翌朝になって、ボクはいつも通り片道1時間半の旅程を経て登校した。
文字通り長旅だ。
だって1時間半だよ?
仮にお金が無限にあったとしよう。東京から1時間半もあれば新幹線で名古屋くらいまでは行ける気がする。東北方面なら仙台……多分盛岡くらいまでは辿り着くはず。
そう考えるとやっぱりこれは通学ではなく遠大なる旅だ。
よって自分の机に着いた時点クタクタになってしまうのは仕方がないことなのである。
「おはよう、聖ちゃん」
疲労困憊、一歩手前になりつつ教室に到着したボクを迎えたのは一つ後ろの住人、愛唯だった。
相変わらず人好きのする笑みをふわふわと浮かべながら、こちらに手を挙げている。
教室はまだ疎らにしか登校してきていない様子で、朝8時前と少し早着になったことからも妥当だろう。
「おはよう愛唯」
「聖ちゃん、ふへへ~」
「……朝から何でそんなに腑抜けた面をしてるのか聞いても?」
「聞く? 聞いちゃう? 聖ちゃんなら言っても良いんだけどなぁ?」
「ウザいからやっぱりいいや」
「あのね~友達が私の目の前にいるのです!」
「無視なんだ。てかそれってボクのことだよね……本人を前にしてドやられても……」
えー……なんか調子に乗ってる。そんなに友達がほしかったんだ。
いつもながら笑顔撒き散らし体質な愛唯だけども(なんなら若干それが怖くもあるけども……)、今日はそれ以上に笑みが深い。ボクがもし男子だったならこの笑顔に一目惚れしているか、あるいは自分に好意を持っていると勘違いしていたかもしれない。心底安心した。生まれて初めて自分の持つX染色体の数が偶数であることを感謝だ。まあ異性だったら愛唯から声を掛けられなかったと思うけど。
にしても目立ってるなー愛唯は。
普段以上にルンルンと肩を揺らしてるのがクラスメイトの視線を引いてる。見栄えいいからなあ。
ま、それはいいんだけど。
声のボリュームを落として、ボクはひそひそと懸念を伝える。
「契約、忘れてないよね?」
「そりゃ勿論! 友達になるっていうのと、中学時代の話を教えてくれるって契約の話だね!」
「声が大きい。しかも自分都合な部分しか言う気ないなこの女……」
「この女……? それって友達の口から出る言葉じゃないよね? つまり契約違反だよね? そんなことを言われたら私の口がズルって滑っちゃうかもしれないよ?」
「あーもう! 愛唯はボクの友達! 都内でも唯一無二のボクの友達、それが愛唯です! これでいいかな!」
「うーん……及第点だけど許します」
にひひと愛唯は何だか歪な笑い声を上げた。昨日までと印象が随分違うなとか思う。なんだか角が立っているというか、ちょっぴりノリが気持ち悪いというか。
兎にも角にも、友達という存在は愛唯にとってそれほどまでに念願だったんだろう。契約で縛られた友達関係でいいのか、なんてツッコミは一旦腹の中で収めておく。
「そうだ、明後日からの合宿ってトランプ持参ありかな?」
一旦満足したのか唐突に話題が替わる。
「トランプくらいならいいんじゃないかな。アナログゲームだし」
「アナログゲーム……ジェンガとかオセロもありだと思う?」
「さあ……でもあまりに物が大きいと先生から言われるかも」
そう言うと更に幾つか候補を述べてきた。
少し呆れつつも一つ一つを適当に吟味しながら、ボクは明日からの新入生合宿について思い返す。
場所は山梨の西湖付近にある合宿所。期間は二泊三日。
今回の新入生合宿の詳細は学校から伝えられていなかったのだが、どこかのクラスの一年生が上級生から情報を仕入れて、噂となって拡散されることによって事実上は明らかになっていた。噂によれば合宿内容は基本的につまらないもので、大半の時間は作文執筆に割り当てられるようだ。あと気分転換程度にレクリエーションでバドミントンもやるらしい。そうは言ってもレクリエーションは二日目の二時間程度に過ぎず、残りの時間は概ね机に齧りつくことになるんだとか。
