痛みに耐えながら再生魔法で無理やり突っ込んでいく正義のヒーローに出会ったら?   作:だだだめ

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憧憬

エバが消えた。

 

無断の単独出撃後、敵支配区域内へ姿を消したのち行方不明。

書類上の判定は戦死になるのだろう。

 

上層部はこれを大きな問題にする気はないようだった。

若い兵士が精神に異常をきたして不可解な行動に出ることは、別に珍しくない。

 

だがそれは大抵、着任して間もない新兵の話だ。

 

エバは、必要なことしかやらないやつだった。

 

必要なら殺す。

必要なら見捨てる。

必要なら嘘をつく。

必要なら、危険な場所へ踏み込むことを決して躊躇わない。

 

あいつを間近で見てきた俺だからわかる。これはただの失踪事件じゃない。

 

あいつがひとりで敵支配区域へ向かったのなら、そこには必ず理由があるはずなのだ。

 

ルークは報告書の余白に筆先を置き、椅子に深く背を預けた。

 

部屋は静かだ。

 

静かすぎるとも言える。

 

少し前まで、この部屋には人の気配であふれていた。

 

シュラハが無駄に明るい声で書類仕事を嫌がっていた。

エバが壁にもたれて、早く終われと目で訴えていた。

カイ隊長が無言で報告書に目を通し、必要な部分だけ短く指摘していた。

 

だが今は、俺が紙をめくる音しかしない。

 

午前の仕事を片づけたあと、ルークは都市西区の孤児院へ向かった。

 

理由は、金の流れを調査するためだった。

 

エバの報酬記録を洗うには、軍の支払い先だけ見ても足りない。

戦死者の私物、給与の引き出し記録、寄付先、薬品購入、地下商人への支払い。

そういう細い糸をたどる必要がある。

 

調べている途中で、一つの孤児院の名前が出てきた。

 

アーデル部隊宛てに届いていた慰問物資の受領記録が副次的に見つかった。

そしてその中には、孤児院からの小さな贈り物が記録されていた。

 

手縫いの布。

乾燥果物。

子供たちの寄せ書き。

 

シュラハが死んだあとも、この孤児院は特に熱心に部隊へ手紙を送っていたらしい。

 

ルークはその確認も兼ねて、孤児院を訪れたのだ。

 

孤児院は古い建物だった。

 

外壁は何度も補修されていて、石材の色が場所によって違う。

窓枠は歪み、門の金具は錆びている。

それでも中庭には洗濯物が干され、子供たちの声がした。

 

この死にかけた都市の中で、ここだけはどうにか生活を続けている。

 

「軍の方ですか?」

 

門の内側から、年配の女性が出てきた。

 

痩せてはいるが、目に力がある。

 

「アーデル部隊のルークというものです。以前、部隊に手紙と物資を送っていただいた件で、感謝の念を伝えにお伺いしました」

 

「ああ……」

 

院長の顔に、痛ましさが浮かんだ。

 

「シュラハ様のことでしょうか」

 

様、か。

 

ルークはその呼び方にわずかに息を詰めたが、否定はしなかった。

 

「わざわざありがとうございます。子供たちも喜びます。今ちょうど、別の支援者の方も来てくださっていて」

 

「支援者?」

 

「ええ。薬と保存食をたくさん。最近よく来てくださるんです」

 

そんな殊勝な人もまだいるのか。

 

挨拶を交わした院長に案内され、食堂へ入る。

 

そこには子供たちが集まっていた。

 

机の上には菓子の包みが置かれている。

保存食の箱に、薬瓶の入った木箱や毛布まである。

 

そしてその中心に、ひとりの男がいた。

 

黒髪。軽い笑みに、清潔な外套。

 

ルークは、その顔を知っていた。

 

直接会ったことはない。

 

だが、軍の資料で見た。

過去に何度も禁忌的な魔法を開発し、指名手配中の魔法使い。

かつて軍に所属していた頃は、回復魔法の極致とまで呼ばれていた男。

カイ・アーデルに加護を与えたとされる人物。

 

ダイヤ・レグ。

 

男は子供に菓子を渡しながら、こちらを見た。

 

「これはこれは」

 

男はにこやかに言った。

 

「軍人さんだ。ほら皆、ちゃんと挨拶しようね」

 

