痛みに耐えながら再生魔法で無理やり突っ込んでいく正義のヒーローに出会ったら?   作:だだだめ

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英雄、再臨

第三隔離医療区画は、都市北部の外れにあった。

漂っている腐臭は、とても医療機関とは思えないものだ。

 

患者の様子は目も当てられない。

 

戦線から戻ったけれど、もう戦力にならなくなった者。

家族に引き取られない者。

金のない者。

長くは生きられない者。

 

ここはそういう人間が押し込められる、言うなれば人間の最終廃棄場。

入口の門は、半分錆びていた。

表札は傾き、文字の一部は雨風で削れている。

 

ルークはその前で足を止める。

 

あいつは、エバはどんな顔でこの門をくぐっていたのだろう。

この光景を、どういう感情で受け止めていたのだろう。

 

ルークはそれを、想像したくなかった。

 

「ご用件は」

 

門番の男は、心底面倒そうに声をかけてきた。

 

軍服は着ているが、姿勢は崩れている。腰の剣も手入れが悪いし、鞘の金具はくすんでいた。

 

「アーデル部隊のルーク中尉だ。先日の事件について確認したい」

 

「事件?」

 

門番の目が、わずかに泳いだ。

 

「この病院から患者が一名消えた件だ」

 

「……病院長に確認を」

 

「そうさせてもらうよ」

 

ルークが歩き出すと、門番は慌てて道を空けた。

 

病棟の中は、外よりひどい。

 

床は軋み、壁は染みだらけだ。廊下にまで患者が並べられている。病室に入りきらない者たちなのだろう。

 

片足のない男。

顔の半分を包帯で覆った女。

延々と咳き込んでいる老人。

まだ十代に見える兵士。

 

誰も、ルークの方を見なかった。

 

ここにいる者たちの多くは、かつて軍人だったものたちだ。

 

戦場で傷つき、戦えなくなり、名前も功績も薄れて、ここへ送られた。

 

勝てば英雄で、死ねば英霊となる。

だが役に立たない体で生き残ってしまえば、それは邪魔者だった。

 

受付の女に名乗ると、しばらく待たされた。

 

やがて奥の扉が開き、痩せた男が現れる。

 

白衣を着ている男だ。もっともそれは、白衣と呼ぶにはずいぶん灰色に近いのだが。

 

「病院長のマルゼンです」

 

男は丁寧に頭を下げた。

 

「アーデル部隊のルーク中尉だ」

 

「お話は伺っております。先日の件ですね」

 

「ああ、あんたには説明するべき何かがあるはずだ」

 

ルークが聞き返すと、病院長はわずかに口元を引きつらせた。

 

「悪魔による襲撃です。まったく、恐ろしいことです。我々も被害者でして、」

 

「患者が一名消えたな」

 

「ええ。残念ながら」

 

「名前は」

 

「……記録をご覧になりますか」

 

「答えろ」

 

病院長はわざとらしく視線を落とした。

 

「ガルドさんです。古い戦傷患者で、身寄りはなく長期入院中でした」

 

エバが残した領収書に、何度も書かれていた男の名前だ。

 

ルークは表情を変えなかった。

 

「病室を見せてもらう」

 

「申し訳ありませんが、現在は整理中でして」

 

「見せてもらう」

 

「中尉、手続きが」

 

「調査だ」

 

ルークは一歩近づいた。

 

「アーデル部隊所属兵士、エバの失踪事件に関連している可能性がある。必要なら軍上層部へ正式に照会を出す。そうなれば、ここの帳簿も患者記録も警備記録も、すべて押収対象になるだろう」

 

病院長の喉が動いた。

 

「……こちらです」

 

病院長は、思ったよりあっさり折れた。

 

ルークはその背中を見ながら、確信を強めた。

 

後ろ暗いことを隠している人間は二種類いる。

 

何も知らないふりをして逃げ切ろうとする者と、見られても困らない部分だけを差し出して核心から目を逸らそうとする者。

 

