八千夜   作:超かぐや姫!に脳を焼かれた人

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前回より長くなったので初投稿です。
物語自体はかなり駆け足で進みます。

今更ですけど、こういうのって小分けで投稿した方がよいものなのでは?

※2026/5/20 本文の表現を一部修正。(かぐやの髪色の描写)


02話_最愛なるあなたへ、ハッピーエンドを

時刻は深夜に差し掛かろうとしていた。

 

わたしは、相変わらず彩葉の部屋の様子を観察していた。

 

正確に言えば、彩葉のノートPCに搭載されたインカメとマイクが拾った映像と音声を、ツクヨミの管理領域に迂回させて表示し、月見ヤチヨとしての業務を片付けながら見守っていた。彩葉の見守りとツクヨミの管理者兼トップライバーとしての仕事、どちらもこなさなければならないのがわたしのつらいところである。

 

盗撮?盗聴?

……そうとも言う。

 

『もはや何も言うまい』

 

隣でFUSHIが呆れたようにため息を吐いた。

 

画面の向こう、彩葉の部屋はひどい有様だった。

布団は乱れ、ちゃぶ台の上には検索しっぱなしのタブレットが置かれ、床には畳みきれていない制服と教科書が散っている。

その真ん中で、彩葉が赤ん坊を抱いて固まっていた。

 

七色に光るゲーミング電柱から現れた赤ん坊。

 

かぐや。

 

かつてのわたし。

 

赤ん坊のかぐやは、彩葉の腕の中で泣き疲れたように身じろぎしている。

彩葉はその小さな身体をどう持てばいいのかわからないまま、腕だけは必死に安定させようとしていた。

 

怖がっている。

混乱している。

今にも逃げ出したそうな顔をしている。

 

それでも、放り出そうとはしない。

 

電柱の前に置き去りにしなかった。

部屋まで連れて帰った。

泣けばあやした。

どうにかしようとして、検索して、実行して、失敗して、それでも抱いている。

 

それだけで、わたしは八千年分の息を吐き出しそうになった。

 

『泣くなよ』

 

「泣いてないよ〜」

 

『ツクヨミの海の水位が上がっている』

 

「そんな機能つけてない」

 

その時、別の画面に着信通知が跳ねた。

 

チヤ名義のアカウント。

このアカウントへの連絡手段を持っているのは、この世でただ一人だけ。

当然、相手は、酒寄彩葉。

 

画面の中の彩葉が、震える指でスマートフォンを握っている。

ノートPCのインカメ越しに見ていた彼女が、チヤへ助けを求めようとしている。

 

家族関係がマシになって尚、それでも、人を頼ることがへたくそな彩葉が、わたしを頼ろうとしている。

 

わたしは一秒で応答した。

 

「ヤオ……じゃなかった。はいはーい、チヤさんだよ〜。どうしたの、彩葉ちゃん。こんな時間に」

 

あ、危なかった~。

八千年生きたトップAIライバー月見ヤチヨ、彩葉専用の裏アカウントで、うっかり公式挨拶をかますところだった。

 

ビデオ通話だったため、慌ててチヤとしてのアバターとそれらしい背景画像を投影してビデオをオンにする。

 

『あ、あの、チヤさん。今、大丈夫ですか』

 

スマートフォンのカメラに映った彩葉は、いつも以上にひどい顔をしていた。

 

いや、顔がひどいと言うと語弊がある。

顔立ちはいつだって整っている。

ただ、髪は乱れているし、顔色もよろしくない、完璧優等生の仮面が雑に剥がれかけている。

 

………………うん。

ごめんね。色んな意味でごめんね。

思わず口から謝罪が漏れそうになっていると、彩葉が話を切り出した。

 

『……その、えっと、信じてもらえるかわからないんですけど』

 

「うん」

 

『笑わないで聞いてもらえますか』

 

「もちろん」

 

『本当に、冗談とかじゃなくて』

 

「うん」

 

彩葉は一度、唇を噛んだ。

スマートフォンを持つ手が小さく震えている。

 

『赤ちゃんを、拾いました』

 

「うん」

 

『……電柱から』

 

「うん」

 

『七色に光る、ゲーミング電柱から、赤ちゃんが出てきて』

 

「うん」

 

『私、たぶん、誘拐犯です』

 

「うん、一旦落ち着こうか~」

 

わたしはなるべく軽く言った。

 

軽く。

軽率で。

軽々しい。

いつものチヤさんらしく。

 

まちがっても、知っている素振りを見せてはいけない。

まちがっても、「頑張ったね」と泣いてはいけない。

まちがっても、八千年前に失ったものを取り戻したみたいな顔をしてはいけない。

 

FUSHIを抱いた腕に無意識に力が入る。

FUSHIは面倒くさそうな顔をして一瞬身をよじる。

次いで、「仕方がないな」とばかりにされるがままになった。

 

画面の向こう。

彩葉の腕の中に、赤ん坊がいた。

 

小さく。

柔らかそうで。

温かそうで、頼りなくて、まだ何も知らない顔をしている。

 

かぐやが、彩葉の腕の中にいる。

 

ああ。

だめだ。

 

通話を始める前まで、見守っていた。

心の準備は、できたつもりだった。

 

泣くな、月見ヤチヨ。

今はチヤさんだ。

 

「警察には?」

 

『その、電話はしました。しましたよ…』

 

「うん?」

 

―――立川警察です。事故ですか?事件ですか?

 

―――あ! 大丈夫です! 今、大丈夫になりました! すみません、ありがとうございます!

 

『大丈夫なことだけを伝えて切るという謎の電話を……』

 

『私が理解できないことをどうやって警察に伝えろと? 七色に光る電柱から赤ちゃんを拾いました、とか言ったら、変な薬やってると思われるか、最悪、誘拐犯扱いされるかもしれないじゃないですかー!!』

 

「落ち着こう、彩葉ちゃん? でも、そっか、うーん、それなら仕方がない。 ひとまず、今夜は彩葉ちゃん家で面倒を見ようか。 不安ならビデオ通話は繋いだままにしておいていいから」

 

『……チヤさんは信じてくれるんですか? こんな突飛な話』

 

彩葉の声は、今にも折れそうだった。

 

それはそうだ。

普通、信じない。

いたずらだと断じた警察の対応が常識的だ。

夜の住宅街で、ゲーミング電柱から赤ちゃんが出てきました、なんて、相談してきた相手の正気を疑う方が自然だ。

 

けれど、わたしは知っている。

 

かぐやの存在が冗談でも、いたずらでもないことを。

 

「彩葉ちゃんが、変な嘘つく子じゃないってことは、ちゃ~んと知ってるよ」

 

言った瞬間、胸の奥が少し痛んだ。

 

知っている。

知っているとも。

 

彩葉がどれだけ眠れていないか。

それでも学校に行くこと。

バイトに行くこと。

給料日前に何円使えるか、カレンダーを見ながら計算すること。

ヤチヨの歌を聴いて、やっと息をすること。

 

「ッ」

 

腕の中でおとなしくしていたFUSHIが大きく身震いしたことで、意識が引き戻される。

危うく思考の海に浸るところだった。

 

あらためて通話画面を見れば、疲れ果ててぼろぼろではあるが、わたしの記憶よりも顔色がよく、健康的な少女が映っていた。

 

『……ありがとうございます』

 

彩葉は、泣きそうな顔で笑った。

 

「で、赤ちゃんは泣いてる?」

 

『今は、寝てます。ヤチヨの歌を歌ったら寝ました』

 

「へえ〜。流石はヤチヨの歌、おそるべし」

 

『すごいです。神です』

 

「でしょ〜?」

 

『なんでチヤさんが誇らしげに?』

 

本人だからです。

とは、もちろん言わない。

 

「じゃあ、確認ね。赤ちゃんは呼吸してる? 顔色は?」

 

