また戦ってくれ――リュウと春麗、紙一重のライバル譚―― 作:エーアイ
本編の「めんどくさい女と自覚した春麗」が、どこかの平行世界で展開された 拗れ最難関救済ルート春麗の後日談『黒を着ていないのに、黒が消えていない』を、残響として受信してしまった話です。
春麗は、青い武道服の袖を整えていた。
いつもの青。
慣れた布地。
慣れた重さ。
慣れた呼吸。
黒ではない。
それなのに、胸の奥に黒が残っていた。
「……また?」
春麗は鏡の前で眉を寄せた。
残響。
どこか別の世界で、自分ではない自分がリュウと何かをした時、その余韻だけがこちらへ流れてくる。
最近、それが増えている。
しかも、厄介なものばかりだ。
甘い。
重い。
面倒くさい。
そして、どれもなぜか春麗の胸に刺さる。
今日の残響は、黒だった。
黒いドレス。
十回沈めたリュウ。
十一戦目で止まらなかったリュウ。
女としての春麗も、格闘家としての春麗も見たと言ったリュウ。
そこまでは、以前にも受信した。
だが、今日流れてきたものは少し違った。
黒を着ていない夜。
黒いドレスは椅子にかけられている。
春麗は黒を着ていない。
青でもない。
戦闘服でもない。
それでも、リュウは黒い春麗を忘れていなかった。
黒を着ていないのに、黒が消えていない。
その事実が、残響として春麗の胸に落ちてきた。
春麗は、鏡の中の自分を見る。
青い武道服の春麗。
本編の春麗。
自分をめんどくさい女だと、もう自覚している春麗。
「……黒を着ていないのに、黒が消えていない」
声に出すと、思った以上に重かった。
そして、甘かった。
春麗は顔をしかめる。
「何なのよ、それ」
本当に。
何なのか。
黒を着ていないのに、黒を忘れられていない。
黒を脱いだのに、黒の自分をなかったことにされていない。
女として見られた自分も、格闘家として見られた自分も、リュウの中に残っている。
それが、あちらの春麗を救っていた。
春麗は胸に手を当てた。
「……ずるいわね」
自然に出た言葉だった。
ずるい。
黒ドレス特化版の春麗は、リュウに十回も沈めて、十一回目でも勝って、それでも救われた。
しかも、黒を脱いだ後にまで、黒い自分を覚えられている。
重い。
あまりにも重い。
だが、本編の春麗は思ってしまった。
少し、羨ましい。
「……最悪」
自分で自分に呆れる。
別世界の自分に嫉妬している。
それも、黒を着ていないのに黒を忘れられていないという一点に。
本当に面倒だ。
春麗は、鏡の前で腕を組んだ。
「私は、最初からめんどくさい女だと自覚しているのよ」
鏡の中の自分へ言う。
「黒も青も、どちらでもない私も、全部私だってわかっている」
わかっている。
少なくとも、そう思っていた。
だが、今回の残響はそこを揺らした。
わかっていることと、リュウに覚えられていることは違う。
自分で認めることと、リュウがなかったことにしないことは違う。
本編春麗は、自分の黒を運用できる。
自分の面倒さも自覚している。
リュウが来るなら、次を選ぶ。
だが、それでも。
黒を着ていない日に、リュウが黒い春麗を忘れていない。
その安心は、少し別物だった。
春麗は、小さく息を吐いた。
「……あなた、本当に責任が重いわよ」
それは、ここにはいないリュウへの言葉だった。
修行場には、リュウがいた。
本編のリュウ。
あちらの世界で黒ドレス春麗に十回沈められたリュウではない。
少なくとも、この世界では。
だが、春麗はもう知っている。
リュウという男は、どの世界でも来る。
負けても来る。
見ても来る。
見惚れても来る。
止まらずに来る。
春麗が近づくと、リュウは顔を上げた。
「春麗」
「いたのね」
「ああ」
「当然みたいな顔をして」
「そうか」
「そうよ」
春麗は青い武道服のまま、リュウの前に立った。
黒は着ていない。