この病院長は、おそらく後者だ。

 

案内された病室は、廊下の奥にあった。

 

狭い部屋だ。

 

空の寝台が一つに、古い椅子が一つ。

 

毛布は片側だけ擦れて薄くなっていた。水差しの横には、安物の匙が置かれている。棚には薬包の残り。折り畳まれた布。小さな瓶には、乾きかけの花が挿されていた。

 

花。

 

それは、この病院にはまるで似合わないものだった。

 

ルークはそれを見つめる。

 

エバが買ったのだろうか。

 

あいつが花を買う姿など想像できないが……。

 

いや、想像できないからといって、しなかったとは限らない。エバはルークが思っているより、ずっと多くのことを隠していたのだから。

 

「襲撃は、ここに?」

 

「いえ」

 

病院長は首を振った。

 

「その夜、ガルドさんは別棟へ移されていました。処置の都合です」

 

「処置?」

 

「薬剤投与のために」

 

「病状は」

 

「末期に近い状態でした」

 

「なら、なぜ移した。移動だけで負担になるだろう」

 

病院長は答えに詰まった。

 

「……処置上、必要だったのです」

 

「誰の判断だ」

 

「医師としての、私の判断です」

 

「記録は残しているか?」

 

「それは」

 

「見せろ」

 

ルークの声は荒くなかったが、彼自身が思ったよりも低くでた。

 

病院長は唇を噛み、やがて頷いた。

 

記録室は、病室よりもさらに奥にあった。

 

棚には書類が雑に詰め込まれ、湿気で波打っている。古い帳簿、薬品の受領書、患者名簿、支援物資の記録、職員の勤務表。

 

ルークはそれらを次々に開いた。

 

病院長は横で落ち着かなげに立っている。

 

「襲撃当夜の警備記録は」

 

「こちらに」

 

「見張りは二名」

 

「はい」

 

「悪魔と交戦し、死亡」

 

「ええ」

 

「遺体は?」

 

「悪魔に……」

 

「遺体の回収記録がない。骨の一つも残さず消えたのか?」

 

病院長の動きが止まる。

 

ルークは次の書類を開く。

 

「別棟への移送記録。ガルド、一名。理由は薬剤処置。担当医は病院長。補助者、空欄」

 

さらに別の帳簿。

 

「薬剤使用記録。該当する薬剤の使用はなし」

 

病院長の額に汗が浮いた。

 

「それは、混乱していたのです。襲撃で記録を取るのが困難でして」

 

「襲撃された別棟を見せろ」

 

病院長は、もはや反論しなかった。

 

別棟は、病院の裏手に位置していた。

 

古い倉庫を改装したような建物だ。壁は薄く、窓は少ない。患者を治療する場所というより、一時的に隔離するための場所に見える。

 

扉には大きな傷があった。

 

だが、ルークはその傷を見て眉をひそめる。

 

これは、悪魔の爪痕ではない。

 

少なくとも、ルークが知っている種類の悪魔のものではない。

悪魔の爪なら、もっと深く抉れる。木目ごと裂け、金具も歪む。

まるで誰かが、悪魔がここにいたと思わせるために作った。そう勘ぐってしまうほどわざとらしく、そして不整合だった。

 

ルークは扉の蝶番を見る。

 

内側から外された痕跡だ。

 

「病院長。悪魔は、丁寧に蝶番を外して中に入ったのか」

 

病院長は答えなかった。

 

ルークは中へ入った。

 

床には、乾いた血の跡がある。争った形跡もある。だが、それも妙に違和感がある。この場にあるすべてがわざとらしいのだ。

 

「襲撃で失われたものは?」

 

「患者一名と、警備兵二名のみです」

 

「薬は?」

 

「無事でした」

 

「食料は?」

 

「無事です」

 

「金は?」

 

「……何を」

 

病院長の顔色が変わった。

 

「金庫を見せろ」

 

「金庫は関係ありませんよ」

 

「これは命令だ」

 