つまるところ、修学旅行みたいな楽しいイベントって考えたらダメってことだ。
「淡月さん、おはようー」
合宿に持ち込めるアナログゲームのセーフラインについて話していると、クラスメイトの女子から朝の挨拶をされた。
ボクじゃなくて愛唯に、だけど。
愛唯は当然のように微笑んで挨拶を返す。
「あ。おはよー。笠木さんたちまた三人で登校してきたんだ、仲良いね~」
「同中で家近いから腐れ縁ってだけだよー」
見れば後ろには更に2人……いるけど名前は分からん。ボクは結構人の顔を覚えるのが苦手だ。
とはあいえ、流石に関係無いからって無反応だと愛想が悪いし、愛唯の挨拶に続いて控えめに会釈だけしておく。
愛唯は手を上げて自席に去っていくクラスメイトたちを途中まで目で追って、そして視線を外す。
「人気者だね。ボクじゃなくてああいう子たちと友達になった方がいいんじゃない?」
揶揄するようにボクが言えば、表情を僅かにニュートラルなものに変化させる。
「そうかもね。笠木さんは良い子だから」
「そんな言い方をされるとまるでボクが良くない子みたいに聞こえるんだけど」
「あれ? もしもそう聞こえたんだとしたら、聖ちゃん自身で何か自分の問題点に気付いているってことになるんじゃないかな?」
その言い方は少しムッと来た。その丁寧に編み込まれた髪の毛わしゃわしゃにしてやろうか。
両手でその長い金髪をロックオンしていれば、愛唯は寂寥感ある面持ちで目を伏せた。
「……正直、私は笠木さんとは仲良くなれないよ」
「絶対に仲良くなれそうだと思うけど」
「聖ちゃん、また嘘ついてる」
誰にも聞こえない小声で呟く。
まあ……噓だけども。
表面上は仲良くなれるだろうが、愛唯の本性を知った上で仲良くなれる人間など限られている。
弱みを握られ、真正面から突きつけられて、それでもなお受け入れられる寛容な人物。
笠木さんに関しては───どうだろう。今のところ普通の人に見える。
だからこそ愛唯とはあまり相性は良くないような、そんな気がする。
といっても、こうして上から論じるボクだって愛唯の理解者ってわけじゃなく、契約という鎖で友達関係を結んでいるだけだけど。
「じゃあさ。提案だけど笠木さんをボクに紹介してもらっていいかな。昨日話した通りボクは同郷がいなくてね、学内で友達を探してるんだ」
そんなことをボクは言った。
ところで、突拍子も無いけどここで昨日の契約の話である。
愛唯との契約でも記載した通り、ボクの中学時代の話は掻い摘んで愛唯には伝えている。
勿論全てを伝えるには長すぎるし、他人に言いたくないことだってある。
なので主に当たり障りのない真実を愛唯には話して、愛唯も少しだけ興味深そうに頷きながら聞いてた。
だからボクとこの同じ中学出身者がこの高校にいないことは愛唯の知る由でもある。
顔見知りすら一人もいないと分かれば、愛唯なら心細いボクをフォローしてくれるだろう。
と、思っていたのも束の間、愛唯は首を横に振った。
「え、嫌だけど」
「なんでだよ」
「だって私は友達一人しかいないのに、聖ちゃんが友達二人作っちゃうのは不平等だよね?」
「なんだそれ……別にいいだろうボクが友達を別に作ってもさ」
「聖ちゃんは私のだもん!」
「そうなった覚えはないよ?」
ふん! と不機嫌そうな顔を作って視線を背けた。この態度から察するに、マトモに答える気はないらしい。
まったく、ボクは愛唯の所有物じゃないんだけどな……この子は友達関係のことをどう認識しているんだろう。
……ん?