黒いドレスもない。
今日の春麗は青だ。
だが、残響のせいで胸の奥が少し重い。
春麗はリュウを見た。
「ねえ、リュウ」
「何だ」
「私が今日、青を着ていても」
「ああ」
「黒い私のことを忘れる?」
リュウは少しだけ黙った。
春麗の胸が跳ねる。
その沈黙が怖い。
そして、期待している自分が腹立たしい。
リュウは答えた。
「忘れない」
春麗は息を止めかけた。
「……即答しなさいよ」
「考えた」
「考えなくていいわ」
「大事だと思った」
春麗は、言葉を失いそうになった。
本当に。
この男は。
本編のリュウも、ちゃんと面倒なところへ来る。
春麗は視線を鋭くした。
「何を忘れないの?」
リュウは春麗を見る。
青い春麗を見る。
そのうえで言った。
「黒で戦うお前」
春麗は黙る。
「俺を沈めるお前」
春麗の胸が熱くなる。
「見られたいのに、見られすぎると怒るお前」
春麗は完全に止まった。
「……あなた」
「何だ」
「誰に教わったの、それ」
「見た」
春麗は息を吐いた。
見た。
その一言で済ませる。
本当に便利な男だ。
「そう」
春麗は一歩近づいた。
「なら、今日の私は?」
リュウは春麗を見る。
「青のお前」
「それだけ?」
リュウは少しだけ考える。
「黒を忘れていない青のお前」
春麗の胸が、深く揺れた。
黒を忘れていない青。
それは、あちらの残響と重なる。
黒を着ていないのに、黒が消えていない。
青を着ていても、黒がなかったことにならない。
春麗は、軽く睨むようにリュウを見た。
「……本当に、嫌なところを見るわね」
「違ったか」
「違わないから言っているのよ」
春麗は構えた。
リュウも構える。
だが、今日はすぐには動かなかった。
春麗は青い袖を揺らす。
「今日は黒じゃないわ」
「ああ」
「黒で惑わせたりもしない」
「ああ」
「でも、黒い私を忘れたら沈めるわ」
リュウは頷いた。
「忘れない」
「青の私だけを正解にしても沈めるわ」
「ああ」
「黒の私だけを特別扱いしても沈める」
「ああ」
「本当にわかっているの?」
「難しいな」
春麗は、少しだけ笑った。
「そうよ」
一歩、踏み込む。
「私は面倒なの」
リュウは答える。
「知っている」
春麗の動きが一瞬止まりかけた。
止めない。
青で走る。
掌底。
リュウが受ける。
春麗は軽く押す。
沈めるためではない。
確認するために。
リュウは耐える。
春麗は言った。
「知っているなら、責任を取りなさい」
リュウは答える。
「取る」
春麗は、思わず黒を着ていない自分の胸元を押さえそうになった。
「簡単に言わないで」
「簡単ではない」
「なら、もう少し迷いなさい」
「迷わない」
春麗は、深く息を吐いた。
「ああもう」
青い袖が揺れる。
「本当に、あなたはそういうところよ」
戦いは短かった。
勝敗もない。
春麗が軽く押し、リュウが受け、リュウが踏み込み、春麗が外す。
青の中に、ほんの少し黒の記憶が混ざる。
黒いドレスはない。
けれど、春麗の視線の使い方。
呼吸の間。
リュウが見ているかどうかを確かめてしまう癖。
それらは、消えていなかった。
春麗は、それを嫌だとは思わなかった。
面倒だとは思った。
でも、嫌ではなかった。
やがて春麗は構えを解いた。
「今日はここまで」
リュウも構えを解く。
「決着は」
「なし」
春麗は言った。
「今日は、確認」
「何の」
春麗は少し迷った。
言うか。
言わないか。
だが、今日は言うことにした。
「あちらの私がね」
リュウは黙って聞く。
「黒を着ていない夜に、黒い自分を忘れられていないことを確認していたの」
「あちら?」
「平行世界みたいなものよ。深く考えないで」
リュウは頷いた。
春麗は続ける。
「あちらの私は、それで救われていた」
「そうか」
「黒を脱いでも、黒い自分がなかったことにされていない」
