この嘘と心中する   作:金木桂

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#1 有栖川聖の女難

 嘘は便利な道具だと思う。

 

 何をこの卒業文集に書き記し、書き残すか、そう考えた時に最も適切だと思った最初の一文がそれだった。

 ボクは嘘をつく。

 だって嘘が大好きだ。愛している。敬愛していると言ってもいい。

 

 嘘は優しく甘美で、それでいて残酷で、加えて手軽で。

 何より嘘を隠匿することは、この世で最も美しい行為とさえ思える。

 

 かの宗教家、マルティン・ルターは言った。

 

『嘘は雪玉のようなものだ。転がせば転がすほど、どんどん大きくなっていく。』

 ───正しくその通りだ。

 そして、その大きなった嘘を闇に隠し、光から守り、欺瞞を貫き続ける。

 それがボクにとっての美学である。

 

 だからこそ、この卒業文集に書き残す。

 ボクはこの中学三年間で両手両足じゃ数えきれないほど噓をついた。

 些細なものから問題行為に至るまで。

 例えば。

 クラスメイトにアイドル養成所に通う彼氏がいると自慢した。不良には万引きしたことがあると同調した。知らない有名人を知人と言い触らした。数えれば枚挙に暇がない。

 証拠も偽装して、一生懸命に本気で嘘を貫いたから君たちは全部信じて来たよね。

 でも全部嘘だ。ボクの発言の概ねは欺瞞で偽証で、詭弁でペテンだ。

 

 ただ、さっき嘘を美学とは書いたけど、改めて強調しておくと嘘は手段である。

 手段は目的のために存在する。

 じゃあ目的は何か。ボクの目的は友人を沢山作ることだった。より詳らかに説明するなれば、嘘を用いて友人を作ることがボクの中学の至上命題だった。

 

 その目的は果たされた。全校生徒372人、その内ボクは321人と友達になった。連絡先も交換して、色々と遊びに誘ったり誘ってもらったりしただろう。

 人数も人数だ、ボクは君たちが仲のいい友達だとは到底思っていないし、これを読むかもしれないボクの友達たる君たちもボクのことを親友とは思っていないはずだ。精々、プレパラート並みに薄い親交がある人間とでも認識しているんじゃなかろうか。

 でも一つこの文集を読んで認識を改めて欲しいのは、その親交はボクの嘘から生み出されたという点。

 ボクが嘘をついたことが無い相手は学校にはいない。

 君たちとボクの親交は、明白な虚偽の下、君たちが騙され続けることによって築かれたものだということ。それを理解してほしい。

 

 これを見たボクの友人たる君たちがボクにどんな感情を抱くは容易に想像がつくけども。

 

 ま、騙された方が悪い。

 それをボクはこの文集で言いたかった。ボクに本気じゃないから、君たちは嘘に騙された。

 このまま隠し通すのもいいけど、生涯バレない嘘って言うのも芸が無いから、この場を借りてネタ晴らしってわけだ。

 これを教訓に、今後はみんなも嘘を使うと良い。上手な嘘は真実と何ら変わりは無いのだから。

 

 それから。

 この紙面を丁度良いと感じたから、ボクは一つ決意表明をしようかと思う。

 中学では嘘で塗り固めた浅い親交を広く持っていたボクだけど、高校ではより成長をしようかと思っている。

 

 具体的には、嘘で塗り固めた深い人間関係を構築する。

 中学じゃ親友は出来なかったからね。

 親友、恋人──そういう関係性を噓で塗り固めるのも面白いと思ったんだ。

 

 ボクにまた騙されるかと心配する必要はない。ボクの進学先は県外の私立高校だ。県内の進学校に進学するって言ったけどアレも嘘だから安心して良い。

 みんなも高校ではボクみたいな悪い奴に騙されないよう精々、嗅覚を鋭くしてほしい。

 

 え?

 嘘は手段って言ってたのに、まるで嘘をつく行為自体が目的みたいに聞こえる?