ふと思ったけれども、笠木ってことはイニシャルは"か"だし、ボクと愛唯とは名前順で近いってことは……。
その一分後、少し遅れて新入生合宿のボクと愛唯の属する班に笠木さんも所属していることに気付いた愛唯はやや不機嫌に頬を膨らますことになる。
─── ─── ───
一悶着を予想していたものの、学校生活は順調だった。
愛唯との関係性も今のところ特段目新しいものは無い。精々が先週より少し砕けた会話が多くなったこと、それから一緒に下校するようになったこと(と言ってもボクは電車通学で愛唯は自転車通学だから、一緒になるのは駅近くまでだけど……。)を除けば、関係性の大きな変化も生じていなかった。
「有栖川さんって、淡月さんと仲良いよね? 元々知り合いだったりするの?」
敢えて言うなら愛唯とより距離が縮んだことで、ボクに対する周囲の評価が少し変わった。
印象が上向いたのか、下向いたのかはちょっと分からない。
ただクラス内でも一目を置かれる淡月愛唯が最も懇意にしている人間として、否応なく注目を浴びている形になってしまったとボクは解釈している。
ともあれ、ボクは愛唯との関係性を聞かれるたびに毎回、高校で初めて会った友達であると答えている。話す内に意気投合しちゃったと。
ボクは嘘つきだけどもこれに限っては完全な欺瞞ってわけでもない。実際、ボクと愛唯は入学直後から、お互いの席が前後と会話しやすいポジションだったことを発端に話し始めた仲だ。この嘘がバレることはないだろう。
そうして水曜日。新入生合宿の日となった。
合宿は二泊三日の旅程である。集まった生徒のバッグも泊数に比例してそれなりに大きめだ。ボクも例に漏れず、二泊三日分の着替え+文房具やら旅行道具一式やらの諸々を持っていく羽目になったので、仕方なくボクの身体で背負える限界サイズのリュックを家から引っ張り出さざるを得なかった。
そんな感じで苦労しながら朝に学校へ集まると、早々に整列や点呼を行い、クラス毎に手配された貸切バスに乗ってボクは秋葉原を出発した。
「うん。少し前までは憂鬱だったけど、今になって何かワクワクしてきたね」
当然のように隣の座席を確保した愛唯は、言葉通り浮かれた口調で窓の外を眺めている。既にバスは竹橋ICから首都高に乗り、ビルの間隙を縫って敷かれた高架橋の上を走っていた。
「でも目的地に着いたら缶詰だよ?」
「分かってるけど、それでも皆で旅行って心躍る気がしない?」
「知らない同志ばかりでもそういうもんかな?」
「そういうもんだよ」
「そうなんだ……」
繰り返し肯定されたので否定できずにボクは取りあえず相槌を打った。
「それに知らない同志じゃないでしょ、私には聖ちゃんがいるわけだしさ~」
「またそういうことを言って」
「事実だよ? それに聖ちゃんだって私がいるんだから、友達がいないから憂鬱って理由は断固として認めません~」
随分愛唯は面倒なこと言うようになったな。
「分かった分かった、ボクたち友達友達。ハッピーフレンド」
「なんか雑だね!?」
取り留めのない雑談を続けている間にも中央自動車道へ進路を取ったバスは都会のビル群を抜け出し、関東平野を北上。次第に都会では見れない広大な自然が窓の外を流れる。
目的地である山梨の西湖までは2時間程の道程だった。途中の渋滞で幾分か時間を消費したので、スムーズに流れていればもう少し早く到着していたことだろう。
ボクたちは到着すると、早速班ごとに割り当てられた部屋に荷物を置く。
「ここが私たちの宿か~意外に立派だね~」
愛唯が感嘆の声を上げるのも無理はない。
合宿所は想像以上に新しめの内装で、調べてみれば普段は観光客向けホテルとして一般利用されている施設だった。
割り当てられた6人部屋は洋室で、当然のことながら、一人一人にベッドが用意されてある。ただ一つ残念な点を挙げるならば、湖とは反対側の部屋なので窓からの眺望についてはあまり宜しくない。
