新入生合宿明けの月曜日、教室内には中弛みした空気が流れていた。
朝のHRでは樫見先生が「合宿所では決意表明を書いて貰ったが、今日からがその本番と思って日々を過ごすように」と気を引き締めるのを促す発言をしていたが、それでもこの雰囲気は払拭出来ていなかった。
だからといってボクまで影響される必要はないので、淡々と授業の準備を進める。
3限目が終わり、小休憩に入る。
人影。
「や、三連続大貧民。楽しかったね合宿」
「……運が悪かっただけだよ」
10分間の合間を縫って詩鳥がボクの席へとやって来ては揶揄するように合宿での成績を持ち出してきた。
というのも、ボクたちの部屋は二日目の夜、詩鳥が持ってきたトランプで大富豪をしていた。
ボクのリザルトは大貧民三回に貧民二回。手札に入ったジョーカーを初めとする好カードを全て権力で簒奪され、残ったボロ雑巾みたいな手札では到底格差社会に革命を起こすことは出来なかったのだ。
沸々とした敗北感を思い出しつつ口を曲げて言えば、詩鳥は軽く笑ってボクの机に手を付いた。
「ああいうの良いよね。なんか非日常感あってさー」
「そうだね。中々クラスメイトとアナログゲームで遊ばないし」
詩鳥は同調してくれたことに喜色を滲ませる。
「ねー。てかさ、また遊ぼうよ! 普段はバスケがあるから難しいけど、日曜なら空いてるからさ!」
「あーボクは」
そこで言葉を止めて愛唯の様子を窺がう。
……合宿明けで僕の周囲で一番変化があったのは愛唯の様子だった。
別に仲が悪くなったわけでも、全く喋らなくなったわけでもない。
でも詩鳥との会話が増えたのと反比例するかのように、今日は朝から愛唯とは大した会話を交わしていない。精々朝の挨拶と授業に関わる庶務的な会話くらい。
愛唯はボクに一瞬視線を向けて、すぐに視線を逸らしていた。そのまま別のクラスメイトと会話を始めてしまう。
……当然と思っていたものが変わってしまったからか、何だか気持ち悪い。
そこで詩鳥がじっとボクを見つめて回答待ち状態になっていることに気づき、気を取り直す。
「日曜日ならボクも空いてるよ」
日曜のみならず帰宅部だから毎日空いているけども、少し粋がってみた。
そんな浅い思惑は詩鳥からすればどうでも良いらしい。
「じゃあさ次の日曜日とかどう?」
「いいけども、他の同部屋メンバーも誘う?」
「いや……取りあえずは良いかな。みんな忙しいだろうし」
声のボリュームを落として詩鳥は目を伏せる。真後ろで他のクラスメイトと談笑する愛唯の存在を懸念しての判断だろう。つまりルームメイトだった愛唯を誘わないことに罪悪感を覚えている……或いはボクだけを誘いたいから聞かれたくないのか。本能的ではなく理知的な判断によるものは明確だ。
重要なのは、それはボクとしても好都合である点。
いま微妙に距離感がある愛唯を誘われて困るのはボクも同じだ。
「ボクは構わないよ。時間とかは後で決めよう」
「おけ! いやはや楽しみだなあ、うんうん。じゃあまた後でね」
スマホで連絡を取ることだけ決めて、詩鳥は満足げな顔をしながら去っていく。
それを目で見送っている最中に愛唯がボクを見ていることに気付く。
横目でこちらの様子を伺っていたようで、しかし、冷淡な瞳が次の瞬間にまん丸へ歪み、笑顔の裏に隠れていった。
状況は変わらないまま、放課後になってもボクと愛唯が会話を持たなかった。
やっぱり新入生合宿で残した溝は深いらしい。
愛唯にとってボクは唯一の友達───そう思われていることには気付いている。でもボクからすれば契約上という言葉もあったし、愛唯だけを友達と見定めてる訳でもない。そんな恋人や夫婦じゃあるまいし、友達は多ければ多いほど都合が良い。一個人をそこまで特別扱いするとなると、そもそもそれは友達や親友ですらなく───恋人の領域ではなかろうか。
