痛みに耐えながら再生魔法で無理やり突っ込んでいく正義のヒーローに出会ったら? 作:だだだめ
「もういい」
相棒はベッドの上で天井を見たまま言った。
「治療費は、もういらない」
最初、何を言われたのか分からなかった。
「お前が稼いだ金だ。本来なら、お前はとっくにいい家に住んで、いい飯を食えるんだ。こんな体に注ぎ続けるな」
「は……?いや、黙れ」
「エバ、聞け」
「聞かない」
「俺の体はもう駄目だ。足は一本しかない。腕もほとんど動かない。食欲もどんどん減って来てる。医者は言わないだろうが、次の冬はたぶん越せない」
「越させる」
「越せないんだよ、エバ」
「越させるって言ってんだろ!」
思ったより大きな声が出た。
病室の薄い壁が、少しだけ震えた気がした。
私はベッドの脇に座っていた。
相棒の手を握っていた。
その手が、ゆっくり私の手から抜けていく。
「俺を生き恥にしないでくれ」
相棒はそう言った。
「お前は強い。もう一人でちゃんと生きていけるだろ。俺は意地汚く、お前の足を引っぱっているだけなんだよ」
「違う!」
「エバ」
相棒がようやくこちらを見た。
「もう楽にしてくれ」
私は、黙った。
言いたいことはあった。
言わなければならないことがあるはずなのだ。
けれど、口の中に溜まった言葉は、どれも像を結んでくれない。
ゴミ山で生きていた頃、私たちはほとんど喋らなかった。
朝になれば食えるものを探した。
寒ければ同じ布切れにくるまった。
誰かが近づけば、先に気づいた方が石を握った。
わざわざ言葉にしなくても、お互いが何をするべきかなんてわかっていた。
だから私は、こういう時に声にするべき言葉を覚えなかったのかもしれない。
必要がないまま、ここまで来てしまった。
そして今ようやく必要になって、なにも浮かんでこない。
「私はさ」
自分の声なのに、知らない声みたいだった。
「あんたとゴミ山の中でずっと暮らせれば、それでよかったんだよ」
相棒は何も言わなかった。
「変えたいかって聞いてくれただろ。あの夜。あれ、たぶん私の人生で一番いい夜だったんだ」
未だにはっきりと覚えている。
「私はその夜に頷いた。変えたいって言ったんだ。何をしてでもって聞かれて、それでも頷いた。私が頷かなかったら、あんたはあの夜もいつも通り布切れの中で寝てた。次の朝もいつも通り起きてた。次の年も、その次の年も、私と一緒にゴミ山にいた。私が変えたいって言ったから、あんたは戦場に行って、足を失った。こんな病室で、また腐ったゴミの中で寝てるだけに戻ってしまった」
「お前のせいじゃない」
「違うんだよ、私のせいなんだよ」
相棒は苦しそうに息を吐いた。
そんな顔をさせたかったわけじゃない。
私は相棒の手を強く握った。
「私はあんたのために、毎日殺してるんじゃない。自分のために殺してる。あんたがもう一日でも長く生きることが、私のためだから殺してる」
「エバ、お前は」
「黙って聞け。私が喋ってるんだ」
相棒は口を閉じた。
「私はあんたを死なせない。あんたがどれだけ苦しくても私が無理やり生かす。これは、あんたのためじゃない」
病室の空気は酷い匂いだ。
薬品と古い血と、湿った布と、腐っていく肉の臭いが混ざっている。これじゃあまるで、あの頃みたいだ。
それでも、この臭いの中に私の全部がある。
「私のためなんだ」
相棒が目を細める。
「私の幸せのために、あんたを生かす。これは私のわがままだ。私が、あんたを愛してるからだ」
言ってから、自分で驚いた。
その言葉が正しいのか分からなかった。
私が口にしていい言葉なのかも分からなかった。
それでも、他に言い方がわからない。
私は身を乗り出して、相棒の唇に自分の唇を当てた。
ほんの少しだけ。
触れたかどうかも分からないくらいで離れた。
「だから、あんたはゴミじゃない。私がそれを認めない。だから、死ぬな」
しばらく何も聞こえなかった。
病室の外を誰かが歩く音がした。
水差しの中で、水が小さく揺れた。
やがて相棒が、ひどく小さな声で言った。
「……お前、人の愛し方なんて知らないだろ」
私は少し笑った。
「知らないよ。ゴミ山にそんなものはなかった」
「……ああ。そうだったな」
「ごめんな」
「いや、いい」