観察を終えて、ボクは着替え等々が入ったバッグを床に置く。
「取り敢えずさっさと行こうか」
「一階の小ホールだよね。筆記用具と作文用紙だけ持っていけばいいんだっけ?」
「らしいね」
これから何をさせられるか半ば予想出来た愛唯は渋い笑顔を浮かべた。
移動した先の小ホールは丁度1クラス分の座席が用意されていた。
予想通りと言うべきか、そこで樫見先生から命じられたのは作文であった。テーマは今後の学生生活の展望について。文字数の下限は2000文字。これにはクラスメイトの誰しもが面倒そうな態度を隠そうともしなかった。ボクも同じ気持ちだ。こっそりため息を漏らす。これが明日明後日と続くと考えれば億劫でしかない。
ただ、面倒ではあるけどこういう作文はボクにとって得意分野でもある。嘘と虚偽と欺瞞で耳触り良く文章を飾り立てることはボクの十八番だ。
サラサラと一度もシャーペンを止めることなく、澱みないペン捌きで原稿用紙6枚半を仕上げると席を立った。
「出来ました」
「早いな有栖川。一応言っておくが文字稼ぎは再提出対象だぞ?」
「ちゃんと書いてるので大丈夫です」
先生はボクの書いたものを30秒ほどでペラペラと検分して頷く。
担任の樫見先生は雑な提出物を認めるほどの寛容さはないけど、厳格というほど決まりや基準に五月蠅い訳でもない。壮年ながら若き日のクールビューティーさ思わせる切れ目や冷淡な声音から勘違いされがちで少し同情する。
ボクの作文は欺瞞はあれど粗製乱造ではないし、問題ないはずだ。
「その通りみたいだな。よし、一旦自室に戻っていいぞ」
無事許しも出たようだ。
ボクは先生に礼を言って文房具を纏める。ちらりと隣に座っていた愛唯を見れば、こちらを恨めしそうな面持ちで見ていた。
「聖ちゃんってやっぱりこういうの得意なんだね」
昼を挟んで更に作文課題を一つこなしたその日の夕方、班毎に割り当てられた部屋にて愛唯は見事にご機嫌斜めになっていた。どうやら友達のボクが早々に仕上げて退出していったから、それが不満であるらしい。
「やっぱりと言われるのは酷いね。ところで何でやっぱりって思ったのかな」
「うーーーん、なんかそんな感じがするじゃん聖ちゃんって!」
「言い掛かりだね」
契約に基づき人目のある所でボクを嘘つきと指摘出来ない愛唯は、癇癪を起こすかのように雑にボクを非難する。
「でもホント凄いよね有栖川さん、私なんかめっちゃ時間かかったよ? 文量も多かったし……てか明日も明後日もこんな感じなら拷問だってこの合宿……!」
そう言うのは同じ班になった笠木さん。
フルネームを
自己紹介のときはスポーツが好きだとか言っていて、事実、笠木さんの四肢は女の子らしさを奪わない程度に程良く筋肉が付いてて、かつその表情には爽やかさも兼ね備えていて、正しく青春スポーツ少女といった評価がお似合いのクラスメイトである。部活は確かバスケ部だったはず。
あまり詳しくは無いけど、愛唯に負けず劣らず、コミュ力の高い人種と認識している。
そんな彼女は既に制服を脱ぎ捨て、カジュアルな半袖のTシャツとスポーティーな短パンに着替えていた。サイズが若干小さいのか、引き締まった小麦色の肉体美がちらりと見えていて、若干目に毒な光景になってしまっている。
「でも明日はレクリエーションがあるんだよね」
笠木さんのことをあまり見たことなかったなと観察していれば、愛唯が口を開いたのでそちらを向く。名前順で割り振られた班なので、言わずもがな愛唯は同部屋だ。
「そういやレクリエーションあったか~。バドミントンだったっけ種目は。確かダブルスって言ってたよね。こう見えて私バドもかなり得意な方なんだ。よし、最強ペア組んで作文のストレス発散しちゃうぞ!」
ニヤリと独りでに力こぶしを作る笠木さん。
流石運動部というべきか。バスケとは動きも道具も違うのに……やはり運動神経が良いらしい。
しかし、ここは仲良くチャンスかもしれない。
「実はボク、中学は
