前回から、時間が空いて申し訳ないです……。
別作品の筆がのっちゃって、そっちに時間を取られすぎました………。
パンケーキ事件の夜。
帰宅すると部屋の中は悲惨な有り様だった。
漁られて、半開きのタンス。
引き出されたまま放置された衣服。
部屋中の扉という扉が開け放たれ、あるいは半開き。
テーブルの上には菓子パンの空袋を放置。
「うわっ」
空き巣にでも入られたのかって状態だ。
そして、キッチンのシンクには積み上げられた洗い物の山。
あきらかに料理をした痕跡。
禁止事項。
四、お腹が空いたら、ストックしてある菓子パンを食べる。
以外は全滅。
すべては自己責任。
こいつを抱え込んだ私の責任。
泣き言を言う資格は、私にはない。
私はげんなりしながらも、かぐやを叱りつけ、片づけの仕方を教えた。
かぐやの料理は美味しかった。
そこは素直に褒めてやれば、ご満悦といった表情でにぱっと笑うかぐや。
先ほど教えた皿洗いをご機嫌でこなしてくれた。
なるほど。
これが、褒めて伸ばす、か。
私は何とも言えないため息をついた。
食後、かぐやが犬DOGEなるデジタルペットを自慢してきた。
ノートPCとタマゴ型の携帯ゲーム機を使ってプログラムしたらしい。
胸を張って、ドヤ顔をしているかぐや。
「はいはい、すごいね」と、その頭をポンポンと叩くように撫でてやる。
むふーっと満足気に息を漏らすかぐや。
私と同い年くらいの体格に育っても中身はこれか。
今日はこの後、ヤチヨのライブがある。
自力でチケットの抽選を勝ち取った、大事なライブだ。
チヤさんは毎回、関係者席を用意すると言ってくれているが、丁重にお断りしている。
私は、ライブのチケットを融通してもらうために、ヤチヨ案件を請け負っているわけではない。
ファンとして、その辺の線引きは絶対だ。
チヤさんから、他のどんな支援を押し切られようとも、これだけは絶対に譲れない。
ヤチヨの配信。ヤチヨのライブ。
その一回一回に、全力で真正面から向き合って、推しの輝きをこの目に焼き付ける。
今日のライブだって。
だからこそ、どうにかしなければ。
ヤチヨのライブで、ツクヨミにアクセスしている間、かぐやを何かに夢中にさせておく必要がある。
今はタブレットで動画を見ているが、それだって興味がいつまで続くか。
「すごい! キラキラ! 歌ってる! 踊ってる! 分身した! なにこれ、なにこれ!」
かぐやはタブレットの画面に食いついていた。
覗き見れば、そこに映っていたのは。
花魁めいた衣装。
海洋生物のような揺らぎ。
アイドルみたいな笑顔。
分身しながら歌い踊る、私の神。
かぐやはヤチヨのアーカイブを見ていた。
画面の中で、ヤチヨが歌っている。
私も何度も見返した、ライブアーカイブだ。
何度も聴いた曲だ。
それでも、流れ始めると目が離せなくなる。
ふーん、わかってるじゃん。宇宙人のくせに。
どうだ?
私の推しはすごかろう?
「彩葉、かぐやもこれやりたい!」
「無理」
即答した。
かぐやが振り返る。
「なんでー!?」
「あなた、宇宙人でしょ。配信なんてやって、バレたら研究所送り……解剖……」
「それはいや!」
「だから無理」
「でも、やりたい! かぐやもキラキラしたいー!」
「わがままか」
かぐやは頬を膨らませた。
けれど、すぐにまたヤチヨのライブへ視線を戻す。
「彩葉は、ヤチヨが好き?」
「うん、好き」
即答だった。
迷う必要すらない。
かぐやは目を丸くしている。
ただ、じっと私を見ている。
「そっか」
かぐやは、にぱっと笑った。
「じゃあ、かぐやもヤチヨ好き!」
「彩葉がヤチヨを好きなら、かぐやもヤチヨが好き!」
単純だ。
あまりにも単純で、純粋な言葉。
その言葉はあまりにも心に響いて。
だめだ、だめだ。また絆されかけている自分がいた。
正気になれ。
そう、自分に言い聞かせて頭を振る。
ピンポーン。
インターホンが鳴った。
その時、私はふと、昼間にチヤさんから届いていたメッセージのことを思い出した。
『今日、荷物届くから受け取ってね〜。中身は開けてからのお楽しみです☆』
メッセージを見てすぐに鬼電をかけたが、チヤさんは通話に出なかった。
代わりに、画面にヤチヨのスタンプが届いた。
ヤチヨが両手を合わせて、かわいく「ごめんにゃ〜」みたいな顔をしているスタンプだった。
くそう。ヤチヨ、かわいい。
結局、チヤさんは電話をとらなかった。
たしかに、荷物を送るときは事前に連絡してくれと言った。
ただ、それは決して、事前にチャットを入れれば、荷物を送っていいということではない。
重要なのは荷物の中身だ。
チヤさんが中身に言及しない。
電話にも出ない。
十中八九、荷物の中身を知られると、私が受け取らないとわかっている類のものだ。
荷物を受け取る。
箱はそれほど大きくない。むしろ小さい。
送り状に記載された品名は、スマートコンタクト端末一式。
私はスマホを取り出し、即座に通話ボタンを押した。
『はいはーい、チヤさんだよ〜』
今度は繋がった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
チヤさん曰く、荷物はかぐや用のスマコンらしい。
かぐや用?
