また戦ってくれなんて言わないで ――春麗は今日もめんどくさい―― 作:エーアイ
リュウから、宿題への正式回答を受け取った。
リュウの言葉を受けて春麗が変わった時、前の春麗へ戻そうとするのか、それとも変わった春麗とどう向き合うのか。
その答えを、リュウ自身の言葉で考えてくるよう春麗が出した宿題だった。
回答内容は九十九点。
ただし、意味としては満点だった。
春麗は百点だけは付けない。
百点にしてしまえば、次がなくなるから。
だから、最高点は九十九点だった。
その答えを、春麗は忘れていない。
自室にある青い小箱にも、正式回答を書き留めた紙を入れてある。
青い小箱は、まだ自分の中だけでは持ちきれない青の言葉や、未承認の整理を紙にして置いておくために、春麗が勝手にそう呼んでいる小さな保管場所だ。
リュウの正式回答も、そこへ入れていた。
ただ、入れたから平気になったわけではない。
思い返せば、今でも精神へまともに刺さる。
まだ、何でもない顔で持ち歩けるほどには馴染んでいなかった。
それでも、二人の関係は止まっていない。
正式回答の後にも会った。
一緒に食事をした。
そして、また戦った。
リュウが最後まで拳を鈍らせなかった試合で、春麗は紙一重の勝利を取った。
嬉しかった。
本気のリュウに勝ったのだから、当然だ。
ただし。
勝った翌日に、また会えるわけではなかった。
「……そこは、本当に変わらないのね」
春麗は自室の机で、小さくため息をついた。
以前なら、訓練場へ行けばリュウがいた。
街へ出れば、偶然会えた。
次の出来事に必要になれば、いつの間にか目の前へ現れた。
だが今は違う。
会いたいなら、自分から会おうとしなければならない。
さらに厄介なことに、リュウには決まった住所も固定電話もない。
春麗の住所と電話番号は渡してある。
リュウが電話を使える場所にいる時なら、春麗へ連絡できる。
不在なら留守番電話へ名前と次に電話する時間を残してもらう約束もできている。
だが、春麗の側から「今、会いたい」と思った時に、直接かけられる番号はない。
そんな時に頼れる相手が一人いた。
ケン。
リュウの親友。
そして最近、春麗が電話をかけるたびに、非常に腹立たしい確認をしてくる男だった。
「……伝言を頼むだけよ」
春麗は受話器へ手を伸ばした。
何もおかしくない。
共通の知人へ伝言を頼む。
ただ、それだけだ。
以前なら、その先にある本当の理由を口にするまでが大変だった。
今は──。
「……絶対、また何か言われるわね」
春麗は覚悟を決めて番号を押した。
数回の呼び出し音の後、電話がつながった。
『もしもし』
「ケン? 春麗よ」
『ああ、春麗か。リュウなら今ここにはいないぞ』
「まだ何も言ってないわよ!」
電話の向こうで、ケンが笑った。
『悪い悪い。最近の春麗からの電話は、だいたいリュウのことだからな』
「あなた自身への用事で電話したことだってあるでしょう」
『あったな。一回』
「回数まで数えないで」
『珍しかったから覚えてるんだよ』
「ケン!!」
『冗談だって。それで今日は?』
春麗は額を押さえた。
リュウとは別方向に厄介な男だ。
リュウは本人に刺した自覚もなく高火力の言葉を投げてくる。
ケンは違う。
こちらがどこで困るのか分かったうえで、そこへ軽く指を入れてくる。
「……リュウへ伝言をお願いしたいの」
『やっぱりな』
「あなた、最初から決めつけてたでしょう!」
『当たってたけどな』
「当たってても腹が立つのよ!」
正論まで返された。
春麗は一度息を整える。
「次にリュウと連絡が取れたら、私へ電話してほしいって伝えて」
『分かった。春麗へ電話してくれ、だな』
「ええ」
『用件は?』
「用件?」
『あいつも聞くだろ。何かあったのかって』
春麗は止まった。
何か用事があるわけではない。
仕事でリュウの力を借りたいわけでもなければ、急いで伝えなければならないことがあるわけでもない。
次に会えば、試合の話くらいはするだろう。
また戦いたいとも思っている。
けれど、それは今日、わざわざケンへ電話をかけた理由ではなかった。
『春麗?』
「……何よ」
『いや、黙ったから』
「考えているの」
『用件を?』
「そうよ」
『リュウに会いたい理由を?』
「……あなたね」