「え、ええ!? そうだったんだ!」
ボクの身体を二度見して笠木さんは驚くみたいに手の平を口に当てる。確かにボクの図体はバドミントン向きじゃないし、そもそもバドミントン部に所属したことはない。中学時代、クラス外に仲良くしたい子が居て、その取っ掛かりのためにクラブでバドミントンをやってるって嘘をついたことがある。嘘のカバーするためにバドミントンの練習は沢山したけども、そういう運動系の組織に属したことなんて一度もない。笠木さんとは真反対に、愛唯の反応はかなり冷ややかなものだった。自己申告曰く超能力で、ボクの発言を嘘と見抜いたのだろう。無視してヨシ。
「残念だけどストレスは発散できないかもね」
「叩きのめすつもりだ!? でも私だってバスケ部エースの誇りに掛けて、簡単にはやられないからね!!」
「種目バスケじゃないし、入学したばかりなんだから絶対エースでもないよね?」
「来年の春にはそうなる予定!」
一年後ってことは今の二年生は追い越す算段を付けているらしい。爽やかな顔をして意外と競争心が強い。
そんな会話をバチバチ交わしていれば、愛唯は笠木さんに近寄るとボクへ当てつけみたいに手を取って、流し目でこちらを見てきた。
「経験者が本気出すのはちょっとかわいそうだよ。そんな酷いことをする人と組みたくないし、私、明日は笠木さんとペアになろうかな~」
当てつけみたいに、というか、本当に当てつけだった。
……しかし、真っ向から喧嘩を売られたなという気持ちもある。
愛唯はボクの友達の少なさを知っててそれを言ってるんだからちょっとムッとする。
「別に良いんじゃないかな。愛唯とは友達だからね。友達の選択は尊重するさ」
所詮、契約で縛られた友達ってだけだし。自然と突き放す言い方になってしまった。
愛唯はその言葉をうんうんと頷き、ボクを図るように凝視すると、間を置いて撤回する。
「ごめんごめん~、揶揄っちゃただけだって! 一緒に組もうね!」
ボクとしてはどっちでも良かったんだけども……でも別の人を探すのは少々面倒だから、手間が減って有難くはある。
「え、何か私踏み台にされてない?」
蝙蝠みたいにボクの下へ戻って来た愛唯を見て、笠木さんは少し目を丸くした。
「そんなことないよ~! もし聖ちゃんが熱で倒れたら笠木さんにペアお願いしたいし!」
「それならいいけどさ。私も二人の仲を切り裂く間男みたいな真似したくないし」
「間男ってそんな関係じゃないからね!?」
本当にそれはそう。
口元が緩んでることから笠木さんも冗談で口にしているようだ。じゃなかったら少し困ってたけどさ。
「でも明日も作文か~あ~気が滅入ってきた。温泉行こうよ温泉、こんな合宿所から抜け出してさ」
明日の作文課題が目に浮かんだらしく疲れたように座布団に深く沈んだ笠木さんへ、愛唯が助言する。
「駄目だよ笠木さん、抜け出して温泉なんてさ」
「真面目だね~淡月さんは」
「近くの温泉まで徒歩で往復3時間はかかるから、その間に見回りで来る先生の目を誤魔化せないよ」
「あれ、そうでもなかった!?」
心底意外そうに身体を跳ね起こす笠木さん。
「私だって折角の山梨、楽しみたいもん」
「なるほど、へ~。淡月さんって非行とは掛け離れた人だと思ってた」
「違うよ~! 勘違いされやすいけど、私ってそんなに清廉潔白って人柄じゃないんだよ? ね、聖ちゃん?」
ボクに同意を求めてくるのは辞めてもらいたい。
思わず様子を見れば目が「やんわりと肯定しろ」と言っている。弱みを握られている身としては首を縦に振らざるを得まい。
しょうがない。
「そうだね。愛唯って肌は白いけどお腹は黒いからね」
「聖ちゃん??」
「あ、ちょ、ちょっと愛唯そこやめて……!! ふふはははは……っ! ボクの横隔膜おかしくなっちゃう……!?」
冗談半分で言えば愛唯がボクの脇腹を掴んできた。入念に揉まれてボクは悶絶。あまりにも酷い。やはり清廉潔白とは程遠い悪い子だ!