違和感。何かが引っ掛かる。
違う。今気にするべきことは、何のためにかぐやにスマコンを贈ったのかだ。
私も貸与品ではあるが、仕事用兼プライベート用としてスマコンを持っている。
しかし、それは、わたしが仕事としてヤチヨ案件を請け負っているからだ。
あくまで仕事道具としての側面が強い。
ほんのちょっとばかり、プライベートで有効活用させていただいてはいるが。
だが、かぐやは仕事とは無関係。
そんなかぐやに何故スマコンを送る必要があるのか。
『余ってたやつだし、気にしなくていいよ?』
「スマコンが?」
『月見ヤチヨのプロデューサーやってるんだから。スマコンが余ってても不思議じゃないでしょー?』
軽く十二万円はするスマコンが、余っている?
たしかにヤチヨのプロデューサーであれば、ありえないことではないのか?本当に?
いや、だとしても。
「なんで、かぐや用なんですか?」
『うん。そこだよね〜』
「かぐやは、チヤさんの仕事相手じゃないですよね」
『うん』
「関係者でもない」
『うん』
「電柱から出てきた、私の部屋に居候している、傍迷惑な宇宙人です」
「彩葉ー、宇宙人じゃなくて、かぐやだよ?」
「ちょっと黙ってて」
「はーい!」
「私にスマコンを渡すのは、仕事用だと理解できます。でも、かぐやに渡す理由がないですよね」
『彩葉ちゃん』
チヤさんの声が、少しだけ落ち着いたものになった。
『現実世界で、かぐやちゃんを自由にさせるのと、ツクヨミの中で自由にしてもらうの、どっちが安心できる?』
「……」
正論を撃たれた。
しかも、かなり強めのやつを。
なるほど。
そう、くるか。
『かぐやちゃん、外に出たよね』
「……出ました」
『パンケーキ屋さんまで行ったよね』
「……行きました」
『築地出身ってことになったよね』
「……なりました」
『それに、かぐやちゃんって名前までつけちゃって』
「……あれ?」
私は、そこでようやく眉をひそめた。
「私、そこまで話しましたっけ?」
先ほどからずっと、チヤさんとの会話の中に違和感があった。
名前。
かぐや。
かぐやちゃん、という呼び方。
たしかに、パンケーキ事件のことは報告した。
かぐやが勝手に外へ出たこと。
パンケーキ屋まで来てしまったこと。
築地出身ということにして誤魔化したこと。
でも、名前のことまで話しただろうか。
画面の向こうで、チヤさんが一瞬だけ固まった。
ほんの一瞬。
見逃そうと思えば、見逃せるくらいの沈黙。
『……言ってたよ〜? パンケーキ事件の報告、彩葉ちゃん、めちゃくちゃ混乱してて早口だったからね~。覚えてないのも無理ないか~』
「そう、でしたっけ……」
『そうそう。かぐやちゃん、名前をもらってすごく嬉しそうだった、って』
「……」
そこまで言っただろうか。
喉元まで出かかった疑問を、私は飲み込んだ。
今はそれを問い詰める場面ではない。
目の前には、スマコン。
そして、スマコンの箱を眺めながら、目を輝かせているかぐやがいる。
チヤさんに対する小さな違和感は、胸の奥に押し込んだ。
『次はどこまで行くかわからないよね、かぐやちゃん』
「……」
言い返せない。
たしかに、かぐやは目を離すと勝手に外へ出るだろう。
『ツクヨミなら、現実で外を歩き回らせるよりはずっと安全だよ。彩葉ちゃんの目も届くし、スマコンは貸与品だから、わたしの方でログの管理や追跡もできる』
「それは」
『部屋に閉じ込めておくのは無理がある。でも、外で自由にさせるのは危ない。だったら、ツクヨミの世界に夢中になってもらうのが一番じゃないかな?』
「……はい」
『これは、かぐやちゃんのためというより、彩葉ちゃんが安心するための措置です』
その言い方は、ずるい。
たしかに。
かぐやを部屋に閉じ込めておくことなんて、まずできそうにない。
何かあって、大ごとになって、母に知られることが怖い。
チヤさんに迷惑をかけることが怖い。
『それに』
チヤさんの声が、少しだけ柔らかくなった。
『かぐやちゃんが、見たいって言ったら見せてあげてほしい。ツクヨミは、かぐやちゃんが何かに夢中になるには、悪くない場所だと思うな~』
「……」
かぐやが画面の中のヤチヨを見ていた時の顔を思い出した。
すごい。
キラキラ。
かぐやもこれやりたい。
「……貸与品扱い、なんですよね」
『うん。書面いる?』
「いります」
『じゃあ作るね〜。端末は貸与品、決済と契約まわりは彩葉ちゃんの確認なしでは動かないようにしておく。それでどう?』
「最初からそう言ってくれていれば……なんで誤魔化そうとする必要があったんです?」
『彩葉ちゃん、そういうとこ本当に真面目で好き』
「好きとか言わないでください。流されそうになるので」
『流されてくれてもいいんだよ?』
「嫌です」
『今日はヤチヨのライブの日だし、わたしも準備があるから、そろそろ通話は切らせてもらうね』
「はい、わかりました。お仕事、頑張ってください」
『彩葉ちゃんも当選してるんでしょ?』
