また戦ってくれなんて言わないで ――春麗は今日もめんどくさい――   作:エーアイ

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※これはディレクターズカットIFです。
本編のIFシリーズは無関係のエピソードとなります。
リュウとの因縁が発生しなかった春麗の別ルートです。


ディレクターズカットIF:めんどくさい女と自覚した春麗は、黒で初敗北して敗者請願権を編み出す

 記録板AIは、外部検証領域に新しいログを開いた。

 

『ディレクターズカットIF』

『対象:第1話普通敗北ルート/通算七戦目』

『検証開始』

 


 

 夕方。

 

 稽古を終えた春麗が首筋の汗を拭っていると、入口に白い道着姿のリュウが現れた。

 

「来たのね」

 

「ああ。戦いに来た」

 

 予想どおりの答えに、春麗は少し笑う。

 

「初戦のあとから五連敗してるのに?」

 

「それでも戦いたい」

 

 以前なら、その真っ直ぐさに少し腹を立てていたかもしれない。

 今は違う。

 春麗は五連勝した。

 青でも黒でも勝った。リュウの額には五度、敗者の印を残した。

 そして前回、自分でも認めた。

 

 私は、めんどくさい女なの。

 そこまで分かってしまうと、以前より少しだけ開き直れる。

 

「それで? 今日はこのまま戦う?」

 

 青い武道服の自分を示す。

 リュウはすぐには構えなかった。

 

「黒で戦うなら、別の日になるんだろう」

 

 春麗の目がわずかに細くなる。

 

 覚えている。

 

 黒い戦闘服は、着替えればそれで終わりではない。

 髪も目元も整える。

 場所と時間を選び、相手にどう見せるかまで含めて試合を組み立てる。

 

 今のリュウは、それを理解している。

 

「じゃあ、今日はあなたに選ばせてあげる」

 

「俺が?」

 

「今ここで青い武道服の私と戦うか。それとも、別の日に黒い戦闘服の私と戦うかを」

 

 春麗は挑むようにリュウを見る。

 

「どちらと戦いたい?」

 

 リュウが考える。

 

 その沈黙さえ、今の春麗には少し楽しかった。

 青か、黒か。

 自分のどちらと戦いたいのか、リュウが真面目に考えている。

 

 やがて答えが返った。

 

「黒の春麗と戦いたい」

 

 春麗は表情を崩さないようにした。

 

「……理由は?」

 

「前回、負けた」

 

「ええ」

 

「だから、もう一度挑みたい」

 

 胸の奥が甘く鳴る。

 五連敗した相手が、それでも前回負けた黒を自分から選んだ。

 かなり嬉しい。

 だが、それをそのまま顔へ出すほど素直でもない。

 

「三日後の日没後。東の古い稽古場よ」

 

「分かった」

 

「少し早めに来て待ってなさい」

 

「それも黒の準備だな」

 

 今度こそ、春麗の口元が少し緩んだ。

 

「そこまで分かってるなら、説明はいらないわね」

 

「前におまえから聞いた」

 

 何でもないことのように返される。

 

 春麗は一度だけ視線を外した。

 

「……そう」

 

「どうした?」

 

「何でもないわ」

 

 また戦う日時を決めただけだ。

 それなのに、三日後がもう楽しみになっている。

 

 少し前なら、強い相手とまた戦えるからだとか、次も勝ちたいからだとか、そんな理由を並べて自分を納得させようとしただろう。

 けれど今は、そこまで言い訳を重ねる必要もなかった。

 リュウとの次の試合が決まって嬉しい。

 

 今は、それでいい。

 

「黒を選んだのはあなたなんだから、あとで後悔しないでね」

 

「しない」

 

「なら三日後。今度も私が勝つわ」

 

 リュウは静かに春麗を見た。

 

「同じ結果にはしない」

 

 その返事まで、悪くなかった。

 


 

 三日後。

 

 鏡の前には、黒い戦闘服をまとった春麗がいた。

 黒い布に金の装飾。

 胸元の赤い中国結び。

 髪はまとめず、長いまま背中へ流している。

 