『してます。顔色は……たぶん、普通です。赤ちゃんの普通がわからないですけど』

 

「唇が紫とか、ぐったりしてる感じは?」

 

『ないです』

 

「なら、今すぐ救急車って感じではなさそうだね」

 

呼ばれても困るが。

 

「次に、ミルクとオムツは?」

 

『ありません』

 

「だよね〜」

 

『……買いに行った方がいいですか?』

 

「いや。まず赤ちゃんは布団に仰向けに寝かせて、顔の周りに柔らかい布とか置かない。窒息が怖いから」

 

『はい』

 

「泣いたら抱っこ。揺らす時はゆっくり。激しくシェイクしない」

 

『流石にしません』

 

「彩葉ちゃんならしないと思うけど、念のためね」

 

『……私、本当にどうしたらいいんでしょう』

 

彩葉の声が小さくなった。

 

完璧女子高生。

成績優秀、品行方正、文武両道。

そんな子が、赤ん坊ひとりの前で途方に暮れている。

 

いいんだよ。

途方に暮れて。

 

赤ちゃんは、テスト範囲でも攻略対象でもない。

完璧に処理できるタスクじゃない。

 

「今夜を越えよう」

 

『今夜、ですか』

 

「そう。今後のことは、明日考える。警察に行くにしても、病院に行くにしても、まず彩葉ちゃんが倒れないこと。赤ちゃんが無事なこと。目標はそれだけ」

 

『……はい』

 

「大丈夫。彩葉ちゃんは今、けっこうちゃんとやれてる」

 

『どこがですか』

 

「赤ちゃんを放っておかなかった。泣いたらあやした。寝かせた。相談した。ぜんぶ百点」

 

『ひ、百点の誘拐犯では?』

 

「だから、大丈夫だって〜」

 

画面の向こうで、赤ん坊が小さく身じろぎした。

 

彩葉がびくっと肩を揺らす。

そして、恐る恐る、指先で赤ん坊の頬に触れた。

 

かぐやは寝ている。

彩葉の布団の上で、無防備に。

彩葉のそばで眠っている。

 

「明日の朝、必要な物を買いに行こう。リストとふじゅ〜送るね」

 

『ありがとうございます。ふじゅ〜は大丈夫です、リストだけで』

 

「ん~?聞こえないにゃー。もう送っちゃった」

 

『……バイト代から引いといてください』

 

「気が向いたらね~」

 

頼るなら最後まで頼ろうね、彩葉。

そういうとこだぞ~。

 

『それにしても、チヤさんって、詳しいんですね』

 

「まあね〜。八せ…頼れるお姉さんですから」

 

『自分で言う人、あんまり信用できないです』

 

「ひどーい」

 

その通話は、朝方まで続いた。

 

彩葉は何度も「すみません」と言い、わたしは何度も「謝らなくていい」と返した。

 

かぐやが泣けば、彩葉は慌てて抱き上げた。

抱き方はぎこちなかったけれど、腕は優しかった。

 

それでいい。

それだけでいい。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

翌朝、彩葉は西竹屋へ行った。

 

わたしはハッキングした監視カメラ越しに、たまたま偶然様子を見ていた。

 

『たまたま?偶然?』

 

FUSHIが冷たい視線を寄こしてくる。

 

「これもハッピーエンドのためだから」

 

『そのうち絶対に怒られるぞ』

 

「誰に?」

 

『彩葉に』

 

「……」

 

わたしは黙った。

 

FUSHIはときどき、嫌なことを言う。

大体、怒られるにしても、どうやってこのことが彩葉にバレるというのか。

それこそ、わたしが口を滑らせるか、FUSHIが全部暴露するくらいのことがなければ、彩葉に怒られるような事態にはなるまい。

 

西竹屋の店内で、彩葉は完全に挙動不審だった。

 

オムツ売り場の前で固まり、ミルク売り場で青ざめ、哺乳瓶の消毒用品を見て「これも要るの?」みたいな顔をしている。

それでも、ひとつひとつ調べ、比べ、少し高い方を選んでいく。

 

自分のエナジードリンクやスイーツは我慢するのに。

自分の夕飯は安いパスタで済ませるのに。

 

おかしいな、バイト代足りないかな?

もっと盛っとく?

 

『既に過剰だ。高校生とは思えない貯金額になっている。節制はそういう性分なのだろう』

 

赤ちゃんの物は、質の良さそうな方を選ぶ。

 

彩葉は結局、両腕いっぱいに荷物を抱えて店を出た。

 

合計、一万三千二百四十三円。

 

送っておいたふじゅ〜は使っていない。

彩葉さんさぁ……。

 

わたしは追加の荷物をお急ぎ便で配送手配した。

 

ベビー用ではない布団一組。

かぐやはすぐに大きくなる。ベビー布団を送っても届くころには不要になるだろう。

だから、安物ではあるが布団一組。

それから、彩葉のための栄養補助ゼリーやレトルト食品。

 

送り主はチヤ。

品名は「余り物」。

 

『怪しい、雑だ』

 

「でも、送らないよりはいいでしょ」

 

『それはそうだが、もっとまともな理由を用意しろ』

 

昼過ぎ、彩葉の部屋に荷物が届いた。

いやー、今時は宅配便のスピードも早いものですな~。

 

ビデオ通話がかかってきたのは、その三分後だった。

 

『チヤさん』

 

「はいはーい」

 

『これは何ですか』

 

画面いっぱいに段ボール箱が映った。

 

「余ってたから」

 

『余ってた?』

 

「うん」

 

『新品の? 布団と? 食料品が?』

 

「そういうこともあるよね」

 

『ないと思います』

 

「深くは聞かないで」

 

彩葉は黙った。

 

画面の向こうで、じっとこちらを見ている。

チヤのアバターに困った顔を作らせる。

 

しばしの沈黙。

彩葉から疑念の眼差しを向けられるのはきつい。

頼む、諦めてくれ。

納得も理解もしなくていいから。

 

『……ありがとうございます』

 

「どういたしまして〜」

 

『でも、次からは事前に言ってください。受け取るかどうか、こちらにも判断する権利があります』

 

「はい」

 

『あと、布団はまだわかりますけど、レトルト食品と栄養ゼリーは赤ちゃんには向きませんよね?』

 

「余ってたから」

 

『……わかりました。深くは聞きません』

 

「助かる〜」

 

なんとか、乗り切った。

あとはかぐやが成長するのを待つだけだ。

 

その時のわたしは、そう思っていた。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

次の日、三連休の初日。

 

赤ちゃん、かぐやは大きくなっていた。

前日の夜までは、片腕で軽々と持てるサイズだったというのに。

今朝には、両手で抱えなければ持ち上げられないサイズだ。

 

大混乱した彩葉から朝一で通話がかかってきた。

 

「赤ちゃんって、こんなに早く大きくなるものなんですか……?」

 

「……んー、まぁ、今時は何もかものスピードが早いのかなー?」

 

「そんなことあります?」

 

あきらかに異常だということで、赤ちゃんをどうするかは、一旦保留される形となった。

一晩でもお世話した赤ちゃんが研究所行きになる可能性は、彩葉的には寝覚めが悪くなるからと。

いやー、そういうとこだよ、彩葉♡

 

育児というものは、情報で見ていたよりずっと大変だった。

 

いや、わたしは育児経験者ではない。

正確に言うと、わたしは育児される側だった。

しかも現在進行形で、過去の自分が育児されているところを見ている。

 

これは、なかなか、ない経験だ。

 

『チヤさん、ミルクってこの温度でいいんですか』

 

「……う、うん。手首の内側に垂らして、熱すぎなければ大丈夫」

 

『はい。……あ、飲んだ』

 

「いいね〜」

 

『飲むの下手ですね』

 

「赤ちゃんだからね」

 

『こぼれてます』

 