「……そうですけど」
『かぐやちゃんにもライブ、見せてあげて。ヤチヨの曲には彩葉ちゃんも関わってるんだよって、自慢するといいよ』
「自慢はしません」
『そっか~、残念』
「はぁ……。ひとまず、貸与品ということで納得します。今日はこれ以上追及しません。今日は。私もせっかく当選したヤチヨのライブに遅れたくないので」
『そのまま忘れてくれたら、チヤお姉さん的には嬉しいかな~、なんて……』
「フフッ、なんですかそれ。追及はします。後日」
そう言って、通話は切った。
貸与品。これは貸与品だから。
そう自分に言い聞かせる。
かぐやが横から覗き込む。
「それ、かぐやの?」
「借り物。壊したら弁償だから」
「やったー!」
かぐやは目を輝かせている。
まるで、新しいおもちゃを見つけた子どもみたいに。
ツクヨミの中で自由にさせる方がマシ。
チヤさんの言い分は、たぶん正しい。
正しいのに。
胸の奥に残った小さな棘だけは、取れなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
かぐやにスマコンを装着させるのは、想像の五倍大変だった。
「ヴェ⁉ 目に入れるの!?」
「そう」
「痛くない?」
「ちゃんとやれば痛くない」
「ちゃんとって?」
「動かないこと」
「動かないって難しい!」
わかる。
最初は私も怖かった。
とはいえ、ここで失敗して目に傷でもつけたら最悪だ。
私は手を洗い、説明書を開き、チヤさんから送られてきた設定メモを確認し、かぐやを椅子に座らせた。
「目、開けて」
「開けてる!」
「もっと」
「これ以上はかぐやの目がこぼれちゃう!」
「怖いこと言うな! 想像しちゃったでしょうが!」
何度か失敗して、かぐやが「ひゃあっ」と飛び上がり、そのたびに私が心臓を縮める。
そんなやり取りを経て、ようやくスマコンはかぐやの瞳に収まった。
「……どう?」
「んー」
かぐやはぱちぱちと瞬きをした。
次の瞬間、赤い瞳がまん丸になる。
「わっ」
現実の部屋に、薄い光のウィンドウが浮かび上がっているはずだ。
初期設定の案内。
視線操作のチュートリアル。
「すごい! なんか、浮いてる! 彩葉、字が浮いてる!」
「そういうものだから」
「触れる?」
「視線で選ぶ。手では触れない」
「見たら動くの?」
かぐやは、案内表示を追いかけて首を振る。
右へ。
左へ。
上へ。
下へ。
「首ごと動かさなくていい。目だけ」
「目だけって難しいー」
初期設定の途中で、かぐやが作った犬DOGEも連携された。
謎のデジタルペットが、ドット絵みたいな足取りでぴこぴこ歩いている。
「どういう仕組みで連携できてるんだろう……」
深く考えるのはやめておいた。
私は自分のスマコンを装着し、先にツクヨミへログインした。
慣れた感覚。
目を閉じる。
意識が落ちるのではなく、奥へ滑る。
現実の床が遠ざかり、代わりに仮想の足場が現れる。
ツクヨミ。
水面のように光る空。
どこまでも広がる和風ファンタジーとサイバーパンクの街並み。
鳥居。階段。提灯。電脳の川。
永遠に夜が続いているみたいなのに、暗くはない。
むしろ、どこもかしこも光っている。
見慣れているはずの景色が、今日は少し違って見えた。
私は待ち合わせ場所に指定された小さな鳥居の前で、かぐやを待った。
一〇分ほど経っただろうか。
遅い。
チュートリアルにてこずっているのだろうか。
そういえば、私もチュートリアルの時はヤチヨに着せ替え人形みたいにされたっけ。
中々、決めれずにいた私を気遣って、色々と手伝ってもらった覚えがある。
懐かしいな。
推しのご尊顔を至近距離で拝みすぎて、途中から半分意識飛んでたけど。
―――はーい、じゃあ、次はこっち着てみようね~? 今の衣装は脱ぎ脱ぎしようか~? ほ〜ら、バンザーイして〜☆ ハァハァッ イロハ イトカワユシッ
うっ、なんだ? 頭が……ッ。
今、なにか思い出しそうに……。
気のせいか。
「……かぐや、大丈夫かな」
そう呟いた瞬間。
空中に、小さな転送陣のような光が浮かんだ。
光が弾ける。
その中から、かぐやが飛び出してきた。
「わっ」
かぐやは勢いよくこちらへ一歩を踏み出し――
「わ、わ、わっ!?」
ずべしゃ。
見事に前のめりに転んだ。
ツクヨミ内なので痛みはないはずだが、あまりにも綺麗な転び方だった。
「……大丈夫?」
「だいじょうぶ!」
かぐやは顔を上げた。
本当に大丈夫そうな顔で笑っている。
私は、少しだけ肩の力を抜いた。
「初ログインあるあるだね」
「あるあるなの!?」
「わりとあるって聞く。 私はやらかさなかったけど」
私の時はヤチヨが手を引いてくれたし。
そう言いながら、私はようやく、かぐやの姿をまともに見た。
そして、一瞬、言葉を失った。
金色の髪はきらきらしていて、光を浴びるたびに月みたいに輝いている。
頭には、月の髪飾り。
衣装は朱色と若草色を合わせた、和風なのにどこかポップなコーデ。
