「あのちょっといいかな? 聖ちゃんの友達でも知り合いでも無いよね? いま聖ちゃんは私とお昼ご飯を食べてるから後回しにしてもらって良いかな?」
どうすべきが最適解かと考えていると、愛唯がボクの右手を軽く握って愛唯が先に口を開いた。
いつの間にか近付いていたんだ。
てかなんで握る。構わないけどさ。
しかし、可愛い素振りと裏腹にその口ぶりは極めて敵対的だ。というか何でこの子がボクの知り合いじゃないって断言してるんだろう……いや間違ってはいないんだけどね?
愛唯の降伏勧告にも等しい発言に、眼前で頷いた少女は小さく口を開けた。
「
そして自己紹介をした。
……どゆこと?
「名前を聞いてるんじゃなくて、聖ちゃんに用なら後にしてほしいなって言ってるんだけどな~?」
「すみません、祈は貴方の名前を聞いて良いですか?」
「ねえ無視してる?」
無視してるね。明らかに。
ターゲットBこと、下宮祈はボクを凝視すると口を噤んだ。その瞳は完全にボクしか捉えていない。
……もう名前くらいはいいか。同級生である以上、調べようと思えばすぐ調べられるものだし。
「昨日はごめんね下宮さん、そっか、ここに来たのはボクを探してだったんだね」
「謝罪には及びません」
ボクの言葉に横に座る愛唯が怪訝な顔になる。今日の言動からボクの嘘に気付いたんだろう。でも無視だ無視。
「ボクは有栖川聖、こっちは友人の淡月愛唯」
「聖ちゃん?」
流石に勝手に紹介されては溜まらないと考えたのか、愛唯はすかさず口を挟んできた。
それを更に割って入って言葉を重ねる。
「愛唯も落ち着いて。下宮さんはボクの知り合いではないけど悪い人じゃないよ……多分」
断言するには情報が無かった。そして嘘をついてまで断言するほどボクは下宮祈という少女に価値を今のところ感じていない。
まあ……悪い人じゃないと思うのは本当だ。性格は一癖二癖あるかもしれないけども。
下宮さんはぼーっと熱に浮かれたようにも、虚ろにも見える瞳でボクを捉えると、ハッキリとした言葉で言った。
「祈のことは下宮さんではなく祈と呼んでください。同志だというのに他所他所しいです」
「えっと、下宮さん」
「いいえ。祈です」
「下宮さんじゃ駄目かな?」
「祈ですが?」
「し、下宮さん……?」
「祈は祈です」
「しも」
「祈と言います」
「………………祈」
「はい、なんでしょう聖さん」
折れて名前を呼べば、少し弾んだ声音が返ってくる。
相変わらず表情は硬いながらも、微かに口角を上げた姿はどこか高名な西洋画の一枚絵みたいだった。どうやら彼女なりには嬉しいらしくこちらまで微笑ましく感じ───じゃないよ! 結局押し切られちゃってるじゃんボク!?
自分のチョロさに慄いていると愛唯が立ち上がって、下宮さん───いや、面倒だしもう祈呼びにする───の前に立ち塞がる。
「下宮さん、そういうのは良くないと思うな~? 無理に名前呼びを強制しても仲良くなれないんじゃないかな?」
「すみません、淡月には無関係の話なので割って入れないでもらえますか?」
よ、呼び捨て……。
恐る恐る愛唯の態度を確認する。
うわ、笑顔が深まってる……怖っ。
「冗談が上手いね! 関係ないのは後から割って入って来た下宮さんの方でしょ?」
「後とか先とか、そんな些事を祈は気にしません」
「そっか~でも普通は先に約束してた方が優先されるべきじゃない?」
「私が聖さんを探していたのは先程も言ったように、聖さんと二人でお話をする予定を調整したかったからです。本来であればそんなに時間がかかることではないですね。淡月が口を閉じてさえいればすぐにでも終わります」
愛唯の頬がピクピクと更にひくつく。
というかさ、なんで二人してボクを巡って取り合う形になってるのさ?
祈は元より変そうだったから置いておいて、主に愛唯だよ。
外面の仮面を取り去って、煽って挑発して口撃して……いやいやそこまでする?