そんなボクへの仕打ちを笠木さんは笑いながら鑑賞していた。予想通り冗談と捉えているらしい。
なんなら懐からスマホを取り出すと、こちらへ向けパシャリと撮影までし始めたではないか。
「なにしてん……っ!? あははははっ……!」
「なにって思い出の保存? これから仲良くなった後に、あの頃はこんなんだったな~って振り返りたいし? ちょっと構図がえっちいけど、男子にはどうせ見せないからいいかなって」
「え、えっち……!? 今すぐ消してくれないかなはははひひひ……!?」
「あ、笠木さ~ん、私にも後で送ってほしいな~」
「了解! グループ作って共有しておく!」
本気で止めてくれないかな!?
願っても愛唯が止まるわけもなく、ボクの軽口への制裁はその後も数分間続いた。
少しの休憩の後、合宿所の大ホールにて夕飯。メインはカレーライス、千切りキャベツが多めの野菜サラダ、それから味噌汁という献立だった
期待はしていなかったけどもやはり美味しくはない。不味くもないけども。カレーなのに若干冷えているのも減点ポイントである。
「近くにコンビニとかあればよかったんだけどね」
対面で先に完食していた愛唯が思わずといった感じで愚痴を零す。
個人的にも非常に同意するところだった。
「そうだね、これなら菓子パンの方がまだマシだよ」
「そうじゃなくて、ちょっと足りないかなあって」
「あ、足りないね……」
味じゃなくて量だったかー。
育ち盛りで何より。
ボクの考えを読むかの如く、愛唯は途端に頬を染めて恥じらいを忍ばせつつも、釘を刺すようにボクを睨んだ。
「一応言うけど食いしん坊じゃないからね」
うん。嘘を吐くまでもなく思ってないよ。成長期の高校生には物足りない量なのは確かだし。
……それに。
ボクは思わず愛唯の顔からやや下に視線を落とす。
その立派な二つの丘も同時に育てているとなると、多くの栄養素を欲するのも分からない話じゃないかな。
一方でボクは身体も小さいからあまり食べる方じゃない。
今食べてるカレーだって味の割に量が多くてそろそろ辛くなってきたし……そうだ。
「ならボクの食べる? もうお腹いっぱいでさ……これ食べかけだから嫌かもだけど……」
「え、いいの! うんうん食べる!」
「あ、ええーと、どうぞ……」
想像以上の食いつきにボクは一瞬肩を震わす。ビックリした。
まあ良いんだけどさ……?
しかしこうなると先程の冗談は冗談じゃなかったのかもしれない。愛唯のことは今後食いしん坊と認識しておいた方が良いだろう。一緒に何処かお出掛けするときは、お昼は量を出すレストランとか喫茶店を案内できるよう事前に調べておくべきかも。空腹で不機嫌になられてもお互いの為にならないしね。
「ホントに食いしん坊じゃないからね!」
そんな心の声を読み取ったように愛唯は念押しの一声。分かったって。
ボクがおずおずと差し出したカレー皿を愛唯はお礼と共に受け取ると、軽快なスプーン捌きですぐさま皿を綺麗にする辺りあんまりその主張の信憑性はなさそうだった。
苦難の時間は続く。
次は入浴の時間だ。
クラス毎に大浴場の入浴時間は決まっていて、ボクの所属する1組は20時で一番乗りだった。
……白状すると本当は勘弁してほしい。
嫌なんだなあ……大浴場ってやつは。部屋に風呂があったら絶対に来たくなかった。
昔からボクは同性相手だろうが他人に裸を見せるのはとても抵抗がある。幾らタオルで隠そうとも当然身体のラインは浮き出るし、隠すべき箇所を完全に覆い隠せないし、それが単純に恥ずかしい。それに加えてこういう環境で懸念すべきはクラスメイトから弄られることだ。中学三年の修学旅行では同級生の大半より小柄で貧相な身体を色々と弄られて嫌な思いをした。何が一番嫌ってそんな奴でもボクの友達であったことだ。友達だから表立って避けられないし、あっちは場を和ませるジョークのつもりで口にしていたのだろう。ノンデリ人間とは距離を置くべし。やったらめったらに友達を作りまくっていた中学時代の教訓である。