 いやいや、君たちはもう知ってるだろう。

 

 ボクは嘘をつく。

 

 

 

 

【西奈川中学校卒業文集 3-C 有栖川 聖】

─── ──── ──── 

 

 

 

 

 

 ボクの進学先は都内、秋葉原の端にある私立高校だった。

 家からは電車に揺られること1時間半通学と、かなり後悔しているところだけども、それでもこの長距離通学を選んだのは中学の同輩が誰も進学しない学校だろうと推定したからだ。

 

 中学の卒業文集では予定通りに色々と暴露してしまった。

 嘘を嘘と認めてしまった。

 こんなことをしてしまえば、流石に地元の高校には進学できないのは当然で。

 

 加えて───卒業文集の文章を思い出したら背筋が冷えてくる。

 もうちょっと文章、どうにかならなかったんだろうか過去のボクよ。

 気取った口語体で煽り散らかす必要性は絶対に無かった。全く無かった。

 いくら受験が終わってその余熱で浮かれていたと言っても、もうちょっと後先考えて動くべきだと春休み中にハイパーイキリ卒業文集を読み返して思った。激しく後悔した。もう痛いったらありゃしない。

 そして卒業してから冷静になったボクは気付いた。

 ボクはどうにも黒歴史って奴を作ってしまったらしい。

 死にたい。

 

 と、つい卒業文集の中身を思い出して、ボクはイヤホンを強く耳の中に押し込んで音楽の世界へと逃避した。現実など滅びてしまえという気分。

 そんな事を考えている間にも背中を押された。ボクは仕方なしに姿勢を前のめりになって、眼前で座って眠りこけるサラリーマンの足を踏まないように注意を払いながら足を半歩前に伸ばす。気分は通学中の満員電車内。嘘だ。気分というかただの現実である。閉塞感に息が詰まりそうで、これもまた現実感で溺れそう。ボクは水面に顔を出して息継ぎをするみたいに、浅く溜息をついた。

 

 満員電車は春の季語である。ここまでずっと窮屈に立っているから凄い疲れてきた。長距離通学を恨もうにも恨む相手が自分しかいないんだから滑稽だ。ボクは同級生の中でも小柄な方なので、満員電車のおしくらまんじゅうの影響を大きく受けて不快度指数は超マックス。心の中は一足早く梅雨模様である。

 

 ボクの事情など知らぬ存ぜぬとばかりに山手線の車内は駅に止まる度に人波がうねり、押して押されて、発車するや否や重量感の伴ったエンジン音が車内を揺らし、その振動でまたもや波が起きて押される。貨物列車で運ばれる奴隷とはおそらくこんな気分なんだろう。救いを求めてふと窓の外を見れば、四月の陽気は窓を透き通って、無機質にボクの身体を照らしていた。

 

 四月。春。

 移り変わる日本の素晴らしい四季の中でも、こと春に特別な意味を見出すのは学生ならば至極当然と言えよう。進級、進学、なんなら受験と。学生という身分である限り、春は平等に新たな変化を齎してくる。それだけならブルーになるだけで済むのだが、毎年未知の世界に足を踏み入れるような感覚があって、その新鮮さもまた歯応えが有って、二律背反というか、不思議と好きでもないけど嫌いじゃないというか、個人的に複雑な感情を抱いてしまう季節。それが春だった。

 

 季節に酔いしれている間にも品川からおおよそ20分弱。秋葉原駅到着。昭和通り改札を新品の定期を翳すと、大陸産のギャルゲー(じゃなくソシャゲらしいが、ボクにはどうもギャルゲーにしか見えない)のアンテナショップがお出迎えしてくれる。思わず顔を顰めるのを堪えた。周囲は何てことない顔をしているけど、ボクは大分この珍妙な街に苦労している。

 

 ボクは日本でもオタクらしさを最も包み隠さないこの特異な街に慣れていなかった。

 ボク自身、アニメも漫画もラノベもそこまで見ない非オタク族だからというのもある。

 しかし一番思うのは、過激な衣装を着た二次元の美少女のポスターだとか電光掲示板だとか、そういうのを公衆の街角で掲示するのはエチケット的にどうなんだろうという感想だった。アダルトショップも堂々と大通りに看板出してるし。秋葉原の電気街とか歩いていると、政府がオタクカルチャーをクールジャパンと推しだすのも何だか滑稽に思えてくる。美少女のおっぱいの谷間が強調された街のどこがクールだというのだろう。

 ともかく、高校入学して一週間。

 ボクにはこの街が分からない。

 

 ただ、昭和通りはまだその点一般的なオフィス街でもあるのでマシではある。

 駅を出て、ボクは国道4号に沿って和泉橋を渡る。昭和5年に建築されたこの橋は、次から次へと建て替えられるこの東京大都会では少々浮いた歴史ある建築物である。でも変わらぬ古さを思わせる佇まいはさながら樹齢千年を超した大樹のようで、ボク的には非常に落ち着く。カオス極まる電気街と違い、周囲の変化に動じない装いで悠然と佇む和泉橋を歩くのは、ボクは結構好きだった。

 