「ふぅぅぅぅん……もう言っちゃうけどさ、聖ちゃんと下宮さんって赤の他人同士だよね? 距離の詰め方がおかしいでしょ、非常識だなって自分でも思わない?」
「それは認めます。ですから同志としてこれから仲良くなろうという魂胆です」
「そういうことを言ってるんじゃなくて!」
「それを言ったらお二人の関係性こそ不思議です」
「不思議? 何が?」
眉を八の字に顰め、圧を強める愛唯に対して祈はケロッとした表情のまま言い放つ。
「祈には貴方たちが友人同士には見えませんでした」
「何を根拠にして言うのかな?」
「凡そは勘ですが、言語化可能な明確な違和感は一点。最初、祈が話しかける前は友人にしては物理的な距離が開いていました」
「それが何?」
「───ですが祈が話しかけると貴方は聖さんの手を握りました。これは祈の目には露骨な他者への友人アピールであるように見えました。どのような関係性かは存じ上げないのですが、そういった欺瞞は貴方自身と、それから聖さんに失礼ではないかと祈は思います」
「欺瞞って……全然違うし」
「では嘘をついていると換言しましょうか。淡月愛唯でしたね。貴方は強かで狡猾です。ですがそれは悪いこととは思いません。自己利益追求のために嘘をつくことは個人主義的思想のこの社会において立派な手段です」
そこで珍しく一呼吸すると、祈が言う。
「ですが友人に対しても嘘で接するならば、それは止めるべきでは? それはお互いの為に───聖さんの為になりません」
言葉と共に一陣の風が場の空気を浚う。
淀んだ澱が流され、新鮮な空気になっても、この場の雰囲気はあまりにも宜しくない。
一呼吸の間をおいて、力んでいた愛唯の態度が弛緩する。
でもそれは怒りが抜け落ちたからではなく……、それ以上の衝撃が直撃して面食らってしまった、そんな感じの色の無い相貌。そうボクには見えてしまった。
一拍置いて、小さく口が開く。
「私は嘘つき……じゃないよ」
その一言は強がりにしか聞こえなかった。
欺瞞……それはその通りだ。ボクと愛唯は契約上の友人であって、一般的な友人という概念からはきっと程遠い。ボク自身そんな友達がいたことがあるわけじゃないから分からないけど……愛唯はボクの弱みを握っている。ボクはその対価として友達になることを選んだ。関係性は決して対等ではないし、ボクはそれで構わないとも思っているけども。この歪みはいずれ捻れて、発生した問題は最大化して、やがて関係性が破綻する。この予測は確信にも近い。
なぜなら嘘も同じだから。
嘘も欺瞞も一番最後に清算を回すと、払い切れないほどの高い代償がつく。だからこそ、ついた嘘が発覚する可能性が一定ラインを超したとき、中学時代のボクは毎回、清算などしなくて済むようその関係性を根源から絶っていた。
黄昏るように空を仰いだ愛唯を興味無さそうに視線から外すと、祈はボクへと言葉を残す。
「それであれば別にそれで構いません。祈にはただそう見えた、それだけのお話ですので。取り留めのない会話をしている間にも時間が無くなってしまいました。祈は出直します。それでは聖さん、また近いうちにお会いしましょう」
それだけ言って、あっさりと小さな身体を翻す。牛乳で沢山薄めたような茶色の髪がふわりと揺れて、上履きの足音はやがて屋上から消えた。
ボクは愛唯を見遣った。
愛唯は何処か遠い世界を見詰めるかのように、ビル群の間隙を縫って飛ぶカラスを眺めている。
「聖ちゃん……私たちって友達に見えないのかな?」
唐突な言葉に質問に面を食らいつつ、間髪入れずに答える。
「周囲からどう思われるかって大事なのかな」
「じゃあ聖ちゃんは私の友達?」
「もちろん」
「契約書が無くても? 私って一番の友達かな?」
「それは……」
「ごめんね。今の言葉は忘れて」
俯いた愛唯を見てボクは戸惑う。
愛唯にじゃなくて、自分自身に。
「当然だよ、ボクたちは友達だ」って言えば良いだけだった。その一言の嘘を言うだけ場は丸く収まって、裏ではお互いに禍根を残しつつも、表面上では一旦今日の事は水に流せたかもしれない。噓つきの矜持からしても絶対に言うべきだった。ボクは愛唯と友人だと。