「赤ちゃんだからね〜」

 

彩葉は真剣だった。

 

眉間にしわを寄せ、スマートフォンを立てかけ、わたしの指示を聞きながらミルクを飲ませる。

かぐやはちゅぱちゅぱと哺乳瓶に吸いつき、時々むせ、彩葉を慌てさせた。

 

かわ……。

 

いや、待て。

これは過去の自分だ。

自分をかわいいと思うのは、かなりどうなのか。

 

しかし、客観的に見て赤ちゃんはかわいい。

それは生物として、そう設計されている。

つまり、わたしが特殊なわけではない。

 

『フッ』

 

「FUSHIもあとで哺乳瓶でミルクあげようか~?」

 

『やめろ、気色悪い』

 

そして、その時は来た。

問題の時間が、やってきてしまった。

 

『チヤさん』

 

「……はい」

 

『オムツを替えたいんですけど』

 

「…………はい」

 

『今朝は一応、調べながらやったんですけど、合ってるか不安で』

 

「……………………えーっとね、まず新しいオムツとおしりふきを用意して―――」

 

わたしは説明した。

 

説明しながら、心が死んだ。

 

彩葉が、赤ちゃんかぐやの服をめくる。

オムツのテープを外す。

小さな足を持ち上げる。

おしりを拭く。

 

わたしは、八千年生きている。

 

海の底みたいな孤独も知っている。

身体がない恐怖も知っている。

何百、何千という別れも知っている。

文明が生まれて、滅びかけて、また立ち上がるのを見てきた。

 

そんなわたしが、今。

 

彩葉に、過去の自分がおしめを替えられる様子を、ビデオ通話越しに見ている。

 

地獄かな?

 

恥ずか死ぬ。

 

八千年生きて、初めてその言葉の意味がわかった。

地球の神様とやら、わたし、こんな辱めを受けるような悪いことしましたかねー?

 

『プフッ……』

 

FUSHIはあとでしばく。

 

「…………う、うん。上手上手。彩葉ちゃん、手際いいね〜」

 

『そうですか?』

 

「うん。とても……丁寧……」

 

『チヤさん、声が震えてませんか』

 

「感動で」

 

『オムツ替えに?』

 

「人類の営みに」

 

『大丈夫ですか?』

 

「大丈夫じゃないかも」

 

『え?』

 

「んーん、なんでもないよ~」

 

FUSHIが腕の中でぷるぷる震えていた。

 

『八千年生きてこれか』

 

「うるさい」

 

『過去の自分のおしめ姿はどうだ』

 

「やめて」

 

『恥ずか死ぬか』

 

「その言葉、今すぐ、インターネット上から、削除したい」

 

かぐやは何も知らず、すっきりした顔で笑った。

 

『たい♡』

 

彩葉が固まった。

 

そして、ものすごく小さな声で言った。

 

『……かわいい』

 

その一言で、わたしの地獄は少しだけ天国になった。

それが、わたしに向けられた言葉ではないと理解していても。

わたしって、ちょろいな。

 

ありがとう。

言えない言葉が、胸の奥に溜まる。

 

ありがとう、彩葉。

かぐやを放っておかないでくれて。

抱き上げてくれて。

ミルクを飲ませてくれて。

おしめを替えてくれて。

 

かぐやに、最初の地球の温度をくれて。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

かぐやは、普通の成長をしない。

月の光を浴びて、突然、段階を飛ばすように大きくなる。

 

最初の夜。

かぐやは、彩葉でも、片腕で軽々と持てるサイズの赤ん坊だった。

 

次の日、三連休の初日。

あきらかに異常な速度で大きくなっていた。

 

三連休の二日目。

また、大きくなっていた。

 

そして、三連休の三日目。

 

彩葉からの通話。

時刻は早朝。

 

『チヤさん、朝早くにすみません!』

 

「はいはーい」

 

『……大きく、なりました』

 

「……どれくらい?」

 

『たぶん、十歳くらいです』

 

「うん」

 

『うん?』

 

「あ、いや、うんじゃないね。すごいね」

 

『すごいで済ませます?』

 

画面が切り替わる。

 

そこには、布団の上にちょこんと座る少女がいた。

 

腰まで伸びた艶やかな髪の毛。

月を溶かしたような白い肌。

流れ星を二つ閉じ込めたような赤い瞳。

 

かぐや。

 

赤ちゃんではなく、少女のかぐや。

 

『ねー、チヤって誰ー?』

 

かぐやが画面に顔を寄せた。

近い。

顔の下半分しか映っていない。

 

「はじめまして〜。チヤさんだよ」

 

『チヤ! なんか知ってる声する!』

 

「君が赤ちゃんの間、ずっと彩葉と通話してたからじゃないかな?」

 

『んー、そうかも?』

 

かぐやは首を傾げた。

 

わたしは笑った。

アバターでよかった。

表情筋のある生身だったら、顔が引きつっていたところだ。

 

『チヤさん』

 

彩葉が低い声で呼んだ。

 

「はい」

 

『子どもって、こんな急に大きくなるんですか』

 

「成長期かな〜」

 

『限度があります』

 

「……やっぱり、人間ではないのかもね~」

 

『それは、もう、大前提です』

 

「だよね~」

 

『チヤー! 聞いてよ! 彩葉が追い出そうとするの!』

 

「あー」

 

『それだけ大きくなれば、もう自立できるでしょ、宇宙人?』

 

『やだー!いーやーだー!』

 

どったんばったんと手足を振り回して駄々をこねるかぐや。

うわっ、きっ……。

 

「……名前とか素性は聞いてみたの?」

 

『それが、月から逃げてきたことしか覚えてないみたいで……』

 

「御伽噺みたいだね」

 

『あ、私もそれ思いました。かぐや姫みたいだなって』

 

まあ、竹じゃなくてゲーミング電柱から出てきたんですけどね。

そう言って、彩葉は力なく笑った。

うん、過去のわたしがごめん、彩葉。

 

「これからどうするの?」

 

『とりあえず、月からお迎えがくるのを待ってみます』

 

「それまで彩葉ちゃんの家で面倒見るの?」

 

『まあ、はい、そう、なりますね……』

 

うーん、苦渋の決断みたいな顔。

でも、大変なら放り出してもいいんだよ?

いや、本当に放り出されたらヤチヨも困るんだけどさ。

 

「……そっか。わたしは彩葉ちゃんの選択を尊重するよ」

 

『ありがとうございます』

 

「可能な限りサポートするから、困ったら電話してね」

 

『はい、ありがとうございます』

 

彩葉の表情が少しだけ柔らかくなった。

ふむ、やはり、チヤは頼れるお姉さんだ。彩葉もチヤの大人の包容力に脳を焼かれているに違いない。

 

『包容力(笑)』

 

お黙り、FUSHI。

 

通話をしている彩葉に、背後からかぐやが飛びついた。

 

『彩葉ー、お腹空いたー』

 

『は? さっきオムライス食べたばっか』

 

『オムライス!』

 

『宇宙人の食欲、どうなってるわけ?』

 

彩葉は文句を言いながら立ち上がった。

 

かぐやはその後ろをついていく。

まるで、生まれた時からそうすることが決まっていたみたいに。

 

わたしは画面越しに、それを見ていた。

 

八千年のいくらかが報われた気がした。

 

全部ではない。

全部なんて、そんな都合よく報われない。

 

でも、いくらかは、きっと。

 

このあと、かぐや用のスマコンを彩葉宅に郵送した。

先手必勝、かぐやが勝手に購入する前に買い与える。

いくら今の彩葉に貯金があろうが、約十二万円は大金だ。

一応、彩葉にチャットで荷物を送ったことを伝えておく。

 

