また戦ってくれ――リュウと春麗、紙一重のライバル譚――   作:エーアイ

57 / 69
※これは本編時空とは無関係の妄想章IFです。
本編の流れではなく、「春麗がリュウにギリギリの十連勝をした後、十一度目を待ってしまった場合」の仮定です。


妄想章IF:春麗は、十一度目を待ってしまう

 十度目の勝利の後、春麗は勝者としてステージを降りた。

 

 観客の歓声が背中に降る。

 灯籠の明かりが石畳に揺れる。

 夜の街は、いつも通り熱を帯びている。

 

 春麗は手を振った。

 

 余裕のある勝者として。

 十度挑んできたリュウを、十度退けた女として。

 

 「十一度目も、私が立つわ」

 

 通路に入る前、春麗はそう言った。

 

 観客は沸いた。

 

 敗れたリュウは、片膝をついたまま春麗を見ていた。

 その目は、まだ折れていなかった。

 

 春麗はその目を見て、少しだけ笑った。

 

 十度負けても、まだその目をしている。

 

 なら、来るでしょう。

 

 十一度目も。

 

 春麗はそう思っていた。

 

 当然のように。

 

 けれど、次の日。

 

 リュウは来なかった。

 

 春麗は、いつものようにステージに立った。

 

 夜の街。

 灯り。

 石畳。

 観客のざわめき。

 

 春麗の名前を呼ぶ声がある。

 挑戦者を求める声もある。

 

 だが、リュウはいない。

 

 春麗は軽く構えを確認し、何でもない顔で周囲を見る。

 

 来ない。

 

 まあ、当然かもしれない。

 

 十度も負けたのだ。

 身体も痛むはず。

 気持ちを整える時間も必要だろう。

 

 そう考えれば、何もおかしくない。

 

 春麗は小さく息を吐いた。

 

 「別に、今日来るなんて言っていないものね」

 

 誰に言うでもなく呟く。

 

 その声が、自分でも少し不機嫌に聞こえた。

 

 春麗は眉を寄せる。

 

 何を苛立っているの。

 

 リュウが来ない。

 

 それだけだ。

 

 十度負けた男が、一日来なかっただけ。

 

 それだけのこと。

 

 春麗はその夜、何事もなかったようにステージを後にした。

 

 次の日も、リュウは来なかった。

 

 春麗はいつものように立つ。

 

 いつものように観客を見る。

 

 いつものように挑戦者を退ける。

 

 だが、どこかで視線が探していた。

 

 白い胴着。

 赤い鉢巻。

 無口で、まっすぐな目。

 十度負けても折れなかった拳。

 

 いない。

 

 春麗は、挑戦者を倒した後、いつもより少し強めに息を吐いた。

 

 相手は悪くなかった。

 だが、足りない。

 

 技の速さも。

 踏み込みの深さも。

 こちらを見る目も。

 

 リュウとは違う。

 

 そう思って、春麗はすぐにその考えを打ち消した。

 

 何を比べているの。

 

 相手は相手。

 リュウはリュウ。

 

 彼だけが特別なわけではない。

 

 春麗は勝者として観客に向かって微笑んだ。

 

 だが、通路へ戻る足取りは、いつもより少し重かった。

 

 三日目。

 

 リュウは来ない。

 

 春麗は控えの通路で腕を組んでいた。

 

 「何よ」

 

 低く呟く。

 

 「十回も負けておいて、今さら来ないの?」

 

 言ってから、自分の言葉に少し驚いた。

 

 今さら来ない。

 

 まるで、来るのが当然だったみたいだ。

 

 春麗は壁にもたれた。

 

 違う。

 

 来ると思っただけ。

 

 あの目をしていたから。

 十度負けても、まだ立とうとしていたから。

 「行く」と言ったから。

 

 だから、来ると思った。

 

 それだけ。

 

 それ以上の意味はない。

 

 春麗は自分に言い聞かせる。

 

 しかし、胸の奥の苛立ちは消えなかった。

 

 四日目。

 

 春麗は、リュウが来ない理由を考え始めた。

 

