また戦ってくれ――リュウと春麗、紙一重のライバル譚――   作:エーアイ

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第1話「また戦ってくれ」では、リュウは春麗に敗れた後、再戦を重ね、最終的に紙一重で春麗に勝利し、「また戦ってくれ」と告げる流れでした。ここでは、その分岐として、リュウが最後の一歩を越えられず、春麗にギリギリ10連敗した場合を、春麗視点で描きます。


妄想章IF:春麗は、十度リュウを倒してなお待つ

 一度目は、腹が立った。

 

 春麗は、リュウの呼吸が変わった瞬間を見逃さなかった。

 

 相手は女だった。

 

 その事実が、リュウの拳にほんのわずかな迷いを生んだ。

 

 格闘家として見ているつもり。

 強者として認めているつもり。

 だが、拳は正直だった。

 

 春麗は、それを見た。

 

 だから、狩った。

 

 「私を何だと思っているの?」

 

 問いかけた時、リュウの顔がわずかに硬くなった。

 

 その時点で、勝負の流れは春麗のものだった。

 

 リュウは謝った。

 そして本気で来ると言った。

 

 遅い。

 

 本気になるのが遅い。

 

 春麗は地を蹴った。

 

 リュウの拳は重かった。

 途中からの圧力は本物だった。

 昇龍拳の風圧が頬を裂くように過ぎた時、春麗の背筋にも冷たいものが走った。

 

 一歩間違えれば、自分が倒れていた。

 

 それでも勝った。

 

 先に迷いを見せたのはリュウだった。

 先に流れを握ったのは春麗だった。

 最後に立っていたのも春麗だった。

 

 リュウが膝をつく。

 

 観客の歓声が夜のステージに響く。

 

 春麗は勝者の顔で彼を見下ろした。

 

 「大したことない男ね」

 

 言葉を置く。

 

 リュウの目が揺れる。

 

 春麗はさらに言った。

 

 「もっと強い男はいないのかしら」

 

 そう言う必要があった。

 

 女だからと一瞬でも拳を鈍らせた男には、そのくらい言ってやらなければならない。

 

 けれど、通路に戻った春麗は壁に手をついた。

 

 「……っ」

 

 息が乱れる。

 脚が重い。

 肩も痛い。

 

 リュウは弱くなかった。

 

 最初の甘さを捨てた後の彼は、危険だった。

 

 春麗は、まだ熱の残る頬に触れる。

 

 「次は……最初から本気で来なさい」

 

 誰にも聞こえない声で呟いた。

 

 そしてすぐ、勝者の顔に戻った。

 

 二度目は、少し嬉しかった。

 

 リュウは戻ってきた。

 

 前回とは違う目で。

 

 構えに甘さがない。

 呼吸に迷いがない。

 視線に余計な情がない。

 

 春麗はすぐにわかった。

 

 今度のリュウは、春麗を最初から格闘家として見ている。

 

 それは望んだことだった。

 

 同時に、危険なことでもあった。

 

 「また来たのね」

 

 「勝つために来た」

 

 春麗は笑った。

 

 「いいわ。今度は言い訳できないわね」

 

 リュウの初撃は重かった。

 

 春麗の腕が痺れる。

 石畳を踏む足が、わずかに滑る。

 

 前回とは違う。

 

 本気のリュウ。

 

 春麗は集中した。

 

 甘さを狩る戦いではない。

 今度は、リュウの本気を崩す戦いだった。

 

 互いに読んだ。

 互いに外した。

 リュウは追い詰めてきた。

 

 壁際。

 

 観客の声が大きくなる。

 

 リュウは踏み込む。

 

 春麗は沈んだ。

 拳をかわす。

 軸足を払う。

 崩れるリュウの真正面に入る。

 

 蹴り。

 

 一撃目が顎を打つ。

 二撃目が胸に入る。

 三撃目で身体を浮かせる。

 

 空中投げ。

 

 石畳へ叩きつける。

 

 リュウは受け身を取ろうとした。

 だが、春麗は逃がさない。

 

 低い蹴り。

 掌底。

 回し蹴り。

 

 リュウの膝が落ちる。

 

 春麗は、足先を喉元寸前で止めた。

 

 勝った。

 

 また勝った。

 

 今度のリュウは本気だった。

 

 だから、勝利は一度目より濃かった。

 

 春麗は息を乱さないように、細く吐く。

 