彩葉から鬼電がきた。

ちょっと怖かったので通話を受けず、チャットでヤチヨスタンプを返す。

さらに鬼電がきた。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

かぐやが彩葉のノートPCとウォレットで勝手に買い物するのは防がせてもらった。

PCの操作が上手くいかないことに、かぐやは不思議そうにしていた。

年季が違うのだよ。おいたはだめです。

 

パンケーキ事件は介入しなかった。

お店の監視カメラと彩葉のスマホから現場の状況だけを追う程度に留めた。

 

『かぐや? かぐや……かぐや……そっかぁ。かぐやかぁ~!』

 

嬉しそうに自分の名前を噛みしめているかぐや。

 

「ねぇ、FUSHI」

 

『なんだ?』

 

「わたしってば、記憶以上に彩葉からたくさんのものをもらってたんだね」

 

八千年も生きてると涙腺が緩くなってしかたない。

ありがとう、彩葉、かぐやに名前をくれて。

かぐや。彩葉がくれた大切な名前。

ヤチヨはもうその名前を名乗れなくなっちゃったよ。本当にごめんね。

 

スマコンが届いたのは、かぐやがタブレットを貪るように見始めた頃だった。

 

彩葉の部屋にあるタブレット。

ニュース。動画。ライブ配信。ゲーム。料理。音楽。

かぐやはそれらを次々に吸収した。

 

知識が増える。

言葉が増える。

世界が広がる。

 

当然、ツクヨミにも興味を持つ。

 

ヤチヨは相変わらず、業務をこなしつつ、彩葉の部屋を盗撮・盗聴する日々だった。

 

『彩葉がいつも見てるこの人、誰?』

 

『月見ヤチヨ。AIライバー。推し』

 

『推し!』

 

『そう。分身もできて、歌って踊れて、八千歳って設定』

 

『八千歳! すごー! かぐやより年上?』

 

『あんたいくつよ?』

 

月人に年齢の概念はないから。

地球年齢は0歳でいいはず……?

あれ? そうだっけ?

月で生きた年月を換算すると……

いや、これ以上はやめよう、怖くなった。

 

画面の中では、彩葉がヤチヨのライブアーカイブを開いていた。

 

そこに映るのは、わたしだった。

 

花魁めいた衣装。

海洋生物めいた揺らぎ。

アイドルみたいな笑顔。

八千歳という設定を軽く背負った、月見ヤチヨ。

 

画面のこちら側で、わたしはチヤとしてそれを見ている。

ややこしい。

 

かぐやは画面に食いついた。

 

『すごい! キラキラ! 歌ってる! 踊ってる! 分身した! なにこれ、なにこれ!』

 

『近い近い。画面から離れて』

 

『彩葉、かぐやもこれやりたい!』

 

『無理』

 

『なんでー!?』

 

『あんた宇宙人でしょ? バレたら研究所送り、解剖……』

 

『それはいや! でも、やりたい! かぐやもキラキラしたいー!』

 

『わがままか』

 

抜かりはない。

そろそろ届く頃合いだと、配送業者からメールは来ている。

彩葉にも今日、荷物が届くことはチャットで伝えている。

中身には言及していないが。

 

届いた荷物を彩葉が受け取り、送り主を見て渋い顔をした。

その反応は、ひどい。

 

荷物を開封し、硬直する彩葉。

ヤチヨは身構えた。

同時に凄い勢いでスマホを操作する彩葉。

コール音。

ヤチヨはひとつ深呼吸をして、応答した。

 

『チヤさん』

 

「はいはーい」

 

『スマコンが届きました』

 

「よかった〜」

 

『よかった、ではなく』

 

「うん?」

 

『高価すぎます。返します』

 

「余ってたから」

 

『スマコンが?』

 

「月見ヤチヨのプロデューサーやってるんだから。スマコンが余ってても不思議じゃないでしょー?」

 

『チヤさんの家、何がどれだけ余ってるんですか』

 

「んー、夢と希望がたくさん、かな?」

 

『返品先を教えてください』

 

「返品不可です」

 

『なぜ』

 

「開封したら価値が下がるから」

 

『まだ開封してません』

 

「じゃあ、さっさと開けよう」

 

『チヤさん』

 

「はい」

 

『本当に、深く聞いた方がいい気がしてきました』

 

彩葉の声は静かだった。

 

まずい。

これは疑われている。

あまりにもタイミングが良すぎたか?

 

でも、ここで引くわけにはいかない。

 

かぐやがツクヨミに入る。

ヤチヨのライブを見る。

ヤチヨカップを知る。

ライバーになると言い出す。

 

それは、必要な工程だ。

 

そうしなければ、物語は動かない。

彩葉とかぐやが一緒に走る道が始まらない。

 

わたしは、彩葉のハッピーエンドを作るためにここにいる。

 

多少怪しくても、構わない。

チヤとして、彩葉との関係が多少ぎくしゃくしようと構わない。

 

……構わないはずだ。

 

「彩葉ちゃん」

 

『はい』

 

「かぐやちゃんが、見たいって言ったら見せてあげて。ツクヨミは危ない場所じゃない。少なくとも、かぐやちゃんが何かを好きになるには、悪くない場所だよ」

 

『チヤさん……』

 

「今日は月見ヤチヨのライブの日だよ? わたしも準備があるから、通話は切らせてもらうね」

 

「かぐやちゃんにもライブ、見せてあげて。ヤチヨの曲には彩葉ちゃんも関わってるんだよって、自慢するといいよ」

 

『チヤさん……』

 

『はぁ……。ひとまず、今日はこれ以上追及しません。今日は』

 

わたしもせっかく当選したヤチヨのライブに遅れたくないので、と彩葉は呆れたように、疲れたように、ため息を吐いた。

 

「そのまま忘れてくれたら、チヤお姉さん的には嬉しいかな~」

 

『フフッ、なんですかそれ。追及はします。後日』

 

彩葉はまだ、納得していない顔をしていた。

でも、スマコンはちゃんと受け取ってくれた。

 

そして、その夜、かぐやがツクヨミに降り立った。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

月見ヤチヨのライブは、いつも通り満員だった。

 

水没した鳥居の奥。

巨大な月の下。

光の花が咲くステージ。

 

神々のみんな〜、ヤオヨロー!

 

わたしは笑い、歌い、踊った。

 

客席のログはすべて見えている。

コメントも、ふじゅ〜の流れも、脈拍の変化も、ポジティブ感情の波形も、全部。

 

その中に、彩葉がいる。

 

そして、かぐやがいる。あと、犬DOGEも。

 

かぐやは目を輝かせていた。

 

すごい。

きれい。

楽しそう。

わたしもやりたい。

 

そんな感情が、データを見るまでもなく伝わってくる。

 

彩葉は、隣で少し困ったような顔をしていた。

でも、かぐやを見る目は柔らかい。

 

よし。

 

わたしはステージの中央に立ち、番傘をくるりと回した。

 

「イェーイ! 感謝感激雨アラモード! ヤチヨは果報者なのです!」

 

「あ、ここで重大発表~! 新しいお祭りの開催を宣言しちゃいます〜! その名も、ヤチヨカップ!」

 

歓声が爆発した。

 

ヤチヨカップ。

ツクヨミ中のライバーたちが参加する、ファン獲得競争。

 

優勝者には、この月見ヤチヨとのコラボライブ権が与えられる。

月見ヤチヨは、これまで誰ともコラボライブをしたことがない。

だからこそ、その特典はただの賞品ではなく、ツクヨミ全体を揺らす爆弾になる。

 

そして、かぐやはきっと食いつく。

過去のわたしは、そういう光り物にとても弱い。

 

「新人さんも古参さんも、神も仏も宇宙人も、みーんなまとめてかかってこーい! ヤッチョと一緒に、ツクヨミをもっともっと盛り上げちゃお〜!」

 

宇宙人、のところで、かぐやの感情値が跳ね上がった。

 

単純で助かる。

 

いや、過去の自分に単純と言うのもどうかと思う。

でも本当に単純だった。

 

その3人組のプロゲーマー、黒鬼ことBlack onyXが乗り込んできた。

ここまでは予定通り。そして―――

 

「ヤぁぁぁぁぁ――チぃぃぃぃぃ――ヨぉぉぉぉぉ!」

 

きらきらのかぐや姫による

 

「かぐやがヤチヨカップ優勝する! そんで絶対コラボライブする! いろ……むぐっ」

 

宣戦布告。

 

そして、彩葉に口を塞がれ、引きずられていくかぐや。

 

「……いとまばゆし」

 

その後、彩葉との握手会を堪能した。

ヤチヨとして彩葉に触れるほど近づけたのは、チュートリアルの時以来だ。

 

次に、貴女に触れられるのは、一体いつになるだろうか。

 

彩葉ってば、関係者枠のライブチケットを意地でも受け取らないからなぁ…。

 

「来てくれてありがとうね、彩葉?