背中には巨大な水引みたいな飾りが揺れていて、全体的にめでたい雰囲気。
さらに、頭の横からはうさぎの長い垂れ耳が垂れていた。
足元は、うさぎモチーフのスニーカー。
現実のかぐやより、ギャルっぽい。
チヤさんとは、ちょっと系統の違うギャルだ。
でも、変に浮いてはいない。
むしろ、似合いすぎていた。
月から来たと言い張る少女。
竹取物語の結末に喧嘩を売った、わがままな姫。
その全部が、妙な説得力を持って、ひとつのアバターに収まっている。
「……何その、おめでたい格好」
「おめでたい?」
「かなりおめでたい」
「かわいい?」
「かわいい」
即答してしまった。
かぐやの顔がぱあっと明るくなる。
「やったー!」
かぐやの足元に、見覚えのあるドット絵みたいな何かが、ぴこぴこと現れた。
犬DOGEだった。
かぐやの作った謎のデジタルペットは、当然のようにツクヨミにもついてきていた。
かぐやの足元で尻尾らしきものを振っている姿は、妙に馴染んでいた。
かぐやが周囲を見回して。
そして、固まった。
「……」
口を半開きにして、常夜の街並みを見上げている。
瞬きも忘れている。
鳥居。
水面。
提灯。
空を走る光の線。
浮かぶ建物。
行き交うアバターたち。
現実にはないものばかりが、当たり前みたいな顔でそこにある。
「すごい。すごいすごいすごい! 彩葉! おもしろそうなもんが死ぬほどある!」
その瞳がきらきらしていた。
ああ、と思った。
これは、現実の外出とは違う。
迷子になってもログアウトすればいいし。
何かあればチヤさんに相談できる。
なにより。
かぐやが、こんな顔をする場所だ。
「……結果的には、よかったのかもしれない」
小さく呟いた言葉は、幸い、かぐやには聞こえなかった。
その後、FUSHIからふじゅ〜の説明を受けた。
かぐやは、ログインボーナスでもらったふじゅ~で、さっそく月とうさぎを模した巨大パフェを購入していた。
無駄遣い。
かぐやは目を輝かせ、スプーンを握った。
そして、ぱくりと食べた。
一秒。
二秒。
三秒。
かぐやの顔から、期待がすうっと抜けていった。
「……味しーなーいー!」
「味覚未実装だからね」
「こんなにかわいいのに! こんなにおいしそうなのに! 味がないの、ひどい!」
「見た目は楽しめるから」
「味もほしい!」
わかる。
それは、まあ、わかる。
かぐやはしばらく不満そうにパフェをつついていたが、見た目の派手さには勝てなかったらしく、途中から楽しそうに飾りを崩し始めた。
その時、視界の端に通知が浮かんだ。
月見ヤチヨ、ミニライブ開始まであと十分。
「まずい」
私は立ち上がった。
「かぐや、行くよ」
「どこ?」
「ヤチヨのミニライブ」
「ヤチヨ!」
反応が早い。
「キラキラの人! 神!」
「そう」
「ヤチヨは人生!」
「そう!」
意図したものではなかったが、英才教育の成果が出ている。
タブレットでヤチヨのアーカイブを見せ続けた甲斐があった。
あとは、かぐやが勝手に沼に沈んでいくのを待つだけ。
私はかぐやの手を引いた。
かぐやの背中の巨大な水引がふわりと揺れる。
かぐやは楽しそうに笑った。
私たちは、常夜の街を走り出した。
月見ヤチヨのミニライブ会場へ向かって。
◇◇◇◇◇◇◇◇
結論から言うと、ヤチヨのライブは神だった。
それはもう、当然のように神だった。
というかヤチヨが神だった。
開演前のざわめき。
空間全体を包む高揚。
浮かび上がる巨大なステージ。
水面のように波打つ床。
観客席のアバターたちが持つライトの海。
ツクヨミの空気が、開演の瞬間を待って震えている。
私は、開演五分前の時点でだいぶ危なかった。
隣でかぐやがきょろきょろしている。
さらにその足元では、犬DOGEが、ピコピコとした足取りで周囲を見回していた。
「人、多い!」
「当然でしょ、ヤチヨのライブなんだから」
本当は、黙って集中したかった。
でも、かぐやが隣で目を輝かせているせいで、意識の半分がそちらに引っ張られる。
不思議だった。
いつもなら、ライブ前の私は一人で完結している。
期待と緊張と祈りを抱えて、ステージだけを見る。
ヤチヨだけを見る。
でも今日は、かぐやがいる。
この子が初めてヤチヨを見る瞬間を、私は隣で見ることになる。
それが、少しだけ嬉しいと思ってしまった。
照明が落ちた。
空気が変わる。
歓声が、波のように膨らんだ。
そして、月見ヤチヨが現れた。
「――っ」
息が止まる。
いや、一瞬だけ心臓止まったかもしれない。
何度見ても、何度聴いても、慣れない。
画面越しでも、アーカイブでも、ライブでも、ヤチヨはいつも私の心を一瞬で掴んでくる。
青みを帯びた光。
海の底のような静けさ。
そこから花が開くみたいに、ヤチヨの声が広がった。
最初の一音で、会場の温度が変わる。
歌詞は知っている。
何度も聴いた。数えきれないほど。
勉強の前にも、仕事の前にも、眠れない夜にも。
それなのに、今この場で聴く歌は、また違う。