 和泉橋を渡り終えれば学校はすぐ左手だった。

 私立和泉岩本高校。

 二週間前に入学した学校の名前である。

 

 創立は2000年代と比較的に新し目の高校ながら、オタクカルチャーの爆心地秋葉原とは目と鼻の距離ということもあってか、中々高めの難易度を誇る。また生徒の半数くらいはアニメを初めとするサブカル好きとはネット上で専らの噂である。ボクは残り五割に属するため本当に噂でしかない。

 校門に入り、下駄箱で靴から上履きに履き替える。上履きは買ったばかりの新品で、持ち上げると独特な匂いが鼻孔を擽った。

 

 1年生の教室は4階にある。

 階段をダラダラと上り、若干の疲労感に苛まれつつも4階まで登頂するとボクの教室は目の前だった。1年1組。階段の真横だから登下校には多少便利。

 

 教室のドアを開けると疎らにクラスメイトが談義を交わしている。ボクの姿を一瞬だけ視認すると、それぞれの会話に戻って行った。一応弁明しておくとこれはボクが嘘吐きで嫌われているとか、クラスの残念枠に収まってしまっただとか、そういう残念な現実が露わになっているわけじゃない。単にまだ四月上旬で、かつボクは神奈川在住なのに対してクラスメイトの殆どが東京あるいは千葉に住んでいるの原因だ。同じ中学同士だとか、中学時代の部活での顔見知り同士で話しているだとか、きっとそんな感じ。じゃないと流石にやってられない。

 

 まあボクは生憎とクラスの人気者じゃないけれども、話す相手くらいは存在する。

 

「おはよう~、聖ちゃん」

 

 ボクが席につくと、背後から鈴が鳴るようなコロコロとした可愛い声音が聞こえてくる。振り返れば、金髪おさげが特徴的な女子がボクに向かって手を振っていた。

 彼女の名前を淡月愛唯(あわつきあい)という。この一週間で仲良くなった、現時点でボクの親友最筆頭候補だ。

 その髪は愛唯の象徴で、この高校でも恐らく唯一と言っても白味の強いプラチナ色に足してサイドで編み込まれている。肌はお風呂上りかと見紛う程度に湿潤で、小さな鼻梁に大きな瞳、身長も高くて胸も大きくスタイルは抜群。容姿という点に関しては、女子の考える理想の一種と言っても過言じゃないくらいには完璧無比な女子生徒である。

 

「うんおはよう。愛唯はいつも早いね」

「そう? 聖ちゃんがいつもギリギリなだけじゃない?」

「うっ……耳が痛いけど……ただ今日のボクには言い訳はある」

「なにかな?」

「今日は電車が5分遅延しててさ、乗り換えが上手く行かなかったんだ」

 

 と、ボクはいつも通り噓をついた。特に大きな意味のない、無意味な嘘。ただ意味が無いからこそバレることもない。ボクの使う路線では、遅延は15分以上でないと公式ホームページでアナウンスしない。

 愛唯は一拍置いて「あ~そうだったんだ」と少し同情するような視線を送る。

 

「長距離通学、大変そうだね」

「案外そうでもないよ。スマホ見てれば時間は潰れるし。……あとは満員電車さえ無ければいいんだけど」

 

 思わず目が遠くなる。これから毎日あの人混みに踏み入る必要があるのかと思うと入学早々憂鬱ブルー。

 

「首都圏電車民の宿命だね~。いやはや、私は自転車通学出来る距離で助かった」

「なんて羨ましい。……あーでも都内に住むのも大変そうだしどうだろ。スーパーとか小型店多いし、意外に生活面倒そう」

「そんなことないよ? 確かに家の近くにあるスーパーは小さいけど、宅配サービスでその辺は解決できるからね」

 

 なんてこと無いように言う愛唯に、ボクは「それもそっか」と話を合わせた。勿論本心は別のところにある。買い出し程度で一々宅配できるほどボクの家は金持ちじゃない。この数日間で愛唯の家がかなり裕福であることは言動の端々から伺えた。 

 

「まあ大変なのはそれだけじゃないんだけどさ」

「そうなの?」

「ほら、秋葉原ってアレじゃん。町としてオタク文化万歳というか、目を引く広告ばかりで情報過多というか、とにかく何か通りを歩いてるだけで疲れる」

 

 本音を話せば、愛唯は言いたいことは分かるという表情で小さく頷く。

 

「情報に殴られてるような気持ちになるよね。えいや、そいやって。まあ私はずっとこの辺住んでるから慣れちゃったけど」

 

