また戦ってくれ――リュウと春麗、紙一重のライバル譚――   作:エーアイ

52 / 82
※これは本編時空ではなく、妄想章IFです。
本編の「殴り愛」とは別に、春麗が自分の年齢や立場、そしてリュウとの長すぎる関係に少し焦りを覚え、かなり面倒な方向で「責任」を取りに来させる仮定です。


妄想章IF:春麗は、行き遅れる前に責任を取らせる

 春麗は、鏡の前で黙っていた。

 

 青い武道服でもない。

 黒いドレスでもない。

 

 今日は、どちらも手に取っていなかった。

 

 椅子には黒いドレスがかかっている。

 畳んだ青い武道服も、いつもの場所にある。

 

 どちらも、リュウと戦うための自分だった。

 

 青い自分。

 黒い自分。

 原点の自分。

 面倒な自分。

 

 けれど今日は、そのどちらでもない自分が鏡の前にいる。

 

 春麗は、鏡の中の自分を見た。

 

 年齢を重ねたとは思う。

 それでも身体は動く。

 蹴りは鈍っていない。

 踏み込みも戻りも、まだ誰にも簡単には譲らない。

 

 けれど、ふとした瞬間に思うことが増えた。

 

 自分は、何をしているのか。

 

 黒いドレスでリュウを揺らし。

 青い武道服でリュウを置いていき。

 勝って、相打ちして、負けて、また勝って。

 リュウが何を見たかに一喜一憂し、リュウが何を持ち帰ったかを待ち、リュウが次にどう来るかを考える。

 

 それで満たされている。

 

 満たされているのが、問題だった。

 

 春麗は小さく息を吐いた。

 

 「……本当に、私をどうするつもりなの」

 

 誰に言ったのかは、わかっている。

 

 リュウだ。

 

 あの男は、来る。

 

 負けても来る。

 勝っても来る。

 届いても来る。

 届かなくても来る。

 

 そしてそのたびに、春麗を少しずつ面倒にしていった。

 

 見られたい。

 でも見て止まるだけでは嫌。

 届いてほしい。

 でも倒されたくはない。

 責任を取りに来てほしい。

 でも簡単には取りきらせない。

 

 そんな自分になった。

 

 そして、気づけば。

 

 「私、かなり待っているじゃない」

 

 鏡の中の春麗が、少し不機嫌そうにこちらを見返していた。

 

 リュウの次の拳を。

 リュウの次の一歩を。

 リュウの次の答えを。

 

 待っている。

 

 春麗は腕を組んだ。

 

 「これで行き遅れたら、完全にあなたのせいじゃない」

 

 言ってから、自分で少し呆れた。

 

 理屈としては、だいぶ乱暴だ。

 けれど、春麗の中では妙に筋が通っていた。

 

 リュウが来るから。

 リュウが折れないから。

 リュウが自分をここまで面倒にしたから。

 リュウが次も来るとわかっているから。

 

 自分は、こうなった。

 

 なら。

 

 責任を取らせてもいいのではないか。

 

 もちろん、いきなり何かを迫るつもりはない。

 春麗はそこまで単純ではない。

 

 ただ、確認したかった。

 

 リュウが、自分をどこまで見ているのか。

 自分をどう変えたかを、わかっているのか。

 そして、自分がどれだけ待っているかに、気づいているのか。

 

 春麗は鏡の前で、青い武道服を手に取った。

 

 少し考えて、置く。

 

 次に黒いドレスへ手を伸ばした。

 

 それも、すぐには取らない。

 

 今日はどちらでもいい。

 いや、どちらでもない方がいい。

 

 青でも黒でもなく。

 

 春麗自身として、リュウに問いに行く日だ。

 

 それでも、結局、春麗は黒いドレスを手に取った。

 

 「……やっぱり、これね」

 

 言い訳なしの黒。

 

 面倒な自分を隠さない黒。

 

 そして今日は、いつもより少しだけ意味が違う黒。

 

 勝つためだけではない。

 揺らすためだけでもない。

 責任を問いに行くための黒。

 

 春麗は、髪を下ろした。

 目元を整えた。

 裾の位置を見た。

 素足の踏み込みを確認した。

 

 そして、最後に鏡の中の自分へ向かって言った。

 

 「今日は、戦いだけで済ませるつもりはないわ」

 

 修行場に着くと、リュウはいつものように待っていた。

 

 本当にいつものように。

 