『ははっ。悪い』
「全然悪いと思ってないでしょう」
否定は返ってこなかった。
春麗は目を閉じる。
以前なら、ここから理屈を並べた。
試合について確認がある。
次の予定を決めたい。
前回の勝負で気になったことがある。
どれも本当だ。
だからこそ、理由として使えた。
でも今は、それだけではないと自分で分かっている。
「……会いたいの」
電話の向こうが少し静かになった。
春麗は、そのまま続けた。
「リュウに会いたい。次に連絡が取れたら、私がそう言っていたって伝えて」
『分かった』
「試合の話もしたいわ。でも、それだけじゃない」
『なら、そのまま伝えるよ』
「……そのまま?」
『春麗がリュウに会いたいって』
「余計なことを足さないでよ」
『足さないさ』
「本当に?」
『俺が勝手にデートの申し込みに変えるとでも?』
「そういうことを言うから信用できないのよ!」
また笑われた。
だが、ケンはすぐに声を落ち着かせた。
『安心しろ。そこはちゃんと分ける』
「……そこ?」
『俺は伝言を渡すだけだ。会うかどうかを決めるのは、春麗とリュウだろ』
春麗は黙った。
そうだった。
ケンはどれだけからかっても、リュウの代わりに答えない。
勝手に約束も作らない。
春麗が言ったことだけを預かって、本人へ渡す。
そこだけは、ずっと守ってくれている。
「……ありがとう」
『どういたしまして』
今度は普通に返された。
少しだけ安心したところで。
『ところで春麗』
「何?」
『この前、リュウに勝ったんだよな?』
「勝ったわよ」
『それでも、また会いたいんだな』
「勝ったらもう会わなくていいわけないでしょう!」
『はははっ!』
「笑わない!」
『いや。今のは、いい答えだと思っただけだ』
春麗は顔をしかめた。
『じゃあ、ちゃんと伝えるよ。リュウに会いたいって』
「……お願いするわ」
『今回は一回で言えたな』
「ケン!」
通話が切れた。
春麗は、しばらく受話器を睨んだ。
「……本当に、もう」
腹が立つ。
それでも。
以前よりずっと早く、自分の言いたいことを言えた。
そこだけは、認めてもよかった。
三日後。
まだリュウからの連絡はなかった。
別に不安になるほど長い時間ではない。
リュウは旅をしている。
いつケンと連絡がつくかも分からない。
伝言を受け取った後も、公衆電話や宿の電話を使える場所まで移動する必要があるかもしれない。
そこは理解している。
ただ、春麗の側に一つ問題ができた。
「……予定が変わったのよね」
手帳には、急な業務変更が書き加えられていた。
今週は帰宅が遅くなる日が増える。
リュウから電話が来ても、最初の一回を取れない可能性がある。
留守番電話へ次にかける時間を残してもらえば、それで済む。
分かっている。
それでも、何度もすれ違わせるよりは、先に伝えておいた方がいい。
「仕方ないわね」
春麗は再びケンの番号を押した。
今度は予定変更の伝言を追加するだけだ。
合理的な連絡である。
相手がケンだという一点を除けば。
『もしもし』
「ケン? 春麗よ」
『ああ、春麗か』
一拍。
『リュウに会いたい』
「私の挨拶にしないで!」
即座に叫んだ。
盛大な笑い声が返ってくる。
『悪い悪い! 今度もそうかと思ってさ』
「今度は違うわよ!」
『違うのか?』
「……正確には、前の伝言の追加」
『なるほど。リュウに会いたい件の追加だな』
「その言い方!」
『でも事実だろ?』
「事実だけど!」
言った瞬間、春麗は口を閉じた。
ケンはさらに楽しそうに笑った。
『春麗、最近お前との電話は面白いな』
「私は全然面白くないわ」
『でも、前より話が早くなった』
春麗の指が止まった。
「……何が?」
『前は、リュウへの伝言を頼むところから、本当は何を言いたいのか出てくるまで長かっただろ』
「……」
『今は、会いたいって自分で言える』
否定できなかった。
最初は難しかった。
ケンへ電話をしても、本当に伝えたいことまで口にできなかったことがある。
今は。
会いたい。
そう言える。
からかわれれば恥ずかしい。
腹も立つ。
それでも、言ったこと自体を取り消そうとは思わなくなった。
「……それと、毎回からかうことは別でしょう」
『もちろん』
「反省してないわね」
『してない』