子供たちが一斉にこちらを見る。

 

「こんにちは!」

 

「ああ、こんにちは」

 

ルークは返した。

 

その間も、視線は男から外さないように努める。

 

見たところこの男は、孤児院の子供たちから信頼されている。

彼らにとって、この男は薬と菓子を持ってきてくれる善良な支援者なのだろう。

いったいなんのために、そんな演技をしているのか。

 

ルークは腰の剣に手を伸ばし、慌てて思い直した。

 

ここは孤児院だ。

子供たちも院長もいる。

ここで交戦することが、いい結果を招くとは思えない。

それにこの男が本当にダイヤ・レグなら、この場で斬りかかったところで捕まりはしないだろう。

 

「あなたも支援者ですか」

 

ルークが聞くと、男は肩をすくめた。

 

「それ以外の何かに見えますか?」

 

「……名前を」

 

「名乗るほどの者じゃないですよ」

 

「……そうですか」

 

「あなたは?」

 

「……ルークです。アーデル部隊に所属しています」

 

「へえ」

 

男は笑った。

 

「いい名前だ」

 

ただの相槌だ。

だが、なぜか自分の内側を指でなぞられたような不快感があった。

 

その時、ひとりの少年がルークの前に立った。

 

十歳か、十一歳くらいだろう。

細い体だが、目だけは妙に強い。

手には剣を模した枝を持っていた。

 

「あの、軍人さんはアーデル部隊の人なんですか?」

 

「……ああ」

 

「カイ・アーデル隊長と一緒に戦ってたんですか?」

 

「戦っていた」

 

「シュラハ隊員とも?」

 

ルークは少しだけ黙った。

 

「一緒だった」

 

少年の顔が明るくなる。

 

憧れの対象を見るような目。

握手を求められ、手を差し出した。

 

ダイヤ・レグはその様子を見て何を思ったのか、笑っている。

 

「あの、僕も兵士になりたいんです!」

 

食堂の空気が、わずかに止まった。

 

院長が困ったように少年を見て、他の子供たちは期待するような目線をルークに向ける。

 

少年は続けた。

 

「カイ・アーデルみたいに。シュラハ隊員みたいに。僕も、誰かを守れる人になりたいんです!」

 

ルークは笑顔を作れなかった。

 

この少年は、本当に純粋に英雄に憧れているのだ。

 

新聞を読んだのだろう。

慰霊式の中継を見たのだろう。

大人たちが語る英雄譚を聞いたのだろう。

 

少年にとってカイは希望で、シュラハは憧れなのだ。

 

ルークは膝を折り、少年と目線を合わせた。

 

「その必要はない」

 

少年が瞬きをする。

 

「どうしてですか」

 

「戦争は、俺たちの代で終わらせるからだ」

 

自分で言って、無謀なことを言ったと思った。

 

そんな保証はない。

戦争は、ルークが生まれるずっと前から続いているのだ。

それはカイが死んでも、シュラハが死んでも、エバが死んでも終わらなかった。

 

だがそれでも、言わなければならなかった。

 

この子供に、あの名簿へ載る機会を与えたくないのだ。

 

少年はルークを見上げていた。

 

「本当に?」

 

「ああ」

 

「じゃあ、僕は何をすればいいですか」

 

「飯を食え。寝ろ。勉強しろ。友達と喧嘩して、遊んで、静かに暮らせ」

 

少年は眉を寄せた。

 

「それだけですか」

 

「それができる世界を作るのが、俺たちの仕事だ」

 

少年は少し考えてから、こくりと頷いた。

 

「分かりました」

 

この言葉を、ほんとうに飲み込んだわけではないのだろう。

今は、それでいい。それで、納得するしかない。

 

ぱち、ぱち、と乾いた拍手が聞こえた。

 

音の発信源にいる男に目を向ける。

 

「素晴らしい」

 

その目は、先ほどまでの軽薄なものではなかった。

もっと恐ろしい何かに変質している。

 

俺はそれを反射的ににらんだ。

 

院長が不安げに二人を見る。

子供たちは、何が起きているのか分からない顔をしていた。

ダイヤは笑ったまま、小さく首を傾げる。

 

「少し、外で話せませんか」

 

ルークは院長に向き直った。

 

「少し席を外します」

 