 そこが腹立たしい。

 

 春麗は黒いドレスで歩み出る。

 

 リュウが見る。

 

 黒を見る。

 春麗を見る。

 待たない。

 だが、見ている。

 

 春麗はその視線を受け止めた。

 

 「リュウ」

 

 「何だ」

 

 「今日は、少し違う話をするわ」

 

 リュウは構えかけていた拳を、わずかに下げた。

 

 「話?」

 

 「ええ」

 

 春麗は一歩近づいた。

 

 黒いドレスの裾が揺れる。

 

 「あなた、私をここまで面倒にした自覚はある?」

 

 リュウは黙った。

 

 その沈黙に、春麗は少しだけ満足した。

 

 逃げない。

 でも、すぐには答えられない。

 

 リュウらしい。

 

 春麗は続けた。

 

 「黒い私を見たわね」

 

 「ああ」

 

 「青い私にも追いつこうとした」

 

 「ああ」

 

 「私が黒を選んだ意味も、青を選んだ意味も、読もうとしている」

 

 リュウは静かに頷いた。

 

 「そうだ」

 

 春麗は、少し声を低くした。

 

 「そのせいで、私はあなたが次にどう来るかを待つようになった」

 

 リュウの目がわずかに変わる。

 

 春麗は逃さない。

 

 「勝っても、次を待つ。負けても、次を待つ。相打ちでも、次を待つ。あなたがどう変わってくるか、どう届こうとするか、どう責任を取りに来るか、考えてしまう」

 

 言いながら、春麗は自分でも少し胸が熱くなるのを感じた。

 

 口にすると、思った以上に重い。

 

 だが、もう止めない。

 

 「ねえ、リュウ」

 

 春麗は笑った。

 

 勝者の笑みではない。

 少し困った女の笑みだった。

 

 「このまま私が行き遅れたら、どうしてくれるの?」

 

 リュウは完全に黙った。

 

 春麗はその顔を見て、少しだけ溜飲が下がった。

 

 やっと困った。

 

 そういう顔もするのね。

 

 リュウはしばらくして、低く言った。

 

 「行き遅れ、というのは」

 

 「そこを真面目に聞き返さないで」

 

 春麗は即座に遮った。

 

 リュウはまた黙る。

 

 春麗はため息をついた。

 

 「あなたのそういうところよ」

 

 「そういうところ?」

 

 「真面目で、逃げなくて、でも肝心なところで鈍いところ」

 

 春麗は一歩近づく。

 

 リュウは下がらない。

 

 それもまた腹立たしい。

 

 「私はあなたに勝ちたいの。焦らせたいの。悔しがらせたいの。でも、来てほしいの。ちゃんと見てほしいの。届いてほしいの」

 

 春麗はリュウを見据えた。

 

 「そのくせ、倒されたくはない」

 

 リュウは静かに聞いている。

 

 春麗は苦笑した。

 

 「かなり面倒でしょう?」

 

 リュウは、少しだけ間を置いて答えた。

 

 「難しい」

 

 春麗は目を細めた。

 

 その答えは、また刺さった。

 

 「……またそれ」

 

 「違うのか」

 

 「違わないのが問題なのよ」

 

 春麗は、少しだけ俯いた。

 

 嬉しいのだ。

 

 面倒と言わない。

 厄介とも言わない。

 難しい相手だと言う。

 

 その言い方が、どうしようもなくリュウらしくて、春麗をまた面倒にする。

 

 春麗は顔を上げた。

 

 「だから、責任を取りなさい」

 

 リュウはまっすぐ春麗を見る。

 

 「どう取ればいい」

 

 その言葉に、春麗は一瞬、本当に詰まった。

 

 まさか、そこを正面から聞くとは思わなかった。

 

 いつも通りなら、拳で来る。

 「行く」と言う。

 それで済ませる。

 

 けれど今日は、リュウが問い返した。

 

 春麗は、自分の頬がわずかに熱くなるのを感じた。

 

 「……自分で考えなさいよ」

 

 「考えている」

 

 「なら、答えは?」

 

 リュウは少しだけ黙った。

 

 そして言った。

 

 「逃げない」

 

 春麗は息を止めた。

 

 リュウは続ける。

 

 「お前が黒で来るなら見る。青で来るなら追う。責任を問うなら、受ける」

 

 「それだけ?」

 

 春麗の声は、思ったより小さかった。

 