相棒は、少しだけ笑っていた。
---
その日から、私は前より多く戦場へ出るようになった。
単独任務を希望した。
理由を聞かれたから、こう答える。
「一人の方が速い」
本当のことだった。
誰かと組めば、その誰かの足を見る必要がある。
息が乱れていないか。遅れていないか。死にそうになっていないか。
そんなものを気にしている時間が惜しかった。
私に必要なのは戦果だった。
戦果は報酬になる。
報酬は薬になる。
薬は相棒の明日になる。
だから一人でよかった。
軍は最初こそ渋ったが、すぐに私の希望は通るようになった。
理由は簡単だ。
私が強く、戦果を持ち帰るからだ。
私はカイ・アーデルのようには戦わない。
あの男は前に立つ。
人の目に見える場所に立ち、悪魔を引き受け、兵士や民衆に背中を見せる。
私は違う。
暗い場所を探して、穴を探して、敵の群れの中で一番高く売れる首を探す。
逃げ道を先に覚え、殺す順番を決め、必要なら味方の視界からも外れる。
そして、殺す。
無茶をして、腕が飛んだ。
でもその瞬間に、何事もなかったかのようにもとに戻る。
傷は治っても、痛みは消えない。
骨が砕ける音も、内臓が裂ける感触も、肉が焼ける臭いも、全部残っている。
その痛みが、私にまだ足りないと教えてくる。
もっと殺せ。
もっと稼げ。
もっと生かせ。
そう言われている気がした。
---
ルークは軍本部の事務室で、エバの記録を追っていた。
出撃申請。
戦果報告。
損傷記録。
報酬支払記録。
医療費の振込先。
紙の上に並ぶと、それらはただの数字になる。
けれど数字は、ときどき人間よりもよほど正直だった。
エバの出撃間隔は短すぎる。
負傷記録も異常に少ない。精神評価も挟まなければならないだろう。そもそも単独任務の許可など、これほど簡単に下りるはずがない。
それでも彼女は止められていなかった。
理由は分かる。
戦果が出ているからだ。
カイ・アーデルを失った軍には、新しい戦果が必要だった。
人々を黙らせるための結果が必要だった。
前線がまだ崩れていないと示すための数字が必要だった。
エバはその数字を持ち帰っている。
だから誰も止めない。
ルークはその報酬の使い道に目を止めた。
都市北部の古い病院。
支払額のほとんどが、そこへ流れている。
装備更新費も生活費も削られている。自分のために使っている形跡はほとんどない。
ルークは椅子の背にもたれた。
ルークにとって大人とは、子供の未来を自分の責任で守る人間のことだった。
子供が「兵士になって悪魔と戦う」と言ったときに、「そうか」と頷いてしまう人間は大人ではない。
そんなことを子供に言わせないために働くのが、本物の大人だと思っている。
けれどこの軍に、そういう人間はどれだけいるのだろう。
カイ・アーデルの名が印刷された志願兵募集の資料。
シュラハの慰霊式に使われた演説原稿。
エバの単独出撃許可申請。
それらがルークには同じものに見えた。
本質はすべて子供や若者が、戦場へ進むための書類だ。
「ルーク」
声をかけられて顔を上げる。
テンゼン少佐が立っていた。
アーデル部隊の再編に伴い、一時的に指揮系統を預かっている上官だ。
アーデル隊長亡き今、少佐は人類の最高戦力と呼ばれている。声を荒げるところを見たことがない。怒鳴らず、慌てず、いつも少しだけ遠くを見るような目をしている。そんな男だ。
「その資料は?」
「隊員の、エバの単独出撃記録です」
「許可は」
「後方整理の一環として、必要な範囲で閲覧しています」
テンゼンはしばらくルークを見ていた。
咎めているのか、測っているのか分からない目だった。
「……見すぎるな」
「それは、どういう意味ですか」
「この世界には、見ない方がいいものが多すぎる」
ルークは黙った。
テンゼンの視線が机の上を滑る。
出撃記録。
報酬支払記録。
病院への送金。
軍需物資の帳簿。
それから、いくつか不自然に黒塗りされた支出項目。
まるで、誰かに追跡されたときのために、わざと遠回りさせているようだった。
「直視したところで、それを変えられるとは限らない」
「それでも、見なければ変えられません」
テンゼンはほんの少し口元を動かした。
笑ったのかもしれない。