春麗は、自分の青い袖を見る。
「それが、少し羨ましかった」
言ってしまった。
春麗はすぐに顔を上げる。
「勘違いしないで」
「していない」
「早いわ」
「そうか」
「そうよ」
春麗はリュウを見る。
「私は、あちらの私とは違う」
「ああ」
「私は、最初から自分が面倒だと知っている」
「ああ」
「黒も青も、どちらでもない自分も、選び続ける」
「ああ」
「でも」
声が少しだけ小さくなる。
「黒を着ていない私を見ても、黒い私を忘れないで」
リュウは答えた。
「忘れない」
春麗は目を伏せそうになった。
「青の私を見ても?」
「ああ」
「どちらでもない私を見ても?」
「ああ」
「面倒な私を見ても?」
リュウは静かに言った。
「見る」
春麗は、胸の奥がほどけるのを感じた。
それが腹立たしくて、少しだけ嬉しかった。
「……そう」
春麗は背を向けた。
「なら、今日は許してあげる」
「何を」
「私が少しだけ羨ましがったこと」
リュウは黙る。
春麗は振り返らずに言う。
「忘れなさい」
リュウは答えた。
「無理だ」
春麗は足を止める。
「……なぜ?」
「忘れないと言った」
春麗は、小さく笑ってしまった。
本当に。
この男は。
「そうだったわね」
春麗は歩き出した。
青い袖が揺れる。
黒は着ていない。
けれど、黒は消えていない。
本編の春麗の中にも。
リュウの中にも。
そして、あちらの残響の中にも。
春麗は夜道を歩きながら、小さく呟いた。
「黒を着ていないのに、黒が消えていない」
それは、ずるい救済だった。
でも、自分にも少しだけ届いた。
あちらの春麗ほど、重く甘えるつもりはない。
本編の春麗は、自分で立つ。
リュウが来るなら、また次を選ぶ。
それでも。
今日だけは、少しだけ思ってしまった。
黒を着ていない私も見て。
でも、黒い私を忘れないで。
春麗は、青い袖を握った。
「……本当に、私も大概ね」
自嘲する声。
けれど、そこには少しだけ甘さがあった。
そしてその甘さは、黒ではなく、青の中に静かに残っていた。
Q:今回の断章IFについて解説して?
A:
はい。執筆者として見ると、今回の断章IFは、本編春麗が「黒ドレス特化版春麗の救済」を受信したことで、自分の中にも“黒を着ていないのに黒が残る”感覚を取り込む話です。
一言で言うなら、
別ルートの春麗が得た救済を、本編春麗がそのまま真似るのではなく、自分の“終わらない殴り愛”の文脈へ翻訳して受け取る断章
です。
今回の断章IFの核
今回の中心は、
黒を着ていないのに、黒が消えていない。
です。
黒ドレス特化版では、これは救済そのものでした。
黒を脱いでも、リュウが黒い春麗を忘れていない。
女として見た春麗も、格闘家として見た春麗も、リュウの中に残っている。
だから春麗は、黒を捨てずに自分の中へ戻せた。
一方、本編春麗はその残響を受信します。
そして、
私は黒を着ていない。
でも、黒い私を忘れられたくない。
青の私を見ても、黒い私をなかったことにしないでほしい。
という、自分でも少し面倒な感情に気づく。
ここが今回の断章IFの一番おいしいところです。
本編春麗は「羨ましがる」が、そのまま真似しない
今回の本編春麗は、黒ドレス特化版春麗を少し羨ましがっています。
理由は、あちらの春麗がかなり深く救われているからです。
黒を着た自分を、リュウに覚えられている。
黒を脱いでも、黒い自分が消えていない。
黒でも青でもない夜の自分まで見られている。
これは本編春麗にとって、かなり刺さります。
ただし、本編春麗はあちらの春麗をそのまま真似しません。
ここが重要です。
本編春麗は、
私は、あちらの私とは違う。
私は最初から、自分が面倒だと知っている。
黒も青も、どちらでもない自分も、選び続ける。
と自分の立ち位置を確認しています。