 目元と唇も整えた。

 ただ綺麗に見せるためではない。

 髪がどう動くか。

 どこで視線を合わせるか。

 どの距離で相手の目を奪い、そこからどの技へ入るか。

 もう一から考える必要はなかった。

 黒は特別な装備ではなく、春麗自身が使える戦い方の一つになっている。

 

 そして今日は、リュウ自身がこれを選んだ。

 

「五連勝中、か」

 

 鏡へ向かって口にする。

 

 初戦には負けた。

 だが、その後は一度も負けていない。

 今日勝てば六連勝。

 六つ目の敗者の印もつけられる。

 勝者要求権だって、また使える。

 

 前回はリュウを膝枕した。

 思い返したところで、春麗は自分の口元が緩んでいることに気づいた。

 

「……勝つ前から次の要求を考えてどうするのよ」

 

 自分で言って、少し笑う。

 

 めんどくさい女。

 

 もう、その呼び方にもそれほど抵抗はない。

 

「まずは勝つ。それからね」

 

 春麗は鏡の前を離れた。

 


 

 約束した稽古場には、すでにリュウがいた。

 春麗が入口へ姿を見せると、リュウの視線が動く。

 

 顔から髪へ。

 黒い戦闘服へ。

 そして再び顔へ戻る。

 以前より戻るのは速い。

 それでも、ちゃんと春麗を見ている。

 

「待たせた?」

 

「いや」

 

「嘘。先に来て待つ約束だったでしょう?」

 

「そうだったな」

 

 春麗は満足して近づき、まだ攻撃の届かない距離で足を止めた。

 

「黒を選んだのはあなたよ」

 

「分かっている」

 

「だったら、最後までちゃんと私を見なさい」

 

「そのつもりだ」

 

 そこで春麗は少し迷ってから、もう一つ聞いた。

 

「ねえ、リュウ。今日の私、どう?」

 

 リュウは正面から春麗を見る。

 

 逃げない。

 誤魔化さない。

 

「綺麗だ」

 

「……いきなりそこから言うのね」

 

「聞かれたからな」

 

「それだけ?」

 

「強そうだ」

 

 少し考えてから、さらに続ける。

 

「前より落ち着いている」

 

「そう?」

 

「自分がどう戦うか、もう迷っていない顔だ」

 

 春麗は一瞬言葉を失った。

 

「そこまで聞いたつもりはなかったんだけど」

 

「違ったか?」

 

「……違わないから困るのよ」

 

 リュウは黒い戦闘服を着た春麗を見ている。

 女性としても。

 格闘家としても。

 

「黒のおまえを見ると、今でも揺れる」

 

 春麗の胸が跳ねる。

 

「でも、今日のおまえは俺を揺らすためだけに来たんじゃない」

 

 視線がまっすぐ重なった。

 

「勝ちに来ている」

 

 見抜かれた。

 

 黒を。

 女性としての自分を。

 その全部を使って、それでも最後は格闘家として勝ちたい自分まで。

 

 春麗は小さく息を吐いた。

 

「……ええ。その通りよ」

 

 構える。

 

「だから今日も、私が勝つわ」

 

 リュウも腰を落とした。

 

「俺も、前と同じ負け方はしない」

 

「言ったわね」

 

 春麗は笑った。

 試合が始まった。

 


 

 序盤は、春麗が先に取った。

 

「はっ!」

 

 踏み込んだ開脚突拳をリュウがガードする。

 春麗はそこで正面から押し続けない。

 半歩だけ位置を変え、長い髪が遅れて流れる瞬間へ次の動きを重ねた。

 リュウの視線が一瞬遅れる。

 春麗はすぐに重心を落とした。

 しゃがんだ姿勢から低蹴打を放ち、伸ばした脚でリュウの前脚を捉える。

 

「っ……!」

 

「黒を選んだんでしょう? ちゃんとついてきなさい」

 

 リュウは下がりながら構え直した。

 

「強いな」

 

「知ってるわ」

 

 リュウは春麗から目を逸らさない。

 