「中尉、それは越権行為です」

 

「なら告発するといい」

 

ルークは病院長を見る。

 

病院長は、はじめて露骨に怯えていた。

 

院長室の奥。

 

壁の裏に隠すように、大きな金庫があった。

 

病院長の震える手で、鍵が差し込まれる。擦れるような金属音と共に扉が開く。

 

中には、金があった。

 

紙幣と金貨と支払い証書。

そして寄付金の受領書。

 

それはこの病院の廊下に寝かされている患者たちの姿を考えても、まるで釣り合わない量だった。

 

「悪魔は人間の金を払わない」

 

ルークが言った。

 

病院長は、唇を震わせた。

 

「何のことか」

 

「誰に売った」

 

「違います」

 

その声に、記録室の外で誰かが動く気配がした。

 

ルークは病院長の胸ぐらを掴み、金庫の横の壁に押しつけた。

 

「黙れば、裁判にかける」

 

「なっ……」

 

「今この場で喋れば、まだ更生の余地があると判断してやる。檻の中で暮らしたいならそうしてもいいが、あそこはお前が思っているよりずっと生き難い場所だと教えておいてやる」

 

「脅しですか」

 

「調査だ」

 

「こんなことをして、あとでどんな処罰が下るか」

 

院長はルークをにらんだが、ルークはまるで動じる様子はなかった。

 

それを見て、院長は気圧されたように全身の力が抜けていく。

 

しばらくして、かすれるような声で、彼は真実を語りだした。

 

「……私は、名前を渡しただけです」

 

「誰にだ」

 

「分かりません」

 

ルークは胸ぐらを握る手に力を込めた。

 

「ほ、本当に分からないんです!」

 

病院長は悲鳴のように言った。

 

「仲介人です。商会を通して来ました。患者の情報を求められた。特定の兵士と関わりが深い者の名を」

 

「特定の兵士」

 

「エバです」

 

室内が、ひどく静かになった。

 

「なぜエバを」

 

「知りません。私は、本当に知らない」

 

「何を渡した」

 

「通院記録。支払い記録。面会日時。患者の状態。病室の位置」

 

「それを渡して、どんな結果になるか考えたか?」

 

「私は殺すつもりなどは」

 

「結果として死んだ」

 

「私が悪魔に渡したわけではない!」

 

「誰に渡しても同じだ。最後に届いた先は悪魔だった」

 

「あなたに何が分かる!」

 

病院長が、突然顔を上げた。

 

目に涙が浮かんでいた。怒りなのか、恐怖なのか、区別がつかない。

 

「この病院を見たでしょう。薬は足りない。食料も足りない。寝台も足りない。国からの支援金は書類上だけです。届く頃には半分以下になっている。いや、半分ならまだいい。九割消えることなんてざらだ」

 

ルークは黙っていた。

 

「商会は薬の値段を吊り上げる。政治家は支援金を抜く。軍は傷病兵を送ってくるだけで、維持費なんてまったく払わない。患者の家族は金がないと言うくせに、医療だけは完全を求めてくる」

 

「だから売ったと?」

 

「たった一人の情報です」

 

「その一人にも名前があった」

 

「この病院には二百人以上の患者がいるのです!」

 

病院長の声が裏返った。

 

「私は売った。認めます。だが、その金でこの病院の負債は消えた。薬が買えた。食料が買えた。二百人が一か月は生きられるのです」

 

ルークは病院長を見ていた。

 

「あなたならどうしましたか、中尉」

 

病院長は泣きそうな顔で笑った。

 

「一人を守るために、二百人を死なせましたか。あなたなら、そんなに綺麗な選択ができましたか」

 

ルークは病院長から手を離した。

 

病院長は床に崩れ落ち、咳き込んだ。

 

「それを選ぶ権利は、お前にはない。ガルドにも、エバにも、何も聞かずに売った時点でお前は医者を名乗るべき人間じゃない」

 

病院長は床に座り込んだまま、笑った。

 

「では、誰ならば医者でいられるんですか」

 