つまり今回の断章IFは、裏ルートの救済を本編へ輸入する話ではなく、本編春麗が自分の文脈に合わせて再解釈する話です。
リュウの返答が本編側に調整されている
黒ドレス特化版のリュウは、
黒いドレスの春麗を女としても格闘家としても見た。
という答えでした。
でも今回の本編リュウは、そこまで黒ドレス特化ではありません。
代わりに、
黒を忘れていない青のお前。
と言っています。
これはかなり本編向きの答えです。
本編春麗は、黒ドレス特化版ほど黒に閉じた救済を求めているわけではありません。
本編春麗に必要なのは、
今日の青を見てほしい。
でも、黒い私をなかったことにしないでほしい。
という答えです。
だからリュウの、
黒を忘れていない青のお前
は、本編春麗にかなり刺さる言葉になっています。
今回の春麗は「確認」している
今回の戦闘は、勝敗のための戦闘ではありません。
春麗自身も最後に、
今日は、確認。
と言っています。
何を確認したのか。
それは、
本編のリュウも、黒を着ていない春麗を見ながら、黒い春麗を忘れずにいられるのか。
です。
結果として、リュウは忘れていない。
黒で戦う春麗。
リュウを沈める春麗。
見られたいのに、見られすぎると怒る春麗。
その全部を見ている。
だから春麗は少しだけ安心します。
ただし、それを素直に「嬉しい」とは言わない。
そこが本編春麗らしいです。
「黒を着ていない黒」が本編に入った意味
今回の断章IFで、本編春麗は新しい感覚を得ています。
それは、
黒は、着ている時だけのものではない
という感覚です。
黒ドレスを着ていない時でも、黒の記憶は残る。
青を着ている時でも、黒い自分は消えない。
リュウが覚えている限り、黒はなかったことにならない。
これは、本編春麗にとって大きいです。
なぜなら本編春麗は、終わらない殴り愛の中で黒も青も選び続けるキャラだからです。
黒を着ている時だけ黒。
青を着たら黒は消える。
ではなく、
青の中にも、黒の記憶が残る。
黒を着ていない私にも、黒を選んできた私がいる。
という形になる。
これで本編春麗のフォーム観が一段深くなっています。
今回の甘さは控えめだが、かなり効いている
黒ドレス特化版後日談は、甘くて重い話でした。
額に触れる。
腕に触れる。
勝者の褒美を与える。
責任を取りなさいと言う。
かなり濃いです。
一方、今回の本編断章IFは、そこまで直接的ではありません。
甘さはかなり控えめです。
でも、その分、本編春麗らしい。
本編春麗は、あちらの春麗ほどストレートに甘えません。
代わりに、
黒を着ていない私を見ても、黒い私を忘れないで。
とだけ言う。
これだけで十分重い。
そして、リュウが、
忘れない。
と返す。
この短いやり取りに、本編春麗の甘さが出ています。
通常版・黒ドレス特化版・本編春麗の関係
今回の断章IFで、三つの春麗の違いがさらに整理されました。
通常版救済後春麗は、
黒でも青でも見られることで救われる春麗。
黒ドレス特化版春麗は、
黒ドレスの自分を、女としても格闘家としても見られて救われる春麗。
本編春麗は、
自分が面倒だと知ったうえで、黒も青も選び続け、リュウがそれを忘れないか確認する春麗。
です。
今回の断章IFは、この三者の橋渡しになっています。
結論
今回の断章IFは、黒ドレス特化版春麗の救済を、本編春麗が自分の中に取り込む話です。
ただし、そのままコピーするのではありません。
本編春麗は、あちらの春麗を羨ましがりながらも、
私は私。
私は終わらない殴り愛の中で、黒も青も選び続ける。
でも、黒を着ていない私を見ても、黒い私を忘れないで。
という形で、自分の文脈に変換しています。
一言でまとめるなら、
今回の断章IFは、本編春麗が“黒を着ていない黒”という感覚を受信し、青の中にも黒の記憶を残せるようになった回です。