でも現実として、ボクの口から気休めの偽証は出なかった。
愛唯が嘘を見抜くことが出来るとか、そんなの関係無く、ボクは嘘をつけなかった。
こんな経験……今までにないぞ。
愛唯はボクに寂し気な表情で眉を伏せて、ただただ空を見上げている。
ふと、感触の喪失を肌に覚えてボクは手を見下ろす。
いつの間にか、握られていた右手の温もりは消え去っていた。
─── ─── ────
結局その後、愛唯とは殆ど会話をしなかった。昼休みが終わった後も愛唯はすっかり天岩戸に閉じこもったかの如く口を閉ざし、そのまま放課後へと時間が駆け抜けていった。ギリギリのバランスで保っていた関係性が発散して、雨上がりの山肌の如く完全に崩落した。空中分解してしまったのだ。
その理由を考えてみる。何でだろうなあ全然原因に見当もつかなない……などと無知蒙昧を気取りたい気分になったけども、流石に直前の昼休みの一件を脳裏から拭い去れるほどボクの頭は都合良くできていない。
欺瞞……か。
ボクにとっては分かりきった事実だ。中学時代は嘘と詭弁と欺瞞と、考えうる中で大抵の詐術を弄して過ごしてきた。嘘を嘘と暴かれたところで今更そりゃそうとしか思えないくらいには慣れきっていた。
愛唯は違うんだろう。
そう言えば、この前愛唯自身も言っていた。
『私は嘘をつかないから』
その時はそこまで本気と思ってなかったけど。
今思うと、もしかしたら違うのかもしれない。ボクを受け入れている以上、嘘そのものを嫌っている訳では無いだろう。けど───自分が嘘をつく、その一点においては一定の信条があったように思える。そうでなければ目に見えた動揺に説明が付かない。
そんな愛唯の様子に同情心を覚えると同時に……正直、ボクにとっては願ったりという気持ちもある。愛唯のことは嫌いじゃないけど、腹の底を強引に開かれて不平等交渉を結んだ事実に思うところがないと言えば嘘になる。
どうせ先も無く、壊れることを前提とした関係性だったんだ。ボクに矛先が向かぬまま関係性の精算が出来て寧ろ有難い。
……何時もならそう、割り切って考えられるんだけどなあ。
脳裏を過る。感情の底が抜けたような愛唯の無表情。
会ってまだ一カ月も経ってない間柄なのに、ボクは何を拘泥しているんだか。
愛唯に固執せずとも、親友候補なんて探せば沢山出てくるのに。
その日は昼休み以降、一度も愛唯とは話さなかった。
翌日もボクは普段通りに登校。既に登校を終えていた愛唯の様子をチラリと確認して、昨日の出来事をまだ引き摺っているようだと確信。軽い挨拶のみを交わして自分も席につく。
いつもならどちらかが自然と話を切り出して、そのまま朝のHRが始まるまで雑談を続けるのだが、そんな気分にもなれない。ボクもそうだし、愛唯はもっとそうだろう。
まるでただのクラスメイト同士に関係性が格下げされたようだった。
無理もない。
なんて知ったような口を叩けるほど、ボクは愛唯の事を知らないけども。
それでも昨日の尋常ならざる虚無感に苛まれた顔を思い出せば、今日まで続く態度にも説明つく。
昼休みになると、愛唯は徐に立ち上がって教室の外へと出て行ってしまった。
どうしようか。追いかけるか、放っておくか。
……なんてね。
悩む素振りで自分にすら欺瞞を働く自分に思わず内心で苦笑。
ボクには火中の栗を拾う趣味は無い。下手な偽善や義侠心に陶酔して無策に突っ込めば手痛い火傷を負う、それを分からないほどボクは馬鹿じゃない。
心理的には放っておく方向性で八割方固まっていたりする。
今まではそうしたし、これからもそうするつもりで───。
つもり───なんだよな? ボクは。
八割方は見捨てる。
なら残った二割。
二割は───烏滸がましくも助けたいとでも本気で考えているのだろうか。
浅薄な同情心と仲間意識で以て愛唯の下へ赴き、嘘で飾ってこれまで通りの関係性に戻したいとボクは考えているのだろうか。