「堂々と言わないで!」
ケンはまた笑った。
それから、何事もなかったように声を戻す。
『それで、追加は?』
「仕事の予定が変わったの。今週は帰宅が遅くなる日があるから、電話に出られないかもしれないって伝えて」
『分かった。俺もいつリュウと連絡が取れるかは分からないけどな』
「それは分かっているわ」
『すれ違ったら、いつも通り次にかける時間を留守電へ残してもらえばいい』
「ええ」
『だったら、何度も確認しなくて大丈夫だ』
「……焦ってないわよ」
『そうか?』
「そうよ」
ケンが少し笑った。
『なら安心した』
春麗は眉を寄せる。
「あなた、今のはずるいわ」
『何が?』
「からかっているのか心配しているのか、分かりにくいのよ」
『両方だな』
「ケン!」
また笑われた。
『でもな、春麗』
「何?」
『俺にできるのは伝言までだ。いつ電話するかはリュウが決める』
「分かっているわ」
『お前が会いたいって言ったことは、ちゃんと伝える。そこは心配するな』
「……ええ」
『だから仕事はちゃんとやれ』
「言われなくても!」
『なら問題ない』
春麗は、少しだけ笑った。
腹は立つ。
だが、この男は勝手に先へ進めない。
春麗の言葉を勝手に変えない。
リュウにも、春麗にも、それぞれ自分で決めさせる。
だから頼れる。
「……ありがとう」
『おう』
一拍。
『じゃあ、リュウに会いたい件の予定変更も受け付けた』
「受付番号でもつけるつもり!?」
『いるか?』
「いらない!」
通話が終わった。
春麗は受話器を置き、机へ額を預けた。
「……本当に毎回」
リュウへ会いたくなる。
ケンへ電話する。
からかわれる。
必要なことだけは正確に届けてもらう。
そして、リュウからの返事を待つ。
まさか、それが自分の日常へ入ってくるとは思わなかった。
数日後。
仕事から戻ると、留守番電話のランプが点滅していた。
春麗の足が止まる。
仕事の連絡かもしれない。
知人かもしれない。
ケンかもしれない。
リュウだとは限らない。
そう考えながら鞄を置き、再生ボタンを押す。
『春麗。リュウだ』
心臓が跳ねた。
『土曜の夜に、もう一度電話する』
それだけだった。
短い。
本当に用件だけ。
だが、約束通り次に電話する時間が残されている。
「……本当に、あなたらしいわね」
春麗は小さく笑った。
伝言が届いた。
自分がケンへ電話した。
会いたいと言った。
ケンが預かった。
リュウが受け取った。
そして、リュウが春麗へ返した。
それだけのことだ。
以前なら、そんな手間をかけなくても次の場面が始まった。
今は違う。
春麗には仕事がある。
リュウは旅をしている。
互いの予定がある。
何日も連絡がつかないこともある。
けれど春麗は、以前ほどその不便さを嫌っていなかった。
会えない間、自分は仕事をしていた。
訓練もしていた。
リュウもどこかで修行している。
その二人が、互いに連絡を取ろうとして。
ようやく、一つの電話までたどり着いた。
「……土曜の夜、ね」
春麗は手帳を確認する。
土曜の夜に予定はなく、リュウからの電話を受けるのに問題はなかった。
それを確かめて手帳を閉じたものの、すぐには電話から離れられない。
少し迷った末、もう一度だけ留守番電話の再生ボタンを押した。
『春麗。リュウだ』
『土曜の夜に、もう一度電話する』
再生終了。
「……一回で十分でしょう、私」
消去ボタンには触れなかった。
土曜の夜。
春麗は普段通りに夕食を済ませ、片づけも仕事も訓練も終えていた。
特別なことをしているつもりはない。
ただ、いつもより少しだけ電話に近い場所を選んでいる。
「……待機しているわけじゃないわよ」
もちろん、誰も聞いていない。
気を紛らわせるように本を開いてみたものの、二ページほど読んだところで内容がまるで頭に入っていないことに気づき、諦めて閉じた。
時計を見る。
まだリュウが電話すると言っていた時間帯に入ったばかりだ。
そもそも、今どこにいるのかさえ分からない。
電話を借りられる場所を探す必要もあるのだから、多少時間が前後することくらい春麗にも分かっている。
分かっているのだが――。
「……電話一本で、どうしてこんなに落ち着かなくなるのよ」
そう自分に言い聞かせていたところで、電話が鳴った。