 可愛い擬音を発しながら小さくパンチする素振り。小動物みたいで可愛い子である。身長はボクより大分大きいけども。

 

「じゃあ散歩とかで良く行ったりするの?」

「人多いからあんまりかな〜あ、でも年末年始の早朝とかは散歩するよ。人がいない秋葉原って異世界みたいな感じがして好きなの」

「へー。それはボクも見てみたいかも」

 

 愛唯の言葉にボクはお世辞を言った。そんな理由で秋葉原に行くくらいなら家でゴロゴロしてたいし、全く興味はないけれど、正直に言うのも空気が悪くなりそうだ。

 

「話は変わるけど、明後日から新入生合宿だよね~。まさか入学してすぐ合宿だなんて、びっくりするよ」

 

 愛唯は周囲の雑談拾ってきたようで、辺りを見回しながら話題を変える。

 先週から教室内でも持ちきりの話題である。

 新入生合宿。新入生間の仲を深めると同時に、これから臨む高校生活の準備として行われるイベントだ。あまり他の高校でこんなイベントがあるだなんて話を聞かないから、私立ならではの行事と言えよう。

 

「そうだね。入学早々に言われてボクも慌てて宿泊道具とか買ったよ」

「だよ~。にしても態々なんでこの時期にやるんだろうね。なんか試験とかやらされちゃったりするのかな? 今から本当の入学試験を始めるって感じでさ」

「それこそアニメじゃないんだから。何となくは分かるじゃん、持ち物で」

「うーん……だとしたらそれはちょっと微妙だね」

 

 今回、新入生合宿には持ち物に作文用紙が指定されている。

 道具本来の使い方をすると考えるなら、ま、面白みもなく作文をやらされるんだろう。折角の山梨だけども旅行気分を味わうのは難しそうだ。……そもそも山梨観光だったとして観光地とかあんまり知らないから関係ないか。

 なんて考えていると、愛唯は笑みを浮かべたままボクの瞳をじっと見てくる。

 

「どうしたの?」

「ん〜何でもなくはないけど、うん、ここでは話しづらいかな」

「何の話?」

「さあ何だろう……って誤魔化しても良いんだけど。私今日までずっと思ってることがあってね、それをハッキリさせないと気が済まなくなっちゃった」

 

 迂遠に話を濁してくるな。何を言いたいのかがあまり見えてこない。

 思ってること……ねえ。

 

「何が言いたいかボクには分からないけど」

「うん。じゃあ今日の放課後、時間ある?」

 

 今ここじゃ話せないと。

 放課後ね。ボクは帰宅部だから当然、平日の可処分時間はたっぷりあるとも。

 家に帰っても誰もいないし、することもないからね。

 

「うん、勿論」

「じゃあ一緒にデートね」

「うん……うん? デート?」

 

 デートという言葉に虚を突かれたボクを、愛唯は乾いた瞳で眺めていた。

 人当たりで友達も多く、容姿端麗な淡月愛唯。ここ2週間観察した限りでも問題行為は無く、運動神経も悪くない。試験はまだ無いから厳密には分からないけども、授業中の態度を見ると成績もどちらかと言えば良さそうだ。

 でも彼女がそれだけの優等生ではないことを、ボクはすぐに知ることとなる。

 

 

 

 

─── ──── ──── 

 

 

 

 

 授業が終わって迎えた放課後。

 朝の約束通りボクは愛唯に連れられて、デートとやらに付き合っていた。

 学校を出たところで愛唯は口を開く。

 

「ちょっと歩いたところに落ち着いて話せる喫茶店があってね〜、そこで良いかな?」

 

 愛唯の提案を素直に肯定する。彼女はボクの友達候補だ。こういう時間を積み重ねて、ゆくゆく親友になれるなら何時間でも過ごしたっていい。勿論小遣いが許す限りではあるけども。

 

 ボクと愛唯は秋葉原駅とは反対方向に10分ほど歩いて、路地裏にある喫茶店に入った。入った瞬間、場違い感を覚える。見栄えが良くてキャッチーな店内を想像してたから呆気に取られたとも言える。シンプルな木目調の空間で、客の年齢層はかなり高め。BGMには淑やかなクラッシックピアノの旋律が流れる。

 言っちゃ悪いけど、この店は愛唯みたいな子がするには地味で武骨なチョイスだと思った。それを好意的に解釈すればオトナの空間って感じの内装だ。まあ落ち着いて話せる空間って意味じゃこの上ないけども。

 