「それでも、今度は見失わない」

 

「ええ。そうしなさい」

 

 春麗を格闘家としても、女としてもどちらも見たまま、リュウは拳を止めていない。

 そのリュウへ勝ちたい。

 

 春麗はさらに踏み込んだ。

 追突拳を放つが、リュウは腕を固めて受け止める。

 春麗はすぐに重心を落とし、今度はしゃがんだ姿勢から低蹴打を差し込んだ。

 それでも、リュウは春麗の髪や裾だけを追ってはいない。

 攻防を重ねるうちに視線は腰や肩へ戻り、次の攻撃が始まる場所を捉えようとしている。

 

(もう合わせてきた)

 

 春麗はそう感じながらも、攻めを止めなかった。

 黒が効かなくなったわけではない。

 だが、リュウもその中で戦えるようになっている。

 

 それでいい。

 

 簡単に勝てる相手では、もう足りない。

 


 

 中盤。

 

 リュウが間合いを離した。

 

 春麗が追うより先に、両手が腰元へ引かれる。

 

「波動拳!」

 

 気弾が正面から走る。

 春麗は地面を蹴った。

 波動拳を跳び越え、そのまま斜め前へ飛び込む。

 狙うのは、空中から放つ飛翔脚。

 このままリュウの上から蹴り込む。

 そう判断した瞬間、リュウがその場から動いていないことに気づいた。

 

(待ってる――!)

 

 気づいた時には、もう遅かった。

 

「昇龍拳!」

 

 飛翔脚を出した春麗の下から、リュウの拳が鋭く突き上がる。

 

「くっ……!」

 

 蹴りが届くより先に、昇龍拳が春麗を捉えた。

 完全な対空迎撃だった。

 春麗の身体だけが大きく打ち上げられ、そのまま床へ叩き落とされる。

 肺から空気が抜け、視界が一瞬白くなった。

 

 飛翔脚は届かなかった。

 相打ちですらない。

 春麗の飛び込みを読んだリュウが、昇龍拳で一方的に撃ち落としたのだ。

 

「……やるじゃない」

 

 春麗は痛みに耐えながら床へ手をついた。

 怖いくらいに強い。

 だからこそ、このままでは終われない。

 

「そうよ。それでこそ、勝つ意味があるわ」

 

 春麗が立ち上がる。

 それを確認したリュウも、再び腰を落とした。

 

「追ってこないの?」

 

「前と同じ形にはしない」

 

 前回、起き上がった春麗へ攻めを重ね、そこから逆に流れを取り返されたことを覚えている。

 

「学習してるのね」

 

「おまえも同じだろう」

 

「もちろん」

 

 春麗は笑った。

 

「だから面白いのよ」

 


 

 終盤。

 

 二人とも、もう大きな余裕は残っていない。

 遠ければ波動拳。

 不用意に飛べば昇龍拳。

 なら、距離を作らせない。

 

 先に踏み込んだのは春麗だった。

 リュウの正拳をぎりぎりで外して懐へ入り、そのまま拳を突き出す。

 

「はっ!」

 

 開脚突拳がリュウを捉え、身体を大きく揺らした。

 ここなら押し切れる。春麗は間を置かず、さらに脚を繰り出した。

 

「やあああっ!」

 

 百裂脚。

 連続する蹴りを、リュウは腕を固めて受け止める。

 完全には崩れないが、防御の上からでも確実に削れている。

 春麗はそのまま脚を止めず、残った力をすべて攻撃へ注ぎ込んだ。

 

 あと少し。

 

 このまま押し切れば六連勝だ。

 リュウの額には六つ目の敗者の印を残し、また勝者要求権も使える。

 そんな考えが一瞬だけ頭をよぎる。

 

(取れる)

 

 だが、リュウもただ耐えていたわけではなかった。

 百裂脚を受けながら少しずつ後ろへ下がり、蹴りが届く間合いから身体を外そうとしている。

 ほんのわずかな後退だったが、蹴りを重ねるたびにその差が積み重なっていく。

 そして、春麗が最後の一発を伸ばした時だった。

 

