痛みに耐えながら再生魔法で無理やり突っ込んでいく正義のヒーローに出会ったら? 作:だだだめ
ルーク中尉の死亡は戦死として処理された。
少なくとも報告書にはそのように書かれている。
旧補給路沿いの倉庫における救出作戦中、敵性魔術兵器との交戦により重度損耗。その後に死亡確認。
テンゼンはその報告書を読み終え、しばらく黙っていた。
会議室は静かだ。
軍上層部。
評議会の使者。
軍医局。
新聞統制局。
補給管理局。
ルークが生きていた頃なら、真っ先に睨みつけたであろう顔ぶれが、ひとつの机を囲んでいる。
彼らの顔にも、悲しみはあった。
おそらく本物だ。
だが、それ以上に濃く浮かんでいたのが計算だろう。
不死身の英雄は失われた。
正義の中尉も失われた。
では、次はどうするのか。
誰を立てる。
誰を燃やす。
誰に希望の名前を乗せる。
その沈黙を破ったのは、評議会の男だった。
「テンゼン准将。状況は、極めて深刻です」
「わかっている」
「ルーク中尉の戦死により、前線の士気低下は避けられません。新聞には、慎重な発表が必要です。不死身の英雄が再び失われたという印象を与えるのは――」
「不死身など最初からいない」
テンゼンは言った。
会議室の空気が、わずかに凍った。
「加護は体を再生させるが、心までは戻さん。時間も、失ったものも、何も戻らん。お前たちは、まだその程度のことも分からんか」
誰も答えなかった。
テンゼンは報告書を机に置いた。
紙の端が、わずかに折れる。
「だが、それでも人には、次の英雄が必要なのだろうな」
誰かが息を呑んだ。
テンゼンは自分の手袋を外した。
皺の刻まれた手。
古い傷跡。
長年剣を握り続けた指。
その甲に、黒く薄い紋様が浮かんでいた。
魔力の流れに合わせて、皮膚の下を脈打つように動いている。
軍医局の男が立ち上がりかけた。
「それは……」
「ダイヤ・レグの加護だ」
「准将、それは禁忌の――」
「今さらだ」
テンゼンは短く切った。
「禁忌だろうが汚物だろうが、使えるものは使う。お前たちが紙の上で数字を数えているうちに、前線では今も人間が死んでいる」
手の甲の紋様が、さらに濃くなる。
「俺は、俺を使う」
英雄とは、命を燃やすための象徴だ。
テンゼンは、それを誰よりも知っている。
---
三日後。
北西外壁が破られかけた。
悪魔の中規模群が、濃い霧のように外壁へ押し寄せていた。
下位個体が壁面に取りつき、上位個体がその背後から魔力弾を撃ち込む。指揮個体は群れの奥に隠れ、兵士たちの動きを見ながら、もっとも脆い場所へ圧力をかけ続けている。
防衛隊は崩壊寸前だった。
恐怖は伝染する。
一人の足が止まれば、隣も止まる。
隣が止まれば、列が歪む。
列が歪めば、悪魔はそこを裂いてくる。
「後退許可はまだか!」
「出ていません!」
「負傷者を下げろ!」
「助けてくれ!」
怒号。悲鳴。破砕音。肉が潰れる音。
その中へ、テンゼンは走って入った。
「准将殿……?」
若い兵士が振り返った。
顔に血がついている。
自分のものか、隣の兵士のものかも分からないような顔だった。
テンゼンはその肩を押しのけ、前へ出た。
「名前は」
「え?」
「名前を言え」
若い兵士は一瞬戸惑い、それから背筋を伸ばした。
「第七防衛隊所属、ミロ・カッツ二等兵です!」
声は少し裏返っていた。
それでも、胸を張っていた。
「そうか」
テンゼンは悪魔の群れを見た。
「カッツ二等兵。貴官は負傷者を内側へ運べ。戦線の穴を塞ぐのは俺がやる」
「しかし、准将お一人では――」
悪魔の爪が、テンゼンの腹を裂いた。
血が飛ぶ。
内臓が覗く。
周囲の兵士が凍りつく。