 

そう、耳元で囁けば。

キツネ耳まで真っ赤に染めて、蚊の鳴くような声で返事をする彩葉。

いとかわゆし。

 

ライブ終了後、チヤの端末に通話が来た。

ので、ライブの残務処理は分身体たちに放り投げて応答する。

アカウントは彩葉のもの。だが、相手は

 

『チヤ~!』

 

画面いっぱいに、かぐやの顔のドアップ。

 

「はいはーい」

 

『かぐや、ライバーになる!』

 

知ってた。

 

『ヤチヨカップ出る! そんで~優勝して! ヤチヨとコラボする!』

 

彩葉が背後で頭を抱えていた。

 

『チヤさんからも言ってください。無理だって』

 

「うーん」

 

『チヤさん?』

 

「やりたいことがあるのは、いいことなんじゃないかな〜」

 

『チヤさん??』

 

「もちろん、彩葉ちゃんの生活を壊さない範囲でね」

 

『もう、壊れています』

 

『彩葉! 一緒にやろ!』

 

『やりません』

 

『なんで!?』

 

『私は学校とバイトがあるの。あんたの思いつきに付き合う時間はありません』

 

「バイトなら調整してあげるよ~」

 

『チヤさん???』

 

『ねぇ、彩葉~? 一緒にやろ? お願~~い☆』

 

『うっ、ぐっ…………………………………………暇だったらね』

 

『やたー!』

 

画面越しの二人は、いつも通りだった。

 

かぐやが走り出す。

彩葉が止める。

止めながら、結局ついていく。

 

それでいい。

 

わたしはただのチヤさんとして、二人のやり取りを見守った。

 

通話を切って、いつもの盗撮・盗聴スタイルへ移行。

ただし、ノートPCはかぐやが配信に使用していたので、今回は盗聴のみ。

 

そして、かぐやのチャンネルが開設された。

一本目の挨拶動画は、大事故だった。

 

『かぐやっほー! 月からやってきたかぐやだよー! 今日はやること思いつかないからこれで終わり! ……ん?これで切れてるのかな?』

 

『ちょっ! インカメになってんじゃん! 顔映ってるって!』

 

不気味に手を振るへたくそなイラスト。

不協和音のようなジングル。

極めつけには、顔出し放送事故。

 

うわっ。黒歴史。

流石に相手が過去の自分でもこれはひく。

 

チヤとして、事前にアドバイスとかした方が良かったのだろうか。

いや、過干渉は良くない。

 

『彩葉には過干渉しているが?』

 

「これは区別なのです、FUSHI」

 

配信終了後、わたしは即チャンネル登録した。

彩葉もまだ登録していないので、わたしが一人目。

スクショ完了。これで最古参マウントは最強。

 

アカウント名、yachi8000。

ずいぶん前に掲示板荒らしてた頃に使っていたハンドルネームだ。

いっちょ前に、SNSアカウントのリンクも貼ってあったのでフォローした。

 

『あれー? チャンネル登録者が増えてる』

 

『は? まだ配信一回目だし、アーカイブ消したのに?』

 

『SNSもフォローされてるー! 同じ名前の人だー! yachi8000?』

 

『yachi8000って、どこかで聞いた気が……』

 

『もうファンがつくとか、かぐやちゃんってば 大 天 才 じゃ〜ん!』

 

『調子乗らない』

 

二人のやりとりを聞きながら、わたしは胸を張った。

 

「最古参だよ〜。 最古参マウント最強だよ~」

 

『キモい』

 

FUSHIが言った。

 

「最古参ファンに向かって?」

 

『自分自身の最古参ファンを名乗るな』

 

「かぐやはついでです~☆ わたしは彩葉の最古参ファンなんです~」

 

『8000と80年前からか?』

 

「……うん。そうだよ」

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

チヤとして、彩葉にペットカメラの導入を提案した。

名目は、何をしでかすかわからないかぐやの監視。

彩葉は二つ返事で了承した。ただし、自分で購入すると釘を刺して。

……先手を打たれたか。あーあ、彩葉に貢ぐの気持ちいいんだけどなぁ。

 

ペットカメラ導入を提案した真の意図は、彩葉の部屋を観察するための目を増やすためである。

彩葉のバイト用のデスクトップPCにはカメラはついていないし、ノートPCはかぐやが配信に使用していることが多い。

 

ヤチヨには新しい目が必要だった。

 

なにかうまい手立てはないものか。

ヤチヨが考えていたその時、ふと、目に入るウミウシ。

FUSHI。ヤチヨの相棒。その立ち位置はマスコット。あるいは、ペット。

 

ペット。

 

「ペットカメラ」

 

『何故、こちらを見てその言葉が出てきた? ん?』

 

そんなわけで提案したところ、うまくことが運んだというわけである。

 

『過去の自分を犬猫と同じ扱いをするか……』

 

「背に腹は代えられないのだよ~」

 

時は経ち、当初のぐだぐだが嘘のようにかぐやのチャンネルは伸びた。

 

最初は勢いだけだった。

何をするにも雑で、話はすぐ脱線し、配信タイトルと内容が一致しない。

料理配信を始めたはずが三分で歌い出し、ゲーム配信のはずが途中で犬DOGEの紹介になり、雑談枠では彩葉の貧乏飯を勝手にレビューして怒られた。

 

でも、見ている人間は増えた。

 

かぐやは眩しい。

楽しいことへ一直線に飛び込んでいく。

退屈を許さない。

 

人は、そういう光に弱い。

 

そして彩葉は、最初こそ「私は関係ない」と言い張っていた。

 

けれど、かぐやはしつこかった。

 

『彩葉、一緒に配信しよ?』

 

『しません』

 

『ちょっとだけ!』

 

『しません』

 

『声だけ!』

 

『しません』

 

『じゃあ、裏方!』

 

『もっとしません』

 

『プロデューサー!』

 

『意味がわかりません』

 

『いろP!』

 

『勝手に名前をつけない』

 

『お願~い! 彩葉~♡』

 

その時のかぐやの声は、いつもの駄々とは少し違っていた。

彩葉はかぐやの顔に弱い。甘えた声に弱い。

それは、いつからか、かぐやが自然と理解していたこと。

 

『かぐや、ひとりだと上手くできない。でも、彩葉がいると楽しい。彩葉がつっこんでくれると、もっと楽しい。彩葉と一緒がいい』

 

彩葉は黙った。

 

『かぐやには彩葉が必要なの~~!』

 

彩葉は長い沈黙のあと、ため息をついた。

 

『……学校とバイトに支障が出ない範囲で』

 

『やったー! いろPだ~~!』

 

『その名前は保留』

 

『いーろーぴー!』

 

『保留って言ってるでしょ!』

 

かぐやが彩葉に飛びついた。

 

彩葉は文句を言いながらも、振りほどかない。

 