 2人席に腰を掛ける。立て掛けてあったメニューを確認しつつ数分悩んで、ボクはブラックコーヒーを頼むことにした。愛唯はアイスココアを注文していた。

 

「良い店だね」

「私のお気に入りなんだ〜ほら、周りも学生なんていないじゃない? 同級生から隠れて何かしたいって時は良くここに来るの」

「いや、それ、どんな時なのさ……」

「うーん、例えば部活をサボりたい時とかかな」

「愛唯ってサボったりするんだ。そういうのしない人かと思ってた」

 

 真面目で可愛い優等生。そのくらいの印象でいたけど、たった半月で理解できるほど人間は単純じゃないってことか。

 

「私だってサボるよサボる! 見た目で判断するのは分かるけどね、世の中見た目じゃ測れないことだってあるんだよ?」

「真面目そうな人でも全然成績悪いとかあるよね。あと悪いことしてる人は意外に普通の見た目をしてるとか」

「そうそう。だから私だって表面と中味は違うし───それは聖ちゃんもだよね?」

 

 唐突。

 話の転換点が来たと思った。思わず身構えるボクのことを図るような目で、愛唯は手元に置いていたコーヒーに視線を落とす。

 

「ブラックコーヒーなんて飲むんだ、聖ちゃんって」

「渋いのが好きだからね」

「ふーん」

 

 ボクの言葉に何か言いたげな目をした。とても見覚えがある。朝と同じ無関心な瞳だ。

 

「それ、嘘だよね?」

 

 クラッシックピアノの旋律が薄く流れる静かな店内で、その言葉は酷く響く。それは冗談でも悪ノリでもなく、引き締まった声音だった。

 

 ……困ったな。前の学校じゃボクの嘘に気付いて指摘した人間は皆無だったけど、いつの間に察されちゃってたか。

 嘘かと言われれば、そうだと首を縦に振るしかない。ボクは別にブラックコーヒーが好きじゃないからだ。嫌いではないけど好んで飲みたいと思ったこともない。ボクみたいな小柄で童顔の女子がブラックコーヒーを好む、この事実は程良くボクというキャラクター性を引き立たせるギャップになる。要するに、これはキャラ付けの為だけについた小さな嘘だった。

 

 でも……妙だ。

 一目でバレるほどボクは嘘が下手じゃない。そんな下手だったら中学の時点でボクは信用を落とし、狼少年の如く針の筵の3年間を送っていたはずだ。

 それなり以上にボクは嘘つきとしての自分に矜持があるし自負もある。

 たった1週間やそこらで見抜かれるほど、ボクの嘘は甘くない。

 

 気づかれないように小さく息を吸って頭を回転させる。

 思えば、まだカマをかけられているだけの可能性もある。ここで自白するのは早い。

 

「酷いね。ボクはそんな軽く嘘をつくような人間に見える?」

 

 ボクは愛唯の心無い言葉に呆れた素振りを見せつつ、軽く頬杖を突いてジトリと睥睨した。心外だと言外に伝えるように。

 

 そもそも、彼女の考えが分からない。

 突然デートとか言って呼び出しておいて、やることは嘘つき呼ばわり。確かに人目のある教室でこの話を持ち出したくない理由は分かるけど、それでも今、入学して間もないこのタイミングでする話なのだろうか。普通、仮にボクの言動に違和感を覚えたとしても、指摘するのはまだ知り合ったばかりのクラスメイトに対して不躾な物言いになるんじゃないかと遠慮して、なあなあに溶かす場面じゃないんだろうか。そして淡月愛唯は、この1週間の観察を経てそんな普通を選ぶ少女にボクは視えていた。

 

 だが、それはどうやらボクの見立て間違いというところであるらしいと。

 次に愛唯の形の良い唇から出てきた言葉にボクは確信する。

 

「私ね、聖ちゃんが嘘つきだって初めて会ったときから気付いてたんだ」

「初対面からボクは嫌疑をかけられていた訳か」

「そんなんじゃないんだけどね。聖ちゃんを疑って観察してたとか、そんなことはしてないよ」

「でも愛唯はボクを嘘つきと告発している。撤回はしないで合ってる?」

「うん。私は嘘をつかないから」

 

 煽るような燦々とした笑みだった。

 良い顔で言ってくれるじゃないか。

 

「じゃあ、肝心なことを聞かせて貰おうかな───なんでボクを嘘つきだなんて思うの?」

 

 日常生活の中で知らぬ内にボロを出していた、そんな可能性は確かに否定できない。

 この世の生物は主観で物事を判断する。目で見て、耳で聞き、肌で感じる。そうやって他人の情報を得ると同時に、自分のことは無意識下で認識外になって、大きな誤謬すらも見落としてしまう。