それはボクにとって都合が悪いことこの上ないはずなのに。
親友なんて愛唯である必要性がないのに。
「聖、ちょっと話しかけてもいい?」
昼ごはんのパックサラダを開封した状態で思考に耽っていると、不意にクラスメイトに話しかけられた。
というか、詩鳥だった。顔を見てから気付いたけど。
逡巡の後、沈思を中断する。
「うん、どうしたの詩鳥」
「いやー…………さ。その、ちょっと外せる?」
親指をbみたいな形に立てて、教室外を指し示す。人目がある場所では話づらいと。
別に構わない。首を縦に振る。
クラスメイトの目を避けるように、ボクたちは教室から最も遠い部活棟の裏階段踊り場まで移動をした。昼休みにわざわざ部活棟を使う人間などいないようで、周囲からは話し声一つ聞こえてこない。密談には最適ってことだ。
何処か気まずさを蹴散らすみたいに詩鳥は嵌めこみ窓から外の様子を伺うと、その調子のまま口を開く。
「あの件……知ってるかなって」
「知ってるって、何を?」
言語化しづらそうに言い淀みながらも、ボクから視線を逸らしたままの詩鳥。
普段から明け透けと思ったことを言う性格の彼女が言葉を濁すだなんて、一体全体なんの話だろう。
「その、淡月さんのことなんだけど……3組の坂本君から告られたんだって」
「坂本君?」
「やっぱり聞いてなかったか。えっと、簡単に言うとテニス部のイケメン。まあそれは振ったらしいんだけど」
「そうなんだ」
聞いてないな。
ま、そういうこともあるだろう。愛唯の容姿を慮れば告白など何度もされているだろうし。ボクの見識じゃ愛唯の見た目は学年首位を争えるポテンシャルがある、性格だって一見すれば良い方だ。告白を断るのも愛唯という人間を鑑みるとあまり違和感はない。
ってか、そっか。
一昨日ボクが祈と出会った日、あの日愛唯は呼び出しが何だと言ってたけど、裏で告白されてたんだ。
何だか伏線回収されたような納得感。
しかしここからが話の本題とばかりに詩鳥は声を窄めた。
「それでなんだけど、その坂本君が部活仲間に話してるんだ。淡月愛唯はヤバい奴だって」
「それは振られた腹いせにってこと? ちょっと酷くないかな」
「それも少しはあるかもしれないけど、坂本君曰くどうも淡月さん側も告白された時に色々と良くないことを言ってたみたいでさ」
「良くないこと?」
「私も噂話程度でしか知らないんだけど、「貴方は私を顔でしか見てない」だとか「私は貴方が薄っぺらくて下らない人間であることを知っている」みたいな事を立て続けに言ったらしいんだよ」
「う、うわー……」
「まあ全部が全部、ホントかどうかは分からないんだけどねー」
少しおちゃらけた風な言い方をして空気を軽くする。
これが事実かどうかはさて置いて、愛唯ならやりそうな事ではある。
というかやる。やってるだろうなー……愛唯のやつなら。
「なるほどね。その話は全く知らなかったけど……それで、詩鳥は何でボクにその話を?」
「ほら、聖って淡月さんと仲良いじゃん。だからこの話どうなんだろうなって」
「つまり……野次馬根性ってこと?」
「そ、そういうわけじゃないからね!?」
ボクの言い方に不穏さを覚えたのか、露骨に慌てたように手を振って詩鳥は否定する。
別にそういうつもりは無いんだけどな……話が進むならそれでもいいか。
「私が考えてることを話すと……そのさ、これが誤解とか悪質な嘘だった時に火消しが大変なんじゃないかなって思うんだ。私は勿論クラスメイトだから、淡月さんのことは毎日見てるし信じてるよ。淡月さんは良い人だと思う。でも周りはそう見てない人だっているじゃん? クラスメイトになって一カ月も経ってないし、淡月さんの人となりなんて全く知らないって人も多いよ。だから、聖にはそのことを言っておきたかったんだよね」
「……なんでボクに?」
「だって、私以上に聖は淡月さんのことを想ってるじゃん。絶対。知らないなら伝えた方が良いなって思ったから、そりゃあ言うよ」
言いながらも照れ臭さ覚えたのか、薄っすらと日に焼けた頬を爪先でなぞる。
