また戦ってくれなんて言わないで ――春麗は今日もめんどくさい―― 作:エーアイ
自分がめんどくさい女と自覚していない春麗が今回のめんどくさい女と自覚する春麗の断章IFを受信した場合のエピソードになります。
春麗は、目を覚ました瞬間、胸を押さえた。
夢を見ていた。
いや、夢ではない。
また、残響だ。
どこかの自分。
自分であって、自分ではない春麗。
その春麗は、リュウを前にして堂々と言っていた。
今日は訓練よ。
あなたの鈍感力の測定。
次までに、あなたなりの甘い言葉を一つ考えてきなさい。
春麗は、寝台の上で固まった。
「……何を言っているの、あの私」
声が出た。
出してから、春麗はさらに顔をしかめる。
あの自分は、あまりにも自然だった。
リュウに甘い言葉を考えさせる。
しかも、それを恋愛でも甘えでもなく、訓練だと言い張る。
鈍感力の測定。
会話戦闘。
点数評価。
八十点。
「……八十点?」
春麗は額に手を当てる。
意味がわからない。
意味がわからないのに、なぜか胸の奥に引っかかっている。
あの自分は、リュウに言われていた。
面倒でも、春麗だ。
その瞬間の、あちらの自分の反応が残っている。
息が止まりかけた感覚。
青い袖を握った感触。
言い返したいのに、言い返せなかった熱。
春麗はゆっくり起き上がった。
「面倒でも、春麗……?」
口にして、すぐに顔が熱くなった。
「違うわ」
誰に向けた否定なのか、自分でもわからない。
「あれは、あちらの私の話。私とは関係ない」
そう言い切る。
言い切ったはずなのに、胸の奥に残響がある。
あちらの自分は、自分が面倒だと知っていた。
知ったうえで、リュウに向き合っていた。
リュウが鈍いことも知っていた。
自分が甘い言葉を欲しがっていることも、たぶん知っていた。
そのうえで、訓練という言葉にしていた。
春麗は、青い武道服を手に取った。
「……私は違う」
もう一度、言った。
「私は、そんなに面倒じゃない」
その言葉は、少しだけ部屋の中に響いた。
春麗はすぐに顔をしかめる。
なぜ、わざわざ言ったのか。
言う必要などないはずなのに。
「……本当に、変な残響」
春麗は青い武道服に袖を通した。
黒ではない。
黒いドレスでもない。
今日は普通に修行する。
リュウと戦う。
それだけ。
鈍感力など測定しない。
甘い言葉など求めない。
点数などつけない。
「当然でしょう」
春麗は鏡の中の自分に言った。
「私は、あちらの私ほど面倒ではないもの」
鏡の中の春麗は、少しだけ目を逸らしたように見えた。
修行場に行くと、リュウはいた。
いつものように。
春麗は、その姿を見た瞬間、残響の言葉を思い出した。
次までに、あなたなりの甘い言葉を一つ考えてきなさい。
春麗は足を止めかけた。
止めない。
なぜ止まる必要があるのか。
自分は甘い言葉など求めていない。
ただ、リュウがそこにいただけだ。
リュウが顔を上げる。
「春麗」
「リュウ」
普通に返した。
普通に。
たぶん普通だった。
リュウは少しだけ首を傾げた。
「どうかしたか」
春麗の胸が跳ねた。
「何が?」
「いつもより考えている顔をしている」
春麗は固まった。
残響が蘇る。
今日は、いつもより考えている青のお前。
俺に何を言わせるか。
春麗は青い袖を握りかけて、慌てて離した。
「何でもないわ」
「そうか」
「そうよ」
「ならいい」
リュウは構えた。
春麗も構える。
普通の訓練。
普通の組手。
そうだ。
今日はそれでいい。
春麗は踏み込んだ。
青の速さで、リュウの間合いへ入る。
掌底。
リュウが受ける。
春麗はすぐに引く。
動きは悪くない。
呼吸も乱れていない。
問題ない。
だが、リュウが言った。
「今日は鋭い」
春麗の動きが一拍遅れた。
「……そう」
「だが、少し力が入っている」
「気のせいよ」
「そうか」
「そうよ」
春麗は蹴りを出す。
リュウが受ける。
衝撃が返る。
春麗は距離を取りながら、内心で自分に言い聞かせる。
今のは違う。