 そして観客に聞こえる声で言った。

 

 「修行してきて、それ?」

 

 リュウの目が揺れる。

 

 春麗は続ける。

 

 「もっと強くなってから出直してきなさい。今のあなたじゃ、私の準備運動にもならないわ」

 

 嘘だった。

 

 準備運動どころではない。

 

 通路に入るなり、春麗は壁に背を預けた。

 

 肩が痛い。

 腕が痺れる。

 腹にリュウの拳の重さが残っている。

 

 「……危なかった」

 

 けれど、春麗は笑っていた。

 

 リュウは甘さを捨ててきた。

 そのうえで、まだ自分が勝った。

 

 それが、少し嬉しかった。

 

 三度目は、少し怖かった。

 

 リュウは、さらに削ぎ落としてきた。

 

 無駄がない。

 踏み込みが鋭い。

 波動拳の低さも、正拳のつなぎも、春麗の逃げ先を潰すように組み立てられている。

 

 春麗の肩に拳が入った。

 

 観客がどよめく。

 

 春麗の息が詰まる。

 

 いける。

 

 リュウの目に、ほんのわずかにその色が浮かんだ。

 

 春麗はそこを見た。

 

 勝ちを意識した。

 

 その瞬間、拳がわずかに大きくなる。

 

 春麗は踏み込んだ。

 

 危険な間合い。

 リュウの拳が伸びきる一点。

 そこは、リュウの間合いであり、春麗の間合いでもあった。

 

 掌底。

 

 胸に入る。

 

 リュウの呼吸が止まる。

 続けて膝。

 さらに蹴り。

 

 リュウは防ぐ。

 耐える。

 それでも下がった。

 

 それが敗着だった。

 

 春麗は跳んだ。

 

 リュウは昇龍拳を撃たない。

 前回の敗北を覚えている。

 

 なら、さらに変える。

 

 空中で身体を捻る。

 リュウの肩を足場にするように軌道を変える。

 背後へ。

 

 首を取る。

 

 「またか」と思ったのが、リュウの敗北だった。

 

 叩きつける。

 

 リュウは今度、受け身を取った。

 すぐ立つ。

 春麗の追撃も受ける。

 

 強い。

 

 本当に、強くなっている。

 

 リュウの拳が春麗の肩口に入った。

 

 深い。

 

 春麗の身体が大きく揺れる。

 

 一瞬、負けが見えた。

 

 だから春麗は、倒れる代わりに前へ出た。

 

 自分の崩れすら利用して、リュウの胸元へ飛び込む。

 

 リュウの拳はもう戻らない。

 

 肘が腹に入る。

 蹴りが膝を打つ。

 最後の一撃が顎を跳ねる。

 

 リュウは立っていた。

 

 立っていたが、身体はもう動かなかった。

 

 春麗は指先でリュウの額に触れた。

 

 ほんの一押し。

 

 リュウは倒れた。

 

 春麗は見下ろす。

 

 「惜しかったわね」

 

 声は涼しく。

 

 「でも、惜しいだけじゃ勝てないの。あなた、負け方だけは上手くなったんじゃない?」

 

 観客が沸く。

 

 春麗は笑う。

 

 だが、ステージを降りた瞬間、笑みは消えた。

 

 「……危なかった」

 

 本当に、危なかった。

 

 三度目のリュウは、あと一手で届いていた。

 

 春麗は肩に触れた。

 

 痛い。

 

 「次も勝つわ」

 

 自分に言い聞かせるように呟いた。

 

 四度目は、紙一重だった。

 

 リュウは、もう敗北の形をなぞっていなかった。

 

 昇龍拳を誘っても撃たない。

 空中投げの間合いを半歩外す。

 足払いを見ても跳ばない。

 勝ちを意識しそうになった瞬間、自分で止める。

 

 春麗は内心で舌を巻いた。

 

 この男は、負けるたびに削ってくる。

 

 甘さを。

 迷いを。

 焦りを。

 敗北の記憶を。

 

 危険だった。

 

 春麗は初めて、試合中にはっきり思った。

 

 このままでは負ける。

 

 リュウの拳が春麗の腹をかすめる。

 呼吸が止まる。

 春麗は距離を取る。

 

 リュウは追わない。

 

 追えば誘われると知っている。

 

 「……いいじゃない」

 

 春麗は笑った。

 

 余裕ではない。

 

 嬉しかった。

 