想像以上というか、やっぱりというか、詩鳥って真っ当に善人だなぁ。新入生合宿ではあれだけ愛唯からジェラシーを向けられていたというのに。
「……てかさ、まるでボクが愛唯に片思いしているみたいな言い方をしてくれるね」
「いやいや、違うよ!? 今のは言葉のあちゃちゃっていうか! 何かそんな感じのやつ! なんだっけ!」
「ええと……それを言うなら言葉の綾?」
「そうそれ!」
正解だと言いたげにビシッとボクを指差してくる詩鳥。
「念のため聞くけど、聖は淡月さんの友達だよね?」
「うん」
外面を加味してそう答える。
この「うん」を発するまでに心中では多大なるラグがあったことは描写しておく。
「私も、淡月さんとは仲良しのつもりではいるけど……でも淡月さんからすれば違うからさ」
「詩鳥……」
「仲良しと友達の間に引かれる一線が、私じゃ越えられないんだ。だから何かあった時に淡月さんの心を揺さぶれるのは多分、聖だけ……ごめん、人頼み過ぎるよね」
「ぶっちゃけ、まあそうだね」
「なはは、肯定されちゃった」
控えめながらも快活に笑う詩鳥に、ボクは目を合わせられない。
友達だよね……か。
……嘘だ。嘘ばかりボクはつく。
人間関係を良好に保つ嘘。見栄の嘘。優しい嘘。自分に都合の良い嘘ばかりついて、人生のバランスを調整してきた。
そしてボクはそんな噓つきである自分が嫌いじゃない。
嘘は万能で、使える時に使わないことこそ損であると考える。
嘘が嘘だと発覚しないまま年月が流れることに、芸術性すら感じてしまう。
でもこの嘘ばかりは、じくりと、細い針で心臓を刺されたみたいに胸が痛む。
友人であることを否定する嘘に───自分を嫌いたくなるなんて。
「だからさ、淡月さんからどうか目を離さないでいて欲しいんだ」
詩鳥は柔らかく包み込むような微笑みをボクに向ける。
噓つきでしかないボクに。
「淡月さんが信用できる人間は、きっと聖だけだから」
─── ─── ────
翌日の放課後。
愛唯とは変わらぬ沈黙が続く中、帰宅路に就こうとすれば、窓際に見覚えのある茶髪の女子生徒が立っていた。
「聖さん、突然ごめんなさい。今からお時間はありますか?」
祈か。
口ぶりからしてボクを待っていたようだった。
なるほど。早く帰ってくれればよかったのに。
「近いうちにって言ってたけど、こんなに近いとは思わなかったよ」
「それは失礼しました。逸る気持ちが抑えきれず、つい聖さんのクラスまで押しかけてしまったことを謝罪いたします」
「いやいや、謝罪なんていいって」
「お詫びにドキ♡ラブボーイズの一巻を献本させてください」
「謝罪以上にいらないよ」
明々白々としたBLコミックスを貰っても謝意とかボクには伝わらないし。
あとそれ、謝罪に託けた布教活動にしか見えないよ。
祈はちょっぴり残念そうに小さな吐息を吐き出した。
「残念です。これは2010年代の漫画作品を通しても傑作だというのに」
「……そんな面白いの?」
「はい。人類が作った創作物ランキング3位の代物です」
「……1位と2位は?」
「ハニーハニられダーリンとヤングボーイズコンプレックスです」
両方知らないタイトルだけどまあBLなんだろう。しかも自分の好きな作品を、漫画のみならずの創作物全体ランキングで金銀銅を取らせるとは、なんとも烏滸がましい話である。
と言うかさ。
「良いの? ここ結構人目につくけど、そんな話しちゃって」
「構いません。祈としては隠匿しているつもりはありませんので。何より好きなものを好きだと主張する権利はこの現代日本では固く保証されているはずです」
「それはそうだけど……流石に実影響出ない? その趣味を広言してたらクラスで仲間外れにされたりするでしょ」
「大丈夫です。祈は他人にどう思われようと気にしませんので」
表情を変えずに滔々と言い切った。どれだけ謂れのない誹謗中傷をされても、本当に我関せずとサラリと受け流しそうな程の強さがそのアメジストの瞳には秘められている。
……ん? 待てよ?