知っている曲なのに、私が手を加えた曲もあるのに、すべてが初めて聴く曲のように心を揺さぶる。
隣で、かぐやが黙っていた。
あれだけ騒がしかったかぐやが、ただ黙ってステージを見つめている。
赤い瞳に、ライトの海が映っている。
口元が少し開いている。
まるで瞬きを忘れてしまったように。
一瞬すら見逃すものかと言わんばかりに。
ああ、嵌ったな。
そう思った。
こんな風に、他人が何かにハマる瞬間を目撃したのは、もしかしたら初めてかもしれない。
それだけで、かぐやをここに連れてきた甲斐があったというものだ。
どうだ、私の信奉する神様はすごかろう。
やはり、布教とはいいものだ。
曲が終わる。
拍手と歓声が爆発する。
ヤチヨが笑顔で手を振る。
その動きひとつで、また会場が揺れる。
ちょっと待って。
今絶対に目が合ったし、私に微笑んだ。
最高かよ。
危うく気を失うところだった。
「彩葉」
かぐやが、私の袖を引いた。
「なに?」
「ここにきてよかった」
「……うん」
ライブは、そこからさらに加速した。
ヤチヨは歌い、踊り、分身し、観客を巻き込み、会場全体をひとつの巨大な生き物みたいに動かしていく。
私はといえば何度も感情の限界を迎え、そのたびに何とか持ち直していた。
推し活とは、己の限界を更新し続ける競技なのかもしれない。
ライブの終盤。
予定されていたすべてのライブパフォーマンスを終えたヤチヨ。
いつもより、悪戯っぽい笑みを浮かべて、人差し指を天に掲げた。
『ここで重大発表~! お祭りの開催を宣言しちゃいます〜! その名も、ヤチヨカップ!』
会場の空気が変わる。
大型モニターに、月と竹と花火を合わせたようなロゴが浮かび上がった。
ヤチヨカップ。
「ヤチヨ、カップ?」
かぐやが首を傾げる。
説明が続く。
ツクヨミ内のライバーを対象にした、一ヶ月間のファン獲得競争。
もっとも多く新規ファンを獲得したライバーが優勝。
優勝者には――
「ヤチヨとのコラボライブ権⁉」
思わず叫んでしまい、慌てて手で口を押さえた。
ヤチヨと同じステージで。
歌って、踊れる。
一緒にライブを作れる。
そんなもの、全ライバーが喉から手が出るほど欲しい権利に決まっている。
いや、ライバーでなくても欲しい。
私だって欲しい。
いや、私は既に裏方として関わってはいるけれど。
でも、ヤチヨのステージに関われるなんて、そんなの――
「彩葉」
「なに」
「かぐや、ヤチヨカップ出る!」
「……はい?」
かぐやは、ステージを見ていた。
ヤチヨを見ていた。
会場を見ていた。
目が、きらきらしている。
「ライバーになる! ヤチヨとコラボライブする!」
「待って。落ち着いて。ライバー活動って、そんな簡単なものじゃないから」
「簡単じゃなくてもやる!」
かぐやと目が合う。気圧された。
「だって、ヤチヨと歌いたい!」
本気の目だった。
その時、会場の別方向で大きな歓声が上がった。
Black onyX。
ツクヨミでも圧倒的な人気を誇るプロゲーマーユニット。配信者としても桁違いの知名度を持つ三人組。
黒鬼たちは、当然のようにスポットライトを浴び、当然のように会場の注目をさらっていく。
圧倒的な実績。
圧倒的な知名度。
圧倒的な人気。
彼らがヤチヨカップに出るなら、優勝候補は決まったようなものだ。
会場の空気も、ほとんどそう言っていた。
「……一応聞くけど、あれに勝つ気?」
「勝つ!」
「どうやって?」
「それはこれから考える!」
そういって、かぐやは何やらそわそわし始めた。
なんだ、何をやらかす気だ。
私はすぐにかぐやを押さえられるように身構える。
Black onyXのリーダーらしき黒鬼が、勝利宣言めいたパフォーマンスをしている。
観客が沸く。会場全体が、もう彼らの優勝を前提に盛り上がっている。
その空気に、納得がいかないと、たった一人、かぐやだけが大声を張り上げた。
「ヤぁぁぁぁぁ――チぃぃぃぃぃ――ヨぉぉぉぉぉ!」
「ちょっ」
かぐやが叫んだ。
私は慌てて口を塞ごうとした。
遅かった。
「かぐやがヤチヨカップ優勝する! そんで、絶対コラボライブする! いろ……むぐっ」
言った。
言ってしまった。
会場の近くにいたアバターたちが一斉にこちらを見る。
Black onyXも見る。
そして、ステージ上のヤチヨが、こちらを見た。
終わった。
「かぐや……!」
「むぐっ」
かぐやは、口を塞がれたまま、にこにこしている。
なぜ笑っていられるのか。
その月人の心臓はオリハルコン製なのか?
ヤチヨが、ステージの上で楽しそうに手を振った。
『おっ、挑戦者現る〜? いいねいいね〜。 せっかくのお祭りはこうでなくっちゃ〜! 無理無茶無謀なんて言葉を鼻で笑い飛ばして挑戦あるのみ!楽しいこと面白いことが大好きな神々のみんなのためのイベント! それがヤチヨカップだからね〜☆』
「……っ」
やばっ、推しとほんとに目が合った!
って、喜んでる場合じゃない!
どうすんのよ、この空気!