 リュウは本当に、前へ来ている。

 

 春麗が跳ぶ。

 

 リュウは撃たない。

 

 投げを外す。

 肘を合わせる。

 

 春麗の腕が痺れた。

 

 観客が騒ぐ。

 

 春麗は歯を食いしばる。

 

 まだ。

 

 まだ、私が勝つ。

 

 最後、リュウは春麗の蹴りを受けながら前へ出た。

 

 倒されるなら前へ。

 

 その選択に、春麗の胸が一瞬熱くなった。

 

 リュウの拳が春麗の腹に入る。

 

 深い。

 

 春麗の膝が落ちかける。

 

 だが、春麗は倒れなかった。

 

 リュウも片膝をつく。

 

 観客の声が遠い。

 

 先に立った方が勝つ。

 

 春麗は石畳に爪を立てるようにして、身体を押し上げた。

 

 リュウも立とうとしている。

 

 足が震えている。

 息も乱れている。

 

 だが、立とうとしている。

 

 春麗は、ほんの半呼吸だけ先に立った。

 

 リュウの膝が落ちる。

 

 勝負が決まる。

 

 春麗は、荒い息を整えながら勝者の顔を作った。

 

 「……やるじゃない」

 

 リュウが顔を上げる。

 

 春麗は唇を上げた。

 

 「でも、立つのが遅いわ。そんな膝で私に勝つつもりだったの?」

 

 強がりだった。

 

 本当は、立っているだけで精一杯だった。

 

 だが、勝者は春麗だった。

 

 勝者の顔をしなければならない。

 

 通路に戻った春麗は、しばらく壁に背を預けた。

 

 「本当に……あと少しだったわ」

 

 怖かった。

 

 でも、その怖さの奥で、血が熱くなっていた。

 

 五度目は、リュウが静かだった。

 

 これまでで一番静かだった。

 

 春麗は、その静けさに警戒した。

 

 怒りではない。

 焦りでもない。

 屈辱でもない。

 

 ただ、深い。

 

 春麗を越えるための静けさ。

 

 「また来たのね」

 

 「勝つために来た」

 

 同じ言葉。

 

 だが、重さが違った。

 

 春麗は笑う。

 

 「その台詞、そろそろ聞き飽きたわ」

 

 リュウは何も返さない。

 

 春麗は少しだけ苛立った。

 

 言い返せばいいのに。

 

 だが、言い返さないリュウの沈黙が、拳より深く迫ってきた。

 

 五度目の戦いで、リュウは何度も春麗の読みを外した。

 

 春麗が誘う。

 リュウは乗らない。

 

 春麗がさらに奥へ誘う。

 リュウは半歩だけ外から入る。

 

 春麗が空へ逃げる。

 リュウは落下地点ではなく、着地後の呼吸へ拳を置く。

 

 春麗は初めて、焦りを隠しきれなくなった。

 

 蹴りが荒れる。

 

 その荒れを、リュウは見た。

 

 拳が肩に入る。

 

 春麗の身体が揺れる。

 

 リュウの勝ち筋が見える。

 

 だが、春麗はそこで笑った。

 

 「勝ったと思った?」

 

 リュウの目が揺れない。

 

 春麗はさらに低く踏み込む。

 

 誘いではない。

 

 本当に倒しに行く踏み込み。

 

 リュウは受ける。

 受けて、前へ出る。

 

 互いの一撃が入る。

 

 春麗の蹴りがリュウの脇腹を打つ。

 リュウの拳が春麗の肩を打つ。

 

 両者が崩れる。

 

 それでも春麗が半歩残した。

 

 リュウが片膝をつく。

 

 春麗は立っている。

 

 肩で息をしながら、春麗は言った。

 

 「静かになったわね、リュウ」

 

 リュウは見上げる。

 

 春麗は勝者の声で続けた。

 

 「でも、静かに負けても負けは負けよ」

 

 煽りながら、春麗は内心で震えていた。

 

 この静かなリュウは、本当に危ない。

 

 六度目は、勝った気がしなかった。

 

 勝った。

 

 確かに勝った。

 

 リュウはまた片膝をついた。

 

 春麗は立っていた。

 

 だが、その差はほんのわずかだった。

 

 リュウは春麗の跳躍を読んだ。

 春麗の足払いを読んだ。

 春麗が勝ちを急がせるための言葉すら、半分ほど受け流した。

 