春麗の身体が反射的に跳ね、すぐに受話器へ手を伸ばしかける。
だが、一度目の呼び出し音が鳴り終わる前に、その手を止めた。
(……早すぎるわ)
一回目で取ったら、まるで電話の前で待ち構えていたようではないか。
二回目の呼び出し音を聞きながら一度だけ深呼吸し、三回目が鳴ったところで、ようやく受話器を取った。
「もしもし」
『春麗か』
その声を聞いた瞬間、胸の奥が軽くなった。
「……ええ。リュウ」
『俺だ』
「分かっているわ」
いつもの声。
それだけで、思ったより落ち着いた。
『ケンから伝言を受け取った』
「ええ」
『春麗が、俺に会いたいと』
分かっていたことなのに、リュウ本人の口から聞かされると妙に効いた。
ケンなら伝言を勝手に変えない。
それは今までのやり取りで知っている。
つまり、自分が口にした「会いたい」まで、きっちりリュウへ届けられたということだ。
「……ケン、余計なことは言っていなかった?」
『余計なこと?』
「何でもないわ」
『春麗が会いたいと言っていた。それから、仕事で帰りが遅い日があると聞いた』
「……そう」
『だから今日にした』
春麗は静かに息を吐いた。
散々からかわれたが、ケンは約束を守っていた。
リュウへ伝言を渡した時には余計な解釈を加えていない。
「ちゃんと届いたのね」
『ああ』
少し間が空いた。
『春麗』
「何?」
『何かあったのか』
当然の質問だった。
春麗は「会いたい」と伝えたのだから、リュウが何か理由があるのかと考えるのも無理はない。
以前なら、もっともらしい用件を一つくらい探しただろう。
次の試合でも、修行でも、リュウと話す理由にできることはある。
実際、また戦いたい気持ちだって変わっていない。
けれど、今回は違った。
何かが起きたから連絡したわけではない。
用事ができたから、リュウを探したわけでもない。
「……特に、何かあったわけじゃないの」
『そうなのか』
「ええ」
『試合の話かと思った』
「それもしたいわ」
『なら聞く』
「でも、それだけじゃないわ」
電話の向こうで、リュウは何も挟まなかった。
春麗が続きを出すのを待っている。
「……あなたと、また話したかったの」
言えた。
今度は、ケン相手ではない。
リュウ本人に。
「前に食事をした時の話も、もう少し聞きたいし。最近どこへ行っていたのかも知りたい。修行の話も、次に戦う時のことも」
『そうか』
「だから……」
春麗は一度息を吸った。
「会いたかったの。それじゃ駄目?」
『いいや、駄目じゃない』
返事は早かった。
「……そう」
『俺も、春麗と話したいことがある』
今度は春麗が止まった。
「あるの?」
『前の試合のこともある』
「ええ」
『この間話した、暮らしのことも』
「覚えていたのね」
『忘れていない』
そしてリュウは、何でもないことのように続けた。
『なら、会って話せばいい』
「……あなた、本当に簡単に言うわね」
『難しいことなのか』
「私には、少しね」
『そうか』
電話の向こうで少し間があった。
『なら、まず会う日を決めよう』
春麗は思わず息を止めた。
これまでは、勝負をするから会うこともあれば、主人公補正に押されるように偶然リュウと再会し、そこから次の時間が始まることもあった。
けれど、今はもう「会いたい」と思っただけでリュウが都合よく目の前へ現れてくれるような、プラスの主人公補正は働いていない。
だから、自分からケンへ連絡した。
伝言が届くのを待ち、リュウからの電話を受け、互いの予定を確認する。
春麗が会いたいと伝え、リュウもそれを受け取った。
そのうえで今、二人は自分たちの意思で会う日を決めようとしている。
ただそれだけの現実的な手順が、春麗には以前の偶然よりもずっと大きな意味を持っていた。
「……ええ」
春麗は手帳を開いた。
「次の日曜なら休みよ」
『俺も、その頃なら今の修行を一区切りできる』
「なら、前に行った店の近くは?」
『場所は分かる』
「昼過ぎでいい?」
『問題ない』
予定が決まった。
驚くほど、あっさりと。
けれど、その簡単さは以前の偶然とは違う。
春麗が会いたいと言った。
リュウが返事をした。
互いの予定を出した。
二人で決めた予定だった。
「それじゃ、日曜ね」
『ああ』
「遅れないでよ」