かぐやは私の手を引き剥がし、胸を張った。
「かぐやがヤチヨとライブする!」
『うんうん、その心意気やヨシ! 楽しみにしてるよ〜☆』
かぐやの顔がぱあっと輝いた。
まるで、月明かりを浴びた花みたいに。
私は、その横顔を見て、この暴走特急はもう止まらないことを悟った。
チヤさん、状況悪化してないですか、これ?
◇◇◇◇◇◇◇◇
ライブ終了後。
私は、現実のちゃぶ台の前で頭を抱えていた。
かぐやは私のノートPCとにらめっこしていた。
「ライバー、なりかた、検索」
「ほんとにやるのね……」
「当然!」
「私、ライバーのこと聞かれても詳しくないわよ」
「なら、チヤに聞くー!」
「やめい」
遅かった。
かぐやはもう通話ボタンを押していた。
しかも私のスマホで。
待て、こいつ、どうやってロックを解除した?
怖い。
『はいはーい』
ビデオ通話にしていたのか、画面いっぱいに、チヤさんの顔が映った。
ヤチヨのライブ直後でまだ忙しいはずなのに、普通に出た。
「チヤ~!」
『はーい、チヤさんだよ〜』
「かぐや、ライバーになる!」
あまり驚いていないのか。
チヤさんの表情は、いつも通りだった。
「ヤチヨカップ出る! そんで、優勝して! ヤチヨとコラボする!」
私は背後で頭を抱えた。
「チヤさんからも言ってください。無理だって」
『うーん』
「チヤさん?」
『やりたいことがあるのは、いいことなんじゃないかな〜』
「チヤさん??」
『もちろん、彩葉ちゃんの生活を壊さないことは大前提でね』
「もう、壊れています」
「じゃあ、彩葉も一緒にやろ!」
「なにが、じゃあ、なの? やりません」
「なんで!?」
「私は学校とバイトがあるの」
『バイトなら調整してあげるよ~』
「チヤさん???」
おかしい。チヤさんはこちらの味方ではないのか?
どうして、かぐや側についてるんですかね?
お願いですから、止める側に回ってください!
「ねぇ、彩葉~? 一緒にやろ? お願~~い☆」
「うっ、ぐっ……」
かぐやが私の視界へ滑り込んでくる。
上目遣いで、赤く綺麗な瞳は潤んでいた。
両の手を胸の前で祈るように組み、浅く首を傾げた。
そんな顔で見るな。
というか、どこで覚えてきた?
そんな露骨極まりないおねだりに、私が屈すると思っているなら、浅はかな考えという他ない。
「………………………………やりません」
『惜しいか』
チヤさん????
「えー!」
画面の向こうで、チヤさんがにこにこしている。
『仲良しで眩しいね~、青春だね〜』
「他人事みたいに。チヤさんにも責任の一端あるんですからね?」
『うんうん、そうだね。 じゃあ、機材とか融通する?』
「私の胃に穴をあけたいと?」
チヤさんは笑って誤魔化していた。
通話を切ったあと、私はテーブルに突っ伏した。
「今日はもう寝る」
「えー!」
かぐやは不満そうに頬を膨らませた。
その顔を見て、私は思った。
時間を見つけて、ちゃんと話し合おう。
きちんと理屈を立てて、現実を説明して、無理なものは無理だと納得させよう。
そして、チヤさんにも「あの話はなかったことになりました」と連絡を入れるのだ。
そう、思っていた。
「かぐやっほー! 月からやってきたかぐやだよー! 今日はやること思いつかないからこれで終わり! ……ん?これで切れてるのかな?」
「ちょっ! インカメになってんじゃん! 顔映ってるって!」
少し目を離したら、かぐやがとんでもないことをやらかした。
かぐやが私のノートPCで勝手に配信をしたのだ。
そして、配信一発目で顔出しという特大のやらかしをしでかした。
不気味に手を振るへたくそなイラスト。
不協和音のようなジングル。
こんなものいつの間に用意したんだ?
というか——
「私、ライバーになる許可出してないわよね?」
「それは……えへへ~」
「笑って誤魔化すな」
ダメなところ、チヤさんに似てきてないか、こいつ?
「まったく。まずはネットリテラシーってもんを」
「あれ?」
「おい、まだ話は終わってない」
「チャンネル登録者一人増えてるー!」
「は?」
まだ配信は一回のみ。
しかも、配信のアーカイブは消したから、チャンネルにコンテンツなんてない。
配信を見ていた人物だろうか。
かぐやの顔に釣られたか?
だとしたらロクなやつじゃないな。
「SNSもフォローされてるー! 同じ名前の人だー! yachi8000? フォロバしとこ」
yachi8000?
なんだろう、どこかで聞いたことがあるような?
「もうファンがつくとか、かぐやちゃんってば 大 天 才 じゃ〜ん!」
「調子乗らない」
◇◇◇◇◇◇◇◇
チヤさんからの提案でペットカメラを導入した。
これなら外にいても、かぐやの様子を監視できる。実に画期的だ。
かぐやのことをペット扱いするチヤさんに少し笑ってしまったことは内緒。
案の定、チヤさんに貢がれそうになったので、丁寧に釘を刺しておいた。
「ライバー活動はしません」
私はフローリングに敷いたクッションの上に正座し、かぐやに宣言した。
「する!」
かぐやも正座している。
まったく、姿勢だけはいい。
「まずは、勢いで配信して事故ったことを反省なさい」
「でも、勢い大事だよ!」
「大事な時もあるけど、これは違う。いい?ライバー活動っていうのは、企画、撮影、編集、配信環境、アバター、権利関係、収益管理、炎上対策、とにかく色々と考えることが多いの」
「へぇー、彩葉、詳しい!」
「まあ、仕事柄ね」
ヤチヨ関係の裏方仕事をしている以上、配信周りのことは多少わかるつもりだ。
それに、友人にライバーがいることもあって、前に言ったように詳しい、とまでは言えないが知識はある方だ。
だからこそ、軽々しく始めていいものではないとわかる。
まして、かぐやは宇宙人だ。
地球に身元がない。
そして、地球の常識もない。
「それに、私は学校がある。仕事もある。あなたの面倒も見ている。これ以上、予定を増やせません」
「むずかしいことは、かぐやがやるよ?」
「できるの?」
「たぶん。やればできるって!」
「不安とかないのか。強心臓め」
スマホが鳴った。
チヤさんからのメッセージだった。
チヤ:月人でもわかる!ライバーのなり方!
