痛みに耐えながら再生魔法で無理やり突っ込んでいく正義のヒーローに出会ったら? 作:だだだめ
父親は、遺体の前で膝から崩れ落ちた。
声を出すでもなく、泣き叫ぶでもなく、誰かを責めるでもなく、ただ口を開けたまま、声が出ないまま、肩を震わせるだけだった。
白い布の下に横たわっているのは、まだ少年と呼ぶべき年齢の兵士だ。
シュラハ。
アーデル部隊の若き兵士。
避難民を守り抜き、最上位悪魔の足を止め、作戦を成功へ導いた『英雄』。
軍の記録や、新聞はそう書くのだろう。
だが父親の前にあるのは、英雄ではない。
ただの息子の、ただの遺体だった。
父親は、震える手を伸ばした。
けれど、布に触れる寸前で止まった。
触れれば本当に死んだと理解してしまうと、そう思ったのかもしれない。
誰も声をかけられなかった。
アーデル部隊の生存者たちも、救われた避難民たちも、軍の将校たちも、そしてカイ・アーデルも。
やがて父親は、ふっと顔を上げた。
カイと目が合う。
何も言わない。
父親は、何も言わなかった。
ただその目には絶望と、それとは別の何かもうひとつ重いものが詰まっている。
怒りでも責めでもない何か。
カイはそれが何かが分からなかった。分からなかったから、目を逸らすこともできなかった。
カイは、白い布の下の少年を見る。
『恐怖を恥じるな。怖いなら伏せろ。痛いなら下がれ。動けないなら仲間を呼べ。死にそうなら逃げろ』
そう教えたはずだった。
守るために死ぬのではなく、守るために生きろと。
英雄になろうとするなと。
自分を特別だと思うなと。
だが、お前たちは俺が思っているよりずっと強かったのだ。
教えを忠実に守って、そして死ぬことを選んだ。
お前たちは英雄になろうとしたのではなく、芯から英雄だった。
三日後。
シュラハ隊員の慰霊式は、都市中央広場で行われた。
ものすごい数の人が集まっている。
広場の端まで人で埋まり、建物の窓にも、屋根にも、路地の入口にも人影があった。
救われた避難民。
アーデル部隊に家族を助けられた者。
新聞で若き英雄の名を知った者。
兵士になりたいと目を輝かせる少年たち。
子供の手を握り、涙を拭う母親たち。
誰もが悲しんでいた。
誰もが感謝していた。
誰もが、若き英雄の死を悼んでいた。
広場の中央には、白い棺が置かれていた。
その上に、シュラハを中心とした隊員の写真が飾られている。
写真のシュラハは笑っていた。
少し照れたような、けれどまっすぐな笑顔。
誰かを安心させるために生まれてきたような、そんな顔だった。
慰霊式は、都市中へ中継されていた。
配給所の壁に据え付けられた魔導受信盤。
軍病院の待合室。
避難区画の食堂。
孤児院の広間。
そして、都市北部の古い病院。
ひび割れた壁に掛けられた小さな受信盤の中で、司会役の軍人が若き英雄の名を読み上げていた。
『シュラハ隊員は、都市北部奪還作戦において、避難民の撤退を最後まで支え――』
ざらついた音声が、病室に流れている。
「あんた、ちゃんと食ってる?」
エバは、病室の扉を開けるなりそう言った。
ベッドの上の男は、受信盤を見ていた。
細い体だった。
片足は毛布の下で途中から膨らみを失い、頬はこけている。
病室には、薬品と古い血と、湿った布の匂いが混じっていた。
男は、エバの方を見ずに答えた。
「……食ってるよ」
「嘘つけ。看護師に聞いたぞ、お前、いつも食事を半分残してるって」
「胃が小さくなってんだよ」
「でかくしろ。私が稼いでんだから、無駄にするな」
「悪い」
「謝るな。いいから頑張って腹減らせ」
エバは椅子を引き寄せ、持ってきた食事の包みを開いた。
受信盤の中では、広場の映像が揺れている。
棺、献花、軍服姿の将校。
そして泣いている人々と、英雄カイ・アーデル。
男は、小さく息を吐いた。
「若いのに、すごいやつらだったんだな」
「知らない」
エバは短く言った。
「お前の部隊のやつだろ」
「知らない」
「嘘つけ」
「うるさい。食え」
エバは匙を差し出した。
男は受け取らなかった。