 怪我をしたのかもしれない。

 

 十度目は本当に危なかった。

 春麗も全身が痛んだ。

 リュウはもっと痛んでいたはずだ。

 

 どこかで倒れているのか。

 

 そう思った瞬間、春麗は眉をひそめた。

 

 何を心配しているの。

 

 あの男なら大丈夫でしょう。

 

 十度負けても立つ男だ。

 そう簡単に折れるはずがない。

 

 なら、修行か。

 

 山にでも戻っているのかもしれない。

 十度の敗北を持ち帰って、拳を振っているのかもしれない。

 

 春麗は、リュウが山中で一人黙々と拳を振る姿を想像した。

 

 息を整え、敗北の形を反芻し、春麗の蹴りを、掌底を、投げを、呼吸を思い出しながら、次に勝つための拳を磨いている。

 

 その想像に、胸が少しだけ熱くなった。

 

 そしてすぐに、腹が立った。

 

 「勝手に強くなって戻ってくるつもり?」

 

 声に出していた。

 

 誰もいない通路で。

 

 春麗は自分で自分に呆れる。

 

 勝手に強くなって戻ってくる。

 

 それの何が悪いのか。

 

 格闘家なら当然だ。

 負けたなら修行する。

 次に勝つために鍛える。

 

 むしろ春麗は、そういうリュウを望んでいたはずだった。

 

 なのに。

 

 来ないことが、気に入らない。

 

 五日目。

 

 春麗は、ついに認めかけた。

 

 自分は、リュウを待っている。

 

 ただの挑戦者としてではない。

 十度負けた男としてでもない。

 

 次にどんな拳を持ってくるのか。

 どこまで近づいてくるのか。

 どんな顔で十一度目に立つのか。

 

 それを待っている。

 

 春麗は鏡の前で、自分の顔を見た。

 

 いつもの髪。

 いつもの武道服。

 いつもの勝者の顔。

 

 だが、目だけが少し不機嫌だった。

 

 「……馬鹿みたい」

 

 春麗は呟く。

 

 勝者は自分だ。

 

 十度勝った。

 

 リュウは十度負けた。

 

 なのに、待っているのは春麗の方。

 

 それが気に入らない。

 

 とても気に入らない。

 

 春麗は拳を握った。

 

 「次に来たら、まず文句を言ってやるわ」

 

 そう決めた。

 

 遅いわね、と。

 

 十回負けておいて、どれだけ待たせるつもりなの、と。

 

 けれど、その言葉を考えた時点で、もう待っている。

 

 春麗は鏡から目を逸らした。

 

 六日目。

 

 リュウはまだ来ない。

 

 春麗は別の挑戦者を倒した。

 

 相手は強かった。

 だが、春麗を本気で焦らせるほどではなかった。

 

 勝利後、観客に向かって微笑む。

 

 いつものように。

 

 けれど、心の中では別のことを考えていた。

 

 リュウなら、今の三手目に踏み込んでくる。

 リュウなら、あの跳躍は追わない。

 リュウなら、そこで勝ちを急がない。

 

 春麗は、戦いながらリュウを基準にしていた。

 

 気づいた瞬間、春麗は胸の奥がざわついた。

 

 何をしているの。

 

 目の前の相手を見なさい。

 

 そう自分に言い聞かせても、もう遅い。

 

 リュウは、いないのに春麗の中にいた。

 

 七日目。

 

 春麗は、修行場に一人で立った。

 

 観客はいない。

 歓声もない。

 

 夜気だけが石畳に落ちている。

 

 春麗はゆっくり構えた。

 

 リュウの踏み込みを想像する。

 

 重い拳。

 まっすぐな視線。

 迷いを削った呼吸。

 十度負けてもまだ折れない膝。

 

 春麗は、その想像へ蹴りを放つ。

 

 リュウなら受ける。

 次に前へ出る。

 なら、こちらは半歩外す。

 いや、十一度目のリュウなら、それも読んでくるかもしれない。

 

 春麗は動きを止めた。

 