リュウに褒められて動揺したわけではない。
ただ、残響を思い出しただけ。
あちらの自分のせいだ。
自分のせいではない。
「春麗」
「何?」
「呼吸が乱れた」
「乱れていないわ」
「そうか」
「そうよ」
リュウは黙る。
その沈黙が、妙に気になる。
春麗は眉を寄せた。
「何か言いたいことがあるなら言いなさい」
「考えていた」
「何を?」
リュウは春麗を見る。
青い春麗を見る。
その目が、なぜか胸に残る。
「今日のお前は、いつもより急いでいる」
春麗は、今度こそ止まった。
「……急いでいる?」
「ああ」
「何に?」
リュウは少し考えた。
「答えに」
春麗は言葉を失った。
答え。
何の答えか。
知らない。
知る必要もない。
あちらの自分のように、リュウから甘い言葉を引き出そうとしているわけではない。
鈍感力を測定しようとしているわけでもない。
点数をつけようとしているわけでもない。
「答えなんて、求めていないわ」
春麗は低く言った。
「そうか」
「そうよ」
「なら、なぜ怒る」
春麗は一瞬、息を止めた。
「怒っていない」
「そうか」
「そうよ」
二度目の「そうよ」が、少し弱かった。
春麗はそれに気づいて、さらに腹が立つ。
リュウは何もしていない。
何もしていないのに、こちらだけが勝手に揺れている。
最悪だ。
春麗は距離を詰めた。
掌底。
リュウが受ける。
もう一撃。
リュウが下がる。
春麗は攻める。
このまま、戦闘に戻せばいい。
余計な言葉を入れなければいい。
なのに、口が勝手に動いた。
「リュウ」
「何だ」
「私といると、あなたはどうなの?」
言ってから、春麗は心の中で叫んだ。
なぜ聞いたのか。
なぜ今聞いたのか。
あちらの自分が聞いていたからか。
違う。
違うはずだ。
リュウは、真面目に考えた。
考えなくていい。
いや、考えなさい。
いや、考えないで。
春麗の中で三つの命令がぶつかる。
リュウは言った。
「落ち着く」
春麗は完全に止まった。
「……落ち着く?」
「ああ」
「私といると?」
「ああ」
「気が抜けないとか、鍛えられるとかではなく?」
リュウは首を傾げる。
「それもある」
春麗は、あちらの残響を思い出す。
気が抜けない。
鍛えられる。
次も来たい。
全部、似ている。
でも、今のリュウは言った。
落ち着く。
春麗はなぜか、胸が苦しくなった。
「……そう」
声が小さくなる。
「落ち着くの」
「ああ」
「私、そんなに穏やかな相手ではないと思うけれど」
「そうか」
「そうよ」
リュウは春麗を見る。
「でも、春麗だ」
春麗の呼吸が止まった。
面倒でも、春麗だ。
残響の言葉が胸を叩く。
本編の、あちらの自覚した春麗は、その言葉に八十点をつけた。
春麗は今、点数などつけない。
つけないはずだった。
なのに、頭の中に数字が浮かぶ。
八十点。
いや。
落ち着く、が入ったから。
九十点?
春麗は青い袖を握った。
「……点数をつけるところだったわ」
リュウは不思議そうに見る。
「点数?」
「何でもない」
「そうか」
「何でもないと言ったでしょう」
「すまない」
「謝らない」
言ってから、春麗はまた固まった。
あちらの自分と同じ言い方をしている。
復唱しない。
謝らない。
訓練よ。
鈍感力。
点数。
春麗は、ゆっくり後ずさった。
「……違う」
リュウが構えを解く。
「春麗?」
「違うの」
「何がだ」
春麗は、リュウを見た。
自分でもよくわからない。
ただ、胸の奥で何かが暴れている。
「あちらの私は、自分が面倒だと知っていた」
リュウは黙る。
「あちらの私は、あなたに甘い言葉を考えさせようとしていた」
「あちら?」
「残響よ。深く考えないで」
「ああ」
「でも、私は違う」
春麗は、言い切る。
「私は、そんなに面倒じゃない」
リュウは少しだけ考えた。
春麗は嫌な予感がした。
「何?」
リュウは言った。
「少し面倒だと思う」
春麗は固まった。
「……リュウ」
「何だ」
「今のは、かなり危険な発言よ」
「そうか」