「ボクは帰るけど愛唯はどうする?」
一応友達としての体裁を保つ為に、義務的に愛唯へと言葉を差し出す。
愛唯はいつもの笑みを保ちながら遠慮気味に言う。
「今日はちょっと別用があるんだ〜ごめんね?」
「謝らなくていいよ、友達だろうボクたち」
「そうだね、友達だもんね」
儀式的に嘯きあってその場は解散した。
愛唯に所用があるというのは嘘じゃないだろう。
ボクと異なり愛唯は嘘を好まない。
他人の嘘を見破るなんて力を持つ愛唯だからこそ、自分だけは嘘をつかないという信念が育まれたのだろう。愛唯が嘘をついたところをボクは見たことがない。嘘をつかないし、物事を曖昧に溶かすこともあまりしない。だから詩鳥の友達になろうという発言に対しても、聞き手によっては国交断絶の如き冷たさを感じさせる言葉で拒絶を表明した。
……なんだか物思いに耽りたい気分だ。
こんな日は秋葉原でも散歩してしまおう。
秋葉原という街にオタクタウンという偏見を抱いて無意識に避けるあまり、殆ど周囲を散策してこなかったけども、今日みたいな鬱屈とした日には丁度いいかもしれない。思考を深めるついでに秋葉原を巡って、なんか面白い店とか探してみよう。
でもアキバはアキバ。
電気街がメインストリートと言えど、そちらへ行ってもアニメショップやらコンカフェばかりで何も面白いものはなさそうな気もする。
学校近辺の昭和通り方面でブラブラしたほうが良いのかな。けどそれはそれで微妙だ。ビジネス街としての側面のほうが強い訳だし。
むぅ。
難しい。難しい街だぞ秋葉原。
そんな風に頭を悩ませながら、あまり先を考えずに廊下を歩いていたのが悪かったのだろう。
階段前の曲がり角で、ボクは誰かと衝突した。
「あっ……!」
思わず尻餅をついた。
しまったな、ボクとしたことが視野狭窄に陥っていたみたいだ。
ぶつかった相手を確認しようと視線を傾けて───それより先に相手の鞄から出てきただろう、散らばってしまった数冊の本が視界に入る。その表紙と予測される内容を確認した後に───思わず相手に視線を寄せる。
……うん?
見たことある顔だ。
記憶の底を浚う前に思い出した。
そうだ、合宿のときに自販機の場所を聞いてきた女子だ。
初対面で一人称に苦言を呈されたから流石に印象に残ってる。あまり関わりたくないなと。
しかし今回の衝突事故はボクが悪いか。
「ごめん、ボクの不注意だった。手伝うよ」
「……大丈夫です。お構いなく」
「安心して良い。実はボクもその手の趣味には一定の理解があるんだ」
話しながらも立ち上がったボクは本の表紙が他の生徒から視認されないような位置取りを取って、背中で隠しながら散らばったもの───肌色強めなBL本を手に取った。
どうもこの女子、大変腐女子なご様子。
しかもハーレムBLもの……絵柄的には小学生くらいの幼い主人公を明らかに成人間際の青年たちが取り合っている構図の表紙は大変業が深い。BL自体に理解があるかないかで言えばある方だけど、それを趣味にして妄想に耽っているわけでもないので内面じゃ少し引いている。でもまあ、この高校は秋葉原も近いし、そういう生徒がいても何ら不思議じゃない。むしろ万有引力の如く、あるいは走光性に従って街頭の近くを飛び回る蛾の如く。オタク中学生が秋葉原近くにあるこの高校に進学するのは一種の自然の摂理とさえ思える。この本の品々が他の生徒から見られたところで大した動揺もされず、揚げ足も取られない可能性が高い。
とは言え、それは健全な本の話だ。
見た目からして明らかなR18な書籍を高校に持参しているとバレたら、流石に教職員からは目を付けられるだろう。それに風紀委員とかからも注意が飛んでくるかもしれない。それはこの事故の被害者でもあり加害者でもあるボクとしても望まない状況だ。