「若いな」
「悪いことですか」
「悪くはない。だが、若さはよく燃える」
テンゼンは書類の一枚を指で押さえた。
政府系医療支援という名目の資金移動。
だが、行き先は妙に遠回りしていた。
軍から政府。
政府から民間医療法人。
そこからさらに物資調達商会。
金が回っている。
けれど、どこへ向かっているのかは不透明に隠されている。
「少佐、これは」
「今は見るな」
「ですが」
「今は、だ」
静かな声だった。
けれど、有無を言わせない響きがあった。
ルークは歯を噛んだ。
大人になるというのは、何でも正しく暴くことではないのかもしれない。
だが、見えているものを見なかったことにするのは。それはもっと違う。
テンゼンは背を向けた。
「エバから目を離すな」
「命令ですか」
「……いや、ただの助言だ」
それだけ言って、テンゼンは部屋を出ていった。
ルークはもう一度、机の上の書類を見る。
エバの出撃記録。
医療費。
黒塗りの資金。
胸の奥に、なにか嫌なものが沈んだ。
---
その日、相棒が病室から消えた。
私が病院に着いたとき、ベッドはすでに空だった。
最初は検査だと思って、院内を探した。
そして姿がないとわかったとき、嫌な予感がした。
毛布は乱れていない。
机の上には水差しが残っている。
昨日置いた薬は開いていたが、中身は半分以上残っていた。
相棒が自分でどこかへ行けるはずがない。
私は受付へ向かった。
「どこ」
受付の女は私の顔を見て、慌てたように目を伏せた。
「どこにやった」
女は答えない。
指先が震えている。
「答えろ」
「……私は」
「何も知らない?」
女は唇を噛んだ。
その顔で、だいたい分かった。
知っている。
でも言えない。
そういう顔だった。
しばらくして、女は机の下から折り畳まれた紙を取り出した。
差し出す手が震えている。
私は受け取って開いた。
書かれていたのは短い言葉だった。
『殺されたくなければ、一人で来い』
場所も書いてある。
都市外縁。
悪魔に奪われた区画の、廃棄された補給倉庫。
「誰が渡した」
女は答えない。
私は魔力圧を解放した。
「誰が」
「あ、……い、院長先生が」
その瞬間、視界の端が少し暗くなった。
私はそのまま院長室へ向かった。
扉を蹴破る。
中にいた院長が、椅子から転げ落ちるように立ち上がった。
「エ、エバ君。落ち着いてくれ」
「なぜだ」
「まず話を」
「なぜだと聞いているんだ!」
院長は汗を浮かべていた。
私は部屋を見回す。
机、棚、帳簿、薬品棚。
そして鍵のかかった巨大な金庫。
それを見た瞬間、嫌な予感が形になった。
院長が一歩動く。
その手を掴み、机に叩きつけた。
「開けろ」
「そ、それは」
「開けろ」
院長は震える手で鍵を出した。
金庫が開くと、その中には見たこともない額の金が入っていた。
軍からの支給金ではない。患者からの治療費でもない。
私は金庫の中の書類を掴んだ。
契約書には莫大な金の取引の痕跡と、そして相棒の名前が書かれていた。
「……金のために、売ったのか」
院長は黙っていた。
「悪魔に?」
「エバ君、聞いてくれ。私にも事情があった」
院長は息を呑んだ。
「この病院には二百人の患者がいる。半分は戦災で家族を亡くした子供だ。彼らに薬を与えるには毎月とんでもない金がいる」
「……」
「薬が足りないんだ。包帯も、麻酔も、清潔な水さえ足りない。毎月、何人を生かすか選ばなければならない」
「黙れ」
「私たちは二百人を守るために、たった一人を選ばなければならなかったんだ」
「黙れ」
「聞いてくれ、資源は有限なんだよ。医療とはそういうものだ。選ばなければならない。誰かを助けるためには、誰かを諦めなければならない」
「……」
沈黙が落ちた。言葉が出なかった。
なにを言っているのかも、もはやどうでもいい。
どんな理屈を並べようと、どんな正義がそこにあろうと、そんなことはもうどうでもいい。
「……いくらだった?」
「……は」
いつだって捨てられるのは一番弱いやつだ。
ゴミ山の端にいた子供。
家族のない兵士。
足のない男。
私以外の誰から見てもなんの価値もない、私の大切な相棒。
私は院長に手を伸ばした。
「私の宝物が、いくらだったかって聞いてるんだ」