受信盤の向こうで、一人の男が壇上へ上がっていた。
黒い服を着た、痩せた男だった。
手に紙を持っている。
エバは受信盤を見なかった。
「こんなもん見るな」
男はエバの声を聴かず、中継に目を向けていた。
壇上に登ったシュラハの父親には、数枚の原稿が渡されていた。
誰かが書いた原稿だった。
息子の死を「誇る」ための文字の羅列。
「息子は……誇り、高く……」
声が、最初の一文でもう震えていた。
広場は静まり返った。
「ほこり……誇り、たかく……」
二度目のところで、つかえた。
父親の手が震える。
紙が小さく鳴った。
「……」
読めなくなったのだろう。男は黙り込んだ。
それを誰も助けなかった。
いや、助けられなかったのかもしれない。
誰もが、続きを待っていた。
英雄の死が、意味のあるものになる瞬間を。
父親の口から、誇りだったと語られる瞬間を。
若き英雄の物語が、美しい形で完成する瞬間を。
父親は、口を開けた。
だが、声は出なかった。
北部の病室でも、その沈黙は流れていた。
受信盤の雑音だけが鳴る。
ベッドの男が、ぽつりと言った。
「きついな」
エバは答えなかった。
「食え」
エバは匙を押しつける。
男は、ようやくそれを受け取った。
「味がしない」
「味わうな。飲み込め」
「無茶言うな。俺は美食家なんだ」
男は、少しだけ笑った。
エバは受信盤を見なかったが、消しもしなかった。
広場では、父親がようやく顔を上げた。
結局、原稿は読めなかった。
代わりに、彼は棺を見た。
長い沈黙の後、父親は掠れた声で言った。
「……ただ、帰ってきてほしかった」
それだけだった。
たったそれだけの言葉が、広場の空気を変えた。
誰かが泣きだした。
誰かが顔を伏せた。
誰かが手を合わせた。
そして、少し遅れて喝采ともいえる拍手が起きた。
讃えるための拍手。
悲しみを誇りへと捻じ曲げるための、称賛の拍手だった。
カイ・アーデルは目を閉じていた。
己が何を作り出したのかを。この歓声に何が詰まっているのかを全身で受けていた。
式の翌日から、カイは戦場に戻った。
人々は彼を見て安心した。
兵士たちは彼の背中を見て前へ出た。
若い志願兵たちは、アーデル部隊の名を口にした。
カイ隊長のように。
シュラハ隊員のように。
守る側になるのだと。
その言葉を聞くたび、カイの胸の奥で何かが軋んだ。
以前なら、それは希望だったはずだ。
誰かが恐怖に立ち向かう。
誰かが守る側を選ぶ。
誰かが、もう一歩前へ進もうとする。
それは確かに美しいことだと、そう思っていた。
だが、今は別のものにも見える。
自分の背中が、若者たちを戦場へ連れてくるのだ。
自分の言葉が、死地に意味を与えているのだ。
自分が救ったはずの者たちが、自分を見て守る側へ歩いていくのだ。
その先に、何があったか。
棺。原稿。沈黙。拍手。新聞の見出しの文字。
それでも、戦場は待ってくれなかった。彼に考える時間は、与えられなかった。
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数日後、カイは最上位悪魔と遭遇した。
それは、以前シュラハたちが足止めした個体と同格、あるいはそれ以上のものだ。
人型で巨大。
空気を腐らせるような魔力圧。
周囲の兵士が、いるだけで膝をつくような、そんな異常な強さ。
カイは、判断を迫られた。
選択肢は、二つだ。
一、自分が時間を稼ぎ、部下たちを撤退させる。
二、部下を巻き込み、最上位悪魔を抑えて、後続の主力到着まで戦線を保つ。
本来なら、迷わず二だった。
カイ一人では、きっとこれを抑えきれない。
だが、部下を投入すれば時間を稼げる。
その時間で、後方の民間人と主力部隊は逃げることができるだろう。
犠牲は出るが、戦線は保てる。死ぬことも、兵士の仕事だ。
兵士たちはカイを見ていた。
命令を待っているのだ。
覚悟が宿った者たちが、英雄に死ねと言われるのを待っている。
あの日、通信機の先のシュラハも、こんな目をしていたのだろうか。