だからボクがこうしてそそくさと隠蔽行為に励むのは、ちゃんと前を見て歩いていなかったことに対するお詫びでもあった。
「理解ですか……?」
さっきのボクの発言に引っかかったのか、儚げな声で目の前の女子生徒は繰り返した。
「まあね。大っぴらには言いづらいけど、こういうのはボクも好きなんだよ」
と、これは完全な嘘。他人が好む分には良いけど、自分がとなると話は別だった。
まあどうせ今後関わることもない一期一会の同級生だ。来年以降でクラスが一緒にならない限りは二度と話すこともないだろうし、その頃にはボクのことなんて忘れられているはず。これくらいの嘘をついたって構わないだろう。
ボクは本を拾い終えると、女子生徒も残りを回収しきっていた。一応目の前の女子生徒の名誉を守っておくと、床にばら撒かれたのは殆どが真面目な参考書だった。ただボクの目を一番惹いたのがBL本ってだけで……まあそりゃそうか。誘因性がありすぎる。
「ありがとうございました」
女子生徒はボクからBL本を受け取ると、慇懃に礼を言った。
それにしても彼女はボクのことを覚えていないらしい。
まあ自販機を教えただけだし、それに見るからに人に興味とか無さそうな顔してるし。ボクのことを覚えていないのも無理はない気はする。
ただそれはボクにとっても好都合だ。
「うん。じゃあこれで」
「あの、ひとつお聞きしても宜しいですか?」
そそくさと階段を下りようとすると、背中から声をかけられる。
何となくだけど嫌な予感がする。それも今ついた嘘が原因の。
「えっと、なにかな?」
「先程の発言から察するに貴方は同志だと解釈しました。宜しければ是非、今から語り合いませんか?」
うお。
悪い予想が当たってしまった……。しかも彼女はボクをBL好きと思っているらしい。
欺瞞が自分に返ってくることは噓つきである以上初めてじゃないけど、ここまで速やかに打ち返されたのは初めてだ。
一先ず、こうなったら誤魔化すしかないな……。
「悪いけど今日は予定があるんだ」
「分かりました。では明日はどうでしょう?」
「明日もちょっと忙しくてね」
「分かりました。ではその次の日はどうでしょう?」
全然分かってないよね?
ボクは迂遠に断りを入れてるつもりなんだけど?
いや、正直二回連続となれば迂遠でもなく、結構ストレートに断っているようにも思えるんだけど?
回答に瀕したボクをどう認識したのか、絶対に分かっていない瞳を向けながらふむと頷いて更に続ける。
「分かりました。では空いている日を教えてください」
『はい』か『Yes』以外の回答を受け付けないロボットと相対している気分だ。
この様子だとボクの十八番も彼女には通用しないだろう。
基本的には嘘という武器は無理も不条理をこじ開けることができるマジックツールではあるのだが、証拠や正論以外にもう一つ、このような強弁を用いてくる相手にも弱い。話術で以て相手に誤解や疑念や虚偽を植え付ける嘘と、相手の話を聞かずに自分の主張だけを押し通す強弁は、単純に相性が悪いのだ。
なれば、この場においてボクが取れる行動は二つある。
一つは首肯して眼前の無機質な女子生徒と会話をすること。その場合はBL話に花を咲かせることになるだろう。咲かせるのは桜だけで良いっての。
そうしてもう一つは───。
「ごめん、先を急いでるんだ」
「あの───!」
ボクは背後から被さってくる声に構わず階段を一段飛ばしで降りていく。
ここでの正解は───無視して帰路を急ぐ。
話していても埒が明かないので強行突破である。
一階まで下りて、急いで下駄箱で靴を履き替えて校門から飛び出す。
駅まで走ると改札を通り、山手線外回りで秋葉原を脱出した。