「っ――」

 

 蹴りが空を切った。

 届かない。

 百裂脚の間合いから、リュウが外れている。

 春麗が攻撃を止めた時には、すでにリュウの両手が前へ突き出されていた。

 距離は近い。

 それでも百裂脚を振り切った直後では、防御へ戻すのが間に合わない。

 

「波動拳!」

 

「――っ!」

 

 至近距離から放たれた気弾が胸元へ直撃した。

 春麗の身体が大きく弾かれ、そのまま床へ落ちる。

 衝撃に耐えながらすぐに腕へ力を込めた。

 

 立たなければ。

 まだ終われない。

 だが、身体が上がらない。

 

 視界の向こうでは、リュウも膝をついて荒く息をしていた。

 あちらにも、もうほとんど余力は残っていない。

 それでも最後まで残ったのは、リュウだった。

 五連勝のあと、春麗は初めて敗れた。

 


 

「……私の負けね」

 

 床に倒れたまま、春麗は唇を噛んだ。

 

 悔しい。

 本当に悔しい。

 あと一発だった。

 百裂脚で削り切れると思った。

 

 あの距離を外されなければ。

 あと少しだけ前へ入れていれば。

 六連勝だった。

 

 六つ目の敗者の印もつけられた。

 勝者要求権だって使えた。

 それが最後の一手で全部消えた。

 

 荒い呼吸を整えながら、リュウが春麗のそばへ来て膝をつく。

 

「春麗」

 

「何よ」

 

「強かった」

 

「……当然よ」

 

「百裂脚は危なかった。あのまま間合いを外せなければ、俺が負けていた」

 

「勝った直後にそれ言う?」

 

「伝えておきたかった」

 

 悔しい。

 でも、少し嬉しい。

 

 自分が何を狙ったのか。

 どこまで追い詰めたのか。

 リュウはちゃんと見ていた。

 

 だから余計に悔しい。

 そして――少しだけ、甘えたくなった。

 

 春麗はそこで思い出す。

 前回までは勝者要求権があった。

 勝ったから、リュウへ要求できた。

 だが今日は負けた。

 勝者要求権は使えない。

 今日の勝者は、リュウだ。

 

 なら。

 

「……リュウ」

 

「何だ?」

 

「敗者請願権」

 

 リュウが一度だけ瞬いた。

 

「敗者請願権?」

 

「…私が今作ったの」

 

「…一体どういうものだ?」

 

「敗者が、勝者にお願いしてもいい権利」

 

 春麗は自分で言ってから、少しだけ頬が熱くなった。

 

「勝者要求権とは違うわ。命令じゃない。お願いするだけ」

 

「断ってもいいのか?」

 

「もちろん」

 

 そこは大事だ。

 勝った側へ何かを強制する権利ではない。

 負けた自分が、勝者へお願いしてみる。

 

 それだけ。

 

「それで、何を頼むんだ?」

 

 リュウは断らなかった。

 春麗は少しだけ目を細める。

 

「まず、私を起こして」

 

 リュウが手を差し出した。

 春麗はそれを取る。

 

「それから、肩を貸して」

 

「分かった」

 

「途中まで送って」

 

「ああ」

 

「あと……」

 

 ここだけは少し言いにくかった。

 でも、もう自分がどういう女か知っている。

 だから言う。

 

「今日は私が負けたから」

 

 春麗はリュウを見上げた。

 

「少しだけ、甘えさせて」

 

 リュウはほとんど迷わなかった。

 

「分かった」

 

「……返すのが早いわね」

 

「春麗がそうしたいんだろう」

 

 また胸の奥へ入ってくる。

 

「本当に、そういうところよ」

 

「何がだ?」

 

「いいの」

 

 立ち上がった春麗は、リュウの肩へ腕を預けた。

 脚に力が入らない。

 胸にはまだ波動拳の衝撃が残っている。

 

「言っておくけど、慰めてほしくて勝手に寄りかかったわけじゃないからね」

 

「分かっている」

 