「え、ええ……」

 

少年がルークの袖を掴んだ。

 

「軍人さん?」

 

ルークは少年の頭に手を置いた。

 

「すぐ戻る」

 

---

 

孤児院の裏手には、小さな菜園があった。

 

水の足りない都市では、土も痩せて細る。

それでも誰かが甲斐甲斐しく手を入れているのだろう。

いくつかの葉物が伸びている。

 

ルークが食堂へ戻った時、日差しの角度が少しだけ変わっていた。

 

「ルークさん、大丈夫ですか」

 

院長が駆け寄ってきた。

 

「顔色が悪いようですが……」

 

「……問題ありません」

 

それは明らかにやせ我慢だったが、そう言われてしまった以上、院長はなにも言えないとばかりに追及をやめる。

 

「……さっきの方は」

 

「帰りました」

 

院長が答えた。

 

「急用ができたそうで。薬と食料を預かっています。渡してくれと」

 

「次は、いつ来てくださるのかしら……。薬も食料も、あの方に頼りきりで。ほんとうにありがたい方です」

 

ルークは返事をしなかった。

 

ありがたい方。

 

確かにそうなのだろう。

 

この孤児院にとっては、今日の食事を心配する子供たちにとっては、薬を買えない院長にとっては。

ダイヤ・レグは、何よりもありがたい人間なのだ。

 

その事実が、ひどく気持ち悪い。

 

夕方、ルークは兵舎に戻った。

 

机の上には、回収されたエバの遺品の一部が届けられている。

 

布袋一つ、破損した短剣、血を拭った跡のある手袋。

予備の弾薬入れに折り畳まれた紙片が数枚。

 

そして、財布。

 

開くと中には、小銭が数枚しか入っていなかった。

 

少なすぎる。

 

エバは必要なもの以外を持たない女だったが、それにしてもこれでは満足に生活できないはずだ。

 

ルークはエバに支払われていた報酬額を知っている。

単独任務の成功報酬。

危険手当。

特別戦果報酬。

カイの亡き後、戦線維持に大きく貢献した兵士として、彼女には相応の金が支払われていた。

 

だが、財布は軽い。

 

生活に使った形跡も薄かった。

エバは食堂の安い飯で済ませていたし、私服もほとんど変わり映えがしないし、娯楽に使っている様子もなかった。

 

ではいったい、どこへ消えた?

 

ルークはファイリングされた記録文書をいくつか広げた。

 

金のかかるものというのは、この都市ではそう多くない。

 

思い当たる線をひとつずつ当たっていき、候補は絞られていく。

 

そして、ルークは一つの支払い記録を見つけた。

 

都市北部、第三隔離医療区画。

古い病院で、戦傷者や貧民、身寄りのない病人が押し込められるような場所だ。

 

そしてその下に続く支払い記録。

 

入院費。

処置費。

薬代。

延命処置。

追加薬剤。

清潔布。

栄養剤。

 

そのすべての支払い名義は、エバ。

 

患者名の欄は、ところどころ擦れて読みにくくなっていた。

だが、何度も同じ名前が書かれている。

 

男の名前だった。

 

ルークはふと、昔の会話を思い出した。

 

都市北部の病院に通っているという噂。

ルークが尋ねた時、エバは鋭く言った。

 

『関係ないだろ。放っておいてくれ』

 

あの時、もっと踏み込んでいればあるいは……。

 

ルークはしばらくその領収書を見つめて、エバという女を少しだけわかったような気がした。

 

エバは金のために戦っていた。

だが、金が欲しかったわけではない。

金で買える明日が欲しかったのだ。

 

それは遅すぎる理解だった。

 

死んだ後になってようやく関心を向ける。

そんな彼自身の行動が、どうしようもなく腹立たしく感じる。

 

ルークは資料をまとめ、病院名に印をつける。

 

そこで、手が止まった。

 

エバは、敵支配区域で死んだ。

戦闘記録から見て、彼女は何かを追っていたらしい。

焦っていた。時間がない様な、あるいは何かを取り戻そうとしていたかのような。

 

その何かが、この男だとすれば。

 

ルークは部屋の明かりを消した。

 

翌朝、第三隔離医療区画へ向かうために。

 

この悪い推察が、現実のものでないと確かめるために。

 

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