あんな子がいたんじゃしかたない。
秋葉原を散策するのはまた今度の機会にしておこう。
とまあ、その日は強引に突破を図り、成功したのだが。
翌日登校しようとして、四階の階段を上がり切ると。
なんかいた。
昨日ぶつかった女子生徒が、壁に身体を預けながら、昨日と変わらない無機質な表情でボクのクラスを見張っている。
いや、早計かも。
昨日初めて会った相手が、ボクのクラスを突き止められる情報を一夜で得たとは考えにくい。ボクの名前もクラスも知らないはずだ。知っているとしても恐らく上履きの色で分かる学年くらいなはず。一年生の上履きは先端が青いから一目瞭然だ。
なら、ボクのクラスを見張っているというよりは、廊下を通る一年生全員を観測しているといった方が納得だ。大抵の生徒はみんな下駄箱に近い東側階段を使って各々の教室に向かうし、ボクのクラスは1年1組。学年のほぼ全生徒が通る導線だから観測場所としてこの上なく最適だ。
無論、ボクを待っているというのは自意識過剰かもしれないけども、念のために避けておいたほうが良いだろう。絡まれたら確実にBLトークを強いられるし。
予鈴ギリギリまで別階のトイレで時間を潰し、HRまで残り5分を切ったタイミングで再度戻れば流石に居なくなっていた。よかった。授業始まる瞬間まで監視するつもりはないみたいだ。
「聖ちゃん、遅かったね。電車遅延?」
際々で教室に入ったボクを物珍しそうな目で愛唯は見てきた。
未だ微妙な距離感を維持しつつも、普段ギリギリの時間に登校してこないボクがHR間際に登校してきたことに興味を抱いているようだった。
「まあ……ワケアリで」
「へぇ~ワケってなんだろう。困り事? 私、興味あるなぁ」
「大した話じゃないから気にしないで」
そう言えば興味は抱きつつも、愛唯は口を噤む。
古の少女漫画みたく曲がり角でぶつかったらBL趣味の女子生徒から謎に気に入られてストーキングされてます、だなんて言える訳もない。ただでさえ詩鳥とのこともあって愛唯とは微妙になってるのに、更に状況を掻き乱すのはボクの趣味じゃない。
しかし、愛唯は次の瞬間には猫のように瞼を釣り上げて、興味津々といった双眸をボクに向けた。
「ふーん?」
「……何さ」
「困った聖ちゃん見てたら余計に気になるなぁって思って」
面倒な女である。何処となく知っていたけども。
「何かできることがあったら言ってね?」
100%頼むことはないだろうけども、一応、体裁として頷いておく。
「うん、考えておく」
「あ、絶対そんな風に考えてない顔だ」
嘘を見破るように穏やかに目を細める愛唯を見て確信する。
愛唯に何か頼んだら、頼んだ何倍もの対価を要求されそうだ。
うん、ちょっと怖いです。
その後の10分休みにも来ることを予見したボクは教室外の目立たない場所で、黄昏れるフリをしてチラチラと1年1組の前を観察した。そこで分かったのは昨日ぶつかったターゲットB(一々言うのも長いのでBLから取ってターゲットBと今後呼称する)はやはり、ボクのクラスを特定していたわけではなかった。昼休みまでの3回を教室外で過ごしたが、ターゲットBはついぞ1年1組の前に現れず、何なら廊下にすら出てこず。ボクの警戒に反して10分休みは静かなものだった。
「休み時間のたびに忙しないけど本当に大丈夫??」
不審な行動を取り続けるボクにやはり関心があるのか、愛唯は心配そうな瞳でボクへ確認する。
「気にしないで愛唯。今日はカフェイン飲み過ぎて頻尿なんだ」
「むう!」
明らかな嘘をつかれたことに対する抗議のつもりか、頬を大きくして威嚇された。
それやられても可愛いだけだけども……まあいいか。
むくれるように頬を大きく膨らませた愛唯はともかく、ボクは次の山場に思いを馳せる。