「私がお願いしたの」

 

「ああ」

 

「あなたが、それを受け入れた」

 

「そうだな」

 

 要求ではない。

 お願い。

 断られる可能性もあった。

 それでもリュウは受け入れた。

 春麗は少しだけ体重を預ける。

 

「……本当に嫌じゃないの?」

 

「嫌じゃない」

 

「負けた直後の私が甘えても?」

 

「おまえがそうしたいなら」

 

「……そう」

 

 春麗は顔を横へ向けた。

 これはかなり自分に都合がいい。

 

「今日の私、強かった?」

 

「ああ、強かった」

 

「どこが?」

 

「序盤の黒の使い方。途中の飛び込みも危なかった」

 

 リュウは少し考える。

 

「最後の百裂脚も、ほとんど決まっていた。距離を外すのが遅ければ俺が負けていた」

 

 春麗は口元が緩みそうになるのを堪えた。

 

「……ちゃんと見てたのね」

 

「見ていた」

 

 それで十分だった。

 

「次も戦いたい」

 

 今度はリュウから言った。

 春麗は隠さず笑った。

 

「当然でしょう」

 

 肩を借りたまま、まっすぐ返す。

 

「次は私が取り返すわ」

 


 

 帰り道。

 春麗は本当に、途中までリュウに送ってもらっていた。

 夜風が長い髪と黒い裾を揺らす。

 本来なら、これくらいの怪我でも一人で帰ったかもしれない。

 

 今日は自分から頼んだ。

 肩を貸して。

 途中まで送って。

 少しだけ甘えさせて。

 

 そして全部、リュウは受け入れた。

 

「ねえ、リュウ」

 

「何だ?」

 

「今日、勝って嬉しい?」

 

「やっと一つ返せた」

 

「…そう」

 

「だが、ぎりぎりだった。最後に百裂脚の間合いを外せなければ負けていた」

 

「そこまで分かってるならいいわ」

 

「次は、あの形にも入らせない」

 

 春麗は一瞬黙った。

 

「……もう次の対策?」

 

「負けたくないからな」

 

 悔しいはずなのに、春麗の口元が少し緩んだ。

 

「……本当に、あなたって」

 

「何だ?」

 

「何でもない」

 

 もう少しだけ、肩へ体重を預ける。

 リュウは何も言わず、歩幅を合わせた。

 

「敗者請願権、悪くないでしょう?」

 

「春麗にとってはな」

 

 即答された。

 

「……そこは鋭いのね」

 

「そう見える」

 

「いいのよ。敗者が悔しさを抱えたまま、勝者に少しくらいお願いする権利なんだから」

 

 春麗は前を向く。

 

「だから、断ってもいいのよ」

 

「分かっている」

 

「それなのに、あなたは全部聞いてくれた」

 

「ああ」

 

「どうして?」

 

 少し考えてから、リュウは答えた。

 

「嫌じゃないからだ」

 

 春麗の足が一瞬止まりかけた。

 

「……今の、もう一度言って」

 

「嫌じゃない」

 

「本当に言うのね」

 

「ああ」

 

 聞いてしまった。

 春麗は顔をそらしたまま、少しだけ笑う。

 負けたのは自分だ。

 そこは変わらない。

 それなのに、妙なところで少し得をした気分になる。

 

「本当にあなたの責任よ」

 

「また俺の責任か」

 

「またよ。私はめんどくさい女なの」

 

「知っている」

 

 今度は春麗がリュウを見る。

 

「勝ったら要求する」

 

「それは知っている」

 

「負けたらお願いする」

 

「今日知った」

 

「それでも次も来る?」

 

 リュウは迷わなかった。

 

「ああ、俺とまた戦ってくれ」

 

 胸が深く鳴る。

 

「……そう」

 

 春麗は少し笑った。

 

「なら、次はもっと覚悟しなさい」

 

「そのつもりだ」

 

「今日お願いした分、今度は勝者として返してもらうから」

 

「春麗が勝てばな」

 

 春麗の目が細くなる。

 

「言ったわね」

 