つまり。祈と会ったばかりの時、BL趣味に理解を示したボクの配慮は無意味だった……?
「……。」
「どうしたのですか聖さん。腹痛であれば女子トイレで介抱しましょうか?」
「腹痛じゃないし介抱する必要は無いし、乙女のプライド的に心底やめてくれないかな」
「ふむ」
ボクが黙りこくっていれば体調不良を憂う眼差しが到来する。
でもね、ふむじゃないんだが。
一人の女子というか、それ以前に、ある程度年を取った高校生としてそんな介護は望んでないからね?
何故にさも「聖さんは強がりさんですね、しかしそれも尊重すべき個性と言えるでしょう」みたいな慈愛の目をするんだろうか。
「体調が問題無いというのであれば、一先ず移動しましょうか。着いてきて頂けますよね聖さん」
……まあ、捕まった以上否定する理由も最早存在しないか。
ボクはコクリと頷いた。
放課後の学食はまるで人気が無かった。
考えるまでもなく当たり前のことで、授業が終わっても学校に残る生徒は部活動か委員会、あとは自習室に籠る大学受験生か。少なくとも学食に用がある生徒など基本的にいない。
学食は大体体育館のコートと同じかちょっと広いくらいの大きさで、祈は周囲をざっと見渡す。
「ささ、奥の席に座りましょうか」
「因みに聞くけど、何で奥?」
「祈は人目を気にしませんが、無ければ無い方が良いという感性はあります。それに聖さんとしてもそちらの方が良いのではないでしょうか」
「それはありがとう」
ボクはBL趣味だとかクラスメイトから有らぬ事実で揶揄されたくないので大正解。
誰もいない学食を進み、入り口から一番奥の席につくと「コホン」と息をついた。
「祈としては趣味の談義に入りたいのですが……それが今難しいことは理解できます」
「どういう意味かな?」
「祈のせいですよね。淡月さんと仲が悪化したのは」
やや神妙な面持ちになってそう呟く。別クラスなのによくご存じで。
……あれ、愛唯のこと"さん"付けするんだ……少し意外ではある。今は関係ないけど。
「別に祈のせいじゃない。愛唯とはいつかはこうなるとは思っていたし、時期が早まった。それだけだよ。祈が罪悪感を覚える必要性は無い」
「いえ、祈は罪悪感を覚えることも、責任を感じることもないのですが……」
無いのかよ。言った手前アレだけど、言い切られると逆に少しくらいは持ってほしいと思っちゃうよ。
そのまま祈は言葉を続ける。
「ただ祈が原因なのであれば、その謝罪だけはしておくべきかと考えます。なのでごめんなさい。祈は少々出過ぎた指摘をしてしまいました」
祈は頭を下げた。髪が重力に従って机と接触する。
意外にも慇懃だ。慇懃無礼な不思議ちゃんの類かと思っていたけど、どうやら礼節は弁えているらしい。
たださ、さっきも話した通りなんだよね。
「……ボクは祈のせいじゃないって言ったよね。それが全てで、祈に謝られる謂れは無いさ」
「そうですか。聖さんはやはり優しいのですね。祈がお見立てした通りです」
「優しい? そうかな?」
「だって本当は聖さんってBLに興味はありませんよね」
ピクリとこめかみが動きそうになる。
噓がバレてた?