 

「私、人の嘘が分かるんだ。そういう超能力なの」

 

 でも、愛唯はそうではなく。

 超能力なんて───極めて非現実的な回答でボクの質問をぶった切った。

 

 ため息が胸中に満ちるのを感じる。

 これでもボクは愛唯を友達に……親友になれるかもしれない相手と思っていたんだけど。こんなつまらない感じで、終わっちゃうのか。

 言葉を区切り。失望した心を落ち着けるようにゆっくりと口を開く。

 

「嘘が分かるとは大見得を切ったもんだね。あんまりこんなことを言いたくはないんだけど、そんな理由で人を噓つき呼ばわりするんなら、それ相応の覚悟はあるんだよね?」

「覚悟もなにも事実としてそうだよねって言ってるんだけどな~」

「じゃあ答えてもらいたいんだけど。ボクがいつ、どんな嘘をついたって?」

「うーん、どれから言おうかな」

 

 愛唯は沢山ある手札から何を切るのが最適解か悩むように、人差し指を顎に当てて考える様子を見せて。

 

「幾つもあるけど、分かりやすいところで言えば入学直後の自己紹介。中学ではテニス部だったと言ってたけど、あれは嘘だよね? 証拠は私の能力だけだけど。あ、そういう意味だと今日の朝、電車遅延があって遅れたとか言ってたけど、その嘘は証拠を出せるよ。だってSNSで路線名を検索しても誰一人も遅延してたってポストしてないんだもん。分かりやすいよね」

「それは状況証拠でしかないよ。ボクの発言の裏付けをしてたんなら知ってると思うけど、公式サイトは何もアナウンス出してない」

「そうだね。じゃあ後で駅員さんに直接聞いちゃおうかな……って冗談だよ~? そこまでやらないって」

 

 ボクが眉間に皴を寄せたのを見てか、愛唯は言葉を訂正する。

 愛唯の言う通りだ。駅員に聞けばボクの嘘は分かるかもしれない。

 まあ朝ラッシュ時の些細な遅延なんて、本当に発生したとしても駅員が遅延と認識しているかはかなり怪しいと思うけど。

 

「あとブラックコーヒーも別に好きでも何でもないよね。分かるんだ私。聖ちゃんの嘘は全部分かるよ]

「……ボクがどれだけ弁明しても考えは揺るがなそうだね。取り繕っても無駄かな……」

 

 現時点では嘘である証拠を握られているわけじゃない。

 でもここまでの確信を持って対話に臨んでいる以上、既に真実かどうかは大した問題ではなくなっているだろう。愛唯の中ではボクはとんでもない噓つきという認識で固定されつつある。その認識を曲げさせて、思い込みを是正させる難易度は相当高い気がする。

 それに本当についた噓を指摘されているのだから、余計に難しい。

 

 しかし安易に認めるのも宜しくない。

 仮にだ。愛唯がこのことをクラス内外に暴露して、有栖川聖は噓つきであると、マイナスイメージを流布してしまえばボクの高校生活は入学早々に終了してしまいかねない。

 

「分かった。認めるよ。ボクは愛唯の言葉を否定する材料を持ち合わせてない」

「噓つきって認めるってこと?」

「違う。あくまでボクが噓つきじゃないって証拠を提示できないことを認める」

「強情だなあ」

 

 愛唯の瞳にはボクの抵抗は意外に映ったようで、少し驚いたように声を柔らかくする。

 

「で、ボクは口止めのために何をすればいいのかな?」

「聖ちゃん、その言い方は聞こえが悪いよ~?」

 

 今更何を言うんだか。人目の付かない校外で直接弾劾した時点で、この話の流れになるのは見えていただろうに。

 悩ましげに愛唯は目を閉じると、小休止を求めるみたいにココアの入ったグラスに手を掛けて口に付ける。グラスの1/4ほどを開けると、コトンと机に置いて視線を上げた。

 

「うーん、別にしてほしいことなんて無いんだけど……じゃあ聖ちゃんが何で噓をつくのか聞きたいなあ~なんて駄目かな?」

「騙されないよ。それに頷いたらボクが嘘をついたと認めたことになるじゃないか」

「あ、バレちゃった」

 

 悪戯がバレた子供みたいに舌を出す。

 全く、油断も隙もない。

 

「じゃあそうだね、聖ちゃんの嘘偽りない中学時代を教えてほしいな?」

 