『分かっている』
「修行に夢中になって忘れたりしないで」
『その日は春麗に会うと決めた』
春麗の指が止まった。
「……そう」
思ったより、その答えは強かった。
「なら、待ってるわ」
『俺も楽しみにしている』
今度は、その短さも嫌ではなかった。
通話を終える前、リュウがふと思い出したように言った。
『ケンにも礼を言っておく』
「ケンに?」
『今回も連絡をつないでもらった』
「……そうね」
『何度も助けられている』
春麗は少しだけ苦笑した。
「私もよ」
『そうか』
「ええ」
電話が終わった。
春麗は受話器を置き、手帳へ予定を書き込む。
日曜。
リュウと会う。
それだけ。
試合とは書かなかった。
食事とも書かなかった。
会ってから決めればいい。
そう思えた。
翌日。
春麗は、またケンへ電話をかけた。
『もしもし』
「ケン? 春麗よ」
『ああ、春麗か。リュウへの伝言なら預かるぞ』
「今回は違うわ」
『本当に?』
「本当よ!」
電話の向こうで、少し驚いたような笑いが漏れた。
『で、今日は俺への用事か』
「……ええ」
春麗は少しだけ姿勢を正す。
「ありがとう、ケン」
今度は、向こうが黙った。
「毎回リュウへの伝言を頼んでいるでしょう。今回も予定変更まで伝えてくれたし」
『ああ』
「あなたがいなかったら、もっと連絡を取るのが大変だったと思う」
少し言葉を選ぶ。
「助かっているわ。本当に」
『どういたしまして、春麗』
からかわれなかった。
春麗は少し拍子抜けした。
「……普通に受け取るのね」
『俺への礼なんだろ?』
「ええ」
『だったら普通に受け取るさ』
春麗は笑った。
ケンは少しだけ声を柔らかくした。
『俺はリュウの親友だからな。あいつがいつどこにいるか、全部知ってるわけじゃない』
「ええ」
『でも、連絡が来た時に伝言くらいは渡せる。それに、お前がリュウへ会いたいって言うのを止める理由もない』
「……そうね」
『だから、また必要なら電話してこいよ』
「ありがとう」
『伝言はちゃんと預かる』
「ええ」
『ただし、からかうのはやめない』
「ケン!」
『はははっ!』
やはり全部は綺麗に終わらなかった。
ただ、それでいい気もした。
春麗が電話をする。
ケンがからかう。
それでも必要な言葉は正確に届ける。
リュウも、自分の意思で返事をする。
そういう日常になりつつある。
『ところで、リュウとは会うんだろ?』
「ええ」
『今度は試合か?』
「まだ決めていないわ」
『食事?』
「それも、まだ」
『じゃあ何するんだ』
「会ってから決めるの!」
ケンが笑った。
「何がおかしいのよ」
『いや。いいと思ってさ』
「何が?」
『会う理由を、最初から全部決めなくてもいいってことだよ』
春麗は言葉を止めた。
『前は試合の話でもなければ、リュウに連絡しづらかったんじゃないか?』
「……そうかもしれないわね」
『今は、会ってから決めるんだろ』
「ええ」
『なら、それでいいじゃないか』
春麗は静かに息を吐いた。
そうなのだ。
会いたいから、連絡する。
会える日を決める。
その日に会う。
何をするかは、その後で考える。
ただ、それだけのこと。
それをようやく、自分の選択として受け取れるようになってきた。
「……ありがとう、ケン」
『おう』
一拍。
『じゃあ次からは、最初に聞くことにするか』
「何を?」
『今日はリュウに会いたいのか、って』
「ケン!」
電話の向こうで、楽しそうな笑い声が響いた。
通話を終え、春麗はしばらく受話器を見つめた。
疲れた。
試合とはまったく別の疲労だった。
ケンへ電話をするたびにからかわれる。
それでも、話は聞いてくれる。
必要なことは確認する。
リュウの代わりには答えない。
春麗の言葉を勝手に変えない。
そして、春麗がリュウに会いたいと思うこと自体は、一度も否定しない。
「……いい友達なのよね」
リュウにとっても。
今では、春麗にとっても。
だからこそ腹が立つ。
本気で怒り切れない。
助けられていることを知っているから。
春麗は手帳を開いた。
日曜にリュウと会う。
それは偶然ではない。
物語が勝手に置いた再会でもない。
ケンへ電話して。
からかわれて。
仕事の予定まで調整して。
連絡を待って。
リュウ本人と話して。