……うん、バレてるっぽいな。
祈の目を見れば一目瞭然。平時と変わらぬ様相で、白を切ろうと内では確信している眼光。疑いようもない事実と認識した上で、ボクの嘘を言及していることが良く分かる。
認めるしかないか。
「嘘をついてごめん。ボクなりに気を遣ったつもりだったんだけど……完全に杞憂だったね」
「そんなことはありません。謝罪も不要です。寧ろ祈は感謝しているのです。そのおかげで祈は聖さんと出会えたのですから」
「ええと……なら、なんでボク? 趣味が同じと認識していたから同志って呼んでいたんだよね?」
困った。ボクには祈が何を考えているのか良く分からない。まあ無表情がデフォなこの少女については分かった試しがあまりにないけども、今はそれを顕著に感じてしまう。
「同志とは、祈にとって友人になりたい相手を意味します。勿論、本来の意味がそうではないのは理解していますが、他に呼び方もありませんので」
「妙なこだわりだね……。まあそれは置いておくとして、ボクである必要性ってあるのかな? 自分で言うのも何だけど、ボクみたいな奴はこの世に沢山いると思うよ」
「いえ、それはご自身を過小評価をしています。聖さんみたいな、咄嗟に相手を思い遣れる方、そういないと祈は思います。ですから祈は祈らしくもなく、ストーカーみたいな真似までして聖さんを追いかけたのですから」
自覚はあったんだ。
思わず祈の表情を確認すると、柔らかな白い頬がやや赤くなっている。終始無表情キャラと思っていたけど、照れることもあるみたいだった。
しかし、優しいね……。その評価は
「……この話は止めよう。持ち上げられすぎて擽ったくなってきたや」
ボクが話を打ち切る意志を見せると、祈は特に断る素振りも見せず頷く。
「分かりました。では淡月さんの話をしていいですか?」
「愛唯の話?」
「はい。祈としても無遠慮に深入りし過ぎてしまった自覚はあるので、せめてもの助言と言いますか、気付いたことをお伝えできればと思いまして」
気付いたこと。
祈は愛唯とはたった一度、あの屋上でしか相対だけだ。それはボクも知る由ではある。
だが、そのたった一度で祈はボクと愛唯の関係性を半ば本質的に指摘して見せた、優れた観察眼の持ち主でもある。彼女なりに分かる、ボクからしたら新たな視点もあるかもしれない。
ボクが言葉を待つと、祈はすんっと鼻を鳴らす。
「祈の見解だと淡月さんは弱い人です」
……弱い人?
その意味を図りかねていると、言葉が続く。
「友達でないと指摘されただけで、打ちひしがれて思い悩むのは普通ではないと思います。要するに、友達という概念に対する考え方が一般的な女子高校よりも大分重い、または捻くれていると祈は解釈します。そこから導かれる結論は一つ」
祈は溜めることなく、厳然たる事実であるかのように推論を言い放つ。
「淡月さんはこれまでの人生、友達がいたことが無いのではないでしょうか」
小さな声は、岩を打つ鹿威しのように食堂内に響く。
……まあ。
可能性としては低くはないだろう。てか本人も言っていたことだし。
表面の性格だけなら沢山友達がいそうだけども、裏を返せば淡月愛唯という人物は非常に面倒な性格をしている。何度も友達だよねとボクに確認を取るあたり、それは明確だ。
見た目以上に───愛唯は人間関係に器用じゃない。
「……でもそれは、イコールで弱いとはならないんじゃないかな」
「弱いですよ」
「弱いかな」
「これは祈の予想になりますが、淡月さんは孤立を是と出来るタイプではありません。人と繫がりを求めるタイプ、それも深い繋がりを希求するタイプと見ました。なので、友達がいない淡月愛唯という女子高生は間違いなく弱者に該当するかと」
なるほど、それはそうかもしれない。
「でもそれが助言なのか。もっと、直接的なことは言ってくれないんだ」
「祈も淡月さんのことは良く知りませんから。ですが、これは紛れもなく助言───言い換えれば警鐘ですよ?」
「警鐘……?」
「はい」
どういう意味で……?
悩む間もなく、祈は断言する。
「一度内に立ち入れば、何があろうと簡単に出すことは許さない───そんな沼みたいな関係性こそ、淡月愛唯が望む本質。事情に深入りするならば、一蓮托生を覚悟した方が良いでしょう」
沼───……。
形容するに、ビタリと嵌まる感覚さえある。
でもどうだろう、ボクは……。
ボクは……愛唯に……。
考え込んでいたことに気付き、ふと視線を上げる。
祈はボクのことを測るような目で、ずっと眺めていた。