それは言うまでもなく昼休み。
悲観的な予測だけども、ターゲットBは未だにボクを諦めていないと思われる。朝早い時間から張り込んでボクを探していたというのなら、絶対に50分と長い昼休みでボクを探しに来るはずだ。
「そうだ愛唯、今日のお昼は外で食べない?」
「外?」
不自然かもしれないけども、ボクは愛唯にそう切り出すことにした。
距離感が微妙に空いてしまっているとはいえ友達同士。お昼に誘うのはそうおかしなことではないはずだ。
「うん。出来れば薄暗い体育館の裏とか部活棟の非常階段の踊り場がいいかな」
「ええ〜嫌だよ! 外なのは良いけど候補が全部陰鬱! それなら中庭とかにしない?」
「中庭は困るな。長時間日光を浴びると肌が赤くなるんだ」
この高校の本棟はコの字を描くように建っていて、その中央部分はささやかながら憩いの中庭として運用されている。少しの花々が植えられた中庭でお昼を摂ればそれはもう清々しいだろうけども、ただ校舎から果てしなく目立つ立地でもある。ターゲットBに目視される危険性は絶大。断じて要求を飲むことは出来ない。
「じゃあ目立たない場所ならいいんだね?」
「まあ……そういうことになるけど」
一瞬、心の中を読まれたのかと思うくらい精度の高い返答に驚いたけども、今日のボクの言動を加味したら順当に推測は可能だね。ふう、内心が態度に出づらい性格で良かった。
「ならさ、愛唯ちゃんにお勧めの良いところがあるんだけど!」
良いところ?
ボクはこてんと首を傾げて、疑問符を浮かべた。
会話はそこで終わって、迎えた昼休み。
早々にボクを連れだって愛唯が向かったのは本棟最上階の更に上、つまるところ屋上であった。
「こんなところ入れるんだ。にしても人少ないね」
大抵、学校の屋上なんて封鎖されてるだろうに出入り自由とは……。
ボクの疑問に答えるように愛唯は空を仰いだ。
「景観良くないしね~。それに直射日光も暑いし、快適さを求めるなら室内だもん」
都内中枢とも言える土地に根を下ろすこの高校の周囲には当然のように背丈の高いビルも多い。直接校舎に影を落として日照権を侵害する建造物こそ存在しないものの、景色を求めて屋上を来る生徒にとってこの光景は少々物足りなく映ることだろう。
そう思いながら周囲を見渡して、ふとこの屋上が不人気な理由のもう一つに思い至る。
「……しかもここ、付近のビルからは丸見えなんだ。そりゃ誰も来ないや」
「そうそう。私もサボりスポットとして目を付けてたんだけどね~サボりの瞬間を無関係とはいえ他人から見られちゃうのはやっぱり気分が落ち着かなそうだなって思って。結局あんまり使ってないんだ」
「サボりスポットの吟味なんてしてるんだ」
「聖ちゃんにだけ特別に教えてるんだからね?」
要するに誰にも話すんじゃねえからな、と。
まあ良いけども。ボクだって他人に友達と言える友達は不服ながら愛唯しかいないわけだし、そもそもこの事を誰かに話せば愛唯には報復の手段がある。ボクの胸に秘めておこう。
屋上を囲んで並ぶ鉄柵の手前に座ると、ボクたちは昼ごはんを食べることにした。愛唯はボクから歩幅2つ分離れて座る。
話すには十分でも、触れるには腕を伸ばす必要がある、そんな距離。
……愛唯もきっと距離感を掴みかねている。ボクと同様に慎重になっている。この中途半端な距離感はその表れでもあった。
ボクのお昼は適当に買った総菜パン2個。今日はたまご蒸しパンとイチゴジャム入りコッペパンだった。
一方で愛唯はいつも弁当である。曰く本人の手作りらしい。意外に女子力が高い。
「聖ちゃん、それ健康に悪いよ? タンパク質にするとか、せめてサラダだけでも買ったほうがいいんじゃない?」
菓子パンをゆっくり頬張るボクを見て、何度目か分からないお節介を焼く愛唯。