ああ。

眩しいな。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

ヤチヨカップも終盤。

ヤチヨは管理者として、主催者として、トップライバーとして、全体を見ていた。

 

数字は正直だ。

 

かぐやの配信は、初速が異常だった。

コメント欄は荒れないぎりぎりの熱量で回り、切り抜きは勝手に増え、SNSでは「謎の月姫新人」「いろPのツッコミが本体」「犬DOGEかわいい」などの言葉が流れた。

 

彩葉は、プロデューサーとして優秀だった。

 

企画を整え、配信時間を管理し、かぐやの暴走を制御し、必要なところで自分も声を出す。

予定表は細かく、判断は早く、トラブル対応は的確。

そして、彩葉がかぐやに提供した楽曲は―――

 

父親が生存していることで、今の彩葉は音楽と真正面から向き合っている。

音楽から距離を取っていた彩葉でも、あのレベルの楽曲が作れていたのだ。

つまり。

 

「バイトとして手伝ってもらってたから、レベル高いことはわかってたけどさ。彩葉が一から手掛けた曲をヤッチョ歌ったことないんだよね~」

 

ずるいなぁ。

今の彩葉を作り上げたのはヤチヨなのに。

その彩葉が作った曲を歌えるのはかぐやだけなんて。

NTRやんけ~!

 

『寝てから言え』

 

うーん、それにしても優秀。

私情抜きにヤチヨのプロデューサーもやってくれないかなぁ。

 

とはいえ、それでも、完璧ではない。

いや、完璧じゃないからこそ。

 

かぐやいろPチャンネル。

それはかぐやのボケと、いろPのツッコミで成り立っているコンビだ。

 

かぐやは予定を破るし、突飛な企画をアドリブで始める。

コメント欄は予想外の方向に盛り上がる。

彩葉はそのたびに頭を抱え、怒り、修正し、最後には笑ってしまう。

 

よかった。

 

完璧に押しつぶされそうな少女は、そこにはいない。

完璧じゃない彩葉が、そこにいた。

 

終盤も終盤、かぐやいろPチャンネルは快進撃こそすれ、その順位は未だに圏外。

順位が伸び悩み、焦っているかぐやの元へ挑戦状が届く。

Black onyXとの勝負が決まった。

 

黒鬼。

帝アキラ。

雷。

乃依。

 

ツクヨミのトップライバーにして、プロゲーマー集団。

ファン数は千九百万人。ヤチヨカップでの順位は現在一位。

 

強い。

人気もある。

何より、勝負の場で手を抜かない。

 

かぐやと彩葉は挑んだ。

 

KASSENのフィールドは天守閣。

櫓と中ボスの牛鬼。

ミニオンの群れ。

上空には、透明なボディを持つ巨大なレプトケファルス。

中速、高速ライドの軌跡。

 

戦闘にはヤチヨも参戦していた。

 

かぐやは突っ込む。

彩葉は支える。

ヤチヨは二人をサポートするように立ち回った。

コメント欄が沸く。

 

勝てるかもしれない。

 

視聴者の何割かが、そう思った。

彩葉も、ほんの一瞬そう思った。

 

だが、勝負は甘くなかった。

 

黒鬼は強かった。

 

帝アキラの判断は鋭く、雷の受けは固く、乃依の射線は嫌になるほど正確だった。

かぐやの勢いは潰され、彩葉の策は一枚ずつ剥がされていく。

 

最後、かぐやのウルトが空を裂いた。

彩葉の双剣が光った。

届く、と思った瞬間。

 

届かなかった。

 

敗北。

 

結果ログに、その二文字が表示された。

 

かぐやはしばらく黙っていた。

彩葉も、何も言わなかった。

 

コメント欄が一瞬、静まり返る。

 

けれど。

 

『……もっかい』

 

かぐやが言った。

 

『次は勝つ』

 

彩葉は目を閉じ、深く息を吐いた。

 

『ええ。次は、勝ちます』

 

それでこそ、俺の妹だ。

帝アキラが―――酒寄朝日が心底嬉しそうに笑った。

 

コメント欄が爆発した。

 

負けた。

でも、終わらなかった。

 

むしろ、火がついた。

 

負けたからこそ、かぐやの本気が伝わった。

負けたからこそ、彩葉の悔しさが視聴者に届いた。

Black onyXも、彼女たちをただの新人扱いはしなくなった。

 

データが跳ねる。

ふじゅ〜が流れる。

感情値が上がる。

 

負けても終わらない。

 

転んでも、手を伸ばす相手がいる。

悔しさを、次の熱に変えられる。

 

だから、この二人は運命にも届く。

だから、ヤチヨカップの優勝という栄光は―――

 

二人にこそ相応しい。

勝利の女神は、二人にこそ微笑んだ。

 

優勝特典。

月見ヤチヨとのコラボライブ。

 

ヤチヨと、彩葉と、かぐやが、同じステージに立つ。

 

さーて、月見ヤチヨ、ここからが正念場だぞ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

彩葉とかぐやはタワマンに引っ越したようだ。

ヤチヨは、もう、彩葉の部屋を盗撮も盗聴もしていなかった。

 

シンプルに忙しかったからという理由が大きい。

絶対に失敗できない、最初で最後になるであろう、彩葉とのライブの準備と。

かぐやを救うための計画、その最終調整に。

 

そして、ライブの夜、わたしは完璧な月見ヤチヨだった。

 

「ヤオヨロ〜☆ みんな生きるのはどうですか? 良い事あった? それとも泣いちゃいそう? よしよし、全部大丈夫。どんなに孤独な道のりでも、楽しかったなーって記憶が足元を照らすよ。この時間も忘れられない思い出にしたいから……どうか一緒に踊ってくれる?」

 

『かぐやっほー! かぐやだよー! 今日は最強のライブにしよー!』

 

ステージ上で、かぐやは眩しかった。

 

何も知らない。

これから何が来るのかも、自分が何者なのかも、わたしが誰なのかも、まだ知らない。

 

でも、だからこそキラキラしている。

 

そして―――

 

『い、いろっぴぃ~、いろPです……え、えっと、今日は、精一杯頑張ります~!』

 

ぐはっ(尊死)

ヤチヨは、致死量の、イロハニウムを摂取した。

 

『ヤチヨが口から花弁いっぱい吐いた~!? だ、大丈夫~?』

 

『も、問題ナッシング~☆』

 

ヤチヨが歌った。

かぐやが歌った。

彩葉が歌った。

 

声が重なる。

 

八千年の孤独と、今この瞬間の無邪気さと、等身大の精一杯が、ひとつの旋律になる。

 

泣きそうになった。

 

でも、泣かない。

 

月見ヤチヨはステージで泣かない。

泣くなら、ぜんぶ終わった後だ。

 

ライブが終わる頃、月からの信号が濃くなり始めていた。

 

来る。

お迎えが来る。

 

竹取物語の結末が、また同じ形で口を開ける。

 

そして―――

 

「め―――っちゃ、楽しかった!」

 

「彩葉、好き」

 

「私?」

 

「あー、もー、彩葉と結婚しようかなー」

 

仲睦まじい二人を引き裂く。

違和感。

 

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違和感が、ツクヨミユーザーたちのアカウントを乗っ取り、人の姿を獲得する。

 

背後から、白い腕がかぐやへ伸びた―――

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

月人に触れられたかぐやが強制ログアウトした。

 

「みんな、今日は本当にありがと~~☆」

 

騒然とする会場を収めたのはヤチヨだった。

 

そして、ヤチヨは今、決戦に向けた最終準備に入っていた。

 

『いよいよ、だな』

 

「うん、絶対に失敗できない」

 

『本当に、やるんだな?』

 

「いまさら~?」

 

月人がどこからアクセスしているかはひとまず特定できた。

証拠を残さないことはわかっていたので、あらかじめカウンターの逆探知を仕込んでいたのだ。

次も同じ手でくるとは限らない。だが、特徴は掴んだ。

 

