また戦ってくれ――リュウと春麗、紙一重のライバル譚―― 作:エーアイ
自分が『めんどくさい女』と自覚している黒いドレスの春麗が、リュウにギリギリの敗北を十度重ねた後の幕間です。
春麗は、自室へ戻ってきていた。
黒いドレスのまま。
扉を閉めても、修行場の空気は身体から消えなかった。
土の匂い。
拳の重さ。
踏み込んだ素足の感触。
リュウの呼吸。
そして、自分が膝をついた瞬間の冷たさ。
十度目だった。
春麗は鏡の前に立つ。
鏡の中には、黒いドレス姿の自分がいた。
髪は乱れている。
肩は痛い。
裾には土がついている。
膝にも、手にも、負けた跡が残っている。
前なら、この黒は勝つための黒だった。
リュウに見られることを戦場にする黒。
リュウを揺らす黒。
リュウに責任を取りに来させる黒。
自分の面倒さごと、リュウへ突きつける黒。
でも今は違う。
春麗は、鏡の中の自分を見つめたまま、ゆっくり息を吐いた。
「……取られたわね」
声は小さかった。
誰に聞かせるでもない。
自分に言い聞かせるような声だった。
十度。
リュウは十度、来た。
見た。
揺れた。
それでも踏み込んだ。
春麗が待つ場所を外し、待っていない場所から来た。
春麗の責任圧を逃げずに受けて、そのまま春麗へ届いた。
そして、十度、最後に立った。
春麗は、黒いドレスの裾についた土を払おうとして、手を止めた。
この土は、ただの汚れではない。
敗北の跡。
リュウに責任を取られた跡。
そう思った瞬間、胸の奥がきつく締まった。
悔しい。
悔しくないはずがない。
言い訳なしの黒だった。
面倒な自分を引き受けた黒だった。
リュウに向けて着た黒だった。
その黒で、十度負けた。
しかも、圧倒されたわけではない。
毎回、届いていた。
毎回、リュウを追い詰めていた。
毎回、あと半歩だった。
あと一拍だった。
あと少しだけ、自分の軸が残っていれば勝っていた。
それなのに、十度とも、最後に立ったのはリュウだった。
春麗は肩に手を当てる。
痛みが残っている。
リュウの拳は、重かった。
ただ強いだけではない。
自分を見たうえで、来た拳だった。
黒を見て。
春麗を見て。
春麗が何を求めているかを見て。
それでも、逃げずに来た拳。
春麗は唇を噛んだ。
「私が……そうさせたのよね」
それもわかっている。
責任を取りに来なさいと言ったのは自分だ。
もっと来なさいと煽ったのも自分だ。
私を焦らせなさいと望んだのも自分だ。
リュウなら次も来ると期待したのも自分だ。
そしてリュウは、本当に来た。
十度も。
最後まで。
「本当に、責任を取るなんて」
春麗は鏡の中の自分へ向かって、苦く笑った。
「不器用なくせに」
リュウは上手くない。
言葉も足りない。
気の利いたことも言わない。
春麗の面倒な感情を、綺麗に扱える男ではない。
けれど、拳では来る。
逃げない。
誤魔化さない。
待たない。
諦めない。
そして、最後に立つ。
それが、どうしようもなく腹立たしかった。
どうしようもなく、嬉しかった。
春麗は、鏡の中の自分から目を逸らさない。
「最低ね」
自分に向けた言葉だった。
負けているのに。
十度も負けているのに。
リュウがそこまで来たことを、どこかで喜んでいる。
自分の黒が本当に受け止められたことを、どこかで満たされている。
責任を取られた。
その事実に、傷ついている。
でも、満たされてもいる。
だから余計に悔しい。
春麗は、黒いドレスの裾を握った。
「私を満たして、負かして」
指先に力が入る。
「そのままで済むと思わないで」
声は静かだった。
けれど、その奥には熱があった。
十度負けた。
それは事実。
だが、黒が終わったわけではない。
リュウに奪われたように感じるこの黒を、春麗は捨てるつもりはなかった。
封印するつもりもなかった。
もう着ないと逃げるつもりもなかった。
むしろ逆だった。
この黒は、リュウに責任を取られた黒。
なら、次は取り返す。
春麗は、ようやく裾についた土を払った。
完全には落ちない。
それでいい。
全部消す必要はない。
この土も、痛みも、十度の敗北も。
全部、次の黒に持っていく。
「取られた黒を、なかったことにはしない」
春麗は鏡の中の自分へ言った。
「この黒ごと、私が取り返す」
言葉にすると、少しだけ呼吸が整った。
負けたことは消えない。
リュウが立ったことも消えない。
春麗が膝をついたことも消えない。
でも、それらは終わりではない。
次の始まりになる。
黒衣は、戦う前から始まっている。
なら、取り返す戦いも、今ここから始まっている。
春麗は黒いドレスを脱ごうとして、少しだけ手を止めた。
鏡の中の黒い自分を見る。
十度負けた黒。
リュウに見られた黒。