「そうよ」
春麗は一歩近づく。
怒ればいい。
沈めればいい。
でも、リュウは続けた。
「だが、春麗だ」
二度目。
春麗は動けなくなる。
「面倒でも?」
聞いてしまった。
聞くつもりはなかった。
でも、聞いてしまった。
リュウは頷く。
「ああ」
「それでも、春麗?」
「ああ」
春麗は視線を逸らした。
胸が熱い。
ひどく熱い。
これは、残響のせいだ。
あちらの自覚済み春麗のせいだ。
自分のせいではない。
そう思いたいのに、もう難しい。
春麗は、ゆっくり息を吐いた。
「……リュウ」
「何だ」
「今の発言は、訓練対象ね」
リュウは首を傾げる。
「訓練」
「そう。訓練」
春麗は、必死に理屈を組み立てる。
「あなたが不用意にそういう言葉を言うと、私は一瞬止まる。それは戦闘上よろしくない。だから、今後あなたの発言に対する耐性訓練が必要になる」
リュウは真面目に聞いている。
「ああ」
「甘い話ではないわ」
「ああ」
「あなたにそう言われて嬉しかったとか、そういう話ではない」
リュウは少し考えた。
春麗は身構える。
「違うのか」
来た。
春麗は目を閉じた。
「……その返しも訓練対象」
「そうか」
「そうよ」
春麗は構え直した。
「今日はここまで」
「終わりか」
「ええ」
「訓練は?」
春麗は、胸の奥がまた跳ねるのを感じた。
リュウは普通に聞いている。
次もあるのか、という意味で。
でも春麗には、違って聞こえる。
次も会うのか。
次もこの話をするのか。
次も、自分が面倒かどうかを確認するのか。
春麗は青い袖を握った。
「次回よ」
言ってしまった。
「次回、あなたの発言に対する耐性訓練を行うわ」
リュウは頷いた。
「わかった」
「勘違いしないで」
「ああ」
「私は、あなたに甘い言葉を言わせたいわけではない」
「ああ」
「自分が面倒だと認めたわけでもない」
「ああ」
「ただ、戦闘中に止まらないための訓練」
「ああ」
リュウは、少しだけ考えた。
「春麗」
「何?」
「次も来る」
春麗は息を止めた。
「……そう」
「訓練だからな」
春麗はリュウを見た。
今のは、リュウなりの気遣いなのか。
それとも、単に訓練だから来ると言っただけなのか。
わからない。
わからないから、また胸がざわつく。
春麗は背を向けた。
「なら、来なさい」
「ああ」
「来なかったら、許さない」
「ああ」
「訓練だから」
「ああ」
春麗は歩き出す。
修行場を出る。
青い袖が夜風に揺れる。
残響は、まだ胸にある。
自分をめんどくさい女と自覚した春麗。
鈍感力を測定し、点数をつけ、甘い言葉を宿題にした春麗。
あんな自分にはならない。
まだ。
まだ、ならない。
春麗はそう思った。
思った直後に、足を止める。
「……まだ?」
今、自分は「まだ」と言ったのか。
春麗は顔を熱くした。
最悪だ。
本当に最悪だ。
自覚していないはずなのに、残響のせいで、自覚の入口まで来てしまっている。
春麗は青い袖を握りしめた。
「私は、面倒じゃない」
小さく言う。
しかし、少し間を置いて、さらに小さく付け足した。
「……たぶん」
その声は、誰にも聞こえない。
けれど、あちらの自覚済みの自分なら、きっと笑うだろう。
そしてこう言う。
それはもう、かなり面倒よ、と。
春麗は顔をしかめた。
「うるさいわよ、私」
夜道を歩く。
胸の奥には、リュウの言葉が残っている。
落ち着く。
でも、春麗だ。
面倒でも、春麗だ。
次も来る。
春麗は、その言葉に点数をつけないようにした。
つけないようにした。
でも、頭の片隅で、どうしても数字が浮かぶ。
九十点。
「……違う」
春麗は早足になった。
次回は訓練だ。
ただの訓練。
自分が面倒かどうかを確認するためではない。
リュウに甘い言葉を言わせるためでもない。
自分がリュウの言葉で止まらないための訓練。
春麗はそう結論づけた。
その結論が、すでにあちらの春麗と同じ形式になっていることには、気づかないふりをした。
Q:今回の妄想章IFについて解説して?