 リュウは春麗を見た。

 

 「それだけでは足りないのも、わかっている」

 

 春麗は黙った。

 

 リュウは続ける。

 

 「お前が待つ場所へ行くだけでは遅い。お前が読んだ形で応えるだけでは、また負ける」

 

 春麗の胸が、強く鳴った。

 

 リュウは、見ている。

 

 わかっている。

 

 春麗が何を求めているのか。

 そのまま応じるだけでは足りないことも。

 

 「だから、考える」

 

 リュウは静かに言った。

 

 「お前にどう届くか。お前が待っていない場所から、どう行くか」

 

 春麗は、唇を噛みそうになった。

 

 それは、ほとんど答えだった。

 

 春麗が欲しかった答えに、かなり近かった。

 

 けれど、春麗はそこで素直に頷く女ではない。

 

 「それで責任を取ったつもり?」

 

 リュウは首を横に振った。

 

 「まだだ」

 

 春麗は息を吐いた。

 

 本当に、そういうところ。

 

 まだだ、と言う。

 

 終わらせない。

 

 春麗を待たせる。

 

 次も来ると言う。

 

 そして、いつか届くつもりでいる。

 

 春麗は笑った。

 

 「そう。なら、今日は確認ね」

 

 「確認?」

 

 「あなたが本当に責任を取りに来る気があるのか」

 

 春麗は構えた。

 

 黒いドレスの裾が揺れる。

 

 「拳で聞いてあげる」

 

 リュウも構える。

 

 だが、その表情はいつもより少し違った。

 

 困惑は消えている。

 逃げる気もない。

 ただ、春麗を見ている。

 

 春麗は思う。

 

 ああ、駄目ね。

 

 これでは、また待ってしまう。

 

 リュウが次にどう来るかを。

 リュウがどこまで責任を取りに来るかを。

 本当に、自分の待っていない場所から届くのかを。

 

 戦いは短かった。

 

 春麗は黒で迫った。

 

 責任を問いながら。

 見られることも、待たせることも、全部使って。

 

 リュウは来た。

 

 だが、春麗が待っていた場所には来なかった。

 

 半歩、外から。

 春麗が「ここへ来る」と読んだ位置を、わずかにずらして。

 

 拳が近い。

 

 春麗の呼吸が乱れる。

 

 本当に、少しだけ危なかった。

 

 だが、今日は春麗が止めた。

 

 掌底が入る。

 リュウの拳が肩をかすめる。

 リュウが片膝をつく。

 

 春麗は立っていた。

 

 勝った。

 

 けれど、勝った後の胸の熱は、いつもよりずっと複雑だった。

 

 リュウは片膝のまま、春麗を見上げる。

 

 春麗は息を整えながら言った。

 

 「少しは責任を取る気があるみたいね」

 

 リュウは答える。

 

 「まだ、足りない」

 

 春麗は目を伏せた。

 

 その言葉で、また次を待ってしまう。

 

 「そう」

 

 春麗は静かに笑った。

 

 「なら、ちゃんと最後まで取りに来なさい」

 

 リュウは頷く。

 

 「行く」

 

 春麗は背を向けた。

 

 もう少しだけからかってやりたかった。

 もう少しだけ困らせたかった。

 

 だが、今日はここまででいい。

 

 十分すぎるほど、答えをもらってしまった。

 

 修行場を去りながら、春麗は思う。

 

 行き遅れそうな春麗が、リュウに責任を取らせる。

 

 そんな馬鹿なことを言い出したのは自分だ。

 

 でも。

 

 リュウは逃げなかった。

 

 どう取ればいい、と聞いた。

 

 まだ足りない、と言った。

 

 次も行く、と言った。

 

 春麗は、小さく笑った。

 

 「本当に、責任を取るのが下手ね」

 

 けれど、その下手さが。

 

 その真面目さが。

 

 その逃げなさが。

 

 春麗をまた少し、待つ女にしてしまう。

 

 黒いドレスの裾が、朝の風に揺れた。

 

 春麗は振り返らない。

 

 振り返らなくても、リュウがまだこちらを見ている気がした。

 

 「……行き遅れたら、本当にあなたのせいよ」

 

 その声は、リュウには届かない。

 

 届かなくていい。

 

 次の戦いで、届かせる。

 

 拳で。

 

 視線で。

 

 黒で。

 

 青で。

 

 そして、たぶん。

 

 また、とても面倒な形で。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。