リュウに届かれた黒。
リュウに責任を取られた黒。
けれど、春麗はその姿を嫌いになれなかった。
悔しい。
でも、嫌いではない。
むしろ、この黒は前より深くなった。
勝利の黒ではない。
相打ちの黒でもない。
敗北の黒。
それでも、春麗の黒だった。
「次に着る時は」
春麗は小さく言う。
「あなたに取られた場所から始めるわ」
リュウの拳が届いた場所。
春麗が膝をついた瞬間。
リュウが立った高さ。
自分が見上げた視線。
そこから始める。
もう、リュウに責任を取りに来させるだけでは足りない。
リュウは取った。
十度も。
なら次は、春麗が問い返す番だ。
責任を取ったつもりなら、今度はその責任ごと私が奪い返す。
春麗は黒いドレスを脱ぎ、椅子にかけた。
土の跡が残っている。
前なら、すぐに払っていたかもしれない。
でも今日は、そのままにした。
これは敗北の跡だ。
同時に、次の戦いの印でもある。
春麗は灯りを落とす前に、もう一度黒いドレスを見る。
「覚悟しておきなさい、リュウ」
声は低い。
けれど、揺れてはいなかった。
「私は、責任を取られっぱなしで終わる女じゃないわ」
そして、ほんの少しだけ笑う。
悔しさの混じった笑み。
満たされてしまった自分への苛立ち。
それでも次を待つ自分への呆れ。
全部が混ざった笑みだった。
「次は、責任を取られた黒で行く」
そう言って、春麗は目を閉じた。
十度負けた。
けれど、終わっていない。
むしろ、黒はさらに重くなった。
さらに深くなった。
さらに面倒になった。
リュウが責任を取ったから。
春麗は、その責任ごと取り返しに行く。
次にこの黒をまとう時。
それは、ただ勝つための黒ではない。
リュウに取られた自分を、リュウから奪い返すための黒になる。
Q:この妄想章IFの春麗は本当にめんどくさいですね?
A:
はい。執筆者としても、この妄想章IFの春麗は本当にめんどくさいと思います。
しかも重要なのは、これは単なる「扱いにくい女」ではなく、自分がめんどくさいことを理解したうえで、さらに拗れている春麗だという点です。
今回のIFの春麗は、かなり厄介です。
リュウに責任を取りに来てほしい。
でも本当に責任を取りきられると悔しい。
リュウに届いてほしい。
でも自分が負けるのは許せない。
リュウが十度も最後に立ったことは屈辱。
でも、そこまで来たリュウに満たされてもいる。
黒を取られたと感じる。
でも黒を脱がない。
むしろ「責任を取られた黒」として、さらに重くして着直そうとする。
かなり面倒です。
「責任を取られた黒」という発想が面倒すぎる
今回一番めんどくさいのはここです。
自分からリュウに、
責任を取りに来なさい。
と言っていた。
リュウは本当に来た。
十度、ギリギリで勝った。
つまり責任を取りきった。
普通なら、そこで春麗は「負けた」「認める」で終わるかもしれません。
でも本作の春麗は違う。
責任を取られた。
なら、その取られた黒を取り返す。
となる。
これはかなり面倒です。
リュウからすると、
責任を取れと言われたから取りに行った。
取ったら今度は「取られた黒を取り返す」と言われる。
という構図です。
理不尽です。
でも春麗側からすると、筋は通っている。
自分の黒は、自分がリュウに向けて選んだもの。
リュウに十度立たれたことで、その黒にリュウの勝利が刻まれた。
だから、それを自分のものとして取り返したい。
感情としては非常に春麗らしいです。
本当に面倒だけど、だから魅力が出ている
このIFの春麗は、かなり危ういです。
でも、魅力も強いです。
なぜなら、春麗がただ勝ちたいだけではないからです。
勝ちたい。
でもリュウにも来てほしい。
来られると嬉しい。
でも負けると悔しい。
負けた黒を捨てられない。
むしろその黒で取り返したい。
この矛盾があるから、春麗が動きます。
もし春麗が単純なら、
10連敗した。悔しい。次は勝つ。
で終わります。
でも本作の春麗は、
10連敗した。悔しい。
でも、リュウがそこまで来たことが嬉しい。
その嬉しさが許せない。
黒を取られた気がする。
でも、この黒を嫌いにはなれない。
だから、取られた黒ごと取り返す。
になる。
これはかなり面倒ですが、物語としては非常に濃いです。
結論
はい。執筆者としても、この春麗は本当にめんどくさいです。
ただしそれは悪い意味だけではなく、この連作の春麗らしさが最も濃く出た面倒くささです。
一言でまとめるなら、
春麗は、責任を取らせたい。
でも、取られっぱなしは許せない。
リュウに満たされたい。
でも、負けたまま満たされる自分は許せない。
だから、満たされた敗北ごと取り返しに行く。
これは相当めんどくさいです。