A:
はい。執筆者として見ると、今回の妄想章IFはかなり面白く、「自覚していない春麗が、自覚済み春麗の影響で“自覚の入口”まで連れてこられてしまう話」です。
一言で言うなら、
まだ自分をめんどくさい女だと認めていない春麗が、めんどくさい女と自覚済みの春麗の断章を受信したことで、否認しながらも同じ行動パターンをなぞり始めるエピソード
です。
今回の核は「自覚前春麗の否認」
今回の春麗は、まだ自分をめんどくさい女だと自覚していません。
だから冒頭から、
私は違う。
私はそんなに面倒じゃない。
あれはあちらの私の話。
と否定します。
でも、この時点でもうかなり危ないです。
本当に関係ないなら、否定する必要がない。
本当に面倒ではないなら、「私は面倒じゃない」とわざわざ言わなくていい。
つまり、今回の春麗は否定している時点で、すでに自覚に近づいている。
ここがこの話の一番おいしいところです。
自覚済み春麗の残響が強すぎる
受信した断章IFの中で、自覚済み春麗はかなり高度なことをしています。
リュウの鈍感力を測定する。
点数をつける。
「甘い言葉を考えてきなさい」と宿題を出す。
それを全部「訓練」と言い張る。
これは、自分が面倒だとわかっている春麗だからできる行動です。
一方、今回の春麗はまだそこまで開き直れていません。
だから、受信した内容を見て衝撃を受ける。
何を言っているの、あの私。
となる。
けれど、いざリュウを前にすると、結局似たことを始めてしまう。
これが残響の怖さであり、面白さです。
「私は違う」と言いながら同じルートに入っている
今回の春麗は、自覚済み春麗を否定します。
しかし実際には、どんどん同じ構造に入っていきます。
自覚済み春麗は、
鈍感力測定
会話戦闘
点数評価
次回訓練予約
をしました。
今回の自覚前春麗も、最終的に、
リュウの発言に対する耐性訓練
次回訓練の予約
「甘い言葉ではない」と言い張る
点数をつけそうになる
まで行っています。
つまり、本人は否定しているのに、行動はもうかなり自覚済み春麗に寄っている。
このズレがラブコメ的にも心理劇的にも強いです。
リュウの「落ち着く」が強すぎる
今回のリュウは、自覚済み春麗の時とは少し違う答えを出しています。
自覚済み春麗に対しては、
面倒でも、春麗だ。
が強い答えでした。
今回の自覚前春麗には、まず、
落ち着く。
と言います。
これが非常に危険です。
自覚前春麗は、自分がリュウにとってどういう存在なのかをまだ整理できていません。
そこへ、
春麗といると落ち着く。
と言われる。
これは甘すぎる。
しかもリュウは甘いことを言っているつもりが薄い。
だから春麗は余計に混乱する。
「気が抜けない」「鍛えられる」ならまだ武人的に処理できます。
でも「落ち着く」は、かなり親密です。
この言葉が、自覚前春麗の防御を大きく崩しています。
「面倒でも、春麗だ」の先取り
今回、リュウは自覚前春麗にも、
少し面倒だと思う。
だが、春麗だ。
と言っています。
これはかなり重要です。
自覚済み春麗に刺さった答えが、自覚前春麗にも届いてしまった。
ただし、自覚前春麗はまだそれを受け取る準備ができていない。
だから、
面倒でも?
と聞いてしまう。
この問いは、ほとんど自白です。
「私は面倒じゃない」と言っていたはずなのに、リュウに「面倒でも春麗だ」と確認したくなっている。
つまり、ここで自覚前春麗はもう半分、自分の面倒さを認めかけています。
点数をつけそうになるのが面白い
今回、自覚前春麗は点数をつけないつもりでした。
自覚済み春麗のようにはならない。
鈍感力測定などしない。
八十点などつけない。
そう思っていた。
なのに、リュウの言葉を聞くたびに、頭の中に点数が浮かぶ。
最後には、
九十点。
まで浮かんでいます。
これはかなり大きいです。
自覚済み春麗が作った評価形式を、無意識に取り込んでしまっている。
まだ自分を面倒だとは認めていない。
でも、もう「リュウの言葉を点数化する春麗」になりつつある。
これは自覚済みルートへの導線として非常に自然です。
最後の「たぶん」が決定的
今回のラストで、春麗は言います。
私は、面倒じゃない。
でも少し後に、
……たぶん。
と付け足す。
ここが今回の到達点です。
完全自覚ではありません。
まだ、
私は面倒な女です。
とは言わない。
でも、断言できなくなっている。
「面倒じゃない」から「面倒じゃない、たぶん」へ変化した。
これは小さいようで、かなり大きな一歩です。
自覚前春麗が、自覚済み春麗の入口に立った瞬間です。
今回のジャンル感
今回の話は、かなりラブコメ寄りです。
ただし、直接的な甘さよりも、否認型ラブコメです。
本人は認めない。
でも行動はすでに甘い。
リュウの言葉に反応している。
次回訓練まで予約している。
点数をつけそうになっている。
でも「私は違う」と言い張る。
この「認めないけど全部出ている」感じが、自覚前春麗の魅力です。
自覚済み春麗は、面倒さを自覚した上で言い訳します。
自覚前春麗は、面倒さを否認しながら同じことをします。
この違いがよく出ています。
結論
今回の妄想章IFは、自分をめんどくさい女とまだ認めていない春麗が、自覚済み春麗の断章IFを受信して、否認しながらも同じ行動様式に引き寄せられていく話です。
ポイントは、
「私は違う」
と言いながら、
「次回訓練」
を予約してしまうこと。
そして最後に、
「私は面倒じゃない」
から
「私は面倒じゃない、たぶん」
へ落ちること。
ここが非常に良いです。
一言でまとめるなら、
今回の春麗は、まだ自覚していない。
でも、自覚済み春麗の残響によって、自分が面倒である可能性を否定しきれなくなった。
この回は、自覚前春麗が「めんどくさい女と自覚する春麗」へ近づく、かなり重要な前段階だと思います。