添付されていたPDFを開く。
本人確認。
アカウント管理。
収益化。
配信規約。
未成年者向けの安全設定。
事故対応マニュアル。
炎上時の初動。
そこには、ライバー活動開始に必要な手続きや注意事項、果ては最低限揃えておいた方がいい機材まで事細かに書かれていた。
内容は非常にわかりやすい。
少しお固い文章も、デフォルメされたヤチヨの小窓解説で中和されている。
「チヤさん?????」
ちょっと、誰の味方なんですかあなた!
◇◇◇◇◇◇◇◇
チヤさんを味方につけたかぐやは、結局ライバーとして活動を開始した。
そして、私は日常生活の合間を縫って、その活動を監視することとなってしまった。
かぐやの初めて?の配信。
放送事故はノーカン。
初めての配信は、ツクヨミ散歩配信に決まった。
話し合いの結果、下手に2Dモデルやらイラストを用意するよりも、まずはツクヨミ内の配信機能を活用することにしたのだ。
かぐやは最初、地味だの、キラキラがどうだ、ぶつくさ文句をこぼしていた。
しかし、それも配信が始まるまでのこと。
一度始まってしまえば、実に楽しそうなことこの上ないと表情が物語っている。
配信は、まずまずの出来といったところだった。
いや、盛り上がらなかったわけではない。
ヤチヨのライブで注目を浴びたせいか、始めたてにしては視聴者も獲得していた。
『かぐやっほー! かぐやだよー! 最初ってなに話せばいいの?』
「私に振るな。いないものとして扱って」
私は配信画面の外から叫んだ。
コメントが流れる。
《新人さん?》
《声かわいい》
《ヤチヨのライブで宣戦布告した子だ》
《いま裏でツッコんだ人だれ?》
《裏方さん?》
《保護者?》
「保護者じゃ……ないこともない、けど」
《反応した》
《保護者さん反応した》
《ツッコミの人いるじゃん》
「拾わないで!」
かぐやは楽しそうに笑っている。
初配信の緊張など、かけらもない。
むしろ私の方が緊張で胃を押さえていた。
「かぐやは、月……じゃなくて、えっと、築地」
「設定!」
「設定から来ました!」
違う!違う、そうじゃない!
ライバーとしての設定なら月出身と公言してもいいって意味!むしろ、築地の方がまずい。
《設定から来た女》
《設定出身とは?》
《築地って言わなかったか?》
《どういうキャラ作りだよ》
《裏方さんの胃が死んでそう》
死んでいます。
かなり死んでいます。
かぐやは、ツクヨミの街を歩く。
歩くだけで騒ぐ。
鳥居を見て騒ぐ。
水面を見て騒ぐ。
通りすがりのアバターに手を振り、相手が振り返すと全力で喜ぶ。
「すごい! みんな見える! みんな動いてる! みんな生きてるみたい!」
《反応が新鮮すぎる》
《なんか、初めてツクヨミにインしたときのこと思い出すわ》
《かわいい》
《保護者さん大変そう》
《迷子紐つけて》
つけられるならつけたい。本当に。
途中、かぐやが橋の欄干に登ろうとしたので、私は強制的に配信画面へ割り込んだ。
「危ないでしょ!」
『わっ、彩葉出た!』
「出たじゃない。降りなさい」
『はーい!』
《ママじゃん》
《保護者枠》
《このコンビ好き》
《ママ強い》
「ママじゃない!」
叫んだ瞬間、コメント欄がさらに加速した。
失敗した。これは反応しちゃいけないやつだった。
かぐやは終始楽しそうだった。
何を見ても笑う。
何を聞いても驚く。
コメントが流れるだけで喜ぶ。
自分に向けられた言葉を、ひとつひとつ宝物みたいに拾い上げる。
その姿を見ていると、胃が痛いのに、少しだけ胸が温かくなった。
配信終了後、私は現実世界で机に突っ伏した。
「疲れた……」
「楽しかった!」
「それはようござんした……」
「コメント、いっぱい来た!」
「そうだね」
「みんな、かぐやのこと見てくれた!」
「そうだね」
かぐやは、まだ興奮している。
スマコンを外した後も、現実の部屋で跳ねている。
「次はヤチヨみたいに歌う!」
「機材とか、権利関係とかあるから、すぐには無理」
「ゲームもする!」
「うちにゲーム機はありません。ツクヨミ内で我慢しなさい」
「料理もする!」
「リアル配信はなし」
「じゃあ、ツクヨミ内で我慢するー!」
「ツクヨミ、味覚ないけど」
「あっ」
そうだった、と思いっきり顔に書いてある。
その顔がなんだかおもしろくて、私は笑ってしまった。
疲れすぎていたせいかもしれない。
でも、笑ってしまった。
かぐやも、それを見て笑った。
「彩葉が笑ったー!」
「笑ってない」
「笑ってたよー!」
「うるさい」
私はスマホを確認した。
チヤさんからメッセージが来ている。
『初配信お疲れさま。彩葉ちゃんもいい仕事してますね~☆』
「……いい仕事ではないです」