愛唯から逃げるように大浴場に踏み入れたボクは身体と髪を手早く洗う。気分は犯罪者だった。早く事件現場から離れたい。
「あ、有栖川さんだ。てか背中すごい白い綺麗じゃない!? すごーい、触ってもいい?」
ボクの願いは世界に通じなかった……。
背後からクラスメイトに声をかけられて、ボクはびくりと身体を震わせそうになりながらもどうにか露骨な反応は内に隠すことに成功し、恐る恐る振り向いた。
「え、えっと……急にどうしたの?」
「ねえねえ触って良い? てか近くで見たら有栖川さんめっちゃお人形さんみたい! 有栖川さん、まるでアリスじゃん!」
どうもギャルっぽい言動をするクラスメイトはボクを旋毛から足先まで目でなぞってくる。
うわぁ……困るなぁ。
それに幾ら相手が女子だろうが恥ずかしいものは恥ずかしい。
テンション感にも全くついていけないし。なんだよボクの肌を触りたいって。変質者か。
「そういうのはちょっと」
「えー。あ、じゃああたしのも触って良いから! てか洗いっこしよ! あたし髪洗うのとか上手いよ! 妹にいつもやってんだ!」
「そういう話じゃ……」
なんでこんな押しが強いんだこの女子。色々と支離滅裂じゃん。
妙なペースに呑み込まれそうになったその寸前、目の前の女子の肩を背後から掴む手。
「なにやってんのかな~早橋さん。聖ちゃん困ってるよ~?」
「……淡月さん? すっご、淡月さんもナイスバディー」
「そんな話はしてないし、聖ちゃんを困らせるのは止めた方が良いと思うなあ」
背後からぬるっと現れた愛唯は天使のような笑みをセクハラ女子生徒に向けた。
善性故の注意……のはずなのに何故だろう。言動こそ普段のそれに聞こえるのに、なんだか愛唯の笑顔が怖く見える。本性を知ってしまっているからだろうか。
早橋さん───名前を言われてそういやそんなギャルっぽいクラスメイトもいたなって思い出した───は愛唯の裏側に気付く前兆もなく、慌てたようにボクを見ると、右手を顔の前に出して謝罪の態度を示す
「え、困ってたの? ごめん! あまりの可愛さに目を奪われててあたし気付けなかった!」
「こら~?」
早橋さんの頭に軽く拳を落とす愛唯。
えっと、口説かれてるんだろうかボクは。
「邪魔というか迷惑かけちゃってごめんね! あたし別のところで身体洗ってくる!」
愛唯の介入によって漸くボクの願いを理解してくれたのか、早橋さんはすぱっと離れると反対側のシャワー台へとすたすた歩いて行ってしまった。悪い人ではないんだろう……ただセクハラが酷いだけで。
愛唯はその背中をまるで不審者に向ける目の色で追うと、一旦大丈夫だろうと判断してか嘆息する。
「大丈夫だった聖ちゃん」
「うん……ありがと愛唯」
「えへへ、これくらいはね。じゃあ私も身体洗ってくるから、また後で」
そう言って踵を返してしまう。
え、あっさり。
この新入生合宿中、割とボクにべったりくっついてた愛唯なのに……。
……もしかして気づいていたんだろうか。ボクが裸の付き合いを苦手としていることを。
客観視してみても気付く材料はあった。愛唯を振り払って大浴場に来たことも、クラスメイトから隠れて目立たないように身体を洗っていたことも。線で結べばボクの意図を推測できなくはない。
でも、一ヶ月も経っていない関係性の愛唯が確信できるのかな。
もしそんなことがあるなら……それはいわゆる愛の力とで言うべきなんじゃ……。
いやいや! 何を言ってるんだろうボクは! 破廉恥か! 自惚れか!
思わず頭を振って否定する。顔が湯だって熱く感じたので冷えたシャワーを頭から浴びてクールダウン。
冷えすぎたので今度はぬるま湯に調整して、余分な感情ごと身体を洗い流す。
はぁ……ボクはどうにも合宿という特殊なシチュエーションで思考が乱されてしまっているらしい。
愛唯は契約上の友達だ。それ以上でも以下でもない。
自分の身体を洗う行為に専念することで心を落ち着かせると、ボクは大浴場に浸った。
目立ちたくないから2分で出たのは言うまでもない。
その日は疲れもあってか、ボクは部屋に戻るとぐっすりと眠り入ってしまった。