カイの脳裏に、父親の顔が浮かんだ。
ただ帰ってきてほしかった。
俺は判断を間違えたのだろう。
「全員、撤退だ」
カイは言った。
「俺が抑える」
一瞬、兵士たちは困惑していた。
「聞こえなかったか」
カイは剣を抜いた。
「全員、撤退。これは命令だ」
部下たちが下がる。
何人かが何かを言おうとしたが、カイの背中を見て言葉を飲み込んだようだった。
カイは走った。
最上位悪魔と部下たちの間に割って入り、その体を攻撃に晒す。
衝撃が走る。
右肩から胸にかけて、肉が裂ける。
骨が砕ける。
血が噴き出す。
痛みが来る。
それはいつものことだった。
痛みはいつも、彼自身が生きていることを教えてくれていた。
頭を砕かれても、腹を裂かれても、四肢を失っても、痛みだけは必ず彼と共にあった。
だが、次に来るはずのものが来なかった。
再生。
肉が繋がる感覚が。
骨が戻る感覚が。
血が体内へ引き戻される感覚が。
破壊された体が、無理やり元の形へ戻されるあの気味の悪い熱が。
それが来ないのだ。
おかしい。
……いや、違うか。
なにもおかしくなどない。
カイは理解した。
加護が、消えている。
焼き切れたのだ。
自分はもう、自分が守る側でいられると信じられていない。
自分の判断が誰かを救うと信じられない。
自身が英雄であることを、信じられない。
きっと俺は、絶望してしまったのだ。
その事実に、カイはほんの一瞬だけ安堵していた。
背後では、部下たちが撤退している。
まだ時間がいる。
まだ足りない。
カイは剣を握り直し、無理やり口角を上げた。
指が血で滑る。
呼吸が浅い。
視界の端が暗い。
しかしそれでも、悪魔を威嚇する。
部下たちに、まだ大丈夫だと思わせる。
「来い」
声は掠れていた。
カイは、生身の体で最上位悪魔に突っ込んだ。
剣が弾かれ、左腕が折れる。
腹を裂かれる。
膝が砕ける。
それでももう一歩、もう一歩と前へ出た。
死なないから前へ出るのではない。
死ぬと分かっていても、前へ出るしかないのだ。
それが、彼の選んだ道の責任なのだ。
背後で、最後の足音が遠ざかった。
撤退は、間に合ったのだろう。
カイはそれを確認して、ほんの少しだけ笑った。
よかった。
声にはならなかったが、たぶんそう思った。
次の瞬間に悪魔の爪がカイの胸を貫き、英雄カイ・アーデルはその短い人生に幕を下ろした。
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これは、……なに?
カイ・アーデルの体から、エネルギーのようなものが漏れている。
血ではない。
魔力だが、通常の魔力では考えられない密度と出力を持っている。
これは、僕が知っているどんな魔力とも違う。
莫大な力が、彼の魂から世界に漏れているのだ。
僕が見てきたあらゆる魔術書のどこにも書いていなかった現象。
……いや、なるほど素晴らしい。ほんとうに、素晴らしいとしか言いようがないな。
ヒーロー、君は最後まで僕に喜びをくれるのか。
「……あんた」
背後から声がし、ダイヤは振り返った。
「君は確か……そうだ、カイの部下の、エバ」
「……誰、何者?ここで何をしている?」
ダイヤは正直に答えた。
「発見だよ。それもとても貴重な」
エバの目が、さらに冷えた。
「隊長の遺体から離れろ」
「遺体」
ダイヤはカイを見下ろした。
「そうか。もう遺体なんだね。感慨深い」
エバが一歩踏み出した。
剣先が、ダイヤへ向く。
次の瞬間、エバは高速の斬撃をダイヤの方へ放った。
しかし、その攻撃はダイヤに届く前に空中で霧散する。
「困るな」
ダイヤは笑った。
「そうだ、君とも話してみたかったんだ」
エバは、なにも答えなかった。
悪魔を見るような目で、ただダイヤを見つめていた。
ダイヤは、その目を覗き込む。
中にあったのは、怒り、疲労、喪失。
そして、まだ折れていない強力な生存本能と、殺意。
なるほど。
素晴らしい、かもしれない。
ダイヤは笑う。
計画は次の段階に入ろうとしていた。