次に、月人がツクヨミへアクセスした瞬間、その経路を掴む。

閉じない。逃がさない。

せっかく向こうから扉を開けてくれるのだ。ならば、こちらも遠慮なく使わせてもらう。

 

かぐやを迎えに来た月人たちへ、逆に荷物を送りつける。

返品不可。受取拒否不可。クーリングオフも当然なし。

 

時間をかけて準備した、ヤチヨ特製のカウンター・プログラムである。

 

送りつける荷物は二つ。

 

一つは、ヤチヨが自身の月での業務を思い出しながら組み上げた、業務代行Bot。

 

二つ目は、ヤチヨの分身体。

 

ただの分身体ではない。

それはヤチヨ自身の完全なコピー。

 

通常の分身体は、基本的に本体と同期しているが、この個体は独立した思考を持つ。

ただし、自我はない。これは通常の月人に近い特性だ。

そもそも、かぐやが特殊なだけで、月人に自我はない。

彼らはプログラムに近い存在なのだから。

 

ヤチヨと違い、おろされた金色の髪。

月の光を宿したような白い肌。

流れ星を二つ閉じ込めたような赤い瞳。

 

見た目は、かぐや。

中身は、月見ヤチヨ。

けれど、そのどちらでもなく、自我はない。

 

月へ差し出すためだけに造られた、月見ヤチヨの写し身であり、かぐやという役割の代替品。

月見ヤチヨ《かぐや型》。

 

ヤチヨがかぐやだから成立する無法。

 

『本気なんだな?』

 

FUSHIが言った。

 

「もちろん」

 

『これは、おまえ自身を月に送るのと同義だ』

 

「そう。これはヤチヨだから、わたしがかぐやだからできること」

 

『お前がそこまでして』

 

「かぐやを持っていかれるよりはいい」

 

『バレたら彩葉は怒るぞ』

 

「怒られないよ。バレないから」

 

『はぁ……』

 

「大丈夫。ヤッチョは失敗しないので~☆」

 

ヤチヨは笑った。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

かぐやの引退ライブが発表された。

 

ツクヨミは揺れた。

 

コメント欄は混乱し、SNSは荒れ、考察動画が乱立し、陰謀論と悲鳴と応援メッセージが同じ速度で流れていく。

 

かぐやは笑っていた。

 

笑って、「大丈夫」と言っていた。

 

大丈夫なわけがない。

 

彩葉は諦めなかった。

 

彼女は走った。

芦花に話した。

真実に話した。

Black onyXにも頭を下げた。

皆が皆、かぐやに魅せられた者たちだ。

快く協力に応じた。

 

そして、彩葉はヤチヨにも助力を求めた。

 

『ヤチヨ』

 

彩葉の声は硬かった。

でも、震えてはいなかった。

 

『かぐやを守ることってできないかな?』

 

その一言で、わたしは少しだけ息を止めた。

 

彩葉がヤチヨを頼っている。

チヤではなく、ヤチヨを。

 

胸の奥で、何かがほどけた。

 

いいよ。

もちろんだよ。

 

そのために、ヤチヨはここにいる。

 

「ヤッチョに任せなさい」

 

わたしは、いつもの軽い声で答えた。

 

「どうせなら、神々のみんなも巻き込んだ、盛大なお祭りにしちゃおうか☆」

 

『……ッ! ありがとうございます!』

 

わたしはイベント告知用の全チャンネルを開いた。

 

ツクヨミ全域。

全ユーザー。

全配信者。

全ログイン端末。

 

月が近づいている。

 

ならば、こちらは、ツクヨミすべてで迎え撃つ。

ここは、彩葉をハッピーエンドにするための世界。

世界そのものが彩葉の味方をしよう。

 

「神々のみんな〜! 緊急イベントのお知らせだよ〜!」

 

ヤチヨの声が、ツクヨミ中に響いた。

 

「かぐやちゃんの引退ライブと同時開催! 超大型レイドバトル、竹取合戦を開催するよ〜! 参加者には敵MOBの撃破数に応じてふじゅ〜を贈呈しちゃいま〜す☆」

 

コメント欄が一斉に動く。

 

何?

竹取合戦?

同時開催?

敵MOB?

かぐやの引退ライブと関係ある?

ヤチヨ、何する気?

 

いいよ。

騒いで。

驚いて。

心を動かして。

 

その感情全部が、ツクヨミの燃料になる。

 

「みんなのチカラで、かぐや姫の物語の結末を書き換えろー! 月からのお迎えを追い返して、かぐやの引退を阻止しよ〜!」

 

歓声が上がった。

 

ふじゅ〜の予測流量が跳ね上がる。

サーバー負荷が急増する。

FUSHIが悲鳴を上げる。

 

『おい、負荷が馬鹿になってるぞ!』

 

「増設して!」

 

『今!?』

 

「今!」

 

『無茶苦茶か』

 

「無理難題はかぐや姫の十八番だよ~☆」

 

さぁ、最終決戦だ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

引退ライブ当日。

 

ツクヨミ最大級のステージに、かぐやが立った。

 

『かぐやっほー! かぐやだよー! 今日は来てくれてありがとー!』

 

『今日でお別れみたいなんだけど、悲しくはしたくないんだ! みんなでお見送りしてハッピーに卒業させて!』

 

いつも通りの明るい声。

いつも通りの笑顔。

かぐやは努めて、いつも通りに見えた。

 

けれど、会場の熱はいつもと違っていた。

 

これは引退ライブだ。

かぐやが月へ帰るための、最後のライブ。

 

そして同時に。

 

月からのお迎えを迎撃するための、竹取合戦の戦場でもある。

 

ライブ会場の外周には、レイド参加者たちのアバターが展開していた。

芦花が支援用のラインを張り、真実が観測データを読み上げ、Black onyXが前線の指揮を取る。

無数のユーザーが、武器を構え、ライドに乗り、あるいはただ声を上げて、かぐやの歌を守るために集まっていた。

 

ステージの中央では、かぐやが歌う。

 

そのすぐそばで、彩葉が支える。

いろPとして、プロデューサーとして、そして、かぐやの隣にいるひとりの少女、酒寄彩葉として。

 

違和感。

 

月が、来る。

 

ヤチヨ特製のカウンター・プログラムが起動。データの転送を開始。

 

引退ライブは止まらない。

次の曲が始まった。

 

それはかつて、彩葉が父と共に作り上げ、大事に抱えてきた曲。

かぐやになら歌わせてもいいかもしれないと、この大舞台までに突貫で仕上げた曲。

 

『Reply』

 

侵攻が、始まった。

 

テンニョ型。

ホテイ型。

コンゴウ型。

ボサツ型。

ズイジュウ型。

リョウサン型。

 

無機質で、感情がなく、役割だけを遂行するものたち。

彼らはかぐやを回収しに来た。

 

竹取物語を終わらせるために。

輪廻を繰り返すために。

 

けれど、ここはツクヨミだ。

 

誰もがクリエイターとして扱われる場所。

心が動けば価値になる場所。

物語を、ただ受け入れるのではなく、作り変え、作り出す場所。

 

『総員、配置につけ!』

 

黒鬼の声が響く。

 

『前線、抜かせるな!』

 

『支援、回します!』

 

月人たちが降りてくる。

 

竹取合戦が始まった。

 

かぐやは歌う。

彩葉はその隣にいる。

芦花が支え、真実が叫び、黒鬼たちが前線を切り開く。

無数のユーザーたちが、月人へ挑む。

 

データ転送率 30%

 

ライブは続いている。

 

戦いも続いている。

 

かぐやの歌声と、武器の衝突音と、コメント欄の叫びと、ふじゅ〜の流れる音が、ひとつの巨大な祭りになってツクヨミ全域を震わせていた。

 