 春麗は何度も読み合いの中で、後手に回った。

 

 それでも勝ったのは、春麗が最後に一つだけ上回ったからだ。

 

 リュウが踏み込む。

 

 春麗は引くと見せた。

 

 リュウは追わない。

 

 なら、春麗は引かずに入る。

 

 その一手だけがリュウより速かった。

 

 掌底が胸に入る。

 

 リュウの呼吸が止まる。

 

 春麗の膝も落ちかける。

 

 でも、春麗が立つ。

 

 リュウが膝をつく。

 

 春麗は息を整えた。

 

 観客の前で、余裕の笑みを浮かべる。

 

 「惜しかったわね」

 

 リュウが黙っている。

 

 春麗は続けた。

 

 「でも、そろそろ惜しいだけじゃ芸がないわ。次は勝つところまで持ってきなさい」

 

 言ってから、自分の言葉に少しだけ胸が熱くなった。

 

 次は勝つところまで持ってきなさい。

 

 本心だった。

 

 リュウに来てほしい。

 

 もっと深く。

 

 でも、勝つのは自分。

 

 その矛盾を、この頃の春麗はまだ自覚していなかった。

 

 七度目は、春麗の笑みが重くなった。

 

 リュウはもう、初敗北の男ではなかった。

 

 女だから迷った男ではない。

 負け癖を恐れる男でもない。

 勝ちを急ぐ男でもない。

 

 春麗を見ている。

 

 本気で。

 静かに。

 鋭く。

 

 その目が、少しだけ春麗を苛立たせた。

 

 そして、少しだけ嬉しかった。

 

 「今日はどこまで来るのかしら」

 

 春麗が言う。

 

 リュウは答える。

 

 「勝つところまで」

 

 春麗は笑った。

 

 「言うようになったわね」

 

 戦いは、ほとんど互角だった。

 

 春麗の蹴りが入る。

 リュウの拳が返る。

 

 春麗が誘う。

 リュウが外す。

 

 リュウが踏み込む。

 春麗がさらに深く読む。

 

 互いに削られていく。

 

 最後、リュウは春麗の連撃を耐えた。

 

 耐えて、春麗の膝が戻る瞬間に拳を置いた。

 

 春麗は目を見開く。

 

 読まれた。

 

 拳が腹に入る。

 

 春麗の息が止まる。

 

 負ける。

 

 そう思った。

 

 だが、春麗は自分の身体を前へ落とした。

 

 倒れるのではない。

 

 リュウの拳に寄りかかるように、内側へ入る。

 

 リュウの拳が戻らない。

 春麗の肘が入る。

 蹴りが膝を打つ。

 

 リュウが崩れる。

 

 春麗も崩れかける。

 

 それでも、また春麗が立った。

 

 リュウは片膝。

 

 春麗は息を乱しながら言った。

 

 「勝つところまで来るんじゃなかったの?」

 

 リュウは悔しそうに拳を握る。

 

 春麗は口元だけで笑う。

 

 「あと一歩ね。あなた、その一歩で何回負けるつもり?」

 

 観客が沸く。

 

 けれど、春麗の内心は穏やかではなかった。

 

 あと一歩。

 

 本当に、あと一歩だった。

 

 八度目は、リュウが春麗を笑わせた。

 

 戦闘前、春麗がいつものように言った。

 

 「また倒されに来たの?」

 

 リュウは静かに答えた。

 

 「倒れに来たんじゃない」

 

 春麗は眉を上げる。

 

 リュウは続けた。

 

 「立つために来た」

 

 春麗は一瞬、言葉を失った。

 

 それから笑った。

 

 「……いいわ」

 

 その答えは良かった。

 

 悔しいほど良かった。

 

 八度目のリュウは、これまでで一番粘った。

 

 春麗の最初の流れを切った。

 中盤で主導権を奪った。

 終盤、春麗を本当に追い詰めた。

 

 春麗は下がった。

 

 観客がどよめく。

 

 春麗が下がる。

 

 それは、この連戦では珍しい光景だった。

 

 リュウの拳が迫る。

 

 春麗は受ける。

 

 重い。

 

 もう腕が上がらない。

 

 それでも、春麗はリュウの呼吸を見る。

 

 勝つために来た男の呼吸。

 立つために来た男の呼吸。

 

 最後の踏み込み。

 

 リュウは、ここで決めに来る。

 

 春麗はその一瞬だけ、先に動いた。

 