病院長は、ぽつりぽつりと話し始めた。

 

軍の調達部門と商会の癒着。

汚職した政治家の名前。

仲介人の使う、蛇が翼のある秤に巻きついている印。

そして、悪魔側に情報が流れているらしいという噂を知っていたこと。

 

病院長は中枢を知らなかった。

 

腐った水路の一番下で、汚水を飲まされている。そして自分もまた、吐き出すように汚水を下へ流す。

 

病院を出る頃には、空が灰色になっていた。

 

第三隔離医療区画の廊下を戻る途中、患者たちは相変わらず床に並んでいる。

ルークは彼らを見た。

病院長が逮捕されれば、この病院は混乱するだろう。

金の流れも止まり、患者の治療はさらに悪化するかもしれない。

 

では俺は、あれを見逃すべきなのか。

 

答えはなかった。

 

ただ一つだけ、はっきりした。

 

この都市は、すでに悪魔の巣になっているのだ。

 

---

 

ルークはその足で、テンゼン少佐の執務室へ向かった。

 

テンゼンは、書類の山に埋もれるように座っていた。

 

片手には煙草。机の上には、開きかけの酒瓶。壁には古い作戦地図が貼られている。

 

「お前の口を止めておけと、上からわざわざ通達があった」

 

テンゼン少佐は、机の上の書類から目を上げずに言った。

 

「深入りしすぎたなルーク。何を知った?」

 

ルークは少しだけ黙った。

 

「……あなたの言う通りでした」

 

「何がだ?」

 

「世界はどこまでも腐っていた。悪魔だけじゃない。人間もです」

 

テンゼンの顔に、わずかな疲労が浮かんだ。

 

「今更の話だ」

 

彼は煙草に火をつける。

 

「ルークお前は、正義感が強すぎる。身を亡ぼす前に手を引いておけ。いい加減夢ではなく、現実を見ろ」

 

「丁度、今日見てきたところです」

 

ルークは静かに答えた。

 

「病院の床に寝かされた傷病兵も、金庫の中の金も、売られた患者も、エバの死も、俺はこの目でちゃんと見ました」

 

テンゼンは何も言わなかった。

 

「きっと兵士が一人、どれだけ手を伸ばそうが、この現実は変わらないのでしょう」

 

「……だがお前が諦めているようには、俺には見えないな」

 

テンゼンは煙を吐いた。

 

「何をするつもりだ」

 

「……ダイヤ・レグに会いました」

 

テンゼンの目が見開かれる。

 

「ルーク」

 

「加護を受け取りました」

 

ルークは携帯ナイフを抜き、自分の手のひらを切った。

 

血が滲む。

 

次の瞬間、傷口が淡く光り、肉が寄り、皮膚が閉じた。

 

傷は、何事もなかったかのように消えていた。

 

椅子が、床を鳴らして後ろへ下がった。

 

「……馬鹿が」

 

テンゼンの声は、怒りよりも痛みに近かった。

 

「その力を持った者の末路は、いつだって同じだ。お前だって分かっているだろう。お前はそれを、誰よりも近くで見た!」

 

「分かっていますよ」

 

「分かっていて、なぜだ。なぜ自ら地獄に足を進める」

 

ルークは血の残った手のひらを握った。

 

「テンゼン少佐」

 

顔を上げる。

 

「俺は、誰にも揉み消せない正義になる」

 

ルークは孤児院の子供の顔を思い浮かべていた。

自分の吐いた言葉。無謀な虚勢を現実にするために何が必要で、何を捨てねばならないのか。

 

「戦争は、俺たちの代で終わらせる」

 

保証も勝算もない。

そもそも自分という人間が、最後まで正しくいられるかどうかさえ彼自身にも分からない。

 

だが、嘘にはできないのだ。あの子供たちに、次の戦場を渡したくない。

 

ルークは静かに言った。

 

テンゼンは何も言わなかった。

 

「そのために再び、都市には英雄が必要です」

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