テンゼンは、その悪魔の腕を掴んだ。
腹の傷が塞がっていく。
血が戻るように肉が盛り上がり、裂けた軍服の下で皮膚が再生する。
テンゼンは剣を抜き、悪魔の首を落とした。
「見たな」
ミロは声もなく頷いた。
「なら動け。死にたくなければ、俺を見て止まるな」
「は、はい!」
ミロが走る。
周囲の兵士たちも動き出す。
テンゼンは崩れかけた前線の中央に立った。
爪を受ける。
牙を受ける。
魔力弾を受ける。
肩が吹き飛び、肋骨が砕け、片目が潰れた。
そのたびに戻る。
傷は閉じ、骨は繋がる。
失われた肉は、何事もなかったように形を取り戻す。
カイ・アーデルも、こうして前線を支えたのだろう。
ただ立っているだけで、兵士の足が動く。
死なない背中があるだけで、恐怖が一歩退く。
たったそれだけで、勝てるかもしれないと人は思えるのだ。
だが、テンゼンは立っているだけでは終われなかった。
悪魔の群れの奥。
瓦礫の陰に、ひときわ細い個体がいた。
自分では前に出ない。
だが、群れの流れがそいつの指先に合わせて動いている。
指揮個体か。
テンゼンは即座に判断した。
「第三砲撃班、右方へ撃て」
「右方ですか!?しかし敵は正面に、」
「撃て」
砲撃が右の瓦礫を砕いた。
崩れた壁によって、悪魔の波が一瞬だけ割れ、その隙間へテンゼンは飛び込む。
正面の敵を斬らない。
横から来る敵も無視する。
足に噛みついた下位個体を、そのまま引きずる。
狙うべき相手だけを見る。
エバも、そうしたはずだった。
もっとも殺すべきものを殺す。
情も、見栄えも、名誉もない。
敵の急所が見えているなら、そこに刃を入れればいいだけだ。
指揮個体が逃げようとした。
テンゼンは片足を噛み砕かれながら距離を詰め、剣を振り下ろした。
細い首が飛んだ。
悪魔の群れが、乱れるその瞬間、既にテンゼンは陣形に戻り始めていた。
「第一班は前進するな。そこは誘いだ。第二班、左側面を捨てろ。第四班を内側へ回せ。負傷者搬送路を開ける。砲撃班は撃つな、今撃てば味方を巻き込む」
矢継ぎ早に命令を飛ばす。
戦況の線が見える。
どこが崩れ、どこが持つのか。
どこを捨てれば、どこが生きるのか。
ルークなら、気づいたはずだった。
テンゼンは、それを口にしていく。
戦場が組み直されていくのが目に見えて分かる。
怯えていた兵士たちが、命令に従い始める。
動けなかった班が、退路を作る。
取り残された負傷者が運ばれる。
死にかけていた外壁が、再び防衛線になる。
戦線は、少しだけ息を吹き返した。
だが、全員は救えない。
「准将!」
声がした。
それは先ほどのミロ・カッツ二等兵だった。
彼は命令通り、負傷者を運んでいる。
肩を貸している相手は、足を折った兵士だ。
そしてその頭上に悪魔が落ちてくる。
テンゼンは振り返った。
距離。
角度。
敵の速度。
自分の位置。
昔なら、あるいは。老いていなければ、あるいは。
そう思った。
足を出す。
だが、すべてが一拍遅いのだ。
ミロは負傷兵を突き飛ばした。
自分だけが、悪魔の爪を受ける。
若い体が、あまりにも簡単に裂かれた。
「カッツ二等兵!」
誰かが叫ぶと同時に、テンゼンは悪魔を斬った。
倒れたミロの傍に膝をつく。
まだ息がある。
ミロはテンゼンを見た。
何かを言おうとしている。
けれど、喉から漏れるのは血の泡だけだった。
テンゼンはその肩に手を置いた。
「第七防衛隊所属、ミロ・カッツ二等兵」
ミロの目がわずかに動く。
「よくやった」
それを聞いたのかどうかは分からない。
ミロは、それ以上動かなかった。
戦場は止まってはくれない。
死者の横を、別の兵士が走る。
テンゼンは立ち上がった。