 ボクの中学時代? なんでそんなものに興味があるんだか。

 まあ話したところで大した損にもならないし、それでボクの欺瞞を守れるというのなら喜んで話そうじゃないか。

 

「その話をしたら校内でボクの名誉棄損をしないと確実に約束をしてくれれば、話すよ」

「勿論いいよ。最初から話す気はなかったし」

「ふむ……」

 

 今度はボクが悩む番だった。

 あまりにも軽く応じた愛唯には思うところもある。ボクにとって、この約束はそんな軽いものじゃない。これから3年間続く学生生活の趨勢を決定づける、そんな約束になりかねないのだ。それを口約束で締結するのはちょっとリスキーかな。

 

 ボクは脇に置いてたスクールバックのチャックを開ける。不思議そうにこちらを伺う愛唯を傍目で確認しつつ、ボクは真っ白なルーズリーフを1枚手に取って、筆箱から取り出したボールペンをサラサラと走らせる。

 

 2分後。簡易な契約書が出来た。

 

───────────────

【第一条】

有栖川聖は、必要に応じて中学時代に関する情報を開示する義務を負う。

【第二条】

淡月愛唯は、有栖川聖に関する名誉毀損、誹謗中傷、並びに悪意ある風説の流布を第三者に対して行わないものとする。

【第三条】

本契約は当事者双方の合意を以って成立する。

───────────────

 

 有っても無くても変わらないけど、それなら有った方が今後の為になるかもしれない。そう思っての契約書だ。

 

 内容は先程の会話の通り。ボクは中学時代の身の上話を聞かせ、愛唯はボクの悪口を口外しない。

 悪口、という表現に微修正したのはボクなりの最後の抵抗でもあった。この書面は残る。もし第三者に見られた時、例えば『有栖川聖が噓つきであることを言い触らさない』なんて内容だったら、間違いなくボクの本性に疑懼の眼差しが向かってしまうだろう。だからこそ、抽象的な表現で纏め、具体的内容をはぐらかすのがベストだとボクは考えた。

 契約書を念入りに確認すると、ボクは自分の署名欄に名前を書いて契約書とペンを愛唯に渡す。

 

「愛唯、これにサインして」

「うわあ~ホントに契約書っぽいじゃん。ちょっとショックだな〜。私、聖ちゃんから信頼されてないんだね」

 

 噓つき認定してきた癖して、どの口が言うんだろう。

 

「違うよ愛唯。ボクたちは信頼し合うためにもこれは必要なんだよ」

「嘘も方便だね!」

「嘘じゃないし」

 

 仲良くなりたいのは本当だったし。

 仕方ないなとばかりに力の抜けた動作で愛唯は契約書を手に取った。

 

「あれ、さっきの話と文面違うじゃん。え~っと、これは"悪口を言うな"ってことかな……これさ、何だか不平等じゃないかな? 明らかに対価と代償が釣り合ってないと思うんだけど……あ、そうだ。良いことを思いついちゃった」

 

 渋い面持ちで契約書を読む愛唯だったけど、何か良いことでも思いついたかのように顔を輝かせるとペンを手に取った。すらすらと書き進めているのをぼんやり眺める。署名にしては随分長く時間を使っているなあ……とか暢気に考えていたせいで完全にその違和感を見逃したボクは、少し経った後にもう一度愛唯の手元を注視して、漸く気づく。

 この女、署名欄以外の場所に何かを書いている……?

 

「はい、ちょっと条件を書き足しちゃったこれでもいいかな?」

「書き足した……っていうのは?」

「見れば分かるよ~」

 

 口に弧を描きながら、にこやかにボクへと契約書とペンを渡してくる愛唯。

 受け取ろうとすると、愛唯が指に力を込めた。

 取れないんだけど。

 

「これから宜しくね、聖ちゃん」

「……。」

 

 愛唯は笑みを深める。見た目は可愛いのに、一瞬、ゾクッと背筋が震えてしまった。

 原初的には笑顔というのは威嚇の手段らしい。相手に自身の牙を見せ、敵意を露わにするとかなんとか、そんな話をふとボクは思い出す。今の愛唯は口を開けて歯を見せるような仕草こそしていないものの、威圧感からそう思わされてしまう。

 

 言いたいことはそれだけらしく、愛唯はふっと契約書から手を放した。

 無言で受け取って、付け足された文面を注視する。

 

───────────────

【第四条】

有栖川聖ちゃんは淡月愛唯の友達となる。不履行の場合、前述の契約全部ナシ!

───────────────

 

 ……なぜに?