そう呟きながら、私は配信アナリティクスを開いた。
同時接続数。
コメント数。
フォロワー増加数。
数字は、まだ小さい。
ヤチヨカップ優勝なんて、夢のまた夢だ。
Black onyXどころか、名のある中堅ライバーにも遠く及ばない。
けれど、ゼロではない。
かぐやの最初の一歩が、数字になって残っている。
「彩葉、次なにする?」
「……だから、次がある前提で話さない」
かぐやは、迷いなく、真っ直ぐに私を見てくる。
まったく。本当に、どうしてこの子は。
私は大きく息を吐き、ノートPCを開いた。
「まず、今日の反省会。次に、アーカイブを編集して、切り抜き作って、チャンネルに投稿、SNSで宣伝。それから、次回の配信スケジュールを……」
そこまで言って、自分で止まった。
待て。私は何を言っている。
「……次回の配信スケジュール!」
「違っ! 今のなし!」
「彩葉、一緒にやろ?」
「……」
かぐやの声が、少しだけ変わった。
さっきまでの勢い任せのわがままとは違う。
少しだけ、不安そうで。
でも、まっすぐで。
「かぐや、ひとりだと上手くできない。でも、彩葉がいると楽しい。彩葉がつっこんでくれると、もっと楽しい」
「……」
「彩葉と一緒がいい」
そんな顔で、そんな声で言わないでほしい。
「かぐやには彩葉が必要なの~~!」
だ、か、ら!
そんな露骨極まりないおねだりに私が屈すると思っているなら、それは浅はかな考えという他——
「………………………………………………………………………………………………学校とバイトに支障が出ない範囲で」
「やったー!」
は? 私、今何て言った?
今、実質オッケーしなかったか、私?
「……配信には出ないからね。チャンネルの運営を手伝ったり、方針に口出すだけ」
「それって、チヤがやってるプロデューサーみたいな?」
「……まあ、近くはあるけど」
口に出した瞬間、変な感じがした。
プロデューサー。
裏方。
誰かの活動を支える人。
私はこれまで、ヤチヨの裏方仕事を少しだけ手伝ってきた。
でも、それはあくまで切り分けられた作業だった。
採譜。データ整理。簡単な編曲補助。
私自身が誰かをプロデュースした経験はない。
ずぶの素人だ。
だから、そんな期待に満ちた眼差しを向けないでほしい。
……苦渋の決断になるが、最悪、チヤさんに教えを請うか。
「じゃあ、いろPだ!」
「いろP言うな!」
かぐやは楽しそうに笑った。
そこから先は、もうなし崩しだった。
芦花と真実にライバー活動について相談したら、二人とも快く協力してくれた。
友達に対して、こういう言い方はどうかと思うが、芦花も真実も数字を持っているインフルエンサーだ。
ヤチヨカップの一ヶ月という短い期間で、かぐやがライバーとして大きくステップアップするには利用しない手はない。
非常に心苦しいが。
そんな私の心境を見越してか、夏休みに一緒に海へ遊びに行くことが交換条件とされた。
あと、芦花と二人で水着を買いに行くことも。
芦花と買い物をしている間、かぐやは真実が面倒を見てくれるそうだ。
それなら、四人で水着を買いに行けばいいのでは?
そう言うと、真実はすんっとした顔になって、「これだから"にぶは"は」とため息をついた。
失礼すぎないか?
芦花はずっとニコニコしていた。
私は音楽制作ソフトを開く。
最初の事故配信で使ったジングルはひどかった。
まさに不協和音。
あそこまで不快な音を作れるのも、ある種の才能だと思う。
かぐやの配信用ジングル。
短いものだから。簡単なものだから。
そう自分に言い聞かせて作業する。
私は、深く息を吸って、一音目を置いた。
軽く。
跳ねるように。
どこか月明かりみたいに明るく。
でも、地面を蹴って走り出すみたいなリズムで。
気づけば、三十分だけのつもりが二時間経っていた。
「彩葉、楽しそう」
背後から声がした。
振り向くと、かぐやが布団の上で膝を抱えてこちらを見ていた。
「楽しくない」
「でも、笑ってるよー?」
私は口元に触れた。
気づかなかった。
私今、笑っていたのか。
「……もう寝なさい」
「いろP、寝ないの?」
「その呼び方やめて」
「えー、かわいいのにー!」
「寝ろ」
かぐやは笑って、布団にもぐった。
私は画面に向き直る。
スピーカーから、完成間近の短いメロディが流れる。
うん、かぐやのイメージにぴったりだ。
ヤチヨのために音を作っている時と同じだ。
私の音がのっていた。
まるで息を吐くように、自然に音を紡いでいた。
その事実に気づいてしまって、私はしばらく、何も言えなかった。
ヤチヨカップまで、一ヶ月。
とても長い一ヶ月になりそうだ。
わけあって、匿名を解除しました。といっても、別に過去作品とかがあるわけではないですが。ご報告までに。