悲しむ時間などないのだ。
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北西外壁防衛戦は、人類側の勝利として記録された。
戦死者は多数。しかし、外壁は維持することはできた。
新聞は、それを最もわかりやすい文字にして世間に公開する。
『老将テンゼン、前線に帰還。不死身の英雄、再び』
その見出しは、翌朝には都市中に貼り出された。
人々はそれを読んだ。
新たな不死身の英雄が現れたのだ。
人類は、まだ終わっていない。
民衆は歓声を上げた。
若い者たちはテンゼンの名を口にし、上層部は久しぶりに明るい顔をしていた。
だがテンゼンは、そのどれにも酔えなかった。
新聞に名前が載ろうと、民衆が叫ぼうと、若い兵士が憧れの目を向けようと。
彼は知っているのだ。
英雄の背中は、兵士を前へ進ませる。
英雄の勝利は、民衆に明日を信じさせる。
英雄の名前は、腐った上層部の演説に使われる。
それはどうしようもないほどに、使えてしまう。
ならば、こちらも使えばいい。
利用されるのではなく、利用する。
希望も、演説も、腐った組織も、英雄という名前さえも。
正しさで、死者は減らない。
勝たなければ何も得られないのだ。
ならば、綺麗に負けるのではなく、この手を黒く汚してでも勝つ。
それがテンゼンの答えだった。
テンゼンの前線復帰によって、戦況は大きく変わっていった。
最初は、誰もが防衛がせいぜいだと思っていたのだ。
崩れかけた壁を支えるため。
兵士の士気を維持するため。
民衆に希望を見せるため。
それらにすべてのリソースを使い切ると。
だが、テンゼンは守るだけで終わらせなかった。
悪魔の補給拠点が陥落した。
夜明け前、エバがかつて好んだような細い侵入路を通り、テンゼンは少数部隊を率いて敵後方へ抜けると、魔力結晶の集積所に火を放ち、輸送個体を殺し、逃げる敵を深追いせずに撤退した。
その翌日から、北部戦線の悪魔の圧力は目に見えて落ちたのだ。
奪われていた外縁区画に、人類の旗が戻った。
半年以上、誰も近づけなかった旧居住区。
崩れた家屋。
割れた窓。
壁に残る爪痕。
子供部屋だった場所に積もった灰。
そこへ兵士たちが入っていく。
その夜、人類は初めて、守るだけの種ではなくなった。
反攻が始まったのだ。
もちろん、単純に綺麗な話ではない。
テンゼンはルークが腐っていると暴いた商会の輸送網を使った。
かつて薬を横流しし、保存食をごまかし、兵士の命を金に変えていた商会だ。
ルークが生きていれば、それを許しはしないのだろう。
だがテンゼンは違った。
帳簿を握り、脅し、使った。
汚職将校も処刑にはせず、前線へ送った。
安全な机で兵士を殺していた者たちに、自分の命が紙の上の数字になる場所を見せた。
有能な者は使った。
無能な者は、無能であることを隠せない位置に置いた。
評議会の演説も止めなかった。
嘘が混じっていることは知っているが、それは必要な嘘だと割り切って聞き流す。
人類の団結。
正義の反攻。
英雄テンゼンの復帰。
失われた者たちの意志を継ぐ戦い。
美しすぎる言葉だ。
それでも、その演説で志願兵が増えるのなら、それが最適なのだ。
「テンゼン准将」
ダイヤ・レグは楽しそうに言った。
「素晴らしい活躍だよ。君は、どこまで勝ち続けるつもりなのかな」
テンゼンは手入れを終えた剣を鞘に戻した。
「終わるまでだ」
「何が?」
「戦争」
ダイヤは、少しだけ目を細めた。そして笑った。心底愉快そうに。心の底から楽しそうに。
「やっぱり、君にはもっと早く会えばよかったな」
テンゼンは何も答えなかった。