 

「はあ」

「あ、溜息。幸せ逃げちゃうよ?」

「生憎と、ボクは幸も不幸も信じない主義だからね。他責思考なんて合理的じゃないしさ」

「随分と窮屈な考え方するんだね~。でも聖ちゃんのこと知れたみたいでちょっと嬉しい」

「そんなことよりも、この記述はどういう意味なの? 噓つき呼ばわりした挙句、友達になりたいだなんて理屈は通らないとボクは思う」

「ふ~ん、そんなことを言っちゃうの? 聖ちゃんの学校生活は私の胸三寸次第なのに」

「もう友達なんでしょボクたちは。友達の疑問を適当にはぐらかすのは友達の云為として正しいのかなってボクは思うよ?」

 

 契約書に書かれた二つ分の名前を指し示せば、理解したように首をコクリと縦に振った。

 

「それもそっか。もう友達だもんね」

「ボクの想像していた感じじゃないけどね」

 

 小さく言い返しても、やっぱり愛唯は微笑んでいる。

 

「友達になりたいって思った理由は、聖ちゃんに興味があるからだよ。ちゃんとさっき言ったでしょ。なんで聖ちゃんが沢山噓をつくのか知りたいって」

「あれ、本気だったんだ」

「凄い本気。一目見てからずっと気になってたくらいに」

 

 一目見て……?

 ああ、超能力で人の嘘が分かるとか言ってたか。

 冗談と聞き流してたけどその設定は続けるんだ。

 

「それは契約外だから話さないよ」

「嘘をつかないと死んじゃう病気? でも虚言癖って感じではないよね聖ちゃんって。逃げ道はしっかりと用意してる。虚栄心を満たすためにしては自分を誇大に見せようって感じもしない。不思議で面白い聖ちゃん。そりゃ興味津々になるに決まってるよ~」

 

 ボクの言葉を無視して独り言をぶつくさと唱え、うんうんと相槌を打つ愛唯。 

 勝手に推測して勝手に関心を抱かれても困るが。

 

「いや~でもこうしてお腹を割って話せてよかった~今日は素晴らしい一日だね! 友達記念日にしよっか!」

「ボクはお腹下しそう……愛唯ってこんな変な人だったんだ」

「やだな~こんな姿を見せるのは学校じゃまだ聖ちゃんだけだよ?」

 

 嬉しくない告白をどうもありがとう。

 出来ればこのまま記憶を消して明日からは他人同士になりたい。

 

「友達になってくれた感謝の印に、一つ私も秘密を話しちゃおうかな」

「契約書上の、という修飾子があるけどね」

「硬いこと言わないでさ、折角なんだから聞いてよ」

 

 どうも、ボクに聞かせたいというよりはただただ話したい様子。

 ……別にもういいけどさ。

 ここまできたら勝手に何でも喋ってくれ。 

 

「それじゃ告白するんだけど、私って実はずっと高校になるまで友達がいないんだ」

「……それは意外だね。ボクが言うのも何だけど、愛唯は明るくて人当たりもいいから友達は沢山いそうに見えた」

「まあ高校じゃ"まだ"だからね」

「まだ?」

 

 首を傾げるボクに、何やら愛おしそうな表情で目を細める。

 まるで出来ない子を慈しむような……。

 

「私は人の嘘が分かるんだ。でも友達になりたい相手に対して、嘘が分かっているってことを伝えないのは失礼でしょ。だから、嘘ついてますよね~、本当のこと知ってますよ~って友達に伝えるのは礼儀だと思うんだ。でも中々それを言っちゃうと疎遠になることが多くて、今の今まで友達って感じの友達はいたことないんだよ。そういう意味では聖ちゃんが最初かな」

「……性格悪くない?」

「噓ばっかついてる聖ちゃんに言われたくないかも」

 

 ぷくりと頬を白玉みたいに膨らませて愛唯は反意を滲ませた。

 いやさ……ボクだって大概だとは自覚しているけど、人の傷口に塩を塗って、率直に追い込むような真似をしている方がよっぽどタチが悪いと思う。

 

「だから今日のデートは生まれて初めての友達が出来てとても有意義だったの! これから宜しくね聖ちゃん!」

「……宜しくとあんまり言いたくないけど、宜しく愛唯」

「うん! 明後日の新入生合宿でも同じ班だから、友達として仲良くしようね!」

 

 今日一番の天使みたいな笑みを湛えた愛唯に、ボクは思わず目を逸らす。

 全く……とんだデートだった。

 

 始まったばかりの高校生活、幸先が不安だ。

 

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