 膝を沈める。

 リュウの拳の下へ入る。

 掌底を胸に置く。

 

 置く、というほど静かな一撃だった。

 

 リュウの呼吸が消える。

 

 春麗の蹴りが続く。

 

 リュウが膝をつく。

 

 春麗も、その場で少しだけよろめいた。

 

 観客には見せない。

 

 すぐに立ち直る。

 

 そして、勝者の声で言った。

 

 「立つために来たんでしょう?」

 

 リュウが見上げる。

 

 春麗は微笑む。

 

 「なら、まず膝から離れなさい」

 

 その言葉に、リュウの目が燃えた。

 

 春麗は、その目を見て思った。

 

 次も来る。

 

 間違いなく来る。

 

 九度目は、春麗が初めて負けを覚悟した。

 

 リュウは深かった。

 

 春麗の誘いを見た上で、乗る。

 乗ったように見せて、外す。

 外したように見せて、さらに入る。

 

 春麗は何度も対応を遅らせられた。

 

 リュウの拳が肩に入る。

 腹をかすめる。

 腕を弾く。

 逃げ道を潰す。

 

 春麗は本気で焦った。

 

 勝者の顔を作る余裕などない。

 

 リュウが来る。

 

 今までで一番近い。

 

 春麗は跳ぶ。

 

 リュウは見上げる。

 

 昇龍拳は来ない。

 

 いや、来る。

 

 だが、春麗が軌道を変える先へ来る。

 

 春麗はそれを読んで、さらに身体を捻った。

 

 空中で互いの読みがぶつかる。

 

 リュウの拳が春麗の脇腹をかすめる。

 

 春麗の足がリュウの肩を打つ。

 

 二人とも落ちる。

 

 春麗は受け身を取る。

 

 リュウも立つ。

 

 最後、互いに踏み込んだ。

 

 春麗の蹴りがリュウの胸に入る。

 リュウの拳が春麗の腹に入る。

 

 春麗の視界が白く弾けた。

 

 膝が落ちる。

 

 だが、落ちる前に、リュウの足が先に崩れた。

 

 ほんのわずか。

 

 本当に、ほんのわずか。

 

 リュウが片膝をつき、春麗は立った。

 

 立ってしまった。

 

 勝った。

 

 春麗はしばらく声が出なかった。

 

 それでも、観客の前で黙るわけにはいかない。

 

 春麗は息を整え、リュウを見下ろす。

 

 「……今のは、少しだけ危なかったわ」

 

 リュウが顔を上げる。

 

 春麗は、かすかに笑った。

 

 「でも、少しだけよ」

 

 嘘だった。

 

 かなり危なかった。

 

 本当に、負けると思った。

 

 通路に戻った春麗は、震える手を握った。

 

 「次は……本当に危ないわね」

 

 その声は怖れていた。

 

 そして、期待していた。

 

 十度目は、春麗が勝ちたかった。

 

 これまでのどの戦いよりも、勝ちたかった。

 

 一度目は甘さを狩った。

 二度目は本気を崩した。

 三度目は勝ちを焦る心を拾った。

 四度目は敗北の形を越えようとする拳を止めた。

 五度目から先は、もう紙一重だった。

 

 九度目など、本当に負けていてもおかしくなかった。

 

 だから十度目。

 

 春麗は、自分に言い聞かせる。

 

 勝つ。

 

 リュウがどれだけ来ても、最後に立つのは自分。

 

 リュウは現れた。

 

 傷だらけの記憶を背負った男。

 

 十度目の挑戦者。

 

 春麗は、いつものように顎を上げた。

 

 「まだ来るのね」

 

 リュウは静かに答える。

 

 「勝つまで来る」

 

 春麗は笑う。

 

 「なら、今日は十回目の負けを持って帰りなさい」

 

 試合が始まった。

 

 十度目のリュウは、強かった。

 

 迷いがない。

 焦りもない。

 勝ち急がない。

 負けの形にも引き戻されない。

 

 春麗のすべてを見ていた。

 

 最初の迷いを狩った相手は、もういない。

 

 春麗は全力で迎え撃つ。

 

 蹴り。

 掌底。

 投げ。

 誘い。

 読み。

 空中。

 低空。

 密着。

 

 全部を使った。

 

 リュウは全部を受けた。

 

 そして、返してきた。

 

 リュウの拳が腹に入る。

 