 いない相手と、戦っていた。

 

 その事実に、春麗はしばらく黙った。

 

 「……本当に、何をしているのかしら」

 

 声は苦い。

 

 でも、どこか楽しそうでもあった。

 

 認めたくない。

 

 認めたくないが、否定もできない。

 

 春麗は、十一度目のリュウともう戦っている。

 

 彼が来る前から。

 

 八日目。

 

 春麗の苛立ちは、少し形を変えた。

 

 来ないことに腹が立つ。

 

 でも、来ないなら来ないで、どれほど強くなっているのか気になってしまう。

 

 これはまずい。

 

 春麗はそう思った。

 

 完全に、あの男の次を待っている。

 

 十度勝った自分が。

 

 勝者の春麗が。

 

 十度倒した男の十一度目を、待っている。

 

 「……気に入らないわね」

 

 春麗は腕を組む。

 

 本当に気に入らない。

 

 リュウが来ないことも。

 

 自分が待っていることも。

 

 来たら来たで、きっと少し嬉しくなることも。

 

 全部、気に入らない。

 

 九日目。

 

 春麗は、通路で足音を聞いた。

 

 一瞬だけ、顔を上げる。

 

 だが、現れたのは別の格闘家だった。

 

 春麗は表情を変えなかった。

 

 だが、胸の奥で何かが少しだけ沈んだ。

 

 それが自分でもわかった。

 

 違った。

 

 リュウではなかった。

 

 ただそれだけで、少しがっかりした。

 

 春麗は、その感情に本気で呆れた。

 

 「……末期ね」

 

 誰にも聞こえない声で呟く。

 

 その日の挑戦者を倒した後、春麗はいつもより鋭く言った。

 

 「次」

 

 観客が沸く。

 

 しかし、次に来るべき男は来なかった。

 

 十日目。

 

 春麗は、とうとうはっきりと言葉にした。

 

 「私は、待っているのね」

 

 控えの部屋。

 

 誰もいない。

 

 春麗は椅子に腰を下ろし、膝の上で手を組んでいた。

 

 十度勝った。

 

 十度、リュウを倒した。

 

 でも、十一度目を待っている。

 

 勝つために。

 迎え撃つために。

 もう一度、あの拳がどこまで来るかを確かめるために。

 

 それは格闘家としての期待。

 

 そう言えば、綺麗だ。

 

 でも、少し違う。

 

 春麗は、リュウが来ると思っていた。

 

 来てほしいと思っていた。

 

 次はもっと強くなって来ると、勝手に期待していた。

 

 その期待が外れたから、苛立っている。

 

 「本当に、面倒ね」

 

 春麗は自分に向かって言った。

 

 この時の春麗は、まだ「めんどくさい女」とまでは言わない。

 

 言わないけれど、芽はあった。

 

 自分でも、少しだけわかっていた。

 

 リュウが来ないだけで、こんなに調子が狂う。

 

 それは、かなりまずい。

 

 それなのに、どうしようもなく待っている。

 

 春麗は立ち上がった。

 

 鏡の前に立つ。

 

 いつもの自分が映っている。

 

 強い春麗。

 勝者の春麗。

 十度リュウを倒した春麗。

 

 その春麗が、敗者の再挑戦を待っている。

 

 春麗は、鏡の中の自分へ言った。

 

 「次に来たら、絶対に文句を言うわ」

 

 それは本心だった。

 

 そして、もうひとつの本心もあった。

 

 来なさい、リュウ。

 

 早く。

 

 その拳を、十一度目のあなたを、見せに来なさい。

 

 春麗は目を閉じる。

 

 十一度目も、自分が立つ。

 

 そう思っている。

 

 けれど、十一度目のリュウがどこまで来るのかを、もう待ってしまっている。

 

 勝者の春麗は、敗者の再挑戦を待っていた。

 

 苛立ちながら。

 

 呆れながら。

 

 それでも、確かに。

 

 リュウが来ない夜の静けさの中で、春麗は初めて、自分の中に生まれた面倒な期待に気づいた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。