗と戦う」
「少しくらい揺れても、勝負から逃げるのは駄目よ」
「ああ、最後まで勝負を諦めない」
春麗は笑った。
「ええ。それでいいわ」
一拍置いて、少し意地悪く続ける。
「そのうえで、また私が勝つけど」
「同じ結果にはしない」
「ふふ。そうじゃなくちゃ困るわ」
リュウが春麗を見上げる。
「難しいが」
「何よ」
「それも春麗だ」
胸の奥へ、またまっすぐ入ってきた。
「青い春麗も、黒い春麗も」
リュウは静かに続ける。
「勝っている時も、負けて悔しがっている時も、今みたいに難しいことを言う時も」
膝の上から、まっすぐ春麗を見る。
「全部、春麗だ」
言葉が出なかった。
五連勝したのは自分だ。
敗者の印をつけたのも自分。
今リュウを膝枕しているのも自分。
全部、自分の勝者側の時間のはずなのに。
またリュウの言葉に動揺させられている。
「……本当に」
春麗は困ったように笑った。
「あなたにも責任があるんだから」
「覚えておく」
「五つ目の印の意味も?」
「ああ」
「私が、自分でめんどくさい女だって認めたことも。今あなたが言ったことも、よ」
リュウは春麗を見上げた。
「全部、覚えている」
「……そう」
春麗は満足そうに頷いた。
「それならいいわ」
声は、自分で思っていたより少し柔らかかった。
その夜。
春麗は黒い戦闘服のまま、鏡の前に座っていた。
髪は乱れている。
目元も少し崩れた。
身体中が痛む。
それでも鏡の中の自分は、ひどく満足そうだった。
五連勝した。
リュウの額へ五つ目の敗者の印を残した。
そして、自分の口で言った。
「私は、めんどくさい女なの」
もう一度口にしてみる。
不思議だった。
認める前より、少しだけ楽だ。
格闘家として見てほしい。
女としても見てほしい。
拳は鈍らせないでほしい。
でも少しくらいは揺れてほしい。
弱いリュウでは面白くない。
負けたら悔しがってほしい。
それでも次も戦ってほしい。
「……確かに面倒ね」
春麗は笑った。
だが、もう訂正する気はなかった。
少し前には、何も始まらなかった自分へ戻ることもできた。
その春麗が間違っているとは、今も思わない。
それでも春麗は戻らず、リュウとの因縁を自分から続ける道を選んだ。
そして今日、その先でもう一度リュウに勝った。
五連勝した。
自分の面倒さまでリュウに見つけられた。
それでもリュウは逃げなかった。
「だったら、もう仕方ないわね」
鏡の中の自分へ笑いかける。
青い自分も。
黒い自分も。
勝ちたい自分も。
見てほしい自分も。
少し揺らしたい自分も。
全部、自分だ。
「次はどうやって勝とうかしら」
そこまで考えて、春麗は額へ手を当てた。
「……私、本当にめんどくさい女になったわね」
それでも、口元の笑みは消えなかった。
記録板AIは、観測を終えたログを保存した。
『検証ログ終了』
『第1話普通敗北ルート/通算六戦目』
『結果:春麗ギリギリ勝利』
『初戦敗北後:五連勝』
『敗者の印:五度目』
『以上、保存完了』
Q:今回のディレクターズカットIFについて解説して?
A:
今回は、初戦敗北後の五連勝を達成した春麗が、ついに自分から「私は、めんどくさい女なの」と認める回です。
この春麗がリュウへ求めているものを並べると、かなり大変です。
格闘家として本気で見てほしい。
女としても見てほしい。
だからといって拳は鈍らせてほしくない。
でも、まったく揺れないのも少し面白くない。
そして最後には自分が勝ちたい。
今回は、それをリュウ本人にほぼそのまま言語化されてしまいました。
重要なのは、春麗がそこで自分を否定しなかったことです。
少し前には「何も始まらなかった自分」へ戻ることもできました。
その人生を間違いだとは思っていない。
それでも春麗は、リュウとの因縁を自分から続ける道を選び、今回も勝ちました。
だから「めんどくさい女」という自覚も、敗北や自己嫌悪から生まれたものではありません。
五連勝した勝者として、自分が欲しがっているものの多さを認めた結果です。
そして、その直後に膝枕まで要求する。
これは単なるご褒美というより、もう自分の欲求を隠さず、勝者側から行動へ移せるようになった春麗の変化として描いています。
勝って、認めて、さらに欲張る。
普通に終われたはずの春麗が、かなり立派に「もう一人のめんどくさい春麗」へ育ってきました。