愛唯はボクの昼事情が気になるようで、毎度の如くお小言を言われていたりする。
「ボクは若いからね。まだ大丈夫だよ」
「同い年の台詞じゃないって~。それに、若いからって食生活のバランスを崩して良い理由にはならないからね?」
「愛唯から何度も言われて最近はこれも買うようになったし問題無いって」
と言って手元でチューチュー飲んでいた野菜ジュースを愛唯に見せる。しかもただの野菜ジュースじゃない。栄養強化型という触れ込み付きで、通常版より10円も高いからその効果も折り紙付きと言えよう。昼ごはん程度であればこの一本で崩れた栄養バランスを整えることは可能なはずだ。
自信満々にそんな目算を立てていれば、愛唯の視線が徐々に呆れたようにジトリと変わっていく。
「あのね聖ちゃん~市販の野菜ジュースはそんな健康に良くないんだからね? 糖分だって見た目よりも多いんだし……そんなもん飲んでないでちゃんと野菜食べな?」
「愛唯はボクのお母さんなの?」
「聖ちゃん。友達の栄養状態を心配するのは当然だと思うよ?」
「……いやいや。ボクは当然じゃないと思うよ?」
あまりにも断言されたから一瞬「そうなのか? そうなのかも?」と納得しかけてしまった。
そんな訳がない。
ボクが何を食べて何を血肉にしようとボクの勝手だろう。
「だって見てられないからさ~聖ちゃんのゴミみたいな食生活。友達としては心配になっちゃうよ」
「え、今ゴミって言った? そんな酷い?」
「うん。醜いね」
「醜いまで言う?」
「聖ちゃんがいま食べてるのは食品化学の結晶だよ? 成分表を見ても分かるけど、過剰摂取するとカルシウムの吸収を阻害するリン酸塩とか細胞の遺伝子を突然変異させるソルビン酸カリウムとか、人体に危険な異物ばかり入ってるんだもん。勿論食べ過ぎなければ大きな問題にもならないけど、毎日のように食べてたら怖いよね」
「……そういうの興味あるんだ」
本当に意外だった。将来は調理栄養士にでもなるつもりなのかもしれない……なんか似合わないな。
「お父さんが作るのは……流石に無理だよね。自分じゃ料理しないの?」
「しなくもないけど、早起きしてまで準備するのも大変だからさ」
「よければ私がお弁当作ってこようか? 一つも二つもそんな変わらないしね」
「そんな迷惑掛けられないよ。分かった分かった、明日からはもうちょっとマシなもの食べるからさ」
「ホントに?」
「ホントホント」
「じゃあ契約結ぶ?」
「そこまでしなくとも……」
ボクのお昼の食事情如きにそこまで大袈裟な……と思いながらも愛唯は目が
もし今この場に紙とペンがあったら速攻で契約書を認めてボクに提示してきそうな程の座った眼光だった。
話している間にも、ギィィと、屋上の扉が開く音が聞こえてきた。
誰かやって来たなと、ボクと愛唯は目を合わせる。
まあ屋上が不人気な空間であるとはいえ、パブリックスペースであることには違いない。寧ろボクたちみたいに不人気であることに価値を見出す生徒だっている。ボクたちに近付いてくることはないだろうけども、一応ここからはクラスメイトに多少猫を被っている愛唯のためにも今までみたいな会話は止すべきだろう。
なんて考えているのとは裏腹に、足音はボクたちの方へと向かってきた。
「ようやく見つけました。同志」
そして声には聞き覚えがあった。
凛と感情が響かない平坦な声音。
今一番聞きたくなかった声。
「……ああー、見つかっちゃったか」
「はい、見つけました。昨日の話の続きをしましょう。予定はいつ空いていますか?」
振り返って、想像通りの人物が立っていて肩を落とわす。
人工物みたいに表情が抜け落ちた、藍色の瞳を持った少女……ターゲットBがボクを無機質な瞳で見下ろしていた。