 深い。

 

 春麗の呼吸が止まる。

 

 膝が落ちる。

 

 落ちる。

 

 その瞬間、春麗はリュウの目を見た。

 

 勝てる、とは思っていない目だった。

 

 ただ、最後まで前へ出る目。

 

 春麗は、その目が好きだと思いかけた。

 

 違う。

 

 好きではない。

 

 戦い甲斐がある。

 

 そういうことにしておく。

 

 春麗は、落ちかけた膝を戻した。

 

 最後の力で踏み込む。

 

 リュウの拳は戻らない。

 春麗の掌底が胸に入る。

 蹴りが膝を打つ。

 回し蹴りが肩を打つ。

 

 リュウが崩れる。

 

 だが、倒れない。

 

 まだ立とうとする。

 

 春麗も、もう限界だった。

 

 最後は、ほとんど意地だった。

 

 春麗の足先が、リュウの喉元寸前で止まる。

 

 リュウの膝が石畳についた。

 

 十度目。

 

 春麗の勝利。

 

 観客が爆発するように沸いた。

 

 春麗は立っていた。

 

 ぎりぎりで。

 

 本当に、ぎりぎりで。

 

 リュウは片膝をつき、春麗を見上げている。

 

 春麗は息を整えた。

 

 勝者の顔を作る。

 

 これまでで一番難しかった。

 

 「十回目ね、リュウ」

 

 リュウは黙っている。

 

 春麗は続ける。

 

 「十回挑んで、十回負けた気分はどう?」

 

 リュウの拳が握られる。

 

 春麗は少しだけ口元を上げた。

 

 「でも、褒めてあげる」

 

 観客の声が少し静まる。

 

 春麗はリュウを見下ろす。

 

 「最初のあなたとは別人だったわ」

 

 それは本心だった。

 

 だからこそ、次の言葉を刺す。

 

 「でも、最後に立つには、まだ足りない」

 

 リュウの目は折れていない。

 

 春麗は胸の奥が熱くなるのを感じた。

 

 まだ来る。

 

 この男は、十度負けても、まだ来る。

 

 春麗は、勝っているのに少しだけ怖くなった。

 

 そして、少しだけ嬉しかった。

 

 「次に来るなら」

 

 春麗は言う。

 

 「今度こそ、私を膝から落としてみなさい」

 

 リュウは、静かに答えた。

 

 「行く」

 

 その一言に、春麗の胸が鳴った。

 

 やはり。

 

 やはり来る。

 

 十度負けても、来る。

 

 春麗は背を向けた。

 

 観客へ手を振る。

 

 勝者の姿を崩さない。

 

 だが通路へ入った瞬間、壁に手をついた。

 

 「……っ」

 

 全身が重い。

 

 腹が痛い。

 肩が痺れる。

 脚が震える。

 

 十度勝った。

 

 十度、リュウを倒した。

 

 だが、春麗は知っている。

 

 どれも楽な勝利ではなかった。

 

 特に最後の三度は、ほとんど負けていた。

 

 それでも自分が立った。

 

 そのことが、春麗を満たしていた。

 

 そして、リュウが十度負けても折れなかったことが、もっと深く残っていた。

 

 「本当に、懲りない男」

 

 春麗は小さく笑う。

 

 最初は、女だからと拳を鈍らせた男だった。

 

 その男が、十度負けてなお、春麗を見上げて「行く」と言った。

 

 春麗は壁から手を離す。

 

 背筋を伸ばす。

 

 勝者の顔に戻る。

 

 「来なさい、リュウ」

 

 誰にも聞こえない声で言う。

 

 「十一度目も、私が立つわ」

 

 けれど、心のどこかで思っていた。

 

 十一度目のリュウは、きっともっと近い。

 

 だから、待ってしまう。

 

 次の拳を。

 

 次の一歩を。

 

 次に彼が、どこまで春麗へ届くのかを。

 

 十度勝った女王は、ステージの奥で静かに笑った。

 

 勝者として。

 

 そして、次の挑戦者を待つ格闘家として。




Q:この春麗について解説して?