ようやく決まった約束だった。
不便だ。
面倒でもある。
昔のように、必要な時にリュウが目の前へ現れてくれた方が簡単だった。
でも今はこの面倒さを、それほど嫌いではなかった。
春麗が会いたいと言った。
リュウが返事をした。
二人で日を決めた。
片方だけでは成立しない手間が、その間にある。
それが少し嬉しい。
「……またケンに電話することになるのかしら」
なるのだろう。
リュウはこれからも旅を続ける。
すぐ連絡できるとは限らない。
また会いたくなった時。
また話したくなった時。
春麗はケンへ電話することになる。
そして、またからかわれる。
「……まあ、いいわ」
恥ずかしくても。
からかわれても。
会いたいなら、会いたいと伝えればいい。
ケンに笑われたからといって、取り消す必要はない。
春麗は手帳を閉じた。
机の端には、青い小箱がある。
九十九点。
百点ではない。
次がある。
その正式回答を、春麗はまだ完全には持ち切れていない。
けれど完全に持てるようになるまで、何もできないわけではなかった。
会いたいと言えた。
自分から連絡した。
リュウ本人にも、会いたかったと伝えた。
そして、次に会う日まで決めた。
「……日曜、ね」
春麗は少しだけ頬を緩めた。
その約束は主人公補正ではなく。
勝者要求権でもなく。
試合の開始条件でもない。
二人が、会おうとした結果だった。
ただ一つ。
次にケンへ電話した時くらいは、最初からからかわれずに用件へ入りたい。
そこだけは、まだ諦めていない。
もっとも次の電話でも、
『ああ、春麗か。今日はリュウに会いたいのか?』
と聞かれた瞬間、
「だから、まだ何も言ってないでしょう!」
と返す未来だけは。
今からかなり高い確率で見えていた。
Q:今回のディレクターズカットIFについて解説して?
A:
今回は、本編春麗が久しぶりに主役となるエピソードです。
ただし、今回の対戦相手はリュウではありません。
ケンです。
しかも、拳でも蹴りでもなく、電話での攻防です。
本編春麗は、リュウから宿題への正式回答を受け取り、その後も会い、食事をし、再び試合をして勝利するところまで進んでいます。
けれど、正式回答を完全に持てるようになったわけではありません。
そして、もう一つ変わらないことがあります。
リュウに会いたいと思っても、都合よくリュウが現れてくれるわけではないことです。
以前なら、訓練場へ行けばリュウがいた。
街を歩けば偶然出会えた。
しかし今は、リュウからの連絡を待つか、ケンを通して伝言を頼む必要があります。
そこで毎回立ちはだかるのが、リュウの親友であるケンです。
リュウの無自覚な言葉に精神HPを削られてきた春麗ですが、ケンの場合は少し違います。
ケンは、春麗が何に困るのか分かったうえで、わざとからかってきます。
しかも春麗が反論すればするほど、会いたい気持ちを自分から認めてしまう。
電話のたびに精神HPを削られる春麗ですが、ケンは決して不親切なわけではありません。
伝言は正確に届ける。
勝手に二人の約束を決めない。
リュウの代わりに返事もしない。
からかうことと、二人の意思を尊重することをきちんと分けています。
だから春麗も、本気で怒りきれないのでしょう。
今回もう一つ大切にしたのは、春麗が「会いたい」と言えるようになっていることです。
以前はケンに電話しても、本当の理由を伝えられず、もう一度かけ直す必要がありました。
今では、からかわれながらも自分の言葉で伝えられる。
そしてリュウ本人にも、試合だけが理由ではなく、ただ会って話したかったのだと言えるようになりました。
正式回答を完全に持てていなくても、春麗は日常の中で少しずつ前へ進んでいます。
偶然の出会いではなく、連絡して、予定を合わせて、約束して会う。
不便で、面倒で、時間もかかる。
でも、その手間をかけてでも会いたいと思えることが、今の二人の関係を表しているのだと思います。
そして、そんな成長した春麗にも、どうやら一つだけ克服できない相手がいるようです。
次にケンへ電話した時こそ、からかわれずに済ませられるのか。
……おそらく、かなり難しいでしょう。
リュウとの試合には勝てても、ケンとの電話では連敗中。
本編春麗の面倒くさい日常は、まだまだ続きそうです。