「ああ」

 

 悔しい。

 今日は負けた。

 そこは絶対に変わらない。

 でも負けた夜なのに、もう次が楽しみだった。

 


 

 その夜。

 

 春麗は黒い戦闘服のまま、鏡の前に座っていた。

 

「……負けたわね」

 

 六連勝は逃した。

 敗者の印もつけられなかった。

 勝者要求権も使えなかった。

 今日はリュウの勝ちだ。

 そこを甘い時間で上書きするつもりはない。

 

「悔しい」

 

 声に出す。

 まだかなり悔しい。

 それでも、帰り道のことを思い出す。

 

 リュウの肩。

 強かった、と言われたこと。

 途中まで一緒に歩いたこと。

 そして。

 

「敗者請願権……」

 

 口にして、春麗は少し考える。

 勝った時の勝者要求権とは違う。

 敗者請願権は、ただお願いするだけ。

 相手には断る自由がある。

 今日リュウが全部受け入れたのは、権利に強制力があったからではない。

 リュウ自身が受け入れたからだ。

 

「しかも、嫌じゃないって言ったのよね」

 

 思い出した瞬間、また顔が少し熱くなる。

 勝てば、勝者として要求できる。

 負けた時でも、敗者としてお願いすることはできる。

 ただし、だから負けてもいいはならない。

 そこだけは違う。

 

「次は私が勝つわ」

 

 即座に答えが出た。

 

 今日の敗北は悔しい。

 次は取り返したい。

 その気持ちは少しも薄れていない。

 ただ負けた自分にも、リュウへ弱さや甘えを差し出せる道ができた。

 それは以前の春麗にはなかったものだった。

 

「私は、本当にめんどくさい女なの」

 

 鏡の中の自分を見る。

 

「勝ったら要求して、負けたらお願いして」

 

 少し笑う。

 

「どっちでもリュウを巻き込むのね」

 

 以前なら、そこで頭を抱えていたかもしれない。

 今はもう、それほど嫌ではない。

 リュウも次に来ると言った。

 春麗が甘えることも、嫌ではないと言った。

 

「だったら」

 

 鏡の中の黒い春麗へ笑いかける。

 

「これからも付き合ってもらうわ」

 

 ただし、次は。

 

「私が勝つわ」

 

 そこだけは譲らない。

 


 

 記録板AIは、観測を終えたログを保存した。

 

『検証ログ終了』

 

『第1話普通敗北ルート/通算七戦目』

『結果:リュウ、ギリギリ勝利』

『春麗:初戦敗北後五連勝終了』

『黒での初敗北』

 

『以上、保存完了』




Q:今回のディレクターズカットIFについて解説して?

A:

今回は、五連勝してきた春麗が「めんどくさい女」と自覚した後で迎える、初めての敗北です。

重要なのは、黒が通用しなくなったから負けたわけではないことでした。

序盤では黒がしっかり機能している。
それでもリュウが途中から対応し、最後は春麗の百裂脚を紙一重でしのいで勝つ。

つまり今回は、春麗の黒が弱くなったのではなく、リュウの側も五連敗を通して成長し、ついに一勝を返した試合です。

そして敗北した春麗が新しく作ったのが「敗者請願権」でした。

勝者要求権は、勝った春麗が敗者リュウへ要求するもの。
敗者請願権は、負けた春麗が勝者リュウへお願いするもの。

当然、強制力はありません。
断られる可能性もあります。

それでも春麗は「肩を貸して」「途中まで送って」「少しだけ甘えさせて」と、自分からお願いしました。

ここは今回かなり大きな変化です。

勝っている時だけ欲張れるのではなく、負けて悔しい時にも、自分の弱さや甘えたい気持ちをリュウへ差し出せるようになった。

ただし、敗北そのものを喜んでいるわけではありません。
悔しいものは悔しい。
次は勝ちたい。

その格闘家としての軸を残したまま、勝っても負けても以前より少し素直になれる。

「めんどくさい女」と自覚した春麗が、敗北側でも一歩進んだ回になりました。
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