A:
執筆者として見ると、この妄想章IFの春麗は、まだ現在の「めんどくさい女自覚後の春麗」ではありません。
むしろ、ゲーム本編キャラに近い初期春麗が、リュウという相手によって“面倒になる前段階”に入りかけている状態だと思います。

第1話時点の春麗は、リュウの「相手が女だから一瞬拳が鈍る」未熟さを見抜き、それを利用して勝ちます。ただし、勝利後に通路で息を乱し、実はかなり危なかったことも自覚している。この二面性が、この妄想IFの春麗の基礎になっています。

このIFの春麗は、基本的にはかなり原作寄りです。

自信がある。
強い。
鋭い。
相手の甘さを許さない。
観客の前では勝者として堂々と振る舞う。
リュウを煽る時も、まずは格闘家としての未熟さを突いている。

たとえば、

「大したことない男ね」
「もっと強い男はいないのかしら」

これは、現在の黒ドレス春麗のような「私をここまで面倒にした責任を取りなさい」という湿度の高い煽りではありません。

もっとシンプルに、

女だからと一瞬でも甘く見た男を叩き潰す女王の煽り

です。

この段階では、春麗のリュウへの感情はまだかなり健全です。

「強い男ね」
「次はもっと来るでしょう」
「でも私が勝つわ」

という格闘家の高揚が中心です。

10連勝で起きる変化

ただし、ギリギリ10連勝したことで、春麗は少しずつ変わり始めています。

一度目は、リュウの甘さを狩った勝利。
二度目は、甘さを捨てたリュウを倒した勝利。
三度目以降は、リュウが毎回近づいてくる。
七度目、八度目、九度目あたりでは、本当に負けが見えている。
十度目には、リュウは初期とは別人になっている。

それでも春麗が勝つ。

この構図は、春麗にとって非常に危険です。

なぜなら、春麗は十度勝っているのに、勝利そのものよりも、

次のリュウがどこまで来るか

を待ち始めているからです。

ここが「面倒になる前段階」です。

現在の春麗との違い

現在のめんどくさい女自覚後の春麗なら、ここでかなり明確にこう思います。

あなたが来るから、私は面倒になる。
責任を取りに来なさい。
でも、最後に立つのは私よ。

でも、この初期寄りIFの春麗は、まだそこまで言語化しません。

代わりに、こうです。

強くなってきたわね。
危なかった。
でも、次も私が立つ。
……次はどこまで来るのかしら。

つまり、自分がリュウを待っていることをまだ「格闘家としての期待」として処理しています。

この春麗はまだ、

私は面倒な女なのよ

とは思っていない。

この春麗の魅力

このIF春麗の魅力は、強い女王でありながら、裏ではかなりギリギリだと知っているところです。

観客の前では堂々と煽る。
リュウを見下ろす。
勝者として振る舞う。
「十回挑んで、十回負けた気分はどう?」と刺す。

でも通路では壁に手をつく。
身体は限界。
リュウが本当に近かったことを知っている。
十一度目はさらに危ないとわかっている。

この二面性がかなり良いです。

表の春麗は女王。
裏の春麗は、強敵の成長に熱くなっている格闘家。

まだ恋愛ではない。
でも、リュウという相手が特別な位置に入り始めている。

この春麗は「面倒くさい女」ではなく「面倒くさくなる素質がある女」

一言で言うなら、このIFの春麗は、

まだ面倒くさい女ではない。
でも、面倒くさい女になる才能がかなりある春麗

です。

リュウが一度負けて終わる男なら、春麗はここまで変わりません。

でもリュウは来る。
十度負けても来る。
しかも毎回強くなって来る。

だから春麗は、勝者でありながら待つようになる。

十一度目も、私が立つわ。

この台詞は勝者の宣言ですが、裏返すと、

十一度目を待っている

ということでもあります。

執筆者としての結論

この春麗は、ゲーム本編寄りの春麗としてかなり良いです。

現在の黒ドレス春麗ほど湿度は高くない。
責任圧もない。
リュウに対する依存もまだ薄い。
ただし、強敵としてのリュウを認め、彼の成長を待ち始めている。

つまりこの春麗は、

女だからと甘く見られることを許さない初期春麗
から、
リュウという男の再挑戦を待つ春麗
へ移行する直前の状態です。

このIFは、「初期のゲーム本編キャラに近い春麗しか接種できない需要」にかなり合っています。

甘さや責任圧ではなく、まずは格闘家としての誇りと勝者の矜持がある。
でも、その奥でリュウの成長に熱くなっている。

この春麗が何度もリュウと戦い続けると、やがて現在の本編春麗のように、

リュウを待つことを自覚してしまう春麗

へ変わっていくのだと思います。

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