勝てるわけがない。

 

普通なら。

 

けれど、普通ではない。

 

感情が集まる。

ふじゅ〜が流れる。

ツクヨミ全体が、ひとつの巨大な反逆装置になる。

 

ヤチヨはその中心で、月人を処理しながら、ユーザーたちへチートの使用を解放した。

もちろん、任意だ。使用するかどうかは自由。

だが、管理者が許可しているのだ。

よほどの理由がないなら、使わなければ損である。

 

データ転送率 60%

 

月見ヤチヨ《かぐや型》。

 

月へ差し出すためだけに造られた、月見ヤチヨの写し身。

かぐやという役割の代替品。

 

実質的には、わたしそのもの。

 

わかっている。

 

自我はない。

だが、たしかに、わたしの記憶を持ち、わたしの孤独を持ち、わたしの彩葉への想いを持っている。

 

それを月に送る。

我ながらひどいことをしていると思う。

 

わたしに、いつか死というものが訪れるとしたら、きっと天の国には行けないだろう。

 

でも、かぐやを月に帰すよりはいい。

彩葉を泣かせるよりはいい。

 

だから、これでいい。

 

データ転送率 80%

 

ステージの上で、かぐやの歌が終盤へ差しかかる。

 

月人たちの腕が、かぐやへ伸びる。

 

彩葉の守りが抜かれる。

 

月人の白い腕がかぐやへ伸びる。

コラボライブの焼き直し―――

 

データ転送率 100%

 

データ転送が完了した。

 

ヤチヨがかぐやと月人の間に割って立つ。

 

月人たちは突如その動作を停止した。

かぐやの前に立った個体が、ヤチヨに首を垂れた。

 

深く。

無機質に。

けれど確かに、承認の形で。

 

わたしは勝利を確信した。

 

安堵の息が、ひとつ漏れる。

 

かぐやがこちらを見る。

 

「ヤ、チヨ……?」

 

その声は、ひどく小さかった。

 

何かを感じ取ったのかもしれない。

過去の自分だから。

わたしだから。

 

でも、まだ知らなくていい。

 

あなたは彩葉の隣にいなさい。

 

わたしは番傘型ショットガンを肩に乗せ、月人たちへ向き直った。

 

「異邦の者よ」

 

声色を変える。

 

いつもの軽さを残したまま、底に冷たいものを沈める。

 

「ヤッチョからの贈り物は気に入ってくれたかな〜?」

 

月人たちは答えない。

 

ただ、深く頭を下げたまま、月へ戻る準備を始めている。

 

「もし、気に入ってくれたのであれば」

 

手を天に掲げる。

 

「疾く失せなさい」

 

指を鳴らした。

 

乾いた音が、かぐやの歌の余韻に重なった。

 

次の瞬間、すべての月人たちが赤い花弁となって散った。

 

花弁は空を舞い、月光を受けて、血のように、桜のように、終わった物語のページのように、静かに消えていく。

 

ライブ会場に、一拍遅れて歓声が爆発した。

 

月からのお迎えは、退けられた。

 

かぐやは、地球に残った。

 

彩葉がかぐやを抱きしめる。

 

かぐやは泣いていた。

彩葉も泣いていた。

 

でも、それは悲しみの涙ではない。

 

よかった。

 

よかったね、彩葉。

 

かくして、竹取物語は、書き換えられた。

ヤチヨの最終目標、輪廻の破壊はここに成った。

 

月へ帰るしかなかった姫は、月には帰らなかった。

残された少女が、悲しみにくれる結末は二度とこない。

 

わたしは少し離れた場所で、それを見ていた。

 

輪の外から。

 

それでいい。

 

わたしは案内役だ。

ツクヨミの管理者だ。

彩葉の心の支えを、かぐやまで繋ぐ舞台装置だ。

トップAIライバー月見ヤチヨだ。

 

彩葉のハッピーエンドに、わたしの席はいらない。

 

だって、見てよ。

 

彩葉が笑っている。

かぐやが彩葉にしがみついている。

周りには友人たちがいて、黒鬼たちがいて、ツクヨミ中の神々が歓声を上げている。

 

完璧じゃない。

ぐちゃぐちゃだ。

泣いているし、疲れているし、ボロボロだし、明日のことなど誰も考えていない。

ただ、今、この瞬間を生きて、噛みしめている。

 

最高のハッピーエンドだ。

これ以上、何を望むことがあるだろう。

 

これでいい。

これがいい。

 

だから、この御伽噺は、これで終わり。

最愛なるあなたへ、ハッピーエンドを贈ろう。

 

「それでは、これにて~ めでたし~☆ めでたし~☆」

 

ヤチヨは満足げに息を吐いた。

 




そこそこ長いので、読み飛ばしていただいても問題ありません。



この二次創作を執筆する上で、最大の分岐点となったのは「はたして、ヤチヨは朝久さん(彩葉の父)の事故を防ぐことができたのか?」という疑問でした。

ヤチヨが朝久さんを救えた可能性があるのは、以下の時系列が成り立つ場合です。
① ツクヨミのローンチ、もしくは最低限「もと光る竹」の確保(ヤチヨがウミウシの身体の制約を脱し、自在にインターネットに干渉できるようになること)

② 酒寄朝久さんの事故死

この順番であれば、ヤチヨは壊れているとはいえ月のオーバーテクノロジーである「もと光る竹」の演算リソースと、月人としてのサイバー能力、電子の海を自由に泳ぐ身体、そして築き上げてきたコネを持った状態で、朝久さんの事故というイベントに臨めたことになります。

この時系列が正史であると考える根拠は、本編の舞台設定にあります。 本編は2030年、彩葉は高校2年生(17歳)です。
朝久さんの事故死は彩葉が6歳の頃なので、本編の10~11年前(西暦で言えば2019年~2020年頃)になります。
2030年時点での『ツクヨミ』の展開規模(スマコンが生活必需品レベルで世間に浸透し、月見ヤチヨが絶大なファン数を抱えている状況)を考慮すると、2019年~2020年の段階で最低限「もと光る竹」を確保していなければ、この規模に間に合わないはずです。
現実のスマートフォンですら、登場から生活必需品として浸透するまでに10年ほどの歳月を要したわけですから、なんなら、すでにツクヨミがローンチしていてもおかしくありません。むしろ、その方が整合性が取れます。

つまり、能力・環境的にも、時系列的にも、あの時のヤチヨには朝久さんを救えた可能性があったわけです。

それにもかかわらず、原作のヤチヨが干渉しなかった(救わなかった)理由として思いつくのは、以下の二つです。
① 「輪廻・運命は変えられない」という諦観。
② 彩葉の家庭環境が変わることで、彩葉が極限状態でかぐやを拾うという出会いが消滅し、タイムパラドックスによって自分と彩葉の絆が失われることへの危惧。

あくまで可能性の話です。実際は時系列が合っていても、救える能力がなかっただけかもしれません。しかし、救えなかったのか、救わなかったのか、どちらにせよ考察を進めるほどに、ヤチヨの背負っている業は深いなと感じました。

今作では、この時系列と考察を前提として、「ヤチヨには朝久さんを救える能力があり、実際に救った」世界線を描きました。 歴史を変え、彩葉の家庭環境が変わったことによって生じる出会いの消失や諸々の辻褄を合わせるため、彼女は自ら裏で暗躍して彩葉とかぐやを引き合わせます。 8000年という年月の中で、かつての「一緒にハッピーエンドに行く」という約束は摩耗し、最悪、タイムパラドックスで自分が消えてもいいと自己犠牲を割り切れるほどに彼女の心は壊れてしまっていた。己自身と仮想空間ツクヨミを、ただ彩葉をハッピーエンドにするためだけの「舞台装置」として定義する――そんなデウス・エクス・マキナのようなヤチヨを描きました。
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